はてなキーワード: 公共施設とは
富豪の親・旦那から 財産・遺産分与された女性や女性本人が世界的なスターだったりする場合は、
傾向という話なら下記
600万とか800万とか現実的に到達可能な年収を得ている女が、
まぁ養う側には回らない傾向はそれなりに強いと思う
これもやはり女は自立しなくて良いと教えているからでは?
『女が自立していないのは日本だけじゃないもん』がしたいなら、それこそフェミニズムの話になってくるんじゃないでしょうか?
婚活以前に自分の母親が自立していない女なのは世界中でありふれた話なので、
女が主体的に働く国で婚活したいという話ならフィリピンへ行けば良いんじゃないでしょうか?
元バレーボール選手の方が東急バス・都バスで酷い目に遭ったと言う話を読んで思い出してしまったので供養のために増田に流す。
地元は田舎なので、そもそも子育てには車が必須だ。だからバスの様な事は起きないのだけれど、逆に、ちょっと古い公共施設などは、ベビーカー対応して無くて困るという事が起きる。
俺が出会ったのもそう言う場面だった。
地元の文化センターである。昭和の後期に建てられたこの建物は、入り口からホールに上がる場所に、広い大階段があるのだが、ここにエレベーターもスロープも無い。
段差解消機(階段の端っこをゆっくり上がる奴)は流石に整備されているのだが、使うときは係員を呼んでください方式で、これをベビーカーで使うのはちょっと勇気がいる状況だ。
そこで、劇団(子供向けの人形劇)が来ると言う事があった。俺は、手伝いを頼まれて参加していた。
すると、その大階段そこの手前で、双子ちゃん用のベビーカーを連れた若い女性が来たのである。
正直、チャンスだと思ったね。
俺は学生時代からはてブを使い続けているエリートはてなーである。故に、車いすやベビーカーに乗って困っている人が速攻で助ける事が正義であるとすり込まれてきた。
しかし、地方故にその様なシチュに遭遇することは今までに無かったのである。
ついに、エリートはてなーとして、その意識の高さを発揮する時が来た!と喜びいさんで駆け寄ろうとしたところ。
たどり着く前に、あっという間にイケメン連中(※性別問わず)が群がり、おまけに遅れて旦那さんらしきマッチョもいらっしゃり、あっという間に御神輿状態。結構急な階段もささーっとベビーカーが運ばれたのであった。
もちろん俺が手を出すことなどできたはずも無い。
そうして発生したのは、行動力のある親切な人々によっておこった、素晴らしい風景と、
それをニチャアとした作り損ないの作り笑顔を浮かべつつも、手を出すこともせずに監視する変人ハゲデブキモ独身男性たる俺、と言う状況であったのである。
まぁ、慣れないことをしようとするもんじゃないよな、と、その後持ち場についた訳だが、そのご一家揃って和やかにご歓談されている様子をお見受けして、俺みたいなのはああいうのに近づくと不安にさせるから、近寄らない方がいいんだろうなと改めて思ったのでした。
これまでの人生を振り返ってみれば齢二十数年間、俺は善良に生きてきたつもりだ。
電車で妊婦さんが居れば進んで席を譲り、歩いていて前の人が物を落とせば必ず拾って声をかける。
お金を拾えばすぐに交番へ届けに行き、職場で困っている同僚がいれば積極的に声をかけてきた。
それでも生活が豊かになったかと言われれば、変わりない。寧ろ悪くなったとさえ言えるだろう。
だから悪人になることにした。どうせ善いことをしたって報われないのだから。
それから俺は変わった。
自販機の近くで拾った百円を使ってジュースを買うし、異性の同期に平気で下ネタを振る。
電車で吐瀉している人には遠くからティッシュを投げるのみで、あとは知らんぷり。
俺は悪人になったのだ。
大前提として、非実在青少年のころに規制反対の立場でロビー活動をしていた腐女子の人も大勢いた。腐女子が表現規制に無関心だった、とはとても言えない。彼女たちの尽力を踏みにじることになる。
ただ、同時に、「男性向け」表現に対する攻撃の先鋒に立ってきた腐女子の人が大勢いるのも事実だ。
たとえば、これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて、『グラップラー刃牙』のBL妄想が書籍やドラマになったりしてるのに、当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人とか、『BLの教科書』という書籍の中で男性向けエロは「モノ化」だが女性向けBLは「モノ化」ではないという超理論を展開した研究者とか、そういう「BL無罪」を掲げる人が目立ってきた。
もちろんフェミニストと腐女子を兼任している人はあくまで少数派なのだろうけど、男性向け表現を攻撃するツイッターフェミニストのbioを見ると高確率でBL愛好家だったりする現象があるわけだ(まあこれに関しては、ミソジニーを撒き散らす自称弱者男性アカウントもかなり高確率で男性向け表現を愛好するオタクなので、お互い様かもしれないが)。
