はてなキーワード: 引き足とは
漫画の絵の動きについて、いろいろ話が絡み合って切り分けができていないと感じたので、趣味でイラスト描くくらいの素人ですが書きます。長いです。
漫画において「動いてるものを描ける」ことと、漫画としてそれが「動いて見える」かは別物です。
安彦氏に関する話ではそこがごっちゃになっていると思います。
「Cコート」は読んだことないですが、この画像の右ページについて。
ページを開いて右上からデカイ男の身体に沿うように目が行って、ドドドの効果音と脚に視線が流された瞬間に次のコマのテニスラケットに目が行きます。視線誘導で読者の視線を巧みに操る中で大胆にアクションを展開させ重量感とスピード両方を表現してます。
この絵に対しても動いていないと感じる人もいるでしょうが、普通の認識で言えばとても躍動感がある画面で、多くの人が動いていると認識するに足る画像と思ったのですが、いかがでしょうか。この画像は動いて見えてもほかの絵では動いて見えない、という場合、それは作者の意図なのでまた別の話だと思います。
とりあえずこの画像だけで安彦氏は動いて見える絵を描ける、と言い切ります。
氏は絵が上手いしアニメーターなので「動いてるものを描ける」のは当然です。それだけではあれなので、もう少し詳しく書きます。
某ブログにも出てきた「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」では動きは4サイクルエンジンに例えられ、それぞれ「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」と分解されています。
アニメーターである著者の西澤晋氏は絵に躍動感を与えるには「吸入」「排気」が大切で、安彦氏はそれを描けると書いています。
これは主観でもなんでもなく、ただその絵が描かれているか、の事実でしかないので、この判断を保留する人がいるのが謎です。上の画像で言えば左ページの飛び込んでる女の子は「排気」です。他にも、氏の漫画をパラパラめくると「圧縮」「爆発」のようなはっきりしたポーズではない動きがたくさん描かれていると思います。簡単に言うとそれらが「吸入」「排気」です。
アクションのメインである「圧縮」「爆発」は描きやすいのですが、それだけが描かれた漫画に人はあまり躍動感を感じません。「圧縮」「爆発」は止まっているポーズにも見えるので、(実際静止した状態でそれらのポーズをとることができるものも多い)それらを羅列しても、止め絵の連続にしか見えないのです。ちょっと失礼な例の出し方ですが、池上遼太郎氏などはこの典型です。
人間は描かれた絵の前後の動きを勝手に想像します。様になりやすい「圧縮」「爆発」を描くより、動きの予兆を感じさせる「吸入」の方が、見る人の想像力が刺激され絵に生命力を感じます。ギリシャ彫刻などいい例ですが、あれらは「歩き出す手前」「腕を上げる手前」などの一瞬をかたどっているため、彫像を見る人はそこに見えざる動きを感じ取り「まるで生きているよう」と評します。(絵画などで寝そべっているポーズでも、呼吸やかすかな動きのタイミングを切り取って生命感を与えています)
ちなみに動きの直前を描くと生命感が宿る、というのは上記のように絵を描く上や生命を表現する上での基本中の基本です。ただ、デフォルメされた漫画絵で微々たる動きの呼吸の「吸入」「排気」を表現するのは難しいので、もっぱら大きなアクションで使用することがメインになります。(「吸入」「排気」と呼べるかは判りませんが安彦氏は叫んだり、大きく息を呑む動きの絵に特徴があったります)
http://www.suruga-ya.jp/database/pics/game/185021560.jpg
漫画ではありませんが、この絵なんかも人物の呼吸が伝わるすばらしい絵だと思います。
じゃあみんな「吸入」「排気」を描けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、それが難しいのです。そもそも絵を描く人間としては、やはり人物に「圧縮」「爆発」のようなポーズを決めさせたくなるものです。それが、中途半端な動きである「吸入」「排気」の絵を描くと、残尿感のようなものを覚えてしまうのです。
また、漫画内であるひとつのアクションをする人物を描くにしても、人間には間接が無数にあり、それらが常にひとつの動作を指向しているわけではないのです。
バットでボールを打つ動きにしても、腕はバットを振っていてもボールが当たれば指はバットを放さなければいけないし、踏ん張っていた足も次は走り出さなければいけません。本当はもっと細かいのですが、それらひとつひとつの「吸入」~「排気」の要素が複雑に絡み合っているのが、一つの「動き」なのです。漫画のコマ内には流れる時間が存在し、決して一瞬を切り取ったものではないので、時間軸が同一コマ内でも違っていることがたくさんあります。そこに上記の要素も加わるのです。
いちいちこれらのことを考えていては、連載のスピードで漫画をかくことができないのでどうしても類型的な絵になります。そうなると、「吸入」「排気」の絵を描いていても、どこかでポーズをとっているような硬い絵になってしまうのです。このような中で自然に「吸入」「排気」の絵を描ける、というのはすごいことなのです。
(いしかわじゅん氏がどういった意図で発言をしたのかわかりませんが)上記のように安彦氏は動きのある絵を描けます。(多くの人が動いている、と認識できる絵を描いていると個人的には思います)しかしそれでも「安彦氏のこの絵は動いていない」「ほかのこの漫画より動いていない」など思う人があったら、それは意図的にそう描いているのですから、安彦氏がなぜそのように描いたのか考えてみるのがいいのではないでしょうか。というか、僕には動いてるようにしか見えないので、どう動いて見えないかを増田あたりに書いていただけると助かります。(これすごく大変だと思いますが。。)よろしくお願いします。
そういや大友克洋美少女描けない問題のことも思い出したんですが、なんであんなに絵が上手い人が美少女程度を「描けない」と思う人がいるのかが判りません。結局、みんな自分が好きな絵が上手い絵、嫌いな絵が下手な絵って認識なんでしょうか。これ、自分もやってしまう間違いなんですが、好悪と上手い下手は別です。自分にはそれがわかるなんて思わないことが大事なんだなと最近思います。勉強が大事です。
長々ありがとうございました。本当は、漫画の絵が動いているとはどういうことかを視線誘導メインで書こうと思っていたのですが、思ったより長くなってしまったので別の機会に書きたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20141102082350
安彦氏は動いて見える漫画を描けるか、ということを証明するために貼ったリンクなので、とりあえず右ページが動いて見えるならよしと思って貼りました。左ページについて言えば確かにスローに見えますが、写っている右ページの下段にもコマが見えますし見開きのノドも完全には見えてないので、個人的にはここらへんで左ページにつながる何らかの描写があるのではと勝手に考えていました。