はてなキーワード: 規則とは
千野栄一『外国語上達法』には、ある言語を習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語の基本的文法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的文法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。
「言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなります。しかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」
教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。
1. モチベーションの維持によい
2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音が我流のものになってしまう危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音の重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しのレベルで説いている。
3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。
語学学校のスタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。
シュリーマンのエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマンの朗読を聞いてもらったのだそうである。
寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学のクラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。
ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います。
お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル(学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。
補足ないし余談
・フレンズのDVDで英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。
・英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。
「日本人は~」「男は~」「女は~」という大きさの主体なら、常識的に考えて一般論でしかない。
これは発言者の意図がそこになくても、受け取る側はそう解釈すべきであるし、そう解釈されることを避けたいならば頭に「すべての」とつけて、意図を明確にしなければならない。
あんたがそう解釈するのは勝手だけど、読み手にそういう義務があるわけじゃない。
論理的に正しいことを言いたい時や、ネガティブな主張をする時は、主語を小さくしたり、もちろん例外はある、と主張に含めたり、××と比べるとそういう傾向である、と比較論であることを強調したり、増田でだってみんなやってること。
「○○は××である」
「主語がでかすぎだろ」「そうとも限らないだろ」
って突っ込むのは普通。突っ込まれたら
「○○っていうのは全ての○○じゃなくてこの範囲」
とか説明すりゃいい。
じゃ議論にならない。
なんて当たり前の話で何も言ってないに等しいんだから。
首都圏では別に珍しくもないかもしれないが、関西圏では見かけることは多くない。
ビジネスマンか?もしくはバックパッカーか?と黒人について一人思索にふけっていると
おそらく日本の独自ルールである「電車の中でのケータイ禁止」を知らないのだ。
英語で輸入がどうとか数量がどうとか話し始めたので恐らくこの黒人はビジネスで
わざわざ日本まで来たのであろう。私の謎はここでとけたわけだが一つ気になったことがあった。
いつも携帯で話していると「携帯止めろ」といううるさい車掌は黒人に注意するのだろうか。
車掌はまだかまだかと待っていると、ついに車掌が列車のドアを開けて登場した。
狭い車内でアジア人ばかりの列車にごっつい黒人が一人、しかも大声で話している。
気づかないはずがない。
車掌は歩き始めてしばらくたつと立ち止まって思いっきり黒人に目を合わせた。
しかし、車掌は3秒ほど立ち止まった後、何も無かったかのように立ち去った。
いつもは「携帯を切れ」とうるさいのに黒人に対しては特権を与えたわけである。
私は非常に納得がいかなかった。車掌に一泡吹かせてやりたい気になった。
私は座席を移ることにした。車掌が出ていったドアから一番遠い位置に移った。
ここならば車掌が入って来てからアクションをとるまでに時間的な余裕がある。
待つ事10分、車掌が折り返して戻ってきた。窓に車掌のシルエットがうつった。
ラッキなー事に黒人はまだ大声で話している。
私はすばやく携帯電話を取り出すと、大声で話し始めた。
車掌は今度は黒人を見ることもなく、ツカツカと歩き始め黒人の座席を通り抜けた。
そして私のところまで来て小さな声でこう言った。「電車の中では携帯通話はご遠慮ください。」
私は言い返した。「あそこのごっつい人さっきから大声で話してますよ。」
私「日本語分るかもしれないじゃないですか。どうして注意しないんですか。」
車掌「恐らくわからないでしょう、後ほど英語の分るものに注意させます。
とにかく携帯通話はご遠慮ください。ペースメーカーにも影響がある可能性がありますので。」
私「私ペースメーカー使ってますよ。6年前から入ってますがまったく影響ありません。」
車掌「。。。」
6年目。現在のところ異常なしだった。
でも結果をよく見ると、正常値の範囲とはいえ、善玉コレステロール(HDL)が微減・悪玉コレステロール(LDL)が微増してきている。
とくに悪玉は正常値ぎりぎり。
調べてみると、昨今、個別の閾値とは別にHL比というものがあるらしい。
LDL÷HDL=1.5以上だと動脈硬化のリスクが高まるんだって。
それに照らし合わせると俺は131÷54≒2.4でかなりリスク高いことになる。
