はてなキーワード: バットとは
料理にハマって、はや5年。色々と機材を使っては飽きて埃を被せ、邪魔になって倉庫送りも繰り返した結果、ようやく普段使いのツールが安定してきた。というわけで、俺が使い続けてるヘビロテ料理機材を紹介してみる。
カセットコンロでお馴染みのイワタニの薄型カセットコンロ。達人シリーズは火力の強いタイプから、風に強いタイプなど色々あるがおすすめはコレ。見た目がカッコいいし、薄いので鍋の中身が上から見やすく、収納スペースもあまりかさばらない。
バーミックスなど、高級モデルもいろいろ使わせてもらったが正直あんまり大差ない気がする。で中型器のこれを愛用。ピューレも結構時間かけてあげれば細かく舌触りのざらっと感が無くなるくらいまで行ける。
【ロボクープフードプロセッサー】
フードプロセッサーといえばクイジナートという業界屈指のメーカーがあるが、ロボクープも中々悪くない。クイジナートと同じ金額で一回り大きい容量の物が買える。性能もブレードの替えも十分満足の内容。
オリーブ材でできたカッティングボード。これ使うだけですごいおしゃれに見える最強の皿の一つ。肉でもスイーツでもパンでもチーズでもなんでもイケる。安い奴は傷つきやすいけどオリーブ材は堅くて良い感じ。
【有本葉子の鉄フライパン】
料理研究家の有本葉子のプロデュースフライパン。裏面が凸凹がついているので、普通の鉄フライパンよりもこびりつきにくくなっている。テフロンと違って使えば使うだけこなれてきて材料が張り付きにくくなるのもGOOD。最初は19センチの小さいのしか使ってなかったけど、今は27センチも購入。
合羽橋の包丁屋で勧められて購入。250番と1000番の両面砥石。水吸わせなくても研げたり、裏に滑り止めがついていたり、収納ケースがいけてたりと至れり尽くせり。完全に切れなくなった包丁は中砥だと研ぐのに恐ろしい時間がかかるので、やはり荒砥も欲しい所。仕上げ砥はなくても正直そんなに困らなかった(買ったけど使ってない)
まあ包丁は人の好き好きがでるのだけど、愛用しているのがコレ。肉の塊から野菜のみじん切りまで、なんでもこれ一本。大きい包丁は慣れるまでは怖いけど使い慣れるとホント便利。刃渡り長いって素敵。LOVE牛刀。あとグレスデンは堅いので、研いだあと切れなくなるまで結構長持ちするし欠けにくい。包丁の張り付き防止のへこみとかも良い。
【hashira-jyu エプロン】
メンズ専用のエプロンということで購入。ちょっとお高いんだけど、カッコいい。マジでカッコいい。革の縁どられた着脱式のポケットとか厨二心くすぐるヤバさ。人んちで料理する時、女性にエプロン大概褒められるので、料理婚活する人とかにもおススメ。
【エレクター】
こんなにキッチンスペース置けないよ。って、うちもそう。キッチンにすべて収納は無理なので、書斎が厨房機材置き場に改造。エレクターとか高さ変えられるので寸胴とか鍋とか収納するのに便利。埃被りやすいのでそこは注意。
包丁は牛刀と間切包丁があれば大概OK。間切包丁とは魚屋さんがつかうペティ。当然大きくない魚はこれで下ろせます。大きい奴は牛刀でおれはやっちゃう。もちろんペティとしても十分使える135mmを愛用。でも包丁って本当にどんどん欲しくなるんだよなー。
これも書くの忘れてました。1500円以下で購入できるクッキングスケールです。料理は本当に重さ計るの大事なので、これはほぼ毎回活躍します。0.5グラム単位ですが値段と性能からいったらこれで十分。
これもメーカーはぶっちゃけどこでも良いです。揚げ物、肉の中心温度、鍋の温度、ケーキの中の温度などなど色んなもの計るのに超活躍します。プロは鉄串を唇の下に当てて温度計りますが、そんなん慣れないと無理だし、いろんな料理で使うので1本欲しいです。
これもへヴィに使ってますね。メーカーどこでも良いと思います。うちのは象印だったかな。重要なのは保温機能。50度くらいから細かく設定できるのがベストです。低温ローストで温度維持したい時や、80度キープした湯銭などガスだと凄いめんどくさい事をオートでやってくれます。保温系調理機材(シャトルシェフ)もありますが、引っ張り出すの面倒なので今はIHの70~80度保温で長時間煮込みを作ってます。
【雪平鍋】
ごめんなさい。メーカーはどこのか忘れましたが、合羽橋で20センチ口径の少し広めのを使ってます。とにかく雪平はアルミ打ち出しの分厚いのがおススメ。薄い奴と違って熱の入りがとてもよくなります。ジオの行平鍋もあるんですが、日本製の雪平のほうが洗いやすくて個人的には使い勝手よいです。
これは大人数向けでやる時には超便利です。アクアパッツァ、豚の角煮などはもちろん、炊飯器だと1回で間に合わない時第二の炊飯ジャーとして活躍したりします。鋳物鍋はとにかく蓄熱が半端ないので煮込み系には良いですね。自分は圧力鍋使わない派なので、これが圧力鍋がわりとして重宝してます。
一番最近買ってよかったなと思う調理家電。3万円以下で買えるコンベクションオーブンです。デロンギ社なので製品ちゃんとしてますが、電子レンジ機能ないので置き場所確保が難しいですが、レンジのオーブン機能とは全然違います。肉を外パリ、中ジュワで仕上げたければおススメ。
(追記2)
お、色々とブクマありがとうございます。
今回はQ&A的にお返事。
ごもっともなんですが、家狭いので。蓋つきのもので、ビニール袋で包んで使うときに洗って使えば大体大丈夫だと思います。
これも言われるかなあと思ったんですが、まあ両方めっちゃ使ってるんですよね。煮た野菜系をピューレにしたい=ブレンダ―。肉系をひき肉にしたい=プロセッサーで使い分けてますが、どっちかって言われたら、ブレンダ―かなあ。
書き忘れましたが、ブコメにあるように行平鍋が最強です。1人暮らしで料理ハマる前はほぼ行平鍋1個しか鍋持ってなかったです。18センチくらいのちょっと大きめの、厚手の行平本当に便利なので最初はこれが良いかと。(上に今使ってる奴追記しました)
○エプロン何処で買えるの?
