はてなキーワード: 若い人たちとは
じゃあ、答えるよ。
「私作る人、僕食べる人」以降~今回の「仕事は、楽しみですか」はすべて取り下げる必要がなかったという認識でよろしいか? という質問に誰も答えていない。
食品のターゲット、仕事改善のターゲットに正しくメッセージが届いているなら、ターゲット以外の層から批判されても取り下げる必要がない。例に挙げられた広告はターゲット層から反発されたので企業側としても広告の意味がないと取り下げた。
その点、戸定梨香はターゲットである若い人たちには好意的に受け入れられている。
批判なら自由にしてもいいし、批判が多ければ時代の社会的情勢を読み間違えたとして企業の判断で取り下げる。
今回は、単なる批判や抗議ではなく、議連というルールを作る側、国家側の上位の権力が学術的な根拠もないまま「削除要請」をしたことが問題。
つまり、もし例に挙げられた広告がターゲット層に受け入れられていて、適切な抗議を受けた上で、企業の判断で取り下げなくてもいいと思ったのなら取り下げる必要はない。
しかし、ターゲット層から批判が多かったため取り下げる必要があった。
TPOっていうのはどこかに絶対的な基準があるわけではなく、時代によってどんどん変化するし、同じ時代でも人によってまちまちというのはフェミが一番わかってるはず。
だから広告を出す側は、社会的情勢を読み違えることもある。それに対する抗議はひとつの意見であるべきで、公的な圧力であってはならない。
例えばJKでも男子学生でもいいし大学生でも若手社員でもいいんだけど、
高校生にもなって電車の中で静かにできないのか?という精神性を求めるのだと思う。
これがもし、小学生なら随分と心の持ちようも変わると思う。
小学生相手なら、大抵の大人はまあ仕方がないか、と考えるのではないか。
この辺に年が離れた人たちへの捉え方の罠があるのだと思う。
実際のところ、高校生に対して電車の中で静かにする、という人間としての熟成度
例えば騒がしくしている高校生に注意することは出来ると思う。
素直な高校生ならその場で黙ることだろう。
なぜなら注意されたからと行って精神年齢は急には上がらないからだ。
この辺もポイントだと思う。精神年齢というのは他人に注意されたからと言って上がるものではない。
我々が電車の中で騒ぎ出さないのは自然現象的に精神年齢が上がったからだ。
まとめると人は他者、とくに若い人たちへの精神年齢の要求水準が高くなりがちである。
次に考えなければいけないことは知能に関すること。
今度は逆に知能に関しては年が離れた人たちの知能を低く見積もりがちだということだ。
しかし、知能自体は中学生と大人では大きく変更されるものではない。
RPGのステータスで知力18の人は大人になったからといって知力が180になるわけではない。
せいぜい20とかくらいにしかならない。
これは知識とは別の話だということは念押ししたい。
つまり大人というのは子供(若い人たち)が馬鹿だと思っているので
よく大人の話を平気で子供の前でする大人たちが居るが子供はだいたいのことは理解してしまう。
ましてや高校生なら大人と同じ知力があるのでその部分を侮ってはいけないし何ならおっさんより頭がいい。
しかし、精神年齢は低いのだ。子供というのは大人の見積もりより。
知力は大人が考えるよりずっと高いが
少なくとも30代より上の人は自覚を持とう
今の若い人たち、新劇場版はめちゃめちゃみてるけど、新世紀エヴァンゲリオン見てないって人、普通にいる
新劇場版だけで、キャラ愛やストーリーや世界設定や映像技術を読み解いて、それで熱狂してる
シンエヴァ自体も、そういうふうに旧作との切断が可能なように表現されてたでしょ?(そうじゃなかっただろと思うおじさん、画面や台詞の読み込みと咀嚼が足りてないか、思い出バイアスが強すぎるぞ)
そういう若い人たちの解釈が的を外しているかというと全然そんなことなくて、むしろ旧作のイメージに引きずられてない分、まっすぐ新劇場版の物語や設定や映像技術に向き合えてるのよ
もちろん映画としてよかった部分も悪かった部分のどちらもについてね
若い人との交流がないと、このアニメを見てるのは自分たちだけで、懐かしアニメの新作という文脈で語りがちなのはわかる
でも新劇場版のメインのファン層ってぶっちゃけもう移ってて、おじさんたちはなんか文脈の外の情報を変に接続して的を外したこと言ってんな〜っていうのが新劇場版まわりの状況なんよ
おじさん語り自体は別に悪いことじゃないと思うので、現状をしっかり把握したうえで自覚的にやってほしい
おじさんたちに届け〜
マスクはもちろん不織布。一日に一回必ず変えている。
会社でもリモートワーク、ソーシャルディスタンス、衝立などの万全な感染対策を自らが指揮をとって行っていた。
当然一人外食もない。料理が好きなので、家で食べたほうが安心できる。
ところが、一昨日から発熱して、今日検査を受けたら陽性だった。
まさか。
同じく発熱外来にくる若い人たちが大きな咳をするのを横目で見ながら、俺は陰性なんだからうつったらどうするんだ。くらいの気持ちで検査結果を待っていた。
