はてなキーワード: 早慶とは
東京の片田舎に生まれて、将来の夢はお花屋さんとか公務員とか、特段の野心もなく育った
たまたま中学受験をして中堅の進学校に合格し、まあマーチくらいに入れれば超上出来だなと入学当初は思っていた
高校に入りたまたま模試の成績がよく、塾の授業料が全額無料や半額になったりした
そこで何かの歯車が狂ったのだと思う
自分の実力を過大評価した 国公立に受かって当たり前、落ちて最低早慶の価値観に巻き込まれた
国公立には受からなかった 第二志望の大学に進学したがあまりに第一志望の亡霊に囚われすぎて勉強もせず、留年した
国家資格の資格勉強を始めて、自分の地頭が大したことないと自覚した 偏差値は塾への課金で底上げされていただけだった
仕事が自己実現だという幻想に囚われて仕事を頑張ろうと思った 働いている間は楽しかった
やがて資本家層と結婚して自分の時間を労働に搾取されていることが虚しく感じられた
ただ周りの価値観に流されて、自分を追い込んでいた そして自分にも周りにもそれを求めた
一流大学じゃなきゃ、一流企業じゃなきゃ、子供の英語教育、自己実現、自己実現
満たされない心はどんどん冷えていく
実力不相応の世界を進んできた私からすれば、田舎でマイルドヤンキーで、早々と結婚して子供を育てて、強く高い目標に固執しない生き方の方が
いっそのこと思うんだけれど、
常に疑問に感じてることがある。
(疑問)
1)経済的に困窮してる場合、大学受験自体難しいような気がすると思うんだけれど、間違ってるのだろうか、、。
"コスパよく学ぶことができる"と
豪語してる奴らに関して、経済的な感覚が狂ってるような認識しかないのかなと思ってしまう。
※次のような場合に関しては、勉強することの心理的ハードルが高くなるのではないのかと示唆してる。
※次のような場合
→i.e.文房具(えんぴつ、ボールペン、ノート)を購入するお金さえない状況。
もしくは『アルバイトするな』と親、担任の先生から脅されてる。
追記:
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まず最初にお前自体が疑問に感じているだけで、金に困っている高校生ではないという話か?
現実、大学に行きたい高校生で家が貧乏なのか、どちらかを教えて欲しい。
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Ans.後者ですね。
Aの家庭環境について
あまり良くない。
〈AとAの両親との間であったこと〉
60分近く説得し、了承を得られない場合、
購入できない。
(駿台模試であれば)40~50の間
A君の1ヶ月のお小遣い:2000円
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たしかに地方の普通の家庭に生まれた人と都心の裕福な家庭に生まれた人では
簡略化して対比すると例えば
地方生まれだと、1)勉強して、2)上京して、3)いい会社入ってエリートになろう
という粒度の域を出ないことが多かったりする。
ひとえに周りにモデルケースが少なかったり、触れる情報の質の差から仕方なかったりする。
1)中学受験はこのランクまでに入り込んで、2)大学は最低限早慶以上にして、
3)○○系の道に進むなら××を勉強しよう、▲▲へ留学しよう、
4)就職は××をターゲットにしよう、▲▲から××に移ってくキャリアなんてのもありだな
みたいな具合に見えてるのものの粒度に大きい差があることが往々にしてある。
大学入ったあとは個々人の努力次第でいかようにでもできるだろうというのも正しいし、別に
田舎育ちでも精度の高い目標たてて歩んでいける人もいるし、その逆もあるのは事実だけど、
なんというか、環境から生まれる、“気づける機会”や“考える機会”みたいなものに触れられる
数が段違いに違うというのは事実としてあると思う。
とはいえ世の中が公平に不公平なのはゆるぎない事実なので、「こんな世の中おかしい!」って言ってても
詮無いので、出来ること頑張るしかないんだけどね。あー、働くのめんどくせ。
ありがとう。自分の中の千葉大は、東大東工大一橋お茶には届かないけど、早稲田上智理科大くらいの私大に受かった人が国私悩んだ結果行く国立、ってイメージ。早慶、と書きかけて慶應はなんかイメージちがうんだよなと書き直した。
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
東大卒で地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。
増田は、「東京の国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。
東京の国立大学は東大の他に、東工大、一橋大、お茶の水、東京医科歯科大学、東京学芸大、農工大、芸大、電通大といったところがある。インカレサークルで東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田はお茶の水ではないかと思う。
大前提として、東大の入試問題は比較的オーソドックスである。お茶の水の学生が、高校や予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大の入試は、赤本やチャート式で行けてしまうものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大の中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである。冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。
入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校や中高一貫の進学校にメリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶の受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。
一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大や一橋大や外語大であれば、東大と本質的な入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学の学生には自分が東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通の感覚ならこれらの学生は自分が東大にはいることを想像しない。
増田がお茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校の校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的に仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である。
お前が突然変異として扱われたのは身に覚えがあるだろう、地方に金をかけるコストと有能な人材の期待値が吊り合わないんだよ。
遺伝的に優れた個体が東京で同じような個体と何代も交配してきたんだ。たまにお前みたいな東京に来た変異体を入れたりしながらな。
俺は東京の大卒夫婦の家に生まれて適当に遊び暮らしながら育って早慶上智の下位学部を出た。確かに有名予備校のテキストは良い代物だ。俺は先輩のお下がりで受講はしてなかったけど、校内テストで下から2番目のバカを偏差値60まで押し上げるには充分な武器だった。
学費が格安だったからかお前みたいな奴はわんさかいたよ。でも誰一人として地方の教育発展を推進する方向になんか進まなかった。みんな当時の流行りの浮ついた業界に行って東京で結婚もせず未だに浮ついてる。何というか、あいつらには文化的素養と志がないんだ。
一橋大卒(一橋は高学歴かどうかという議論はここではいったん目を瞑ってもらいたい)
世間一般でみれば高学歴の枠に入り、なんとなく頭よさそうな人という目で見られることもあるが
よりレベルの高いところがどうかわからないが、少なくとも早慶一橋レベルの入試は
勉強の物量だけで突破できる類のものだった。詰め込み学習で突破できるもの。
大学に入って2種類の人間がいることに気づいた。ひとつは自分みたいに物量で突破してきた人、
もうひとつは本当に頭がよくてヌルっと入ってきたり、高校時代勉強しな過ぎて東大行きそびれて入ってきたような人。
後者の人は本当に頭の回転が速くて驚いた。
一方で自分はもともとの地頭は全くよくないので、何事も理解は遅めだし、しっかりと準備をしないと簡単な資格試験なんかも普通に落ちる。
にもかかわらず卒業後10年以上たった今でも何となく頭がいい人みたいな目で見られることに違和感を感じる。
日本は高校3年生の時の入試という一時期の試験の結果だけで人を頭がいいか悪いか判断する傾向が非常に強いと思う。
(外資の一流のコンサルにいった先輩はMasterを持ってないとなんか日本でいう高卒みたいな雰囲気になるといっていたので、結局あくまで相対的なものなのかもしれないが。)
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科。
私立大学の学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学の学費は年間52万円ほどと格安。
奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学、卒業することも可能。
医師国家試験の合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。
中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....
そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部が存在する。
今回は徳島大学医学科に入りやすい理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。
それでは始める。
まずはボーダーを見ていこう。
パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。
2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である。
2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である。
ここで出したデータは正真正銘、合格者平均(ソースは徳島大学)です。