そう。俺もそうとう探しましたがPARCOの地下のクラスカで買えました。
http://shibuya.parco.jp/page2/5872/1630/
○文化包丁一本で十分
まあ、それも全然良いと思いますよ。本当に包丁は人それぞれで好みあるので、自分に合ったものを探せばよいかと。筋引きとか牛刀とかの長い包丁は使い慣れると1ストロークでたくさん切れるので、文化包丁に戻れなくなる使い心地はありますけどね。
○100均って使うの?
小物類は結構使ってます。計量カップ、計量スプーン、菜箸。ほかには、バットやボウルは沢山使いたい派なので、100均で同じ形の結構買いました。あとはタッパ。ねじ式の円柱型のやつが使い勝手良いです。あと、意外なところだとスモークのチップなんかも100均で買えるのでこれもおススメ。
○中華鍋は?
自分が中華作らないのもあるのでしょうが、全然使ってません(持ってるけど)。正直家庭の火力なら鉄フライパンでほぼ十分な気がしてます。簡易燻製器になったり、蒸し器として使うこともできるみたいですが、やったことないのでどうなんでしょうか。
○鍋はどこの使ってるの?
普段使う両手鍋はビタクラフト。寸胴はTKGの30センチ口径の半寸胴を使ってます。最近出汁をひくのに長寸胴も欲しくなってきていて、口径どうしよっかなと思案中です。
○収納どうしてるの?
調味料類は100均で鬼ほど買ってきた同じ種類の瓶につめかえてシンクしたに入れてます。余った奴は自分の部屋の棚に入れておいて切れたら詰め替えています。フライパン、レードルなどは吊るして収納。鍋類は中型以下はコンロ下。寸胴やおでん鍋とかは自分の部屋のエレクターに各種調理家電と一緒に置いてます。ボウル類やバット類は、同じものをたくさん購入。重ねて収納が基本になるので色んなメーカーに手を出さないようにしてます。
○ガスコンロなに使ってるの?
これは本当に良いもの入れたかったんですが、高火力のものは換気扇とセットで改造しないと無理と言われ、諦めました。オザキの7000kw出るものが今めちゃ欲しいのですが、キッチンリフォームしなきゃならず、賃貸では無理なので断念。
バッティングセンターでバットを振ることが野球をしたことになるのか。
自分の人生で多分一番最悪だった日とその周辺のことを書いてみる。
とある人に見せるためと、自分のために書いたものだけれど、ここだと改行もできるので全体公開でいいかなと思った。
変な文体だし、省略した部分もあるし、誤解が入っている部分もあるかもしれない。
三回ぐらい最悪だった日のことを文章や漫画にしようとして書いたりしていたのだけれど、どれもうまくかけないので、上手くかくことを諦めてみた。書くことでひとくぎり付けれたらいいなと思う。
私は他の人よりも変な考え方をしている面があるのかもしれないので、あらかじめ断わっておく。
―――
包丁を変えようと思う。
気が付いたら11月だったし。11月は嫌なことがあった月だったように記憶している。
一人暮らしなので自主休講しようと親にバレない私だが、最近どうも大学に行けていなかったのだが、11月だったからかなと今日思った。
包丁は自分が一人暮らしを始める際に母が兄から買い上げて、そのまま私に与えたものだった。
兄の元で新品状態だったので、母が見かねて兄が購入した代金をそのまま与えて、今包丁は私の手元にあるのである。
ちょっといいお値段で、スルスル切れる。
見た目もかっこいい。
でも包丁に関する思い出が纏わりついていて、私はこれを捨てたらちょっと落ち着く気がするので、新しい包丁を買おうと思う。
兄が一人で包丁を買ってきた理由が「護身用」だったのだ。筆箱にカッターナイフを入れておかないと不安だと言っていたことの延長のようだった。
攻撃的なことをブツブツと言っていた。いじめられた経験や肉体的に辛い病(痒みなど)に精神がやられていたのかもしれない。精神病院に入りたいとさえ言っていたが、普段から愚痴っぽかったりしたので、他の問題もあって家族は放置していた。
兄は持病こそもっているものの、ストレスを多大に受ける学校や職場に居たわけでもなかったし、精神病院は金がかかるというのが理由だった。
それで、確か11月にちょっと事件があった。弟が兄に突っかかって、気がたっていた兄は繊細な面もある弟を何時間か罵った。
私は最初晩御飯を食べていたように思う。食べ終わったら移動した気がする。私が移動してから、終盤には母が泣きながら泣いている弟を庇っていたが、私が庇おうとするとどうせこじれるだけだろうと思っていたのか、放っておいたように思う。母親は子供の一人と対話するときに他の子どもがまぜっかえしたりするのが嫌いだったからとか、弟が頭のおかしい状態の兄につっかかるのがアホだと思っていたかもしれない。
ここらへんはいまいち覚えていない。そういや父親はなんでこんなことをするのかと兄に聞いていたように思う。
母の静止も聞かず、弟は家を飛びだした。両親は探しに行った。私は家に居た。
弟は警察に泣きながら駆け込んでいたらしい。警察と救急車が来た。
弟は自分が母を切りつけたと嘘の通報したわけだけど、家に居た私は初めて警察に応対した。警察って怖かった。違う人が同じこと何回も聞いて来た。そして警察は不躾なことをいうものだなと思った。
近所のヤンキーがにやにやしながら写真撮っていたので今でもあいつは死ねばいいのにと思う。殺意が湧いていた。にやにや笑うやじうまにみんながならないことを願う。警察は止めなかった。
近所のおばちゃんが、誰も怪我してないのね、よかったと私を抱きしめてくれたので、近所のおばちゃんは神だと思った。
警察は結局家には入らなかったけど(両親も来て無事に警察や救急車は帰っていった)、警察が家の前に来る前に自分は居間で包丁?果物ナイフ?を持って座って一人でブツクサ言っている兄を確認して「わお」って思ってた。
