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はてなキーワード: 早慶とは

2020-10-09

医科歯科入試女性差別より酷い早慶入試女性差別を知ってくれ

よほど馬鹿じゃない限り全員持ち上がれる付属高校に入れる男女の数の差に誰も触れないのは何で?

男子校ばっかりで女子校全然ないよね。

早慶MARCH入るのには高校から入るのが1番楽だけど、女子男子に比べて圧倒的に入り口が狭い。

実際に進学塾大手早稲田アカデミーでも女子選抜テスト早慶目指す上位クラスに入るためには、男子より何十点も高い成績を取らなきゃいけない。

これめっちゃ女性差別じゃない?

早慶MARCHもっと女子付属高校入学者を増やせ。

自分の足元にある男女差別に気づかないで、リベラルごっこに勤しむご立派でおハイソ大学教授様を見ていると吐き気がする。

Twitter菅政権の男女比批判して承認欲求満たす前に鏡見たほうがいいんじゃないですか〜???

2020-09-24

真剣に、学歴の高い低収入の顔のいい男しか愛せない。私より(少なくとも同じ年齢の時に)年収が高いとかめちゃくちゃプライドが傷つく。

そして教養はあって欲しい。中身すっからかんじゃ困る。ハーバード出ろとは言わないけど、文化資本のある家出身の早慶くらいはマスト。出来れば東大

そして何より大事なのは顔。好みドンピシャ正統派イケメンじゃないけど、とにかくエロい好みの切れ長フェイスじゃなきゃ無理。

逆に体型は168以上あって顔が著しく崩れてなければBMI値が肥満でもいい。

でもそれにドンピシャな男は大体性格クズ。もう恋愛はいいかな。

真剣に、学歴の高い低収入の顔のいい男しか愛せない。私より(少なくとも同じ年齢の時に)年収が高いとかめちゃくちゃプライドが傷つく。

そして教養はあって欲しい。中身すっからかんじゃ困る。ハーバード出ろとは言わないけど、文化資本のある家出身の早慶くらいはマスト。出来れば東大

そして何より大事なのは顔。好みドンピシャ正統派イケメンじゃないけど、とにかくエロい好みの切れ長フェイスじゃなきゃ無理。

逆に体型は168以上あって顔が著しく崩れてなければBMI値が肥満でもいい。

でもそれにドンピシャな男は大体性格クズ。もう恋愛はいいかな。

2020-09-15

anond:20200915102811

正社員で働けないか派遣してるんだよ。

 

Fランク大学に行く学生に、Fランクじゃなくて早慶じゃダメだったんですかって聞くようなもの

2020-08-28

学歴(勉強できた)自慢がご法度であるつの理由

学歴アレルギー

この前ツイッター

「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と

つぶやいていた御仁がいた

言いたいことはわからんでもない。

でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。

学力試験は全国民参加の強制レース

2019年大学進学率は53.7%。

全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチ勉強して進学する訳でもない。

それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。

勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶駅弁March(最近Smartなんだっけ?)・日東駒専なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識存在する。

そりゃ、義務教育高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である

ある意味しょうがないって言えばしょうがない。

でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。

シグナル(フィルタリング)としての学歴

紙切れ一枚に夢託す

サインコサインなんになる

受験戦争過熱していた受験生ブルースの一節だが

実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単判別できるものではない。

そんなの、みんなわかりきっている。

わかりきってるし、学歴信仰偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。

でも、実際の所はどうだろう?有名企業就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。

場合によっては、就職後の研修まで大学ランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である

もちろん、これにもある程度はちゃんとした理由はある。

学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。

人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。

これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。

(優秀で高学歴増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)

そして学歴コンプレックス非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである

人生の早期における進路決定

増田のような過ごした田舎公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。

就職やその後、たかテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。

もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。

そうした意識学歴コンプをよりややこしくする。

働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。

が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。

特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。

結婚育児職場責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。

④家庭環境出身地などにおける格差

そして、学歴の獲得は所得の再分配、などと言われながらも、

なんだかんだで家庭環境出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである

文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したこと記憶に新しいだろう。

だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校進学校の多い都市圏で暮らすか否か

これが学力に大きく影響するのは残念ながら事実なのである

都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。

その試験突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。

そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。

無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイック学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。

だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である

そして、何よりデリケート問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。

ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、

境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。

IQ学力相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように

勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。

増田スポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。

スポーツが苦手なのは子供の頃からコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。

勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に

そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である

加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難話題である

2020-08-27

国公立大学医学部で一番入りやす大学徳島大学である。倍率2倍。

国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科

私立大学学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学学費は年間52万円ほどと格安

奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学卒業することも可能

医師国家試験合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。

もちろん年収1000万円超えも約束される。

そんなバグった好条件の大学競争率が低いわけがない、

当然多くの高校生国立大学医学科を目指す、

中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....

そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部存在する。

タイトル通り徳島大学である

それではその理由について説明していく。

今回は徳島大学医学科に入りやす理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。

それでは始める。

まずはボーダーを見ていこう。

パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。

センター試験合格最低点が

2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である

二次試験

2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である

ボーダー」という言葉について考え直そう

ボーターとは合格者平均という意味である、つまり大体

合格者のうち、順位が半分の人の点数である

ボーダー記述が間違っていますね。

ここで出したデータ正真正銘合格者平均(ソース徳島大学)です。

ボーダー自体境界意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります

(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格不合格割合が50%になるセンター試験得点ライン」らしいです。)

体感ですが、B判定が出る点数が合格者平均に近いです。

色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。


実際の集団で考えればわかるが、

集団の半分の実力を持つというのは、大学受験合格するに際しては必ずしも必要ではない。

逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合かると考えていい。

実際に合格不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である

それを踏まえた上でセンター試験の特典について考えてみる。

最低点が80%、これは国立医学部では異常なほど低い

他の大学では大体82%はないと受からない。

驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである

割合でいうとセンター9に対して二次試験が4。

70%はセンター試験で決まってしまうことになる。

まりこういうことだ

センター試験ほとんど決まってしま大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ

驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。

ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。

本当の入りやすさはセンター配点にある。

センター試験国語英語社会数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。

一般的国語英語はどちらも200点満点で換算される。

よって合計900点満点

それが一般的国立大学の配点である

徳島大学センター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。

実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である

理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである

一般的国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが

これは数学英語理科はほぼ満点、社会国語で以下に落とさないか勝負になっている。

まり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。

人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ

話を戻そう、一般的国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、

数学180/200

理科270/300

英語180/200

社会40/50

国語120/150

合計790/900 →87.7%

合格ボーダーを遥かに超えました

この点数なら二次試験大ゴケしても十中八九受かります

さて、先程も述べましたが、受験ボーダーで考える必要はありません

合格最低点を超えればいいのです

どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。

以下にシミュレートしました。

数学180/200

理科270/300

英語160/200→8割、大コケ

社会35/50→7割、大コケ

国語105/150→7割、大コケ

合計750/900 →83%

ダメです、数学理科は最低ラインの9割取れたにもかかわらず

その他の科目が大コケした場合でも受かってしまます

国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまます

更に下げて最低点を目指します。

数学160/200→8割、大コケ

理科270/300

英語160/200→8割、大コケ

社会35/50→7割、大コケ

国語105/150→7割、大コケ

合計730/900 →81%

5科目中4科目がコケます合格最低点は取れませんでした。

おわかりいただけたとおり、現在徳島大学国立大学でも有数の入りやすさです。

では二次試験は?と思われた方もいるでしょう。

ここで更に入りやすさの種があります

二次試験得点率の低さ」そして「科目数の少なさ」です。

まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず

合格ボーダーが7割、最低点が5割と恐ろしい幅の狭さです。

これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。

次に科目数の少なさについてです。

なんと2科目です。

驚異的です。

考えられません。

センター試験死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。

他の人は理科に科目に時間をさく必要があるにも関わらず

徳島大学医学科志望者はなんと2科目でいいのです。

ただ毎日数学英語勉強すればいいのです。

もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます

徳島大学医学科は面接点がありません。

差別のしようがないです。

多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)

いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?

