はてなキーワード: にっちもさっちもとは
子どものころから単行本派だったので、毎週決まった曜日にワクワクしたり、休載の日は落ち込んだりするのは初めてのことだ。
その漫画は登場人物の細密な描写に定評がある。性格にブレがなく、行動規範も芯が通っており、生き生きとしている。
故に、私はとある人物のファンになった。ここでは便宜的に「高田」と呼ぶことにする。
しかし、満たされない。もっと高田を見たい。原作だけでは物足りず、ついにpixivに手を伸ばした。高田の名前で検索をする。
そして、高田のカップリングが目に留まった。カップリングの相手は男性。いわゆるBLだ。
私はBLは嫌いではない。中学生のときには他のオタク女子同様、一度は通った道である。
当時の同人は個人サイトでの活動が主流で、ジャンルを表す隠語で検索し、相互リンクをたどり、作品に触れたものだった。
いまやPixivで簡単にたどり着く時代になったんだなと感慨深さを覚えながら、高田と吉田のカップリング(以下、「高吉」と表記)をいくつか眺めてみた。
なかなか良い。絵が上手い人が多いし、漫画作品も小説も、たくさんある。どの高吉の解釈も興味深いし、鋭い洞察には思わず唸った。
しかし、ここで問題にぶつかる。私は、エロよりプラトニックな作品が好きなのだ。
エロ自身はあってよい。いい文化だ。否定するつもりは毛頭ない。
しかし、エロを見たから嫌悪感まではいかないが、なんというか、お腹が減っていないときに山盛りのラーメンを出されるような気分…というのだろうか。嫌いじゃないけど、そんなにはいらないかな…といった気持ちになる。
そして令和の今、プラットフォームの発展により、15年前よりは比較的オープンにセクシャルな作品が掲載されている。
Pixivは18禁作品にはワンクッション警告がされているので心の準備もできるが、Twitterだといきなり出てきてドキッとする。(Twitterの「センシティブな画像をブロックする
機能」?は精度が低すぎて、犬猫の画像レベルでもブロックされるから使っていない)
もっと、プラトニックな高吉を見たい。高吉の信頼関係にフォーカスした作品を見たい。そんな思いを抱えて悶々としていたとき、ある考えにたどり着いた。
ーーお前が製作者になるんだよ!
そうか。私が作ればよいのか。私が、私の思う、最高の高田と吉田を描けばいい。
さっそくペンをとった。ファンアートを書こうと思うなんて何年ぶりだろうか。
原作を見ながら、高田と吉田を練習をする。描きながら、原作においてのキャラクターの造形や小物へのこだわりを知る。うーん…こんな細かいところまで描かれているなんて、さすがだ。
とりあえず、高田と吉田の特徴は掴んだ。自分のなかでは及第点で描けるようになった。欲を言えば、もっと高田のかっこ良さを表現できるようになりたいし、手や骨格の描写も上手くなりたいが、欲ばかり言っていられない。まずはここからだ。
さて、高田と吉田の絡みを描く番だ。意気込んだ瞬間、筆が止まった。
何も思いつかない。脳みそがまっ白だ。
あれだけ二次創作を読者として楽しんでいたのに、いざ自分で作ろうとなったらまったく分からなくなってしまった。中学生のころはあれこれ妄想できていたのに、15年の時を経て、私の脳みそはストーリーを作る力をすっかり失ってしまっていた。
思い当たる節もある。漫画こそ読んでいたものの、そのほかの創作に触れる機会はめっきり減ってしまっている。小説にいたってはもう何年も読んでいない。
にっちもさっちもいかず、気分転換にコーヒーでも飲もうと思いキッチンに移動した。
冷蔵庫からセブンイレブンの紙パックで売っている「いつものコーヒー」を取り出す。
冷凍庫の氷をグラスに入れようとしたとき、氷がすべてなくなっていることに気づいた。
「いつものコーヒー」は氷なしで飲むと濃い。飲めないこともないが、苦みが強く出過ぎる気がする。
そこで、先日カルディでコーヒー豆を購入していたことを思い出した。