兄を見て、思春期になると包丁を持ち出しながら殺してやるって言って家の中をうろうろしつつ何もしないのが全国スタンダートかと勘違いしていたこともあった私だったが、さすがに異常事態というのは現実との仕切りも境も無いものなんだなと思った。
ひとまず兄の精神は見るからにやばかったし、(ほっといたら首つって自殺してるかもと冷静に思った)警察が帰った後、弟は兄と同じ屋根の下にはいられないと近所(徒歩10分程度)の祖母宅に避難したが、近所の祖母もまたことあるごとに「信仰心が足りなかったから」などと口にして人を追い詰めるタイプだったため、クッション役なのか、母親も弟につきそった。父は基本的に穏やかな性格ではあるが家族間の調整役として役に立たず、逆に兄を刺激するかもしれないとして、同じく祖母宅に泊まることになった。
自分は当時、自分なりに家族を調整しようと頑張っていたようだった。
「私は家に残ってた方がいいよね?」みたいなことを母に電話したように思う。
それで、精神がおかしいと認定された人間の隣の部屋で私は寝ようとして、熱が出た。人生の中で今のところ最悪な夜は明確にそれだった。
…今考えたら兄を警察に引き渡していたら私は安全100%だったことに気付いたが、家族が前科者ってのも嫌なのでまぁ結果的によかったのかもしれない。
私は布団の中で涙が出て来るし、携帯で友達にメールしてた。ポカリとかあると良いよ、大変だったね、近くに住んでたら行けたんだけどって話を聞いて、私はとても心強かった。友達のおかげで私はあの時期を生きていたように思う。
○○ちゃんのこと、もっと家族は顧みるべきだよという旨の言葉を言って貰えて嬉しかった。当時私は高校三年生だった。なのに年内に引っ越したいと言う話を聞いて私はぶち切れたりもしていた。
兄がいじめられた記憶のあるこの土地に居たくないからだとか言ったためであるように思うが、兄はヒキニートみたいな状況だったから勝手にどこにでも行けと思っていたし、受験生はもっと支援されたり特別がられたり、お夜食を差し出されるものかと思っていた。高3になったら家族の中でちやほやされるかなと思っていたけれど、運が悪かったのか、それとも他のことで頭いっぱいになれてよかったのか、高3の時の家が一番大変だった。
結論を言えば、最悪な夜はそれでおわりである。文章にすると、大したことがなかったことのように思える。私は憎しみが基本的に持続しない性質だったし。それから何日かはやはり兄はやばかったがそれからマシになっていったし(いまだに早く死にたいとか言っているが)弟は高校に入ったら割かしのびやかな性格になり、友達もできたようだった。引っ越しの話も立ち消えになった。
母親も相当なトラウマになっていただろうなと思うが、私はちみちみとその夜の事を一人で掘り返しては悔しいなと思う。
私は殺されるかなぁと思いながら眠ったあの夜の何かが悔しい。
私はあの時の中家族の中で一番だいじょうぶだったから放置されたんだろうなと思うが、そのことに対してみかえりがないというか、褒められなかったというか、私の気持ちが踏み倒されたみたいで悔しいのだ。
母親から後でありがとうとは言われたが、死ぬかと思いつつも兄が自殺しないかな、包丁はもう持っていないかなと気にしつつ確認して寝たことに対して礼が足りないと思っているのかもしれない。
損をしたと思う。なげうったつもりだったのに、認めてもらえなかった。
もっと言えばその夜に家じゅうの武器になりそうなもの(バット、ドライバー、はさみ、ペンチなど)を自分の寝室の鍵がかかるところにしまっておいたのだが、後日父親が自分のドライバーを使うときに無いと言ったので自分の寝室から持っていてやったら、多分事情を知らなかったであろう父親が、不満げに私に接したことを根に持っているのかもしれない。
余談と言うか、他の日のことも書いておく。
11月の事件よりちょっと前だろうか、何日も物騒なことを言ったり、町の人間を殺してやりたいと言っていた口だけの兄に私は乱暴に罵った。数日前から殺すなら殺してみろという心持ちで、そういう切っ掛けを求めていたので「殴るぞ」と言われて「殺せるものなら殺してみろ」と言った。家族の前で殴られた後首を絞められた記憶はあるけれど、慌てて家族に制止されたにしても、平均体重の私よりも軽い体重で病の兄は力が弱く、到底私は入院と言うことにはならなかった。痕も残らなかった。
それと関係しているのか、時々私を殺せと思うことがある。ただのそういうフェチである可能性も否めないが、なぜあの時死にぞこなったんだろうなと思う。死ぬならあの時だったと思う。
私はずっと認められたかったのだ。この年にもなって恥ずかしい人間なのかもしれないけれど、大学生になって成績表が出ても誰にも褒められないのに虚無を感じるとか、劣等感がなぜか付きまとうので大学を辞めたいと思ったりしている。(こればかりは別の理由の可能性が高いかもしれないけれど)
小学生のころ兄が入院して母親が付き添って寝るので「留守番お願いしていい?」と言われた時に、うんと答えると子供だったけれど、兄に家族を取られたように思っていたのもしれない。兄弟がいなくて一人っ子だったらよかったのに、もしくは別の夫婦の一人っ子だったらなとしばしば思った。優秀で自分に甘いお兄ちゃんが欲しいなぁ、あぁでもそうじゃなかったら要らないと、私の事情を知らずに言った友達に対して殺意が湧いたことがある。
兄も病で辛いのだろうとか、本心は優しい人間だとは知っているけれど、好きだけれど、何年もニートを享受していて憎い。私もその立場にたったら周りは甘やかしてくれるだろうか?病人だから。うらやましい。私は頑張ったのに、その分認めて貰えただろうか?