→昔の話です、今は留年者数は一般的医学科と同程度です。

嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学受験計画について語ります

まずはじめに念頭に置いてほしいのが

数学英語理科は忘れにくいです。

一方古文漢文社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)

大体大合格したら高校勉強なんてしませんが、今の私ですら数学英語現代文はまともな点数が取れます

一方社会古文漢文理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。

こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。

4月から7,8月までは数学英語を徹底的にします。

しろ他の科目はしないでください、忘れますから

あなたは1年生の社会テストでまともな点数が取れますか?取れませんよね

じゃあ数学テストは?取れないと困りますよね。そういうことです。

この地点で本当に完璧します。

センター試験では9割は落とさなレベルまで持っていってください、

その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。

8,9月から10,11月理科数学英語を固めます

数学英語二次試験まで解けるように、理科センター範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。

かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。

11月以降は古文漢文社会を中心に頑張りましょう。

3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います

古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。

社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。

センター試験数週間前からはすべての科目を再確認しましょう。

数学英語が取れていれば他の科目に回していいです。

社会時間を取られることがないようにしてください。

そしてセンター試験

数学185/200 92.5%(高い方でもありません)

理科280/300 93%(簡単ですが差が付きます)

英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)

社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)

国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)

さて、だいぶこけましたが数学理科普通に取れました。

合計点は

770/900 →85%

高くもありませんが普通に受かる割合です。

さて二次試験です。

2ヶ月近く、毎日英語数学します。

とにかく量をこなすだけです。

毎日長文2文以上

数学毎日標準的問題ときましょう。

迎えた二次試験です。

数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)

次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。

にわかった点数によると

数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)

英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)

ちなみに大コケしてますだって合格者平均が7割平均のテストですから

さて、合計点ですが

ちょうど1000/1300点でした。

振り返りましょう

センター試験では理科数学普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語社会は大コケも大コケです。

二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。

結果を発表します。

合格者最低点が996点なので合格です。

なんと、あれだけ大コケしましたが受かってしまいました。

めちゃくちゃ大コケしても数学理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。

なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。

答えは倍率にあります

志望者258人に対して、定員は114人

倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。

これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数います

受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています

裏を返せば、推薦合格者の分、受験者数が更に減ります

実際に試験を受けた人は200人でした。

合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。

書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。

国公立大学医学部の倍率が1.7倍です。

あ、合格者数の中に推薦合格者数も入ってます

正確には2倍周辺ですね。

ありえないほど低いことに変わりはありませんが....


さあ、皆さん徳島大学医学科を目指しましょう。

東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、

年収1000万円は約束されません。

でも医師は別です、30歳で1000万円が約束されます

でも、今年だけじゃないの?

→ここ数年はこの傾向が続いています

来年も同じ保証はないじゃん。

→おっしゃるとおりです、そんなあなた朗報があります

徳島大学事務局仕事が早いです。

出願状況は即更新されます

まり、出願届が発送可能ギリギリまで志望者数をみて、

多ければやめる、少なければ出願する。

ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)

そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。

受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。

ほとんど、数日前の倍率から変動していません。

でも立地が悪いじゃん。

大阪まで2時間かかりません。

さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。

準備はいいですか?


センター試験終わったじゃん

 →傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。

医師になって幸せなの?

 →お金があれば幸せだと思います

医者忙しいじゃん。

 →過労死等騒ぎますが本人次第です。

  楽しようとすれば幾らでも楽できます

  忙しい病院やめて田舎バイトしましょう。

  それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師責任はありません。

・この記事のせいで来年度増えるじゃん!

 →受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。

大学けが人生じゃないだろ。

 →医者には医学科に入らないとなれません。

医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。

 →いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。

  また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。

  自動運転すらまともにできない機械が手術できるまでどれぐらいかかりますかね。

2020-08-25

anond:20200825192115

同意。本当にそう。けど、、

自分

早慶のどっちか

年収1000万

で、

・一回り年下、ルックス上等

MARCHくらす

年収700万

の嫁をもらった。

生活レベルはほんとラク。何も気にせずお金使ってる。

けどね。そういうオンナは男並みの自我と我儘と自由を求める。自分の映し鏡のような。

結果、幸せかというと、そうでもない。

まともな女がいない

30歳。会社員年収1000万。一橋卒。

趣味登山(結婚したら冬山や夏の定着はやめる。)、海外サッカー観戦、料理(週末にこった料理作っても食べてくれる人がいないのが悩み。家族に作りたい。)

