はてなキーワード: プレスとは
「公約は選挙の時点でのことであって実際に県政を担う立場になったら関係ない」とコメント
全会一致での不信任を受けても、なお非を認めず、平然と"開き直り"を続けるとは、理解不能だ。"自分ファースト"の"ナルシスト・モンスター"って感じだ
市長時代には斎藤氏が知事就任後に市町との連携について、泉氏が携帯で苦言を呈したところ「着信拒否された」
大阪の学費無償化によって人口が兵庫から流出していることを県が考えなければいけないのに県は何もしてくれない。
神戸市は単独でできるところまでやりますとギリギリで踏ん張っている状態なのを理解してほしい。『9月例会』
知事としての最後の登庁日に本来ならある花束の贈呈や送り迎えする職員の姿もなかった
斎藤さんが頑張ってきた、実績を残してきた、という声もあるそうですが、我々政治家は頑張るのは当たり前の話ですし、実績云々も見方は人によって変わってきます。仮に評価すべき政策や実績があったとしても、それを継続的に、またさらに前に進めていくためには、職員や市町、対象となる方々の理解と共感があってこそ前に進むものです。
https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/
企業と手を組んで子どもたちに万博を無料で行かせます。こういうことが新聞記事に出ました。そして私達はそのことを全く知らされなかった。
よくよく調べると県は数千万円万博のチケットを企業から寄付してもらったようです。
そして行く経費、交通費は各市で持ってください、そういうんです。
尼崎だけででバス代だけで一億円以上かかるんです。それがわかるにもかかわらず尼崎で事前に相談をせずにこういうことをプレスで発表するんです。
彼は亡くなった職員に対して、「道義的責任というものがわからない」と回答した。
県職員1人の命を守れない首長に、県民の命を守れるわけがないだろう!
『11月15日街頭演説』
この3年間の斎藤県政と国政との関係は、私の目から見て健全とは思えなかった。例えば、今年から始まった兵庫県立大学の無償化。大学教育の無償化を否定するものではないが、今、国政の場で全ての大学を対象とした学費負担軽減策を進めているさなかに、我々に何の説明もなく県立大学のみの無償化を打ち出し、他の大学は国の責任で実施せよと言う。
2年前の県立高校の統合方針についても、我々が知ったのは記者発表後だ。国会議員への県予算説明会でも、斎藤前知事が自らの言葉で語る場面は少なく、前知事自らが足を運ぶ個別要望もほとんどない。このため、我々国会議員との意思疎通が十分に図れない状況にあった。(聞くところによると、県議会議員とも、県幹部職員とも十分な協議は行われていないとのこと…。)
https://kisaburo.net/2024/11/12/%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E8%B3%87%E8%B3%AA/
「斎藤氏が県政に復帰すれば、オールドメディアが隠した事実をネットメディアが伝え、有権者の投票行動を大きく変えた歴史的な選挙と言われるだろう。」
https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20241114-187005/
あと一つは?
「公約は選挙の時点でのことであって実際に県政を担う立場になったら関係ない」とコメント
全会一致での不信任を受けても、なお非を認めず、平然と"開き直り"を続けるとは、理解不能だ。"自分ファースト"の"ナルシスト・モンスター"って感じだ
市長時代には斎藤氏が知事就任後に市町との連携について、泉氏が携帯で苦言を呈したところ「着信拒否された」
大阪の学費無償化によって人口が兵庫から流出していることを県が考えなければいけないのに県は何もしてくれない。
神戸市は単独でできるところまでやりますとギリギリで踏ん張っている状態なのを理解してほしい。『9月例会』
知事としての最後の登庁日に本来ならある花束の贈呈や送り迎えする職員の姿もなかった
斎藤さんが頑張ってきた、実績を残してきた、という声もあるそうですが、我々政治家は頑張るのは当たり前の話ですし、実績云々も見方は人によって変わってきます。仮に評価すべき政策や実績があったとしても、それを継続的に、またさらに前に進めていくためには、職員や市町、対象となる方々の理解と共感があってこそ前に進むものです。
https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/
企業と手を組んで子どもたちに万博を無料で行かせます。こういうことが新聞記事に出ました。そして私達はそのことを全く知らされなかった。
よくよく調べると県は数千万円万博のチケットを企業から寄付してもらったようです。
そして行く経費、交通費は各市で持ってください、そういうんです。
尼崎だけででバス代だけで一億円以上かかるんです。それがわかるにもかかわらず尼崎で事前に相談をせずにこういうことをプレスで発表するんです。
彼は亡くなった職員に対して、「道義的責任というものがわからない」と回答した。
県職員1人の命を守れない首長に、県民の命を守れるわけがないだろう!
