はてなキーワード: 絵画とは
アラサー(20代後半)なのに高校に編入し、つい先日その高校を卒業した者です。
最近疑問に思うことがあったので、ここに書き込むことにしました。
疑問というのは、週刊少年ジャンプを刊行している集英社さんがWEBTOONに参入しないワケです。
僕が高校に通っている間、ジャンプの作品の話をしている学生は一人もいませんでした。
と思われるかたもいるかもしれませんが、それもなかったです。というか、紙の出版物だったら話題にのぼることがない感じ。
部室にジャンプは積まれていないし、小説や新聞、週刊誌の話題も滅多にでてきません。
時事的なネタが話題にのぼるときは、大抵の場合LINE NEWS経由でした(ヤフーニュースのアプリをつかってる人がいない!)。
時事的なこと以外で話題にのぼるのは、ゲーム(パズドラ、原神)、アイドル(ほぼK-POP)、VTuber(企業勢)です。
ちなみに、彼らはマンガを読んでいないのかというとそうでもなく、ピッコマやLINEマンガを使っている学生は多かったです。
彼らの親(おそらく30代から40代)とあう機会があったのですが、マンガを読むために利用しているアプリは似たような感じでした。
アプリ内で読んでいる作品は親世代だとまちまちで、学生のほうはというとWEBTOONが多め。
僕はジャンプが好きなんで「少年ジャンプ+」を勧めてみたこと(2021年ごろ)があったのですが、かなりしょっぱい反応が多かったです。
文字のサイズに関してはスマホで読みにくいならパソコンで読めばよくね?と思ったこともありました。だけど、最近の若者はパソコンをもっていないそうですし、彼らもそうなのかもしれません。
ちなみに、ゲーム機やタブレットも持っていません。だけど、iPhoneは持っていますw
で、その後も彼らといろいろ話したので、彼らのイメージするWEBTOONとマンガの特徴についてまとめてみました。
縦にスクロールしてページを進める。
ふきだしは上から順番に読む。
スマホで読みにくい。
ふきだしは右端から順番に読む。
ピッコマの「待てば無料」がフィーチャーされすぎた結果、韓国勢のマンガアプリが成功した本質を見誤っているような気がしました。
たしかに「待てば無料」というビジネスモデルは出版巻数の多い日本のマンガと相性がよかったのかもしれません。
だけど、若者(ここでは十代を指します)にWEBTOONがウケているのは、「タダで読めるから」だけではないと思います。
ちなみに、僕の母(60代半ば)にも少年ジャンプ+を勧めたことがあったのですが、LINE マンガへと帰っていきました。
そして、今の若者の声、母の感想を聞いて、ふと思ったんですよ。
なぜ集英社はWEBTOONに参入しないのだろう?と。
紙中心のビジネスモデルを構築しているのは知ってます。だけど、せめてWEBTOON用のアプリをリリースして、旧来のマンガとWEBTOONの両輪で商売したほうがいいのでは?
旧来のマンガ(デジタル&紙)、WEBTOON(デジタルのみ)みたいな感じで。
「少年ジャンプ+」以外にも「ゼブラック」「ヤンジャン」「マンガMee」「マワシヨミジャンプ」をリリースしているんだし、WEBTOON用のアプリをリリースする企業体力ってありそうな気がするんだけど。
集英社がWEBTOONに参入しない理由を知っている人がいましたら、ぜひ教えてください。
>>jou2
集英社オタクやってるが「フルカラー漫画」は販売してるのなら大量にあって俺が最近買ったのだとドラゴンボール超、シャドーハウス、ゴールデンカムイ、封神演義、HUNTER×HUNTERとかがある。タダで読ませろはありえんよ
僕の書き方が悪かったのかもしれません。すみません。
フルカラーのマンガをタダで読ませろ、と言いたかったわけではないです。
・思春期なのに、週刊少年ジャンプやサンデー、マガジンを読んでいない集団(個人ではない)や世代が出現している。
・その集団や世代は様々な事情(お金、美的センス、老眼、回し読み文化の消失)から、旧来の形式のマンガを読む機会がない、あるいは読めない。
・だけど、WEBTOONは読んでいる。
ということです。
そして、経済的な読みづらさ(有料、回し読み文化の消失)は解決できないにしても、機能的な読みづらさ(文字が小さい、絵が汚い)は作品の形式を変更するだけで解決できるのだから、やればいいのにね、と思ったわけです。
学生たちとの会話で出た言葉をそのまま書いたので、重要なことが抜け落ちていました。
僕が話した学生たちのいう「絵が汚い」って、「画力が低い」という意味ではなく、「読みづらい」「視認性が低い」「識別性が低い」という意味です。具体的には、キャラクターの線を整理して視認性をあげておかないと、「絵が汚い(落書きみたいだ)」と感じるようです。
「絵が汚いよね」
そうかな?キャラクターの書き分けはできてると思うけど……。
「線がごちゃごちゃしてるし、影みたいなものがついていて読みにくい」
書き込み量スゲー!、とは思わないの?