在宅勤務のお供にと思いつつ、忙しくてなかなか淹れずにいたのだった。
そう思い立って、薬缶でお湯を沸かす。
そこでふと、思いついた。
これが高田だったら、どうだろう。
吉田の方が力持ちだから、豆を挽くのは吉田の役割かもしれない。
だったら、料理担当は吉田で、食後のコーヒーは高田が担当かな。
そしたら、そしたら……。
次々にイメージが膨らんだ。高田と吉田がともに暮らしている情景が目の前に広がった。
きっとインテリアはこんな感じ。高田はきっとコタツが好きで、コタツで寝ちゃうんだろう。
堰を切ったように、シーンが思い浮かぶ。15年もの間閉じていた想像力の扉が開いた瞬間だった。
これなら、描ける。描けそうだ。
増田は一心不乱に描写した。そして、Twitterに投稿した。
高田用に作ったTwitterのアカウントでは、フォロワーは3人しかいない。
きっとこの作品は、誰に見られることなくタイムラインの海に消えていく。
それでも、私の脳みそから生まれた、私が思う最高の高吉を世に出せたことは、喜び以外の何者でもなかった。
想像力は、いま私のもとにある。
思いつく限りの気晴らしも試みたと思います
それでもぜんぜん気は晴れなくて、真っ暗闇の中でにっちもさっちも行かなくなっているのだろうと思います
ひとりになった瞬間にふっと消えたくなってしまうのだと思います
そんな夜を何度も何度も繰り返して、その度自分のことがますます嫌いになってしまっているのだと思います
人間ってのは案外鈍感な生き物で、そんな貴方のつらさに気付いてあげられないことがある
だからどうか一言、「死にたいほど苦しい」と伝えてはくれませんか
家族じゃなくても構いません
誰にだっていいのです
人間ってのは案外優しい生き物で、助けを求めている人間のことは必死に救おうとします
この世は綺麗な世界ではありません、どうしようもないことも沢山あります。人間の悪意というものも確実に存在します、しかし大多数の人間は案外優しいのです。これだけは保証します
「死にたいほど辛い」という真っ暗闇を経験した人間にしかない輝きがあります、それはとびきり美しい輝きだと私は思います。その時のあなたが語る言葉を必要とする人間がたくさんいます、私もそのひとりです
逆説的ではありますが、これを読んでいる貴方はもうこの世に絶対に必要な人間なのです
人間いつか死ぬのです、だからもう少しだけ、もう少しだけ生きてはもらえませんか
最後に、もし目の前にお酒があるのなら捨ててください。これは自死遺族の私からの切なる願いです
ここまで読んでくれてありがとうございました
プリンターはまだ紙が詰まってますよ!ってエラーが消えなくて、
どこ見ても紙は詰まってないのよね!ってそんな時ないかしら?
たぶんどこかに紙のちぎれた欠片がまだ見えないところに詰まってるんじゃないかしら?って思うのよね。
もうお手上げ級の両手匙投げ技を披露するほど、
もうにっちもさっちも行かないのよ。
もう長年使ってるし修理出すかーって半ば半分諦めていたときに
マニュアル読んでもどうにもならないの分かっているんだけど、
困った時に読む項目を読んだの。
そしたら、
そしたらよ、
強制排紙が出来るじゃない!
案案の定定、
そうするとつまりそうなのよ。
もうこうなったら、
どうしても紙詰まりが治らないなら
斧でぶった切って、
竈の薪にしてやるわよ!ってプリンターに言ってみたら、
一気に大人しくなって、
排紙されて元通り動くようになったわよ。
あーあー、
ここのところ本当にプリンターに悩まされる日々が続いてるのかどうだか話半分として聴いても欲しいんだけど、
隣の部署の大判プリンターがロール紙セット出来ないからやってって私に言われたんだけど、
もう一人の人もマニュアル読み始めたのよ、
じゃ私読まなくてもよくない?って思いながらも、
どうやら紙を圧着させるボタンを押して解除させないと、
紙を通してセット出来ないらしいの。
結構途中話をはしょってるけど、
つまり私が優勝!
