「せっかくだから」を含む日記 RSS

はてなキーワード: せっかくだからとは

2023-01-30

電子レンジ増田復活したよ多湿かっ札酢魔画人玲芯で(回文

おはようございます

あのさ、

電子レンジ新調したのよ。

壊れて1年ぐらい使ってなくて何も不便なく暮らしていたんだけど

結構

最近の昨今電子レンジ調理を前提とした冷凍食品の充実っぷりは凄いことになってるじゃない。

私もそのウェーブに乗るためにまあ重い腰を上げてやっとこさ、

電子レンジのある生活の再開ってことなんだけど。

やっぱりあるとないとでは

一目瞭然というか

電子レンジ改めて便利過ぎるこれなんてマイクロマジック?って

本当に手品みたいじゃない!

冷凍食品解凍される様を見ていると。

そんでもって何分か温めたらすぐに食べられるの如く!

文明の利器だわ。

これをもってして何を利器と言うのかしら?

言っていいのは消臭力ぐらいよ。

秒で冷凍食品調理というかもう本当に温めるだけで数分で完成してしまう、

あれもうデブ捗ることしかメリットなくない?

自炊して調理するよりも結構もう冷凍食品を買ってきて食べる方が安くあがりまくりまくりすてぃーなのよ。

まあもちろん

そんな冷凍食品ばかりに頼っている生活にしよう!って言って掲げているわけではないんだけど、

まりに忘れていた電子レンジの便利さの優位性を感じたのよ。

凄い便利だなぁって改めて。

おでん以外に温かい食事が得られるだなんて!って涙ぐましいそれなんてマッチ売りの少女?を地で行くような感じよ。

温めないとは嘘になるけど、

なんでも小鍋で温めて牛乳とかそれで事欠かないと思っていた時代が私にもあって、

そんな小鍋で温める時間よりはるかに早い秒で温まる電子レンジ

エネルギー効率時間短縮の極みは

もっと人類電子レンジを導入すればよくない?って思うの。

手洗いは絶対にいや!と早々に食洗機は導入していたんだけれども、

順番が間違っていたようね。

先にそう言ったもの

もしくは同時に揃えるべきだったのよ。

からその日は電子レンジ再設置にあたって

いろいろとせっかくだから整理整頓とんとんと進んだ手前、

要らないものダンシャリングに断捨離できたわ!

もう着ない服とかも一切合切

埋もれていた製麺機も発掘されて、

これどうしたものかと?もう多分製麺生活はしないと思うぐらい、

もの凄く大変手間のかかる機械で作るのはいいんだけど、

後片付けが小麦粉グルテンてーの?それがガッチガチに固まって

それ水分も吸い込んでふやかして洗いやすくするって作戦通用しないのよ。

から1回作って機器を片付けるの洗うのにものすごく手間がかかって、

よっぽど製麺生活製麺作りが好きな人じゃないと成り立たない製麺機なのよね。

から早々に諦めてしまったわ。

もうきっと使うことのない製麺機行方をどうにかしなくては!ってところよ。

こんな事なら外箱もちゃんとしっかり取って保存しておけば良かった物語よ。

残念だけど

製麺機ほど電子レンジばりの文明の利器しまくる感激は最初の1週間ぐらいで消え去ってしまったわよ。

まあとにかく器具を洗うのが大変!

それだけがネックよね。

あと粉の管理も意外と面倒くさくって、

一気に大量に生産してしまわないと効率が悪いので、

ロット数も膨大に出来てしまうのよね。

それ冷凍にしてしまって茹でるときに備えておく方式だと

結構麺食べるのが苦痛になってきやしないか懸念もあるし、

まあとにかく私と製麺機との相性はあんまり良くなかったってことね。

たぶん、

朝のテレビ占いラッキーアイテム製麺機!と発表されても私はもう製麺機に浮かれない自信があるもの

もっと簡単に扱えれば良いのになぁって。

世の中に出回っていて安価ゲッツできる麺は

そう言ったファクトリーオートメーションの極みの産物私たちがいちいち製麺の大変さをお手軽に美味しく麺を食べられますように!って製麺に命を賭けてきた人たちがいるから今に成り立っているのよね。

そう言った背景があると思うのよ。

から迂闊には製麺機には手を出さない方がいいわ。

世の中役捨て美味しく出回っている物をわざわざ手間かけて自分生産する喜びを知る楽しさ以外にもうこれは買ってきた方が早い!って

世の中は大体そう言う仕組みになっているのよね。

きっとそうよ。

うふふ。


今日朝ご飯

ツナおにぎりしました。

ツナっていると美味しいお醤油で炊いたご飯マッチして思わず黒柳さーんって言いたいレヴェルよ!

