はてなキーワード: モラルとは
この1年で横尾さんのことをもっともっとだいすきになれて、着いていきたいと思えた自分の感情と比例するかのように横尾担のことが苦手になってしまったのは間違いじゃなかったんだなってこの2〜3日で確信できました。
元々、横尾さんに対する考え方が同担でも合わない人が多くて、色々な場面でわたしは少数派なんだなぁと思うことが多々ありました。それを理解していたからTwitterでは鍵垢でひっそりと横尾さんに関する呟きをしつつ、マイノリティーでもこういう人も居るんだよ〜って自分なりに横尾さんを、キスマイを応援していました。これからもそうするつもりです。
今まで他メンバーと比較しても少ない方だった横尾さんへの歓声も、声を出すか出さないかなんて個人の自由だから声を出したいと思っている自分が出せばいいことだと思っていました。
1年前の新潟初日、いつも以上に横尾さんへの声が少なくて、やっぱり同担減った、他担から歓声も出ないほどやらかしてしまったんだなあって思いつつ、いつも通りオレンジ色を付けて横尾さんへの歓声を上げて、横尾さんの団扇を持ち続けました。 後ろの席にいた他担に「横尾担とかまだ居るんだ」「あいつ反省してんの?」ってこっちまで聞こえるように言われても、言い返したいのをぐっと堪えてその声を消すくらい自分なりに横尾さんへ声を出しました。
そんな中、新潟で団扇を何十枚も広げて横尾さんの誕生日をお祝いしている同担を見かけました。正直悲しくなりました。誕生日を祝うことはいいことだけど、なんで会場でそんなにスペースを使ってやるんだろう。例え人が少ないところだったとしても会場のこと、周りの目なんて考えず、お祝いしたい気持ちよりただ自分が目立ちたいからやっているようにしか見えなくて。横尾さんが何をしても叩かれている状況で、なんで横尾さんを支えるはずのファンが火に油を注ぐようなことができるの。大好きな人がお祝いされているはずなのに、凄く嫌な気持ちになりました。
きっとネットでも荒れるんだろうなって思いながら恐る恐る検索をしたら、愚痴垢や他担からの邪魔だとか小馬鹿にする意見が目に入って、でも同担は「すごい!」とか「横尾さん愛されてる」「嬉しい」とか自分が思っていたことと真逆のことを呟いている人が多くて、本当にショックでした。
一度そう思ってしまってからは、同担の色んな言動に対しても違和感を感じるようになりました。昔からよく見かけていた「横尾担は声出せないから」「横尾担は見守るタイプだから」という言葉をあのミューコロに入った後ですら言い続けてる。声が出せないのならそれで構わないけど、歓声がないのは私の責任じゃないよだって横尾担だから。横尾担はみんな大人しいから声出せないんだもん!そんな主張を未だに続けてることが信じられなかった。
横尾さんが歓声が欲しがってると推測してネットで盛り上がれるのなら、なんで去年現地でもっと声を出してくれなかったんですか。横尾さんが客席に対して挨拶をしても他メンバーより反応が薄くて、悲しくなったのならなんでその場で盛り上げてくれなかったんですか。
わたしが入った回数こそ多くなかったけどどの公演も歓声は少なかった。1人で入ることがほとんどだったから、1人の力じゃ何も出来ないんだって公演中に虚しくなることが何度もありました。
でも「声が出せない〜」って言っている割に、会場の外では身内で固まって騒がしくしているオレンジ色の集団を何度も見かけました。
他にも「横尾担は礼儀正しい、上品な人が多い」と言いながら、銀テを取るために後ろの席から走ってくるオレンジ色の洋服を着た人。横尾さんの脇毛♡臑毛♡今日のパンツの色は何色だった♡とか下品な話を鍵もかけずネットでも現場でも堂々と話す集団。挙げ句「横尾担はみんなドMだよね!変態だよね!」と仲間意識を持ちたいのか、勝手に皆を一括りにしていましたね。
もちろん他担にもこういう層は一定数居るとは思いますが他担のことはわたしには分かりません。
横尾さんが髪の毛を伸ばせば横尾担ですら「切れ、短髪にしろ」、パーマをかければ「似合わない」。好みもあるけど、そこまで頭ごなしにたかが一ヲタクが束になって否定する必要性はありましたか?
