はてなキーワード: 劇場とは
ポケモンが20周年記念で初代ポケモンをテーマにした劇場版やることになったわけです。
今の子は興味あるんですかね。
PVや公式サイトで相棒のピカチュウとホウオウに会いに行くと言われて、リアルタイム世代からしたら「うわーオニスズメと戦った後のあの伏線かー懐かしーああーサトシとピカチュウそういや最初仲悪かったなーミュウツーの逆襲の頃には完全にパートナーになってたから忘れてたわー…あれ……目からきずぐすりが……」となっちゃうわけですけど、子供からしたら「ホウオウ?ああうん沢山いる伝説ポケモンの1体ね」としかならんのじゃねーかなと。
ターゲットが完全にこっちに向いてるんですよ。
ポケモンも子供世代そっちのけで親世代に「この映画凄い懐かしいですよー面白いですよー」とアピールしてくる段階に入ったのかと。
その事自体はまあ良いんだけど、それにノスタルジーを刺激されている人間の1人に自分がなっていることが辛い。
具体的に言うと、それだけ年を取っておいて大して成長していない自分が辛い。
ポケモン楽しんでいた頃から換算したとしても物心ついて20年、それだけ時間をかけて自分は果たして立派な大人になれたのかと考えるととても辛い。
男子三日会わざれば刮目して見よと言うけど、20年ともなればその2000倍以上、その間刮目して見ることが出来るほどの成長を遂げたのかと。
20年経ったのにサトシやコナンの年齢が止まっているとか言ってられないですよ。
そもそもいい年こいてアニメの話でこんだけ盛り上がっている事が何かおかしいです。
いや、自分が楽しいと感じているもの、感じていたものを正しいと言えない自分がおかしいです。
ちゃんと成長した人間だったら大人がアニメやマンガの話して悪いのかと言えるんだと思いますが、自分はそう言い切る勇気がありません。
子供時代の親や世間の物差しにあわせてヘコヘコして薄ら笑いを浮かべていた状態で時間が止まっているのでしょう。
再び歩みださなければ。
どうすればいいのかは分からないけど。
とりあえずこの映画でも見るか。
「アニメのどこが面白いのか分からない」というおっさんが見ても面白いアニメ18本 - 分裂勘違い君劇場の別館
この手の、アニメには普段興味を持ってない人へのオススメ的な記事を見て毎度思うのだけど、
そういう人たちがそもそもどういうタイプの人たちなのかということへの分析がないんだよね。
だから、なんとなく自分勝手に「このへんだったら受けるかも」ってだけの羅列になってしまう。
いや、自分もそこんとこ科学的に分析できるわけじゃないんだけど、
まずは分類できる要素を挙げてざっくりタイプ分けし、
そのタイプごとにオススメを挙げてみれば、それなりの納得感が出たり、
とりあえず以下、叩き台として。
上の記事に即して話を進めると、そもそもまず「おっさん」とはどの世代を指すのかを、
一応決めておく必要はあるだろう。たとえば20代から見れば30代はおっさんだが、
40代にとってはまだ若造だ。しかし50代から見たら、40代はおっさんの仲間に入れてもいいとなる。
ということで、ここではとりあえず「40代後半~50代前半」としておく。
アニメ史の観点で捉えるなら、ヤマト、999ら松本零士関連作品、
及びガンダムからのサンライズ作品といったSF作品の大きなムーブメントを
つまり当人は関心がなくても、周りにどはまりしてた奴が普通にいたので、
アニメ文化を身近に知らないわけではないおっさんの初期世代となる。
それより上になると、「アニメ」というより「テレビまんが」という初期認識があり、
② 小学~高校時代にアニメにはまっていたが成人して卒業したタイプ
そしてそれぞれをさらに以下の2つに分けてみる。
では、それぞれを少し具体的に考察してみよう。
このタイプはそもそもフィクションに関心がないので、ほぼお手上げだろう。
それでも何か薦めてみるなら、歴史や現代の社会問題を表現した作品など
上の記事に挙がっているのなら「この世界の片隅に」か「聲の形」がなんとかってとこか。
また、賭けにはなるが「機動警察パトレイバー 2 the Movie」のような骨太な作品で、
フィクションが政治・社会的問題を示唆する可能性に気づかせる手もある。
このタイプが①-Aとは別の意味できついのは、フィクションに関心がないというより、
「アニメ」というものに偏見を持っている可能性があることかと。
つまり「おっさん」というより、この世代以上の「じじい」のメンタルを持ってるということだ。
この手のタイプには、クセがあったり、子供向けっぽいキャラデザは避けるべきだろう。
ただ①-Aほど真面目な内容である必要はなく、ライトでもきちんとストーリー性があれば
キャラデザは賛否両論あるだろうが、ベタな萌え絵じゃないしってとこでなんとか…
この手のタイプは、多分フィクションゆえの作り物感に覚めてしまった可能性がある。
ガンダムの設定の作り込みやストーリー性を楽しめていたはずなのに、
富野節の芝居っ気に嫌気が差して、フィクション自体から距離を置いてしまったとか。
こういう人にはSFでも実直な作品なら、また見る気を呼び起こせそうで、