個別に正常値であれば気にしすぎるのもよくないとも書いてあったけど、やっぱり気になる。
そんで悪玉減らす方法探したら健康的な食生活とかがまず出てくるんだよね。
なんつーかさー・・・HL比に限らず厚労省の方針とか見てもいつも思うけど、理想論ばっかで全然役に立たないんだよね。
わかってんのよ。
わかっててもそれができないの。
野菜好きだし。
そういう現実がわかってるから、ヘラヘラ理想だけ押し付けてお仕事おしまいポイーってしてる人間がめちゃくちゃ腹立たしいの。
とりあえず卵は1日2個を1個にする。
母親も高コレステロールで卵控えてるし、俺もそういう感じなんかな・・・
父親は糖尿病だし。
いくら俺が気をつけても遺伝だったらどうしようもないわほんと。
って考えるともう何もかも無駄に思えてくる。
生活道路における歩行者・自転車の死傷事故率は、幹線道路の約5倍。
日本 交通事故 歩行者 - Google 検索 http://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%80%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E8%80%85
http://archism.org/works/02-27-lunch-26-news.htm
埼玉県川口市の市道で9月、保育園児の列に車が突っ込み21人が死傷
した、あの痛ましい事故は記憶に新しい。事故現場の道路の幅員は約6メー
トルであった。広い幹線道路から一つ内に入った日常の散歩道での事故。
1年前の2005(平成17)年11月17日、警察庁は国土交通省と連携して作
成した「生活道路事故抑止対策マニュアル」を都道府県警察に通知した。
2004(平成16)年度中の交通事故発生件数が過去最高を記録し、なかでも
住宅地などの日常利用する生活道路での事故の増加が著しいという。
このマニュアルでは、幅員5.5メートル未満の道路における交通事故、なら
びに、市町村道における死傷事故率の増加が指摘され、早急の事故抑止
対策を呼びかけている。
川口市の事故現場の道路幅員は約6メートル。「平成18年警察白書」の
統計資料によると、道路幅員別の死亡事故件数がでており、2005(平成17)
年の件数全体の56.3%を幅員5.5~9.0メートルの道路が占めている。狭いな
がらも車の速度が出やすくなる道だ。ちなみに5.5メートル未満の道路は
14.5%を占める。警察庁の統計でも死亡事故発生率の高さが明確に示され
ている。
既存の生活道路の幅を広げ歩道をつけたり、車道部との分離を明快にす
るための整備には限界がある、当面は歩行者と車の混在を前提に、事故
という観点である。市町村道における死傷事故率の増加、いったいどう対
処したらよいのだろう。
道路統計年報(2006年版)の道路種別整備状況の表を見ると、市町村道
路の長さは、道路全体の長さの84.5パーセントを占めている。道路全体とは
一般国道・都道府県道・市町村道の合計である。われわれの周りの道路の
多くは市町村道で占められているのだ。事故対策は、行政まかせでも警察
まかせでも、もう手がまわらないのではないか。
しかし何か方法があるはずだ。子どもたちの犠牲を、多数の園児の犠牲を、
そのままで終わらせたくない。
『道はだれのもの?』
『みんなのものだよ』
Transportation Alternatives(New York City)
レポート表紙より
交通事故多発で
17日朝、タレントの風見しんご(44)さんの長女(当時10)が交通事故で亡くな
った。なぜこのように、交通事故で大切な人が命を落としてしまうのか。風見
さんの悲痛な叫びとともに、交通事故発生の異常な実態を深刻に受けとめ
てほしい。
4日、警視庁のホームページに掲載された 「平成18年中の交通事故死者
数について」 は、交通事故発生から24時間以内に亡くなった人の数を
6352人と発表した。この数字には24時間を越えて亡くなったケースは入らな
い。医療技術が発達した現在、24時間を越えて必死に命をつないでいる人
も一方で増えている。その数がここから漏れていることを忘れないでほしい。
全体の死傷者数は100万人を超えている。
また交通事故発生後30日以内に亡くなった人の状況について、警察庁の
「平成17年中の30日以内交通事故死者の状況」 は、事故時の状態を分析
死者数の構成比を国際比較している。
日本では、歩行中が30.8%、乗用車乗車中25.1%、自転車乗用中
13.9%。歩行者のほうが乗用車乗車の人を上回っている。
欧米諸国は、歩行中が8~20%台、乗用車乗車中が44~60%台、歩行者
より乗用車乗車の人のほうが圧倒的に多い。
交通事故はどうしようもない、車は便利だから仕方がない。交通事故によ
る死傷者、とくに歩行中の犠牲者に対し、社会はあまりにも無関心である。
しかし、交通事故死は、一切予告なく突然巻き込まれ、尊い家族を奪われ
た人の嘆き苦しみは行き場がない。交通事故死全体の数字よりも、歩行者
の死亡率の高い実態と、今の道路構造上の問題を具体的に取り上げ、歩
行者のリスクを下げる方向へ政策転換をしてほしい。(以下省略)
冒頭の川口市、市道での園児死傷事故を受け、あまりにも悲惨であり、被害
者への警察などの対応が理不尽であったために、現在の川口市長が速度
規制へ動き出した。
管理者が市であるからといって道路行政は埼玉県警や県の公安委員会が
担っていることもあり、簡単に動くものではない。しかし、昨年から年明けに
かけて、事態は急速に動いた。被害にあった保育園の周囲の市道が時速
30キロに規制されることが、県の公安委員会とともに決まった。
速度指定がない場所で事故にあった場合と、30キロ規制の道で事故にあっ
30キロにしても誰も規則を守らないという多くの声がある。しかし、規制があ
ると無いとでは加害者に対する、社会的処罰が異なる。だからこれは最低
今の法律の下では、とにかく被害者は悲惨である。ことに交通事故において
は、言葉は悪いが「死に損」と言われている。
今の法律、道路交通法や刑法は被害者を救うものではない。法整備を
進めるためにも、規制を増やし厳罰の項目をつくっていくこと、そのために
市民が声をあげ、市や県、国にお願いすることが大切ではないかと思う。
まずは身の周りの道路をよく見てほしい。情報を集め実態を知ってほしい。