ネタだとしても、大好きな人に対して使われる下品な言葉は見ていて良い気分にはならないし、長髪も好きだったわたしは、長髪も好きだよと言っても全方向から否定され続けた去年の5月辺りは本当に地獄でした。
なにより味方だと思っていたはずの同担が1番の敵だった。
現場ではテンションも上がって周りが見えなくなる気持ちもわかるから目を瞑ることもできる。
でもネットでは、Twitterでは、嫌でも目に入るしそれを避けてもまた別の人が同じようなことを呟いている。ファンだけじゃなくて、テレビで横尾さんを気になった人が検索をかけたら簡単に出てくる。「横尾さん」と検索をしたら愚痴垢の誹謗中傷と「いい歳した大人」を自称している横尾担の気持ち悪いツイートしか見かけなかった時はショックでした。
ネットの誹謗中傷を見て横尾さんが傷付くと思うことが出来たのなら、自分達の気持ち悪い下ネタや妄想、横尾さんへの卑猥な言葉を本人が見てしまったら…という考えはできなかったんですか?
わたしはこの1年、他担や愚痴垢からの横尾さんや横尾担を傷付けようとしているのがあからさまだった悪意ある言葉の数々より「横尾担はみんなこうなんです!」って逃げ道を作って、配慮もモラルもない気持ち悪い発言や行動をし続けていた同担と「横尾担」として一括りにされていた方が苦しかったし辛かった。過去形じゃない今でも辛いです。そんな中でもわたしが横尾担を続けられるのは横尾さんを見ていたいという気持ちが辛さより優っているからです。
これからもずっと横尾担で居ることは胸を張って言えるけど、きっと同担を信じることはないと思います。全ての同担がそうじゃないことはもちろん分かっています。でもこれ以上嫌な気持ちにはなりたくないです。
自分自身の懐が狭いことは十分すぎるくらいわかっているけど、自分やその身内が楽しければそれでいい、横尾さんを自分たちが楽しむためのおもちゃだとしか考えていないと思わせるような言動を「応援」という言葉を利用して正当化し続けてきた同担がわたしは苦手です。
2015年秋ごろ 出社したとき自席に知らない方からのお土産が置いてあった。付箋がついており、名前も書いてあったが知らない方のため不審に思い、触らずに放置。PCを起動しメールを確認していたら、その方から机上のお土産についてのメールあり。(印刷しましたが処分した可能性あり。印刷したものの写メはある)気味が悪いのと自分の好みのお菓子ではなかったため持ち帰り母が食べた。わさびマヨネーズ味のおかきがウケるとでも思ったのか。
隣の課の方が別の出入り口にある下駄箱をさがしたところ、そこにあった。
私の所属している部の50周年記念の懇親会後、隣の課の方(若手の方)2名のうち1名から「○○(もう1名の若手の方)がお前(私)のこと好きらしいからLINE教えて」と言われる。
3名でのグループLINEをつくるのかと思いきや、○○という方からその日の深夜に個人宛に連絡が来る。
週明け、帰りの電車に乗っている際に○○からLINEの着信が来るも、すぐに切れる(ワン切り?)。直後に「間違えて電話しちゃいました!」とのメッセージ。1時間ほどおいて大丈夫ですよと返信。(それ以降の謝罪なし)
1か月後くらい、再び○○からLINE着信→すぐ切れる→「また間違えました!」こちらは反応せず放置。数日後、別室にてデータの入力を行っていた際に、若手の2名+もう1名?(この辺は記憶が曖昧です)で私のほうを見ながら会話。下の名前を呼んで「△△(私)の下の名前だよ。□□って」と何度も名前を呼ばれる。
不快に感じていたため全て無視。その週の週報にてLINEの件とともに上司に報告。彼らからは謝罪なし。
14時にスリッパがないことに気付く。16時半ごろには元の場所に戻っていた。
上司に報告後スリッパはその場で処分。新しいスリッパは自席にて管理をしている。
2018年5月 自席のゴミ箱にコピー用紙(A3)の包み紙が捨てられている。
すでにゴミ箱はパンパンになっており、その上に包み紙をぐしゃぐしゃにしたものが置かれていた。