まあ冗談はさておき、

冗談で済まなかったのは

今朝のデトックスウォーター

緑茶ホッツウォーラー

多めに作って事務所にも水筒に入れて持ってこようと思ったけれど

すっかり水筒を持ってくるのを忘れていて

わずもうるーるるるるー!ってそれなんてお財布忘れたドラ猫?って思っちゃうわ。

我ながら凹む~。

でもまあ帰ったら緑茶ホッツまだ冷めてないと思うので、

夜に仕方なくいただくことにするわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-01-17

上司せっかくだから増田君も今年の抱負を言ってみて」

増田「え・・・? あっ」

増田「え、えっと、絹とかが好きです」

上司「?」

先輩「?」

同僚「?」

増田(ドキドキ)

先輩「ま、まあ、増田らしくていいんじゃないか」

同僚「(ヒソヒソ」

増田・・・豆腐・・・ツッコミ

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-03

Colaboは福祉につなげるどころか日本共産党につないでいた

暇空茜

@himasoraakane

ほなおれもせっかくだから爆弾公開しましょうか

これ仁藤夢乃さんが紹介した池内さおりさんと家出少女とのLINEだそうです、タレコミできました

もちろん僕には裏が取れないので、これがデマならそう言ってください

sao

今後、親との関係を持ちたくなくて、生活学費自分でやりくりする方向なら、

例えば、今はとりあえず生活保護を活用して、家を出て、親と縁を切って自活を始めるっていう選択もある。

よかったら、一度しっかりあって話をしませんか?また仁藤さんのバスカフェに来ませんか?

https://mobile.twitter.com/himasoraakane/status/1609824412395790336

暇空茜

@himasoraakane

ところで俺の言いたかたこと伝わってないみたいだからいうけど

バスカフェに来た女の子共産党の元議員区議をつないで、あなたたちがこうなったのはアベガー、民青に入りませんか共産党員になりませんかって勧誘してたのモロアウトちゃうの?

政治活動やろ?

引用ツイート

+ これがまず共産党と強いつながりのある仁藤夢乃根拠

+ 仁藤夢乃バスカフェ日本共産党池内さおりは家出少女日本共産党勧誘していた。古い言い方ではこれをオルグという。

+ 池内さおりはさら複数回家出少女勧誘するためにLINEを使っていた。この内容は仁藤夢乃にも送信され、仁藤夢乃は把握していた

+ さらに仁藤夢乃はこのスクショを取り、別の家出少女日本共産党を紹介していた。古い言い方ではこれをオルグという

+ よって、Colaboは日本共産党出先機関となっていた

池内さおりのものか?

きわめて可能性が高い。しかも断定してよいと判断した。

+ ここで「活用する」という動詞に注意していただきたい。生活保護自体は、通常「利用する」という動詞とつながる。「活用」は後述するが、これ以外は極めてまれ。よってこのLineの内容は、ソーシャルワーカーではない可能性が高い。

+ さらに、選挙支援もしていたほど池内さおりとColaboの関係はずぶずぶに近い。

+ 日本共産党生活困窮者を党員に関与していたことがある。https://twitter.com/himasoraakane/status/1609871498524905475

+ さらアイコンが犬と一致 https://twitter.com/himasoraakane/status/1609848512086446080

以上から、このsaoという名前とあわせて日本共産党池内さおりである

修正ついでに追記:これでも足りなければ

[ http://jin115.com/archives/52362077.html : 日本共産党池内さおり氏、Colaboのバスカフェに来た家出少女を親と切り離し党員勧誘している疑惑が浮上]

なぜ俺的ゲーム速報刃がやっているのかは謎だが、アイコンの犬以外の過去の多数のツィートがまとめられているのでご覧いただきたい。

喜久山大

@kikuyamahiroki

LINEの文面のどこに「共産党員になりませんか」と書いてあるのだろう。生活保護を受ける際の水際作戦対策共産党議員が親身になって尽力してくれることがあるのは一般的に知られているはずのことではないかな。むしろもっと広く知られて生活保護を活用する抵抗感が少しでも減らせればいい。

引用ツイート

https://mobile.twitter.com/kikuyamahiroki/status/1609907616280641536

文面に書いてあるのではなく、これを紹介していたということを合わせて読もう。

なお、この京都弁護士会所属弁護士発言は、日本共産党公約と全く同じである

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-10-31/2022103113_01_0.html:誰もが使える生活保護に]

