俺は神ではないし、お前も神ではないし、世間の集合知は相対的に正しい方向に向かいやすいけど絶対に正しい神のような存在ではない。
そんなことすら理解していないヤツが民主主義を運用しているというのはある意味恐怖だと思う。
残念ながら、我々は神ではない。だからこそ、言論や表現の自由は必要なのだ。もしも絶対的に正しいことが存在するのならば、それ以外の言論や表現を禁止しても問題はないだろう。
美味しんぼの例の騒動にしても、我々は「否定側の意見により強い説得力を感じる」というだけだ。
もしかしたら─『綾瀬はるかが今年中に俺と出会って俺に一目惚れして交際して結婚する』くらいの確率ではあるが─実は我々のほうが間違っていて雁屋哲が正しいのかもしれないと思っている。
だから敢えて答えよう。
その通りだ。我々はあれを表現の自由として法的には認めざるをえない。
だが同時に、『ユダヤ人は存在自体が許されない』というドイツ人の意見がホロコーストを産んだのであり、『将来は資本主義が滅びて共産主義になるというのは科学的真実だ。それに反する意見は必要ない』という意見が様々な分野で歪みを産んだことを我々は経験的に知っている。
だからこそ、どんなに反吐が出るくらいに許されないと思う存在であっても、まず最低限の存在だけは許そう、というのが言論の自由や表現の自由であり、自然権としての生きる権利なのだと俺は考えている。
”満員の劇場で「火事だ!」と叫ぶ”ような明らかに直接的な因果関係が認められる言論は脅迫や名誉毀損や業務妨害という形で規制されるべきだが、それ以外の言論や表現は確実な因果関係が認められない限りは規制されるべきではない。
神ではない我々人類は今のところ─もちろん個別にはこれが守られていない事例は山ほどあるが─それよりも賢いやり方を知らないのだろう。
だが同時に、『ユダヤ人は存在自体が許されない』というドイツ人の意見がホロコーストを産んだのであり、『将来は資本主義が滅びて共産主義になるというのは科学的真実だ。それに...