現在からの延長で想像力を持てる近未来設定の「プラネテス」は薦めてみたい。
ただこの作品は序盤のタナベのウザさと、6話の忍者回で脱落してしまう可能性がある。
そこを突破すれば、タナベは最高に可愛くなる上に、ストーリーもぐっと真面目に面白くなるのだが。
このタイプは成人してなんとなくアニメから距離を置くようになってしまった、
あるいはサンライズ系に飽きてきて、次の好みを探さず卒業してそのままって感じかな。
とりあえずドラマや映画は楽しめるけど、単に「アニメ」というところで
「今更なあ」という躊躇が働いているだけかもしれないので、きっかけ一つで戻ってきそう。
「プラネテス」はこのタイプにより効果的な気がする。「翠星のガルガンティア」とかもいいかも。
どちらも見る者を引き込むドラマ構成と主人公の悩みや成長が感じられるので、
最後まで視聴し続けたあとの満足感があるし。
とこんな感じで。
まだ終わってないのもあるけど。
雑。
喪黒(通り魔)。
キュートの曲好き。
キラキラ星。
決闘要素。
https://www.youtube.com/watch?v=nRj78wx8DCE
1度も名前を返さず。
双子が入れ替わって男子校と女子高に通うってまりあほりっくみたいだよね。
EDが本編。
Eテレでやれ。
あの真上から料理風景を撮影するスタイルってどこが発祥なんだろうか。
淡々としすぎ。
PAお仕事シリーズ第三弾ということでSHIROBAKO級を期待していたが肩透かし。
生死不明ENDは嫌いじゃないけど好きでもない。
正妻マツコ。
光属性。
野暮助ではない/蛯原を最後まで引っ張ったわりに加入はあっさり。
百合キャラの振りして男堕ちは百合豚的に萎えるのでやめて/OPすき
天さんの演技が良かった。主題歌すき
日常アニメに見せかけたエロアニメ。エンドカードが一番エロい。
全員色欲。
テンポよくて好き。
中国アニメは途中でぶん投げなきゃいけない決まりでもあるの?(ToBeHeroは綺麗に終わったが)
原作であっさり正体ばらしてたところがアニメでも良く再現されていて笑った。3期も期待。ただ、謎オリジナル回想で尺稼ぎはやめてほしい。
ゲームやってないけど、このアニメ見てゲームやってみたいとは思えなかった。
どうせなら最初から女主人公で百合ハーレム騎空団が見たかった。
天満屋とか金閣みたいな憎まれ役好き/二代目の掘り下げがいまいち。なんで拗ねてたのこの人。
見てると懐かしい気持ちになる。
深夜じゃなかったりアニメじゃなかったり
新主人公&新学園でどうなることかと不安もあったが、無印と変わらぬノリで安心。
さっきまで命だったものが辺り一面に転がる。
るーみっくわーるどすごく好きなのでこのままずっと続いてほしい。
平常運転。
新檀黎斗が面白すぎてずるい。
ジュリオくんが実は女の子で6人目の追加戦士に…という予想は外れた。
キュアパルフェが追加メンバーとすると、6人プリキュア体制って初なのでは?(5GoGoのミルキィローズは除外)
ケール×カリフラ
自分のタイムラインにはプリリズヤクザが沢山いて、愚痴を吐き出せないのでここに書く。
キンプリ見たときは、プリパラしか知らなかったけど、「プリズムの輝きは人生を変える」「プリズムショーってすごい」という力があった。信者にならなくても、惹き付けられた。
キンプラは勢いだけをキンプリに乗せた、醜悪なアニメだな、と思った。確かにショーはすごいし惹かれるシーンが全く無かったわけではないけど、中途半端にストーリーがしっかりしているところと、プリリズヤクザ向けに説明をぶっちぎってるところと、勢いだけで進むところが混ざって、とにかく中途半端だな……としか思えなかった。
そして、「じゃあ過去作品見て勉強しよ!」と思えるほどの力もないな、と思った。過去作品では分からない、この作品の主人公たちの話が進みすぎてるのだ。
監督と熱狂的なプリリズヤクザの内輪受けって、こんなにつまんないんだな……。激しい音楽と演出で押しきろうとしてるけど無理だな、って思って劇場を出た。平日なのもあるだろうけどガラガラの劇場だったのもつらい、と思った。ミーハーを乗せられないとこの手の作品はバズらない。作品を支えてくれるのは熱狂的なファンかもしれないけど、「よくわからないけどすごいらしい」というわくわく感は、ミーハーである意味「にわか」なふわふわした層が乗ってこないと産み出されない。キンプリのときはまだ盛り上がっていたと思うが、キンプラがいかに新規のミーハー層を取り込むのに失敗したのかを見た気がした。
キンプリシリーズ、次で終わらせるのかな。分からないけど、もう特殊な上映とかに拘らず、何クールかのアニメにするなり、もう少し丁寧に描写するなりしてくれ、と思った。
TVはスポンサーを増やし予算を増やすために劇中にスポンサー商品などが多々登場。
一週間に30分はどうしても無理があるので、東映アニメのように枚数制限をかけるか、一話につき5~15分のものが主流。
そもそもTVアニメの本数が激減しており、アニメ製作会社の仕事の多くはPVやCMがメインになっている。
たまに気合の入ったアニメがあるが、殆どの場合製作委員会に中国企業が入っており、原作にはない中国要素が足されていたりする。
ようこそ!