親は私に夜中に外出してはいけないなどとは言うけれど、死なれたり傷つけられたら困る程度の認識なのだろうなと思ったりもする。多分きっと愛されているのだろうけれど、兄弟の通院時間に彼らは母親とふたりっきりだったのだと思うと羨ましい。
私も病気や入院をしたりして構われたいと思う。それなりに中学校に行って高校に行って大学に行ったけれど、構われなかった。私も包丁を振り回したりしたらいいのかと思っていた時期もあるし、メンヘラになりたいけど医療費が怖いなと思ったりする。病人から見れば死ねと思われるかもしれないが、私だって行きたくない所は行きたくないし、ずっとクソニートしてる兄が妬ましいし、許容されることがうらやましい。もっと言えば、将来どうなるのだろう。兄を扶養する構図になる前に家を出ろとアドバイスされたこともあるが、私に母親や父親を捨てろと言うのだろうか。ていうかむしろ連れ去ってくれそうな人が居ないとひとりぼっちになってしまう。
11月のあの夜の後日談としては、叔父(母親の兄)が、無事大学に入学できた私を一対一で回転寿司に連れて行ってくれたのだが、叔父は中途半端に母から聞き出したのだろう、母を切りつけたと警察に駆け込んで証言したお前の弟は頭がおかしい、今は大丈夫だろうがだんだん精神病院に入れなくてはいけなくなるだろう、覚悟をしておきなさいということをおじさんの運転する帰りの車で言われた。
本当に頭がおかしかったのは兄だと言おうかと思ったけど、黙っておいたので話がまた広がることは無かった。けれど悔しくてメソメソした。その日の話は家族にはしてないけれど、後日叔父の娘(私にとってのいとこ)から「あのハゲじじいが変なこと言ったんじゃない!?ごめんね!!!わたしもあいつ嫌い!」ってメールが来たので救われた。弟はいまのところずいぶん元気であるし、精神病院の御世話にはならないだろうなと思う。兄の葬式をやることになるだろうかと風呂場で思うことはあるけれど、そうでないといいなと思う。
まぁ最近は、兄はそこまでは精神がひどくない。デトロイト・メタル・シティみたいなことは言わないし、嫌いな人間の体内に入って相手が一番困るときに穴という穴から出たいとか前は言ってたけど、今は言ってないだろう。死にたいとかオレは醜いとか言ってたセリフは、私の前では言わないけど時々まだ言ってるだろうなって思う。
私は死にたいとか自分は死ぬべきだとか自分は醜いって思ってた時期もあるし今も時々そう思うけど、(家族にそう思ってるって伝えるぐらいで、友達にはそう思っていることを99%言わないけれど)ひょっとしたらこれはあのころのことを癒すために思っているのかもしれないと、ちょっと考えた。
あと関係ないけど、ジュースとかがこぼれてもびっくりするぐらい驚かずに「ああこぼれたな」って思って黙って拭くのはあの日あたりが起源かなぁと思っている。それだけ。
包丁の話に戻ろう。オチとしてあらかじめ作っていたんだけれど、中間がのびのびになってしまった。
私が別にこんなに切れ味の良い包丁を持っておいてやる義理も、時々それに関する思い出を思い出してやる義理も無いんだと思ったのだった。
メンヘラごっこじゃないけど、二の腕に包丁を押し当てて、切れはしなかったけど赤い痕が残って、ふとそう思った。この二日間大学を休んで、アホみたいに寝たので頭がすっきりしてたのもあるかもしれない。
包丁は事情を知ってる他人に渡すのも(そんなの数人だが)事情を知らない他人に渡すのも申し訳ないので、捨てたいのはあるんだけど貧乏性だし、燃えないゴミの日まではとりあえず新聞紙にくるんで仕舞っておこう。
母親は家に来るたびに「やっぱりこれ切れ味いいわね」って言ってた。
実家からこの切れ味の良い包丁が無くなったのは、兄がキレた時に攻撃力の低いアイテムしか持っていて欲しくなかったからである。
「ごめんなさい。配慮が足りなくてごめんなさい」との旨のメールが来た。
漫画の絵の動きについて、いろいろ話が絡み合って切り分けができていないと感じたので、趣味でイラスト描くくらいの素人ですが書きます。長いです。
漫画において「動いてるものを描ける」ことと、漫画としてそれが「動いて見える」かは別物です。
安彦氏に関する話ではそこがごっちゃになっていると思います。
「Cコート」は読んだことないですが、この画像の右ページについて。
ページを開いて右上からデカイ男の身体に沿うように目が行って、ドドドの効果音と脚に視線が流された瞬間に次のコマのテニスラケットに目が行きます。視線誘導で読者の視線を巧みに操る中で大胆にアクションを展開させ重量感とスピード両方を表現してます。
この絵に対しても動いていないと感じる人もいるでしょうが、普通の認識で言えばとても躍動感がある画面で、多くの人が動いていると認識するに足る画像と思ったのですが、いかがでしょうか。この画像は動いて見えてもほかの絵では動いて見えない、という場合、それは作者の意図なのでまた別の話だと思います。
とりあえずこの画像だけで安彦氏は動いて見える絵を描ける、と言い切ります。
氏は絵が上手いしアニメーターなので「動いてるものを描ける」のは当然です。それだけではあれなので、もう少し詳しく書きます。
某ブログにも出てきた「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」では動きは4サイクルエンジンに例えられ、それぞれ「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」と分解されています。
アニメーターである著者の西澤晋氏は絵に躍動感を与えるには「吸入」「排気」が大切で、安彦氏はそれを描けると書いています。
これは主観でもなんでもなく、ただその絵が描かれているか、の事実でしかないので、この判断を保留する人がいるのが謎です。上の画像で言えば左ページの飛び込んでる女の子は「排気」です。他にも、氏の漫画をパラパラめくると「圧縮」「爆発」のようなはっきりしたポーズではない動きがたくさん描かれていると思います。簡単に言うとそれらが「吸入」「排気」です。
アクションのメインである「圧縮」「爆発」は描きやすいのですが、それだけが描かれた漫画に人はあまり躍動感を感じません。「圧縮」「爆発」は止まっているポーズにも見えるので、(実際静止した状態でそれらのポーズをとることができるものも多い)それらを羅列しても、止め絵の連続にしか見えないのです。ちょっと失礼な例の出し方ですが、池上遼太郎氏などはこの典型です。
人間は描かれた絵の前後の動きを勝手に想像します。様になりやすい「圧縮」「爆発」を描くより、動きの予兆を感じさせる「吸入」の方が、見る人の想像力が刺激され絵に生命力を感じます。ギリシャ彫刻などいい例ですが、あれらは「歩き出す手前」「腕を上げる手前」などの一瞬をかたどっているため、彫像を見る人はそこに見えざる動きを感じ取り「まるで生きているよう」と評します。(絵画などで寝そべっているポーズでも、呼吸やかすかな動きのタイミングを切り取って生命感を与えています)