問題なのはColaboのバスカフェでこれを実施していた点。だれがバスカフェ日本共産党につなげていいといったのか。

さら活用という単語から断定できること

ところでこの「活用する」が使われる場面とは

生活保護+何かの公的扶助を受けるときに使われている。(生活保護 活用検索

2022年12月31日のsio氏の証言によると、Colaboの仁藤はうつ病診断書を作らせて、生活保護にさら医療費扶助まで申請していた。

このようなノウハウ日本共産党から得たものだろう。

日本共産党池内さおりの「活用」とは、偽の診断書を作って医療費扶助まで得ようとする意図があるからこのような表現になっている。

当然、これを紹介するColaboも同じようにしている。Colaboの実績とはなんと日本共産党につなげることだったのである

女性の自立どころか毒親を奇貨として共産党員にして生涯自立から縁遠い人生を送らせる。これがColaboの正体。

オルグ政治活動のものであり、スクショはその証拠

したがって、東京都はこれを問題視できない以上、担当者知事はやめてもらうしかない。

当然ぱっぷす、若草プロジェクト、BONDプロジェクト業務委託をする団体としては不適格で、当然ながらさらに抱撲も(ちなみに相撲区別がつかないならだくぼくと読むとよい)同じ手法を使っていることになることになるので不適格。

他も粛清必要

よってColaboが悪質であることが判明した。

これを支持した公認会計士グループ、全員資格はく奪。弁護士弁護士から永久追放東京新聞望月はクビか東京新聞自体廃刊朝日新聞毎日新聞廃刊相当だろう。当然NHK解体レベルの処理が必要となる。

これが包摂反差別、LGBTQ、フェミニズム上野千鶴子社会構築主義ジェンダー平等パリテ、アファーマティブアクションの真の姿であるいかにこれらがばかげており、なんら意味がない無駄不正の温床なのか。二度とこれらは政治課題につなげてはならない。

女性国会議員不要だ。なにか杉田水脈が好きすぎるとか書いているアホがいるが、意味不明。これらの問題をずっと追及していたのは杉田水脈以外いないからだ。それで差別主義者とかレッテルを貼られている。黙らせられている。脅迫されている。岸田は社会正義や公正な社会が嫌いらしい。そういう意味だ。

上野千鶴子(のりこえねっとという税金チューチュースキームの支持団体)は教授などというレベルではなく嘘つきでしかない。なにが社会学だ。嘘をついて税金横領する技術社会学だろうが。意味が全くない。

これらは税金無駄不正の温床でしかなく、かつその効果は全くなかった。フェミニズム意味のない学問社会学は詐欺師以外はいないので大学には不要だという結論になった。83人委員会はその象徴である

関係した人間大学有識者会議から排除するのが必要反論は「正論」以外には掲載しないことが重要

これをバックラッシュとかバカたことを言うのはおくすりを出してもらった方がいいと思われる。まったく意味が違う。

税金チューチュースキームがバレることがどこがバックラッシュか。バレるラッシュの間違いだろうが。包摂反差別フェミニズムジェンダー、LGBTQは不正を隠ぺいするのか?

(文中敬称略

2023-01-02

二礼二拍手一礼やめない?

これが流行ってから明らかに回転が悪くなったと思う

これ流行ったのいつかわかんないけどインターネット発のマナーブームで起こったと思う

あとは漫画アニメで何回か見かけたからそこが発かも?

どうでもいいけど混雑時はあまりやってほしくないと思う

今まではコロナがあったか顕在化してなかったけど

今後一度は話題になるんじゃないか

今年もたぶん全盛期ほどの人数は居なかっただろうけど(特に年寄りが少ない)

 

____

 

せっかくだからちょっと調べたぞ

Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%A4%BC%E4%BA%8C%E6%8B%8D%E6%89%8B%E4%B8%80%E7%A4%BC

二礼二拍手一礼は戦後一般化した作法であり、神社によっては別の作法をとることもある[5][6]。現在、多くの神社で二礼二拍手一礼を奨励する掲示があり、若い世代を中心に多くの参拝者がこれに従っている

昭和末期の1985年には国会で「一般市民は、いま参拝するときにはお賽銭を投げて一礼をする、あるいは形式的に二礼二拍手一礼をやっているかもしれません」という発言があった。これにより当時は神社参拝で一礼するのが普通であり、二礼二拍手一礼は「やっているかもしれない」といわれる程度の普及度であったことが分かる。またここに「二礼二拍手一礼」の文言公式記録に現れた[23]。この時まで戦後歴代首相靖国神社に参拝するときは二拝二拍手一拝を行うのが通例であったが[44]、この時から閣僚靖国公式参拝で二拝二拍手一拝するのをやめた[45]。平成以降、橋本首相安倍首相は二礼二拍手一礼で靖国神社に参拝した[46][47]。二礼二拍手二礼が一般に浸透したのは平成以降であるという説がある[7]。

 

「昔はなかった」としている記事

神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 PRESIDENT Online

https://president.jp/articles/-/30958

初詣「二礼二拍手一礼」が古い伝統という勘違い 東洋経済

https://toyokeizai.net/articles/-/316446

 

