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はてなキーワード: 絵画とは

2022-12-09

日本酒ワインの違いって何?

日本酒ワイン

これはビールウィスキーと違って、年ごとに味が全然変わる

ある年に最高の味に感じた酒蔵の日本酒が、翌年にはピンとこないなんて普通にある

(それでも、上質の蔵というのは、そこそこにまとめてくるが)


ワインは「当たり年」などと呼称されるが

ビンテージトンデモな値段がついたりする

界隈について全く知らなくても

創作物で、〇〇年の△△は干ばつで葡萄が少なくワインの出荷も少数だったが最高の当たり年だった、みたいに書かれたら

インキを感じる事が出来ると思う



それらと比べて、日本酒は「当たり年」と言う言葉一般的ではない

昨今の日本酒は新酒を楽しむもので、古酒を楽しむムーヴメントはないか

から、〇〇年の△△は最高の出来だったと言われても、それを今飲むと熟成されて別物になってしまっている

瓶に入った新酒ですら、開けた瞬間と、開けて3日後、開けずに半年後のそれぞれで味が違うと言われてる



ぶっちゃけビンテージワインボトルを飲んだ時に、そこに100万ドル価値を見出せるか?とか考えると

そんなわけないよねーとか思うんだよね

寝かせたワインは美味しくなるとかも言うけどさ

そうは言っても限度があるでしょ?

みんな、寝かせたワインの味とか分かるのかね?



同じ醸造酒だがなんでこんな違いがあるんだろう?とか思うと

これは単に市場規模歴史の違いでしかないよなって思うんだ

絵画と一緒で、それに価値を付けるのは「市場」だ

世界的な名画と呼ばれるものも、その価格程に価値があるのかと言うと、そんなこたないと思う

それに「価値」を付けているのは、それを売買するプレイヤー

現代美術がまさにその最たるもの

歴史価値なんてなくても、億単位の金で取引される

「金や宝石」もそうだが、それに価値を作り出す人間がいて、「資産」として購入される

ビンテージワイン資産の仲間入りをしているが、日本酒はそうではない

そういう事なんだろうなと思う

2022-12-06

AIイラストの楽しさがわからない人って「作る楽しさ」「育てる楽しさ」を見出したことがないんだろうな

単にマネタイズするためだけとか、物見遊山とか、変な画像を出させてバズるためとか、そういう見方しか出来てない人が結構いる。

でもAIイラストって明らかに創作活動としての面白さがあると思うんだよね。

まず間違いなくソレはプログラミングに近い楽しさを持っていて、効率のいいマクロを作るためのPDCAとしての面白さがまずあるんだよ。

生成される絵はそれもまた間違いなく「絵画」の一種なわけで。

結局は使っている「画材」が違うだけなのよ。

作者が「目的」「テーマ」「道具」「表現方法」「画風」「描写物」「デザイン」「方向性」を決めていって、そうして考えた理想形に近づける作業

これはある種の感受性を持つ人からすれば「どう考えても楽しい」のよな。

試行錯誤できること自体面白いし、ループさせられるスピードの早さも面白いわけ、学ぶための環境は揃っているし、やれることは無数にあるわけよ。

結局さ、AIイラストを楽しめない人は「遊び方」を学ばずに今日まで生きてきた人なんだと思う。

実際結構そういうのって多くてさ、究極は「勝つ」「稼ぐ」「褒められる」「生き残る」の4つにしか興味がないタイプの人。

恋愛をする時に「こういう彼氏がいると他の人が羨ましがりそう」みたいな所から入る人や「世間ではこういう人と付き合うと勝ち組とされている」ばかり考えてる人ね。

まあこれについては、学校社会や親がそればっかり教えて、多くの遊びを「無駄」「将来に繋がらない」で切り捨てたがるのを素直に聞いたらこうならざるを得ないんだと思う。

そういう生き方別に不幸だとは自分も思って無くて、むしろ凄くシンプルで羨ましいとさえ感じてる。

だって「稼いで褒められて生き残ってそれで勝ち」っていう単にそれだけが目的で生きられるんだったら、人生の悩みなんて寄り道しまくって目移りしてる人の半分ぐらいで済むわけじゃん?