そして、「男性向け基準なら一発で18禁とされているようなエロさの本が、BLではゾーニングせずに本屋に並べられてきた」という現実があり、現在はBLにも「男性向け」並の基準が適用されるようになってきている。
「公共広告」にしても、たとえば「レイプしてきた相手を好きになる」という展開(当然セックスシーンもある)を描いたBL漫画はアニメ化されただけでなくアドトラックまで走っているのだが、まったく問題にされることはなかった。他方で、男性向けは、セックスなど一度も描かれていないような作品を使った広告が、スカートの皺だの巨乳を強調する構図だの夜這い設定だのを理由に(BL愛好家も含むフェミニストたちから)叩かれてきた。これはあまりにも不平等だ。
もちろん、理想は、男性向けも女性向け並みの「緩い」規制に戻ることだ。これなら、男女平等と表現の自由を両立できる。
しかし、男性向けが「乳揺れ」や「巨乳JKとのラブコメ」程度のものに対して国連やら議連やらを動員した攻撃を受けている状況では、その理想はしょせん理想に過ぎない。過激なフェミニストにも表現の自由があり、彼女たちの攻撃を抑圧することはできないし、大学教授レベルでの攻撃が行われている(=次代のフェミニストたちにもその理屈が継承されている)ことを考えると、そのような攻撃が数年できれいさっぱりなくなるとも思えない。
そうすると、現実的な男女平等を求める人たちは、「女性向けにも男性向け並の規制を」と主張するしかない。しかし、それは表現の自由の理念に背いている。
図示するとこうなる。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
表現の自由 | 男性向けも女性向けもおおらかに(理想論だが実現は困難) | (この立場は想像できない) |
表現規制 | 女性向けにも男性向け並の規制を(女性向けへの規制強化、現実に起こりそう) | BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!) |
左上の立場は理想だ。理想だが、近い将来にこれが叶うとはとても思えない。だったら、近い将来に実現できそうな男女平等を目指そう、と考えて規制派に転向する人が出てきても不思議ではない。
増田は表現の自由という理想を信じているし、理想を高く掲げることを重視する理想主義者だ。だから左下のような立場は支持できない。しかし左下に転んでしまった人たちの気持ちもわかる。だって、現実的に左上なんて無理だもの。男女平等を支持する現実主義者は左下に行くほかない。
私たちは表現の自由という遠い理想を掲げてBLなど女性向けの性表現を擁護するか、男女平等という実現可能な目標のために女性向けの性表現への規制を唱えるか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまったのだ。
なんか図が変だなと思ったので書き直した。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
夢想的 | 男性向けも女性向けもおおらかに(表現規制反対) | 男性向けの消滅/女性向けの消滅 |
現実的 | 女性向けにも男性向け並の規制を(表現規制支持) | BLはよいが萌えはバッシングする/萌えはよいがBLはバッシングする |
こっちの方がマシな図になっていると思うが、改善案があれば聞きたい。
自由の限界は他者の自由の侵害、他者への迷惑をかける地点なので、「(男女)平等でないこと(性別なりなんなりで差別があること」はそれを発生させる「自由」を制限して当然。選ぶも何も、自由の定義でそうなるのよ。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
そのどちらかを選ばないといけないと増田が思うなら、『「表現の自由」を「男女平等」では守れない』し、『「男女平等」を「表現する自由」も守れない』となる。表現と男女性別は必ずしも競合するわけじゃない。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
表現の自由より、男女平等より、比べ物にならないくらい大事なのは「おもしろい」ことです。すべては「おもしろい」に使役すべきと思ってます。「おもしろい以外勝てん」です。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
エンタメ業界の労働者・経営層の半数以上が女性+マイノリティーになれば、自然と落ち着くべきところに落ち着くんじゃね?歴史的に制作現場もビジネス層も男社会だったのは事実なんだから、そりゃ男目線になるだろ
これを二者択一にしてしまうと、「女性の自由を奪ってでも男性の自由を守れ」という暴論になってしまうんだが、それでも、問わないと答えが分からないのか?
