はてなキーワード: バットとは
ブコメもね、たくさん頂きましたんで、気になるブコメを紹介していきたいと思います。
id:gmochein 増田が渋い顔で、それでも飯を食い続ける絵がありありと浮かんでくる名エッセー(渋い顔したかは知らん
みてたんすか?
なんかああいう時って、周りのお客さんも渋い顔してて、一瞬その場の感情を共有してるような錯覚を感じる事ありません?
終わった後、なんか見ず知らずのひとに微笑みかけちゃったりしてね?
id:akihiko810 なぜか床が異常にぬめぬめ滑り、味はいまいちの日高屋か
あのぬめりは何なんすかね?
id:shinichikudoh 「日高屋では、現状の味に満足することなく、常に改良を行っています」と公式サイトに書かれてるから、冷奴にさました器を使うくらいのことは頼めばしてくれるんじゃないかな。味にこだわらない飲食店なんかないよ。
まあ正論ですけどもねー。
あ、でも店に寄ってはあの、アンケートはみてくれるみたいですね。
大分前に、天やのアンケートに「山椒がほしい」って書いたら、しばらくしてカウンターに瓶の山椒が置かれてました。
id:mizu2014 備え付けの葉書に書いてもらえばいいだけだろうw 笑
あ、そうそう、これです。
id:hz75hz 天国ではないが、かといって地獄でもない世界
いや、ほんとそんな感じですよ。
ブコメなかったんですけど、タグで、「加速するブルース」ってつけた方いて。
id:nakakzs とりあえずこの季節は日高屋ならモツ野菜ラーメン。福しんならニラソバラーメン。
id:banban 住宅地にあるこの手のお店の老人率は驚くほど高い。ほんとビックリする老人だらけのこともある。安くて早くてちょっと人とも(店員さん)話ができるよい店だと思っているそうだ。店員さんお疲れ様です。
いやホントそうですよ。
前、福しんで、注文した回鍋肉がなかなか来ねーなーって思ってたら、車椅子の高齢者の方が来て。
店もそこまで気の利いた構造になってないし、カウンターの中も最小限の人数で回してるんで、店員の方が気づかなくって、入口で出たり入ったりしてるんですよ。
普段、店員の方、いろいろ大変な事もあるんだろーなーって思いますよ、頭下がりますわ。
id:nonaka1007 こんな素晴らしいエッセイを書く増田が何故日高屋に?
id:tecepe アームロックしてやればよかったんじゃないかな。
id:utsuro 「俺が店を教育してやってんだ」みたいなやつにはカタヤキソバの餡だけぶっかけてやりたい。
id:Xenos 次からは、「液体窒素でもぶっかければ?」とオススメしたら良い
id:mckassyi 塩撒け、塩!!って感じ。
あの、これ、全部やったら凄いですけどね、クレームつけてたら、隣の客がアームロックかけてきて「いまだ!」つって、別の客が固焼きそばの餡をブッカけて、あっついあっついやってる所に店員が液体窒素かけてね、最後たたき出されて、塩まかれて「二度と来んな!」。
実際はさすがにね、せいぜい曖昧な笑顔浮かべるくらいなもんですけども。
id:kapiyvachang なにこの『孤独のグルメ』感。超好き。
id:M1A2 くっすん大黒
id:bigburn 池波正太郎の香りがするいいエッセイ
id:cj3029412 途中で口調が「坊っちゃん」のべらんめえぽくなるの素敵。すぐ後にしれっと戻るし。まるで寺田寅彦のような新しい増田エッセイの息吹を感じる。俺だけじゃなかった。
褒められちゃうとね、嬉しいですけど、どう応えるのがイヤミ無いんですかね?
あの、アイドルがバラエティーなんかで「カワイイですね!」って言われるじゃないですか。
あれも、どう応えるのが一番いいのか考えたりするんですよ。
最近の子は調子に乗ってるって言われるのが嫌だからか、「そんな事無いです」って言っちゃう事多いですけれども、謙遜も過ぎればイヤミというか。逆にそこを弄られて下向いちゃってかわいそうな感じになる事も多いじゃないですか。
かといって「ありがとうございます」ってのも、若い子がやるとしっくり来ないっていうか。
で思ったんですけど、ちょっと変な奴って、そういうおっさんの嫌らしい弄りとか、世間の嫉妬から免罪されたりするじゃないですか。
だから「恐縮です!」ってどうですかね?