それなのに結果は陽性だった。
ワクチンは11日前に1回目を接種済み。おかげさまで症状は肺炎もなく軽症という判断とのこと。
コンビニだろうとどこかに入るときは絶対にマスクを外さなかったし、この暑い中、屋外でも確実に人が視野にいないときしかマスクを外していない。
コンビニのドアも指は使わず、基本足で開閉をする。出入りの消毒も徹底してきた。
上の階の窓から無音のくしゃみを飛ばされたのなら仕方ないけど、それ以外に考えられない。
それで思いついたのが、先週の日曜日に、大手家電量販店の取り置き商品を受け取りに行ったときのことだ。
特定はされるだろうけど悪戯な風評被害はやめたいのでこのまま伏せて書く。
そのあたりは駐車場料金が高く、買い物ついでではないととてもじゃないけど車でなんか行ける場所ではない。
その時は1万円を超える買い物だったので2時間の駐車サービスがついたのだ。
人とみつにならないように気をつけながら受け取りカウンターで支払いをすませる。
考えた結果、別のフロアにあるカメラコーナーだけを回ることにした。
それも、駐車場から一貫してエレベーターは使わずエスカレーターだ。
ネットで気になっていた現物を、触ることなく一通り眺めて、時間にして10分くらいだろうか。
店員と話をすることもなく、そのままそこをあとにした。
もうこれしかない。
おそらくどこか途中でエアローゾルがマスクに付着してしまったのだろう。
それはほんの僅かな量だったかもしれない。
しかし、その後マスクを交換することなく呼吸を続けたことで、付着したエアローゾルを吸い込んでしまったのではないかという可能性だ。
これなら、コンビニでも同じことが起こり得る。
(屋外を通る分、殺菌は期待できるが。)
しかし、言いたいことは、清潔な不織布マスクを使っていたとしても感染のリスクは十分にあるということだ。
1日に1回の交換頻度を高いと取るか低いと取るかは意見が分かれると思う。
しかし、身近な人間に聞いた限りだと、不織布マスクが半分、そのうち少なくとも1日未満で交換する人は1/10しかいなかった。
1日一回のマスク交換しかしなかった僕を責めてほしいのではない、毎日交換していれば感染を防げると油断している人がいるのであれば、そうではない可能性を考えていただきたい。
今回指摘したいのは、不織布に限らず、マスクに付着したウィルスを吸い続けることでマスクを貫通してしまう危険性だ。
それは不織布に限らず、すべてのマスクにおいて同じだと言える。
しかし、不織布を交換して使っていれば安全ではないということに警鐘を鳴らしたい。
いつ連絡があってこれからどうなるかなんて全くわからないが、一人でも感染しないように感染した人間は知恵を出すべきだと思うし、そうして知恵を出した人間を愚かだという切り捨てるだけの世の中であるべきではない。
そんな状態にも関わらず、医療従事者の人たちは感染者の不安を少しでも取り除こうと丁寧に丁寧に説明をしてくれた。
あとから発熱外来に来る人間は、絵に書いたようなマイルドヤンキーみたいな若者で、こんな人間たちと一緒に感染してしまったことがどうしようもなく悔しかった。
確かにアメリカとかではSTEMとか言われて尊敬に値する職業なのかもしれんが、日本では世間一般でのITエンジニアの認識って「SEさんですか?」だから。
逆にエンタメ系の職業に対する偏見が強すぎ。youtuberとかAV女優とかホストとかはわざわざ目指すべき職業じゃない、社会のはみ出しモノがなるものだ、って思ってるよね。
けど今の10~20代前半の若い人たちはyoutubeとかで本人が投稿している業界のよくある話とかみてるから偏見があんまないのよ。偏見があるのははてな民みたいなブログ系記事ばっかりブックマークして満足しちゃってる、けど自分はまだネットだと若くやれてると思ってるおじさん、おばさん達なの。
その証拠にyoutube動画はほとんどブックマークがつかないしホッテントリにも入らないでしょ。自分たちがはてブの中でめちゃ狭い価値観の中でべき論をぶつけてるにすぎないこと、そしてそろそろまだまだネットの世界でうまくやれてると思ってるおじさん、おばさんの考えはネットの世界では時代遅れになりつつあることは頭の片隅にでも入れておいたほうがいいと思うわ。
じゃあね。
https://anond.hatelabo.jp/20210728220819
書いた増田ですが、まだ結局求人とか出してないけどやっぱりどうしても納得行かないんですよ。
だってこれパソコン詳しくない普通の人からしたらごくごく当たり前の感覚ですよ。
予約システム作ってくれるバイトさんに時給5000円も払えるわけないじゃないですか。
出せてもせいぜい1200円が限界ですよ。
ホームページ作るのに別に国家資格なんかいらないじゃないですか。それに今、こういうのって若い人たちには人気の仕事なんですよね?
私が言うことがおかしいと思うなら、エンジニアじゃない人に聞いてみたらすぐわかると思いますけど?予約システム作るのにあなたなら時給いくらまでなら出せますかってね