(自分でコピー用紙の包み紙を処分するときは、四角く折りたたんでから捨てている)
マナー、モラルを理解していない社員が多いイメージがついてしまい、不信感が募っている。
はあ……僕はスレを閉じた。
いつからだろう。
レッテルを貼って勝利宣言をし、マウントを取ったと勘違いして藁人形に釘を打ち付けてはゲラゲラと笑い合うだけの能無ししか居なくなった。
残念だ。
私が愛していた頃のネットは無くなった。
考えてみれば当たり前だ。
今やネットをやるのに必要なのはスマホショップでスマホを買うことだけ。
カプラで繋いでいた時代や、検索エンジンではなく相互リンクで世界が構成されていたあの頃にはもう戻らないのだろう。
アンダーグラウンドゆえのモラルの低さは合ったが、ネットにつなぐという行為に要求される最低限度の知性によりIQが60を下回るレベルの人間が紛れ込む可能性を警戒する必要はなかった。
今のネットには狂人ではなく純粋に思考力がないだけの支離滅裂な日本語を足りない脳みそで必死に繋げるのに精一杯で発言に一貫性をもたせることなど微塵も出来ていない連中がどこにでも紛れ込んでいる。
恐ろしいのは、そういった間抜けと一緒になってアホ踊りをすることを楽しむことがネットの正しい使い方だと勘違いした輩の多さである。
全文まるっと正論だけど、ロリコンのオタクの価値観は根本的に正反対方向にズレてると思う。
要は「気軽にロリコンを名乗るオタクがぞろぞろいるけど、はたから見るとどう映るか常識を考えて、大人としての社会的責任を重く感じろ」って論旨でしょ。
ロリコン当人はまさにその「大人としての常識や社会的責任」と向き合うのが死んでも嫌だからこそロリコンをやっているのであって、ガチのペドフィリア的な性癖とも趣味とも無関係。
つまりどういう事かと言うと、そもそもロリコンは自分の事を社会的な大人だと思ってない。そう思いたくなくて全力で拒否している。
大人としての肉体(過剰に与えられた性的情報と衝動)を持て余しているが精神が幼い男児なので、それに伴う責任感や倫理観が発狂するほど大嫌い。
その両者を満たそうとするから、内部で男児がえりを起こしてリアルの女児に「大人の女」の役割を押し付けて欲情したり甘えようとする。
よく男児がやるスカートめくりや風呂のぞきや胸タッチを指して「大人がやれば犯罪だが、子供の内なら罪の無いイタズラで済まされる(んなことはない)」と羨ましげに語るおっさんがいるが、ネット上で幼女に変態発言するロリコンは無自覚的に「性に目覚めたての思春期男児の罪の無い言動」のつもりでいるのだと思う。行為は加害的だったりモラルから逸脱していても「男の子の性の目覚め」という事なら咎めるどころか、周囲が祝福して推奨すらする空気が伝統的に充満している日本ならではの責任回避方で、引いたり咎めたりする意見は「三角メガネのヒステリックなPTAのおばさん」という小学生男児らしい貧困なイメージに回収されている様子が多々見られる。
精神構造で言えばマザコンにも通じるが、大人の女性相手に男児がえりをすると主導権を握られ支配されてしまうおそれがある
→ だから実質自分が確実に支配しながら、ママ役の女児に全責任を押し付けて「いたずら」を許してもらえるマザーフ○ッカーなロリコンに走る訳だ。
その証拠にロリコンオタクのターゲットにされがちな女児キャラクター界隈では、ロリヲタが自身をいたいけな息子兼レイパーと位置づけながら女児を「ママ」と呼ぶ「バブみ」イラストが溢れている。
『よつばと!』の主人公のような年相応のエゴを持つ女児キャラクターではなく、どちらかと言うと外見は幼さが強調されているがミニチュアのお母さんのような性格のキャラクターが好まれる。
一般的にイメージされる危険なロリコン像は「女児の無知や非力につけこんで支配し、精神的肉体的に蹂躙する」というものだと思われるし、それは確かに間違ってはいないのだが、ただロリコン自身の認知が二重にも三重にも歪んでいる。
彼らは大人の男性性欲で相手を威圧しながら責任から逃れ「本当に庇護されるべき弱者は自分自身で、“ママ”だけはそれを理解して全てをかぶってくれるよね」という幻想の中で生きている。