「いやーカワイイですねー!」「恐縮です!」
あ、じゃあこれもそう応えるのがいいのか。
「恐縮です!」
id:yoiIT 夜に日高屋入ると、若い男女カップルやグループが飲んでたりして驚く。なんか、それで良いのか?って感じ。
なんか、日高屋でTwitter検索したら、うしじまいい肉さんも初めてのデートで日高屋だったら怒るみたなことつぶやかれてて、まあそらそうだと思うんですけど、これも初めての、とかじゃなくって気心知れた仲だったら、まああるんじゃないですか?若いカップルとか金無いですし。微笑ましくていいと思いますけどねー。
でも、検索結果で「日高屋で合コン」ってパンチラインが飛び込んできて、さすがに仰け反りましたけれどもね。
あの、ところでうしじまいい肉さん、バットケースとしてですけど、デートで日高屋つれてかれるのも想定されてるんですね。意外と庶民派で好感度上がりましたが。
あれ、大丈夫かな?
マフィアの話するとマフィアが来るみたいの、ありませんでしたっけ?
http://anond.hatelabo.jp/20160115094121
こういう問題って、結局回答は「(自発的に)何かする」か「何もしない(流れに任せる)」かの二つに一つなんだよね。細かく選択肢を分割すればそりゃいろいろあるけど、それらはこの大きな2つに分類されるから。
んでもって、「何かする」ほうがいいのは、多分増田を含めてみんなわかってる。「何もしない」を選択したせいで、結局親に支配されたままここまで来ちゃったんだから、その選択はどうも幸福につながってらしいぞってのは、薄っすらとわかってるはず。
問題は「何かするって何するんだよ。何すりゃいいんだよ!?」って思うことなんだけど――これについては「それ罠だから」というのが言えるアドバイスだ。
「何かする」決意をするために「何をするか?(すればいいのか?)」っていう情報は、本来必要ない。
そりゃ、その情報があれば決意しやすい。でもそれって、本質的には「攻略Wikiを読んでからゲームを進めたい」と同種の欲求なんだよ。
理不尽で不確実なこの世界では、ある特定の選択が同じ結果を保証しない。それは人によって向き不向きがあるということでもあるし、同じ個人が同じ行為をしたところで結果が安定しないということでもある。
もちろん「結果が良くなりそうな選択肢」はあるけれど(たとえば増田の場合「大学に入学した」がそうで、そこまで間違ってないはずだ)、それだって100%じゃない。大学に入ったのが不幸の始まりだって人もいないじゃない。何をすればいいのか? ってのは完全攻略情報じゃないから、結局、「何かをする」という決意に完全な保証は与えられない。
少しでも良い選択肢を探してから動きたいというのが間違いなのか!? と顔を真赤にして怒る人がいる。お前は俺に間違いを選択させようとしているのか! 俺は賢く生きたいんだ! そんな無責任なTake it Easyを礼賛して失敗したらお前責任とってくれるのか!? そんなはてブコメント、たくさんつく。
でも思い出すべきなのは、人生は有限だってことで、特に大学生活なんて砂時計のようにカウント・ダウンされていくってこと。「より良い選択肢を探してさまよう」「良いチャンスを待つ」なんて「不選択」を続けていくうちに、どんどんチャンスは減っていくのが、この理不尽な世界なんだよ。確率が低くても、バットを振り回したほうが、出塁のチャンスはある。そんなことよりも「正解を選ばないかぎりひどい目にあう」という親の洗脳によって、全打席棄権するほうが、よほどチャンスを失う、地獄への直行バスだよ。
「何かする」決意をするためには、決意だけでいいんだ。賢い選択肢は、前提じゃない。
むしろ「何かする」決意をした後に「じゃあ何をしようか?」だよ。「なにかよい選択肢があれば、それをする」は順番が逆。
自分が役に立たないと思ってる趣味でも、バイトでも、なんでも「何かする」すれば、それでいいんだよ。レポートも、内容の出来不出来じゃなく、とりあえず、書けばいいんだよ。点数が低いなら、二本出せばいいんだよ。二本でダメならもっと書けばいい。「何かする」の本質って、「打席はこれで終わりじゃない」ってことなんだから、いっぱいダメなもの作って、そのうち、偶然だろうがなんだろうが、会心のものが生まれれば、それでいいんだよ。
ほんとうに書きたい人にとって、濃度が高い文章を書きたい人にとって、ブログという媒体で書く必要性はない。
日常や読書で得たものは、作品につかうネタとして、とっておかないといけない。
ほんとうに書くのがすきな人は、日記で済ませてる。
他人に影響をあたえたい、他人とコミュニケーションをとりたい、他人に存在をみとめられたい、
不純なくせに、書くのが好きだから~とペ・ヨンジュン並のドヤ顔はじめちゃう人はきもーい。
おもいつきをたれながしただけの記事をもって、ぼくはこう考えました!とか言っちゃう、
ミニマリストブロガー、互助会ブロガーたちとおなじくらいきもーい。
ブログみたいなうすっぺらい記事ばかり書いて、書くのがすき!とかイタいコト言うのやめようよ?
賞レースでも、同人でも、単著でも、なんでもいいけど、勝負のレベルに入らないかぎりはさー、
ジョブズになりたいけどなんにもしてない意識高い系とおなじだよ?