我ながら使ったことない機械でもマニュアルを読み解く力技で一本!ってところかしら。
今のここのここまで書いてて、
途中で抜け出しちゃったから、
どこに行ってきたかというと、
その隣の部署の人から桜見に行こう!って今の今に誘われたので、
缶酎ハイとからあげクン買ってちょっと一盛りあがりしてきたところよ。
と言うか事務所の近くの公園まだ桜が1分咲きとは言えないぐらい
まだ全然咲いてなかったけど、
まあお花見としてのスタートダッシュはよしってところじゃないかしら?
缶酎ハイ1つじゃ酔っ払わなかったけど、
私はからあげクンよりここは焼きそばパンが良かったかなという後悔を背に
春ね!
うふふ。
お花見に丁度いい天気の良い感じで
朝サンドイッチ買って、
明日にはまた少し咲いてるかも知れないわね。
お花見の意気込みで水筒にやや温めのホッツ緑茶ウォーラー入れてきたんだけど、
こういう具合だったから、
まだ桜には早かったわねって。
桜茶も今度してみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私は都内でWEB制作しているフリーランスなんだけど、コロナの影響で得意先のほとんどが広告予算や外注費を抑えるようになってしまったため仕事が激減。今年度の売上は4分の1まで下がってしまった。。
とりあえず、年金と健康保険は一部免除してもらえたものの、昨年度は売り上げが良かったこともあって税金がバカ高く、100万円の持続型給付金は、健康保険料、事業税、都民税など税金の支払いだけで全て消えてしまった。それでもまだ都民税1期分が残っている状態だ。
この残りを1月末に入ってくる売上金で支払う予定だったのに、急きょ、得意先の都合で入金を3月末にしてほしいと相談されてしまった。。貯金はそろそろ底をつき始めているし、外注先への支払いもあるのでかなり痛い。。
とりあえず税金の支払い猶予を相談するべく区役所へ電話したら、支払い猶予は期日前に申請しないといけないらしく時すでにおすしだが、3月中旬までなら延滞金がかからず待ってもらえるとのことで少しホッとした。だけど、あてにしていた入金は3月末。今ギリギリの状態で急な支出が発生でもしたら、その都民税をちゃんと支払えるのかだんだん心配になってきた。。何より事業をやっていて手元にお金が無いのは相当リスキーで、にっちもさっちも行かなくなる状況だけは避けたい。借金にはなってしまうけど、厚労省から緊急小口貸付金を頼ることにした。
ん?わたし今、税金を支払うために国から借金しようとしてる..?
この状況おかしくない..?