そんなに言うならもっとお金出すかあきらめた方がいいかもしれませんが、、やっぱりどうもわかんないんですよね。
新型コロナウイルスに対し、学級閉鎖が有効なのかどうかというのは未だに結論が出ていないはず。
去年の3月頃だったか、北海道での感染拡大は無症状の若い人たちがウイルスをばらまいているからしか考えられない、みたいな話しがあった。
幼稚園児や小学生あたりもウイルスをばらまいているんじゃないか、だから学級閉鎖は有効じゃないかと考えられそうだけど、実際に小学生くらいがウイルスをばらまいているかというとそうでもないらしい、という調査もある。
イギリスだったと思うけど、小学生の学級閉鎖は行わないことに決めたかと思う。
そもそも幼稚園児や小学生くらいだと一人で広範に行動することはほぼなく、ある意味社会からは孤立しているからウイルスを運ぶのは学校と家庭くらいになる。
じゃあ小学校でクラスター化しているかというとそんなこともない。全くないわけじゃないけど、少ない。
中学校のクラスターも少なく、高校くらいから部活や学校内でもクラスター化して、甲子園の地方予選辞退なんてことにもなっている。
じゃあ、なんでインフルエンザは学級閉鎖が行われるのかというと、単純にインフルエンザは子供にとってリスクが高いから。
インフルエンザに関しては子供から大人にうつすより大人が子供にうつす方が問題で、学級閉鎖は大人にうつさないための措置ではない。
すごい勢いで感染者が増えてるのに派遣で、リモートワークできない。
明日になったら、また出社しないといけない。
社員さんたちがリモートだと少しは密度が下がるからいいけど、自分の仕事も在宅でやっても全然問題ない内容で、だから本当になんで派遣というだけでリモートにしてもらえないのか謎。
職域接種もないし。というか、あると言われてたのが延期になって、今も未定のままだ。
自治体のワクチンも、何回も何十分もねばってウェブとか電話でトライしてるけど、いまだにどうにもならない。
まあ、今打てても、早くて抗体できるのが9月半ばだし、その前に感染したらどうにもならないけどな。
こっちはそんなに若くないので、感染したら結構やばいと思ってて、毎日生きた心地がしない。
電話とかもよくかけてる。
隣の部署とかでもめっちゃしゃべってて、めっちゃ笑い声とかが聞こえてくる。
みんなマスクはしてるけど、良くても不織布なんで、あれだけ会話してたらそこそこ飛沫が外に出てるだろうなとは思う。
昼ごはんを食べる休憩室は、窓を開けてるところを見たことがない。
みんな行儀よく黙って食べてるからまだマシだけど、デルタ株だとこの状況がどうなのかわからない。今までは大丈夫だったんだろうけど、これからはどうなんだろう。
自分は必死で急いで食べて休憩室を出るけど、それでも15分ぐらいはかかってしまう。食べ終わってからもマスクしないままスマホとかいじってる人たちもいる。
トイレで歯を磨くときも恐怖だ。誰もいなくても、直前にウイルス持ってる人が歯磨きとかしてたらと思うとゆっくり歯磨きもできない。でも今の時期に虫歯とかなるのも嫌だから、できるだけ手入れする。実は田舎の歯医者でクラスター事件があったの聞いてるから、歯医者も怖くなってる。
通勤もやばい。できるだけ窓が開いてて混んでない車両を選んで乗ってるし、ウイルスって下に落ちるかもと思うと怖くて座れないからずっと立ってる。それでも、近くにウレタン布マスク、鼻出しがいると不安になる。
事故とか故障とかでちょっとダイヤが乱れようものなら、一気に混雑するのもやばい。
っていうか、事故とかなくても緊急事態宣言になってから人がさらに増えてる感じなんだけど、なんでだよ。
学校が夏休みだから、ちょっと空いてくるかと期待してたけど、大人が増えてる。
リモートワークどこいった。
コロナ始まってから友達にも会ってないし、親にも会えてないよ。
不要不急の外出してるんじゃなくて、出社しないと仕事失いそうだから無理矢理出かけてるんだよ。
酒飲みに行くために朝から混雑した電車に長い時間揺られて移動してるんじゃないんだよ。
正しく怖がれというのは確かにそうなんだけど、これ以上どうしたらいいんだかわからない。刻々と状況が悪化する中で、確かな情報もほとんどないし、相談できる相手もいない。派遣会社も話は聞くといってもポーズだけだからな。
出社拒否したらどうなるんだろう。
だけど、いつ感染して苦しんで死ぬ目に遭うかわからないとか思うと、仕事にも集中できない。
出社したくないなあ。
細田守はスティーブン・スピルバーグ、そして、彼と比較されがちな日本の偉大なアニメーターである宮崎駿の両方に不満を抱いています。
細田(人道的傑作『未来のミライ』が三年前にアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートを受けた)はハリウッドのデジタル至上主義や宮崎の女性描写にうんざりしたものを感じているといいます。