『11月15日街頭演説』
この3年間の斎藤県政と国政との関係は、私の目から見て健全とは思えなかった。例えば、今年から始まった兵庫県立大学の無償化。大学教育の無償化を否定するものではないが、今、国政の場で全ての大学を対象とした学費負担軽減策を進めているさなかに、我々に何の説明もなく県立大学のみの無償化を打ち出し、他の大学は国の責任で実施せよと言う。
2年前の県立高校の統合方針についても、我々が知ったのは記者発表後だ。国会議員への県予算説明会でも、斎藤前知事が自らの言葉で語る場面は少なく、前知事自らが足を運ぶ個別要望もほとんどない。このため、我々国会議員との意思疎通が十分に図れない状況にあった。(聞くところによると、県議会議員とも、県幹部職員とも十分な協議は行われていないとのこと…。)
https://kisaburo.net/2024/11/12/%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E8%B3%87%E8%B3%AA/
「斎藤氏が県政に復帰すれば、オールドメディアが隠した事実をネットメディアが伝え、有権者の投票行動を大きく変えた歴史的な選挙と言われるだろう。」
https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20241114-187005/
あと一つは?
売上高: 3,493億円 (前年同期比13.4%減)
営業利益: 54億円 (前年同期比42.3%減)
純利益: 15億円 (前年同期比76.4%減)[1]
純利益: 71億円 (前年同期比25.4%増)[2]
売上高: 1,458億円 (前年同期比4.7%増)
売上高: 1,625億円 (前年同期比0.6%増)
経常利益: 44億円 (前年同期比34.5%増)
純利益: 9億円 (前年同期比21.7%増)[4]
自動車部品業界全体としては厳しい状況が続いているね。特にフタバ産業とエフテックの業績悪化が目立つ。一方で、愛三工業やユニプレスは増収増益を達成しており、企業間で明暗が分かれてる。今後の自動車産業の動向や各社の戦略には注目したほうがいい。
引用:
[1] フタバ産業(7241) 東証プライム 決算 | マーケット情報 | 松井証券 https://finance.matsui.co.jp/stock/7241/settlement/index
[2] 愛三工、上期経常は14%増益で着地 - みんかぶ https://minkabu.jp/news/4053301
[3] ユニプレス(5949) 東証プライム 決算 | マーケット情報 | 松井証券 https://finance.matsui.co.jp/stock/5949/settlement/index
[4] エフテック【7212】、上期最終が赤字拡大で着地・7-9月期も赤字拡大 | 決算速報 - 株探ニュース https://kabutan.jp/news/?b=k202411070174
ありがとうございます。自分は、自分の住む街の小さな新刊書店を必要なインフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能なビジネスであることが死活的に重要です(amazonも重要)。自分が読書好きになった経緯から、子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います。古本屋が一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います。
→ 個人的には書店の在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います。図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います。
・会計列を短くする目的でレジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。
→ 店舗によると思います。八重洲ブックセンター旧本店のときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行のカウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計を10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ・有人レジ・カウンターみたいに使い分けても良いと思います。
→ 必要ないと思います。書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客と対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービスも本棚で勝負できていない書店が稚拙な集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンターの物理的なポイントカードは結構好きでした。
→ オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携が中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置きは可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonのサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります。