結婚願望は高い。子供が欲しい。幸せな家庭をきづきたい。

 

俺が求めるのは

・35歳まで

子供欲しいか自然とそうなる

 

年収600万円以上

20代なら、30前半でこのくらいの年収見込みの人になる。これくらい稼げないと、今の東京子供を育てながら普通生活はできない

 

マーチ以上(できれば)

付き合うならバカでも可愛いかもしれないけど、結婚するなら子供教育のこともあってマーチは最低限。早慶理想

 

・元気な両親が東京に住んでいる(できれば)

子供を育てながら、共働きする場合は、妻の両親の助けが必要になる。自分の両親は東京に住んでいておそらく協力してくれるが、妻の両親も東京に住んでいる方がベスト

 

デブじゃない

身長にもよるが、体重60kg超えているような女は無理。自己管理ができていない。スポーツやっていて体格いいひとは別。

 

・金を時間で買う価値観がある程度ある

丁寧な暮らしはどうやっても破綻するから料理手作りじゃないとダメとか、シッターを雇うのはダメかいうそうゆう価値観を持っていない人。

 

・肉食べる人

俺は肉好きだからベジタリアンビーガンみたいな人だと、食生活ストレスになるから

 

家事を半分してくれる人

そうしないと俺が死んでしまう。

 

マッチングアプリ婚活しても、全く出会えない。あなた給料生活しましょうとかいう、寄生虫ばかり集まってしまう。

実家が太いとかじゃない限り、結婚相手専業主婦になるのは大きな損失。母親専業主婦だったのを見ていると、妻には仕事してもらいたいと思っている。どうしても嫌になったら別だけど。

趣味で知り合えばと思うかもしれないが、山登りしていてテン場などで知らん人と話ししても出会いには繋がらない。たまに一緒に登る人の中で女性は、自分母親ぐらいの年の人しかいない。

高望みなのでしょうか。

婚活女と浪人生の心境って多分似てると思うんだよね

現役「よーし駄目元で早慶受けちゃうかー」  20代女「年収1000万のイケメン捕まえて専業主婦出来ないかな」

1浪「しゃーない MARCHで手を打つか」   30代前半女「年収500万で普通の人なら…」

2浪「く、こうなったらニッコマでも」     30代後半女「年収400万でもいい 共働きでもいいから」

3浪「なんぼ勉強してもいっしょや!糞が」   40代女「いくら努力しても結婚出来ない なんでなの!」

2020-08-18

anond:20200817145231

キチガイ問題目白押しから個別過去問対策やらないとヤバい大学って早慶しかないぞ。

MARCHなんか専願組ですら過去問対策せずにそのまま入試に望むのがほとんど。そしてそんな私大を併願しても大半が落ちる千葉首都筑波合格者のダメっぷり。

2020-08-15

anond:20200815231534

延岡西って統廃合とかでなくなったんだっけ?

二十年ほどしか経っていないのに、今では当時のことをたどるのも難しそうなのが残念だ。

数回の逮捕を経た今となっては学歴などどうでもいいけど、前田早慶の併願や後期で九大を受けたりしなかったの?