子どもたちがもっと外で自由に遊べるようにと、多くの人が願っている。
そのための条件は、歩行者が守られる道である。車優先の道と、人を優先
させる道を分けて、はっきりさせたい。また、悪質な犯罪者が、車を使い
住宅地へ簡単に流入している現実も見逃せない。車による犯罪者が増えて
いるのだ。
記事より抜粋】
異例の市内全域 川口市 【共同】
昨年九月、保育園児ら二十一人が死傷する交通事故があった川口市は
二十七日までに、事故再発防止のため、市内全域の住宅地や裏通りなど
の「生活道路」で最高時速三十キロの規制を設ける方向で検討を始めた。
自治体全域での速度制限は異例で、実現するかどうかは不透明だ。
規制速度は、都道府県公安委員会が個々の道路について法定速度(一
般道はミニバイクを除き時速六十キロ)内で定める。生活道路の多くはスピ
ードを出しにくいなどの理由で規制が見送られてきた。岡村幸四郎市長は
「悪質ドライバーは狭い道でもスピードを出す。悲惨な事故を経験した自治
体として抜本的対策を打ち出したい」と訴える。
県公安委は昨年末、事故現場周辺の約八十五ヘクタールについて原則
三十キロの速度規制を実施することを決定。川口市は、市全域の規制につ
いて「県公安委と協議していきたい」としている。しかし「全域に新たな規制
標識を設けなければならず、予算面から考えても難しいのでは」(県警交通
規制課)という声も。
岡村市長は、市が主体的に速度規制を決める新たな制度を国に提案す
ることも検討。「例えば構造改革特区制度を適用できないか」と実現に意欲
を見せる。しかし構造改革特区は規制緩和が目的で、速度規制は「制度趣
事故で長女の悠月ちゃん=当時(5つ)=を亡くした福地禎明さん(37)は
「娘のような犠牲者が二度と出ないよう、交通規制行政をぜひ見直してほし
い」と話している。
川口の園児死傷事故 昨年9月25日、川口市戸塚東の市道で、近くの
公園に向かう保育園児らの列にライトバンが突っ込み、3―5歳の女児4人が
死亡、保育士を含む17人が重軽傷を負った。運転していた男は助手席の
カセットプレーヤーを操作しながら時速50―55キロで走行していたとされ、
業務上過失致死傷罪で起訴された。遺族は危険運転致死傷罪の適用を求
めたが、さいたま地検は法定速度以下だったことなどから適用を見送った。
*法定速度が高すぎることが原因のひとつ。
俺はちょっと考え方が違っていて。
科学発展が人間を幸福にすると言う正比例関係が終焉を迎えようとしているんじゃないのかと思うんだけど
俺はIT系の仕事をやってるんだけどIT技術の発展で人って幸せになったのかな。
色々覚える事増えただけで便利になった以上に手間が増えただけだとしか思えない。
FacebookやGPSとかの発展で政府は個人の行動を簡単に把握できるようになったし
気に入らない奴がいれば潰してしまうのも楽になった。
2chとか掲示板の発展で世論統制も以前と比べて数段落になった。
発展途上国なんてTVの普及もままならないところあるけど、あいつら気に食わないことあったらすぐ反乱起こすよ。
それが理由なら、「ぢ」「づ」は廃止して「『ち』『つ』が濁るときは『じ』『ず』に変化する」というルールに統一してもいいわけだよね?
俺的には「いなずま」はまだ認めてもいいが「きぢ」は気持ち悪い。
不規則な時間の人に振りまわされて、あなたも、ある程度はくたくただろう
こんな夜更けの時間には、何を聞いても、何を考えても、建設的な答えを出すのはとても難しい
深く考えずに寝ちゃえと言われても、多分それも難しいだろうから
せめて温めの風呂にでもゆっくり入ったり、好物をちょっと食べたり、自分をちゃんと甘やかして、リラックスを心がけなさい
大切なのは、なるべく冷静な状態で、
あなたがお相手に「心配している。改善する手伝いをしたい」ということを伝えられることだと思う
冷静に伝えられる気がしないなら、やっぱり一時的にでも離れた方がいいと思う
共倒れしないように
ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP 「http://anond.hatelabo.jp/20140716042957」で留置所生活を思い出した。
もう済んだことだからそれにはあーだこーだ言うつもりはないけど、留置所の生活は色々な意味で本当に糞だったので、ココに書きたいと思う。
まず入る前に荷物すべてを色々調べられて、リスト化される。
カード類とかをたくさん持ってる場合、これに時間かかって入るまでが大変。
そんで留置所内で自殺とかできないように、紐とかボタンが付いてない服に着替える。
借りることもできるけど臭い。
基本着れるのが許されるのはスウェットとジャージ、Tシャツだけだと思ってくれれば分かりやすいと思う。
あ、そうそう着替える前にケツになんか入れてないか、全裸で四股踏まされた。
これが一番屈辱的だったのを覚えてる。
それから着替えて、手錠付けて、腰縄付けてリードのようにして檻の中へ。
檻と呼ぶにふさわしい、鉄格子の扉の部屋。
○房というようにいくつかの房に分かれてて、1房につき4畳ちょっとで4人が定数。
入ったのは冬だったけど、暖房が付いててずっと適温だった。
年末とかだとわざと入ろうとして無銭飲食する輩がいるらしい。
あったかくて飯も出るからそういうホームレスには最適だなと確かに思った。
先に三人、先客がいたので自己紹介をした。
僕の場合、とっても気さくな拘置所の常連(再犯数回)が一人いたので、制度やルールについて色々聞けた。
自弁っていって弁当に所持金使って追加できるよーとか。
お金なければ担当弁護士にキャッシュカード渡しておろしてきてもらえるよー(もちろん暗証番号を教える羽目になる)とか。
面会は一日一回だよーとか。
あとは、弁護士は面会に含まれないよーとか。
自分の逮捕内容についても、「その場合、だいたい○円ぐらいで示談できるよー」とか。
そうそう、↓このへんは行く署によってルールが若干違うらしい。
・「運動」って実は塀に囲まれた所で「爪切る」か「煙草を吸う」ための時間
・風呂は週2回
・土日はラジオが流れてる。
ニュースとか流れないように番組管理されてるし、新聞は切り抜かれる。
外でどんな事が起きてるかは全く分からない。
あ、そうそう。
注意されたこともあった。
暑いから「ちょっと窓開けて」って鉄格子の向こうにある窓を開ける様に頼んだら
「規則なんで」って言って全く応じなかった。
脱走防止かね?