確かに持続型給付金はかなりありがたかったけど、全て税金の支払いで消えていったし、んでもってこの受給した100万は今年度の収入にカウントされるから、またこれから税金取られるんだよね。来年度も復活していなくて売上が下がれば、税金を払うためにさらに借金するかもしれないってことか。。コロナが落ち着く保障はどこにも無いし、得意先の経済状況だって良くなる気がしない。それを考えると無限に借金と税金に追われる気がして、いったいこれから私は何のために働いていけばいいのだろうと急に虚しくなってきた。。
そもそも税金って昨年度の所得をベースにするから、これまでは税金高いなぁと思いながらも普通に売上は保てていたし支払えてたから問題なかったけど、コロナの影響で売上が下がっているつーのに、事業税とか都民税なんて一切減免してくれず支払えってのは無理ゲーでしょ。。
あと、私なんてまだマシな方で、これで廃業や倒産に追い込まれている人もいるんだろうなと思うと、今回ばかりはさすがに、税金取るなら粗利補償ぐらいはするべきだと思った。でなかったら最低限、税金免除。欧米ではずっと補償がもらえている話とか聞くと心底羨ましいし、日本人で損した気分にすらなってくる。
あぁ、、何か働くの馬鹿らしくなってきた。どうせ景気はよくならないだろうし国は金出さないし。もう働きたくない。。はてなでもこういう状況に近い人っているのかな。。
深夜の勢いで書き散らかすので長文乱文に目を瞑って欲しい。
——
もう30代も後半。結婚適齢期はとうに過ぎた。
付き合うと長続きするタイプだったので10代の後半から20代のうちは常に恋人がいる状態だった。
でも付き合う人付き合う人、みな暴君と化した。原因は多分私。
所謂機能不全家庭で育った。父親からの日々の暴力、母親は見て見ぬふりしつつ父親への愚痴とも悪口ともつかない黒い感情を私に注ぎ続けた。
母は父の従順な所有物だったので後から降って湧いた私には幼少期から家庭に居場所がなかった。
何故生まれてきてしまったのか、小学校低学年の頃から漠然と死にたいと思いながら育った為、自己肯定感もバイタリティも皆無な人間に育った。メンタルを病んだ時期もある。多分今でもどこかおかしいんだと思う。
それが影響しているのかは分からないが他人に興味が持てない。他人様のことを知ってもどうせ惨めな気持ちになるだけだし、増して自分を理解してもらいたいなんぞ烏滸がましいと思っている。それだけでなく、単純に「知りたい」という気持ちが湧かない。
だから、好きだと言ってくれる人を好きになった。私みたいな人間を好きだと言ってくれる人を大切にしなければと思った。大切にされる為には相手の要求を満たせる「いい子」で、従順であらねばならないと思った。
みな最初は優しかった。しかし私が従順であればある程、全てを受け入れようとすればする程、彼らの要求は大きくなり、期待値は高まり、それを満たせなかった際の落胆ぶりは激しくなっていった。そして落胆は怒りに変わり精神的・肉体的暴力で私にぶつけるようになっていった。
そういう状態に陥ると、私の中に私を責めるヤツが出てくる。彼を落胆させ怒らせるような事をするお前が悪いと。生きる価値のないお前を大切に(冷静になれば全く大切にはされていないのだけれど)してくれる人を失っていいのか、お前の努力が足りない、忍耐力が足りない、と。
相手の顔色を伺い、精神的にボロボロになりながらも、恋愛初期のような優しい彼を取り戻す為の苦行だと思って耐えた。この先に何があるか分からないけれど、耐えた先にはきっと輝かしい何かがあると。だからどうにか耐え忍ばなければならないと。最終的には耐えられなくなって別れを告げるのだけれど。
別れを告げると殆どの人が泣きながら去らないでくれと懇願した。自殺を仄めかして引き止める人もいた。情にほだされて撤回することもあったが、結果全員と別れてきたので今がある。
30そこそこの時に最後の恋人と別れて初めてゆっくり「フリー」というものを味わった。
最初は一人でいることが不安だったが、自分の時間を全て自分の好きに使っていいこと、誰かに何かを強制されず自分の意思で好きなことが出来ること、顔色を伺うことや他人の呪縛から解放されて生まれて初めて「自由」を味わった。新鮮だった、楽しかった、いや、過去形でなく毎日自由で楽しい、好きなことをしていていいってなんて幸せなんだろう。ここに来て仕事も上手く行き始めた。出来の悪い私はまだまだ「平均」には遠く及ばないだろうけど。
でも心のどこかで結婚して子を持たねばならないとも思っている。家庭を持ちたい気持ちもある。家庭を持った周囲を羨ましく思う自分もいる。
ただ、気持ちが追いつかない。婚活だの恋活だの、今の世の中溢れているけれど、他人に興味を持てない私にはメッセージのやりとりですら、相手の反応や見えない顔色を伺ってばかりで接待のように感じられ何も楽しくない。無理矢理会ってみても自分から好きになる感覚が全く分からない。ただただ面倒で、今の幸せを壊されそうで、また同じようになるのではと少し怖くて、すぐ音信不通にしてしまう。
どうしてこうなってしまったんだろう、どこまで戻ればまともになれるんだろう。
どうしたら私は「みんな」と同じようになれるんだろう。
もう、どうしようもないのかもしれない。
もう、なにもかも、とっくに手遅れな気がしてならない。
私は私を救ってやれない。何故ならこの気持ちをどうしたらいいのか皆目検討がつかないからだ。自死して迷惑を掛ける勇気もない。誰か私を助けてくれないか、それが無理ならいっそ殺してくれないか。
自由を楽しむ反面、仄暗い気持ちが常にまとわりついてきて、毎日気持ちがぐちゃぐちゃだ。
——
【追記】
独り言のつもりで吐き出したら存外に反応があって驚いています。
同じような境遇の方もいて同じように苦しんでいると知って私だけではないと少しほっとしました。難しいよね。「俺が正しい、君が間違っている」定型文で笑いました。あと「何故俺の言うことが聞けないの?」もあるあるな気がする。
私みたいな状態から抜け出した方もいたみたいで、私もそうなれたらいいな。