タイ本読
表自的な意味での表現の自由と、誰も可能な限り傷つけず、そのなかで広く意見を認める表現の自由はまず違う。男女平等があるならおのずから後者は達成されている。
タ本
”これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて(略)当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人と” ←フェミ系社会学者金田淳子のこと。少年ジャンプの萌え漫画を18禁にしろと主張した。
左下の実例さんオッスオッス。左下に宗旨替えするのは理解しますけど、だったら規制派って名乗って表現規制陣営に鞍替えしませんか? あなたのような、左下に宗旨替えしたのに自分を表現規制反対派だとアイデンティファイし続けてる人が、フェミ腐女子と同じくらいには現状の分断を加速させてるでしょ。
『乳揺れ・巨乳バッシングは過剰だがどこかに18禁のような線引きは止むなし』みたいな立場の存在が議論の中に見えてこない。勿論増田に言わせれば表現規制派になるのは分かるが一まとめにするのは雑ではないか?
そういう人たちが声を上げた結果、「あれだけ表現規制反対って叫んでた男オタクがBLの話になるといきなり規制って言い出した……表現の自由戦士の男オタクは信用できない!」となって分断が加速されています。
細かいところに突っ込んで申し訳ないが、アドトラックと駅、公共施設での広告とはだいぶ毛色違いませんか?。バニラとか、あれ他県からトラック回して審査回避してるよね。アドトラックはかなりダーティなものでは。
えっ? 公道を走っているという点では誰もの目に触れる可能性があるわけでしょう? たとえば購読者じゃないと読めない日経新聞の広告より全然「公共」の広告ですよね?
先日の『月曜日のたわわ』バッシングでは、広告それ自体だけじゃなく、巨乳JKとのラブコメという程度の内容の原作も、東工大准教授の人が国連女性機関の権威を持ち出してバッシングしてたじゃないですか? 『ラブライブ!サンシャイン』のみかんポスターは、原作にはまったく性行為の描写は登場しないのに、スカートの皺が卑猥、という理由でフェミニズム研究の大家からバッシングされて、一部のフェミニストからはエロアニメ呼ばわりされてたじゃないですか? その基準からいくと、男性に対するレイプ描写が普通にあり、性暴力の被害者が加害者を好きになるという展開のBL漫画の広告が公道走ってる時点で、どんな抑制的なデザインだろうがあり得ないっしょ? 『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターのときは、ポスターのデザインだけじゃなく原作にまでケチつけてるフェミニストの人が大勢いたんだから、仮にそのバッシングを正当だとするならば、当然、アドトラックだけじゃなくて原作の『抱かれたい男一位に脅されています。』も叩かれないとおかしいっしょ?
いや、もちろん『だかいち』が叩かれる必然性は何一つないし、仮にだかいちバッシングが起きたら反対しますよ。でも、あのトラックに公共性がないみたいな理屈はおかしいし、萌えアニメのポスター程度を問題視してきた連中が『だかいち』に何も言わないなら、「BLは特権階級なのか」という不満を持つ人も出てくるでしょう。簡単な話だと思うんですけど何でわかんないんですか?