逆に、彼らのいう絵が綺麗、上手いってどういうものを指すかというと、シンプルな線で書かれた視認性の高い絵(つまりカラーのイラストや、エロゲの絵のようにパターン化されたもの)になります。つまり、Twitterでバズっているようなイラストですね。
どうして集英社はWEBTOONに参入しないの?と僕が疑問に思った理由、これで伝わるといいなぁ。
>>msukasuka
私は高校卒業直後の専門学校の子達の話を毎年聞く機会あるけど逆だなあ…誰もウェブトゥーンを読んでない。思ったよりもコンサバ。なんの違いだろう?
マスク着用の義務化で会話が減ったり、友達と遊びに行くことが減ったり、部活動の休止や修学旅行の中止によって一つ、二つ上の世代(先輩)と文化的な隔絶が生じたんじゃないかな。
先生も、コロナが流行ってから学生の周りのもの(見るもの、読むもの、聴くもの)は全部変わったといっていました。
僕の周りの話ですが、コロナ前はアニメのMADや『フリースタイルダンジョン』、YouTuberの話ばかりしていた人たちが、NziuやBTS、Jo1、インスタのインフルエンサー、TikTokerの話をするようになったので、コロナ禍の影響ってすごいなと思いました。
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/221107g
この日記への返信で教えてもらった電ファミの記事なんですが、公開日がなんと今日!タイムリーすぎる。
集英社がWEBTOONに消極的な理由がなんとなく伺える記事でした。
めちゃくちゃ重要なことを書き忘れていた。
僕が通っていた学校、夜間学校なのでバイトしている学生さんの率がめちゃくちゃ高いんですよ。
コロナの陽性になった人の濃厚接触者が生徒の中から見つかったとき、全校生徒は即時下校するようにと学校側から指示があったんですが、授業後に帰宅せずにバイトに行く生徒が多かったので、その日はそのままバイト先にいっていいのかわからない生徒で校門前があふれかえるほどでした。
夜間学校、バイト、とくれば、貧困のイメージがあるかもしれません。
だけど実際は程度に差はあれ、経済的に自立している子が多かったです(使えるお金があるだけで、金銭的に恵まれているというわけではない)。
そういう特徴がある界隈での話でした。
本音を言うとそろそろ人生の中心となるような趣味を見つけたいんだよね。
必須要素としては
・自分が成長する要素がある
・生産性がある
・1人で出来る
・肉体的な才能が不要
・金がかからない
辺りかな。
あと人と関わるのは絶対にムリなので1人で完結したい。
ただ消費するだけの娯楽はいい加減飽きたのでやりたくない。
なんで旅とかグルメは違うんだよな。
他人や自然が生み出したものじゃなくて自分でなにか作る側になりたい。
なにより重視したいのがやることで自分のスキルに成長があるようなのかな。
だから盆栽みたいな自分以外のが育つだけで自分はあんま成長しないようなのはアカンの。
んでそうなるともう「小説を書く」ぐらいしか残らねえんだよな……。
でも小説を書くなら他人の小説も読まないと表現の幅が伸びないじゃん?