まり人生を歩みにおいて有利なわけだから、結局は生き残りやす人達ってそういう人達なんだよね。

からそういう人達が世の中にはたくさんいる。

世の中にたくさんいる人達AIイラストに「遊びとしての楽しみ」を見出す才能、考え方を持ち合わせてないんだから、そりゃまあ結構な数の「AIイラストやってる奴は単に褒められたいだけの手抜きか、楽して金稼ぎたいだけの卑怯者」みたいな風潮も産まれるのかなって。

しゃーないとは思うんだよ。

でもなんつうか、それがこのまま主流になっていくのを見ているのはちょっと寂しいなとも感じるわけ。

anond:20221206090147

単純に面白くねぇんだよなAI絵って

どれ見てもどっかで見たハンコ絵で、エロゲ萌え系にありがちのハンコ絵師より更にハンコ

絵画系に至っては元ネタがモロに出ちゃってる

結局他人パクリ以上のものではない

AIを使って漫画を描いてみたプロ漫画原作者がおったけど、あれも話を作れてコマ割りや演出ディレクションができる才能がある上に完成まで漕ぎ着けられる情熱と根気があるからできた作品だよね

そういう人は多分AIなんかなくても漫画原作者になったり小説家になったりするんだよな

手描きイラストAI生成イラスト関係絵画写真のようなものであって、アナログ筆とデジタル筆の違いではないわな。

写真というもの絵画とは全く異なる新しい芸術の分野を拓いたように、AI生成イラストもこれまでの手描きイラストとは全く異なる新しい芸術の分野を拓いていくだろうし、写真の登場によって写実主義がほぼ淘汰されたように、手描きイラストでも淘汰されていくジャンルは沢山あるだろうが、大局的には手描き技術AI生成技術は全く異なる進歩の道を歩んでいくだろう。

2022-12-04

性教育

クールベの『世界起源』っていう

おまんこじゃん」

しか言いようがない絵画があるんだけど

うそれでいいだろ。

2022-12-03

anond:20221203111645

3Dデータから作成した様々な”正しい”画像学習させまくれば、

そこから外れた絵は正しくないと判断すること自体はできそう

 

仮にできたとしてもイラスト絵画において正しいデッサンを守ることが正しいかどうかは別問題だけども

2022-11-30

環境活動家19世紀以前の絵画より20世紀以降の現代アートに食い物を投げるべきなんだよな

ネット民はアホだし、環境活動家現代アートもどっちも同じくらい嫌いだからどっちに味方すればいいのか分からなくてバグると思う

anond:20221130123451

胸の大きさは性別によって意味が違うからNG

女性で胸が大きいと美しいとかされてるから絵画イラストでもデカ胸ぼよよんなんでしょ。

NGに決まってんだろバカが。周りにちっぱいしかいないかわからんのか。)

2022-11-29

しかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない

自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。

まり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。

でも最近しかしたら実は結構いかもしれないと気づき始めてきた。

ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公ぼっちちゃんギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「本当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。

そんな成長エピソードがあるわけだ。

僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。

例えば僕がぼっちちゃんだったとして、ギターが上手いとしたら(別に自身はひけるわけではないが)、まずYoutubeに上げることがなかなか難しい。上手い人が出てきて、この演奏ダメだとかいわれるかもしれないし、ギターのことを全然わかっていない素人でも「プロの〇〇さんより全然下手ですねー」みたいなことを言われたりしたら立ち上がれなくなりそうなので、まず人に見せることはできない。

