はてなキーワード: 範囲とは
俺フリーランス、専業主婦の妻から「全然家事育児を平等に負担してくれない」とかいう舐め腐ったことを言われる
曰く、「家事育児の負担が 妻5:夫5 なら平等だけど、現状 妻7:夫3 くらいにしかなってない」という認識だそうです
勘弁してくれよと
俺はフリーランスだから仕事無いときは積極的に家事育児も分担できるんであって
会社員夫の妻とか、共働き夫婦とか、もっと厳しい状況に置かれてるんだぞ
そもそも、家事と育児が専業主婦の仕事であって、自分の職責の範囲内の事は最後まで泣き言言わずに単独で完遂するのが基本だと言うことが分かってない
俺が仕事で「モウ無理ー!」ってぴえんして仕事投げ出すことが許されてると思うのか?なぜそれが専業主婦には許されてると思うのか?本当に甘やかされすぎだろ専業主婦
しかも、専業主婦の仕事内容は俺でも手伝えるし、なんなら俺の方が手際良いまであるから、仕事の合間に手伝ってるんだが
妻は俺の仕事を手伝う意思もなければスキルもないわけで、あまりにも状況が非対称的に不公平だと思う。
夫でも担当できる範囲内の家事育児の仕事をしてる専業主婦のほうが圧倒的に有利じゃん。「手伝えるのに手伝わない!」ってわめけるから。
リタイア後に、俺が仕事で本当に辛かったとき、妻は仕事を手伝ってくれなかった!ってわめく夫を想像できるか?できんだろ。それが非対称性よ。
もっと言うと、じゃあお前俺の仕事手伝ってみろよ簡単なexcel作業くらいできるだろってやらせたら役に立たないカスみたいな表作りかけて「わかんない!」で終了〜、お気楽でいいですねハハハ
まあ、俺が何かをお願いしたとしても、それを やる/やらない は相手固有の判断だから、もし断られても相手の意思を尊重したいので、俺は全然不機嫌にならないし
相手がその作業を やれる/やれない も相手固有の問題だから、期待したような成果が上がってこなくても、全然不機嫌にならないし、表面上「ありがとう。助かった。」って言って流したが
専業主婦の妻は「お願いしたのにやってくれない!思ったとおりにやってくれなかった!」ってキレることが当然だと思っている。こどもか。
更に家事育児で寝不足だからもっと家事育児手伝ってほしいと言った同じ口で、フリーランスの夫に子供を預けて最低時給のアルバイトに行きたいとか言ってきて、まじでコイツ〜ってなったりしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4758366290843112544/comment/preciar
これだけじゃ解らん。四肢は露出させて冷やすし心拍も確認する。心拍確認で触る「胸」は乳房ではないので、その辺書かないと判断は無理/人は人が倒れるとパニクるので、行動は必ず多少おかしくなる。その範囲か
https://b.hatena.ne.jp/entry/4758366290843112544/comment/as62
熱中症の対応として「服やベルトを緩め、体を冷やす」というのは存在します。https://www.nhk.jp/p/kyonokenko/ts/83KL2X1J32/blog/bl/p92Kj48qlx/bp/pb03Yg6doL/
宿題やらずに押し通す勢は、観測範囲内でのエッセイやインタビュー記事で複数確認できている
ということは、多分教師もそういう生徒に慣れていて、追及が徒労になると早々に割り切るのだと思う⭐
産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分の体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。
妻フリーター、自分正社員。計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍が確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。
互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。
互いに実家から遠く離れたエリアに暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスかからずよかったとも思う。実際自分の両親世代の情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院と自治体に頼るんだ。
しかしまあ、人によって出産体験は十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。
妊娠中は母体のメンタルが不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。
自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。
早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。
すごい手厚い。母子手帳、妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成、児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対に活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。
妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院をローラーして予約すべし。首都圏は競争激しいし、地方は地方でそもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合、陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。
余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的に入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児に危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的に陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合は子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なものを子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分を召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。
で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまったからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨ての割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師の失笑をさらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。
なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。
妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分の場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志で出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児を自分が行い、今もそれは変わらない。
自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社を休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦の不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所で死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。
新生児はほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン。自分の場合は特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車を運転し美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチしたかったけど産後は禿げるから美容師に拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。
いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したから出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血は産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。
通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後は骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。
完全母乳の場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後は母体の負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって?馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。
赤子はすくすく成長するが、基本的なルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメ→ミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ→風呂に入れてみる→ダメ→放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。
ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのものの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。
これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味でSSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。
最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか。大切なことを言うぞ。
離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん。
お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業が必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。
これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体に相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったときは自治体を頼れ。
これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体のwebサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後は戦争だから余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職の場合、ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。
ちなみに公立保育園の情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴の増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。
保育園は復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園の場合、食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから。復職したかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ。
我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。
大丈夫。保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから。安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。
だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある。毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。
これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。
長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠も出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!