どうしたら人から好かれるのか、愛されるのか、という点で悩んでいる訳ではないんです。正直そこはもうどうでもいい。
恋愛に縋る気もなくて、というより恋愛はもう懲り懲りだし、生まれて初めて親や恋人からの呪縛から解放されて、一人で居ることが楽しくて満たされていて、この幸せを自分から取り上げたくないのだけど、まさに規範意識に囚われていて結婚せねばならないと考えてしまう自分との狭間で苦しんでいます。
義務感で無理矢理相手を探しても興味が持てなかったり恋愛に対する嫌悪感や面倒臭さや先立ってしまい、にっちもさっちもいかないこの状況に困っています。
親が死んで完全に一人になったら辛いだろうとは思うけど、結婚したら死ぬ時は一人じゃないなんて保証はどこにもないし、歪んだ家庭で育ったので良好な家庭を築く自信も正直あまりない。私みたいな思いをするのは私だけで十分とも思ってる。
でも、それでも、「普通」に対する強い憧憬の念が払拭出来ない。私にとって30代の「普通」というのが、結婚して子を持っているマジョリティの方々にあたるんです。
幸い仕事は楽しいし年収もまあまあ貰っているのでこのまま一人で生きていくこと自体は出来ると思う。
先述の通り、自分の中でも色々な気持ちが入り混ざり矛盾しまくっていて、取り止めもなく綴ってしまったけれど、私は自由を楽しんでいる私をもう少し認める努力をしようと思う。出来るかどうかは分からないし、こう書いている間にもそれを否定する自分を殺せずにいるけれど。
思いついた順。順番に意味は無い。
・田舎の道路は舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装はコンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。
・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。
・石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭を小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカスの掃除は先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブが石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋に改装されて、学校でニワトリを飼っていた。
・火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。
・掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。
・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。
・洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器や食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。
・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番のおやつだった。
・農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。
・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。
・軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。
・コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。
・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。
・街へ行くたびに、あちこちでボコボコビルが建ち始めていた時代。1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビルが建設されて、日本の街の風景が一変した。
・いまはシャッター街となっている田舎の商店街に、もっとも活気があった時代。
・軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦の特攻隊の訓練生だったとか、広島に原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師がリアルに居た。多くの大人たちが原爆のキノコ雲の目撃者だった。
・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。
・貯金の金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。
・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。
・お豆腐屋さんに毎日お豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。
・主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋。
・生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミの収集車は、不燃ごみの回収が主だった。
・冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。
・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦でセックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。