家族や友人でも無理だ。

きっとギターとかバンドとかやっていて、理解してくれる人ではないと見せられないだろうなと思う。

そして、そんなに悪意ある言葉を言う人って実は少ないとは思うけれども、でも社会は悪意に満ちているとどこかで思っている。

小学校の頃、信号のない横断歩道を渡るのが怖かった。車が減速することなく、むしろわざと加速して突っ込んでくるとおもったから。

免許証取りたてのころ、車線変更が怖かった。後方の車がわざと加速してぶつかってくると思ったから。

中学の頃学校が怖かった。教師私生活を縛り付けようと宿題を多く出そうとすると思ったから。

大学の頃教授が怖かった。重箱の隅を突っついて単位をくれずに留年させるんじゃないかと思ったから。

学生の頃、就職が怖かった。私生活趣味は悪で起きている時間をすべて労働に捧げるようにわざと上司仕事を振ると思っていたから。

新入社員のころ、彼女がいることを会社にバレるのが怖かった。結婚など守るべきものがあると分かったとたんに逃げ場のない重労働部署に飛ばされるかと思ったから。

結婚たころ、町内会が怖かった。家庭への不当な干渉をするんじゃないかとおおもったから。

20代後半ともなれば、だんたんその不安杞憂だったとわかるわけだが、生まれからずっと他者が悪意を持っているとずっと思っていた。(そして今でもほんのりそれは思っている)

悪意は上司、先輩、社会国家など権威あるものから不条理に降り注ぐと思っていた。

からそれから身を守るために、大学にいったり、論理学を学び屁理屈で言いくるめようとしてくる人から自衛をみにつけたり、歴史外国語を学びちょっと頭がいい風を装ったりした。

まあこの文章を見て分かる通り、そんなに学が身についているわけではない。

僕がいわゆる『理解ある彼氏くん』枠で結婚したのも、妻が権威ある悪意から遠い弱い存在だったからかもしれない。

ただ妻は弱い人間ではなかった。苦手なことはあるが、それを打開するためにいろいろ挑戦している人だった。

気づき

この前妻から一言で、年甲斐もなく泣いてしまった。

悲しいとか辛いとか悔しいとかではなく、涙が止まらなかった。

喜怒哀楽の単純な感情由来であればコントロール可能だ。

だが不可能だった。子どもがいるにもかかわらず、涙が止まらなかった。正直混乱した。

切っ掛けは些細な夫婦喧嘩だった。

僕は相手から言質を取られないように遠回りに外堀を埋めてから話す癖があり、それは人によっては不快な思いをさせてしまう悪い癖だと思う。

夫婦喧嘩で〇〇を言った言わなかったから、過去の違う話まで掘り起こされて喧嘩エスカレートすることもあるので、僕は議題を棚卸して何について話しているのかと責任境界を決めたがる。

それは共感とは遠く、冷たい印象を与えることになるというのは僕は理解している。

だがそれは今回のこととはまた別なんだ

ただその冷たい印象を与えている僕に対するカウンターとして妻が言い放った「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という言葉を聞いて、いままのでの喧嘩の内容なんか吹き飛んで、ただ泣くことしかできなかった。

さいころを思い出す。

僕は大卒だが正直それほどレベルが高い大学ではない。

僕のクソ小さな自尊心は「中堅よりは上だけれどもハイレベルというわけではない」と言いたいが、世間ではそれほどでもないとは思われているだろう。

だが、妻は大学には行っていないので、大学に行く人というのは基礎能力が高いという素朴な期待を持っているようだ。

で、なんであの言葉で僕は泣いたのか。

あの言葉を受けた時、僕の脳内では幼いころの情景がフラッシュバックしてきた。

祖母が「あなたのお父さんはとても頭がいいから。あなたも頭が良いんだよ。おじいちゃんは〇〇賞もとったかあなたもすごいんだよ」とずっと言ってきて僕はそれが誇りだった。

クラスでは物知りで通っていたし、小学生ながら月刊ニュートンを読んでいたのはちょっとしたドヤれるポイントでもあった。

実際父はすごかったらしい。らしいというのは小学生に上がる前に亡くなったからよく知らない。

ただ僕が逆立ちしても入れないような大学にそれほど勉強せずに入ったそうだ。

高校時代にその研究をしたいがために当時の有名な教授がいる東京ではないがトップレベル国立大に入るように勉強していたが下宿代が当時のうちの家計では出せなかったようで、都内のそれでもハイレベルな有名大学にはいった。(今にして思えば子離れできていない祖母が渋ったのではないかとも思うが、)

都内ハイレベル私大にはその国立大先生と同じくらいにその分野で有名な人らしく、それで進学先を決めたようだ。3年の夏まで必死勉強していたが、私大に進路を変えたのでそれからは遊んで暮らしたそうだが、ちゃん合格したそうだ。結構浪人生があこがれる私大だっつーのにね。

