例えばJKでも男子学生でもいいし大学生でも若手社員でもいいんだけど、
高校生にもなって電車の中で静かにできないのか?という精神性を求めるのだと思う。
これがもし、小学生なら随分と心の持ちようも変わると思う。
小学生相手なら、大抵の大人はまあ仕方がないか、と考えるのではないか。
この辺に年が離れた人たちへの捉え方の罠があるのだと思う。
実際のところ、高校生に対して電車の中で静かにする、という人間としての熟成度
例えば騒がしくしている高校生に注意することは出来ると思う。
素直な高校生ならその場で黙ることだろう。
なぜなら注意されたからと行って精神年齢は急には上がらないからだ。
この辺もポイントだと思う。精神年齢というのは他人に注意されたからと言って上がるものではない。
我々が電車の中で騒ぎ出さないのは自然現象的に精神年齢が上がったからだ。
まとめると人は他者、とくに若い人たちへの精神年齢の要求水準が高くなりがちである。
次に考えなければいけないことは知能に関すること。
今度は逆に知能に関しては年が離れた人たちの知能を低く見積もりがちだということだ。
しかし、知能自体は中学生と大人では大きく変更されるものではない。
RPGのステータスで知力18の人は大人になったからといって知力が180になるわけではない。
せいぜい20とかくらいにしかならない。
これは知識とは別の話だということは念押ししたい。
つまり大人というのは子供(若い人たち)が馬鹿だと思っているので
よく大人の話を平気で子供の前でする大人たちが居るが子供はだいたいのことは理解してしまう。
ましてや高校生なら大人と同じ知力があるのでその部分を侮ってはいけないし何ならおっさんより頭がいい。
しかし、精神年齢は低いのだ。子供というのは大人の見積もりより。
知力は大人が考えるよりずっと高いが