似たように「いつから広まったんだ?」と疑問視する人

https://togetter.com/li/1065098

 

ざっと調べた感じ、「昔はそれほどうるさく言われてなかった」と言う人は沢山いるがどこからどう広まったか考察してる人は居なかった

私の記憶では「二礼二拍手一礼」とか「階段の真ん中を歩くな」とか「鳥居はどっちの足から入るか」とかは漫画とかテレビマナーバラエティで見たことがあったと思う

から「イキった若いオタクけがやってる」という認識だったんだけど今年神社に2回行ったら驚くことにオジサンバサンまで皆やってたんだ、しかもやりなれてない感がすごかった

10年前にはそんな人滅多に居なかったと思うんだけどなあ

 

回転率について茶化してる人居るけど、大行列作ってて交通規制行われて警察がウジャウジャいる神社でも同じこと言えんの?

 

____

 

Twitterで「二礼二拍手一礼」で検索したら

二礼二拍手一礼でマウント取ってる人と「二礼二拍手一礼は違う」でマウント取ってる人が沢山出てきて怖かった

2022-12-31

増田で年越しするのだけは嫌だ

せっかくだからパスタ茹でよう蕎麦用意してないし

2023年には見せてやるよ増田への依存を断ち切って自立する独身ってやつをよ

半年前に引っ越してきたであろう住人の趣味は、爆音テレビを見続けることらしい。

鉄筋コンクリートマンションで部屋を締め切っていてもよーくわかるほど、毎日から晩まで爆音で話し声がする。謎のBGMも響いてくる。

もう5年ほどここに住んでいるが、人の話声すらほぼ聞こえなかった家だ。コイツがいなければ、とてもいい家だ。

おそらく老人だろうが、うるさくて敵わん。いい加減ノイローゼになりそうだ。

どの部屋かはわからいから苦情を言うのも難しい。

管理会社に言ったところで、貼り紙をするだけだろうしな。

だったら、頼むから死んでくれ、お正月早々に死んでくれ。

餅を食うか?テレビを観るのに忙しいなら、ウーバーイーツで頼んでやろうか?海苔巻きがいいかうまいよな、ちょっと早いけど恵方巻きでもいい。飯が嫌なら、熱い風呂に入ったらどうだ?せっかくだから、熱々の湯がいい。そのあとは外に散歩に行ってくれ。

なんでもいいんだよ。もちろん、突然死してもらっても構わない。でもそれだとテレビが切れなくて困るか。

ああ、どうか早く事故物件になってくれ。頭痛い。

2022-12-30

仕事納め今日は早くパッと終わる増田朱眞ル羽央とっぱく矢葉はうょ気の目竿と越し(回文

スプラトゥーン3のフェスのヨビ祭が朝からと思って張り切って挑んだら

夕方からでした!

おはようございます

仕方が無いので、

それまでおでんを仕込むことにします例の1か月育てて鍋のルーシーがかなり強くなってるおでんの。

そんでせっかくだからって

お出掛けしてお買い物

レモン炭酸をケース買い144本分ぐらい買ってきたところよ。

これでお正月年末年始ハイボールとかが捗るってもんじゃない。

もう朝遅い時間だし、

駐車場いっぱいかな?って思ったら

駐車場に入った途端に出て行く車と入れ違いになったか

ラッキー

また一つ年末までに有終の美を重ね飾ることが出来たわ。

にしても、

事務所ビル自体は誰かいるのだろうけど、

違うフロアは本当によその知らない会社だし下の通用口守衛さんはいものようにいるもの挨拶して入ってってはいもの感じ。

さすがにこの時期の年末年始だと人の気配は少ないわね。

誰もいない事務所のこのフロアは寒すぎて私は早く事務所仕事と言っても今日はほぼないので、

この電子端末の前に来ただけとは言わないけれど、

うそうに温かく温まって

夕方からのヨビ祭に挑むところよ。

あんまり午前中からやり込んでいると、

夕方からのパワー残しておかなくちゃいけないじゃない。

銭湯情報年末年始インターネッツで発表しているところはいいけど、

もう1つのところは実際に現地に行かないと営業してるか年末年始営業状況分からないのよね。

以前それで行ったにもかかわらず営業してなかった!ってこと2回も喰らったのよ。

まったくの無駄足を足繁いてしまったわ。

まあとにかく今日はまだ時間があるので、

おでん具材スターティングメンバーをそろえて夕方に挑むわ。

よくさ、

都市伝説

カードゲーム好きな人サンドイッチ開発した!とか

花札好きな人鉄火巻きを開発した!とか

ってあるじゃない。

遊びながら食べられる気軽な軽食形式のやつ。

私がもしその権利があるとしたなら

おでんスプラトゥーン3のお供にしたいわ。

さすがにおでんゲーム中に手掴みで手を汚さずに食べられるというわけではない、

私が言う街を闊歩しながら片手で持ち歩いて食べられるニューヨークスタイルとは完全に様子は違うけれど、

具材を鍋に投入すれば自動的おでんになるって言う意味では

簡単じゃない?