マッチングアプリを初めて始めた26歳女
1ヶ月は頑張ろうと思って3週間くらい経った
彼氏が欲しい!と思って意気込んで始めたんだけど、
でももうどうでもよくなってきちゃった
関わる人がごく狭い範囲に限られている生活を送っていて、職場では個人的な交流は少ないし、友人は学生時代からほぼ変わらない、元々社交的なタイプでもないしすっかりそのぬるま湯に慣れきっている
新しい人と会ったり、ましてやその人と関係を築いていくのが面倒だし苦痛すぎる
誰か激励して
暇空が東野篤子を左翼だと誤認して「メスメスメス」などと中傷したのが発端
その後暇空の支持者らが「東野は将棋の駒をひっくり返したような顔をしている」として、「王将」を逆さまにした画像を集団で送りつけるのがブームになった
東野はむしろ右翼系で右翼から人気があり、かつ軍事に明るいためミリオタからも人気がある
当時、暇空VSミリオタの争いへと発展し、暇空はバトル配信の中で「中国と戦争になったら国連軍が助けに来る」と発言、
また中国と台湾は陸続きだと誤認していたことなどが判明、反論されたので途中で相手を配信から蹴り出して勝利した
配信にやってきたミリオタたちがいかにキモくて頭が悪いかをnoteに綴った
堀口は右翼系ミリオタかつ東野ファンであり、そのnoteについて「書き手の頭の悪さがよくわかる」と他のミリオタ友達と雑談
その雑談をエゴサで知った暇空が「頭が悪いと誹謗中傷され名誉を傷つけられた」と訴えたのが第一審
colabo裁判で暇空が使った弁護士は3人だったが、堀口へのこの訴訟は弁護団4人全員を使っての総力戦だった
「具体的に文章のどこに誤りがあるか指摘しており論評の範囲、強い表現はあるものの、その後に激昂した暇空が堀口に向けた暴言の方がよほどひどい」として暇空敗訴
思っていたより多かった
About 8 in 10 women in opposite-sex marriages say they took their husband’s last name
全体 | |||
18歳〜49歳 | |||
50歳〜 | |||
大学卒未満 | |||
大学卒 | |||
大学院卒 | |||
民主党員/民主党寄り | |||
共和党員/共和党寄り | |||
共和党員(保守) | |||
共和党員(穏健/リベラル) | |||
民主党員(穏健/保守) | |||
民主党員(リベラル) | |||
白人 | |||
黒人 | |||
ヒスパニック |
なお、「元の姓」には夫婦別姓のケースと夫が妻の姓に改姓するケースがありそう(法的に改姓して通名のケースもあるかも)
全体 |
男女で回答が乖離しすぎているように見えるけど、誤差の範囲なのだろう
ウクライナ軍のクルスク反撃作戦は、東部戦線におけるロシア軍のポクロウシクへの進軍を食い止めるには至らなかった。
この重要都市が陥落することになれば、東部全域のウクライナ軍にとって大きな打撃となる恐れがある。
まず、ポクロウシクについて解説する前に、今年2月に陥落したアウディウカに話を戻そう。
この地域はドネツク州における主要な兵站ルートを確保するための重要な拠点として機能していた。
アウディウカの陥落は単に一つの都市を失うだけでなく、ロシア軍に対してその後方の作戦エリアへのアクセスを許し、多様な選択肢と機動力を与えることになった。
ポクロウシクはアウディウカの西に位置し、複数の鉄道線路が交わる結節点となっている。
この都市は、南部のヴフレダルからドネツク北部に至る広範囲の戦線を跨ぐ鉄道輸送の中心地だ。
現在、この役割を果たしているのはポクロウシクとクラマトルスクの2都市のみである。
注意すべき点は、ロシア軍が鉄道を支配するためには、必ずしも都市を占領する必要はないということだ。
前線が都市に接近すれば、鉄道施設や車両が砲撃やドローンの射程内に入る。
こうした脅威により、ポクロウシクでの鉄道運行はすでに停止している可能性がある。
