はてなキーワード: 都市部とは
元増田が
>「昼間でも場所によっては強盗性犯罪当り前。地下鉄には独りで乗るな」「目立つ格好をするな」「アジアンは狙われやすい」
と書いてる通りに海外では見ず知らずの女性に対する犯行が多いのだろう
相手を言いくるめて黙らせるうえでも
職場の上司とか年長の同僚とか年長の親類とかのほうがヤりやすいんだろうな畜生めが
セクハラの類も通りすがりの見ず知らずの人間相手には成立しない
だから見ず知らずの男(俺)に「私を襲うかもしれない」って目を向けんな
人口密度の高い日本の都市部でそんなリスクの高いことする阿呆は滅多におらん
(きわめて稀には家宅侵入して犯行する強行レイプ犯もいるけど)
そして職場の部下とか年少の同僚とか近隣の顔見知りの目下の若い娘とかなら
手を出してもなんとかできると思ってるクソ男全員金玉砕けろ
『自民党少子化対策調査会長の衛藤晟一元少子化対策担当相は13日、子ども政策に関する党会合で、奨学金の返済免除制度の導入を主張し「地方に帰って結婚したら減免、子どもを産んだらさらに減免する」と述べた。』
https://www.tokyo-np.co.jp/article/237796
これって地方生まれなら、地元が田舎で学歴に見合った仕事がなくても、田舎に帰って結婚しないと奨学金は減免されないって事だよね。
これから人口減で税収は減り、田舎は切り捨てられていき病院学校や行政サービスなど都市部に集中していくだろうに、奨学金で釣って若者を田舎に無理矢理返してどうするんだよ。
同じテーマとキーワードを与えて、あなたは社会科の先生ですよ、ってプロンプトを与えたGPT4ちゃんに書いてもらったのがこちら。
第一に、人口減少が進む中で、地方創生におけるテクノロジーの活用が重要となる。地方インフラの維持コストが高騰し、労働力も減少するため、地方自治体はデジタル化やロボット技術を利用して、サービスの効率化や地域活性化を図るべきである。こうした取り組みにより、地方都市の発展が加速し、都市部との格差を縮小する可能性がある。
第二に、労働力の減少に対応するため、柔軟な働き方や多様なキャリアパスの推進が求められる。企業はテレワークやフリーランス、兼業などの働き方を積極的に導入し、労働市場の活性化を図ることが重要である。また、教育機関や政府は、人々が終身学習を通じてスキルを磨き、多様なキャリアを築くことができる環境を整備するべきである。
第三に、高齢化社会において、持続可能なまちづくりが重要となる。例えば、バリアフリー化や地域の交流拠点の整備により、高齢者が活躍できるコミュニティを創出することができる。また、エコシティのコンセプトを取り入れた都市計画により、環境負荷を低減し、地域の資源を活用した持続可能な発展が実現される可能性がある。
これらの取り組みは、人口減少と高齢化が進む中で、社会や経済にポジティブな影響をもたらすことが期待されます。個人や企業は、これらの問題に対処するために革新的なアイデアを生み出し、適切な対策を講じることが重要です。さらに、政府も協力して持続可能な社会を実現するための取り組みを進めるべきです。
これらの未来予言を考慮に入れ、様々な問題に備えることが重要です。特に、政府や企業はこれらの課題に対処するために事前に対策を講じる必要があります。以下は、これらの未来予言に対処するためのいくつかの対策です。
2.税の強化への対策
これらの対策を実施することで、未来予言が示す潜在的な問題に対処し、社会の安定と持続的な発展を実現することができます。また、個人や企業も自身の計画や戦略にこれらの予言を考慮し、柔軟に対応することが求められます。
よく来た。若者の海外流出、自殺増加などを見てきた私が予言しよう。次の30年に起こるであろうことを3つ伝える。
第一に、人口減少によってインフラの都市集中化が進むだろう。これは、人口が減少するにつれて、地方インフラの維持コストが高騰する。高騰するだけならまだしも、維持する労働力も減る。すると廃村や統合を繰り返し、維持を試みるも中央から離れたとこほどサービスは低下する。すると都市の人口密度が高まり、都市圏内のインフラや公共サービスが一層集中する。都市部への投資が集中することで、地方都市の発展が遅れる悪循環となるだろう。
第二に、労働力の減少によって各種税の強化が進むだろう。少子高齢化に伴い、二人の親の資産が一人の子へ流れるようになる。出生数が減って労働力が減少する中で、遺産で働かなくて済む者が増えるのはまずい。相続税の負担を増やし働かなくても生きていける人間を減らすだろう。また、そうなる前には金融資産の課税を強化し、FIREなるものの撲滅に動くだろう。
第三に、エレベーターの問題が増加するだろう。高齢者が増えると、高齢者の足腰が要因となる問題が増える。そしてそれを解決すべきテクノロジーとしてエレベーターが選択されるが世界で同様の問題があるため部品供給に苦慮するだろう。また高齢者の居住にはエレベーターが必須となり、エレベーターの無い集合住宅は空室率が増え空き家となる。住宅バブル崩壊も進むだろう。