君たちがほんとうにすきなのは、思考を文字にしてなんとなく得た達成感と、他人からの反応でしかないんだよ。
ブコメへ
承認しか頭にしかない人は、承認でしか判断できないとよくわかる。
気分良くなるためにバットを10回振ってるだけの人が、ぼくは野球を好き!と言ってもね。何十試合もピッチャーの球を打ってきた人から笑わせんなよ〜と思われるのは当然でしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
http://anond.hatelabo.jp/20151109101956
http://anond.hatelabo.jp/20151109110332
例えばBasketballがかごにボールを入れる球技なように
例えばVolleyballがボレーを続ける球技なように
例えばFootballが足でボールを蹴る球技なように(手で持って走る方々は一旦ご退場ください)
Baseとは何か。
塁は安全地帯である。ここにいれば兵士=走者は死ぬことはない。
さて、走者の死の種類には主に3つの種類がある
また、重要なルールとして、進塁義務、「フォース」という状態がある。
この時、一塁走者は「打者走者に必ず一塁を譲り渡さなければならない」
この際に、守備側は二塁にボールを投げ、ボールをもったまま進塁義務先である二塁を踏む。
踏んだ際に、走者が二塁にたどり着いていなければ死である。
守備側が二塁を踏んだ後素早く一塁に転送。打者走者が一塁にたどり着く前にボールをもって一塁を踏む。
これがいわゆる「ダブルプレー」「ゲッツー」「併殺打」である。
打球が地面に落ちず直接キャッチされた場合、走者は一度元の塁まで戻らなければならない。
高く打ち上げたまま落ちてくる間に進み続けることは許されない。
一度塁に戻ると、再び次の塁に進むことが許される。
このプレーがいわゆる「タッチアップ(タッグアップ)」である。
内野手は走者が戻る前に一塁に送球し、一塁手がボールをもって一塁を踏む。
「アピールアウト」は、ルール違反を指摘して取るアウトである。
違反があった塁にボールを投げて踏み、審判にアピールすることで成立する。
また、「タッチアップ」の離塁が早かったというアピールもこの「アピールアウト」である。
さて、Baseballは、「ボールを投げてバットで打つ球技」だという認識の人が非常に多いだろう。
これは間違っていない。決して間違ってはいない。
しかし、BaseballがBase=塁を巡る球技であることを理解すれば、
進塁義務「フォース」、帰塁義務「リタッチ義務」によって、それぞれの細かいルールの理解が容易になる。
このことを前提としていれば、
インフィールドフライはなぜあるのか、
インフィールドフライが発生しない状況とは、
はたまた、いわゆる「ルールブックの盲点の一点」が盲点でもなんでもないことが分かりやすく説明できる。
(そもそもしっかりルールブックに書いてあるのに盲点もくそもないだろう!
ある個人サイト1つしか使ってなかったのがwikipediaに転載されたのち広まってしまった用語というのは調べがついている)
単純に考えるんだ。
あれはボールを投げて棒で打つスポーツだ。どのスポーツでも原理は単純だ。
ただし「いかに上手に棒で打ったか」を評価する方法が画期的だったから人気が出たんだと思う。
すなわち棒で打って遠くに飛ばした間に、人がどれだけ走れるかということだ。
ホームベースまで一周だけだとゼロか1かの1ビットだから、途中に塁を設け中間状態のランナーというのを作った。
そうすると、新しい面白さが生まれた。走塁していると高揚するし、守ってる方も走者を刺すのは快感だ。見るのもより楽しくなった。
ベースの逆回りや走者の追い抜きを禁じるとか、そうすると次の塁に進むか戻るかでタッチプレイとフォースプレイの違いが生じるとか。
インフィールドフライ、スリーバント、ツーアウトかツーアウト未満かで1塁走者がいるときの振り逃げが許されるかどうかの違いなど、複雑なルールはあるが、
なぜそうなったかは全部説明がつく。複雑なものほど起きる割合が少ないから一度に覚える必要もない。
子供が野球を覚える順序と、野球のルールが発達・整備されてきた歴史がおおむね一致しているから、新しい野球ファンがどんどん参入できるんじゃないかな?