ポクロウシクとコスチャンチニフカの間の道路は長期間にわたり攻撃を受けてきた。
このルートが遮断されれば、バフムト-ホルリフカ戦線への補給が困難になる。
そして、もしポクロウシクが陥落すれば、ヴフレダルからホルリフカに至る戦線の補給線が崩壊し、クラホヴェやトレツクの失陥に繋がる恐れがある。
ポクロウシクは隣接するドニプロペトロウシク州の境界まで20kmしか離れていない。
【前提】
筋力や運動能力は夫の方が高いが、「病気をしない」という意味での体力は圧倒的に妻が高い(人生で数えるほどしか風邪を引いたことがない)
【経緯】
妻は「家事育児はぜんぶやるから気にしなくていいよー」というスタンスだったが、夫は「そういうわけにはいかないだろう」と思っていた。
ちなみに年収は夫の方が3倍くらい高いので、わざわざ収入減らすことないって―という意見。深夜労働も頻繁にある仕事だった。
なので、夫は育休は取らないが、深夜労働で帰れない日を除き、夜泣き対応の負担は半分ずつにする計画を立てた。
具体的には「ベビーベッドは夫の寝室に置き、午前3時までの夜泣きは夫が担当する、それ以降に泣き出したら妻の寝室に連れて行く」ことにした。
夫婦の1日の生活時間は結構ずれており、妻はかなり朝型、夫はそこそこ夜型(仕事の定時が遅い)なのでこの分担になった。
夫はフルタイム勤務なので、平日の昼間は完全に妻任せだが、休日は可能な限り家事も赤子の相手も夫が参加するように努めた。
結果として産後の妻は、夫が常識として知っている「弱った妻」にはならず、普通に仕事復帰してもいいんじゃね?というくらい元気だった。
夫は数カ月後には寝不足がたたったのか、恒常的に軽い風邪をひいているような状態になり、メンタル悪化の兆候も見られた。
これはヤバい、と思った夫は、妻が育休から復帰する月に合わせて、急遽自分が育休を1カ月取った。
1カ月間なら蓄積年休の範囲内で、夫の収入が全く減らないことが確認できたためだ。
その1カ月間は昼間は夫のワンオペだったが(妻は定時上がりなので夕食には帰って来る)、
フルタイム&夜泣き対応と比べれば負担は段違いに軽く、夫はみるみる健康を取り戻した。
ただ夫の性格もあり、部屋の整理整頓があまり行き届かなかったので、
綺麗好きの妻に「家にいるのに…」と不満を持たれた。
【振り返り】
うちの場合、もっと妻に育児負担を寄せても余裕だったと思われ、
「夫が育児に力を入れ過ぎた」と総括できるなと思った。
こんな家庭もあります。
つまり、星野智幸という作家みたいな人は、アベノミクスで貧困層が大幅に拡大したことや子供食堂が全国で爆発的に増加したことも知らずに生きているということなのか。
https://x.com/i_aineias/status/1828659237398168029
星野智幸氏執筆の寄稿記事を読んでみたが、早い話がここへきて怖気づいたんだろうな。事実上の「転向」って訳だ。それに「今の立憲民主党が左派」ってどんな感覚しているんだよ?今後、知識人たちの「リベラル層叩き」は激化すると予想する。
https://x.com/damned398/status/1828564443183357953
タイミングよく(?)朝日新聞で男性作家さんが「リベラルは正義依存だ」とリベラル叩きポリコレ叩きに利用されるような文章寄稿してて、女性作家さんたちが「戦わずして優位にいる男性作家さんはいいよねえ」「女性の不平等はまだあるのに」みたいなこと呟いてて、いやはやって感じ
https://x.com/gyutangogo/status/1828628543611518993
星野智幸さんの朝日新聞の記事が話題だが、無料の範囲でもう最後まで読む気を失くしましたよ。立ち読みして買う気にならない作家さんて、いくらでもいらっしゃいますよね。