色々自由が奪われてたし、飯もまずかったので、出て速攻でメシ食いに行ったけど、
拘置所の静かな生活に慣れてしまって、うるさすぎて落ち着かなかった。
あと、家でTVを見た時はずーっとみとれちゃいましたね。
軽い浦島太郎状態。
僕は拘置所の中にいた人とか、検察に行った時(検察には範囲内の別の署からも集まる)に色々な人から話を聞いた。
大体は「なんで捕まったの?」みたいな話。
組織窃盗だと疑われてしまった無実のおじいちゃん(窃盗物だと知らずに置き場所を提供する連絡を仲介してしまった)とか、
女の子が自分の部屋に来たから手を出したら親告されて捕まったとか。
無実のおじいちゃんは半年ぐらい拘置所生活してるって言ってた。
組織ぐるみの犯行を疑われた場合、捜査に時間がかかるから、拘束期間も長くなるんだって。
警備会社かなんかの社長をやってたこともあって、柔道も何段とか言ってたな。
どっちかっていえば警察よりっていうか、超善良な人で、道徳的にもすごくしっかりしたモラルのある人だった。
最後まで僕の事件や他の留置者を気づかってくれて、落ち込みそうになると冗談いったり、時に親身に話を聞いてくれたり。
とてもとても優しい人だった。
その人はよくため息交じりに言ってた。「人生、何がおこるかわかりませんよ」って。
出ていく日も一緒だった。僕は裁判所なので彼は検察で先に車を降りた。
僕の隣に座っていた彼は、手錠されて腰縄を引っ張られながら、最後に立つ際に僕の膝を叩いて
「幸せになってください」
って言ってくれた。僕は涙を必死にこらえながら鉄格子が貼られた車窓から外を見た。
こんな人にこんな生活させるなんて、本当に警察はどうかしてるって思ったのを覚えてる。
すごく強烈に記憶に残ってる。
話戻って。
拘置所での暮らしは朝は6時に起床、点呼取って、房毎に布団しまって、房の掃き掃除と拭き掃除。
「洗面」で歯磨きと洗顔とかして、あとは朝飯。
出る時は僕の場合、略式起訴だったので裁判所いって、軽く読みあげて、
色々な人の話を聞いて分かったのは「一般の倫理観的な罪」は犯してないのに捕まるのも珍しくないから、
お財布の金は大目が良い、には賛成☆
一緒に住んでる人がずっと休日も平日も休み無く働いてて、帰りが遅いので待ってたら「規則正しく生活してよ!」と怒られた。
確かにそりゃダメだと思って、納得して早寝早起きし、洗濯したりお弁当つくったりしたけど…
起こしてと言われた時間に起こしたところ、やっぱり「身体が辛くて、起きられない」状態に。
身体が動かないくらい血圧下がってる感じで、睡眠時間も知る限り4時間以上寝てない。
「今日は休めば?」と話しかけて、超怒られた。いや、そりゃあそうなんだけど、どうしようもできないよ。
なんだか、毎回「怒らせて起こしてる」状態なのでホントに申し訳ないし、「私サンドバッグになってない?」とか思ってしまう自分が情けなくて嫌になるし、辛そうで見てられん。
どこに相談したら良いんだろう。
そうなんですよね。全く余裕がないんです。本人も余裕無い!宣言しているし、業務への責任感でむち打っている感じです。
最近急に昇進したそうで、立場上難しいのかもしれないけど、セルフケアの発想が足りないんじゃないかと思います。
つたえても、「無理!!」つって逆ギレ(じゃないか、キレるのも当たり前か)されそうで凹むんですけど。ひつこく言っていくしかないのかなと思います。
私に全く落ち度がないという事ではないので、サンドバッグ化してても仕方ないし、そこは反省してるんですが、このままじゃ過労死待った無しですよね。
[付け加えて~個人的なこと]
本人も、家では「つらい、無理、もうやだ」と口に出してます。私も、心配しかしてなくて、顔が見たいから帰ってくるまで待ってたり、帰って来る時間に合わせてごはん作ったりしてました。
数年前に入社してから、ずっと22時前に帰ってくることが希で、更にじわじわ労働時間が増えてる気がします。
なので昇進したと聞かされたとき、背筋が凍りました。
一緒に住んで約半年くらいですけど、ここ最近「行動が効率悪すぎて、手伝う気がしない」とか「ごはんがおいしくなさそう」とか「おふろの掃除くらいしてよ」とか言われる事が増えました。確かにおっしゃるとおり!とかなってケンカしてました。
掃除はさぼってたけど、ちょっと、指摘が細かいんですよね。理詰めで攻められる感じ。けっこうつらいです。
私が冷静に見えるのは、短時間アルバイトしてて時間的に余裕があるからなんですけども、泣き癖があってですね…それで、だいたいのストレスは解消されるわけです。
泣いてるところ見せてしまうのも、相手のストレスになるんで…とか、思ってますが、我慢できませんけども。元気です。
[プリントアウトの件]
相手も実は、はてなユーザーなのでURL送って、、もいいのかな…今は逆鱗に触れたらどうしようとか思ってためらってしまうh。
たまにいる「民間企業優位信仰」の人たちってなんなんだろうなあと思うときがある。
口癖が「民間企業だったら~は許されない。」「民間企業出身者を入れないから駄目なんだ。」「民間企業に入ってないなら社会には出てない。」と言う人たち。
何の自信を持って民間企業が、それ以外の農林漁業従事者や公務員や自営業に従事する人々よりも優れているというのだろうか。
高度経済成長の時期ならいざ知らず、現在の民間企業従事者が他業種に対して何がしかの優位があるといえるような状況には到底見えない。
言い方は悪いが「民間企業って労働基準法を無視しているところが殆どの産業で、そこの従業員だろ」と言う感じである。
労働基準法を無視している企業が求める労働条件を基準として「民間だったらこれぐらい働く!社会ってのはそういうものだ!」と力説されても、馬鹿にしか見えないのだから説得力がない。
だいたい「民間」と言う範囲が良く分からない。多分言ってる人たちもわかっていない。
自営業は入るのだろうかと思うのだが、多分入らない。自営業の飲食店とかは、いわゆる「民間」の人が言うような厳密な会社の規則に則ったり、バリバリ働くというような労働ではない。
零細企業は入るのだろうか。中小企業と大手企業は同じ民間なのだろうか。
はっきり言えば零細企業と大手企業の従業員は、規則自体の細かさも規則に従うべき重度も全然違う。
中小企業の一部で許されているどんぶり会計は、その他業種とそう対して変わらない。
それを一緒くたに「民間企業」で纏めても、一つの統一的な「民間」はどうやっても出来上がらない。
ちなみに、会社員と呼べる人間は全労働人口の41~3%程である。「民間企業優位信仰」の人たちが言うような「民間」の人は、更にその一部であるわけだ。