ちなみに動きの直前を描くと生命感が宿る、というのは上記のように絵を描く上や生命を表現する上での基本中の基本です。ただ、デフォルメされた漫画絵で微々たる動きの呼吸の「吸入」「排気」を表現するのは難しいので、もっぱら大きなアクションで使用することがメインになります。(「吸入」「排気」と呼べるかは判りませんが安彦氏は叫んだり、大きく息を呑む動きの絵に特徴があったります)
http://www.suruga-ya.jp/database/pics/game/185021560.jpg
漫画ではありませんが、この絵なんかも人物の呼吸が伝わるすばらしい絵だと思います。
じゃあみんな「吸入」「排気」を描けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、それが難しいのです。そもそも絵を描く人間としては、やはり人物に「圧縮」「爆発」のようなポーズを決めさせたくなるものです。それが、中途半端な動きである「吸入」「排気」の絵を描くと、残尿感のようなものを覚えてしまうのです。
また、漫画内であるひとつのアクションをする人物を描くにしても、人間には間接が無数にあり、それらが常にひとつの動作を指向しているわけではないのです。
バットでボールを打つ動きにしても、腕はバットを振っていてもボールが当たれば指はバットを放さなければいけないし、踏ん張っていた足も次は走り出さなければいけません。本当はもっと細かいのですが、それらひとつひとつの「吸入」~「排気」の要素が複雑に絡み合っているのが、一つの「動き」なのです。漫画のコマ内には流れる時間が存在し、決して一瞬を切り取ったものではないので、時間軸が同一コマ内でも違っていることがたくさんあります。そこに上記の要素も加わるのです。
いちいちこれらのことを考えていては、連載のスピードで漫画をかくことができないのでどうしても類型的な絵になります。そうなると、「吸入」「排気」の絵を描いていても、どこかでポーズをとっているような硬い絵になってしまうのです。このような中で自然に「吸入」「排気」の絵を描ける、というのはすごいことなのです。
(いしかわじゅん氏がどういった意図で発言をしたのかわかりませんが)上記のように安彦氏は動きのある絵を描けます。(多くの人が動いている、と認識できる絵を描いていると個人的には思います)しかしそれでも「安彦氏のこの絵は動いていない」「ほかのこの漫画より動いていない」など思う人があったら、それは意図的にそう描いているのですから、安彦氏がなぜそのように描いたのか考えてみるのがいいのではないでしょうか。というか、僕には動いてるようにしか見えないので、どう動いて見えないかを増田あたりに書いていただけると助かります。(これすごく大変だと思いますが。。)よろしくお願いします。
そういや大友克洋美少女描けない問題のことも思い出したんですが、なんであんなに絵が上手い人が美少女程度を「描けない」と思う人がいるのかが判りません。結局、みんな自分が好きな絵が上手い絵、嫌いな絵が下手な絵って認識なんでしょうか。これ、自分もやってしまう間違いなんですが、好悪と上手い下手は別です。自分にはそれがわかるなんて思わないことが大事なんだなと最近思います。勉強が大事です。
長々ありがとうございました。本当は、漫画の絵が動いているとはどういうことかを視線誘導メインで書こうと思っていたのですが、思ったより長くなってしまったので別の機会に書きたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20141102082350
安彦氏は動いて見える漫画を描けるか、ということを証明するために貼ったリンクなので、とりあえず右ページが動いて見えるならよしと思って貼りました。左ページについて言えば確かにスローに見えますが、写っている右ページの下段にもコマが見えますし見開きのノドも完全には見えてないので、個人的にはここらへんで左ページにつながる何らかの描写があるのではと勝手に考えていました。
最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑、DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れで長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
自分は男だけど、凄い可愛い子なんてなかなか外で見ることもないし、
ましてや自分の好みにドンピシャな子とすれ違うことは非常に稀だ。
その子が可愛いだけじゃなく、性格もいい子だったから連絡先を教えてしまい、
しかしこの安易な行動がこの増田の感情を昂らせただろう。もしかしたら運命なんて思ったに違いない(出会ったばかりの人に愛の大きさうんぬんなんて言い出すので)
だけどね。この女の子は恐怖しか無いんだよ。勢いに負けて連絡先を教えてしまい、
差し当たりのない話をしていたら翌日にバイト先にまで来られるのだから。
たぶんその日は不安な気持ちを抱えて帰っただろう。
そしてその直後に恐怖新聞ならぬ、自称ラブレターというテロリズムだ。
それを理解できないのに、愛だかなんだかぬかしているこの増田が本当に怖いと思う。
使命だ…とか、筋だけは通したい…など狂気のB級ホラー映画バリの謳い文句を並べずに
もう二度と干渉しないで欲しいと願っている。
>>あと何年かは君の事を想っています
最近名前も見たことねえ、しかもつまんねえ連中が「俺らがhatena WORLD orderだ、ガッチャメラエー!」みたいな態度取って中堅古参に絡み続けて仲間も「そうだそうだhWoの言ってることが正しい! hWoこそ正義! hWoバンザイ!」みたいな反応して、それに嫌気をさした中堅古参が次々消えていくという光景を見ているわけでありますが、こういう光景を見るにつけて「あっこれ新興宗教がコミュニティに入り込んで元いる人間追い出してアジトを完成させるためのやり方と一緒だ」と思った次第であります。
なんか最近のウォッチャー気取り馬鹿ってさー、相手がどういう人間か把握せずに何でも刃物持って「トリック・オア・トリート・オア・ダイ?」みたいなこと言って相手が戸惑ってる間に「よっしゃ殺しとこ!」って感じで刃物を足元にドーンって突き立ててゲラゲラ笑ってるようなデスハロウィンみたいな連中ばっかりでおいおいこいつらモヒカン族より質悪いぞ種籾どころか労働力まで奪ってるぜお前ら最終的に飢えて死ぬって分かれよファッキンジャップみたいな気持ちになってしまうんですね。
なんて言うんですかね、ジェラルド・ゴルドーにも豆柴にも同じようにバットで殴りかかっていくという感じで相手によってやっていい限度を考えろよというアドバイス的なものを与えてくれる人がいなかったんでしょうか。
ゴルドー相手ならバットどころか日本刀でも大丈夫なんじゃねえか、豆柴相手にバットはダメだろうからエノコログサにしておこうとかそういう気遣いがあるのが本物のウォッチャーだと思うわけですよ。
さらにはゴルドー相手にバットで立ち向かって返り討ちにされても返り討ちにされたことにも気づかず「ゴルドーをバットで殴ってやったぜwww」ってみんなに自慢してんの、お前のその変形した顔面は何だよ、整形失敗でももう少しまともだぞ。
で、そんな奴らが誰かの入れ知恵かなんかで大挙してはてなブログに潜り込んでんの。
誰よー? 誰の差し金よー?