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

リサーにいたアラサー女が思い出を書くよ。

小学校とき結構成績よくってクラスで1番だったんだよね。

でも、親が教育熱心でなく、中高公立で、大学早慶行けそうだったのに女だからって女子大

上に行くなって言われる人生ってストレスで、大学生活は目いっぱい羽を伸ばそうって思って。


そんな感じで大学入学手続きの3月4月。

毎日毎日大学の近くでサークル勧誘男子がたくさんいて。

いちばんイケてた男子のお誘いで新歓コンパ(当時はそんなのがあった)の毎日

最終的に某有名私立大学スポーツイベントサークルに落ち着くことになった。

男子はそこの大学の人ばかりで、女子女子大ばかり。

スポーツイベントは単なるネタで、活動のメインは飲み会。ほぼ毎週。

GW明けの飲み会で3年生の先輩から付き合おうって言われて2人で泊まり旅行に行った。

初めての彼氏。そのころから先輩と付き合う女子がぼちぼち出てきて、6月にはほぼすべての女子彼氏がいた。

そのころ、彼氏過去カノのことを聞いたりしたときにやや違和感があった。

異変が起きたのは夏だった。



夏休みに入って、先輩に振られた。たいした理由もなく喧嘩して、そのままもう付き合えないって。

私にとっては初めての男性だったし、夏は彼と海に行こうとか楽しみにしてたから凄いショック。

でも、夏休みサークル平常運転飲み会だらけ。

飲んで泣いているところで、別の2年生の先輩に慰められて、その日のうちに抱かれ、そのまま流れで付き合う。

ふと周りを見ると、夏休みに先輩から振られる1年生の子が次々に。

私と同じように、傷心の女の子を、別の先輩や同級生が慰めて、流れで付き合っちゃってた。


夏休みが明けて、またその2年生の彼氏に振られた。飲み会で(略)別の2年生の先輩と付き合うことになった。

だいたいみんな1年生の女の子は、そういう感じで付き合っては2~3か月で振られて、別の男子と付き合ってた。

そうやって何人かの男の子と付き合って、心が燃え尽きた女の子からサークルを抜けていく。

男の子と付き合ったこともない子が、大学でたった半年で2~3人の男子と付き合い、振られるのは精神的にきつい。

ちなみに1年生の男の子は、早々に彼女を見つけた男子サークルから抜けてくか、2か月ほどで別の子と付き合うサイクルに入る。

要は、このサークルは、男子計画的に何人かの女子シェアするシステムだった。

女子大の1年生を勧誘し、3年生の男子から優先的に手を付ける。

ずっと付き合う気にならなければその子を2年生→1年生と払い下げるシステム

どこかで男子が気に入って長く付き合う彼女にしたいと思ったらそうなる仕組み。

でも上位の男子から下位の男子に払い下げる際、女子のいろいろなことを話して、

下位の男子がどの女子に行くかドラフトみたいに調整してたらしいので、

まあ、普通感覚を持った男子なら、長く付き合う彼女にしたいとは思わない。

だって、話される内容はほとんど身体の特徴とか寝たときの反応とかだったらしいから。

そんなのを知られてる人を真面目な彼女にする男性は少ない…らしい。

男子のその辺の感覚っていまいち理解しがたいところもあるけど。


私は、3人目に付き合った男子と気が合って、長く付き合うことになったのでそのサークルに居残った。

世渡り上手くて高校まで運動部で、サークルの中でも顔の効く、いわゆるアルファメールですな。

なんだかんだで有名大学の男子と付き合うのは自慢だったし「上に行った」感がある。

その彼氏も1年生のつまみ食いとかしてて、牽制たかったってのもある。

結局その彼氏卒業までに20人近くの子関係があったはず。

私はそれまでの3人だけだったけど。

あ、ウソウソ彼氏浮気の仕返しに一年生をつまみ食いしたことはある。3人ほど。

在学中に例の早稲田事件が起きて、彼氏とかは「早稲田のあの連中は合意なしでやるからダメなんだ」

って言ってたけど、本質的には変わらないじゃんって思いながら話を聞いてた。

実際、うちの大学の中では、うちのサークルは「やや危ないところ」って評判あったし。

結局そのサークルは4年生で引退して、就職して、大学時代のことはなかったように真面目に過ごし、仕事一筋。

うまく乗って、周りはエリートちゃんばかりの大企業総合職やってます

それで職場結婚しました。東大卒。クッソ真面目でいい感じの出世系。


と思って会社の同僚の東大卒に聞いたら、こっそり教えてくれました。

あいつが学生時代いたサークルって、ヤリサーなんだよ。

東大にもヤリサーってあったのか。まあいいけど。

anond:20200815010613

そしてトラバにあるように、後期落ちて早慶パターンもあって、

地元就職を目論んでいたのに落伍してしまったという立場になるという流れなんだよなあ

anond:20200815002048

理系で地底から早慶ってありうるのか・・・

文系だと早慶の強い分野は自分ときはちらほら見られたけど、一方理系は違うぞ的なこと言われて育ったな・・・

anond:20200814234404

学部地方旧帝→早慶の院に行ったけどまぁたしかに都会のキャンパスライフってキラキラしてるよなぁ

理系陰キャだったけど

anond:20200814235253

文系だと私立と比べて純粋に胸を張れる国公立東京一ぐらいだから

さすがに京一が無理なら早慶に行った方が何かとはかどる

anond:20200814234404

真面目、普通正義

早慶文系合格からの初年度取得単位0留年だったけど

わたしもそのへんの文系公立行っとけばまっとうな人間になれたのでしょうか

2020-08-14

文系公立大に入って死ぬほど後悔した話

首都圏文系公立大に進学した。

都立横国千葉横市のどれか。

早慶は落ちた。

上智MARCHは受かった。

みんな国立に受かったことを褒めてくれたけど、4年間ずっとずっとMARCHに行けばよかったと後悔し続けた。

大学辞めようと、入り直そうと何度も思った。

うちの大学には田舎自称進学校から成り上がりとか、埼玉陰湿女子校上がりの子とか、頭いい都立高校落ちこぼれとか、微妙人材の集まり

真面目、普通正義だと思っていて、向上心が感じられない。

サークルインカレなんかなく、つまらなかったか大学から近くない都心引越し私大の子たちとばっかり遊んだり、インターンに行ったりしていた。

大学の授業なんて先生ホワイトボードに書くこと全てメモする必要なんで全然ないと思うのに、真面目にノートカリカリして課題の話で盛り上がる人たちが大嫌いだった。

宿題出してればいい高校とは違うんだぞ。

家が遠くて通学が大変とかバイト辞めたいとかそんな話ばっかり。

人数も少ない学科女子ばかりでグループに分かれていつも授業受けててお前ら中学生かと。

自分は話す人がいなかったわけじゃないけど、わざわざ人と時間割決めるとかダサいと思ってたから1人で授業受けてた。