・書籍を取り寄せするための流通システムとamazonやe-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。
→ 流通の細かな話は分からないですが、amazonやe-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズは新刊小売書店の企業努力で発掘されたら良いと思います。個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。
・しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおりを制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。
→ 八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年頃から、無くなりました。2024年にオープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町の東京堂書店も昔あった記憶です。
→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランスで本棚の書籍が決まっているような印象を受けるときがあります。丸善日本橋、丸善丸の内、ジュンク堂池袋、紀伊國屋書店本店も自分が比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています。神保町の東京堂書店は自分が比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。
→ 大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具や雑貨を売るのとオペレーションもモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具や雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店がセレクトした文房具や雑貨だからといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善の丸の内や日本橋にあるような高級文房具や絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンターでプレスマンのシャーペンは良く購入してましたので、書店のアクセントとしてあっても良いと思います。
→ 書店の体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラの販売店で購入している感覚があります。
・ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。
→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町の東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます。外人と外商に支えられている紀伊國屋書店も微妙にこの辺が改善してきている気がします。
・「雑誌ベースのインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍の流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。
→ 一般論として、toBをメインの収益源にしている企業がtoCに関わるのは難しいと思います。toB向けのコストカット的kaizenをtoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります。大型書店の場合について考えると、ニッチな需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍の流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌を毎日物流網に載せたい取次とはやや利益の方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズに対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます。
→ 新刊書籍の流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度が独禁法の適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います。
→ 1978年にオープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的なニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身のニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たからなのだと思います。上記のしおりが必要なのかどうかや文房具や雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論も貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的なニーズを中長期で発掘し持続可能なビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店の本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店の利用者なのかなと思うときがあります。紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。