このBLのアドトラが問題視されないのはトラックの絵には性的な描写がないからだと思う。作品の内容は公共の場には出てないので広告絵単体の比較。もしチンコを強調した絵なら問題になるはず。
「広告絵単体の比較」ならなんでスカートめくりとか夜這いとかの設定をパネルじゃなくてウェブに書いてた温泉むすめはあんなに叩かれたんですか???
たかだかスカートの皺が、ボタンを持って振り向く少女が、デカいリボンの後ろで微妙に揺れる乳が、大学教授やら国連女性機関やらフェミニスト議連やらが出てくるほどの騒ぎになったのに、なんでこのトラックの絵には何も問題がないことになるんですか???
ゾーニングが適切に行われればほとんどの問題は解決するので、ゾーニングを「規制」って考えるんじゃなくて「自由を守る盾」って考えるように発想を転換することから始めてみればいいんじゃないかなあ。
そもそも宇崎ちゃんポスターも高海千歌のみかんポスターも交通安全啓発のご当地VTuberもたわわ広告もゾーニングの必要なんて存在しない程度の表現だったのにあんなにバッシングされてたし、温泉むすめはパネルに書かずにウェブに書いてた設定をわざわざ検索して文句つけたフェミニストの人もいましたよね。服を着た胸のでかい女子大生が煽ってくる広告やスカートに皺の寄ったJKがみかん持って微笑んでる広告や制服JKがボタン持ってこっちを振り向くだけの表現にまでゾーニングが必要、というのなら、それはもう普通に表現規制でしょ。ゾーニングゾーニングって言う人は結局規制論者じゃん。
増田は一発18禁レベルのBL本をゾーニングせずに本屋に並べて、小学生も自由に読めるようにすべきだという考えなの? 表現規制に反対している人でも、ある程度のゾーニングは必要だという意見が大半では?
本屋が自発的にそうするなら止めませんが、法や条例で陳列方法を強制されるのはどうかと思いますよ。そういう書店があってもいいでしょう。親御さんは書店を選ぶ自由を行使してもらえれば……
性犯罪セクハラ被害への理解が進んで減るなら男性向け規制も本来不要でそっち行くべきなのに行かないなら「男性向けだけ規制」だよ。女性向け放置でも現状の女性が受けてる性的消費ダメージを男性は受けないし
マジでBL無罪って考えてるんだ……じゃあBLは性的少数者をモノ化し彼らへのステレオタイプを助長している性的少数者差別コンテンツだって話する? 性的少数者の人たちを「受け」「攻め」というセックス時のポジションで分類するのは彼らの存在をセクシャライズし彼らの人間性を貶める表現なので、性的少数者への偏見がひどいうちは規制されても仕方ない、って話もしよっか? 少なくとも同性婚すら実現してない国でやっていい表現じゃないよね? 私はもちろんこんな主張には賛成しないけど、あんたらの理屈を敷衍するならそうなるよな?
ところで、容姿端麗な女性しか採用しないと明言している劇団が仮にあったとしたら、女性に対する容姿差別を助長するわけだから、女性差別劇団として攻撃されても仕方ないんじゃないの? 仮にその劇団がBL的な演目をやってたら、それは性的少数者への文化の盗用だから、欧米の基準ではありえないよね? 仮にその劇団が濃い目の肌色になるようなメイクをして『アイーダ』を上演してたら、それはブラックフェイスだからアメリカでは一発でキャンセルされるやつじゃん?
え? その劇団に女性ファンが沢山いればセーフ? ラブライブにも大勢の女性ファンがいたけど焼かれましたよね? 女性ファンの存在はそのコンテンツが女性差別的であることを何ら免罪しないってことでしょ? まして性的少数者からの文化盗用やブラックフェイスは、女性ファンの存在では免罪されないどころか、むしろ他者への客体化だから余計に罪が重くなるんじゃないの?