これらの出来事が起こると、社会や経済に大きな影響を与える可能性がある。これらの出来事に備え、個人や企業は注意深く計画を立て、対策を講じることが重要だ。私が言うことは、あなたが信じるかどうかはあなた次第だ。
色々な感想。距離は片道10kmで平坦な道。クロスバイクに乗ってる。だいたい40分くらいで付く。
まずそんなに痩せない。20km/hで走って消費カロリは400キロカロリーくらい消費してるらしいけど、体感としてそんなに無い。
ペダルをずっと漕いでるわけではなくて、流してる区間もあるからだろうと思う。
最初の二か月で77kgから73kgまで痩せたけどそれ以上は体重落ちない。明確にダイエットしようと食事制限していないからだろうけど運動による消費カロリはあまりあてにならない。
痩せたいなら食わないことだ。
次にそれなりに危ない。
都市部を走る数キロ区間は朝はそれなりに車もバイクも多い。車道を走ると横すれすれをトラックに追い抜かされるし、歩道は人が多くて危ない。
急いでる車が曲がってきて巻き込まれそうになったりする。
ルート上にバス停と地下鉄の駅があるからエスケープルートとして利用できるけど、時間のロスは発生するから自転車で通勤するときは早めに出て余裕がないと、パンクや雨で遅刻の可能性がある。
最後になにより飽きる。
もう一つはあえて遠回りして河川敷を走るルートがあるけど、朝は向かい風が凄まじい。一度走ったけど普段40分で着くところを1時間かかった。
帰り道に夜に走ろうとすると無灯火の自転車が突っ込んできたり、全身真っ黒な服のランナーが飛び出して着たり危険すぎた。
100日程度ずっと同じ道を同じ時間帯に走ると飽きてくる。
ここで全力で濃いでもここで信号につかまって止まるんだろうなーとか完全に理解した。
たぶん自転車通勤をする理由として「運動不足解消」というのを挙げるひとがいるだろうけど、安全と効率を考えるなら電車で通勤してジムで走るなり筋トレしたほうが良いと思う。
上司「お前、責任あるポジションを早く経験したいとかって言ってたな。」
上司「よし!わかった!」
こんなやり取りの結果、同期で最も高いポジションに就任。社員2人(2人とも派遣)の地方営業所の責任者となり人口約15000人の町で一人暮らしをしているアラサー男。
メンバーは派遣で採用している地元の女性社員2人、営業所内に登記がある下請け会社の親方社長、その息子さんの4人。全員俺より一回りか二回り歳上だ。責任を取る場面などなく、暇つぶしや喫茶店代わりに来店する地元建設会社や工務店の社長さん、農家さんと世間話をして、ついでに機械の修理や購入の見積もりを出す。9時出勤で5時には確実に退勤。人との交流は親方とその息子さん、農家さんや建設会社社長、工務店社長などと飲みに行くか、或いはたまの土日に同じメンバーでゴルフか麻雀に行くかだ。
役職手当もあり同期より貰っているが、ゴルフは相手持ち、飲み代は親方の下請け会社の経費であり、車を1時間半以上走らせた先にショッピングモールがある位なので金は貯まる一方である。先週の土曜、服を買いにショッピングモールに行った。服を購入し家族連れに囲まれながらフードコートでマクドを食い、さあ帰ろうと思った時に目に留まった楽器店に立ち寄った。
髭男が好きなため「俺もピアノでもやってみようかな」と思いながら眺めていると店員さんがやってきた。話をしているうちにやりたくなったので住んでいる部屋、弾いてみたい曲、予算などを伝えた結果、YAMAHAのクラビノーバを薦められた。しかし、これから先も転勤があり都市部の単身社宅には大きすぎたためP-125を購入した。3本ペダル、スタンド、ヘッドホンなど言われるままに購入し合計9万円ちょっと。
次の日に早速組み立てて音を出してみた。ピアノ初心者向けのサイトを見ながら4番目のCを2番の指で押してみた。感動。小さい頃、学校の授業でおそらく人差し指だけで弾いたかえるの合唱を、番号通りの指で弾いてみると思ったより難しかった。
色々なサイトやYouTubeの動画を見ながら姿勢、指の動かし方、楽譜の読み方を勉強し、ちょうちょを練習した。右手、左手とそれぞれ練習し夕方頃にぶきっちょではあるが両手で弾けた。久しぶりに充実感のある土日だった。
月曜からは朝1時間早起きし、片手ずつ、指の番号や姿勢を確認しながらであるためとてもゆっくりではあるがバッハの「メヌエット ト長調」を練習している。
都市部の住宅事情では正直無理。そもそもの問題は人手不足と物流量の増加なので置き配の有無とか置き配の時の各種処理とかの時間が勿体ない。
挙句に濡れたり無くなったら配送業者に文句言ってくるとか誰も得しないのが置き配
当たり前だがこれらは『倉庫』ではない。でもマンションの宅配ロッカーと同様に倉庫代わりに使う人は思った以上にいる。もちろん外箱に傷や汚れ付いたら怒る。数週間綺麗に保管しとけとでも?