最新作である『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ映画祭におけるAFP通信のインタビューで、細田はスピルバーグの『レディ・プレイヤーワン』をはじめとする多数の映画に視られるネットに関するディストピア的な表現は万人にとって、特に女性にとってあまりよろしくないと発言しました。
自身も幼い娘の父である細田監督は、彼女たちの世代が恐怖に怯えるのではなく、デジタルな運命をコントロールできるように力づけていきたいと考えています。
「彼女たちはインターネットとともに成長してきました。しかし、常々、ネットが悪意に満ちた危険な空間であることも教えられてきたのです」
『竜とそばかすの姫』では、内気で無垢な少女すずのジェットコースターのような感情の体験が、21世紀を舞台にした『美女と野獣』をベースに見事に表現されています。
彼女自身にとっても、他の人々にとっても驚いたことに、すずは「U」というアプリの仮想世界内で、ベルと呼ばれるポップ・ディーヴァになります。何十億人ものフォロワーを獲得したすずはネット上でいじめやハラスメントを受けたりもしますが、「ベル」の歌を通じてアンチや自分自身の悩みを乗り越えていきます。
「若者にとって、人間関係は複雑で、甚大な痛みを伴うものです。私が見せたかったのは、こうした仮想世界が辛く、恐ろしいだけなく、ポジティブなものとなる可能性です」
すずとそのギークの友人は日本の一般的なアニメの女性とはかけ離れています。ここが名作『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞を獲ったレジェンド、宮崎駿との態度を異にするところです。
「日本のアニメを観るだけで、日本社会において若い女性がいかに過小評価され、見下されているか(underestimated and not taken seriously)がわかります」
この監督(その映画は宮崎作品よりも現実に根ざしている)は、当時として珍しいことに、シングルマザーによって育てられました。
2012年に公開された名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で”小さな群れ”を育てた、その猛烈な自立心を讃えた作品です。
細田監督は、「日本のアニメでは、若い女性が聖なるものとして扱われていますが、それは彼女たちの現実とは無関係です。そのことに私はとても腹を立てています」と、悔しさをにじませます。
細田監督はジブリの創立者である宮崎駿の名前を出さずに、厳しい意見をのべつづけた。
「名前は伏せますが、アニメーションの巨匠でいつも若い女性をヒロインにしているひとがいます。率直にいうならば、彼は男としての自分に自信がないからそのようなことをするのだと思います」
「若い女性を崇拝することははっきり言って不快ですし、わたしはやりたくありません」と彼は主張する。
彼は、彼のヒロインを美徳とイノセンスの模範とすることや、”誰からも好かれなければいけないという抑圧”から解放されなければならないと考えています。
53歳のときの彼は宮崎駿の正当な後継者とみられていました。のちのオスカーノミネート作『ハウルの動く城』の監督として外部からジブリへ招聘されたのです。
しかし、細田は制作なかばでジブリを辞め、自らのスタジオを立ち上げました。
細田は「人間の良いところも悪いところも描く、その緊張感こそが人間の本質」というような物語を好んでいました。
そうした性向が『美女と野獣』を現代にアップデートすることに惹かれたのでしょう。
「原作における野獣は最も興味深いキャラクターです。彼は醜く、暴力的ですが、同時に繊細で傷つきやすい内面を持っています」
「美女(ディズニー版ではベル)は取るに足らない人です。見た目がすべての存在です。私は彼女を複雑で豊かに作り変えたかった」
そうした二面性は、彼の最初のヒット作『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』から観られるようなデジタル世界の魅力にも現れています。
「私は事ある事にインターネットへ立ち返りつづけています。最初は『デジモン』で、2009には『サマーウォーズ』、そして、今もまた」
そして、インターネットを諸悪の根源とみなしてはいけないと、これまで以上に確信しています。
「若い人たちはそこから離れることはできません。彼らはネットともに育ってきたのだから。私たちはネットを受け入れ、よりより使うことを学ばねばなりません」
もしあなたがいま無職やニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる
重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真」
バートンさんが公開した写真。左が薬物使用で逮捕された05年、右がワシントン大学を卒業した現在(バートンさんのFacebookより)
一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物の写真だ――。