子供の頃、光の戦士とか、勇者とか、割と世界を救いがちな属性を持った人間になれると思っていた。
少なくとも、勇者が所有する馬車の中には入れると思っていた。
ある朝起きたら、母親に
「あんた、今日は誕生日ね。そういうわけで市役所(城)に行ってらっしゃい」
「キミは今から巨悪と戦わねばならない。そんな定めなのだ、たぶん」
とか言われて、地域振興券をもらって、ホームセンターでプラスチックのカラーバットを買って、冒険をはじめ、友達が2人くらいできる。
どんどん強くなって、紆余曲折ありながらも、諸悪の根源をぶっ倒し、根絶した後、テレビや新聞で持ち上げられ、世界中で有名になり、どこかの王族が
「ぜひとも、うちの娘でももらってくだっさい」
とか言い出して、見目麗しき病弱な女性がカーテンの影からこちらを見ている。結婚しますか? いいえしません。
そして、莫大な贈与、綺麗な嫁候補をすべて放棄したおれは、一緒に冒険をしたあの女の子を迎えに行って、山奥の村でひっそりと暮らす。
幸せな日々が続き、ある日薪割りをしているとヘリコプターで政府要人がやってきて
「おれはもう引退したんだよ」
とか言うもんだから、再び剣を取り、世界を救いにでかける。次回作にご期待ください。
という輝かしい未来を信じて疑わなかった。
物語に感動出来ないのは感情移入できないから。キャラクター、登場人物に感情移入できないから。
アニメを楽しめなくなったとか、ゲームを楽しめなくなったのは、年を取って感情移入することが難しくなったから。
次は公園でボール禁止、談笑禁止、ゲーム禁止、バット禁止、楽器禁止、ダンス禁止と禁止ジジイ・禁止ババアになる。
他者への感情移入どころか、他人への共感、他人への許容、他人への同情、他人への配慮、他人への諸々が出来なくなるから。
そういう感情になっていく。
そうなったら、何のプランも持たないで旅行いったり、公園でひなたぼっこしたり、人に優しくしたりしてみるといい。
「あなた、疲れてるのよ」
まあ、休めないならご愁傷様。幼稚園の子供の声にも反対して、幼稚園設置を反対して、幼稚園をフェンスで囲めとわめき散らして、少子化推進していくジジイババアになるだけ。
MARCHの1つに通う高校時代、よく一緒にいた奴ととっても高音質で汚い息遣いもよく聞こえるFaceTimeオーディオで話した。お互い顔は見たくないからオーディオだ。
自分と同じように彼もあまり受験はうまくいかなかったから、今通ってる大学と日東駒専の1つしか受からなかった。
彼と高校時代一緒にいた理由は、彼が優しくて自分を相手にしてくれたことと、趣味が合ったことと、彼が酷くブサイクだったから自分が引け目を感じなかったことだ。
都内で季節ごとに一回は会っているから、なんとも思わないけど、最近電話をした時は彼も大学生活は華々しくないんだなと感じた。
MARCHも自分の通っているJR東海が関東でゴリ押しする観光地のアホ大学も変わらないかんじだ。
もしかしたら、アホ大学の方が田舎からのファスト風土的な何も個性もクソもないただの馬鹿を吸収しまくっているかもしれないけど、まぁ大学生なんか顔のいいやつとセックスしか考えていないのは分かった。
また、彼は「付属校からの奴は隔離してほしい」と言った。同感だった。
MARCHも自分の通うアホ大学もお顔の良いセックスに困らない女の子がトップで、キモメンの僕たちは不可触民である。世の中全部そうだったか。
僕は彼に「セックスに困らない、授業中喋って、アホそうだけど顔のいい女が何も困らないで優雅に大学や社会を過ごして悔しくないか?」と聞いた。
ブサイクな彼は「考えないようにしている」といった。
僕は「考えないで、ただその波に飲まれていくのも負けな気がするじゃないか」と彼に強い口調でいった。
「それはそうだけど、こじらせたくない」と彼は言う。
確かにそうだった。考えたところで、男は一部の容姿のいい女を取り合い、女は一部の容姿のいい男を取り合うというどうしようもないルールは変わらなかった。
また、僕達がミスキャンで選ばれた女の顔をバットで潰したとしても、僕たちはいい顔になれない。バットで潰して良い顔になれるなら全国の酷い姿のみんなはどんなに救われたことか。
とりあえず、顔のいい女とセックスを頑張ってやろうとすることはやめておく。
まず課金しなくても遊べるって所がいい。
正式版にデータを引き継げる体験版なんて中途半端な形じゃなくてやろうと思えば今行ける限界まで進むことだって出来る。
気前がいい。
おかげでいくつもあるゲームの中からじっくりやりたいのを選んでから財布に手をかける事が出来る。
そうやってじっくり選んだゲームだからこそ愛情を持ってプレイできる。
一昔前みたいに「買っちゃった以上やらないと勿体無いよね」なんて後ろ向きな気持ちじゃなくて前向きに遊ぶことが出来る。
ここがユーザーのさじ加減に任されてるのもいい。
今までのゲームだと16連射しようと連射パッド買ってきたらいきなり30連射始めるけど、課金ゲームはまずは10連射ぐらいで様子見しよって自分で調整できる。
もちろんいきなりSSRとか引くこともあるけどそれはそれで脳汁が出てキモチイイイイイ。
FEはもしかしたら殺されるかもしれない状況で先手打って必殺が出るから気持ちいいし、RPGはラスダンで過剰スペックのレアアイテムが落ちるから気持ちいい。
最初の10連で出たカードはちょっとレア度が低くても愛着が湧くし、最初に出てくれた最高レアはチームのエースとしてずっと使ってあげたくなる。
これもランダム性のおかげ。
課金するのにリアルマネーがいるって所が気に食わない人がいるけどその人はゲームの見方がちょっと狭い。
ゲームを自分の人生の一部だって考えられないからリアルマネーを1つのゲームに沢山注ぐって事に首を傾げてしまう。
野球少年が放課後毎日バットを振るように、僕らも毎日スマホやマウスをポチポチする。
美味しいものを食べるのにお金を払う、気持ちよくスポーツ出来るように新品のスパイクを買う、それと何も変わらない。
ゲームでお金が使いたいから仕事を頑張ろうとか、お母さんのお手伝いをしてお小遣いもらおうとか、そう考え出せば人生が楽しくなる。
課金するためにお金を稼ごうとする人生は、目的もなく何となく今日を生きてズリネタ探してシコって寝るだけの生活をしてる人よりよっぽどイキイキとしてるよ。
ゲームにお金を使うなんて間違ってるって人はさ、なんでそこまでゲームを見下しているの?