以上です
まぁいっぱいあるんだけど動いてるとか動いてないとかあるので、著名アカウントということで。入ってなかったとか落ち込まないでね抜けてるだけ。多分あとから見直すと懐かしくなりそう。
公式全体まとめは
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野次「はなっせっ❤️」
警備「力じゃ俺に敵わねえから❤️」
野次「離せ❤️はぁっ❤️はぁっ❤️あっ…❤️」
警備「社会の厳しさ教えたるよ❤️」
野次「はぁっん❤️はぁ❤️はぁ❤️」
警備「120kgあるから動けないよ❤️」
野次「はぁっ❤️はぁっ❤️んっ❤️」
警備「そんなに世の中甘くないから❤️」
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当時、S誌(シミュレイター)と共に日本のボード版SLG界を牽引していたT誌に掲載されたリプレイ。トラベラー特集の目玉企画。著者はGURPSなど多数の作品を翻訳することになる佐脇洋平。リプレイと聞いて連想する今の型式が普及する契機となった。このときに安田均が「違う型式でいこう」と考えてたら、多分リプレイ文化は成立してないか大分変わってた。
そのS誌に掲載されたローズ・トゥ・ロードのリプレイ。Wikipedia曰く『ゲームの解説記事である以上に「読み物」として書かれた初めてのリプレイ』である。著者はわきあかつぐみ(藤浪智之)。実際の誌面を見ると一目瞭然だが、かなり独特な型式で、これに創刊号(再創刊号)でいきなり15ページも与えた鈴木銀一郎恐るべしである。記事自体の人気は爆発的に高く、反響も大きかったが、先述の通り、型式が独特だったので直接の模倣作はそんなに多くなかったはず(プレイの雰囲気というかノリは割と真似というか汚染されてたので、影響力が小さかったわけではない)。
既述の通り、日本のゲーム界では「このとき安田均が違う決断をしていたら歴史が変わっていた」タイミングがいくつかあるがその中でもかなり上位に入る。翻訳TRPGの本命というべきD&Dを紹介するにあたり、安田均がパートナーとして選んだのが、(専門性の高いボードゲーム誌でなく)大抵の本屋で普通に買えるコンピューターゲーム雑誌&角川書店だったこと、マスターに選んだのが水野良だったこと、結局そのままの単行本化ができなくてD&Dから離脱したこと、それまでの「エルフ耳」とは単に先が尖っているだけだったのに出渕裕の勘違いで笹の葉の如く細長くなったことなど、その影響は極めて大きい。
(以下追記)
元増田のブコメでb:id:f_d_trashboxさんの指摘により思い出した。名前の通りD&Dの入門書だが、リプレイパートが存在しており読み物としても楽しめた。著者は鈴銀とともに初期から日本のボード版SLG界を牽引していた黒田大佐こと黒田幸弘。それまではリプレイ=雑誌掲載記事だったが((厳密に言えばリプレイ載った同人誌も登場しつつあったが雑誌より入手難易度は上))、これは誰でも買える一般書籍として登場したという点で画期と言える((ただし、TRPGとは複数人数で遊ぶものであり、会場を借りる文化が発達してない時代だと個人宅で遊ぶ物で、必然的に自分で持ってない雑誌でもそこで読んだ、という人間は多く(筆者含む)、「雑誌掲載記事」という単語のハードルは現代人が想像するほどには高くなかった))。
リプレイ文化と言うよりも日本のTRPGシーンに与えた影響の大きさで選出。著者は山本弘。元増田は『TRPGリプレイが多数書籍刊行されることにはならなかった可能性があるくらい、歴史上はとても重要な作品』と言っているが、これは過大評価であり、当時すでに「雑誌にリプレイを連載し、そのシステムを販売し、さらにリプレイ本や小説((ロードス島戦記1巻は1988年4月発行))や解説本も売る」が安田均の戦略なのは多少目端の利く人間なら理解していた((どんなに遅くとも、独自システムになったロードス島のリプレイ第3部(コンプティーク1988年9月号~)を見てそう思わない奴はいねーよ、ぐらいの相場観))。
いわゆる「スチャラカ冒険隊」のリプレイは月刊ドラゴンマガジン1988年11月号から連載が始まるが、このパートではそれまではただ退治するものだったはずのモンスターを違う視点で描き、当時の日本中の若者(筆者含む)に多大な影響を与えた。
「初期」とタイトルに入れたので80年代の話だけにしようかと思ったが、影響の大きさ的に触れた方がいいかと思って言及。不幸な出来事。警察庁広域重要事件117号(1988年~1989年)と同様に「オタクは迫害されている」との自己認識を強める契機となった。
アメリカ探偵作家クラブ賞受賞の推理小説。著者はシャーリン・マクラム。訳者は浅羽莢子。D&Dがよく分かる本を探しに行ったら本棚から出てきたので紹介。SF大会で起きた殺人事件を題材とするミステリ。SF大会のオタク的様相が描かれる。クライマックスではTRPGを使って犯人を追い詰めるので、小説形式リプレイにしか見えない謎仕様。今気づいたけど、152ページに出ている架空の書籍タイトルが「美女と野獣――マンチキンの国がとりもった結婚」とかで訳注は原義の「オズの魔法使いの国に登場する小人の国」としか書いてないけど、年代的にはジェフ・オカモトの方にひっかけた可能性が高いと思われる(余談が過ぎる)。