ここは酸いも甘いも味わえる夢のワンダーランド、インターネッツ。「www」の扉をくぐれば誰だって飛び込める!
人種、属性、性癖、思想、誰一人制限されることはない完全な仮想的オープンワールド。
来る者拒まず去る者追わず。見回りの警察はいても門番はいないよ。誰でもカモン!
それが、政治。
無視したくても、目を閉じたくても、視界をそらしたくてもいっつも気になる子の様に視界の隅にチラついちゃう。
参加条件はなし!ロボット以外は誰でもおいで!
でも、どっちが有利かなんてわかんないよ。それは指揮官なき戦争。局地的戦局は見られても誰一人、俯瞰的なことはわかりゃしない。だって、今もこうしてワンダーランドは広がり続けてるんだから!
いっつも、右の軍勢と左の軍勢はせめぎ合ってばかり、左が押し込むこともあれば、右がグイグイくることもある。
それの繰り返しさ。
飽きないかだって?
そりゃ、飽きないよ。実際今まで続いてきたじゃないか。
でもでも、右の軍勢に押されてる時に、左の軍勢なんて辞めたくならないかだって?
いいこと聞くねぇ、このワンダーランドは一つの戯曲。大事なのはギリシャのような精神の浄化、カタルシスさ!
グイグイおされた左の軍勢。でもでも、ワンダーランドの神様はかたっぽがやられっぱなしなんてつまらない真似は好まれない。
ある時を境に今度は左の軍勢は水を与えられた魚のように元気になるのさ。
そうすりゃ、なんのクライマックスのように左の軍勢はカタルシスを味わえる。
因みにこれは、右の軍勢も然り、だ。
しかも、こりゃただの劇場とは違うぜ、何せそこはワンダーランド、皆が皆悲劇のヒロインで復讐の主人公。悪の大魔王軍団に好きなだけ思いの丈をブチかますことが出来るのさ。
ワンダーランドの人達が争うことワンダーランドの神様もそれを望まれている。
闘争は人間の本能。体はワンダーランドでも心が人間なのならそこからは逃れられない。
人と人との争いはエネルギーを生む。神様にはそのエネルギーが必要なのさ。このワンダーランドをワンダーランドたらしめる為には……
さて、キミはどっちの軍勢に入りたいんだい?
……そっかぁ、そりゃいつか苦労するぜ
小林麻央さんが亡くなってからというもの、TVでは毎日のように彼女の報道がなされている。
でも、正直何がそんなに大変かって、元女子アナの綺麗なお嬢さんが夫と子供を残し若くして死んでしまったことよりも、あの成田屋の若奥さんが亡くなってしまったことだ。
歌舞伎を知らない人はわからないかもしれないが、とにかく成田屋は300年以上続いていて、歌舞伎の家の中でも名門だ。上手いこと例えられないが、日本の車メーカーで置き換えてトヨタとしておく。
で、海老蔵はそこの社長になるわけだ。それで、梨園の妻って何してるかって、世間は悠々自適な主婦生活じゃなくて、劇場に挨拶回りして、チケット売りさばいて、お茶だの花だの着付けだの、江戸か明治のお嫁さんかいなって言うくらいの芸事を覚えて、夫に栄養のいいもの食べさせて、不祥事があれば謝り、跡継ぎを生んで育てるって、まぁとんでもない量の仕事がある。非常に言い方が悪いが、夫は商品で、妻は、営業、総務、アフターケアから新人研修まで一人でやってるってことだ。
つまり、歌舞伎界のトヨタの営業、総務、教育係がいなくなってしまったと言うことになる。
だからと言って、「はい、もう続けられません。成田屋は廃業です。お疲れ!」とは言えない。
成田屋は、前述の通り300年以上続く老舗の歌舞伎の一門であり、最近は成田屋は不祥事が多くて、中村屋が結構真面目に頑張ってたから霞んでる部分もあったが、家の格で言えば一番である。
その証拠に、麻央さんの力があったとはいえ、あの遊び人の海老蔵が、先代の團十郎が死んでから熱心に稽古に励んでいると言うではないか。
あのヤンキーが恐れおののいて真面目になるだけのお家だと言えばわかりやすいかもしれない。
つまり、今まで通りにお家を存続させるためには、妻かその代わりになる人の力が必要と言うことだ。