完成まで何も手を加えることがなく、

もう仕上がったここ1か月で鍛え上げたおでんのベーナーのルーシーはかなり強まっているところよ。

からこれはもうスプラトゥーン3のお共にピッタリなわけなのよ。

ここまで今シーズンおでん引っ張るだなんて私も思いも寄らなかった誤算で

晩ご飯とか面倒くさいから準備する時間もと思っていた矢先だったので、

これはもう本当に自動的に鍋に入れたらなんでもおでんになってしま

ペキカンなこのおでんルーシーは育てた甲斐があったってもんよね。

あとはもう!、

どんどん好きな具材を鍋の積載容量いっぱいまでどんどん入れていけば、

自動的おでんが出来上がる仕組み!

ファクトリーオートメーションの極みよ。

仕組み化か肝心要よね!

あれをもっと巨大化して

巨大な流し素麺的なおでん流れる具の仕組みを作って

もちろんあの早さでは具に美味しいのが染み込まないので、

牛の歩み寄りももっと遅い感じの水流で

そう言ったおでんプール長ーいのを始点から終点まで到達したら自動的おでんが仕上がっちゃう感じの量産体制ベルトコンベア的な

おでんファクトリーっておでん工場ができちゃったら、

大規模おでん生産設備の夢だってあるわね。

まあそれは冗談として、

その規模のおでんもありえるわけなのよ。

ももう一つ足りないポイントと言えば

サンドイッチ物理演算で積み上げていく要素の

サンドイッチ作りたいだけでポケモン買うのはさすがにしないけれども、

おでんにはそれが足りないというか、

おでんには物理演算計算が要らないので

逆に言えばおでんルーシーの熱の具の染み具合の流体力学的なやつ?

ポケモンおでん出すんだったら

積む要素が無いから煮る要素だけでは

ちびっ子にグッとこないのかも知れないポイントだわ。

かにサンドイッチはポップだわ。

あと私には

今年本当の最後最後まで有終の美をあと幾つ飾ることができるかの

有終の美チャレンジがあるので、

最後最後の最終日の今年まで気が抜けないわ!

うふふ。


今日はお休みだし

また朝ご飯も昼ご飯も食べていない感じのこんな休日モードでどーも!って感じね。

今日ぐらいはペキカン休日にするわ!

事務所には行かない!仕事のことはすっかり忘れたい気分なの。

メリーアンハリー必要よ!

何事にも!

それよか

おでん追加メンバー仕込むわ!

デトックスウォーター

レモン炭酸とりあえず朝起きて寒くなった分

慌ててホッツ白湯ウォーラーを飲むと言う、

今日ダブルウォーラーってところかしら。

まりにも寒すぎるわ。

みんなも寒いの気を付けて。


今年も1年またありがとうございます

来年はお休みを挟んでの開始はすいようびからになります

どうぞよろしく

よい年末年始を!

すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-12-24

ねえ、おれかっこいいでしょ

30歳。今年もクリスマスを一緒に過ごしてくれる恋人はいなかった。まあ生まれからいたことがないんだけど。

難病持ち、そんで多分鬱。食欲と性欲と睡眠欲が、毎日どれか1つスポッと抜けるっていう、それはそれでおもしろ生活がここ1ヶ月。

そのくせ仕事はなかなかできてしまって、でもこぼれた球を拾うような仕事しか与えられなくて、今は大きなプロジェクトを前にうろたえるおじさんたちをなだめるばかり。

みんな奥さんいるんだからさあ、少しは独身に気を遣ってほしいってのよ。

クリスマスの予定は当然ない。でもここ数ヶ月全然行けてなかったジムにようやく行けるかな~って思ってたら会社システムが止まったとの連絡。

おいおいマジかよ、まあたまった仕事片付けようと出社するところだったから(んで出社しようとすると気持ち悪くなるので帰るところだったけど)、迅速に現場に着いちゃうのよね~。