もちろん私は仮にそんな劇団があったとしてもそれを攻撃するつもりも規制を主張する気もないけど、男性向け文化は有罪だけど女性向け文化は無罪、っていう態度をいつまでも採るなら左下に闇堕ちするぞ。性的少数者のモノ化やブラックフェイスという誹りから女性文化が逃げられるだなんて思うなよ。死なばもろともだ。
巨乳女子大生がウェイトレス姿で注射が怖いのかと煽ってくる献血ポスターが女性のモノ化で女性蔑視、胸元のリボンの後ろでよく見ると胸が揺れてるヘソ出しルックのVTuberは性犯罪の誘発なんでしょ? 仮にそれらの理屈を是とするなら、MSMの人たちをステレオタイプに描いたジャンルであるBLは差別扇動だし、美女ばっかり集めた劇団が濃い目のドーランで『アイーダ』やるのはルッキズムとブラックフェイスの合わせ技でキャンセル一択でしょ?
司書の専門性が実際どうなのかとかどうでもよくて、公共施設の課題として公共施設全体の議論を踏まえるべきなのでは?って話よ
別にこの話に専門性があろうがなかろうがどうでもいい。実際司書以外の専門性ない一般職員だって居るのが公共施設ってもんだし。
備忘録代わりにここに書く
数年前ニートやっててな。珍しくもないけど
どんどん金も余裕もなくなってきて、
一人暮らし辞めて親の所に厄介になってたんやけど
なるべく親とは会わないような生活を過ごしてたのよ
毎日図書館とかの無料の公共施設利用したり、自転車であちこち回ってたんだけど
まあどうにでもならんでな。当然にもほどがあるけど
ふと、なけなしの金使ってなんとなくコメダに入り、
アニメか何か見ようかと思って探していたら
ようやく本題だけどこの「ツキアカリのミチシルベ」って曲や
高校の時同級生から「洋楽は歌詞なんて気にしてない。日本の音楽は遅れて~」
アメリカは多国籍な国だから歌詞を読めないか、貧困で歌詞をわかるほどの教養を持てなかった人が多いってだけじゃないか?
とにかくまあ「これ私のこと歌ってないか?」って錯覚したの初めての経験でな
しばらくそのOP延々とリピートしてようやくアニメの本題見てな。
内容はさておき、それを半日ほどきいて数年ぶりにCDで聞きたくなったのよ。
それで久しぶりに欲が生まれて、配達のバイトを初めながら就職活動を行って
今は色々あってシステムの奴隷として謎の輪っかをグルグル回してる生活を過ごしている(比喩表現)
親とは働き始めたら険悪感情が激減して、半年前には兄弟含めて旅行に行った
いま登りエレベーターの工事をしていて使えないので車椅子の人とかベビーカーの人をお手伝いしたりしています。
車椅子の人とかを手伝うと普通にありがとうございますって感じで感謝されるんだけど、一方でクレーム言ってくる人達は普通に歩ける人達って話。
「足悪い人もいるのにどうするんだよ!」
ってまぁその人は普通に歩けてるんですね。
エレベーターを作る工事ではなくて、古くなったエレベーターを新しく変える工事なので「このまま使えなくなったり、事故が起きたら困るので」と説明したところ、「オレは今使いたいんだよぉ!」とのこと。
しばらくやりとりして、こっちも普通にすいませんって感じで対応してたんだけど最終的にジジイが言いたかったことは「どうやって下に降りたらいいんだよぉ!」ってことで、エレベーターを使えないことに怒っていたのではなく、道がわからないアンド最短ルートだと思い込んでいた方向にいけないことに怒っているらしかった。