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・子どもは神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。
・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所が神社の床下だった。
・雨の日はよくトランプしていた気がする。
・こたつのテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。
・蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。
(しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)
・バスには運転手のほかに、切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年代
・国鉄で荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定のタグをつけたりしなくてはならなかった。
・昭和50年代に複数の宅配便会社が競争で一気に普及して、国鉄で荷物を送ることは全くなくなった。
・女子の体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活やマラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。
・ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。
・そんなド田舎でも新聞と牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。
・学校の校舎は当然木造。体育館も木造。今思うと、体育館のような大きな建物が木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。
・バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。
・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。
・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチックや発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年代
・幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞でにっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。
・リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。
なぜかって?俺にも細かい理由はわからんが、とにかく家が余り過ぎてどうにかなってしまっている
空き地は腐るほどあり、それと同等に元新築戸建てや元新築マンションが立ち並んでいるゴーストタウンがそこらじゅうにある
未入居なのに草が生えまくって無残な姿な家が社会問題化し、賃貸にしようにも中古として販売しようにもにっちもさっちもいかないらしい。
2020年は空き家が問題化しているんだろ?そんなレベルではなく、竹林のごとく新品の家が並ぶ綺麗な廃墟ばかりの光景だ
トップブコメにもある「子どもだから」「自我が確立してないから」仕方ないみたいな態度は子どもを軽んじてるし、そんな素振りを見せるのは逆効果だから絶対やめたほうがいいと思う。
読書感想文や作文が書けない子はとどのつまり褒められたいんだよ。大袈裟に言い切ってしまうと、書けない子は人から承認されうることがないと自分には存在意義がないと思う傾向にある。
変わった趣味を持ってて周りと話が合わなかったり、おっとりしていて出し抜かれがちな子。そんな子ほど周りより目立って称賛される立場でないと釣り合いがとれないんじゃないかと考えるのでは?と僕は思う。
もはや自分の思考なんかに興味を持つ人間なんていないというぐらい悲観的な子も中にはいる。現に自分はそういう小学生だった。
幼稚で平々凡々なものを提出して「自分は人より劣っているのでは?」「取り柄なんてないのでは?」という不安に苛まれること。それは彼らにとってのアイデンティティクライシスであり避けなければならない事なんだ。
そして本をよく読む子ほど文庫本の解説や雑誌新聞の書評といった「洗練された感想文」を目にしているため、自分もそういうものを目指して書こうとする。
評論や解説というのは対象をよくリサーチしそれで得た情報を整理していく作業。なので「かっこいい文章を書きたい」と手段と目的を倒錯させて取り掛かると当然うまく書けない。
この場合だと読書感想文のための読書になってしまうので本をちゃんと読めていないんだ。本を読んでいても、先生を唸らせる様な独創性がありかつ思慮の深い自論をどう構築するのかみたいなことばかり考えている。
(流石に小中学生でそれを明文化できるほどのメタ認知ができる天才なら苦もなく文章なんて紡げるので、本人は自分のそういう感情をはっきり把握はできていないだろうけど)
僕個人の体験からいうと「エルマーの竜の続きを考えよう」とか「ごんぎつねを一人称視点にアレンジしよう」みたいな課題は楽しく書けてた。そういう二次創作は対象を読んだときの解釈等で個性は出るけど、ベースは原作の世界観や設定を引き継ぐので気持ちが楽。
万が一「それは変だ」と指摘されても、「課題の物語がああなんだから仕方ないだろう」「自分の勝手な想像なんだから自由だろう」というダブスタで煙にまける。卑怯かもしれないがそうでもないと自分は書けなかった。
なので物は試しで増田もお子さんに課題図書の続きを考えることを一度進めてみてはどうだろう?