そう言えば、上坂某への苛烈なセクハラツイートの定型句も「ママ」だった。あれも本当に性癖上でその発言をした訳ではなく威圧と「僕達は赤ちゃんなのだから、暴れても責任を要求するな」という予防線なんだろうね。
今日はてブを見ていたら「『病むくらいなら逃げなさい』というアドバイスは無責任」ではないかという記事がホットエントリーに上がっていた。
それについて思うことがあったので、書かせてもらう。
[参考記事]
https://news.careerconnection.jp/?p=54001
自分は小さい頃からほとんど全てのカテゴリーでいじめられてきた。
小学校、中学校、高校、塾、部活動と。さすがに大学になるといじめはなくなったが、それでも大学生、社会人となった今も友達はほとんどできない。
いじめに対して先生が悪かったとか、いじめてた人が悪いとかいうつもりは全くなくて、むしろ先生は見つけ次第、(今では問題になるであろう体罰も含めて)叱ってくれたし、そうすると一定期間はいじめられなくなる。
でも結局、いじめられる原因は自分にあったから、すぐにまたいじめられるようになるし、先生も同じ人間だから全てを未然に防ぐことなんてできない。
最初は「なんで自分だけ」と思っていたけど、だんだん時間が経つにつれて自分に原因があることは分かっていたから、周りが悪いとか一切思っていないし、むしろ平均よりモラルが高い環境にいたから、この程度で済んだのが幸いというくらいに思ってる。
翻って何が言いたいのかというと、少なくとも自分の経験則からしていじめられる人は、(「いじめられる人よりいじめる人の方が悪い」といった比較論は理解できるにせよ)多分にいじめられる要素を普遍的に持っていると思う。
そしてそれは、もしかしたら転校するなり環境を変えることが改善される可能性は多少あるにせよ、確率論で言えば環境を変えても同じ目に逢うことも多い。
さらに同じ目に遭った場合、「環境を変えてもダメだった」という経験がますます自分の無能感を高めて、それを受け入れるようになり、さらに社会不適合になるという負のスパイラルに陥る。
もちろん命に支障が出るようないじめられ方をしているのなら環境を変えたり、引きこもっても良いが、その環境に異常性がないのにいじめられているのであれば、環境を変えることは自分の経験則からして一概に正解とは言い難いところがある。
社会で生きている以上、そういったいじめが起こるのはやむをえないところはあるし、その矛先が自分に向いてしまうことは受け入れるという度量は多少必要だと思う。
まして社会人ともなれば、お金を稼いで自立しなければならず、環境を自分好みに変えることはさらに難しくなる。逃げてばかりでは生きていけないし、(むしろ現代は共同体から省かれても生きていけるという点で幸せであり、)残念ながらそれを受け入れる経験は必要なのかもしれない。
では結論としていじめられている人は何をすべきなのかということについて、これといった答えは持っていない。
ソフトウェア用語で「銀の弾などない」という言葉があるように、パーソナライズ化された苦境の中で、それを一括りに取り除ける行動術がないと思うし、その人自身が色々な試行錯誤をして何とか生き延びていかなければならない。
幸い自分は引きこもらず、いじめに耐えながら、勉強だけは人よりできるようにするという意欲を持てたことで、そこそこ良い大学に通っていじめから脱却できたが、仮に勉強すら放棄してしまったらと思うとゾッとする。
結局のところ「辛かったら逃げて良いんだよ」というのは、銀の弾丸を求めている人々の潜在意識に訴えかける良質なコンテンツということで、実用性はさほど伴っていないのかもしれない。
逃げていても誰もが幸せに暮らせる社会を実現したいという志は全く否定しないが、残念ながら自分たちの生きている時代では実現しそうにないし、まずは目の前にあることを一つずつ対処していく他はないのではないのだろうか。
タイトルそのままの話。
人にとにかく好かれたい。正確にいうと嫌われるのが怖い。孤独が怖い。