ある女性が、自身のFacebookにあげた画像が米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニー・バートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂をおかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。
「バートンさんは今年6月、米国の放送局『KMTR』の取材に応じ、自身の悲惨な半生を振り返っています。インタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親は麻薬の密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。
バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤、14歳でクラック(高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター)
バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性にレイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫からは毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。
生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人の麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察に被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。
〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力感からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉
バートンさんは17回逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。
〈最後に逮捕されたのは12年12月です。これが人生のターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨な最後を目の当たりにし、「絶対に人生をやりなおす」と決意。裁判所の特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官の監視のもと、薬物依存の治療や教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉
バートンさんは自身の体験をいかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者を支援したのだ。健康な身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学に入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学に編入し政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。
〈クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学を卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉
バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女の言葉を引用する。
〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います。地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉
現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性と結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。
2020年の冬からセレクトショップのトゥモローランドをメインに服を買い始めた。
ファッションは基本的に若い人たちのものでアラフォーのおっさんが入って違和感無いショップがトゥモローランドくらいしか無かった。
最初の冬だけで30万くらい使ったと思う。
コートと革靴が高かった。
最初はコーディネート1セット分しか買わなかったので、シャツ着て洗ってその日のうちに乾かして翌日着るとかアクロバットなことしてた。
夏はユニクロとショップの服を合わせてコーディネートすることを覚えた。
というか汗でドロドロになるから高い服を着たくなかった。
2021年の冬にある程度着回しできるようになった。