しかしながら、妻の中では実働部隊だけが育児の範囲であり、その裏のファイナンスの部分はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだと思う。だから、手も動かしていないのに一緒にやり切ったような顔をするなよと感じたんだろうな。
『機械』
夫との関係に「離婚」という選択肢が浮かび始めたのは2年前、長女が18歳になった頃からだ。
大学生になってから、気の強いはずの長女が泣いて帰ってくることが度々あった。学校やアルバイト先で、人の輪にうまく溶け込めず悩み続けていた。彼女は傷つきやすい子供の心を抱えたまま、大人になろうともがく渦の中にいた。
娘はぼろぼろと泣きながら、何時間もかけて胸の内を私に語り続けてくれた。私はひたすらうなずき、一緒に涙しながらその話を聞いていることしかできなかった。
「……もし、どうしても解決しないようだったら、私からお父さんに相談してみようか?」と、私は尋ねる。
「ううん。それはいい」と娘は、生理的な嫌悪感をふくんだ表情で、はっきりと言う。
「……お父さんはどうせ、何もわかってくれないから。絶対に、言わないで」
私はその返事に戸惑ったような表情をしながら、どこかで娘の言葉に、正鵠を得たような爽快感を感じてもいた。
夫への、積み重なり続けた違和感に耐えられなくなってきたのは、いつからだろう?
20年前、長女を身籠ったタイミングで私は退職し、それからは専業主婦として家庭のことだけに集中させてもらっていた。
夫は必死に、私と3人の子供を抱えても不自由がないほどに稼いできてくれた。会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきたのも、子供たちのことを考えての決断だった。毎日の通勤は都心に暮らしていた時と比にならないほどの負担だったろうけれど、彼はいちども愚痴を吐かなかった。
毎週ではないけれど、彼に余裕があるときは子供たちを連れて遊びに行っていってもくれた。私に負担がかかりすぎないようにと、積極的に家事も手伝ってくれていた。
体力的にしんどい日々が続いていたけれど、彼は父であるということに真剣に向き合ってくれていた。客観的に見ても彼は、完璧な夫だった。
それなのに。私は、子どもたちが巣立った老後を、夫と一緒に暮らしていくイメージが全く持てなかった。
いつからだろう。「本当は夫は、私なんて見ていないのではないか」と思うようになったのは。
彼の何気ない言葉に、ATMで流れるの自動音声のような、わずかな不気味さを覚えるようになったのは。
彼は、決して弱音を吐かなかった。どんな逆境でも、家族のために感情を排し、立ちはだかる問題を解決し続けてきてくれた。
まだ籍を入れる前の、学生時代のこと。私の親族に金銭トラブルが発覚し、その影響が私にまで降りかかりそうな事件が起こったことがあった。
私はあまりに複雑な状況にパニックになり、すすり泣くことしかできなかった。そんなときでも彼は、私をまっすぐに見つめながら、力強く励ましてくれた。
彼はそう言って、学生カバンからルーズリーフとボールペンを取り出して、私に示した。
「ここに、関係する人たちを図にして書いてほしいんだ。分かる範囲で、大丈夫だから」
私は震える手で彼に言われるまま状況の相関図と経緯を書いた。彼はその紙を手に、役所や法律の専門家を探すために奔走してくれ、数週間後にはすっかり問題を解決する筋道を示してくれたのだった。
私はその時、「この人となら、家庭を持てる」と確信を覚えた。私がどうやっても手に入れられない「強さ」を、彼は持っている。
その直感は正しかった。この20年、子どもたちを生み育てるパートナーとして、彼以上に私にふさわしい人はいないと断言できる。
──それなのに、私の心は、彼に対する冷酷な感情を押さえつけることができなくなっていた。
籍を入れてから月日が立ち、夫の役職が上がるにつれ、彼の仕事の責任は増えていった。理不尽と理不尽の狭間に立たされ、膿んだ傷口を埋める脱脂綿のような仕事ばかりが増えていった。
ある時、いちばん仲の良かった同期が社内である問題を起こし、夫が同僚に解雇勧告をしなければならないことがあった。