何故そんなことを思うかというと実際にはかなり嫌われやすい。陰口も悪口も言われる。
自分でも嫌われやすい性格だと思う。他人の悪いところが目に付きやすいしそれを隠すのが下手。
道を塞いで歩く人にイライラする。他人の悪口を言う人にはモラルがなさ過ぎてドン引きする。30近くになってセックスがどうだの言う人には大人気ないと思う。友達や恋人を貶すことでコミュニケーションをとる人を見ると虫唾が走る。メンヘラ叩きだのMe tooだのも片方当事者が一方的に相手の言い分も聞かずにとりあえず叩くという性質のものであれば激昂する。
とにかく怒りっぽい。自分の考える正義というものから外れるととんでもなくイライラする。
こんなことを考えている自分は人を裁く権利はない。能力もない。それなのに勝手に脳内で他人を正義から反すると判断して断罪しようとしている。そんな自分が気持ち悪い。だが辞めたい辞めるべきだとわかっているのにイライラしてしまう。
イライラする自分を受け入れられない。そして自分こそ他人から見たらイライラされる対象となるのがわかる。でも辞められない。どうすればいいかわからない。
こんな自分が嫌いで人と会うのを徹底的に避けている。人を見下したり人にイライラするのが怖くて人と話せない。だけど孤独が怖い。人に好かれたいしありのままの自分を受け入れてほしい。
どうしたらいいかわからない。死にたくなるけど痛いのが怖いし死んだら親や家族がこの後死ぬまでなんらかのしこりを残してしまう。そんなことはしたくない。まともに生きられないのがつらい。
どうしたらいいのか、助けてほしい。
ゲーマーなんてもともとモラルを信奉する社会体制側みたいな気質の人はいない。
効率や合理性を信奉し、常識や慣習に囚われてチンタラやってる人間を嘲笑い、最短距離であざやかに諸問題をクリアしていく姿勢をカッコイイとする人種だよ。
そのためにはプログラミングを学んででもチートしたり、不正の境界ギリギリの「使える」バグを解き明かしたり、肉体やハードウェアの限界までも追求したりするもんだよ。
モラルなんて綺麗事の前に足踏みして自分を納得させてる奴は決してゲーマーになれないし、成功者として社会的地位を得たプロゲーマーだって表で綺麗事いっててもモラルに囚われないマインドを必ず持ってるんだよ。
コメントが「ええ…?」みたいなやつ
どんなスポーツでもこれはアウトだわ→なに一発退場になってないって正気?→監督のコメント…これもしかして監督の指示…?ってアメフト知らん人も騒ぎに注目しはじめたみたいな雰囲気
でもこれ監督が守られて選手が主導です!ってなっちゃうんだろうなあ
ここんとこ色んな競技の連盟とか協会とかで不祥事あったののひとつだね
この協会はクソってのに故意の殺人タックルよりも協会重鎮(笑)の日大監督を擁護するアメフト協会ってなるだけ
サッカーとかより相撲の電モクアタックなあなあにした相撲協会と近い脳筋殺人容認団体なんだなーと、この騒ぎでアメフトにはじめて能動的に触れた身として思った
プロ選手とかでモラル高めの人もいるみたいだけど中央がガン腐りみたいだからねえ
いっそNFLだっけ?アメリカのとこで取り上げられたりしたら泡食うんだろうけど、向こうからしたら木っ端な問題もいいとこだし無理だねきっと
今さっき、D7出口から有楽町線の有楽町駅ホームに向かったところ。
2度酷い目にあった。
1つ目は、D7出口から入り、エスカレーターを降って駅構内に入ると、
エスカレーターを昇るための長蛇の列が横に広がり、
エスカレーターから降りた人達の行く手を全て遮って通せんぼしていた。
すぐに、ひと一人分のスペースを空けて通してくれたが、
昇りの、エスカレーターはそもそもに2列なのになんでそんなに毎度広がっているのか。
つらい。
次に、
通路を真ん中から半分にわけている点字ブロックを超えて歩いて来た人に、
盛大に肩をぶつけられた。
なんか、有楽町線駅構内の歩行者マナーというか、モラル、低すぎない?
まだ、新年度始まったばかりで田舎者が暴れているからだろうか?
