例えばすごく身なりの汚い男が居たとする。
「あなたの身なりはとても汚く、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
これは差別だろうか? ウェイターも商売なので、他の客に不快な思いをさせる客の入店を断るのは筋であるように思える。
次のような場合はどうだろう。
「あなたは日本人なので、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
これは差別だろうか? 差別に違いないと思われる。しかし、上の例と全く同じ言い分だ。上の例も差別とするべきだろうか?
いや、おそらくこういう考えに至るのではないだろうか。
「身なりが汚いのは自分で解決できる問題、国籍や人種は自分で解決できない問題。従って、後者のみが差別にあたるのだ」
要するに人権というのは公共の福祉に反しない(他者に迷惑をかけない)場合に初めて保護されるということだ。
例えばすこぶる醜い男が居たとする。
「あなたはとても醜く、周囲の客を不快にさせる恐れがある。従って入店を拒否させていただく」
なんとも酷い話だ。しかしまあ上記の例を検討してきた我々には、この問題の解決策は自明だ。
ほんとに?
話を整理してみよう。
僕は「差別とは生まれつきでどうしようもない事柄を理由に社会的な差をもうけること」を差別とした。
また、「改善可能な事柄を理由から社会的な差をもうけられた場合」は差別ではないとした。
・生まれつきかどうか ・弱者かどうか で決まるんじゃないかな。
差別とは、クレームの数で決まる。 皆が差別だと言えば、それは差別であり、 誰も何も言わなければ、差別ではないのだ。
クレームの数って言い方はどうかと思うけど実際社会の合意によって決まるもので明確な定義はないよね。 ドレスコードで客を選別するのが差別になる世の中が来てもちっともおかしく...
そういうふうに文脈と独立した基準を求めちゃうとわからなくなる。バランスの問題なんだよ。 たとえば今の米国で、個人がやってて地元の常連さんがほとんどの田舎の店で、「俺は昔...