彼らの言う社会というのは、日本の半分も占めないような一部分である。本当は「民間企業」の枠ではない存在のほうがよっぽど大きい。
公務員に向かって言われる「民間企業出身者を入れないから駄目なんだ。」と言う件についても不思議なのだが。
民間企業に染まり、民間の手法にしっかりと馴染んで、仕事が出来る人が、「民間企業を辞めて他業種に就く」と言う状況がおかしい。
公務員に民間企業出身者が増えるということは、民間企業で能力が足りず首になった、民間企業に合わなかったから辞めた人だからこそ入って来るわけで、前提がおかしいとは思わないのだろうか。
「民間企業出身者を入れないから駄目なんだ。」と言う言葉を少しいじると。
「日本の企業は海外経験者が少ないから駄目なんだ。」民間企業だって言われてるようなことだ。外国人を大勢雇えば良いが、大規模に雇おうという会社は少ない。
そういうふうに文脈と独立した基準を求めちゃうとわからなくなる。バランスの問題なんだよ。
たとえば今の米国で、個人がやってて地元の常連さんがほとんどの田舎の店で、「俺は昔日本人にひどい目に合わされたから日本人お断りでぇ」というのは、それ単独ではさほど大きな問題じゃない。もちろん拒否された日本人客がそれを非難するのも自由だけど、そこのレストランが嫌なら行かなけりゃいいだけだし、感情的な問題は個人間で解決してくれってことになる。
ところが、社会的に反日感情が高まってる状況だとどうだろう。日本人お断りポリシーはその店の話だけに止まらず、反日感情を後押しして、結果的に日本人がそのレストランからだけでなく、他の所でも拒否される「社会的な不利益」を受ける可能性がますます高くなる。そうなると差別問題だ。注意して欲しいのは、「差別を解消する」という目標はあくまで社会的な状況を改善することにあって、そのレストランを攻撃することが目的ではないこと。声をあげて「そういうことはまずいんだ」という合意を形成することで、他の店が倣うのを防ぎ、社会的な状況を改善できる。
個人商店より大きなチェーン店での差別的行為がより大きな問題とされるのも、社会的影響の大きさから。
ちょっと前に車椅子来店を拒否して炎上したレストランがあったでしょ。あれも、「レストランはどんなコストを払っても車椅子を受け入れなければならないのか」なんて議論にしちゃうと解決しない。「今、車椅子では行動しにくい街になっている」って社会的不利益があって、それを全体的に改善してゆくのが目標で、逆行するような行為があれば「そりゃまずいんじゃないの」と声を上げてバランスを動かそうとする。その解消のためにひとつのレストランの負担が大きすぎるなら、それは社会的制度の問題だから、そんじゃ負担をもっとうまく分散させるにはどうしらたいいかを議論しようや、ってことになる。そうやって落としどころを少しづつ探って行くプロセスが差別問題への取り組みなんで、これをしたら悪、これはok、というような規則を決めてゆくことじゃない。
町内会には自警団があり、強盗がやってくると武器を持って助けに来てくれます。
うちには祖父の時代に町内会長さんに言われて作った「武器を持って戦ってはいけない」という家訓があるので自警団には入っていません。
しかし、町内会長さんから「最近物騒だし、強盗に入られた家に助けを求められたときはお宅も助けに来てほしい」と言われました。
確かに、最近となり町の偏屈一家が近所にちょっかいをかけてくることが増えました。
少し前にはお隣さんの庭先で刃物をチラつかせる騒ぎもありましたし、お隣やうちに目をつけているという噂も耳にします。
お兄ちゃんは「うちには家訓があるじゃないか!強盗が来てもあれを見せて説得すれば、怪我をさせられることはないだろうし、真摯に説得すればお金を巻き上げられることもないさ!」といいました。
お姉ちゃんは「強盗に説教して帰ってくれるならセコムなんていらないわよ。うちには強盗が刃物で襲ってきてもやり返せる日本刀があるじゃない。いきなり強盗に斬りつけるわけじゃないし、お隣さんやうちに強盗が入ってきたらこちらも応戦するぞ!って言っておけば強盗も入ってきづらいわよ」といいました。
僕は、うちに強盗がやってきたら町内会長さんやお隣さんが助けに来てくれることになってるし、お姉ちゃんの意見に賛成でした。
でもお兄ちゃんは「町内会長のところだって前にとなり町に言いがかりつけて殴りこみに行って、さんざん白い目で見られてたじゃないか。お父さんは自警団加入に乗り気だけど、自分だけ町内会長さんに誘われて美味しいもの食べに行ってるからいい気になってるだけで、俺らのことは考えてくれてないんだよ。それに弟に武器を持たせて強盗の入った家に乗り込ませるなんてとんでもない!」といいました。
僕は、たしかに町内会長さんもワンマンな性格で、力で適う人がいないのをいいことに、自分の都合のいいように町内会の規則を変えたりしているなあと思いました。
それに、もしお隣に強盗がやってきて、自分が武器を持って強盗を追い払いに行かないといけないことになったら怖いなあと思いました。
するとお姉ちゃんは「町内会長さんは確かに気に食わない所もあるけど、うちに強盗が入ってきたららどっちにしろ家族を守らないといけないでしょ。それにお隣に強盗が入ったからって、いきなり弟に行かせるなんてしないわよ。うちには剣道をやってる叔父さんがいるんだし。」といいました。
お兄ちゃんは「それでもお父さんがいつ”お隣の強盗をやっつけにいけ”って言い出すか分かったもんじゃないよ。それどころじゃない、町内会長が”となり町に殴りこみに行くのを手伝え”って言ってくるかもしれない。叔父さんだけじゃなくて俺たちや弟だって・・・」といいます。
すかさずお姉ちゃんが「そんなの飛躍しすぎよ。悪い可能性の話をしたらきりがないわ!実際治安が悪くなってるのに、そんなんじゃいざというと家族を守れないわよ!」と反論します。
だそうだ。赤旗のコラムもかくやはと思われる一方的な決めつけと一部の政治団体の主張を代弁するご熱心さにはあきれるばかり。
昔から、朝日の社説は程度が低かったが、ここまででは無かったはずだ。
なんで、こんな独りよがりなポエムを社説として掲載するのだろう?天声人語ならいざ知らず。いや、コラムにだってこんなん書いたらあきれるけど。
この社説子が読者に感じてほしいことは、
「俺はウージェーヌ・イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』を知っている文化的な人間」
「安倍内閣の暴挙を不条理劇になぞらえる発想力。センスいいでしょ?」
「『カーテンコールの、喝采の代わりに。』どう?詩的でしょ?センス良いでしょ?」
こんなとこか?
