もしあなたがいま無職やニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる
重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真」
バートンさんが公開した写真。左が薬物使用で逮捕された05年、右がワシントン大学を卒業した現在(バートンさんのFacebookより)
一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物の写真だ――。
ある女性が、自身のFacebookにあげた画像が米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニー・バートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂をおかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。
「バートンさんは今年6月、米国の放送局『KMTR』の取材に応じ、自身の悲惨な半生を振り返っています。インタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親は麻薬の密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。
バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤、14歳でクラック(高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター)
バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性にレイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫からは毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。
生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人の麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察に被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。
〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力感からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉
バートンさんは17回逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。
〈最後に逮捕されたのは12年12月です。これが人生のターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨な最後を目の当たりにし、「絶対に人生をやりなおす」と決意。裁判所の特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官の監視のもと、薬物依存の治療や教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉
バートンさんは自身の体験をいかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者を支援したのだ。健康な身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学に入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学に編入し政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。
〈クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学を卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉
バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女の言葉を引用する。
〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います。地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉
現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性と結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。