彼は悩みながらも、それをやり遂げた。その日の夜、彼は珍しく強いお酒を飲みながら「あいつには、障害を持った子供がいたんだ」と私に言った。
「馬鹿なこと、させやがって」と、夫は言った。それは誰に向けられた言葉なのか私には──たぶん夫にも、わからなかったと思う。
そうして徐々に、彼は学生時代よりはるかに「強く」なっていった。夫の決断によって何十人、何百人もの人生が大きく変わり、その規模は日を追うごとに、どんどん大きくなっていった。
実際には、夫はなにひとつ決断しておらず、ただ上から降りてきた決定を実行していただけに過ぎなかった。けれど夫は職務上、それが自分の意思決定であるように振る舞う必要があった。彼自身も、そう思い込むように意識的に努めていた。
それはきっと、彼の心を守るための自己洗脳でもあったのだ。ひとりひとりの人生に誠実に心を痛めていたら、数日で精神が砕けていただろうから。
夫は出勤前にいつも、鏡の前で目を閉じ、ぐっと唇を噛んで何かを考えていた。鏡越しにみえるその表情は、映画の西部劇に出てくる、灼けたフォークで傷口を塞いで止血するガンマンを思い起こさせた。
彼はそうして、あらゆることを数字に置き換え、複雑な世界を解決可能な課題に分解し、それ以外のものは一切、存在すべきでないものだと考えるようになっていった。次第に、私達に対しても社員に対してと同じように振る舞うことが増えていった。私たちとの会話の枝葉を嫌って、最小の言葉で端的な結論だけを話すように求めた。迷いや矛盾を指摘し、論理的かつ客観的な物言いをするよう子どもたちに強い言葉で指導し続けた。
「彼は、こんな人だったのだろうか?」と、考える夜が、どんどんと増えていった。
言葉にならない違和感が自分の中で膨らんでいき──「離婚」の二文字に、救いを感じるようになっていった。
──そんな、ある夜。娘が20歳になり、私と夫はこれまでの日々を振り返るような会話をしていた。
夫は満足そうな表情で、「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」と、しみじみと呟いた。
その言葉に私は、歯の神経に氷を当てられたような嫌悪感を覚えた。
育て上げた?
気づけば私は、数十年の積もり積もった違和感に耐えられなくなり、ダムが崩壊したように彼に反論をしていた。
「……正直、あなたと『子供を育てた』という感覚はないの。まるで自分が育てたような気持ちになられるのさえ、不愉快」
私は、私の中にある違和感を必死に言葉にしようとした。私は言葉が下手だけれど、夫と対話するなら、一日でも早いほうがいい。衝突を先送りにしていくうち私の心が限界を迎え、「離婚」の選択肢を選ばざるを得なくなるより、ずっとましだと思えた。
妊娠中に体調が優れなかったのに彼が飲み会に行ったとき、私は井戸の底に放り込まれたみたいに寂しかった。
夜鳴きがひどかったのにあなたは、いつものように眠り続け、起こしてはいけないという気持ちと、押し付けられているという理不尽さの中で、湧き上がる自己矛盾の葛藤で心が壊れそうだった。 3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ているあなたに、くだらない育児はお前の仕事であって俺の仕事ではない、という無言の圧力を感じ、絶望を覚えた。
私は彼に謝ってほしかったわけでは無い。ただ、ほんの少しでいいから彼に、私の感情を想像してほしかった。彼が仕事で、どれだけ過酷な世界を生き延びてきたのか、私には本当にはわからない。だけど私は、彼の心の痛みを想像することは決して手放さなかった。だからこそ、何があっても彼と生きていこうと思えた。ただ私は、私が子どもたちに対して20年間そうし続けてきたように、「大変だったんだね」と、私の感情に触れてほしかった。
これまでの私達は間違いなく、背中合わせで敵と戦いつづけてくる最高のパートナーだった。