もうそういう人たちの存在とか見たくないっ! 見たくないのっ!
そういうのはよそでやってっ!
「お前が出て行けよ」
はい。
「あんたなんかいくら努力しても無駄だ。この世界は賢い人が統治するようになってるんだ」
とか言ったとかなんとか、おそらく尾ひれもついてるのだろうが
わたしにもそういう経験がある そういって友達をなくしたこともある
あの台詞だけで彼女がどういう世界の人間なのか、いや尾ひれがついてるんだろうけど
同じように東大を目指した、目指すしかなかった田舎の少女だった
バットを握ったことはないが、リビングで休む親の後ろから、突然力の限り背中を叩いた経験がある
一度だけだったけど、あの時の気持ちがばっと蘇って震えた
わたしは幸いにもオタクになることで、アニメとか声優の世界に安寧を得た
どんなに現実が糞でも、鬱にもならず幸せに暮らしてこれたと思う
こんな間接的な情報から推測するほどバカなことはないだろうけど
腐った青春時代を思い起こさせるには十分だわ
最近、人を殺してはいけない理由について、色々な人が色々な事を言っていて、「なるほどなぁ」と思う意見もあるけど、どれも根本的なところで間違っていると思う。
そもそも、突き詰めて考えれば、人を殺してはいけない理由なんてないのだ。
たとえば、「人を殺してもよいとすると、社会が崩壊する」みたいな意見をみかけたけど、so what?
そんなのは、あくまで社会の都合であって、「社会なんて知ったことか」と思っている個人にとっては、他人を殺してはいけないという根本的な理由にはならない。
では倫理的にはどうか。「命は地球より重い」、だから殺してはいけないのだ、という議論をよくみかける。また、「殺される人やその家族の気持ちを考えろ」なんて意見もある。
でも、このように倫理的な観点から「人を殺してはいけない」という意見を持つ者でさえも、一定の場合には殺人を認めるだろう。
例えば、死刑制度は国家的殺人に他ならないし、正当防衛で、ナイフで刺しかかってきた強盗に対しバットで対抗して殺してしまうことを悪と考える人は比較的少数派だと思われる。
つまり、倫理的に「人を殺してはいけない」というのは、「一定の場合に人を殺してはいけない」と言っているにすぎず、純粋に「人を殺す」ということを禁忌としているわけではないのだ。
そして、「一定の場合」等というものは時と場合によっていくらでも変わりうる。
このように考えていくと、「人を殺してはいけない」というのは、社会から罰を受けたくないなら人を殺してはいけない、といった条件付きの命題にすぎないことがわかる。
もちろん、多数派は、「社会が崩壊したら困る」と思っているし、だからこそ殺人には厳罰が設けられている。
また、仮に社会的な罰が課されないようなシチュエーションにあったとしても、ほとんどの人は、理由なく他人を殺したりはしないだろう。
本当に「人を殺してはいけない」というには、例えば「神様(仏でも、大宇宙でも、なんでもいい)が『人を殺してはいけない』と定めたから」等、これ以上「なぜ?」と問えない絶対的なものを持ち出すしかないだろう。
(追記)
論理的には、絶対的な何かを持ち出さない限り「人を殺してはいけない」とはいえない(この論理は、「人は●●をしてはいけない」という命題ほとんど全てにあてはまる)が、これを乗り越えるのが社会的な繫がりと共感力と想像力である。
なぜ、ほとんどの人は、別に社会的な罰等なくても、理由無く他人を殺したりしないのか。逆に、なぜ社会的な罰があっても殺人が起こるのか。
答えはそこにあるように思われる。
先天性の遺伝子異常(マルファン症候群)のため、アンガールズのように高身長で四肢がガリガリ、それに加え手足の指が極端に細い。顔も細長い。
それだけならまだ栗原類みたいに需要もあろうが、顔がアンガールズ田中さんとおぎやはぎ小木さんを足して2で割ってキモくした感じ。(例に出したお二方スミマセン)
全然人見知りもしないし行動力もある方だと思うので、気になった子とマンツーマンで食事に行ったり遊びに行ったりはできる。
理由はいくつかあるんだろうけど。重視されてると感じている順に挙げる。
よく2ch等でイケメンは打率5割ぐらい、キモオタは打率1%ないといった書き込みがあるけど、このままバットを振り続けて活路はあるのか。
あるんだったら100人でも頑張ろうと思うが、なにかアドバイスがあれば嬉しい。
返信遅れました。スマホだと返信できないのかしら
応援の声嬉しかったです。トラバについては個別に返すものは返しますがここで返すのもあります。
そうですね。今度はそうします。既成事実化しちゃうわけですね。
そうまでして彼女欲しい理由って何?