そして父は研究者になった。んだが、今の僕の年齢よりもずっと若い時分に死んだ。平成をたった数日しか生きられなかった。おそらく今も生きていたら教授かになってたんだろうなとは思う。実際同僚の人はその大学教授をやっているらしく、何回かテレビに出た時に母が父の友人だと教えてくれた。

祖父自分生業の分野でナントカ賞をとって有名な人とかと写真うつったりしていた。

そんなこんなでその嫡流の僕は変な期待と受けていた。父が若くして死んだこともあるのかもしれない。

人の偉業で褒められる。小さい頃は良かったが、ちょっと分別がつく頃には結構キツイものがある。僕がやったわけではないし、僕が今やっていることは何も評価されていないのだから

母はそんな環境が嫌だったからかもしれない。だから引っ越したんだろう。

女手一つで僕と妹を育てた。とはいっても母も実家が太い系なので相当恵まれて育った。

母は大学を言っていない。研究者と事務の人という出会い結婚したそうだ。

から正直学がないというか、僕の勉強に対して口を出すことに自信がなかったんだと思う。だから僕の好きな分野、科学のことの話し相手になってくれなかったし、成果を評価してくれることもなかった。ただ「難しくてわからない」というだけだった。

僕は生まれてことこのかた賞状をもらったことがない。妹は絵画コンクールで、英語スピーチコンクールで、そして学校選抜された海外派遣なんたらで数多くの栄誉を持っている。

僕は何ももらっていない。歯が綺麗で賞はもらった。絵もうまくない。楽器も弾けない。英語もできない。文章も書けない。ゲームもうまくないし、話もうまくない。モテない。バイト先ではいじられキャラだった。いじってほしくはなかったがただ「要領がわるい」ということでいじられキャラになった。

そう要領がわるいんだ。

ただ、必死になって大学受験をしただけの人だ。

妻は大学には行っていないが、絵が上手い。工作が上手い。それを作って売れるほどうまい創作ができる。

「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という妻が放った言葉で、これらの過去のこと家族のこと妻のこと今のことすべてが分かってしまった。

頭がいいわけないということを分かるのが怖かった。

僕は何者でもないといわれるのが非常に怖かった。僕のアイデンティティは「すごい祖父、すごい父からまれた、すごい子」であり、それが解体されるというのが辛かった。でも僕が縋れるのはその祖父祖母が言っていたそれしかなかった。

凡人であることを誤魔化すべく、頭でっかち知識と、頭がいい風を装っていた。バイト先でいじられても「でもあいつらより偏差値高いし」って思って意識を保っていた。

そして脆い自分を明らかにさせてしま他人が怖かった。

自分がただ怖がっているだけなのに、相手が悪いことをしようとしていると思って、目上の人や教師社会不条理に僕に何かを強いると思っていた。

悪意が逆転していた。自分が向けていた敵意を僕は被害者意識を持っていただけだった。

根拠のない自信をもつことはある意味必要だと思うが、僕の場合はその程度が強すぎたのかもしれない。

自信があることで身を守れると無意識で感じていて、自分に自信があると思い込ませていた。

からつい最近まで僕は自己肯定感が高い人だと思っていた。

全然高くなかった。たった一言で崩れるような人間だった。

恋が多い人生だった

妻に出会うまでは恋が多かった。

だが、モテなかった。

自分から行くタイプではない。ただ悶々彼女が欲しいとずっと思っているような人だった。

小学生からずっと。

今思えばただ自分を認めてくれる人が欲しかっただけかもしれない。

人の話を聞いてみるとそんなに好きな人が何人もずっといるというのは珍しいというのが分かった。

ティーンの頃の僕は恋に恋をしているに近かったが、自信があれば自律できていて、自分肯定(好いて)してくれる人を必要以上に求めることもなかったのかもしれない。

親として

僕はうちの子供には子供自身のことで褒めるように、そしてちゃんと成果をみて、子供興味あることをちゃんと調べて対等に接するようにしようと思う。

幸い子供マウントを取るようなことはしなかった(とは思う。自分の中ではないと思う。わからない。不安だけど)