バックプレスはビハインドネックプレスとも呼ばれる。一般に肩に負担がかかるので無理に下ろし過ぎてはいけないと言われている。増田の体感では手幅は少し狭めが良い。スーパースミスで行うとストレッチ感が強く、通常のスミスでは収縮感が強い。ここら辺はマシンにもよると思われる。肩の関節に対する安全性の観点から、最近はフロントプレスが推奨されがちではあるが、増田の個人的なフィーリングでは肩に良く効くのでお気に入りのエクササイズである。
スクワットに関して、フロントスクワットに対して通常のスクワットをバックスクワットと言う事もあるが、ビハインドネックスクワットという言い方があるのか増田は知らない。フロントスクワットは上体を立てた状態を保たないといけないので技術的に難しく、(通常の)スクワットよりも重量は下がるが、それ故に腰の負担が少なく、大腿四頭筋によく効く。足首の柔軟性に乏しい人はプレートを引くなどして踵を上げた状態で行うとやりやすい。
ライイングエクステンションとスカルクラッシャーは元々同じエクササイズを指していたが、最近では下ろす位置の違いで区別する人もいる。区別される場合、スカルクラッシャーは額の上にバーベルを下ろすエクササイズを指し、ライイングエクステンションは頭上を越えて(バーベルを)プルオーバー気味に下ろすエクササイズを指す。スカルクラッシャーは内側頭と外側頭に効くが、肘の位置を固定するので肘の負担が非常に大きい。ライイングエクステンションは肩関節も動かすので長頭も動員される。こちらの方が肘の負担が少ないので推奨されがちである。増田は現在、肘に問題があるのでどちらも行なっていないが、肘関節が強くデカい三頭を持つ人の中にはスカルクラッシャーを好む人もいるらしい。個人的に肘に問題があるトレーニーには、ジムの環境が許せばという条件つきではあるが、特製のロングロープを用いたケーブルキックバックがオススメである。
おまんらおまんこ(挨拶としての「おまんらのおまんこ力は53まんこでおま」に飽きてきたので、これからは「おまんらおまんこ」も活用していきたい。)
あれは、すべてプロレス技なんだ。いや、これは冗談なんかじゃない。
みんな「ロールプレイングゲーム」として楽しんでいるけど、本当は「Rope-Press Gutbuster(ローププレス・ガットバスター)」の略だ。
つまり、ロープに押し付けられた勢いで腹をガツンとやられる技。腹がへこむなんてもんじゃない。あれを知らずにゲーム感覚でやってる奴ら、無防備すぎる。
次に「ATM」。これも危ない。「Automatic Teller Machine」だって?いやいや、違う。「Aerial Torture Maneuver(エアリアル・トーチャー・マニューバー)」だよ。
空中で拷問じみた関節技を繰り出される。お金を下ろすどころか、自分が宙を舞うことになるぞ。しかもそれが待っているのは駅前のコンビニ。油断してATMに近づけば、即座にプロレスの世界に引きずり込まれる。
日常に紛れ込むこうした略語が、どれだけ危険かを僕は訴え続けている。
だけど、みんな僕の話を聞いてくれない。
ある日、同僚のTが「PDF送っておいたから確認して」と言ってきたんだ。PDF、あれもプロレス技だよ。なんだと思う?「Piledriver Fast(パイルドライバー・ファスト)」だ。
頭から地面に叩きつけられて、しかもそれが高速だなんて、考えただけでも恐ろしい。僕は絶対にそのファイルを開かなかった。あんな危険なもの、目を通してはいけない。
さらに「CPU」。これは会社の会議中に頻繁に使われるから特に要注意。「Central Processing Unit」だって?そんなの表向きの意味にすぎない。「Chokehold Power Uppercut(チョークホールド・パワー・アッパーカット)」の略だ。
首を絞められたあと、ものすごいアッパーカットが飛んでくる。これを毎日のように会社で話している奴ら、知らずにプロレス技を仕掛け合っているんだよ。僕はそのたびに身構えるけど、周りの連中は平気な顔して「CPUの性能が…」とか言っている。いつか全員がリングの上で痛い目に遭うのを、僕はただ見守るしかない。
僕の警告を無視して、略語を日常的に使い続ける奴らに嫌気が差し始めた頃、ついに「LOL」が出てきた。これも「Laugh Out Loud」とかいうネットスラングだと信じ込んでいる人が多いけど、真実は違う。「Leglock Overhand Lariat(レッグロック・オーバーハンド・ラリアット)」だ。笑ってる場合じゃない。相手の足をねじって、顔面にラリアットが飛んでくるなんて、笑えないどころか恐怖そのものだ。SNSで気軽に「LOL」なんて使ってる奴ら、本当はリング上でバチバチにやり合ってるのに、本人たちは全然気づいてない。
僕はそんな略語三文字の世界を避けるため、いったん距離を置こうと思っていた。
だが、どうやらそれはもう不可能だ。
僕は逃げられない。日常に紛れ込む略語三文字英単語の世界から逃げることなんて、できやしなかったんだ。
僕はいつもプロレスのリング上にいるんだと、ようやく理解した。
こんな状況になっても、やっぱり誰も僕の話を信じてくれない。だけど、君は分かってくれるだろう?
気をつけろ、リングの上に立っているのは、もう君も同じなんだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/86672
これ連載第一回にはさらに強烈で電話恐怖症で退職とかって話も出てきてんだけど、本質的なブコメ少なくて割と深刻じゃね。
指摘してるブコメもあるけど、コレって入社時の受け入れ環境の変化に会社側がついていけてないって話でしょ。
例えばさー、飲み屋でイッキして一発芸が出来て、良い感じに二次会を確保しつつ、朝まで接待麻雀に付き合えるのが社会人の必須技能とか、もう無いじゃん。
なんなら、もう普通自動車免許持ってなくても別に就職とかできるでしょ。