しかし元々、工事してるエレベーターは上にしか行かなくて、動いていたとしても下にはいけないのだよ、ジイさん。
その事を説明して、下に行くエレベーターは動いていますよ、と案内すると黙って歩いて行った。
ジイさんが怒っていたことも無駄だし、その怒りをこちらにぶつけられて僕が消耗したことも全て無駄なやりとりでしかなかった訳である。
おれがあなたに意地悪してエレベーター使えなくしてやろって思ったことはないよ。早く新しいエレベーターになってみんな使えるようになればいいと思う。
そのエレベーターは下には行かないけど。
シコって寝よ
3行まとめ
1 一人で完結できる
一人旅をして、一人で写真を撮り、一人でプラレールを集め、一人でアルバムを眺める。
たとえばこれがチームスポーツや多人数プレイのゲームであれば絶対にこうはならない。
そしてそこには対等の立場に立つ多くのプレイヤーが存在し、そこには法律としては定まっていない様々なルールやマナーが存在し、その多くは明確に示されている。
客という立場で駅員に接し、他人の迷惑も顧みずに撮影をし、文句を言われたら自分のやっていることの素晴らしさを捲し立てれば案外なんとかなってしまう。
ゲームにおいてチートや繰り返しの荒らしはアカウントの剥奪がある。
だが駅という公共施設は相当の迷惑客でもまず出禁にはされない。
そのような環境に身を置くウチに「僕に文句をつける奴が頭おかしいヘイトクリエイターなだけ。僕は正しい」と思いこんでしまえば怪物が出来上がる。
それを止める仕組みがない。
Nゲージを集めたり、あの駅に行ったこの写真を撮ったという経験を集めたり、有形無形の様々なものを集める趣味と言える。
それはゲームにおける実績解除のようなものではあるのだが、そこに必要なのは時間や運ばかりであり、成長する必要が求められるものはめったにない。
たとえば筋トレであれば「○KGの重量を持ち上げた」という実績の解除には自分の筋肉を育てる以外の方法はない(ドーピング剤を使うという道もあるにはあるがそれで達成しても無意味だろう)。
そこには成長があある。
成長の壁であるプラトー期を前にすれば人は自ずと自分を信じ続けるための戦いに巻き込まれ、そこで挫折を経験したりPDCAを回すうちに自分を省みる経験や精神的なタフさが身につくのだ。
だが鉄道趣味はペースを焦ったり他人からの評価を求めなければどこまでもそういった苦労を回避してやっていける。
旅にしたって複雑な経路を設定したり、国外に飛び出さなければ単なる旅行で終わってしまう。
この手軽さは気晴らしのための趣味としてはある意味でとても健康的だとは思う。
しかし、これ以外の趣味を持つこともなく仕事や学校においても「あの人に成長を期待しても無駄だから」といった扱いを受けたのならば、それは意思を持って成長するという経験を知らない魔物への道さえ歩ませるだろう。
鉄道趣味と同じく自己の成長が求められにくい趣味として「推し活」「読書」「映画鑑賞」「スポーツ観戦」などがある。
これらのオタクも奇行をよく観測されるが、それでも鉄道オタクに比べれば全体の人数に対して頻度も少なく、また思考についても比較的明瞭というか認知が歪んでいるだけで日本語で物を考えることは不得意な印象は薄めだ。
鉄道オタクと同じく比較的奇行が多いのは、自己の成長を促される経験を通した学びの少なさが原因だろう。
では、比較的脳みその使い方を知っていたりコミュニケーションが成立しているような気がするという違いが生まれるのはどこなのか?