純粋にイチャイチャしたいです。恋人同士じゃないとできないデートをしたい。恋に恋してる感じ。
体型以外に強みを作れ
今年中に100人
表情は豊かで顔に出やすいので、笑顔などは友達には愛されてると感じています。
先日、電撃大賞の一次結果が発表された。
嬉しいことに、その中に名前があった。いつもなら憂鬱な週末も今週ばかりは鼻歌交じりだ。こうやって危険な文章だって書いてしまう。
年に一作小説を書き、それを電撃大賞に応募する。これは私の趣味だ。1年かけて1作を書く。職業作家ではこうはいかないだろう、と思う。始めて応募したときは院試の最中に逃げるように書いた小説だった。当時ある電撃文庫の一冊に影響されて、あこがれだけが動機だった。せっかくなので応募し、院試の結果よりも気になったのを覚えている。それから数年、十数年。毎年毎年ひとつかいては応募する、を繰り返している。不思議なことに、複数完成させ、その中から選ぶ、ということはない。書き上げられるのはひとつだけだ。
数年来使っているペンネームと、愛着のあるタイトルが並んで表記された結果が誇らしい。私はまずタイトルありきだ。書きたい場面を思いつき、そこからタイトルを考える。タイトルがきまった手ごたえがあると、ソリティアが終わったかのように最初から最後まですべて決まる。この瞬間はいつだった身震いする。あとは梗概を完成させ、必要な資料をそろえて、読み込み、最終原稿を書くだけだ。これは6年間(というか最後の半年)で培った論文でっち上げの技術だと思う。先生、あの時の経験は今に生きています。
5000を超える応募作が半年もたたずに1割になる。そのからさらに減らされていき、受賞作が決まる。どこまで行けるかわからない。この楽しみは別格だ。今、日本でこれを感じているのは600人たらずだと思うと、全員と酒を飲みたい気持ちが湧いてくる。
増田と言えば。先日「猫の地球儀」を引用したそれがあった。前述の電撃文庫の一冊は「EGコンバット」だ。不思議な縁を感じる。
【模型】
●ピノキオ
ガレージキット、フィギュア、アフターパーツにエアガン、だいたいなんでも揃う。
ここで手に入らないものは他の店でも手に入らないだろう。
量は少ないがジャンルがそれなりに広く見応えがある。
なにより冷やかしでも大丈夫な安心感がある。(たいていは小さい店が多いので入ったらなにか買わないと帰りにくい)
●タケムラ模型
マテリアル系はラジコンの物が中心でタミヤのが少々、コトブキヤなどはまったくない。
普段なに作ってるん?って聞かれて主にガンプラって答えると寂しい表情をされた。
2Fの模型コーナーは無くなった。
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●スイス
安くて美味しいお店。スイス丼が好み。
おばちゃんの手作り感があってよく行く。
彦根駅下にあるカフェ。美味しいし、持ち帰りもできるので使い勝手がよい。
●SUN-BURGER
美味しいらしい。まだ行った事無い。
http://ameblo.jp/hikone-crepe/
●銀座の回転焼き
1本横に入ったとこの回転焼き。店名は知らん。
立ち食いにちょうどいい。
●Violet ビヲレ
https://www.facebook.com/pages/Violet-ビヲレ/235827186579055
おさつ街道のとこ。
前を通るたびに食べたいな〜と思うんだが、常に満員でなかなかチャンスがない。
●ル・ヴァン・ド・ヴェール
行った事ないが美味しそう。
http://tabelog.com/shiga/A2503/A250303/25000054/dtlmap/
懐かしいような新しいようななんとも言えず美味しかった。
全席喫煙だしそういうの気になる人は無理かも。
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【娯楽】
猫分が不足してきたらたまに行く。
1000円で4回分。まあでもバット振ってるだけだと痩せねえわな。
●荒神山
とくに娯楽の施設があるわけではないが、
山頂に向かう約3キロのコースは自転車で行くとすごく身体を使うのでやりきった感がある。
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【夏】
●ゆかたまつり
通りの真ん中にステージがあって、そこで出し物などをやっている。
通りが短くあまり見所もない。
8月頭に開催される。
リンク先のおすすめ品と主張が合わないのは同じだが、これとも少し目線が違うな。やはり人はそれぞれ重きをおく部分が違う。
私は面倒くさがりの片付け超絶苦手人だが、ちょっと節約してる趣があると罪悪感がないのが好きで、生ごみの匂いが嫌いだから燃えるゴミだけはこまめに捨てる感じの性格です。
とりあえず、洗濯機くらいはあってもいいなあ。全自動洗濯機なんてほっときゃあとは干すだけだもん。
あ、ちなみにリンク先のブコメでおすすめされてた乾燥機付き縦型洗濯機使ってたけど、あれも一長一短だった。
乾燥機能はあれば便利かもしれない。ただしこの機能を使うのは綿製品のタオル下着程度だから(ほかはしわくちゃ&痛む、すぐ毛玉みたいになる)、あんまりタオル洗わない人は恩恵が少ない。
綿埃の処理が結構頻繁に必要なので面倒くさがりにはおすすめできない。電気代もかかる。
でも乾燥機能で乾かしたタオルは柔軟剤を少し入れるとすっごくいい香りでフカフカになる。気持ちいいよ。あと槽内にカビが生えにくい。
もし乾燥機能がほしいのなら安めの機種に搭載されている「風乾」ではなく「熱風乾燥」を必ず選ぶこと。風乾はおまけ程度の能力しか無い。というか、槽内のカビ防止以外に意味あるのかなアレ?
汎用性を求めるなら乾燥機能付き洗濯機よりも除湿乾燥機+ホームセンターかなんかで売ってる室内用物干しをおすすめする。
朝洗濯→帰る頃には乾く が天気関係なくできる(なぜ夜の間やらないかというと、うちの除湿機は音がうるさいから…)。
なんか除湿機もデシカントだかコンプレッサーだかの方式で向き不向きあるらしいんで調べて買ってくれ。
掃除機はきれい好きじゃないから適当に買えばいいと思うけど、安物のサイクロン掃除機は重い上にコードが太くて動きづらくフィルタ掃除がすこぶる面倒だった。ほんとフィルタの掃除が面倒だった(強調表現)。
置き場所に困らないのなら紙パック式のそれなりのメーカーの安い掃除機がいいかな。でも本体でかいからちょっと動きづらいんだよね…。部屋が狭いと余計に。
大きなゴミが取れないけどクイックルワイパーささーでもいいと思う。ウェットタイプ使えば手軽に濡れ拭きできるし。
え?ルンバ?床にモノおいちゃうんで…ずぼらですんません…。床にものがなくてもワンルームなら狭くてルンバ使う程でもない気がするし、二部屋以上あると敷居の段差でつっかかりそうだけどどうなのかな?