エスカレーターの転倒事故や、ぶつかられて怪我人がでたりする前に改善求む…。
以下参考情報:
・エスカレーターの順路
┊︎↓┊︎↑┊︎
・通路の順路(案内指示はなし、エスカレーターの順路に従った結果下記の通り)
┊︎↓↓↓↓点字ブロック↑↑↑↑┊︎
・実際の通路歩けるスペースは下記の通り。
屋台が通路上にある為、屋台と点字ブロックの間を歩けるのは人二人分。
今回は、そこを歩いていたところ、点字ブロックと壁との間が人四人分あるにも関わらず、
点字ブロックを超えて実質の順路逆走してきた人にぶつかられた。
この、ルールではないが、
マナーモラルとして存在している順路の逆走行為は目立って行われている。
というか起きない日はない。
また、駅利用者のなかに盲の方がいてよく点字ブロックの上をあるいているんだが、
壁と点字ブロックのあいだに広いスペースがある側の人がよく逆走してぶつかりそうになっている。
はっきり言ってかなりこわいと思う。
転んでパンツ丸出しになった。
画像https://www.tokyometro.jp/station/yurakucho/yardmap/index.html
それともこの程度のことは民間企業でもガンガン起きてるからスルーでいいのかな。
マジレスすると、まじめに事前着工や談合に当たるような行為の防止に務めると業務効率が少なく見積もって2割低下する。
つまりは人件費が20%マシマシでかかることになるけど、それでも事前着工や談合はさせない方が国民のためなのかね。
つうかすでに「事前着工やめろ!でも納期と予算は死ぬ気で守れ!」とか抜かしてくる連中と内ゲバの日々だよ。
1~3年おきぐらいに仕事場コロコロ転がされてスキルレベルが半分程度リセットされたり、パーキンソンの法則ばりばりな謎い業務の増やされ方さえ無ければそんな厳しくもないけどね。
マジで国民や政治家が俺たちに何を望んでいるのかよく分からなくなってきたわ。
なんだろうなあ。
パノプティコンってあるじゃない。
誰もがあんな感じで何か見えざる目に脅かされながら刑務所の中で働いてるような感じかなあ。
お互いが看守であり囚人であり密告者であり裏取引の相手で、そこにはある種の厳格な規律があると同時に驚くようなインモラルが吹き荒れ、「常識」が外の世界とは日々ズレこんでいくような、そんな感覚じゃよ。
水清ければ魚棲まずというけど、水を綺麗にしているかのように見せかけるために裏ではろ過した汚れをバシャバシャ見えづらい場所に放流している嘘つきワールドじゃよ。
嘘をつかねば仏になれぬ。それな。じゃよ。
連休中の昼下がりで非常に混雑していたが、運よく2人掛けのテーブル席に座ることができた。
隣の席で30歳前後と見られる男性2人が結構大きな声で話しており、否が応でも内容が耳に入ってくる。
どうやら直前まで交流会に参加していたようで、そこで交換したであろう名刺をテーブルにずらっと並べていた。
その上で、スマホで交換相手の企業情報を調べながら、この会社はどう、この会社はどう、と大声で批評している。
そこまでならサイト等に載っている公開情報だからまだしも、交流会で話したであろう内部情報まで話す始末。
挙句の果てには、お互いの交換していない相手の名刺の写真を撮り合い始めた。
社内や個室の店でやるならともかく、ここはスタートアップとか集まってる街だから、どこで誰が聞いているか分らんぜ。
話の内容からどっかのスタートアップの社員だと思われるが、ビジネスモデルや技術力を磨く前にモラルを身につけた方が良いんじゃないかな。
はてなとかでは批判されがちなオールドタイプの日系企業に勤めるおっさんの感想です。
もしかしたら情報セキュリティや個人情報に対する自分の一般常識が古いかもしれないけど、ちょっと思うところがあったので書き込みました。
誤解が解けたと思ったら手のひら返しで「すごい」「かっこいい」「大好き」
寄ってたかって責めて、したくもない弁解をさせて、罪悪感みたいなものはないのだろうか。
身ず知らずの人間の悪意に乗っかって、騒いで、大事にしたのは紛れもなくファンなんだよ。最終的に家族や親戚まで巻き込んで。
こういう悪意や噂話には「沈黙」が一番の防御であり攻撃なのに、それができなかった。
当たり前なことだけど、アイドルだって人間だ。これだけ騒がれて傷つかないわけがないんだ。
今日もきっといつもの笑顔でファンを幸せにするだろうけど、当人の心がぼろぼろになっていないか、ファンに怯えていないか。
老い若い関係なく、身勝手なオタクの多さに改めてびっくりした出来事。
無理すぎてジャニオタやめようかと思った。本能的な物なのでやめられないけど。
matorico 友達と二人で職場の大先輩のご招待を受けただけでこれだけ叩かれるということは、日本では極めて多くの人が「男は基本的に性犯罪者予備軍である」という意識なんだな。もう男性差別とか口が裂けても言わないでほしい
すごい星ついてるけど、ざっくり100人くらいの人は同意してんの?
今後男性に対し差別があるかもしれんがやむなし、これは区別!って思ってんの?
まじで?どうしようすげーこわい。俺がぼーっとしてる間に どでかい差別が正当化されようとしてる。日々を彼女とおだやかに過ごしてる俺はどうなっちゃうの?これから自分や親戚に男の子が生まれても「君も多少社会的自由を制限されるがそれは合理的なんだよ」って話さないといけないの
なんで男性差別を受け入れないといけないの?合理的だから区別なの?