センス無いよ。はっきり言って。
集団的自衛権に関する憲法の解釈変更について、ついでだから私見を述べておく。
とは言っても、今回の解釈変更についての賛成・反対のことではない。
デモクラシーの担い手たる健全なる社会人なら誰もが知っている「ルール」(社内規則や法律等、もろもろの)についてだ。
憲法は法律であり、法律はルールであり、ルールは守らなくてはならず、ということはルールは守れるものでなくてはならない。
現状を追認すればいいというものではないが、現状に即した適切な条文に随時メンテナンスしなくては、ルールはルールとして機能しなくなる。
守れる訳のないルールを頑迷に変更しないまま金科玉条のように奉っておくと、そのルールはやがて形骸化し、却って何の歯止めにもならなくなるものだ。
守れる訳のないルールの一字一句にこだわるのは、ルールの精神を尊重していない言葉遊びと同じことだ。
そしてその言葉遊びは、ルール自体をゆっくりと間接的に蝕んでいく。
たとえば創業者が決めたけれども時代や社会や新しい法律と整合性がとれなくなって、もはや誰も見向きしていない社内規則とか。
憲法9条は、法律の条文にすぎない。それによって守るべき価値は何か?日本国の平和と安全だろう。
しかし、かつてルールの一字一句を神聖視して、日本国の平和と安全などどうでもいいという人たちがいた。
彼らは「神聖なる憲法9条に奉仕する自分」にうっとりするばかりの、自分をえらく見せたいだけの偽善者たちだった。
言葉遊びを非難するならば、彼らこそが非難されるべきだろう。
彼らは、国際情勢に合わせて憲法の精神を尊重しつつ条文をすこしずつ変えるという民主国家に必要なプロセスをあれやこれやの感情的な屁理屈をもてあそんで邪魔してきたのだ。
そしてその結果として、今回の無理筋の解釈変更が必要になってしまったのだ。
つまり朝日新聞は「言葉遊び」によって憲法を形骸化させた張本人の側でもある。自分たちの言葉遊びの報いを別の言葉遊びで受け取ることになっただけのことだ。
いや、その報いを受けるのは国民全体なのだから憲法の精神を真の意味で尊重してきた人々には迷惑な話だ。
「主権者である私たちは声をあげ続ける。(中略)おかしい、認められないと」
こんなの今時は学生だって恥ずかしくってビラにも書かないような少女趣味のアジテーションだ。
これで横暴な権力に立ち向かう革命の闘士気取りならば、いい気なもんだぜ。としか言えない。
薄ら寒い自己陶酔はご自宅に配達される朝日新聞のチラシの裏でやったらどうか。
朝日新聞は700万部(主催者側発表)発行されているそうだから、この社説のおかげでざっと数万冊のノートを作れるパルプとそれに印刷するインクを無駄にしたことになる。地球温暖化の観点からも問題だ。
お前の主張は pseudo って綴りは不自然だから皆 sudo って書くよね~って主張だろ
先のページが示すのは
sudo を pseudo って読もうかな?
って思う程度には pseudo は発音規則に沿った一般的な綴りって事だろ
さらに
I say pseudo. My cow-orkers say soo-doo.
って言ってるやつもいるだろ
内定をもらった.
就職先が決まった.
「内定承諾書」と「身元保証書」を記入して欲しいと送られてきた.
身元保証書の中にこんな文があった.
「貴社の就業規則及び服務に関する規則」についての書類はなく,
内容が分からないから保証人である親に書かせるのはいけないと思った.
そこで
この規則に関する書類を人事に求めたところ
とのこと.
ん?
それは無理では?
一応,内容は「基本的なもの」と言われたけれど,私はまだ社会人経験ないので基本を知らない
まだ社会人にもなっていない
うわぁ本当にあきれた。
過去ログ見直してたら、ここまで完全論破されて、なお言い返そうとしてんのかお前?
本当にバカな奴ってのもいるもんだな。
俺は「バナナ呼ばわりされて裁判になった事例を挙げてみろ、できなきゃ論破完了だ」と言ったよな?
そこで、他の事例なんざ出されてもお前の自説の補強にはならないからなwwwわかるwww?
でさあ。なんで、お前が目を血走らせて必死に検索かけてもそういう裁判事例が出てこないかわかるか?