今までは海老蔵の母親が、麻央さんの代わりにその仕事をやっていた。でも、誰でもわかることだが、お母さんだっていつまでも元気なわけではなので、その代わりにも限りがある。
でも、息子には未来の團十郎になるための一種の帝王学を教え、娘には梨園の女としての教養を身につけさせる役割は誰がやるのだろうか。
もし海老蔵がやるならば、彼は團十郎になるための時間はとれるのだろうか。
もし再婚するとするならば、そして、その女がエゴイズムの塊で跡継ぎを生むことに執着したなら、そして生まれてしまったら、成田屋にお家騒動が勃発するかもしれない。
そうであるなら再婚は避けるだろうが、あの成田屋の團十郎に妻がいないこともそれはそれで問題ではないか。
ただの俳優ならこの純愛を貫き通すのが粋なのかもしれない。なぜ歌舞伎はそれが出来ないのか。そんなの理屈なんてない。
海老蔵もきっとわかっているだろう。
だからこその、あの涙の会見だったのだろう。
きっと、海老蔵は麻央さんをこれからも大事にし続けていくだろう。それと同時に、麻央さんが大事にしてきた成田屋を守っていくためにも、新しい奥さんをもらわなくてはいけない…。
世間はもしそうなっても海老蔵を(もしかしたら團十郎になっているかもしれないが)叩かないでほしい。
それが、一般人には理解できない、成田屋の当主としての務めになるのだから。
できることなら、麻央さんに海老蔵が團十郎になって、息子が海老蔵になって、夫がまたちょっとした不祥事を起こして麻央さんが謝ってるのを見て、おい旦那、ふざけるな、とか言いたかった。
俺は表現の自由を常々主張しているが、一元的内在制約説(+αは若干ある)的な「公共の福祉」に基づく表現の自由の制約は当然あると思っている。だから
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
真面目に表現の自由を主張している人でそこまで主張している人はまずいない(実は1人心当たりがなくもないのだが)。
満員の劇場で”劇場が火事だ!”と叫んで逃げ出す人々を生み出すことも現代アートです、と主張することは不可能ではないが、この場合は劇場への業務妨害が当然に成立するし、
創作物において、実在の事件で無罪になった人を犯人扱いしたことが名誉毀損罪になった事例は存在するが、公共の福祉における当然の制約だと思う。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
実のところ上で書いた例と比較した時に『有害だから子どもにエロ・暴力を見せたくない』というのは本当に内在制約と言えるのかは若干の疑問がある。
俺は子無しであるが、流石に子どもに無制限にエロを見せても良いとは思わない。ただ一方で、『エロを見せることは本当に子どもの発達に有害なのか』という研究はおそらく存在しない。というか流石にそんな研究は人道上許されないのは明らかだ。
この場合、子どもの成長への実際の害というよりも「子どもにエロをできれば見せたくない・ある程度コントロールしたい親の権利」との衝突で年齢制限がかけられていると一応俺は思っている。(規制の実態がそうなっているか、はまた別)
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
テレビで、というのは若干の疑問がある。それはどうしてもTVの電波は有限のリソースだから(新聞や雑誌は商業的に成立するかどうかを抜きにすれば無限に存在することが可能だが、TVの電波は無限ではない)ある程度のバランスは必要になるとは思う。
ただその上で、増田は、気に入らないならチャンネル変えれば良いじゃないかと思う。
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
少しでも許されないと考えたものは存在を抹殺しようとする人がいて、そういう人による炎上を恐れたことによる商業的理由じゃないかな?