そんで情報収集、こっちのおじさんやヤングボーイたちもうろたえるばかりだから冷静に説明、取り急ぎの対応を指示してとりあえず沈静化をはかる。

明日障害対応で出社なんだけどさあ、そのこと上司電話相談してるとき、おれちゃんと言ったんだよ。

上司に「クリスマスですし、ご家族とのご予定があるでしょう。僕が出社します」って。

ああ~おれって最高にかっこいいな~。さみしくて、みじめで、ものすごくしんどいんだけど、こういうとこすんごいかっこいいんだよなーおれって。

の子もおれのこういうところ見たらおれのこと好きになってくれたかな。でも見せられないんだよな。

わかってる。もう限界が近いし、人を気遣うとかそんなこと全部捨てて休むべきなんだろう。そんなことわかってるんだよ。

でもさあ、せっかくだから、ほんの少しぐらい、うぬぼれたっていいじゃない。クリスマスなんだもん。

サンタさん、ブックサンタAmazonの欲しいものリスト児童施設に届くやつ、あれでいっぱい買っておいたから、あとは頼んだよ。

おれがサンタだ!って言えるのもかっこいいよね。島本和彦先生、おれなりたい自分になれたかも。

そんじゃ、メリークリスマス

2022-12-22

マイカーに関する勘違い

駐車場代が高い

田舎だろうが都会だろうが駐車場を借りたら高い

田舎でも意外と高い(クソ田舎だとそもそも貸し駐車場という概念がない)

じゃぁなぜ田舎の人は車を持つか、っていうと持ち家で駐車場があるから

都会でもそうだけど基本的に戸建てには駐車場がある

駐車場無しの戸建ても建てられないわけじゃないが、住宅地区は建蔽率が決まっている場合が多く

どうせ空いてる土地にするなら駐車場を作れば良い

というわけで都会でも戸建てに住んでる人は車持ってることが多い

逆に出かけた先で駐車場代がかかるが、これは意外と安い

都会の駅前で1日止めて3000円とかだったりすると家族4,5人の往復電車賃より安くなったりする

おまけに荷物は詰め放題だしストレスフリー

まぁ、たまに小さい字で「土日は上限なし」って書いてあるので注意が必要

自分が殺す・殺されるのが嫌

これがよく分からないんだが、こういう人は自転車にも乗らないのだろうか?

乗っていたタクシーが人を轢いたとき

自分が乗らなければ人を轢くことは無かった」

とか自責の念に苛まれるのだろうか?

包丁を買うとき

「俺は気が狂って人を刺すかもしれない」

とか考えてしまうのだろうか?(そういう人は車買わない方が良いと思うが)

事故に巻き込まれ可能性もあるが、歩行者として事故に巻き込まれるよりは車に乗っている方が安全である

単に「自分の力以上のものを動かすのが怖い」っていうのなら分かる

そもそもマイカー必要ない

都会でマイカーを持たない理由は単に「必要無い」というだけ

お金が無いとか高いとかはほぼ嘘で、安く買ったり維持費を抑えることはできる

田舎人間は歩かない」と良く言うけれどまさにこの辺が理由

都会の人は歩くことに抵抗がないので車が必要無い

加えて郊外のどこかに行こうとか、そういうことがほとんどない

旅行基本的には公共交通機関で行ける場所しか行かない

「え?バス出てないの?」

って平気で言うぐらい、交通手段は用意されていると思っている

旅行先でレンタカー借りてどこかに行こうとする奴はワンチャンマイカー欲しいと思ってる

まぁ欲しいとは思ってるけれどお金とのバランスを考えてカーシェアにしたりしてる

こういう人は戸建てを買うと車を買うし、そのために戸建てを欲しいとすら思ってる

ただ都会に住む大半の人は「そもそも必要いかマイカーなんて買わない」っていう人が多い

車が欲しい理由は車が欲しいか

田舎に限らず自動車を買う人の理由は「自動車が欲しいから」というだけ

別に便利だからとかコスパとか人混みが嫌いとか、後付けの理由しかない

鉄の塊にゴチャゴチャとしたいろんな装置が付いていて

キラキラしたエンブレムが付いていていろんなところが光ったり勝手に動いたりして

ドライバーの指示に従順に「ドゥルルン」とか音を立てて動いてくれる

そんな従順ペットのような馬のような奴隷のようなものが欲しい人が車を買う

撮るもの無いのに一眼レフ買って名前も知らない花を撮りに公園に行ったり

GPUPC買ってからゲームを探すけどよく分からいかベンチマークひたすら回したり

そういう行為とほぼ同じでとりあえず自動車が欲しいからそれを買って

せっかくだから遠出しよう、ってことでアウトレット温泉に行ったりする

そういう人にコスパタイパの話をしても無駄

2022-12-11

来年の7月7日夜24時に花火が打ち上がったら

日本にもガイ・フォークスナイトが産まれたことになる。

本当の民主主義がその日始まるだろう。

アーマードコアも出たしハンターハンターも出たし、それでも人生は何も好転しないからいい加減死のうと思ったが、せっかくだからもう9ヶ月ぐらい待ってそれが起きるかを見てからにしようと思う。

2022-11-16

撮影テスト

光上せあら幼女ダンスを集合撮影する“大の大人の大男”たちへ懸念 「絶対おかしいよ」「何を撮っているのか」

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2211/15/news107.html

 