お前が必死に「差別ダー!差別ダー!」と訴えているその言葉の使用は、差別ではないという事が 社会的に証明されたからだよ。
どうも敗北を認めたくないようだから、改めてしっかりと宣言してあげよう。
お前の主張している事は間違っているし、お前の主張する内容は事実無根だ。
なぜならお前と同じ主張をして差別の訴えとして裁判起こした奴が、裁判王国の海外ですら過去に誰ひとりとしていないから。
ていうかさお前、下らない言葉尻にいちいち噛み付いて、海外でやっていくには繊細すぎんだろ。本当に海外経験あんのかぁ?
軽口にいちいち喚きたてて、「差別ダー!差別ダー!」と大騒ぎ。
どうもお前の行動パターン見てると、韓国人とか在日とかが日本でやってる事と凄くかぶるんだよなぁ…。
日本の恥だから、ていうか日本人が韓国人や在日と同じファビョる人種だと思われるから、海外へ出ないで下さいね。
さてと。
自由の話だけど。
お前が他人の自由に対して行おうとする干渉が、もはや精神異常者のレベルに達してるんだけど、果たしてその自覚はあんのかなー?
海外は自由に満ち溢れているよなぁ。日本に比べりゃ自由な人が多い。倫理観的な意味でもな。
でも、その自由を制約するために法律がある。何人も他者の権利を侵さざる為にこそ設けられた枷だ。
それに違反した者は罰を受ける。社会的な制裁を食らう。これは社会通念として存在する鉄の掟だ。罰則のない規則は機能しない。
で、まあ例えば人を殺して罰則を食らうとするな。
まあ日本でたとえりゃ、一人残忍なやり方で殺して無期懲役になったとする。
その後、そいつはどうすると思う?
で、なんかしょぼい仕事をしながら老体を抱えて世間の片隅で細々と暮らしてゆくとする。
さて、ここでお前が言ってることをもう一度検証してみようか。
お前は、その老人を「社会に出てくるな」と否定している。
罪を償い、長い事塀の中で過ごして、殺人という重罪のツケを己の若さや長年の自由で支払って、後に残された搾りかすのような人間をだ。
もちろん、殺人は重罪だ。同じような目には誰も遭いたくない。
しかし社会的な制裁はもうたっぷりと受けた。これもまた、同じような目には誰も遭いたくない。そんなレベルの苦行だ。
社会から公的な制裁を受けた人間に、なおも私的な制裁を加え、社会への帰属を阻む。
言い方を変えようか? リンチだ。
知らなかったかも知れないけどさ、リンチってさぁ、れっきとした犯罪なんだよ。
なんで犯罪になるかわかるか?
それはな、罪を裁き罰を与えるべき人間は別にいるからだ。その役にない人間が独断で行おうとすれば犯罪になる。
社会正義を背負って人に罰を与えようとするのも、そうあるべきと主張するのも、ただの独りよがりの犯罪だ。
「社会に不要な存在だから」とホームレスを襲撃し続けて捕まった青少年達がいたよな?
アレと同じ事だから。お前のやってる事。
じゃあな、犯罪者。
今まで自分はものすごい変態、性欲魔人だと思ってた。思春期をとっくに過ぎても、頭の中は恥ずかしいくらいにスケベなことでいっぱいで、自分をしっかり持ってないと狂ってしまうのじゃないかと心配するほどだった。ブサメンだったので童貞喪失が遅く、こじらせに拍車をかけた。暇さえあれば快感を求め一日中工夫を凝らした自慰をし、彼女ができようものなら、女の子を疲弊させきるほどやりまくった。本当にごめんなさい、猿かよ、と自分でも思う。
そんな僕だが、仕事で中間管理職のようなポジションに昇格し、鬼のように忙しくなった。給料はドン!と上がったが、自分のミスじゃないことで上司には常に怒られ、かばってるはずの部下には舐められる。残業時間も3ケタに膨れ上がり、家に帰れば体がスライムのようになってしまい、泥のように寝るしかできなかった。
オナ禁なんて昔は考えられなかったが、気が付いたら、あ、何日も抜いてないな…ということが頻繁に。一度だけ奇跡に奇跡が重なり女の子と寝る機会があったのだけれど、疲労がすごすぎて気持ちは興奮しているのに全然体がおっつかず、終始ダルダルな動きになってしまうわ、息子は元気なくなるわで、なんだかホント申し訳ないけど面倒くさいな…とすらと思ってしまった。童貞のころの僕が見たらぶっ殺されるようなセックスをしてしまい、相手の人にも悪かった。しかし、あんなにすごかった性への情熱が、今は干からびてしまったように感じてさびしくなった。あの腹の底からうずくような性欲は、いのちの根源のようにも感じられた。
そんな暮らしを一年ぐらい続けていたら、先日ストレスがたまり血糖値がとんでもないことになりぶっ倒れ、二週間入院し栄養指導を受けた。朝6時には起こされ、9時には消灯。規則正しくご飯を食べ、昼間はかわいい看護婦さんとマンツーマンで栄養指導。ノンストレスで暮らしていたらみるみる元気になった。すると、あんなに干からびていた僕の性欲も水を得た魚のようにむくむく湧き上がってきた。本っ当にバカみたいなことだけど、なんだか涙が出るほどほっとした。アア、いつもの僕に戻ったと。
会社には僕がぶっ倒れたのがおおごとのようになっていて、違う課に異動になった。新しいことを覚えなきゃいけないので苦痛だが、定時で帰れるし、そこそこやりがいもある。危惧していたほど給料は下がらなかった。人に自慢できる肩書はなくなったが、あの生命がやせ細っていく感覚はもう味わいたくない。あんな猿みたいな僕でも、ハードワークからの性欲減退って本当にあるんだなと思った。
「サッカー競技規則」では、ファウルが与えられる条件は「第12条 ファウルと不正行為」に書いてある。
直接フリーキック
競技者が次の7 項目の反則のいずれかを不用意に、無謀にまたは過剰な力で犯したと主審が判断した場合、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者をける、またはけろうとする。
- 相手競技者をつまずかせる、またはつまずかせようとする。
- 相手競技者に飛びかかる。
- 相手競技者を打つ、または打とうとする。
- 相手競技者を押す。
次の3 項目の反則のいずれかを犯した場合も、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者を押さえる。
- 相手競技者につばを吐く。