昭和の時代なら、普免もない、新聞も取らない、固定電話を引かないとか、会社でも相当変わり者だったっでしょ。
工場勤めてるとよー、未知の機械は怖いよー。指が飛ぶくらいで済めば御の字で、ちょっとしたことで重大事故になるからよ。
わかってるだろうで、新人にプレス機とか絶対に触らせないけどね俺なら。死にたくないし。
だから、電話番を新人にさせるのに、わかってるだろうでやらせる会社とか、社会を舐めてるとしか思えないね。会社の顔たる窓口業務を舐め腐ってるからこんなことできんでしょ。
大事な取引先に「はー、なんかモゴモゴ言っててわっかんねえなあ!ハッキリ言ってもらえないスか!」みたいな100%の善意で新人が聞き返しちゃって大問題とか、経験したことねえんだろうな。
鬼頭えんは中世イングランド文化に詳しく、その文化の中で生きる少女が汚いおっさんに犯される作品を得意とする
聖人フォワールの伝承が残る地域で、その聖人を祝う日にキスをした恋人たちの愛は永遠になるという
少女たちはその日にキスをすることに憧れるが、想い人ではなく汚いおっさんにベロチューレイプされてしまうのがシリーズの伝統だ
小さな少女が巨躯のおっさんにのしかかられ画面の2/3がおっさんの汚いケツで埋められる
複数人のおっさんに同時にあちこちを攻められ種付けプレスされた少女は嫌なのに感じてしまう
おっさんたちは熟練のレイプ犯で、それまで無垢だった少女にありとあらゆる愛撫や言葉責めを施すことに長けている
時にはおっさんではなくショタの集団というパターンもあるが、大抵はおっさんだった
ところが近年の鬼頭えんはおっさんをしまい込んでイケメンばかりを描く
イケメンな幼馴染、イケメンな義弟、イケメンな王子、イケメンな執事…
輪姦もなくなり、男のケツを見せつけることもなくなり、少女の尊厳破壊するような酷い言葉の暴力もない
「ちょっと強引なイケメンに求められて気持ちよくされちゃうv」という完全に女性向けの作風になってしまった
これは、良くない
転換期は『Saint Foire Festival Richildis』だろう
領主の娘である無垢な少女リチルディスは、亡き父に仕えていた従者のイケメン幼馴染と相思相愛
しかし、後見人である叔父が金目当てに汚いおっさん貴族との縁談を進めてしまい、おっさんは「味見」として挙式前からリチルディスを連日凌辱する
挙式を控えたある日、冷たくなったイケメンを追いかけ屋敷を出たリチルディスは聖フォワール祭の見物客であるよそ者の汚いおっさん集団に輪姦されてしまう
他の男に汚された上に気がふれて価値を失ったリチルディスは、貴族のおっさんに見捨てられ結婚は破談
なんやかんやあってイケメンは片腕を切断され顔の半分を焼かれるが、もう誰にも望まれなくなったリチルディスを屋敷から連れ去りイケメンの故郷で平和に暮らしていくエンド
「色々あったけど最後にはイケメンと幸せになる」この作品が評価された結果、
「汚いおっさんとの色々なんかなく、普通に最初からイケメンと幸せになったほうがいいのでは?」となってしまったのだろう
ヤンキーVIP車のハの字のタイヤ(鬼キャン)のエントリがバズっていたので尻馬に乗って軽く書いてみる。
多くの人は車のタイヤは全部直立してると思ってるだろうが違うのだ。
そもそもなんでキャンバーが必要かという事が判らないと、ハの字にするのがカッコ良いとう文脈が出来たって事が判らない。ヤンキー文化というのは大抵、カッコいいの特徴を極端にし過ぎて独自文脈に至っているというのが多い。
『「タイヤがハの字」のクルマ、たまに見かけるけど何のため?→専門家の解説が的確すぎた!』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/349720
まず、多くの人が抱いている直立タイヤを模式化する為にペンと小皿を用意して欲しい。ペンを直立に立てて小皿をペンにくっ付けて立たせる。ここの小皿がタイヤでペンがハンドルを切った時にタイヤが向きを変える軸だ。
ペンを動かさずに小皿を動かしてみると、小皿はその場で向きを変えるんじゃなくてペンの周りをグルっと回るような動きをする事が判る。
これが自動車だとこの小皿=タイヤには車重が掛かっているのだ。数百キロの重さが掛かっているタイヤ2本をこうやって位置を動かす、しかも腕の力で、というのははっきり言ってチャックノリス以外は無理である。だからこの構造だと停止状態でハンドルを切るという事が出来ない。更にブレーキを踏んでいたらタイヤの動きがロックされるので物理的に無理となる。
初期の自動車もこの問題に直面した。その為、18世紀フランスで造られた蒸気自動車google:image:Cugnot Fardierも19世紀のベンツ初の車、モトルヴァーゲンgoogle:image:Benz Patent-Motorwagenも前1輪の三輪車だった。
でも3輪だと安定性と積載性に難がある。そこで4輪、つまり前の舵輪が2輪で運転に難が出ない仕組みが試行錯誤され、こういう風になった。
1.タイヤの向きを変える為の軸(キングピンという)をハの字に傾斜させる
こうすると、キングピンの旋回軸を延長して地面にぶつかるところとタイヤが設置する場所を一致させることが出来る。つまり、ハンドルを回してもタイヤは接地面を移動させずに向きを変えるだけなので、停止状態でもハンドルが切れるのだ。
剥き身になってる車では見やすいのでこれを見て欲しい。https://youtu.be/13WS1UpG38I?si=46LZ8ChZ6ftGXrZ9&t=180
3:00の辺りから前輪の内側が見えるが、スポークホイールの内側にブレーキドラムがあってその内側にキングピンが見えるが、キングピンは傾いている。またタイヤも逆ハの字に少し傾いていて、キングピンの軸の延長をタイヤの接地面が一致しているのが判るだろうか?