今後は必要なときに買い足すくらいで服飾費は抑えられると思う。
服に80万というのは服に興味無かった頃の自分からするととんでもない金額だけど、センスゼロからスタートするとこのくらい掛かるのかなと納得してる。
最近人気が出てきているようなバンドって、やたら演奏がうまい。
なのだが、なぜか苦手だ。
具体的に言うと、↓こういうバンドだ、
ずっと真夜中でいいのに
yama
YOASOBI
ヨルシカ
ボーカルも、ファルセット使いながら、高い音程ガンガン出してくる。
あと、感情載せまくたったり、しゃくりやブラート多用してくるのも嫌い。聞いてて疲れる。
音の足し算ばかりで、うっとうしい。
抑えた調子のへたうまなのが好き、という個人的な嗜好の話ですね。
好きな人ごめんなさい。
Apple MusicのTodaysListとか聞くと、入ってきてしまうので、いつもスキップしてます。
補足しておくと、現在の日本の若い人たちの音楽性や才能はすごいと思っている。
日本独自の感性も持ちつつ、グローバルっぽさを持ったバンドや、独特の感性を持った才能豊かな人たちがあふれてますね。
むしろ、上記にあげたようなバンドは、日本独自のガラパゴス進化なのかもしれない。(あまり海外でああいうのは見かけない)
もちろん苦手というだけで、否定はしておりません。
(わざわざ言うなよ、と言われそうですが、なんか言いたかった。)
友人に中国人がいる。
彼はとても優しく気の良いヤツでよくつるんでいる。
そんな彼と台湾の話になった事がある。
彼はその時、
「台湾の若い人たちの多くは、台湾は中国に併合されたほうが良いと思ってる」
的な事を言った。
中国の一部になった方がもっと裕福になれるという考えがあるらしい。
正直、よくそんな傲慢な事を言えたもんだな、中国人はみんなそうなのかと思ったが、その時俺は彼の主張を強く否定できなかった。
「ええー嘘でしょー」みたいな。
本当に言ってたとしてもそれがゴマすりの為の嘘なのか本音なのか分からないから。
それに彼が嘘をついていたようにも思えなかったから。
貧しい若者が豊かさに憧れるというのはありそうな話だし。
でも実際どうなんだろうなあ
「通勤に往復2時間かかる場合、給料が20%低くなる」と、僕は考えている。ビジネスを通じて、さまざまな人から話を聞き、自分でも体感した、ほぽ間違いない数字だ。
コロナ禍でオフィス通勤が減り、Zoomでの会議や打ち合わせが普通になっている。それで生産性が下がったという話は、まったく聞かない。逆に、パソナやアミューズなど有名企業が本社を地方に移転させたり、オフィスの規模を大幅に縮小する流れだ。
先を読んでいる企業が、いま、オフィスという不良資産を手放そうとしている。昔から僕は「会社にオフィスは要らない」「通勤は無駄!」と説いてきたのだが、コロナによって、ようやく一般にも浸透してきた感がある。
会社に行かなくては仕事ができない、という考えは完全な思い込みだ。リモートワークで全然問題ない。煩わしい社内政治から離れたり、嫌なヤツと会わなくて済んだり、好きなようにデスク周りを整えられる。会社に行かないほうが、仕事の能率は上がるのではないか。
昔の話だが、僕は2011年6月から長野刑務所に収監された。以降、自由な暮らしは奪われた。時間も規律も、刑務所が決めた通り。他人のルールに縛られて過ごさなければならなかった。
だけど、発信はやめなかった。メールマガジン発行や著作など、仕事をやり続けた。インターネットは見られなかったので、新聞やテレビのニュース、差し入れられる書籍などから情報を得て、僕なりの考察や意見を、外の社会へ述べ続けた。
収監前に関わっていた多くの事業も、獄中でこなしていた。僕がいなくても進められるシステムを収監前につくり上げていたので、スムーズにやりきれた。
■堀の中でも充実していた
塀の中でも一般のビジネスパーソンと同じか、それ以上のアウトプットを続けていた。航空工学の勉強もしていたので、退屈だった時間はすぐに消え去った。
たぶん僕は、刑務所生活中も、外にいた普通の会社員よりも充実して過ごしていた。言ってみれば、リモートワークのエキスパートだ。
気持ちさえあれば、制限された現実の環境を、自分の望む通りに変えることはできるのだ。収監という特殊な経験をした僕は、若い人たちに聞いたい。
B'zがようやくサブスクにやってきたわけだが,アーティストのページに並んでる曲のリストを見たら半分以上知らない曲ばかりで驚いた.
自分は40台半ば,B'zがデビューした頃中学生だった.その頃大好きで聞いていた(今は聞いていないとはいわない)TM NETWORKに関連したグループがでてきたよと教えてもらったのを覚えている.高校を卒業するくらいまでは新曲も聞いていたが,だんだんと洋楽を聴くようになってJ-POPをパクリの塊として軽蔑するようになってB'zを聞いていたことを黒歴史として封印するようになった.あの頃の若者っていつかは洋楽に行き着くものでそれが正当な成長とみなされていたものだったよな?最近の若い人には洋楽への憧れをみたいなものがないようなのでびっくりです.