ゲームで遊ばない人がゲームを見下しているならそれはまあいいよ、どうでもいい。
自分がやってない趣味を見下しちゃうのはこっちだってたまにやっちゃう事だし人によくある悪い癖だって割り切れる。
でもゲームで遊んでる人がゲームを見下して「こんなのは人生の一部足り得ない。課金して遊ぶなんて馬鹿馬鹿しい」と思ってるのはちょっと理解に苦しむ。
楽しませてくれたクリエイターにお金を払えとかそういう話じゃないよ。
たださ、ゲームに時間を使ってそれを楽しみながら生きてるなら、それは生活の一部だってちゃんと認めてあげてもいいんじゃないって事。
そしてそれならクリアするために、欲しいキャラを手に入れるために、昨日よりもっと遠い場所にたどり着くために、お金を払っても惜しくないんじゃないのって事。
世の中には、「ヘイト創作」というものがあるらしい。いや、ある。
それに関してはピクシブ百科 http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E5%89%B5%E4%BD%9C あたり、
実害やら前例に関しては ピクシブ百科「冬木ちゃんねる」 http://dic.pixiv.net/a/%E5%86%AC%E6%9C%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
なんかが詳しいので説明は省く。
これに「同人と公式はなんぞや問題」というものも並行して議論があって、なかなかに混迷を極めている。
今回のごたごたの機会に、ちょっと分析してみて、いろいろ考えたことについて以下にまとめてみる。
分析と感想であって、提言でも注意喚起でもない。一種の野次馬根性と研究精神が表現としては近い。
ヘイト創作について考えてみよう!というわけだが、
「ヘイト創作」と「特殊な性癖やらのアレコレを含む二次創作(リョナ・バットエンド・闇落ち…etc)」の違いについて考えるのをきっかけにしてみたい。
私の言う「違い」の意味するところだが、今回はひとまず、閲覧者側の区別ではなく、書き手の精神によりスポットを当てる。
ので今回は、読み手から区別がつかない!とかそれによって出る被害について考察するのは今回の主題ではない。
定義しておくが「ヘイト創作」は上記の基準によるもので、夢全般、創作さにわ全般を指すものでは決してないということを最初に明記しておきたい。
ちなみに当方、相模鯖のさにわであり、成人済みの腐女子である。ちびちびと自分でも描いたり書いたりする。
ヘイト創作を選んで見ることはしないが、闇落ち・リョナの類は選んで見ることがある。
まぁそんな一プレイヤーの戯言です。
にある。
後者の目的なんて、そりゃあ「好きなキャラクターを好きな方法で可愛がること」である。
人によって可愛がり方は様々だが、その主目的は「特殊なアレコレ(と今のところ考えられる風潮のある傾向)」でない二次創作と変わらない。
「ヘイト創作」を書く目的、読む目的とは何か?を純化して、それでなくてはならない理由を考えてみると、
「誰かの不幸な状態・誰かが攻撃されている様を面白がること」にある。
オリキャラ可愛がりも俺TUEEEEも、閲覧数稼ぎも、ジャンル荒らしも、それは目的を達成させる動機のひとつであって、主目的ではない。
なぜなら、それらは「ヘイト創作」というジャンルの形をとらずとも、他の二次創作で達成することができるものだからだ。
ヘイト創作にあたらない、オリキャラ可愛がり、俺TUEEE、閲覧数稼ぎ、ついでにジャンル荒らしも、きちんと存在している。
頑なに拒否するそこのあなた、胸に手を当てて考えてみてくだされ。
ゴシップ誌もワイドショーも、「ご近所付き合いの怖~い話」みたいなレディコミの類も存在しない。
「ヘイト創作」は、根源にこの主目的を持っている。それが様々な形をとって創作され、消費されている。
それ自体は、特に悪いことでも良いことでもない。ただただ、そういう現象が存在している。
両者の大きな差はまた、「主目的にキャラクターという存在があるかないか」とも言い換えることができる。
「ヘイト創作」がエアプ、原作未読、未視聴でも作り出せる理由はここにある。
「キャラクターを可愛がること」を目的とする二次創作者と、「キャラクターを目的に含めない」二次創作者が存在し、
それらがお互いの居場所を食い荒らし始めた場合、当然のように衝突・摩擦が起きる。