この記事に対して、

別に幼児ダンスだけしかないステージだったわけではないんでしょ。お目当ては別にあったけど、待ち時間暇なら、カメラの調整も兼ねて撮影するのは普通にあると思うけど。

というブコメがついていて、「ああ、うん、そうかも?」と思った。

前に大垣ひまわりを撮りに行ったんよ。夏っぽい写真が撮りたくて。

調べたら、そこはドクターイエローと一緒にひまわりを撮れるスポットらしくて、せっかくだからドクターイエローが来る日と時間を調べて行った。

良さそうな場所を探して、自分ガチ勢じゃないか三脚とかはないし、しょぼしょぼミラーレスだけど、まあ出来る範囲で頑張ろうと。

で、ドクターイエローが来るまで、普通新幹線で何度も練習を重ねた。

そのことを、ブコメを見て思い出した。

 

その後どうなったかというと、大体思い通りには撮れたんだけど、ドクターイエロー普通新幹線より短いことに思い至らなくて、若干失敗もした。

また次の機会かな。まあ、天気よかったし、ひまわりもいい状態だったし、もう満足と言えば満足だけど。

2022-10-31

anond:20221031010125

せっかくだから水中にプレイヤーを沈めて生命にかかわる競技にしてみてはどうか

マスク外したらまずいことになる系ならリアルFalloutとかリアルMETRO 2033でもいい

2022-10-30

anond:20221030172440

せっかくだからポプテピを素材にして社会批評やれるか挑戦してもらいたいもんだ

2022-10-23

AI絵師の見破り方」より簡単な「嘘松の見破り方」

せっかくだから覚えてみよう。

1 当事者が書いてるはずなのに他人事感がある

本当松 昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。

 嘘松 都内の某吉野家で発生したやたら長い行列

2 現場に居たら気づかないはずがないだろということに後で気づく

本当松 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。

 嘘松 家に帰ってから調べたらその日は150円引きだったらしい。

3 状況のエスカレートが急激すぎる

本当松 なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

 嘘松 値引きに釣られたのかどこかの部活が40人で来店したせいで店内がすし詰めになった。1人特盛2杯ずつとか言ってるの。もう勘弁して。

2022-10-17

日本三大エイト

瑛人

鈴木エイト

ぽんかん⑧

あと一人は?


追記[2022-10-27]

またくだらないアンケート増田ブクマ集めてるなと思ったら、私が適当に思いついたことを書いただけの増田だった。

なんで10日も前に書いた増田が今更ブクマ増えてんだ?

2番目以降にブクマした全ての人は便乗しただけなのは明らかだ。

しかファーストブクマカはどのようにして10日も前のくだらないアンケート増田を発掘したんだ? そしてなぜアンケートに答えたんだ?

何日もかけて作り上げた渾身の増田が反応ゼロなのに対して、くだらないアンケート増田に限って大量にブクマ付くから嫌になってくるよ。

せっかくだから過去に書いてバズらなかった増田宣伝する。

Twitterでもバズったら宣伝する文化があるから増田でやってもいいでしょ?

拙者は小さくなった固形石鹸を新品とくっつけるのが大好き太郎でござる

ttps://anond.hatelabo.jp/20221025201952

しょうもない一言ネタブクマカの便乗ネタを狙った。

「実を言うと私は〇〇が大好き太郎でして…」みたいに便乗するブクマはいなかった。

元ネタは『あいまいみー』の『ポツダム宣言大好き太郎先輩』。

ふぉっふぉっふぉ これにて儂のちんちんもビンビンのビンラディンって寸法よ

ttps://anond.hatelabo.jp/20221025234409

一言下ネタ

懐かしのビンラディンネタにしたが、テロリストネタにするのはまずかったようだ。

ギャラクシアン😆 → ギャラガ😆 → ギャプラス🤔

ttps://anond.hatelabo.jp/20221002100451

30年以上も前のゲームネタにしておっさんホイホイを狙った。

ちなみに、『ノエルギャラクシアン ノエルギャラガ ノエルギャプラス』というトラバ自演

三大鯖を味噌で煮込んだ料理

ttps://anond.hatelabo.jp/20220827012137

アンケート増田アンチテーゼとして、回答が1つしかないというアンケート増田を書いてネタにした。

ちなみに元ネタは『すごいよ!!マサルさん』であり、これもおっさんホイホイを狙った。

2022-10-11

セクマイ交流、見せる様のネット自分、ゆるく繋がるSNS

アセクシャル(女)のTwitterアカウントを見ると漏れなく地獄で草。高確率で昔の彼氏ガーとかセクハラがーとか男ガーキイイイイイイとかやってる

いやそれアセクシャルじゃなくてただの性嫌悪やんけ・・・っていう

まぁわざわざTwitter自分セックスについて世界中に向けて発信しようって言うんだから

LGBTQAに限らず、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』が原動力になっているのは必然

 

人のむちゃくちゃ多い東京に出る機会があったのでせっかくだからセクマイ交流に参加してみようかなと思ったけどなんか難しそうやな

 

あと人となりがわかって交流がしやすい?ってことなのかTwitterベースにしてるの多いな

いやいや何が楽しくてTwitter自分セックスについて熱心に発信せなアカンねん

さっきも書いた通り、性に関する『強い怒り』or『強い喜び』があるか、ジェンダーにまつわる活動家じゃないと無理くない?