就活も、周りの人は公務員教員志望ばかりでインターンも行かずのんびり真面目に勉強している人たちが多くてしんどかった。

10人中10人がMARCHとうちの大学かだったらうちの大学を選ぶと思うけど、わたしMARCHに行けばよかったとずっと思っていた。

最後最後に、東大とか早慶卒がいっぱいいる第1志望大手企業就活で行ったら、人事の人がたまたま同じ大学で気に入ってもらえて、内定をもらうことができた。

もう半年後には卒業するけど、これからもっともっと広い世界に出るのだから自分大学ちょっとでも好きになれるように社会人として羽ばたいていきたいな。

2020-08-13

この割れ切った世界谷底

「この割れ切った世界の片隅で」

https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a

この記事拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。

先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。

ただ、自分境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。

ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性邪推されることもないし、純粋ぼやきを書くのに最適だろう。

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筆者は田舎一般家庭という途轍もないギャップ必死努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。

が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。

たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。

私も北関東の片田舎公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴である東京大学に進学した。が、それは努力放棄の結果でしかない。

成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験彼女からすると慣れたものだろう。

だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。

中学校地元公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生暴行少年院に入り、卒業生がバイク学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。

そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)

受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。

(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)

高校に進学していきなり衝撃を受けた。

まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。

なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」

当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才天才の類にはなれない。

そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力放棄だ。

文系でもSEとしてIT世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系高学歴を目指した。

そして大学受験。ここで2つ目の努力放棄をした。

といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力放棄することに繋がる。

東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しか大学に入ってから受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。

(ここでも自分が勝てなかった奴は東大合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)

結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。

就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系秀才であり、文系エリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャ田舎成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャ成功しても育ちの良さをカバーするための努力尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

そういえば高学歴世界低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎公立中を卒業して必死努力して都会の旧帝大早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。

地元公立中を出た人間が、初めて都会の人間高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力放棄した。

周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。

どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間ライバルとして花を添えることしかできなかった。

一方でたまたま周囲の人間には恵まれ人生のものコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったIT世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底人生を歩んで行こうと思う。

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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから応援しています

この割れ切った世界谷底より

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