あとロッカーやコンビニは配送業者が契約しないといけない。分かりやすく言えばヤマトが契約して無いから目の前コンビニ届けが出来ないとか普通にある。もちろんサービスが便利になれば送料とかは高くなるしコンビニオーナーは荷物増やしたくないから渋い顔する。でもコンビニ各社は来店理由の為に増やしたい。だいぶ地獄
よくある「インターホン鳴らさず不在伝票書いていった」と言う配送員は居ますが、こんな奴クビに出来ないくらい配送業に人居ません。でもそれ以上に鳴らしても居ない人多いです。もちろん時間指定できない商品で平日日中に伺ったらいないのは当たり前ですが、時間指定しても居ない人の多いこと多いこと。自分で設定してなんで居ないの?トイレ?
配送料の値上げは確実です。物流センター、車、燃料、人、それらのための金がありません。法人向け料金の大幅値上げは確実です。通販会社がどうやって対応するかは知りません。ちなみに自社でやるのは今は無理でしょう。すっごく良い給与出せれば可能でしょうが3か月で大赤字で地獄を見ると思います。送料無料とかここ1年でほとんど無くなるんじゃないかな?
あと翌日配送とかも消えると思います。長距離の人員マジで居ない。ヨドバシの独り勝ちでも良いけど正直あそこはこれ以上の伸びしろ難しいしどんなにシステム上手くやっても破綻は必至だと思う。
お店で見て通販で買うことが安く済むことは無くなると思う。これは配送以外の料金も上がっているからだ。早く手に入れたいなら実店舗で、遅くても楽にしたいなら通販って一昔前に戻るだろう。マゾの移民が大量に日本に来たら大丈夫だろうけどたぶん別の問題が発生するから結果無理。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
SMBC がOliveなる新しい金融システムを始めることが話題になっている。ポイント還元ばかり話題になるが、気がついたことがある。
もしかして、もはや地銀をメインバンクにしておく意味はほぼないのでは?
ことら送金などのシステムが登場し、今時、個人取引ならば、アプリとWebでほとんど済んでしまう。というか、地元の地銀の窓口にすら、長年いった覚えがない。
そして、ほとんどの決済をすでにカードにして、現金はほとんど使わない(一ヶ月に1万円も使わない)俺にとっては、ATMすらもあまり重要ではない。
一方で、現在メインで使っている銀行は地方銀行では、IT化が遅れている。一応はあるし、ことら送金などもキャッチアップはしているのだが、使い勝手がいまいち微妙で、どうも5年ぐらいのタイムラグを感じる。地味に使うのでちょっとずつストレスがある。
さらに、国はフィンテック企業などの発展から規制の緩和を進めていて、与信や財務分析といった機能はもはや人間よりコンピュータの方が信頼できる分野だ。銀行という業種は今後どんどんIT企業に近づいていくことになるだろう。そのとき、地方銀行がキャッチアップできるだけの体力があるだろうか?