それですらすら物語を紡げる子ならなんとかそれを書き留めておく。そんで休み終盤でにっちもさっちもいかなくなった頃合にそれを基に読書感想文を完成させることを勧める。
自分の経験だと親に変わったアプローチを勧められると、どんな評価が下されるかわかったもんじゃないと反発していた。おそらくその案を採用するしかないというところまで追い詰められてないとすんなりそれを飲んで書き進められなかっただろう。だからあえて終盤まで書くことを意識させない方が却っていいかもしれない。
早い段階から取り掛かってしまうと「先生ベタ褒め完全無欠の読書感想文」を休み中ずっと追い求めるという地獄にのまれる可能性もある。それで苦手意識を強めるのもよくないので、そのためにも一旦読書感想文の存在を忘れさせてあげるのもいいのではないか。
「なぜ読書感想文を書くことが苦痛なのか?」という切り口の作文にスライドさせてけみたいなブコメもちらほらあるね。でも本の感想というテーマ設定があっても書けない子に、より自由度の高い作文は茨の道だろう。
エロ同人小説を自分でFANZAやDLsiteに投稿してみてはいかがだろうか
僕は元小説家でもなんでもないんだけど、なりたいと思っていた時期もある
このご時世で仕事がなくなり、にっちもさっちもいかなくなった結果
デビューしてまだ1ヶ月も経っていないのだけれど、生計をギリギリたてれそうな感触を得ている
DLsiteではほとんど売れないけれど、FANZAではまずまずの売上があった
デビュー作は今の所、250部ぐらいで、利益は一冊495円で売値の6割だ
嬉しいことに2作目を出すとデビュー作の売上も上がったりするので、長い目で見るともっと収益があると思う。
495円の利益で月900部ぐらい売れると概ね45万の売上になる。ここから表紙代などの経費を差っ引いても35-40万は残る
両サイトとも源泉徴収があるので、そこから88%が手取りとなる。
ただし、ここで問題なのは一ヶ月900部売るのはかなりハードルが高く
同人サイトの小説で生活ができている小説家は調べる限りゼロだということ
なぜ僕が挑戦したかというと、書くのが早く原稿用紙150-200枚分の小説なら
月に3つは出せるかな、と見込めたからだ
残り10日かでデビュー作が50部ほど積めばノルマの300部に届く
残り2作も同じペースで売れるなら、大雑把に900部ぐらいで
出す度に過去作が売れるっぽいので(他の同人小説家で確認した)、書けば書くほど楽になると考えられれる
そこで僕は同人ゲーム作りに移行していくという計画を立てている
エロ同人ゲームは億り人がガチでいる世界で、1本1000万以上の売上が立つことも珍しくない
簡単なプログラミングやRPGツクールのようなものが使えればいいわけだ
簡単には行かないだろうが、2-3年プランでやる価値はあるかと思う。
話しがそれたけれど、漫画家と違って小説家はステルス性能が高く
別名義でエロ小説を書いても言わない限りはバレないかと思われる
もし速筆タイプであれば挑戦してみてもいいのではないだろうか
参考までに僕の作品
直接給付金や補償金出しても1人30万円でにっちもさっちもいかないけど、GoToトラベルやったら、本当に客が来るの?毎日東京で、4月より感染者出ている段階で?
余程頭のねじがぶっ飛んだごく一部の旅行好きしか、他県には「トラベル」しないんじゃないの?そんなの少数の人が払うお金で本当にやっていけるの?
後、これで地方まで感染拡大したら、マジで医療者より国民から観光業の人、恨まれると思うよ。
あれだけ頑張ってくれて、普通の神経を持っていれば感謝しかされないはずの医療業の人ですら、子供が保育園で預かるのを断られたり、学校でいじめられたりみたいな事例が出てきているんだよ?悲しいけど。GoToトラベルをマジでごり押しして、地域医療崩壊したら、田舎の観光業の人、マジで村八分に合うんじゃないかと思うけど。いや、そういう事件はあっちゃいけないけど、でも、予防するのは無理でしょ。地味な嫌がらせ事件は起き続けると思う。
それでGoToトラベルで大儲けできるならいいけどさ。そもそも、補償金にしたら一人30万円ではした金にしかならんから、GoToトラベルやろうとしてるんじゃないの?