それってたとえは悪いが「障碍者は〇〇だから排除する」と何が違うんだ?
もちろんTOKIO山口のやったことは許されることではないと思う
法律どうこう以前に、多くの人の期待を踏みにじる行為だ。また被害者本人にとってどれだけ恐ろしい体験だったんか、結局俺にはわからない。
そしてその女性を口汚く非難する人々も、率直に、モラルのかけらもない頭のおかしい奴らだと思う
でもそれは「未成年に対して」「無理やりわいせつ行為を迫ったから」だろ?
たとえば親と子くらい歳の離れている成人女性を部屋に呼んで、いい雰囲気作ってアプローチして、断られたらそっかごめんねって言ったらどうなんだ?
セーフじゃないか?それもやっぱり犯罪級なのか。なぜだ。良識ってやつ?自分と歳がかけはなれている人を性的対象としてみてはいけないのか?それってつまるところ自分の想定とかけ離れていて理解できないから気持ち悪いってだけでは?とすれば理解できないのはお互い様だろ?「なんでそんなことも想定してないの?」って奴らと同じだろ
俺の考えは、あくまで無理やり行為を迫ること、それを「部屋に来たってことはOKってことだろ」とヤバイ曲解するのがまずいことだ。そしてそれは古い考え方、男女の性質の無理解から生まれているんじゃないか?
なんでもある研究によれば平均的な男性は1分に1回性的な思考がうかぶが、女性は一日2、3回程度らしい。すげー差だな。この説は女性からすれば男って性的なこと考えすぎだろと引くのかもしれんが、俺はそれを知ったとき「え、女性ももっと性的なこと考えたらいいのに」と思ったものだ
つまり脳の構造という前提からして全然違うのだ。どっちが正しいとか基準とすべきとかそういうことじゃない、必要なのは性差を理解し合って力関係を均衡させることじゃないか。
具体的には性教育として避妊と同じくらいの重要度で男女の性衝動の差とか、思考志向の傾向を学ぶべきなんじゃないか。「平均的な男性はセックスのことばっかり考えてるが女性は全然そうでもないし、急にその気になったりしづらい」とか「平均的女性は精神的、とくに人間関係ストレスの影響を身体に受けやすいが男性はそれほどでもない」とかさ。あと男性にはほんとマジで女性とうまく関わる方法を広く共有すべき。やべーところでこじらせて勝手に思考が偏り切ってる男が多すぎる……
べつに男の暴力的振る舞いを許せとか無理なこといわないからさ、もう一回自分の発言や行為を振り返ってみてはくれないか。それとも区別として男性の権利を制限することをよしとするのか?
過激な思想が主流になってしまったら、俺も建設的に考えるどころじゃなくなって、自分の人権のために争わなくちゃいけなくなる……
ルール③ 特定の個人や団体に不相応な報酬等を支払うこと及び不当に安い金額で労働力・物品を提供させることを禁止する
ルール④ クラウドファンディングや広告契約等により3億円以上の資金を用意することは禁止する
ルール⑤ 2D・3D・セル・ストップモーション・音声の有無・実写シーンの有無等の表現方法に制限は設けない
ルール⑥ 劇場版・ネット配信・CM・テレビアニメ・OVA・個人的コレクション等の提供形態に制限は設けない
ルール⑦ 複数本のアニメを作る場合は作品間に関係性があること
ルール⑧ 複数人で3億円を出しあう想定で作品・作品群を作ることを禁止する
ルール⑨ 現代の人類の文明レベルにおいて一般的でない技術や魔法等の使用を禁止する
ルール⑨' 現代の文明レベルでは死者の蘇生や人間の分裂は出来ないので「手塚治虫にアニメを作らせる」「宮崎駿を100人に増やしてアニメを作らせる」等は禁止する
ルール⑩ 構想・製作の開始は2018年4月からとし2023年4月までに完成させるものとする
ルール⑩' その間人類の文明レベルが発達することはないものとする
ルール⑩" その間人類史において大規模な事件が起きる可能性は考慮しないものとし社会的な価値観の変化は起きないものとする
ルール⑪ 2018年3月までの間に世の中に出ていない作品・事件等を妄想しそれに関連したアニメを作ることを禁止する
ルール⑫ 以上のルールに抵触しない限りモラルの是非・法的な問題・スタッフ集めの制約・企画が通らない可能性等は考慮しないものとする
長めです。
私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、
今回の事柄のテレビ報道で問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)
端的にいうと報道番組は必要な手順をスキップしてないか?と感じます。
まず、私達の住む社会がセクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。
一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当な事実かについて十分な調査や検証が行われてない段階で、
誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います。
一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会的役割や影響力が全く違います。
私は法律の専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)
検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会のサイトから引用します。
「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、
「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。
(引用ここまで)
法律の世界において、一つには刑事裁判の立証責任の所在を示す意味もあるそうですが、
今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。
ですから刑事裁判の原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。
しかしこの原則の意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。
被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実を否認しており、また提出された証拠の妥当性、当時の状況等々に関して
十分な確認や検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。
更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪を要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)
報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。
直接的に「誰某は加害者である・被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現は被害は事実であったという事実認定が前提になった言葉です。
「セクハラ発言」という表現もある発言がセクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉は一般的な意味で使っています。私は法律の専門家ではないので)
言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。
「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人もいるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます。
(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521)
中年男性の性的な発言に対する嫌悪感から即座にセクハラと認定していないでしょうか。
何が妥当な事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。
加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。
もちろん私もこの場合、被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要なモラルだと思います。
しかし、であれば、加害者とされる側についても必要な検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?