そう考えると、地元に店舗があり、地元にATMがあるという理由で地銀を使っているが、そのメリットはもはやないのではないか。
そう思ってBingに聞いてみた。(リスト化の装飾は私による)
※※※※※※※※※※※
地方銀行にお金を預けるメリットは、以下のようなものがあります1。
ご自身のニーズに合わせて、地方銀行を選択するかどうかを検討してみてください。👍
※※※※※※※
都市銀行にお金を預けるメリットは、以下のようなものがあります12。
ご自身のニーズに合わせて、都市銀行を選択するかどうかを検討してみてください。👍
※※※※※※※※
まぁそうだよなあ。
最初は
夏の一時帰国の予定を立てるにあたって去年都内の実家に一時帰国した時の面倒くささが蘇ってしまった。
https://web.archive.org/web/20230301231830/https://anond.hatelabo.jp/20230302080343
と書いていたのに、
と書き換えるところ
割と自由の利く仕事をしていてちょっと縁があるアメリカの地方都市にいる。
もともと日本が大好きで他国に住むなんて有り得ないと思っていたが、子供たちを無痛でほいほいと出産してから居着いている。
子供たちは現地校に通わせているが日本人とも遊ぶし、駐在の人たちにも仲良くしてもらってる。
夏の一時帰国の予定を立てるにあたって去年都市部の実家に一時帰国した時の面倒くささが蘇ってしまった。
一時受け入れをしてくれた幼稚園、小学校の持ち物にサイズ指定があるのにまず驚いた。
上履き袋は横開きの240mm*140mmでマジックテープ、縦に吊るせる紐を付ける。上履き袋を壁のフックに効率よくかける為らしい。
芋袋も布で用意する。芋ほり体験の後にサツマイモを持って帰ってくるための巾着袋を布で縫う。
お昼寝布団はセットで自転車通園でも大きな袋を毎週よっこらよっこら抱えていかないといけない。
出羽守仕草をやらせてもらうが、アメリカの学校ではそういったものはない。
上履き袋は市販品でいいし、芋袋はガロンサイズのジップロックでいいし、お昼寝セットは市販のナップマットを丸めれば肩に掛けて歩ける。
日本でベビーカーを押していても邪魔にされたり、ひどい時は信号のない横断歩道でギリギリまで車を寄せられたりクラクションを鳴らされたりする。
駅のエレベーターは譲られるどころか並んでいる前に普通の人が次々と入り込み降車から5分10分とかかってやっとホーム階に行ける。
もちろん日本製のアップリカでサイズが邪魔になっている訳ではない。
アメリカで車をベビーカーに寄せたりするのは極悪人だしクラクションなんかしたら人非人扱いだ。
ヒーロー志向が良い方向に働いてエレベーターは並んでいても子連れが譲られるし段差があれば男女関係なく誰かしら助けてくれる。
日本で重く勝手に閉まるタイプのドアを開けてさあ入ろうという時に他の人が入ることはある。
勿論アメリカで開けたドアを他の人に譲ることは多くある。しかし必ず礼を言うものだ。
日本では半分以上の人がドアを押さえる私を無視して素通りする。私はドアマンじゃねえよ。
こくりと会釈か目礼する人で、ありがとうと声に出す人は滅多にいない。
街を歩いていてもテレビを流していても、それはどうなの?というソシャゲのCMばかり。
温泉むすめや雀魂が炎上したがどうもどちらの言い分も飲み込み兼ねる。
私も長らくオタクだったので表現の自由派だったが、日本の街のどこもかしこもアキバみたいなノリなのはきつい。
あんたもコンビニの外壁に貼られるならせめて親戚の家に行く時に失礼にならない程度の露出度の服を着なさいよ。
長々と書いたがアメリカ出羽守の戯言なので叩きたければどうぞ。
色々な肌や言語の家族がいるけど子供たちは普通にバスケやニンテンドーで遊んでいる。
遭遇するかしないかわからないアジア人差別より遭遇率の高いぶつかりおじさんの方が嫌。
日本での勤労と納税の義務は果たしているが子供たちが小さい内はあまり帰りたくない。
嫌なら帰ってくるなと言われるのはわかっている。
嫌だから帰りたくないな〜と思っている話。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
賑やかな街角。一見してヨーロッパの古い都市かと思ったが、逆方向を見ると高層ビルが建っていた。
目の前の店の看板に「The Oldest Cheese Shop in America!」と書かれている。ほんまかいな。
標識に「Manhattan Br. Bowery」と書いてあるから、これはニューヨークなのかな。
グランドアベニューじゃないよ。グランドストリートを見つけたいんだよ。紛らわしいな。
と地図を探し回ってようやく見つけた。ロウアーマンハッタンのグランドストリート。
誤差4m。5000ptだった。
最初のチーズ店は開業1892年で本当にアメリカ最古のチーズ店らしい。
でもつい一週間ほど前にコロナ禍が理由で閉店が発表されたらしい。悲しいね。