ボーダー自体は境界の意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります。
(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格と不合格の割合が50%になるセンター試験得点のライン」らしいです。)
色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。
実際の集団で考えればわかるが、
集団の半分の実力を持つというのは、大学受験を合格するに際しては必ずしも必要ではない。
逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合受かると考えていい。
実際に合格、不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である。
驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである」
つまりこういうことだ
センター試験でほとんど決まってしまう大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ
驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。
ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。
センター試験は国語、英語、社会、数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。
よって合計900点満点
徳島大学のセンター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。
実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である。
理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである。
一般的に国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが
これは数学、英語、理科はほぼ満点、社会と国語で以下に落とさないかの勝負になっている。
つまり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。
人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ。
話を戻そう、一般的な国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、
数学180/200
理科270/300
英語180/200
社会40/50
国語120/150
合計790/900 →87.7%
さて、先程も述べましたが、受験はボーダーで考える必要はありません
合格最低点を超えればいいのです
どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。
数学180/200
理科270/300
合計750/900 →83%
国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまいます。
更に下げて最低点を目指します。
理科270/300
合計730/900 →81%
おわかりいただけたとおり、現在の徳島大学は国立大学でも有数の入りやすさです。
まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず
これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。
次に科目数の少なさについてです。
なんと2科目です。
驚異的です。
考えられません。
センター試験後死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。
もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます。
多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)
いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?
嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学の受験計画について語ります。
まずはじめに念頭に置いてほしいのが
一方古文漢文と社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)
大体大学合格したら高校の勉強なんてしませんが、今の私ですら数学、英語、現代文はまともな点数が取れます。
一方社会、古文、漢文、理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。
こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。
あなたは1年生の社会のテストでまともな点数が取れますか?取れませんよね
じゃあ数学のテストは?取れないと困りますよね。そういうことです。
センター試験では9割は落とさないレベルまで持っていってください、
その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。
数学英語は二次試験まで解けるように、理科はセンターの範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。
かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。
3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います。
古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。
社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。
英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)
社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)
国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)
合計点は
770/900 →85%
とにかく量をこなすだけです。
毎日長文2文以上
数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)
次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。
後にわかった点数によると
数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)
英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)
ちなみに大コケしてます、だって合格者平均が7割平均のテストですから。
さて、合計点ですが
ちょうど1000/1300点でした。
振り返りましょう
センター試験では理科数学は普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語と社会は大コケも大コケです。
二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。
結果を発表します。
めちゃくちゃ大コケしても数学と理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。
なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。
答えは倍率にあります。
志望者258人に対して、定員は114人
倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。
これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数いますが
受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています。
実際に試験を受けた人は200人でした。
合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。
書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。
正確には2倍周辺ですね。
ありえないほど低いことに変わりはありませんが....
東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、
でも、今年だけじゃないの?
→ここ数年はこの傾向が続いています。
多ければやめる、少なければ出願する。
ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)
そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。
再受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。
でも立地が悪いじゃん。
さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。
準備はいいですか?
→傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。
・医者忙しいじゃん。
楽しようとすれば幾らでも楽できます。
それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師に責任はありません。
→受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。
・医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。
→いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。
また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。