うちの子昆虫とか生物かいろんなことを僕に教えてくれるし、僕も飼育について聞いたりしている。

僕がしてほしかたことをしている。きっとこれでいいはず

いまだに敵意は怖い

それでも人は怖い。

能無しとも思われたくないし、趣味に口も出されたくない。

変なアドバイスを受けたり、干渉されたくもない。

でも実は友人が欲しい。

そんなこんなで引っ込み思案なまま大きくなってしまった。

ぼっちちゃんみたいに何か自己表現でもしたらまた何か変われるかもしれないな。

この話を誰かに話して気持ちを楽にしたい

理解ある彼氏くん枠』で結婚したということを話したが、つまり妻はある精神的なハンディキャップを背負っているので僕がいろいろサポートしているところがある。

ただ僕はいろいろ限界が来て喧嘩してしまうことも多々あるけれど、それでも日々は平和だ。

つきあっていたころのままの関係性が続いているし、手をつないだり、二人で出かけたり、一緒に遊んだりすることもあの頃のままだ。

だが、妻は僕に守ってほしいという気持ちが強く、僕が弱いところを見せてほしくないと思っているところがある。

僕があの日泣いたとき、なぜか怒られた。「泣いたら私が悪者じゃない!!」って

僕はさすがに謝罪した。「さっきの喧嘩の流れとは別の件でないている。あの話とは別なんだ。個人的理由で泣いているだけなんだ。(まだ自分でもなんで泣いているのかもわからないので)なんかわからないけれど心の柔らかい場所が反応したような感じがして」とまあそんな感じで伝えたんだけれども

ただ「あなたが泣くと困るからやめて」という。

妻は毒親サバイバーでもある。だから過去の辛い話などを聴くこともあるし、その段階で妻が泣き出すこともあるので、そういう時は抱きしめたりして、そうすると落ち着いて、妻はそういう関係が好きらしい。

実は僕もそうしてもらいたいと思っているが、逆の立場にはしてくれないようだ。

僕も誰かに依存したいが、僕は生涯の伴侶は妻だけだし、妻以外に心を開くのはどこか浮気のように感じてしまい、正直無理だ。

そんな行き場のないこの気持ちを吐き出せるところはどこにもなく、

トイレ便器にはなしても/dev/nullに投げ出しても、どうしようもないので、ネットに放流して誰かにまれることで慰めることにしよう。

深夜のテンションで書いたものが上位にあがっていた。

皆、読んでくれてありがとうございます

深夜のテンションで書いたものホッテントリに上がっててびっくりしていたのと、

そしてまた悪い癖でこの世に悪意しかないとおもっていて、「絶対炎上している」「きっと、『お前は恵まれている癖に何いっちょ前に気取った悩み装ってるんだよ』みたいなコメントがたくさんあるんだ」と思って開くことができませんでした。

でも100件以上ついたら、気になって仕方ないので思い切って開いてみたら、なんとまあ善意ある方が多いこと。

ありがとうございます

また厳しめの人もきっと善意による発言だと理解するように努めます

2022-11-28

anond:20221128171157

『水浴する女』(蘭: Badende vrouw, 英: A woman bathing in a stream)は、オランダ黄金時代巨匠レンブラントファンレインが1654年に制作した絵画である