で、タイトルにも少し書いたけど。
~~~
規制派「お前は子どもがレイプされるエロマンガを一切の制約なく流通させて子どもが見ても良いと思っているのか」
~~~
この会話はフィクションだがこれに近い流れになることは多いし、実際に
自由主義(自らの自由と同様に人の自由も最大限尊重する)的な意味での表現の自由を主張する人に対し、自由(一切の制約なし)の意味だと受け取る規制派とのすれ違いがこの手の問題の根本にあるように思う。
俺は神ではないし、お前も神ではないし、世間の集合知は相対的に正しい方向に向かいやすいけど絶対に正しい神のような存在ではない。
そんなことすら理解していないヤツが民主主義を運用しているというのはある意味恐怖だと思う。
残念ながら、我々は神ではない。だからこそ、言論や表現の自由は必要なのだ。もしも絶対的に正しいことが存在するのならば、それ以外の言論や表現を禁止しても問題はないだろう。
美味しんぼの例の騒動にしても、我々は「否定側の意見により強い説得力を感じる」というだけだ。
もしかしたら─『綾瀬はるかが今年中に俺と出会って俺に一目惚れして交際して結婚する』くらいの確率ではあるが─実は我々のほうが間違っていて雁屋哲が正しいのかもしれないと思っている。
だから敢えて答えよう。
その通りだ。我々はあれを表現の自由として法的には認めざるをえない。
だが同時に、『ユダヤ人は存在自体が許されない』というドイツ人の意見がホロコーストを産んだのであり、『将来は資本主義が滅びて共産主義になるというのは科学的真実だ。それに反する意見は必要ない』という意見が様々な分野で歪みを産んだことを我々は経験的に知っている。
だからこそ、どんなに反吐が出るくらいに許されないと思う存在であっても、まず最低限の存在だけは許そう、というのが言論の自由や表現の自由であり、自然権としての生きる権利なのだと俺は考えている。
”満員の劇場で「火事だ!」と叫ぶ”ような明らかに直接的な因果関係が認められる言論は脅迫や名誉毀損や業務妨害という形で規制されるべきだが、それ以外の言論や表現は確実な因果関係が認められない限りは規制されるべきではない。
神ではない我々人類は今のところ─もちろん個別にはこれが守られていない事例は山ほどあるが─それよりも賢いやり方を知らないのだろう。
「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」を観ました。
なんかヤバイ映画があると、公開初日に偶然見ていた友達に誘われ、卒論を提出したその足で、新宿バルト9の通常上映22時半の回のチケットを取った。
平日の22時過ぎで、終わるころには23時もとっくに過ぎた時間になるのに、劇場フロアには満面にも近い笑顔の大人がたくさんいた。
「えっなにこれ? なんでこんなに人いるの?」
キンプリは女児向けアニメ、プリティリズムの続編だということ、これは友達から聞いていた。それで、プリズムジャンプとかいうなんかすごいフィギュアスケートがテーマの作品らしいことを教えてもらったりした。
びっくりしたのはそれだけじゃない。今を時めく若手男性声優がクレジットされまくる映画なのに、男の人がめちゃくちゃいた。っていうか男の人の方が多かった。なんか黄色いバラ持ってて、わたし、これから何を見るんだろう……?って不安とかではなくて、ただただ目の前の不慣れな状況に混乱してた。
で、見たんだけど。もう超意味わかんなかった。
だって意味わかんなかったんだもん。すごい、笑いをこらえるのに必死で、見てるこっちとしても、一瞬たりとも気が抜けなかった。
キャラクターは何事にも全力で、清々しい。すごい、本気ってこういうことなんだなって。
作中でキャラクターが言う「世界が輝いて見える!」って、全力を手に入れた人が見ることのできる世界なんだなって。
映画館を出て、1月初旬の、日付も変わる時間で、その日もすごく寒い日だったはずだけど、そんなの全然関係なくてからだがぽかぽかした。
本当に、本当に楽しみにしてた。
もうこれだった。
監督が「見れば見るほどもやもやが残る」って前もって言ってたけど、1回目で大分かなりやばい。
すごい、笑うところ、全然ない。
そしてめちゃくちゃ忙しい。
内容が濃すぎて、覚えてようとおもったところにばんばん情報が投げられてくるから、脳みそからはじき出されていく。
速水ヒロくんが大好きなんだけど、最初の20分(ちゃんと時計見てないけどそれぐらい)、こんな仕打ちするのかよって開いた口がふさがらなかった。
本当に、口を開けたまま、大型スクリーンに映写されるヒロの挫折を眺めてた。
あとさ、公開前から話題になってた、シンくんとルヰくんのキスシーン寸前みたいなあれ、
もうさ、公開前「エヴァじゃん」とか言ってたけどエヴァだよ!!!!!!!!!!!