ÄとÅを両方使うのってスウェーデンだけだった気がする。
と思ったけど地名がぜんぜん噛み合わないな。
途中で「E14」の道路標識を見つけて、それはストックホルム周辺に無さそう。
どうも北のほうの「Östersund」という街らしい。「Hotel Östersund」ってさっき見かけたぞ。
道路の名前から初期地点を割り出す。誤差0m。5000pt。ぴったりだった。
大きくカーブした道路。看板に「Welcome to Edgerton」と書いてあるからEdgertonという町なんだろうな。
「SOUTHERN WISCONSIN NEWS」とも書いてあるのでウィスコンシン州だったりするかもしれない。
これで道路の番号さえわかればなんとかなりそうだが…と言ってるうちに見つけた。国道51番だな。
道路を辿ってEdgertonを発見。本当にウィスコンシン州の南端だった。
誤差30m。5000ptだった。
川辺だな。近くに橋がかかっている。
そこまで広くない道の両脇にずらっと駐車されている。観光地なのかな。
看板を見るかぎりフランスっぽい。「A9 A75」とあるのは道路番号かな。
フランスの地図でA9とA75を探す…「BÉZIERS」という街か。
しかし「川辺で橋の近く」というわかりやすい目印があるのに地形がピンとこないな。
行き詰まったので回答してみるか。
ううん、BÉZIERSからやや離れた「Agde」という街だった。
詰めが甘かったな。誤差は19km。4938ptだった。
今回は5問とも都市部だったな。マンションみたいな建物に挟まれた道。
地平線までまっすぐ続いてそうな広い道路がある。
いや逆向きの標識に「BARCELONA」とあったのでだいぶ遠い都市を標識に書いてるパターンかこれ。
うーん、地名や道路番号から考えると、どうもバレンシアみたいだな。
道路の名前に人名がそのまま付けられてて探しづらい…が、それらしい道路を見つけたぞ。
南北に伸びるJuan XXIII通り。そこから緩やかにカーブしたFederico Alcácer Aguilar通り。
初期地点はたぶんこのあたりだろうから回答。誤差10m。5000ptだった。
私はアトピー性皮膚炎なのだが洗ったシャツを着ようとシャツの裏に手をかけたら何かついや感じがしたのでその手を見るとねっとりとした黒いものがついている。
直感で裏表を逆にするとねりけしみたいなものが全体にびっしりと数センチ大オーダーの大小さまざまなな大きさを持ってくっついていた。
都市部でよく見かける踏み固められたガムのような色をしていていかにも不潔っぽい。
いつも塗っているワセリンなどの薬と垢が混ざったものだなと思った。
いままでも気づかずにこんなのがくっつきまくったものを着ていたのか。どうりで最近肌の状態が良くないわけだと思った。
人口の崖を今正に転げ落ちている最中の我が国日本でよく聞こえてくるようになったのが
「過疎地の維持など金の無駄だから都会に集中しろ」というバカげた近視眼的論理だ。
地方なんてよほど手厚く保護しない限り、末端から壊死していくんだから。
ただ、それで壊死した地域を切り捨てて放置したらどうなるのだろう。
一度壊死して切り捨てた地方を再開発するのは、ただ山野を切り開くよりよほど金も時間も人も消費する。
それを想像すらせず、直近の利益のみを考えて「地方など捨てろ」とやってホントに長期的にメリットがデメリットを上回るのか?
これから先、人口を一切増やすつもりがないなら、壊死した地方を切り捨ててもいいかもしれないが
いったん減った人口が都市部に集中して地方が壊死した後に人口増加した場合、どうするんだろうか?
人が集まった都会で人口密度高めながらどんどん減っていくパーソナルスペースを甘んじて受け入れるのだろうか?
それとも、地震大国の日本でさらなる超高層ビルを建てまくるのだろうか?
そうやって大都市圏に集中して、壊死した地方の海岸部に原発建てれば縮小した安定が得られるかな?
まぁ、人口が増えるにしたってどんなにポジティブに見積もっても1世紀ぐらい先の話なので、
そのころに死んでる俺たちが考える事ではないかな。
今年もあの季節がやってきた。
簡単に言えば表舞台に立つことのない糞田舎のだんじり祭りのようなものだ。
2日間にわたって餅をついたり、神輿(みこし)を担いだり、神社で祈祷したり宗教じみたことを早朝から夜遅くまでやる。
おそらく豊作を願って神にお祈りしましょうみたいなことなんだろうが
おこないがおわったらさっさと帰って寝たいのに、公民館に集められくだらない宴会が開かれる。
ねぎらうなら金をくれ。それが最高の手間賃だ。
俺は数年前に大学進学と同時に田舎を出て都市部へ引っ越してきた。
大変だから手伝ってほしいだの連絡絶えない。
知らんがな。
親のメンツのために生きてるわけでもなければ俺の子供も一切楽しみにしていない。
人に迷惑かけるならやるなよ。
見てるか老人達。
田舎に残ったのは大学に進学できなかった奴か自立できてない奴らばかりだ。