自分が聞いているかどうかに関わらず彼らは活動を続けていたので時々耳に入ってくる曲に対して「なんか男くさい曲ばっかりになったなー」「まだやってんだな」と感想をもつくらいの関わりで過ぎてきた.CDをレンタルしてテープにダビングして聞くという時代だったので,往時に聴いていた音源はとっくに処分し,ふと懐かしくなって聴いてみようかと思っても,サブスクで音楽を再生することに慣れきってCDを再生することすらできなくなっていたので中古のCDを買うわけにもいかず,デジタルミュージックを購入してまで聴く気にはなれなかったので,実はB'zがサブスクにやってくるのは心待ちにしていた.ようやく愛用のApple musicに彼らが登場して,喜んでアーティストのページを開いたら冒頭のように半分以上は知らない曲が代表曲として並んでいるのに遭遇したわけだ.
そんなわけでデビューして最初の5年くらいにポップソングの主要購買層だった人間が作ったB'zのプレイリストに入れた曲に思い出話も付け加えた.昔はこの手の文章は個人がブログにたくさん書いていたものだが,今となっては検索してもそういうページがヒットしなくなった.
この曲はちょっと過小評価なのではないかと思う.MARSというミニアルバムの冒頭に収録されているが,残りの曲は過去曲のリミックスなので実質的に孤独のRunawayのシングルのような構成になっている.そういえばこの頃シングルよりちょっと曲数の多いミニアルバムっていう形態が流行ったよね.歌詞はもろにB'z的な「すべてを投げ出してどっかに行ってしまう男」の歌である.昔誰かがB'zはどこかに行こうと歌い続けながら,ずっとどこにもたどり着かない歌を作り続けている,みたいなことを書いていたが,その典型の歌といっていいだろう.ある意味彼らは20代の頃からずっと中年の危機を歌っているのだ.
今の若い人たちはモノラルっていっても意味がわからないかもしれないが,30年前は音楽をステレオ環境で再生するのは当たり前じゃなかったんだ.だからこの曲の出だしで「Be be be…」とヘッドホンやスピーカーの左右から交互に音が出てくるのにびっくりした人たちがたくさんいたんだよ.スピーカーが壊れたと思った人もいたとかいないとか.ちなみに自分はこの曲よりも前にTM Networkの「Come on everbody」の冒頭で音が左右にふられるのは経験済みだったのでそこまでは驚かなかったが.
少なくとも最初の数年はB'zといえばこの曲だと思っている人が多かったんじゃないか?カラオケでは「あのこは太陽のコマチ,」のあとの「エーンジェール」でみんなで一緒に手を挙げて歌ったものだ.90年代に勃興したCMタイアップという曲の一つだった.この頃はまだ日本が豊かだったなーという感想がでてくる.いわゆる失われた20年だか30年だかに入る前の時代の明るさとポップソングが激しく商業化していく時代の流れを思い起こさせる.
これもタイアップ曲だった.強く美しい女の人を称える歌を彼らはよく作っているがその典型といってもいいだろう.カップリングの曲の方が明らかに彼らに気に入られているように思われるので,タイアップ曲をA面に持ってこざるをえなかった大人の事情でもあったのだろうかと邪推する.当時は考えなかったことをおっさんになると考えるようになる.これを聴いて見えてくる女性像も90年代というか少しバブルの残り香があるように感じられるね.
自分にとっては新しめのB'zの曲…と思ったら1995年発表だった…まだ前世紀だとは思わず.つまりこの時点ではほとんど自分からは追っかけなくなってヒットしたら耳に入ってくるという状態になっていたわけだ.記憶を掘り起こすともともとのB'zらしい曲がひさしぶりに出たなあと思ったような気もする.これは「誰かとずぶずぶの関係になってしまったことを打開したい願望」を歌った曲で,彼らの曲に似たようなテーマが頻出する.これの派生で「自分の狂おしいまでの相手への執着(性欲?)をもてあましている」みたいなテーマも頻出しているように思う.あとは関係ないけど不倫らしき恋を歌った歌も多い.