しかしこれだと問題も発生する。例えば右に傾いた円盤を転がすとどうなるだろうか?右にどんどん曲がっていくよね。だから逆ハの字に傾いたタイヤは走り出すとずっと右のタイヤは右に曲がろうとし、左のタイヤは左にっ…て状態になってて、無理にねじ伏せて走る事になる。タイヤのゴムはずっと「消しゴム掛けてる」状態になってるから直ぐに減ってしまうし燃費だって悪くなる。
そこでこうする。
右のタイヤは右に行こうとするので左向きにする。すると右に行くのと左に行くのが釣り合って直進するのである。
左タイヤはその逆に。
なんだが無茶苦茶で無理させてるように見えるが、実際にはちゃんと安定する。そしてこのタイヤの整列状態が戦前から1970年頃までの標準となった。
この為に逆のハの字が標準状態なので逆ハの字がポジティブキャンバーと言われる。上から見て前側を狭めるのはトゥインという。トゥはつま先で、つま先をすぼめた内股で立ってるイメージだ。ポジキャン+トゥインが70年頃までの標準ね。
だが逆ハの字の車というのは今は見ないだろう。それは駆逐されてしまったからなのだ。
まずレースなどのスポーツ走行。カーブでは外側のタイヤが踏ん張るのだが、車体が遠心力で外側に傾く(ロール)。するとタイヤも一緒に傾くので、逆ハの字が強くなってしまう。この状態だと踏ん張りがきかないというのは判ると思う。
だったらレースカーは駐車場の据切りとか考えなくていいのだから、最初からハの字(ネガディブキャンバー)にしておけばロールした時に直立状態になるからカーブを速く走れる。
という事でレースカー=ハの字となり、つまりはネガキャンは速さの象徴となったのであった。
特に1970年代まで多く使われていたタイヤは今のものと構造が違う。今使われているタイヤはラジアルタイヤといって、空気を入れる前も入れた後もタイヤの形が同じになるように構造がしっかりしている。更に接地面は平らになる様に鉄のワイヤを編んだベルトが入っていて、空気圧の多寡で形が変わらないようになっている。
だが70年代までのタイヤはバイアスタイヤといって、形が変化するように柔軟な構造になっていた。自転車のタイヤと同じである。空気を入れるとトレッド面(地面に当たる外周部分)も丸っこく変形する。だが接地面は車の重みで凹むので、これが接地面積になるという構造だった。
こういうヤワな構造のタイヤではタイヤが突っかい棒の方向に向いていれば踏ん張れるが、逆向きだとヨレてしまって全然踏ん張れない。
更にポジキャンが車界から駆逐されてしまったもう一つの理由がFF化だ。
FFは前輪を駆動する方式の事だが、初期のFF車には重大な欠陥があるものも多かった。
歩くほどの一定速度でアクセルを踏まずにハンドルを切ってぐるぐる回ると、前輪の向きと前輪が通るルートは一致している。だが速度を上げていくとタイヤはゴムなので外側にジリジリと滑りながら曲がるようになる。
ここでタイヤが大幅にスリップせずに路面とハンドルに追従するのは接地面のグリップ力によっている。このグリップ力を超えると滑りが大きくなってスピンや外側の壁にぶつかってしまうわけだ。
前輪駆動では駆動力が前輪にかかるが、グリップ力はカーブで踏ん張る力と駆動力で折半しているのだ。
これがどういう事かというと、首都高の急カーブでハンドルを切っているのにちゃんと曲がらず、外側に膨らんでしまうという時、グリップ力の限界付近になっている。
ここで慌ててアクセルを戻すと、駆動力分に割り振られていたグリップ力が全部カーブ踏ん張り力にやってくる。するとハンドルが効きすぎて急旋回し内側の壁に突っ込んでしまう。曲がらないからとハンドルの切り増ししていたら最悪だ。
だから首都高カーブでの事故というのは、外側の壁にぶつかるよりも内側にぶつかる方が圧倒的に多い。
逆ハの字のポジキャンではこの挙動が起きやすくなってしまう。因みに初期FF車でこの特性が強く出て問題視された車にはgoogle:image:ホンダ1300セダンなどがある。ホンダ1300は後から2ドアクーペが出るのだが、クーペの方が穏やかでセダンの方がじゃじゃ馬という不思議な車だ。
また車の駆動力は内側から伸びるドライブシャフトで伝達されるわけだが、この時、力を受ける軸の方に曲がろうとする特性がある。つまり両輪とも上から見て内側に向こうとしてる訳で、これはトゥインと同じ状態だ。これをこのままにしていると加速の度にタイヤが減ってしまうしハンドルも安定しない。
だったらFFではトゥアウトにしておけばいい。トゥインと逆にガニ股につま先を開いた状態だ。
トゥアウトにしたら加速していない時に備えて、キャンバーをハの字にして辻褄を合せなきゃならない。