読むのに使ってる時間の割合で大まかに 漫画:技術書:技術以外の勉強:雑学:小説=6:2:1:0.5:0.5 って所かな。
小説1冊読む間に漫画50冊ぐらい読んでるんじゃねえかな実際。
じゃあもう漫画描けば良いって話にはならなくてさ、俺絵が全然描けねえんだ。
おーなるほど俺も一度考えたわ。
でもあれってガチャ1回10円弱するんだよね。
100回回したら1000円になっちゃうしガチでやりだすと意外と高くつきそうっていうかね。
あとそもそもの話だけど、俺あんま呪文の勉強は合わんかったんでやりたくない。
もっと言うとさ、半端に漫画っぽくするぐらいなら文章のほうがわかりやすいし、筆者の個性とかも出てまだマシじゃん?
勉強の本で雑に出てくる漫画とか、ドラえもんの学習漫画みたいな、文章で書いたほうがまだ面白いし分かりやすいんじゃないかって漫画にしかなりそうもないわ。
いやぁ~~~どうっすかな。
割り切って他人の小説読まずに小説書くか、他のを探すかだが……。
MMOとか艦これとかで自動的に狩りやレベル上げするためのマクロ作る奴。
どんどん効率化していくのが楽しくはあったんだが、クッキークリッカー系でそれやったら結局俺はゲーム側をハックしてなくてハックされる側にすぎなかったんだと痛感して飽きちまった。
創作やりたいってのも、ハックする側に回りたいって願望があるんだと思う。
他人が望むままにコントロールされてやるのって、会社で働いてると嫌というほどやってるし人生の前半ひたすらゲームでそれやってるから食傷気味なんだよなあ。
こういうときコミュニケーションが得意なら人を育てるのが楽しいんだろうけど、俺は生憎コミュ障だから直接人間と関わりたくねえんだわなるたけ。
いい趣味知らねえか?
ゆーて一日5分HIITやるだけだがな。
midjourneyやNovelAIの登場でAI絵師という存在が話題になった。
なぜなら彼らは続けられないからだ。
確かにAIの絵はそれ単体ではかなりレベルが高い。プロのイラストレーターが描いたものと言われてもほとんどの人は気づかないだろう。
例えばpixivでは、AI絵師アカが背景までしっかり描かれた絵を一日に一枚以上のペースで投稿している。
絵がインフレすると絵の価値だけでなくそのアカ自体の価値も下がっていく。
あるAI絵師アカは支援サイトに誘導しようとしていたが、一日に完成絵を一枚以上投稿する人が支援サイトで何を提供するんだろうとちょっと笑ってしまった。
今はAI絵が話題だから、その熱に動かされている部分もあるが、それもあと2か月ぐらいだろう。
3か月前にmidjourneyの絵がtwitterであふれていたが、今ではほとんど見なくなった。
NovelAlもそうなるだろう。
大量に生産することでインフレ化し、話題としても冷めてしまうことで、AI絵師は承認欲求を満たせなくなる。当然、お金も得られない。
特別絵に対して思い入れのない人間が、反応も得られないし金も稼げないのにAI絵師活動を続けられるだろうか?