ジャップ宝塚という町では、今でも『裸婦像は芸術か』の議論をやっているらしいよ」

「へー」

娘が「カラダ探し」を読みたいといった

小学校二年生の娘

個人的には何にも規制せずに見たいといったものを与えたいと思っていた

鬼滅の刃も見たいというから見せてたし、呪術回戦も見せた

約束のネバーランドもすごく気に入って読んでいた

絵画に興味があるから印象派の本も与えているし、エロめの西洋絵画も気にせず見せてた

それこそ「世界起源」も載っている本も与えている

しかし、「カラダ探し」は増田自身も読んだことあるけど、とりあえずグロく殺すシーンを描きたいだけみたいな、ただの悪趣味漫画しか見えない

これを今の年齢で見せていいんだろうか、とちょっと悩んでしまった

色々な注意点があるけど、あなたがそれを理解するなら禁止はしない、とは言った

でも妻に見せると、妻は即答で、やめときなさいよ、みたいな感じになって娘を諭していた

結果的に娘は諦めることになったんだけど、これでよかったのかな、と少し気になっている

なぜダメなのか、という話は少し娘にした

炭治郎はむやみやたらに鬼を斬り殺して喜んでいるわけではないでしょ、と話した

鬼のことも憐れんで、大切なことのために戦っているでしょ、そういうのがあるから人を斬るシーンがあっても、正しく見れると思うんだ

でもこれはそういう大切なものはなくて、ただ人が殺されるのを楽しむ漫画なんだよ

あなたは今スパイファミリーみて、アーニャの真似してピーナッツ食べてるでしょう

今のあなたが「カラダ探し」を読めば人を殺すこと、人が死ぬことに興味を持ってしまって真似したくなるかもしれない

そしてそれは良くない趣味だ、というのはわからないといけない

あなた自分状態コントロールする意識を常に持てるようになれば、読んでいいよ

今でもそれができると約束できるなら構わない

みたいなことを伝えた

娘がちゃん理解したのか、読めなかったことに納得できていないのか不満なのか、正直よくわからない

これでよかったんだろうか

2022-11-25

お絵かきAI育児活躍 “無限塗り絵”に4歳も夢中

 「Midjourney」「Stable Diffusion」など、テキスト呪文)を入力するだけで、イメージに合った美しい絵を出力してくれるお絵かきAIが、にわかに盛り上がっている。

 描き込まれ絵画調の作品や、アニメ風のイラストなどに注目が行きがちだが、他にもさまざまな可能性が広がっている。例えば、子供用の塗り絵無限に生成する、などだ。

 「Midjourney」や、その派生版「niji・journey」で、さまざまな作品を作っているブロガーのkobeniさんは、これらを使って線画の"塗り絵”をたくさん作り、記者の娘(4歳)にプレゼントしてくれた。

 娘は、プリンセス塗り絵に「かわいい」と大興奮。色鉛筆を手にとり、夢中で塗っていった。

これは良いな

塗り絵の本1000円とか買うのばからしくなってくる

2022-11-22

ちょっとゲーム休みしたい増田住まい多師御簾屋ムー気トッョち(回文

おはようございます

スプラトゥーン3のシーズン1のうちに

セブンファイブオーライダーの熟練度星5つ行けるか目指して目前待ったなし!なんだけど、

どう見ても今月中のシーズン1のうちには達成厳しいわね。

って私がこまめに研究している熟練度達成目標スプレッドシート折れ線棒グラフレーダーチャート指数グラフがそう言っているのよ。

まあぼちぼちやるわ。

でもさ、

これもしかして

セブンファイブオーライダー改とかって新しいブキ出てきたら最初から?って思ったけど、

バッジはもらえるから

どちらにしろ

新ブキでても私はとりあえず達成さす目的があるのでまずはそこよね。

とうか、

ロブの旅シーズン2はちゃんシーズン2に新しい旅がジャーニーするのかしら?

センチメンタルわ!ってなんでやー!ってツッコまれそうだけど

かにロブの旅も楽しみにしているんだけど、

もしシーズン2始まったとしても

塗りポイントまりまくりまくりすてぃーなので

瞬殺で全部コンプリートできそうな季節だと思うわ。

カタログもあれ景品椀飯振る舞いじゃない?

おかげでギア買うことないわ。

ほとんどそこでもらえるギアが使わないまま増えていくばかりで、

あれ要らないギアは何かに交換か売却かどうにかして欲しいギアのページが何ページにも渡ってめくるのが面倒って話もあるわね。

ちょっと話し変わるけど、

ポケモンの新しいヤツ出たじゃない?