という事で、FF車や4WDが殆どとなった現在、逆ハの字のポジティブキャンバーは見なくなってしまった。一番最後のポジキャン車は恐らく1990年終売のシトロエン2CVかと思われる。google:image::Citroen 2CV
市販車でネガキャンが可能になったもう一つの理由はホイール形状の変化だ。
昔はスポークホイールだったが、今は鉄のプレスホイールやアルミ鋳造のホイールが多い。ホイールのディスク面を外側にずらす事(オフセット)で内側に空間が生まれる。更にタイヤもホイールも太いものが主流になっている。
するとステアリングの旋回軸の先をホイール内に入れてしまう事が可能だ。するとこの旋回軸の延長にタイヤ接地面を持ってきて更に緩いハの字にする事が出来るようになった。
ところで、この10年ほどで省略される事が多くなったが、その前は黄色く細いスペアタイヤ(テンパータイヤ)を積んでいるのが一般的だった。
そもそも細いので接地面の位置が合わなくてチグハグな状態になる。その上で、上記のバイアスタイヤが抱える問題を抱えていて、FFのフロントに付けた場合は上記の危険な特性を呼び出してしまう可能性があるのだ。
なので、FFでフロントがパンクしたからとそのまま黄色いスペアを前に付けると危ないのだ。更にそれで高速に乗っちゃったりというのはもう自殺行為でしかない。だから黄色いスぺアには「FF車の前輪には絶対につけるな」と書いてある。
まず、道路を走行する車の規制法は二つあって、役所も二つある事を踏まえよう。
規制法は、車両法と道交法、規制役所は警察と国交省(運輸局)だ。
で、警察は道交法と車両法を扱い、国交省運輸局は車両法だけを扱う。
車両法の政令は「道路運送車両の保安基準」、略称保安基準と言って、具体的にどの部品はどういう風でなきゃいけないかという事が書かれている。改造する場合や荷台などを付ける場合はこれを参考して判断する。
保安基準ではタイヤは車体からはみ出して露出してはいけない。これは元は水はねを予防するための基準だった。
だがこれは違う意味で大事な規制になっている。それは歩行者との接触時にタイヤ周りの回転物を接触させない為だ。ボディに接触したのとタイヤやホイールのナットなどに接触したのでは受傷程度が全然違うのだ。タイヤへの接触では巻き込んで踏んでしまう可能性が高くなるし、ホイルナットなどに接触すると抉るような力が人体に掛かって重篤な傷害を負わせてしまう。
ネガキャン強めくらいだと上の方はタイヤハウスに収まっているし、張り出した下側もボディ外寸内に収まる。故に警察に検挙されるという事もない。
しかし鬼キャンともなると、明らかに下側が出過ぎているし、ボディ外寸を超える。だから警察に検挙されうる。
では車検は?というとこれは多分ネガキャン強めでも鬼キャンでも通らないはずだ。
というのも、車検では「サイドスリップテスト」というのがある。上記で説明した、タイヤに無理な力が掛かっていないか、トゥインとキャンバーの組み合わせが釣り合っているかのテストだ。
具体的には横にスライドする鉄板の上をゆっくり通過する。釣り合っていなければ鉄板が横に動くので「サイドスリップ ×」と電光掲示板に表示されて車検落ちだ。
キャンバーいじってあるとここで落ちてしまうので車検は通らないという事になる。
このサイドスリップは改造車じゃなくても駐車場で縁石にぶつけた、サスペンションのゴムブッシュが経年でヘタっている、とかでもタイヤの整列が狂って落ちてしまう事が多い。
だが警察はこのサイドスリップテスターを持っていないのだ。そこまで厳密な検査で車両法違反を摘発するという運用になっていない。だからサイドスリップでは車検には通らないが、警察には検挙されないという状態である。
というわけで、ハの字のネガキャンはレースなどの速さの象徴が過剰化し実用の範囲を飛び出して、速く走れなくなったというヤンキー文化にありがちな代物である。
だが昔は逆ハの字のポジキャンが車の当たり前であって、その中でハの字のネガキャンにするというのはレーサー標榜の不良であった。
しかしエンジンの高出力化、車重の増加により太いタイヤが主流となってネガキャンの方が都合が良くなった上に、FFの主流化によってトウアウトにする必要からネガキャン必須となった。
故に今は嘗ての不良の象徴だったネガキャンしか世に無くなった。そうなると不良性を売り物やファッションのアイデンティティとする者にとっては、実用性ブッパする程の鬼キャンにするしかアピールする方法が無くなったとも言えるのである。
だから「なんであんな異常なキャンバー角付けるの?」と問われたら「”世間側”の全てが不良側に寄って行ったからその先に逃げるしかなかった」というのが一つの答えになるのだ。