けれど、これからの人生に、大きな敵はもういない。それなのに彼は、私に背中を向け続けたまま、私でなく敵を探し続けている。彼と一緒に次の人生を生きていきたいからこそ、そんな彼に、本気で変わってほしいと思った。
夫は取り乱すように話す私に、かなり強く動揺しているようだった。
リビングは気まずい沈黙でいっぱいだったけれど、私は、彼の心がすこしでも動いたことに、僅かな希望の光を感じながら、眠りについた。
──数日後。
夫が、「この前の、ことだけど」と私に話しかけてくれた。
「実はあの日のことが、すごく衝撃で。それで──ある人たちに、相談してみたんだ。君への賛同の意見、僕への批判の意見。いろいろと本音で言って貰って、考えさせられたよ」
「そう……だったの……」
「僕のあの日の言葉は、君に誤解を与えてしまう表現だった。ごめんよ。……これからもっと君と、本音で話し合っていきたいと、そう思ったんだ」
「!……そんな……」
私は夫のその言葉にとても驚き、喜びの感情が溢れてきた。彼はこれまで、他人に相談なんて絶対にしなかった。きっと彼は、私とのこれからの人生に真剣に向き合って、変わってくれようとしているのだ。そう感じ、涙が出そうなくらいに嬉しかった。
次の言葉を待つ私に、彼は言った。
「そもそも、君の中では育児の実働だけが育児の範囲であり、その裏の予算の調達はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだね」
「……え?」
私は、彼が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「その点ついては、僕の言葉が正確ではなかったかもしれない。とはいえ、育児の成果を君だけのものだと捉えるのは、違うと感じもしたよ」
彼は、そう言って立ち上がり、冷蔵庫に麦茶を取りに私に背を向けた。
「率直に行って、君の発言は支離滅裂で、意味を成していないかった。それでも多くの同意が集まるのに、素直に驚いた。──多分もう二度と相談することはないけど、いい体験だったよ」
いきなり「育て上げた〜〜」って言えるということは、普段日頃からそうだったんじゃない?って思うわけよ。
男は仕事をしていることが家庭の負担の半分を担当、つまりは専業主婦の妻は家庭の半分しか担ってない。家庭への貢献度でいったら、夫75%、妻25%。しかもその上で出来る範囲でてつだっていたから夫80%、妻20%くらい?
って長年考えていたように読めるんだよね。半分は言いすぎかもしれんけどな。まぁ20年間そう考えてきたんじゃないかなとね。
奥さんがしているのは、夫は仕事、家庭は私って言ってるだけでしょ。
相手の功績まで奪おうとしているわけじゃない。
私が頑張ってきたことをそんなに過小評価しないでよって言ってるだけじゃない?
そりゃ尊大な態度でこられたら、そこまでじゃないと思うでしょ。
これまでも、口には出さなくても、あーはいはいまた言ってるわくらい思ってたんじゃない。
全文読んでこの人は何したいんだろ?って考えた時に、文末は「やめる」だし
ブレワイ続けるためのアドバイスが欲しいわけではないんだろうと感じた。
作品によって合う合わないはあるしそれは誰だった同じなんだけど、多分何をやっても同じことをしていて
それがこの人の生活サイクルや能力的限界を超えない場合にのみ楽しいと思うのだろう。
確かにマーカーの少なさなどは批評の対象となった点だけれど、例えばそれは制約の範囲内で
次々と小さいサブクエストをクリアしていくことを企図しているのかもしれないし、あるいは紙と鉛筆という
昭和から令和まで愛される外部メモリで賄うことができる。実際そういう攻略をしているゼルダ愛好家も当時SNSで有名になった。
しかしそういう道具を使うのも、攻略サイトを使うのも嫌だと思うのであれば
記事の品質も低く、いたずらにエモく、つまらないのにコンスタントにブクマされてんなーといつも思う。はてサの広報誌なの?