それは彼らの趣味が自分の脳で他人のストーリーを追うものだからである。
鉄道オタクは自分の脳で鉄道を味わえばそれだけで完結できてしまう。
しかし、アイドルやスポーツ選手を応援する人達は彼らの生きる物語そのものに心を馳せており、そこには他人なりの解釈ながらその人生を空想し追走しようとする動きがある。
漫画なんてものはその最たるもので、キャラクターの心情を感じ取り、それぞれの視点からでの勘違いや世界の歪みを噛み砕くという自他の境界を持つことが必須となる遊びさえも気軽に要求してくる。
このような娯楽に触れるうちにこれらのオタクは自然と、自分が他人と違う人間であることや、世の中には様々な立場や考えがあることを学ぶのだ。
だが、鉄道オタクはそういったものを知らずに「電車カッコイー。ぼく電車乗るの大好きー。ぼくが電車乗るの幸せ。ママはそんな僕を見てると自分も幸せって言ってた。皆幸せにするために僕電車乗って幸せになる。邪魔すんなよ俺が電車に乗って幸せになることが人類の幸福につながってんだよ。テメーも人類の幸せに協力しろ」という精神性のままで突き進んでも、電車は何も言わずに彼らを載せて次の駅へと運んでしまうのだ。
ただ鉄道オタクであっても「レベルの高い模型」や「鉄道エッセイ」などを通してこれらの経験の不足を補うことは不可能ではない。
撮り鉄オンリー乗り鉄オンリーの人は是非その辺に興味を持って欲しい。
怪物になる前に
値段の話だけじゃなくて行く機会の話もしている。役所に用事があったついでに行ければ使用頻度は上がる。第一声で「アホか」と言っているが、それは自分に帰ってきてるね。
話変わりすぎ。そういえばとつければ何言ってもいいと思ってそう。雑談うま男気取りの話し下手と聞き下手のハイブリッド
入場料だけじゃ普通に維持できんわ。地元民にとってどうでもいいものを維持するために税金使うなって話だよ。話通じねーな。
「訪れた住民のなかでももう一度行くことがない人がほとんど」って文章だと思うんだが?
面白いかどうかの話はしてないだろ。話を聞いてから返事をしろ。
相手を罵倒してマウント取って終わりか。論拠もまともに示さずさもそれっぽく皮肉を言って調子づくのは幼稚園児までにしろよ。
デジタル化することで管理コストが下がるのは間違いないんだよなあ……一時的に金はかかっても長期的には安くなる。まあ脳が貧乏な人はこういう長期投資的な発想は無理かな。君達の口調をちょっと真似たけどやっぱこりゃ駄目だな。馬鹿の喋りは真似するだけで頭悪くなりそうだわ。
余計な機能ってことは不要ってことですね。あーごめんまた君達の喋り方真似しちゃった。効率化した方がいいという提案しただけだよって言いたかったのになんでこんな言い方になるんだろうね。変な癖ついちゃった。
数倍の収蔵場所が必要であることとメイン展示場を誰も来ないような場所にすることの間が微妙に繋がってないのよね。展示する場所と保管する場所を同じ敷地内にすることに固執するという発想からまず離れてみよう。
優れた土地はもはや売り手がおらず、大規模再開発が仕掛けられない。
強引に高級な雰囲気を作ってきたせいで、
(ただし小金持ちが入居するので住民レベルはある程度担保されている)
もう語り尽くされているが、
なにより、低金利を背景にした無謀なローン。
すべて導火線が異常に短い時限爆弾だ。
ブランドで生き残る建物は結局「昔からいい土地だった場所」だけだ。
劣悪な立地を深く深く掘り起こして無理やり立てた楼閣は、
これ以上インフラ面の上積みも期待できず、
本業の人ほど買わない。
同じ額を出すなら、立地のいい中古マンションを豪華にリフォームしたほうが、
圧倒的に安くて広く、リセールバリューも高く、ランニングコストも安い。
そして豪華な住まいにできる。
あと10年もかからないうちに管理が崩壊するタワマンが続出する。
総会が成立しない(組合決議で半数または2/3取る手段がない)。
結果、一部の良識ある住人ががんばったところで、
自慢の施設は閉鎖されていく。
一時金を徴収しようにも、足並みが揃わないので成立しない。
お金がある人ほど、そういうわずらわしさから離れるために引っ越してしまう。
入居から10年ほどはいいが、子供が育てば住人の回転率が悪く、
富裕層はそもそも、最初から富裕層向けの施設とヘルパーを使っている。
見栄で住んでいるギリギリの層だけだ。
役所や小中学校など、各種公共施設の設置ペースも無計画すぎる。早晩破綻するだろう。
高島平や三郷、西川口あたりの大規模公団の失敗から何も学ばなかったのだろうか。
タワマンは富裕層の一時のリッチな住居として今後も増えるだろうが、
つまり、ローンで買ってもまともな値では売れなくなり、
そして非常にお手軽な価格で手に入るタワマンの空室が世にあふれるが、
ローンと平行して支払うコストは増える一方なので、