えーと2001年なんでギリギリ21世紀の曲ですか.もはやこれがB'zの代表曲ですね.さすがにこれは世代を越えているようで,小学生ですら知っている.「ウルトラソウッ!」のあとにちゃんと「ハァイ!」が入れられる.運動会で使われることも多い.(以前サンプラザ中野くんがRunnerはずっと運動会で使われ続けているので今でも小学生が知っていると言っていた)ラテンの要素が濃いめで,後年サンタ・エスメラルダの「悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)」を聴いたときに,ああB'zには日本人の好きなラテン歌謡の要素がいれてあるんだなと理解できた.結局僕たちは哀愁をおびたメロディにロック風のアレンジをされた歌謡曲が大好きなんだ.そういうことを考え出すとJ-POPを聴くのが恥ずかしくなるのが大学2年生くらいだったんだけど,今となってはもうどうでもいい.子供と一緒にウルトラソウッ \ハァイ/ で超楽しい.
当時のカラオケで流れる背景がこの曲専用で,「仲の良いカップルがいて女性が交通事故で突然死んでしまう」というベタベタなストーリーだった.その頃はまだカラオケの背景動画は曲のイメージに合わせて適当なやつがランダムに流れるものが多かったのでじっと見入ってしまって,悲しい曲調と歌詞にあわせた展開にちょっと涙腺を刺激された覚えがある.関係ないが徳永英明はカラオケの映像に本人が登場するのですごく自分のことが好きなんだろうかという話をしていた.
同タイトルのアルバムのタイトルチューンだった.「新しい理想のために 上々の現状捨てたい 瞬間が来るだろういつか」と後年のポップ・ミュージック界のモンスター的存在になることを考えるとまだまだ駆け出しだった彼らはこの初期のアルバムにして既に「うまくいっている現状を放り出してどこかに旅立つこと」を歌っている.男は現状に満足してはいけない,常に新しいフロンティアを探して旅を続けなくてはならないのだ,というのはある種の強迫観念であろう.B'zには女性ファンもすごく多いけれど,そういう男の気持ちを歌っていることを女性たちはどのように考えているのだろうか?
アルバムの隅っこの曲だが,個人的に好きなのでいれた.若い頃に聴いて好きになった曲は年をとっても好きだということだ.最近は誰かにアルバムを通して聴くこともほとんどなくなったし,聴いたとしてもシングル・カット(これも死語か…)にならないような曲を記憶にとどめるようなこともない.売れない画家がタクシー運転手をして日銭を稼いでいることを愚痴る歌,という他にはあまりないテーマのユニークな曲.売れないミュージシャンだった頃の心情を投影しているのだろうか.
●RUN
これもアルバムのタイトルチューン.一緒にやってきた仲間たちとの,今ならホモソと呼ばれてしまいそうな連帯感を歌っている.どこかへ走り出そう→走っているときの高揚感→走ってきた俺たちの回顧,という流れの概ね後ろ半分が歌われている.B'z的世界の中では男の人生はこれの繰り返しなのだ.一番最後だけ歌うと別アルバム収録の「相変わらずなボクら」になる.
今回始めてMixtureというアルバムでリミックスされているのを聴いたが,元のバージョンの曲の印象を損なわずに,パワーアプしている感じがしてこの曲だけ新しいバージョンの方をリストに入れた.この曲を聴くとなぜかとても失礼なことをしてしまった女の子のことを思い出す.思い出すといってもその子にはほとんど会ったことがないのだけど.(会わないという失礼をしてしまった)
●Pleasure'91
一番最後に挙げたが,B'zがサブスクにやってきて最初に検索した曲はこれ.シングルのB面曲だったが,その後もツアー名になったり韻を踏んだTreasureがベストアルバムのタイトルになったりで,本人たちも気に入っているのがよくわかる.その後95,98と歌詞違いが生まれて,男の人生の年代記みたいになっているのは知っているが,やっぱり91が一番だ.
これを聞いていたのは10代半ばでまだ何も始まっていなかったのに,自分の人生を振り返りながら「止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない」と歌うのに共感していたのは今考えると不思議だ.もちろんそこから30年経って,子どもたちを乗せた車で「怖いものはありますか,守るものはありますか」と歌っているのを聴くと自分もずいぶん遠くまで来たと感じる.あの頃の友達と今年は集まる予定だったけどコロナのせいでいつ会えるかもわからなくなってしまった.下らなかったあの頃に戻っていつも同じ思い出話をしたい.