ルヰくんの愛が深すぎて、もうずっと泣いてた。
ルヰくんの愛にただただ圧倒されて、でもシンくんは自覚もないし、夢か……とかそんなんだし、いやそうでしょうけど! 現実だったらえぐい死に方してたけど……。
問題が片付くどころか、まずいものが発覚して、この二人の行く末を心配していた人は、これを見て、日常に戻れるのかな……と十分にやられた頭でぼんやり心配した。
う~~~~~~~~~~つらいよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同じように、見た友達、ED以下以外なにもかもしんどい。考えたくない。って感じで、メンタルはちゃめちゃだよ。
「見た人を土下座させる映画」がキンプラらしいけど、土下座通り越して五体投地してる。
あと、前回のキンプリで応援上映がほとんどトラウマになってるんだけど、今回キスシーンがむちゃくちゃあるから、そこで「ヒュ~~~」みたいな声聞いたらその場でキンブレでもなんでも投げてしまう気がして、怖くて行けない。
応援上映は、感じたまま楽しく、悪口は言わないでねって上映だから、ヒュ~~~ってはやし立てる人がいても全然いいと思うけど、わたしは、自分を守るためにしばらく通常上映で自分のキンプラ解釈を探そうと思う。
こんな気持ちで放り出されて、ユキさまの親との確執とか、ヒロの父親の問題とか、冷さんの子供とか、当然シンくんとルヰくんとか、もう全然、何にも解決してないから、続編を見るためにキンプラ通います。
あと仁のこと、あんまりだよ……。なにあれ、あんな、さんざんだったじゃん。彼の精神的に満たしてあげてよ……金と地位とか、それで埋められてないじゃんよ……。
なんていうか、生きなきゃ。
ああ、つらい。つらいけど、考えても何が起こっていたか、防衛本能なのか、もうほとんど記憶がないから、キンプラ、早く2回目いかなきゃ。
さて、自分はこれを「テンプレものなゾンビサバイバル」と評したが、これは要所要所のツボは抑えていることを指しているだけだ。
この作品はある意味で「顧客の求めているもの」を提供しているとも言えるし、提供していないとも言える。
どういうことか説明していく。
まず、この映画を“豪華なキャスト”目当てで観たい人は、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。
カメオ出演の俳優のために予算を使い果たしたんじゃないかという豪華っぷりである。
主演のマッピーもしっかり絡むので、彼の美声に終始酔いしれることだろう。
逆にゾンビサバイバルものを目当てに観に行くならば、あまり期待しない方がいい。
ゾンビサバイバルもので個人的に好きな箇所は、「パニック状態になって、人間社会が崩壊する前段階」である。
日常が徐々に壊れていくような、でもそれがまだ原型を留めているような段階のことである。
そこを丁寧に、上手く描いたゾンビサバイバルものは、個人的にそれだけでワンランク評価を上げたくなる。
本作も、その前段階にたっぷり尺を使う。
なんと1時間!
いくら自分が前段階が好きだからといって、モノには限度がある。
見せ方も無駄だという印象が強く、ただ登場人物たちがくっちゃべっているシーンが長々と続く。
パンデミックを想起させるニュースを挟んだり、ゾンビになりかけた様子のおかしい人が映るシーンなんてものは申し訳程度にしかない。
ゾンビサバイバルを観たい人は、後半の部分だけ観ても差し支えないレベルだ。
だが、これもある意味でわざとやっている節がある。
『ヴァリアブルオリジナル』の主人公を筆頭に、その他のアニメでも青年役、少年役で彼の声を聴かない日はない。
だからマッピーを目当てに観に行く人にとっては、彼が長々と話しているのはそれだけで至高なのだ。
だが、このマッピーという俳優が、ある意味で作品全体の雰囲気を歪にしている側面もある。
大根というわけではないのだが、これまで声優業ばかりやってきたせいなのか、その癖が抜け切っていない。
或いは、マッピーも実写向けの演技が出来たのかもしれないが、彼のファンはアニメから入ってきた人間ばかりなので、ファン向けの演技指導をさせたのだろうか。
マッピーの発声は本作でもすごくアニメっぽくて、実写向けの演技路線である周りの俳優とは明らかに浮いている。
ヒロインが「バリケードが突破された!」とリアル路線で喋り、周りの俳優やエキストラもそれに合った演技をする中、マッピーだけが雑音が全く無い環境で「ヤバいよ、本当にヤバいよ!?」と言っている場面の脱力感といったら筆舌に尽くしがたい。
これは自分の勝手な憶測だが、この映画の監督は元々コッテコテなゾンビサバイバルを撮りたかったのだと思う。
なのでマッピーの所属する事務所に関係する企業に出資を募ったら、出してきた条件がこの前半のかったるい展開だったのではないだろうか。
或いは広告担当が、俳優を前面に出して集客しようとした結果、それを極端にやりすぎたというか。
映画監督も俳優目当てとゾンビサバイバル目当ての人間をハッキリさせたかったので、前半は開き直って俳優劇場にして、後半でゾンビサバイバルを詰め込んだ、と自分は妄想している。
特に監督のこだわりが感じられたのは、子供のゾンビが出てくることだ。