直接フリーキックは、反則の起きた場所から行う(第13条―フリーキックの位置を参照)。
ペナルティーキック
ボールがインプレー中に、競技者が自分のペナルティーエリア内で上記の10項目の反則のいずれかを犯した場合、ボールの位置に関係なく、ペナルティーキックが与えられる。
「サッカー競技規則」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/law_soccer_all_11_2013.pdfで読める(36ページ)。
あくまでJFAによる日本語訳なので、英語版を参照する場合はhttp://www.fifa.com/mm/document/footballdevelopment/refereeing/81/42/36/log2013en_neutral.pdfの36ページもしくはhttp://www.fifa.com/aboutfifa/footballdevelopment/technicalsupport/refereeing/laws-of-the-game/law/newsid=1290868.htmlをどうぞ。
「不用意な」って何?「相手競技者を押さえる」ってどこまでしたらアウトなの?という疑問については「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」が参考になる。
ファウルとなるための基本的条件
(略)
不用意な、無謀な、過剰な力で
〝不用意な〟とは、競技者が相手に挑むとき注意や配慮が欠けていると判断される、または慎重さを欠いてプレーを行うことである。
〝無謀な〟とは、競技者が、相手競技者が危険にさらされていることをまったく無視して、または結果的に危険となるプレーを行うことである。
〝過剰な力で〟とは、競技者がはるかに必要以上の力を用いて相手競技者を負傷の危険にさらすことである。
- 過剰な力を用いた競技者には、退場が命じられなければならない。
相手競技者をチャージする
(略)
相手競技者を押さえる
手、腕、または体を用いて相手競技者の進行や動きを阻止することは、相手競技者を押さえることである。
特にコーナーキックやフリーキックのときのペナルティーエリア内の相手競技者を押さえる反則に対して、早めに介入し、毅然とした対応をすることに留意する。
これらの状況に対して、
- 主審は、ボールがインプレーになる前に、相手競技者を押さえる競技者に注意しなければならない。
- ボールがインプレーになる前に、引き続き相手競技者を押さえる競技者を警告する。
- ボールがインプレーになったのちにこの反則が犯された場合、直接フリーキックまたはペナルティーキックを与えると共に反則した競技者を警告する。
守備側競技者がペナルティーエリアの外で相手競技者を押さえ、そのままペナルティーエリア内でも押さえていた場合、主審はペナルティーキックを与えなければならない。
懲戒の罰則
- 相手競技者を押さえて、相手競技者がボールを保持することを妨げる、または有利な位置を得ようとするのを阻止する競技者は反スポーツ的行為で警告されなければならない。
- 相手競技者を押さえて、決定的な得点の機会を阻止した競技者は、退場が命じられなければならない。
- その他の相手競技者を押さえる状況では、懲戒の罰則を与えてはならない。
プレーの再開
「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/gudelines_11_2013.pdfで読める。上の引用部分は117-118ページ。
英語版はhttp://www.fifa.com/mm/document/worldfootball/clubfootball/01/37/04/28/law12-en.pdfで読める。
シミュレーションについては「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」の123ページに書いてある。
反スポーツ的行為に対する警告
競技者が反スポーツ的行為で警告されなければならない状況は様々である。例えば、
(略)
(略)
会社からは「年俸制だから残業代は出ないよ」と説明されて、そういうものだと思っていた。
だがネットでは年俸制でも残業代を出さないのは違法とあり、怒りが湧いてきて労基署に駆け込むために
証拠のタイムカードをコピーしつつ会社の制度について調べて行った。
まず、会社の募集要項の給料の欄には「みなし残業代を含む」とあった。
確かに支給される給料の額には残業時間問わずみなし残業代の上乗せがされているようだった。
しかし、みなし残業の時間を超えた残業代は支払わなければならないはずである。
そう思い、こっそり会社の規則が収められたファイルを見ていた所、専門業務型裁量労働制の労使協定書が入っていた。
この会社は間違いなく専門業務型裁量労働制の対象業務を行っており、また従業員代表も選挙で選ばれていた(毎年同じ人が選ばれるようだが)
つまり、私がいくらみなし残業時間を超える残業を行っても、給料は増えないのだ。
15卒ANT文系修士。働くことに対して、ぼんやりとした焦燥感がある。
けどOB訪問とかしてないから、実務レベルでどんなことするのかよくわかんない。
(OB訪問したらわかるなら今からするけど、そんなことない気もしてる。世の中の就活生はOBOG訪問で何を訊いてるのかなあ。)
「新入社員の一日」みたいなコンテンツには目を通したけど、作業・書類作成・打ち合わせ準備とか書いてある。
俺はその中身が知りたいんだよ!
総合職一括採用だから、営業になるのか、専門的な部署につくのかは来年の今頃までわかんないし。
こういう状況で、タイトル。
例えば高校から大学は、例えば勉強→研究っていう変化があるけど、連続的に変化した(と自分は感じている)。
同じように考えたときに、大学(院)から社会人って研究→??。
もう一つの大きな疑問は、大学での結構適当な生活から規則正しい生活に上手く切り替えられるかどうか。
単位も取り終わってるから一週間遊んで一週間頑張るとかも許される環境にいる。
これが、毎日定時で勤務するとかどうなんだろう?
(数年働くと定時なくなるみたいだけど。)
新しい環境にわくわくしつつも、やっぱりもどかしさがあるなあ。