あれって私が今までポケモンの道を通ったことが無いからとりあえず流行のものだしやってみよう!って

ポケットモンスターアルセウスやってみたた話しはここでは有名なんだけど、

これ私が思っているポケモンと違うくね?ってあんまりポケモンポケモンしていないというか、

なにがザ・ポケモンなのかよく分かっていない私でも

なんかこれ違うポケモンなのかも?って思ってあまりにもポケモンの印象がアルセウス一色になってしまうところよ。

チラッと見た新しいポケットモンスターサンドイッチが作れると言うことで、

ああ!私の嫌いな調合系のアイテムの素材を集めてきて自分で作るヤツのタイプだ!って

この調合って私苦手なのよね。

それに重きを置いていないので、

どんどん戦って先に進んでいきたいタイプなのよね。

でも美味しいサンドイッチが作れるなら、

またポケモン再チャレンジングステージ突入してみる?って

私は私に問いかけるべく

ソフト交換チケットがあと1枚余ってるのでここぞとばかりに交換できないこともないんだけど、

あんまりポケモンってってファーストインプレッションの印象があまりにもアルセウスだったので、

飛び込み前転は出来ることは唯一意気投合出来るところだけど、

うーん、

これまたポケットモンスターで失敗したくないわ!って一抹の不安が与一の矢のように私の胸に刺さって気になるのよ。

でも私は今忙しいから!

スプラトゥーン3やんだもん!ってスゴい意気込みでってところは分かって欲しいわ。

いまやってるテレビシーエムがキル取れなくても塗りで頑張っている私みたいな女の子が登場しているんだけど、

かつてのかつてまくった

私のスプラトゥーン2の時は

何が何だか右も左も分からないって言うのは言い過ぎだけど、

何していいかからなかったので

ただひたすら塗る!って事に命を賭けていたところがあって、

つのところに一所懸命だったの。

から私のスプラトゥーン2歴の1番使っていたブキはカーボンローラーなのよね。

軽くて速く塗れるところがいいのよ!

から私は最初は塗りまくっていてチームにあのようにシーエムで貢献していた懐かしい日々を大黒摩季さんの歌のようにラララって思い出すニオイがしそうな夏だったわ。

でもなんか勝てなくなって何だかなあ?って阿藤快さんばりに思っていたシーズン

これキル取れないと勝てなくない?って多分気付いたんだと思って、

ジェットスターからセブンファイブオーライダーにってブキ遍歴なのよ。

一言でここまでまとめると、

あんたもナナって名前なんだね!の一言で集約されてしまいそうな私の名前はナナではないけど、

そのぐらい木の実ばりにそう思ったワケよ。

ポケモンサンドイッチつくりは楽しそうだけど、

それに釣られてポケモンゲッツするわけにはいかないので、

多分私が思っていたポケモンはきっとそう言うことで縁が無かったと思うんだな。

から気が向いたときにはせめてもの供養として

アルセウスだった私の頃をクリアして全クリ出来たらなぁって思うの。

ほったらかしにしていたドラゴンクエストVと同じぐらいあんまりやる気が無くて大変申し訳ないんだけど、

たまに起動するDSマリオカートには未だにオンライン対戦者がインターネッツ世界の中に閉じ込められている襟裳岬よりかは何かがある!って何年前のマリオカートなんだよ!って

大貫妙子さんの例のメトロポリタン美術館絵画の絵の中に閉じ込められた人のようで、

私が対戦して勝ってその人たちを救い出して解放してあげる!って使命感に駆られるこの話も何回もしてるんだけど、

古いゲームに人がたくさんいるってなんか恐怖を感じるそのホラー感があって、

たまにするDSマリオカートも乙なもんよね。

ゲーム買うのはいいけど、

クリアしないでほおって置いて放置しておくのが一番申し訳ないのかもしれないし、

自分自身へ課しているとはいえ

たまには気分転換に他のゲームでもしてスプラ休みが欲しいわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドしました。

久しぶりな感じがするハムタマサンドかも鴨鹿。

なんだか、

寒いのか寒くないのか、

なんだかちょっと暖かい気がしている気もするけど

油を断つと風邪を引くからストーブは油を切らさないよう消さないに限るわね。

デトックスウォーター

グレープフルーツ搾りレモン炭酸ウォーラーにインした

グレープフルーツ炭酸レモンウォーラーに冷え冷え冷たい感じが目が覚めるわ。

かいものが冬中心になる温活にも完全にそろそろシフトかしら?