しかもこの子供ゾンビが……(ネタバレというほどの展開ではないが、個人的な見所ではあるので伏せておく)。
本作のゴア描写は大したことはないのに、レーティングが高めなのはこれが原因だと考えられる。
それでなお“善良な人間からのクレーム”も覚悟しなければならない。
監督も色々譲歩し続けたと思われるが、ゾンビサバイバルのシビアさを表現するため、これは残そうとしたのだと思う。
自分としては、今回でこの監督も注目せざるをえない一人になった。
前に、売れないジャニーズJr.を好きになった、という記事を書いた。書いて公開したわりに、誰かに読んでもらう、という意識に欠けていたので、少し追記したいと思う。
前記事にも書いたが、私は以前はデビュー組のファンだった。全ステしたりはしないけど、1人でも遠征するくらいには、一応真剣にファンだった。彼らが作る世界観が好きだったし、仲良しであることは大変微笑ましかった。テレビに出れば録画し編集しDVDに焼いて保存した。CDは1位になって欲しいから、初回通常全部買った。
コンサートへ行けば、担当はカッコよくてかわいくて、来てくれてありがとう、と、何度も繰り返す彼らと同じ空間にいられることが、幸せだった。
ふとしたきっかけで、前記事の、売れないジャニーズJr.、に、担降りした。この『売れないジャニーズJr.』を特定されることは本意ではない。売れない、なんて言われたくないだろう。そもそも、彼らが購買しているものなんてジャニショの写真くらいだ。売れないという言い方は不適当だった、と、思う。
彼を好きになってから、コンサートも舞台も見方が変わった。舞台で言えば、ストーリーが面白いかどうかはどうでも良くなった。彼にどのくらい出番があるか、真ん中にいるか、前列にいるか、それが何より大切になった。何度も見るのだから、ストーリーに興味はない。物語の展開などどうせすぐに覚えるからだ。今日はあの場面で笑った、この前と言いかたを変えた、仲の良いジュニアとアイコンタクトをとった、失敗した、うまくいった、私に気づいた、気づいてくれなかった、と。
劇場にはファンレターボックスが置かれ、劇場を訪れた人はそこに手紙を入れることができた。舞台によってはボックスがないこともあるが、劇場のスタッフに伝えれば大抵預かってもらえた。郵便で送るファンレターの宛先はジャニーズファミリークラブであるが、ジャニーズJr.になってもう何年も経つ彼があそこにファンレターを取りに行っているとは思えない。だから、舞台期間には必ず手紙を書く。この場面のここのところがすごく良かった、いちばんかっこよかった、ダンスが、セリフが、とても良かった、と。そして、大好きだと、応援していると、いつまでも見ていたい、と書いた。
彼がいなくなる日がくることを。
しかし一方で、この状況を楽しんでこそいないものの、この境遇をも含めて彼を好きなのではないかとも思っている。
前記事公開以降も、彼はこれまでと同じようにステージに立っている。私も変わらず、機会があれば彼を見に行っている。 与えられたのがどんな役目であっても真摯に取り組む姿勢を尊敬しているし、頑張っているところを見られるのは単純に嬉しい。彼らの日々の頑張りは少しずつ報われて、大きな変革こそないけれど、私の主観としては、まだもう少し続けてくれるんじゃないか、と思えるようになった。ただ期待すればそれが裏切られたときにダメージが大きいから、いつでも心の準備をしている。
もう2度と見れないかもしれない。
先のことはわからない。それでかまわない。
ただ、夢の続きはできるだけ長いといい。
まず、前述のrenaissancemenがアップしているこの動画を観てほしい。
「Video from My Phone (Sierra walks.3g2)」
https://www.youtube.com/watch?v=lXCvMWxwOiY&t=11s
次に、Raymondのオフィシャルアカウントがアップしているこちらの動画を。
「Sierra's Journey」
https://www.youtube.com/watch?v=SD9TXypng4E&t=117s
動画のタイトルを信じるなら、どちらの映像にも「Sierra」という女性が登場する。
この女性は恐らく、Raymondの妻のSierra Aiko Persiだ。
https://www.flickr.com/photos/rebeccadru/13684061944
Raymondのアカウントに、Sierraの動画があるのは分かる。
だが、renaissancemenがSierraのプライベート動画をアップしているというのはどういうことだろう?
renaissancemenが、どこかにアップロードされていたSierraの動画を無断で転載している可能性も無くはないが、正直これはrenaissancemen=Raymond S. Persiである、と考えるのが妥当だろう。
ちなみに先ほどのflickrの画像の左側に映っている男が、Raymondだ。
…改めて「freaky soup guy」「soup torture」を観てほしいのだが、スープを食べている男は、Raymondに似てないか?