AI絵ブームが落ち着いた後も生き続けるAI絵師は2タイプが考えられる。
AI絵ブームが去っても、ごく少数は何かにとりつかれたように絵画生成の呪文を研究し続けるだろう。
そういう人たちは、私たちに見たことのないAI絵を見せてくれるのでブランド化していく。
AI絵と明示せず投稿数を絞りながら人力絵師に擬態するAI絵師。
この二つ以外は続けられずに消えていくと思う。
バカには難しい話だと思うけどAIが自分の絵柄で作画してくれるって話やぞ
ただ便利な筆が出たってだけや
日本でブっ叩かれてサービス停止したヤツ以前にとっくの昔から模倣して絵を描くAIはある
2021-10-01 (https://anond.hatelabo.jp/20211001190952#)
まず現状のAIで同一人物が描いた絵かを判別させるのは可能だぞ
いっさい仕組みを理解していなくても膨大な学習コストか金銭的コストさえ払えればできるよ
日本絵画の絵師の流派を判定する人工知能(AI)が登場した。源氏物語を描いた絵画の中に、わずかな差異を見つけ出し、95%以上の精度で専門家と同じ判定を下すことができた。人間が知らない特徴をつかんでいる可能性も判明。AIが専門家の目を超える日も近そうだ。
https://www.sankei.com/article/20180616-UQIQWCVYDFJXNO6YUUPRPIWVZM/
見分けることが出来るのだから当然描くことも出来る
Microsoftとオランダの金融機関 ING グループ、レンブラント博物館、デルフト工科大学などが協力して施行されたプロジェクト「The Next Rembrandt」です。
この問題提起の面白いところは音楽と絵画の解釈と受容の違いだと思う。
あとは自分で歌詞を入力して初音ミクに歌わせれば一応の「オリジナル曲」ができる。
これが許されるなら、AIの描くイラストに対する拒否反応はなんなのかって疑問が出るのは普通だろう。
原因の一つは目に見えるモノは誰にでも分かりやすいという点があるんじゃないだろうか。
音楽は素養のある人でないと判断しづらい。好きか嫌いかくらいは誰でも言えるが
ところがイラストは誰でも見れば好みに上乗せしたもっともらしい批判が可能になる。
もう一つは完成までに手間がどれくらいかかるかという点。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6441663
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/338
"ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で" というなかなかに衝撃的な見出しにそそられ、この環境団体について調べた。元々は、「額縁にボンドを手でくっつける」という抗議活動を行なっていたらしい。文化と政治は密接に繋がっている(らしい)ので、文化施設を抗議活動の主戦場として選んだようだ。その、恐らく過激派の環境団体の中でも、更に過激派が行ったのが今回のトマトスープ騒動だろう。
"アートのひまわりは大事にするのにリアルの(温暖化によって失われゆく)ひまわりは大事にしないのか"というこの団体の主張は、私個人として極めて面白く感じる。その通りだと思う。ただ、主張する相手(もの)が違うのではと思うが。
ボンドで手をくっつけるパフォーマンスの際に、実行している環境団体メンバーと美術館のスタッフが心を通わせた、という文が下のニュースに書いてある。
額縁だって木から作られているわけだからある種自然の産物と言えると思うのだが、それはボンドで傷をつけても良いのだな、と思った。あと美術館のスタッフも、額縁は傷つけられても、そこまで痛手に思わないんだなと思った。
つまり両者にとって額縁はモノであるのに対して、絵画はモノではない。
同じように、環境団体にとって環境はモノではない。守るべき大切なものであって、だからこそ抗議活動をしている。然し多くの人、或いは政治家にとって環境はモノ、言い換えればリソースである。
環境という一つのものに対する解釈の差で、こういう騒動が生まれているのかなと個人的に思った。
こうした解釈の差、あるいは考え方の差を埋めるためには、対話が必要であり、その過程で共通前提を作る必要がある。つまり、ここまでは認識が同じで、ここからは認識が違う、という思考における線引きが求められる。
環境団体と政治家に必要なのは対話であり、器物を損壊する事ではなかった。イギリスの環境団体はあの手この手で、なんとか社会的なムーブメントを作ろうとしていた訳だが、どうにも空回りで終わってしまうのかなという感がある。
目を大きく描くことや美的感覚が生理的なものだというのは一つの解釈で
幕末くらいだと西洋の肖像画みたいな目の描き方は「大きすぎ」と捉えられたとか聞いたことがある
コンプレックスどうこうはどうでもいいので最近思いついた自説をメモっておく(車輪の再発明かも知れない)
目に対する生理的な反応としては視線の意識はよく知られているし実感しやすいと思う
好き嫌いは別として視線に対して、目を合わすなり視線を外すなりは動物でもよく行うコミュニケーション。
これを鑑みれば、目を大きく描くというのは眼力・目のベクトルを大きくするということ、
つまり単純に読者などの受け手により強く意識してもらうための表現だと言い切ってもいいのでは。
モブの目・瞳を小さく描き、主要な登場人物の瞳や目は大きく描くこと、
より視線を感じる方をよく見る、より大きい方をよく見る、