二次創作、そして同人界隈における、衝突・摩擦は最も避けられるべきもののひとつだ。
なぜなら、同人とは辞書通りに言えば、同好の士が集まったコミュニティであり、衝突によって同好の士でなくなったら最後、それは概念ごと崩壊するからだ。
崩壊の例は様々だが、とにかくありがたい状態ではないし、精神的、社会的、物理的レベルまで取り返しのつかない事態さえ発生する。
そのために、これらの衝突は皆が注視し、議論し、時に殴り合う。
それ自体が衝突と化していくことも往々にしてあるのだが、流れとしてこうなってしまうのが、同人というコミュニティ存続のための危機意識なのだ。
一人で創作して楽しむのとは異なり、創作へのエネルギー+コミュニティ維持へのエネルギーが、現状の二次創作には必要になる。
以上のように考察してみた。
かつ同人というコミュニティを崩壊させない安定した存在となるには、
・衝突を避けるための手段をつくす
の二点が必要になるだろう。
大変に雑な分析ではあるが、
ヘイト創作について考える人への1つの視点提供になれば、自分の野次馬根性の昇華として嬉しく思う。
個人的なアドバイスをすると「誰かの不幸を面白がりたい気分」になったときは知恵袋とか覗くと省エネで発散できていいと思う。
追記:9月5日に一部修正
あまり知らないといっても、
・走るチェックポイントは1塁~3塁
どちらかというとサッカーの方がドリブルでスルっといくのがかっこよくて好きだったので、
テレビで野球中継をやっていても、ボールが小さくて何がどーなってるのかさっぱりわからなくてつまらないと思っていた。
小5の春、転校した田舎の村では、地区ごとにある子供会という組織に小学生が強制的に参加させられることになっていた。
子供会では男子はソフトボール、女子はバレーボールの活動があり、当然のように強制参加だった。
チームの高学年の人数が少ないので、バットを持ったことすらないチビガリの俺も自動的にレギュラーにされる。
最初はキャッチボールの経験すらなかったので、グローブの付け方や使い方もわからなかったし、ボールを掴んで投げるという動作もものすごくぎこちなかった。
飛んでくるボールが怖くてキャッチできなかったので、キャッチボール練習は俺とペアになった子が俺に球拾いをさせるだけの作業になっていた。
さらに、コーチは野球好きな誰かのお父さんたちなんだけれど、その人たちは俺が野球の細かいルールをさっぱりわかってないことに気付いてなかった。
練習を見に来たお母さん方の中には、もしかして…と気づいていた方もいたらしいのだけれど、
コーチは「野球のルール知らん子供なんかおるわけあれへんがぃ!」「転校生やゆーても子供はみんなやっとるもんやろ」で流してしまっていたそうだ。
田舎の子たちはみんな小1から子供会ソフトボールに参加するので、高学年になってもルールを把握してない、という可能性を思いつかなかったのだろう。
結局一度も詳しいルールの説明をしてもらうことなく進んでしまい、あっという間にソフトボールの練習は俺にとって、
知らない怖いおじさんに怒鳴られながらルールのわからないスポーツを無理やりさせられる苦痛の時間になってしまった。
とりあえずヘタクソ枠ということになっていたっぽいライトが定位置になったが、
飛んでくるボールや勢いよく転がってくるボールがキャッチできないので、ライト=ホームランのボーナス状態になってしまう。
重点的にやらされたフライキャッチの練習ではグローブの使い方や落下点の予測が下手で見失ったり頭や顔でボールを受けたりしまくって、
どんどんボールが怖くなって落下点に近づくこともできなくなった。
打席に立ってみても、ストライクとボールの見極めなんかできるわけがなかったし、
怖くて飛び退って逃げるか、目をつぶってキャッチャーミットにボールが収まってからバットを振り始めるくらいのトロくささで、
たまーにバットにボールが当たったら、ボールの勢いに負けてその場で尻もちついてコケる有様だった。
キレたコーチに「やる気あんのか!?」と何度も怒鳴られるけど、残念ながらそんなものは最初からない。
なにがなんだかわからなくて、上達しようという意欲もこれっぽっちもわかず、痛い思いをしたくないから逃げるのだけが早くなった。
試合では、守備側が相手バッターを煽る掛け声をずっと上げ続けるように指導された。
「バッタービビッとる!ヘイヘイヘイ!」 言うのも言われるのも苦痛だった。