http://disney.wikia.com/wiki/Raymond_S._Persi
…「freaky soup guy」も「soup torture」も、どちらもRaymond S. Persiの自作自演動画なのではないかと、私は考えている。
ちなみに、RayRayのアカウントが、metacafeにも存在する。
http://www.metacafe.com/channels/RayRayTv/
ここでは他のRayRay動画に加えて、「これらは私たちが作ったものではない」という趣旨のコメントと共に、「freaky soup guy」「soup torture」の2本の動画もアップされているのだ。
また、下記の動画で、「ReignBot」というyoutuberが、
・Raymond S. Persiにインタビューしたところ、「LAのKey Clubという劇場でRayRayのパフォーマンスをした際、何者かにRayRayのコスチュームを盗まれた」と彼は話した。
・「コスチュームが盗まれた後、「freaky soup guy」の映像と、「soup torture」へのリンクが、Eメールで私のところに送られてきた。」「このビデオを作った人々が、私がイメージしているRayRayの挙動をきちんと行えていることに驚いた」と彼は語った。
という趣旨の話をしているが…如何にも嘘くさい。
「Blank Room Soup.avi "Deep Web" Video EXPLAINED(?) (w/info from character creator)」
https://www.youtube.com/watch?v=sFd2wTvhQHg&t=417s
renaissancemenがアップしている動画には、バッドテイスト的なものも多い。
例えば、下記の動画を観てほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZaTqs06tZok
動画説明によると、1993年にドイツで発見された野生児の映像だ…ということらしいが、どう考えてもこれはジョーク・フィルムだろう。そして注目すべきは、この映像のVHSテープ風の画質処理が、「freaky soup guy」に酷似していることだ。
恐らく、どちらの映像もRaymondがジョークとして作ったものなのではないか?彼はこういうバッドテイストな冗談を好む人なのだろう。
…という訳でこの謎は解決、ということにしたいのだが…。
(その3に続く)
でも、本人が9年連続出演といっても、いくら媚をうっても、一番に尊重されるのは他のグループ。
同じグループのメンバーも何度も出演しているのに一人だけ引き抜かれ出演。(発表当時)
仕事があることはいいことだけど、結果として楽しさ以外の感情が湧き上がることの方が多かった。
演目の中でも一人芝居で舞台を任されたり、座長の右腕として一目置かれる位置にいた。
そしてその紹介をしていたのは一番長く支えてきた彼だった。
仕事がある以上は幸せな事と思い、劇場に足を運んだが、結果、9年も支えてきたのはなんだったのかと悲しくなった。惨い。
新しいグループになってからというもの、それだけでデリケートになっているというのに、
社長がつけた名前ではないわ(知名度・発信力がある人がこういう発言をすることは本当にやめてほしい)、グループ単位での仕事はないわ、一人だけ引き抜かれての舞台出演だわ、一体この先本当にグループとしてやっていけるのかと不安に思っていた。
他のグループが雑誌の発言等で炎上のようになる度に、彼らの方が実力があるのに、と思い過敏になり疲弊していた。
ラジオに出演した際、今後は俳優を中心に進んで行きたい、と話していた。
少なからずグループに関することを話すと思っていただけに驚いたし血の気がひいた。
グループのことはどうでもいいのだろうか…と周囲が落胆している様子もかなり辛かった。
いつもファンが知りたいことを100点満点で発信することが多いだけに、過剰に期待してしまった所はあったが、
今のこの時期にあんなことを言われると自分の事だけしか考えていなかったのだろうか、と疑心暗鬼してしまうのも無理はないなと思った。
そもそも、お前は芝居で行けなんて尊敬している人に言われたら否が応でもその道に進むに決まっている。
過去にお前は二枚目は無理だから三枚目で行けと言い、現在壁にぶち当たっている某氏を見ている為、非常に心配しかない。
(そして笑いのセンスが昭和なせいか、私はみていて全く面白く感じない)
(舞台の中でも、私は2幕が面白く感じずに辛かった為、今後は笑いを取り入れるなら時代にあった物をお願いしたい)
それでも座長を尊敬し、ひたむきに努力し、その成果を舞台で十二分に発揮している姿を見ると、ファンの勝手なしがらみで歩みを止めたくないと辛くなる。
私が過敏になっているだけであってほしい。
NHKのアニメランキングで上位だったやつを特別に放送するやつ録画して見た
アニメは評判は知ってたけどあまりにも長過ぎるし原作全部読んだ後に同じストーリーのものを見る意味はないと思って見てなかった
でも今回せっかくだからと思って見てみた
1話ラストで二人がお互いに名前をつぶやきあうシーン、そこからのエンドロールでなぜかじんわりと涙が出てきた
理由は、
艦隊戦も大迫力で、もし自分が当時の原作ファンでこれを劇場でみてたら、どんなに感動しただろうと思ったから
そんなありえない可能性に思いを馳せて、なんともいえず胸が締めつけられたから
若本も、割りと最近のアレな若本しかしらんかったけどこれの若本かっこいいね・・・
オーベルシュタイン様も、最初名前出なかったけどこいつかなと思ったら当たりだった