これの投稿主です。
投稿自体は初めてで、だからこそこんなにもリアクションを貰えたのが嬉しいような、悪意に塗れた議論の踏み台にされているようでちょっと不快なような、そんな気分になった。
一夜明けて、ここのコメントも読んでみて、なんとなく自分の中での原因のようなものは整理できたので吐き出したいなと思う。
○原因としては、
というところに帰着すると思う。
妻が育児の現場を担当する実働部隊で、私は資金調達部隊のようなイメージだった。
仕事のプロジェクトと同じだが、育児も当然に資金的裏付けなしには進まないと考えており、それ故に自分も育児というプロジェクトの中で欠かせない役割を果たしていると思っていた。
しかしながら、妻の中では実働部隊だけが育児の範囲であり、その裏のファイナンスの部分はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだと思う。だから、手も動かしていないのに一緒にやり切ったような顔をするなよと感じたんだろうな。
その上で、そもそも家庭における役割とは必ずしも完全に分割できるものではないとは考えている。故に、妻と私の投下したリソースが同じだったとまでは思わないが、それでも双方合意の上で家庭内の役割を分担し、双方に(一定程度は)それを果たしたのだから、やはり育児の成果を妻だけのものだと捉えるのは違うよなと思った。
敵意の滲み出ているコメントも多くあったけど、その中でもそれなりに受け入れ可能なコメントを残してくれている人もいて、少しだけ心が温まった。
と同時に、(たぶん普段閲覧している時は無意識に頭の悪いコメントを読み飛ばしているからだと思うが)、ここがこんなカオスなサイトだったんだなと初めて気づいた。
具体的に言うと、「定年時に妻に『勤め上げた感じがするなあ』と言われたらどう思うのか」というコメントがあり、それなりに同意を得ているようだった。しかし、そもそも当該コメントにおける"妻"の発言は支離滅裂であり意味を成していないにもおらず、それでも多くの同意が集まるようなサイトだったんだと目の当たりにし、素直に驚いた。
("妻"が言うとしたら「一緒に定年まで頑張ってこられてよかった」という感じだと思う。もしそう言われたとして、俺は素直にその通りだと思うし、そこで出てくるのは一緒に頑張ってくれた妻への感謝でしかないと思う)
一見ハズレスキル『人差し指分離』右手の人差し指を切り離して自由に動かすことができる
マジメくんのリーダー「それのどこが便利なんだよお前はいらないから追放するゾ!」
実は「切り離したあとすぐに次の人差し指が生えてくる」「操作範囲は無限で宇宙にもいける」「操作が自由なのでどんな重さのものでも負荷に負けることなくひっかけて移動できる」「分離した後の人差し指の処分として任意に爆破できる」「実は左手もいける」という最強スキルだった!
奴隷女「抱いて!」姫様「抱いて!」女幼馴染「抱いて!」元リーダー「戻ってきてくれ!」
なろうってこういうのでいいの?
軽自動車って範囲や選択肢を与えられているのにそれをちゃぶ台返しして別の選択肢を提案してくるのはコミュニケーション能力になんらかの障害を抱えていると思うんだ
少し前に都内から引っ越してきて、民度の低さとか意識の違いに驚くばかりだ。
地面に並ぶ場所が書いてない部分もあるのが一因だろうが、列ができているのに先頭の隣に並んだり、ちょっと離れたとこで新たな列を作って一番前として乗り込んだり。
今日は電車から降りてきた人が、次を待つ列の先頭の斜め前に立った。
行き先の関係で乗り換えをする人はまま見るが、このムーヴは始めてみた。
後ろから見てて、え、ちょ、え…?ってなった。
似た名前の作品が2つあり、まあ同じテーマなんだろうなとほぼ同時に読み進めた
一つはいじめられっ子に突然できた親友の過剰な執着といじめっ子への過剰な暴力での仕返しに翻弄されていく系
話を進めるうちに同じ名前の登場人物が出てきて、じゃあこいつが真の主人公であり最終的な勝者なんだなと
ヤクザの相続バトルは無料範囲を読み終えて、おそらく本編であろういじめられっ子の過剰な親友ものを読み進める
が、別編で出てきたキャラ2人目 あれ、なんか違うな
2作品はつながりはあるのかもだけど、また別の世界線ものとして割り切る