燃えるゴミは最初に書いたようにこまめに捨てちゃうので、自治体の指定ごみ袋をそのままゴミ箱にセットして使ってる。
というか、ゴミ箱ですらなくて使用済みダンボールに切り込み入れて取っ手を引っ掛けられるようにして使ってる。使っておいてなんだけど、これは見た目があまりにもズボラすぎるのでやめた方がいい。
セットするゴミ袋は小さめのサイズにしておくとすぐに一杯になって「すてなきゃ!」って気分になるので、あまり大きな容量のじゃないほうがいいと思う。
缶ゴミやらは透明な袋に入れて捨てなきゃいけないっていう決まりになってるので、取っ手付きビニール袋を引っ掛けるだけの100均グッズをゴミ箱代わりにしてる。
どのくらいゴミが溜まったか可視化されてやはり「捨てなきゃ!」って気分になれる。
でもいつも缶とかビンとかの日、忘れちゃうんだよなあ。トリアタマだから隔週だと記憶されない…。
自炊は確かにやすさを追求していろいろ犠牲にしないと割高になるけど、その代わり自分好みの暖かいご飯が食べられるから余裕がある時はできるだけしている。野菜好きだからいっぱい食べたいけど、惣菜や外食って野菜の比率が少ないんだよなあ。野菜多いと高いし。
ちなみに給食リスペクトで一回の食事には、野菜(青い野菜と白い野菜と赤い野菜を日によって使い分けるか混ぜる)と肉や魚、そして炭水化物を必ず入れるようにしている。するとうまい飯になる。
ザルについて。確かにパンチングは水切れ悪いが、洗うときのつまりにくさはピカイチ。隙間にカスが挟まることはほぼ無い。サビも殆ど起こらない。
つまり、美味しさより片付けの楽さを求めるあなたならきっとパンチングで幸せになれる。
リンク先のブログで紹介されてるボール+ザルは高過ぎると思う。アフィでもないのになぜあんな高いのを…?
そして料理にこだわらないが自炊はするのなら、元増田と同様にフライパンはテフロン加工またはマーブル加工がおすすめ。
鉄のフライパンの下準備と手入れは大変そう(使ったこと無いので聞いた話からの推測)。
包丁はオールステンレスもいいけど、セラミック包丁も錆びなくていいよ。砥がなくていいというか砥げないし、たいてい1回分の研ぎ直し券がついてる。
まな板はすぐ汚くなって漂白とか面倒なので、100均で曲げられる薄いまな板を買って使ってる。
重くないので洗いやすいし、かけて干しておけるので衛生面もクリアー。それでもだんだん汚くなってくるので、そうしたら買い換えればおk。
あ、あと洗った食器を置くザル付きバットみたいなやつ!あれね、面倒くさがりはバット(水受け)を敷かない方がいい。
一人暮らしを始めたばかりの頃、夏場にずっと水を捨てないでいた結果ウジが湧いた…。
初めて見るウジにビビりながら震える手で処理したよ。ウジが見てみたいひとはやってみるといいよ。
買ったほうがいいものじゃないけど、缶・ビン・プラスチックは洗っておくとごみの日を忘れて放置しまくっても悲惨な状態にならないので洗い物のついでにすすぐひと手間をかけること。
私からは以上だ!
さわやかな日曜日の朝、香ばしいコーヒーのにおいに導かれて、寝起きのぼくはママに挨拶しにいこうとしたけれども、
その前にパパを起こしてあげなきゃと思って、「パパおはよう!」って元気に寝室のドアを開けた。
「おいおい、今日は日曜日だよ」と、ねむたそうに言うパパは、きのうまで働きっぱなしだったから、疲れているのはむりもない。
パパのボールはとっても速くて、バットのスイングも力強いから、ぼくの最高の練習パートナーなんだ。
「ねえねえ、公園に行こうよ、起きて起きて!ママがコーヒーを淹れて待ってるよ」
「勘弁してくれよ。もっと寝かせてくれ」
ぼくはがっくりして、いったん寝室を出ようとするものの、ドアをにぎる瞬間にひらめいた。
よーし、ベッドで暴れちゃえ!
その日の夜、ぼくが部屋で読書をしていると、ママがノックした。
「パパのボールはつぶれて、バットは折れちゃったんだって。ママ、今からお見舞いに行ってくるね」
ああ、もうパパとは野球ができないんだって思ったら、急に泣きそうになったけれど、ぐっとこらえて、
「ぼくも行く」と言う。
「だめよ、あなたはお留守番していなさい。ごはんは作っておいたから、食べて待ってて。なるべく遅くならないようにするね」
夕飯の野菜炒めはすこししょっぱかった。
ランプの明かりがほのかに照らす薄気味わるい部屋の中で、自分の咀嚼する音を聞きながらちょこんと座っていると、
にわかに朝の記憶がよみがえってきて、きょう初めての涙がほろほろ流れた。
「お前もいずれは立派な大人になるんだぞ。パパはいつでもお前のそばにいる。」
いつかパパの言った言葉が頭をかすめる。
パパのようなかっこいい大人になりたいのに。
なんで置いていっちゃうの。
ぼくは、パパともういちど野球がしたい。
ママからの電話は、のこった野菜炒めの皿を冷蔵庫の中に入れようとするときに鳴った。
「入院中、DVDを見たいってパパが言うから、わるいんだけど、あなたパパの書斎から探して持ってこられる?」
荷物であふれるパパの書斎を探っていると、見慣れないパッケージのDVDが目にとまる。
"豹変"ってなんて読むんだろう。これを持って行って、パパに聞いてみよう。
そう思ったときだった。
ぼくのボールとバットは、みるみるうちに大変化を起こし、大人の階段を一気にかけ上ったのだ。
その瞬間、ぼくはすべてを悟った気がして、パパに申し訳ない気持ちになった。
多くの反応ありがとうございます。トラバ、ブックマーク、togetterといろいろ面白かったです。
>>一応完結してるけど続きが読みたい
先のリストは私の中では中絶作ばかりのつもりでした。「小早川さん」と「ピクシー・ワークス」は完結してますね。なにはどうあれ、終わったものは終わったものです。
言及中に見かけなかった作品で思い出した物、指摘作関連を以下に。
MFを方向づけたと言っても過言ではない一作なのに、絶賛中絶中。
アニメ化されると扱いが粗雑になるのはスーパーダッシュの悪い癖。昨年続巻は出ているが、今年はどうか。
忘れてすまん。コメント中圧倒的な支持。秋山倍プッシュに同意。電撃編集仕事しろ。
古夏からすで思い出した。ラノベとスポーツは相性が悪いのか。「天使とダイヤモンド」みたいな感じになればまたちがうのかもしれない。
合掌
合掌待ったなし
それでは、またおそらく同じ内容の2015年版でお会いしましょう。
EGコンバットのことを思い出してあげて。つーか続き読みたいよ