(対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。)
一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態が報道において連日続けば
視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。
念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。
疑われている事柄が事実なら、必要な謝罪や処置が当然行われるべきです。
しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認と検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。
また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います。
例えば、ある刑事事件において警察が犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者に自白の強要を行い裁判で有罪が確定したとします。
この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います。
後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律やジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います。
そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的な権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います。
最後に、上で述べたような性質の発言をする人ばかりではありませんでした。
慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。
DVがあるわけでも、とても悲しい事件があったとかではないんだけど、人として駄目な家族
小さい頃から家族に容姿や頭の悪さを馬鹿にされてきたから、未だに自分に自信が持てない。
可愛がられてきた記憶もあるけど、物心つく前から両親はギャンブルに出掛けて、その間はフラストレーションの溜まった兄から軽度だけど暴力振るわれる毎日。
小学校中学年辺りからは晩御飯も用意されなくなって、両親が深夜に帰宅してからのご飯が殆ど。我慢出来ない場合はカップ麺を食べろと言われていた。
そんな状況の中育った私はとても捻くれた。心もいつだってギスギスしてる。
生きていく内に多少成長は出来た。昔は誰かと一緒じゃないと行動出来なかったけど、今は一人で外食出来るまでになった。
常に誰かに馬鹿にされてるんじゃないか、気持ち悪いんじゃないかと思って、人の目線を気にしていたけど、今は人の目線を余り気にしなくなった。
外見も髪を伸ばし続けて顔を見られない様にしてたけど、前髪も短くしてオシャレもする様になった。
友達も沢山ではないけど、両手以上には出来た。
自己顕示欲の塊。すぐに怠ける。
こんな自分が本当に嫌。
なんでイライラするんだろう。なんで嫌な気持ちになるんだろう。なんで広い心を持てないんだろう。
それを全部家の所為にして逃げ続けてる。
全部じゃない。全部じゃないし、自分が成長する努力を怠っているからだというのもわかってる。
でも今から性格ってどう変えればいいの?どうやったらイライラしなくなるの?常識やモラルを理解して自分の価値観は変えられても、心を明るくする方法がわからないよ。
知り合いに裕福な家庭でずっと褒めらて育った子がいるけど、とてもポジティブで心が健やかなんだなって感じる。性格もさっぱりしてるし、人生楽しそう。
褒められる事って良いな。自分を肯定してもらえるのって羨ましい。
全部じゃないかもしれない、でも、本当に、親からの影響って多少はあるんだよ。
同じ状況の中でも私と違ってしっかり前向いて進んでる人もいると思う。
それでも、少なからず傷付いてるよ。
こんな自分だからこそ、子供に同じ様な事をするのが怖いから。一生子供を産む気にはなれない。
母親を出来る気がしない。
ずっと、ずっと思ってるけど早く死にたい。
社会のゴミみたいな自分が年老いても幸せになれる気がしないから早く死にたい。
今がね、一番幸せなんだよ。幸せのピークって言っても良いかもしれない。
自ら死ぬ勇気も無い臆病者だから、早く死ねる事をずっと祈ってるよ。