そのうち、練習の日になると腹痛を起こして下痢が止まらなくなることが多くなった。
小6の最後の村内大会の日、大会にはどうしても来いと言われたので仕方なしに行った。
いつものライトの守備位置につく。みんなは相変わらず相手打者を煽ってたけど、俺は口パクでごまかしていた。
試合経過は覚えていないけれど、うちのチームは他のチームに比べると比較的高学年が多かったので、俺というお荷物がいてもある程度点は取っていたらしい。
最終回、打球がライトに飛んだ。なんのことはないフライだが、そこにいるのは今日もいつも通りやらかしまくっていた俺だった。
俺は一応ボールを追いかけようとして上を見上げて、眩しくて即座に見失ってフリーズした。
全然見えないのでとりあえず太陽を遮ろうと掲げたグローブの中に、ボスッという慣れない感触があった。
たまたまボールが落ちてきてグローブに入ったのだ。保護者席で歓声が上がった。
完全に偶然だったけれど、そのとき俺は、初めて試合でフライのキャッチに成功した。
そして、照れながらボールを2バウンドでピッチャーに投げ戻した後は、二度とボールが飛んでくることもなく試合が終わって、チームは優勝していた。
不良が更生したらやたら褒められるのと同じ理屈なのか、チームメイトやコーチからはやたらと褒められて、初めてちょっとだけ楽しいと思えた。
今ではなんとなく甲子園とかを見て、「わーがんばってるなーすごいなー」と思うくらいはできるようになった。
もしあの時偶然ボールをキャッチしていなかったら、今頃もっと野球が嫌いになっていただろうなと思うと、俺は運がよかったのかなーと思う。
私も同じように男性から痴漢被害にあってきたけど、それと同じくらい家族の男性(父や兄)に助けられたから、プラマイでいうとプラスでやっぱ、いい男の人もいるよねって思ってる。
小学生低学年の時に河原であそんでたら、おじさんが「いいものみせてあげるからおいで」って言われて「いいものなんだろー」ってほいほいあとついていったら茂みの中でいきなりズボンのチャックをおろしだしたので、こどもながらこれはやばい!と思って全力で走って逃げた。
帰って兄にさっきのおじさんのこと言ったら「追い払ってくる!」ってバット持って走って出てった。結局みつからなかったみたいだけど。
まぁもしいたとしてもどのおじさんなのかわかんないだろうけど、私のために怒って行ってくれた、ってことが頼もしくて嬉しかった。
中学生の時に夜遅くまで部活→チャリキで帰宅時に、夜道で押し倒された。必死で泣いて「私なんてまだ胸もないしこどもだし色気もないから襲ってもぜんぜんいいことないよ!」って喚いたら逃げてくれたので未遂で終わった。
転がされてすりむいて制服ボロボロで帰ったら、お父さんがすごい剣幕で警察に電話してくれた。それから当分帰り遅くなると必ず迎えにきてくれるように。
中学生の時は自転車通学だったせいなのもあるのか、通学路に必ず陰部を露出させてたってるおじさんとか、車の中で服のうえからブラしてるおじさんとか、もうふつーーーにいたりしたけど、そんなどうしようもなくクズで変態な男もいれば、うちの家族みたいに自分を守ろうとしてくれてる男性もいるってわかってたから、男性全部が悪だとは思わなかった。
大人になってうちの家族の男どもも、そんな精錬潔白なんじゃないんだろうな、ってことはなんとなくわかってきたけどでも、「自分を大事にしてくれた」っていう信頼感はすごく培われた。
痴漢被害のことをみては、「自分はしてないからそんなに痴漢がおおいわけじゃないはずだ!」って反射的に憤ってしまう人がもしいるのなら、その被害にあった、って言ってる人を守る立場になろう、って考えてみてほしい。
誰も貴方を痴漢だなんて言ってないの。ただ、「酷いことがあった。許せん!」って怒ってもらえればいい。それだけで女性の男性への信頼度は守られるはず。
1三「怒髪天を衝く」
髪が逆立つほどの闘争心を見せながらも、冷静に点を取り返す狡猾さも併せ持つ、攻撃的なリードオフマン。
2二「布衣之交」
「庶民でさえ約束は守るでしょ」と厭味ったらしく相手を責める、地味ながらも失点の隙を与えない堅守が自慢。
3遊「智勇兼備」
野球評論家・司馬遷も絶賛。攻撃でも守備でも活躍する、まさに智勇兼備と言うべき遊撃手。
4捕「刎頸の交わり」
投手との阿吽の呼吸で巧みにリードする名捕手。契約更改の前に「チームのためならクビを切られても悔いはない」と言い放ったエピソードは有名。