さて、自分は受験生となってもやりたい事が全く思いつかず、遊んでばかりいた成績の大変悪い高校生だった。進路がマジで決まらず(本当に勉強しない)(宿題をまともにやらない)(日本史以外赤点ぎりぎり)当時の高校の担任教師に「あんた教員あってるんじゃない?」と何故かすすめられ、そこからまあ色々あって真面目に勉強して、卒業すれば9割は教員となる教員養成系の大学に合格した。受かった報告をすると数学の先生に泣かれた。いつも20点台、調子良くて30点台のやつが受かったらそりゃ泣くよなと教員を経験した今は思う。
そうして絶対なりたいという思いがあるわけでもなかったが、せっかく免許が取れる学校だからまあなるかと4年間過ごし、教育実習もしてああ教員になるのも悪くないかもなと思って受けた採用試験に見事に落ちる。ですよね〜
教員は慢性的人手不足なのでとりあえず登録すれば臨時採用はほぼ確実、というわけでここにクソ意識低い系教員は爆誕した。
→1年目でだいたい月手取り20くらいもらってた、ボーナスは50くらい
・夏休みに連続20日とか休みとれる(ただし本採用だと出張が多いから取れて10日くらい)
→ただし長期休み以外はお察し
→朝はやくて夜遅いので時間外勤務と呼んでほしいと思う。だいたい1日13時間労働だった。たぶん場所によるけどこの業界で時間外勤務が月40以下のとこなんてファンタジー、架空の世界。定時なぞない。
→端的に言うと敗北してメンタルぶっ壊れて教員辞めました。南無。
・9割はヤバい人
→1年目のとき先輩に教わった。「この業界は9割はヤバい奴で1割はめっちゃいい人だから1割を探し出せ。」これから教員目指してる人とか初任の人は頭に刻みつけるんだ。
もちろん楽しい事も無かったわけじゃないけれど、だんだんと思考と心と身体がバラバラになっていった。本当につらかった。
じゃあ親しい人や家族に相談すればええやんと思う人もいると思う。自分にはできなかったのだ。
卒業したら9割は教員になる大学ということで周りの友人は小さい頃から教員を目指していたものばかりなので意識が違うのだ。みんなこういった不満を覚悟で生き抜いてるので「どこもいっしょ」みたいなのが根底にあった。
家族、誰も教職がいない。つらいつらいと漏らすと「全く分からない仕事なのに聞いてるこっちがめんどくさい」と突き放された。それから相談するのはやめた。あまりにメンタルボロで限界過ぎてメンクリでもらった薬飲んでたらバレて何故かこんなもの飲むなと怒られた。解せぬ。
にっちもさっちもいかず、どうしても限界すぎて教員を辞めて無事転職。給料は決して良くないけど毎日がメチャクチャ楽しい。定時に来て定時で帰れる喜び。帰ってからこうして文章が打てるくらいには元気。
ただ、教員を今でも続けている友人たちや頑張っている人たちは本当にすごいと思う。今もコロナの分散登校や今後の対応に追われる中必死に子どものために生きているのだ。だからもし先生っぽいなと思う人がいたらどうか優しくしてあげてほしい。9割のヤバい人かもしれないけどヤバい人にも人生があってきっと何か疲れてるところもあるだろうからね。あ、学校の先生なんか嫌いだ!無理!って人はそうなる理由があったんだろうからまあ寝言だと思っといてくれや。君にも君の人生だったり思いとか考え方があるしな。
教員を目指している人へ、ボロクソ言ったけど別に教員になるなというわけじゃない。楽しい事もあるし、嬉しいことももちろんある。ただキツい現状があるのも確かなので慎重に。なにも教職だけじゃなくてどんな仕事にも言えるけど仕事選びは真剣にね…ほんとうに……
最後になんとなく教員になろうとしている人へ、考え直すなら今のうちだ。教員じゃなくてもその免許を活かせる仕事はたくさんある。なんとなくならやめておいたほうがいい。