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-21

anond:20221121110934

「多数が高評価するものが正しい」という視点にたっているけど、それはそれで傲慢さがある。美しさは一定普遍的ものではなく、時代地域環境で変化する。その基準は、必ずしも多数決的に決定するものではない。評価の積み重ねではあるかもしれないが、一部の突出した感覚が先行するケースがある。

たとえば印象派絵画は発表されたときに散々な評価だったわけだが、今ならどこの美術館でも人を呼べる人気と実績だ。

評価基準多様性が、未来審美眼形成する。

知らんけど。

「まるで絵画のような」

https://twitter.com/search?q=まるで絵画のような

どいつもこいつも

まるで絵画のような

まるで絵画のような

まるで絵画のような

まるで絵画のような

まるで絵画のような

まるで絵画のような…

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-13

20221113[アタック25]Next 2022年11月13日 60代大会 2022-11-13結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

10月からの本放送は1時「25」分からで「65」分枠に

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [絵画の作者の名前]モネ

・02 アグネス・チャン

・03 秋の夕暮れ

・04 17(歳

・05 竜田(揚げ

・06 [すべて][4つ]カリフォルニア テキサス フロリダ ニューヨーク州

・07 C

・08 松本伊代 まつもといよ

・09 R:狩野(派 かのうは

10 [近似値]90526(人

11 へそ

12 [英語で]パラシュート

・13 小栗旬 おぐしゅん

・14 [択]ブルゴーニュ(地方

・15 [略さず]ティラノサウルス

・16 『スリラー

17 室井滋 むろいしげる

・18 [頭文字]おちば

・19 テニス

20 原ゆたか はらたか

・21 2(番

・22 [AC]北大路欣也 きたおおじきんや

23 ひどく)赤面(した

24 [3択]エディンバラ

・25 エスプレッソ

・26 『勧進帳』 かんじんちょう

・27 カナダ

・28e 1)メートル

・xx [ある国の名前]フィリピン

2022-11-12

絵に食いもんぶっかけてる活動家

既存の有名な絵画食べ物ぶちまけて理解を得るどころかひんしゅくを買っている活動家提案

有名な美術館に真っ白なキャンパス掛けて、その前に立って拳銃自殺ってどう?

まさしく命をかけた作品ができあがるし、本気度合いも伝わるよ。

あ、片付けばちゃんと仲間でやろうね。

そこまでやりとげればみんな見てくれるよ。

……なーんて言って本当に実行されたら俺は教唆犯になるのかな。

anond:20221112083223

昔、イラスト通信講座あったね。無料診断で絵画センスを問うような問題をやって才能有りって評価きたけど。Twitter関西弁テストレベル信憑性は、曖昧

2022-11-09

知恵袋絵画カテで評価を求めると手直ししたイラストを貼って来る奴までいるんだが、ああいう奴にとってもケチのつけようがなくて自分ときが手直ししようとしたらかえって悪いものになると添削を諦めたパターンもあるのかね。

でもなあ膏薬はどこにでもつくとかいうし、ああいう奴らってセルラン1位のソシャゲ絵師にも平気でケチつけそうだよなあ

2022-11-08

なんで全然違うものをいっしょくたにするんだろ

環境問題を訴えるためにゴッホ絵画スープをかける事に否定的感想を持つ日本人沖縄基地反対の座り込み運動にも否定的だって決めつけをよく見掛けるけれど

えーー?それらって全然違う問題じゃない?

自分左翼を自認しているし、反原発安保反対のデモ沖縄基地反対運動での座り込みなどは普通に支持してる

だけど絵画スープをかけるのに対しては否定的感情以外湧かないんだけど…

政治家大企業に向けてデモ意思表示をするのと、何ら関係のない絵画毀損するのって全然別じゃない?なんで全く違うものをいっしょくたにするんだろうか

環境問題に注目させるためにスープ絵画にかける人種って、ペットボトルキャップベルマーク集めて寄付する行為意味があると信じてる人種と同じなんだろうな

要は、小学生からなんも学んでないか、そういう病気

anond:20221108175128

やめさせたいなら正しいアクションを教えてやればいいじゃん。

から皆「少なくとも絵画を汚損するのは間違ってるから止めろや」って言ってんじゃないの?

知らんけど

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