5中「肉袒負荊」
諸肌を脱いで棘付きバットを振り回すパフォーマンスで知られるスラッガー。エラーをするたびに厳罰を望むようなストイックなところがある。
6右「両虎共闘」
危険を察知するのが得意な守備の名手だが、中堅手と共倒れにならないようにフライの処理を譲る場面が多く見られる。
7一「琴柱に膠す」
技術はあるのだが融通がきかないために一軍に定着しきれていない。今回のチャンスをものにできるか。
8左「紙上談兵」
読書家で野球の知識は豊富。他球団からもマークされる期待の若手だが、実戦経験が少ないことに懸念の声も。
9投「完璧」
球界の盟主・秦を相手に完全試合を達成した大エース。「石ころ」と呼ばれるくらいの低評価だったが才能に磨きをかけて名選手となった。
気合一発、春日部の野原一家からフアレスのノハラ・ファミリアを目指す。まずは地道にご近所づきあいからだ。ジャパニーズ・トラディションである引越しそばを振る舞おうとする。
ところが、誰も受け取ってくれない。地元住民はみな警戒心まるだしで、野原一家を寄せつけようとしない。陽気なラティーノの国と聞いていたのに、聞くと見るのとでは大違いだ。
なに、よそものなんて最初はどこの国でもこんなもの。時間をかければきっと仲良くなれるさ……夕食のテーブルに並んだトウモロコシ粉製の本場のトルティーヤに舌鼓を打ちつつ、四人は新生活に思いを馳せる。
だが、その家族の団欒には一匹、足りない。夕食の時間だというのにシロはどこへ? 慣れない街で迷子になってしまったのだろうか?
就寝の時刻をすぎても戻ってこないシロを心配して、しんのすけが探しに行こうと言い出す。今日はもう遅いから、とためらうみさえ。ひろしが家長の威厳をもって立ち上がり、おれに任せろ、と鷹揚にわらう。しんのすけはお留守番な、お兄ちゃんは妹を守る義務があるだろう?
夜が明けてもひろしは戻ってこない。
「ただのペット探しじゃないんです。大の大人がひとり行方不明になってるんですよ」
机を叩いて抗議するみさえ。だが、応対した警官は苦笑して肩をすくめる。
「日本の奥さん、この街で一年に何件殺人が起きてるか、知ってますか」
「三千六百人((2013年は500件程度にまで減少))です。フアレスでは一日におよそ十人のペースで人が殺されてるんです。事故や病気での死じゃない。脳髄を銃弾でぶちぬかれてたり、生きたままマチェーテで首を切られたり、バットで全身をボコボコに叩きのめされたり……そういう方法によって二時間半ごとに人間が不本意な死を迎えているんです。でもそいつらはまだ幸せなほうですね。死体も残らない死に方をしている人間となると、果たして何人いることやら」
絶望と憤慨が入り混じった名付けられない感情を奥歯のあたりで噛み殺しながら、みさえは新居に帰宅する。居間で、しんのすけがテーブルに乗った見慣れぬアルミの缶ふたつを茫洋と見つめていた。缶にはコーヒー豆を写したラベルが貼られている。日本で市販されていたものとは違い、巨大で、威圧感すらただよっている。海外はなんでも日本より大きいと聞くけれど、コーヒー缶までビッグサイズなのかしら?
「しんのすけ、なにこれ?」
「さっき知らないおじさんたちが来て、『先日のそばのお返し』だって。『この街の特産品だから、ぜひどうぞ』って置いてった」
『特産品』。警官のツアーガイドを聞かされたみさえには、なんの変哲もない穏当な単語が不吉に響いた。そもそも引っ越しソバを受け取ってくれた人はいなかったのではないか? 騒立つ胸をおさえ、凶兆を否定しながら缶に手を伸ばす。
「『必ず、お母さんといっしょに開けてね』ておじさん言ってた。だから、オラ、ずっとみさえを待ってたんだゾ」
嘘だ、とみさえの直感が告げる。しんのすけなら、そんな言いつけはきかない。さきに缶を開けようとするはずだ。事実、缶は蓋のしまりが甘い。ずさんな隠蔽工作、しんのすけらしくないミスだ。
らしくない、といえば、なぜしんのすけはこんなに平坦な口調で喋るのだろう。
なぜ缶をじっと見つめたまま動かないのだろう。
「缶の中身なんか見なかった……」
なぜこんな温度の低い瞳をしているのだろう。
あらゆる情報が、缶を開けるべきでないとみさえに警告を発していた。「それ」には決定的ななにかが入っている。開けてしまえば、もう戻れない。だが、止められない。みさえは蓋を回す。
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