 

どうしてもTwitterでやるなら仕事関係者に見せても大丈夫な『見せる様のネット自分』を作ってそれに紐づけるかだな

最近名刺プロモーション代わりに見せる様のネット自分があっても良いかなと思い始めている

けどインスタ映えみたいな事に時間を割くのって増田無為に過ごす以上にどうなの?とも同時に思っている

増田ストレス解消や考えの整理に役立つけど、オンラインサロンみたいのでメシ食う心づもりがあるわけでもないのに

インスタ映え(類すること)・・・な。虚無るわ

 

便利かどうかはわからないが、視覚的にはとりあえず新しく、手触り・操作感がいい、

見せる様の自分をゆるくげられるSNS作っても良いかなぁとぼんやり思ったり

マイノリティー向けに限定したSNS作ってもいいかなって一瞬思ったけど、昔作って運営してた時は手間ほど得るものはなかったので、

マイノリティーには限定せず、最初から人に見せていい自分でお願いする

あとメタバースな。1秒も関わってないけど見せる様ならうってつけな気はする

とりあえずモデリングから始めるか・・・

2022-10-08

メチャクチャ小さい蟹

1.

 お前はある日思い立って、現代美術作家個展に行くことにする。お前は芸術を介するような高尚な人間ではないので、そんなものには通常行かない。珍しい機会だ。

 個展の会場はがらんと開けた真っ白な部屋で、壁に書いてある大きな矢印がイヤでも目を引く。真っ黒な矢印は真っ直ぐに壁の下部、床との境目を指していて、その辺りにはこれ見よがしに大きな虫眼鏡が置いてある。なるほどね、とお前は思う。矢印の先にあるなにかを、虫眼鏡を使ってみてください、ということだろう。

 お前は膝を折り、持ち重りのする虫眼鏡を手にして壁を見る。

 そこにはメチャクチャ小さい蟹がいる。

 メチャクチャ小さい蟹が、お前を見て、ハサミを振り上げる。

 

2.

 その日は珍しく雪が降った。お前はかなり南の地域に住んでいるので、雪が降ることは本当に珍しい。

 さらに珍しいことに、その雪は積もった。いくら雪が降っても、翌朝にはただ地面が濡れているだけ、ということに慣れていたお前は、一面の銀世界(というにはやや色彩の多い景色)を見て、驚きを隠すことができない。

 お前は童心に帰り、せっかくだから雪だるまでも作ろうか、と思う。衣装箱の奥に眠った手袋を引っ張り出して身につけ、外に出る。降り積もった新雪に手を突っ込んで、雪を握り込む。

 手を開くと、そこにはメチャクチャ小さい蟹がいる。2匹いる。

 メチャクチャ小さい蟹は、お前を見てハサミを振り上げる。

3.

 お前は普段夢を見ないが、その日に限って夢を見る。

 夢の中で、お前はメキシコ田舎町にいる。お前はメキシコになど行ったことがないが、なぜだかそこがメキシコだということを強く認識している。

 性別のわからない皺くちゃの老人が近づいてきて、アガベの収穫を手伝えという。お前がアガベの収穫を手伝うのは当然のことだ。夢の中で、お前はアガベ農家になっている。

 お前はアガベの肉厚の歯に鎌を入れる。液体が染み出す。その中に、何か固体が混じっている。お前は目を凝らす。

 それはメチャクチャ小さい蟹だ。液体に混じって流れながら、メチャクチャ小さい蟹が、お前に向かってハサミを振り上げる。

 

2022-09-25

来世は犬を飼ってみたい

来世はもうちょっとマメで世話好きで金銭に余裕があって他に心血を注ぐ趣味がなくて犬の人生にすべてを捧げられる人間になって、大きい家に住んで犬を飼いたい

せっかくだから大型犬がいい

むくむくした犬と楽しく暮らしたい

散歩に行ったりフリスビーしたりして楽しみたい

世話の大変さもちゃんと受け止めたい

来世でそうしたい

犬と暮らしたい

2022-09-15

anond:20220915152348

せっかくだからプレイヤーももう一台買って

キュッキュッキュキュッキュワキュワキュ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん