はてなキーワード: 舞城王太郎とは
僕は村上春樹が好きだ。
町田康とか舞城王太郎とか池澤夏樹とか、他にもいろいろな作家が好きだけど、一番好きな作家を選べと言われたらやっぱり村上春樹だ。
今回発売された新作『騎士団長殺し』も、マスメディアで恒例として取り上げられて騒がれている。
マスメディアで騒がれると当然、全く興味のない人の目にも付く。
そこで、職場でも今日たまたま『騎士団長殺し』の話題になった。
(正確には「たまたま」ではなく、ある意味では必然的ともいえる。マスメディアかく恐ろしや)
Bさん「本屋で大量に平積みしてますねー。自分も春樹は1冊も読んだこと無いけど」
Cさん「同じく1冊も読んだこと無いっすね…」
おそらく、この人達はそれを分かって言っているのだと思った。
僕を試すようにわざと言っていると思ったので、
とりあえず一言
Aさん「ほー・・・」
見事にスルーされた。それ以上なにか聞かれたりはしなかった。
おそらく「村上春樹に興味がない人」にとって、「村上春樹が好きな人」は得体が知れない人物だと思っているのではないか。
転職したばかりでただでさえ上手く馴染めていない職場の人たちとの断絶が深まった気がした。
しかしなぜ、ただ好きなものを好きだと発言することに引け目を感じなければならないのか。
なぜ「村上春樹が好き」だと言うことに引け目を感じてしまうのか。
好き好き大好き超愛してる。を読んだ。書き出しはよく話題になる通りすごいと思った。愛は祈りだ。僕は祈る。うーん、名分です。
ただ、全体的にわかりにくい小説になっているように感じた。特に途中途中の小話は、そしてそのタイトルは何を表してるんだろう。
多分その時々の祈りが含まれているんだろうけど、これらが挿入されることによって物語が分断されるので途中まで訳が分からなかった。
読みにくさに関して、買った文庫の書式が合わなかったってのも一因にあげられる気がする。
普通の文庫本より行間を大きくとってあるせいで、すかすかなんだけどみっちりしていて読みにくいっていう不思議な文章になってしまっていた。
また、これまた独特な文章のリズムも読みにくさに拍車をかけていたように感じる。初めての舞城王太郎作品だったんだけど、この人こんなような文章ばっかなのかな。
一人称ってのも原因なんだけど、周囲の描写はほとんどないし、ぐだぐだぐだぐだ文章は続くし、言葉自体もわざと洗練させていない気がする。
でも結局は小説自体の構造と、文庫の書式が悪魔合体して読みにくくしているんだと思った。ほんと、なんでこんな書式にしたんだろう。
内容に関して、何かに誰かに思いをはせることが祈りであり、愛することであるのならば、恨みや呪いもまたイコールで結ばれてしまうんだろうなあって思った。
つまるところ、それを表しているのが主人公と賞太の間で交わされた通話なんだろう。その人のことを好いているから許せないのだし、憎悪が募ってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20160715120436
貴様の好き嫌いから増田に伝わる独自の推理小説検索アルゴリズムによって、
完璧かつスウィートに貴様の趣味嗜好にそって完全オリジナルのベストミステリリストを生成したぞ。
ありがたくよむべし。
【国内】
5 宮部みゆき 火車 1992
12 連城三紀彦 戻り川心中 1980
16 泡坂妻夫 亜愛一郎の狼狽 1978
17 北村薫 空飛ぶ馬 1989
21 島田荘司 斜め屋敷の犯罪 1982
22 有栖川有栖 双頭の悪魔 1992
26 原尞 私が殺した少女 1989
27 江戸川乱歩 孤島の鬼 1929
28 高木彬光 人形はなぜ殺される 1955
29 髙村薫 レディ・ジョーカー 1997
33 鮎川哲也 りら荘事件 1968
35 江戸川乱歩 陰獣 1928
36 歌野晶午 葉桜の季節に君を想うということ 2003
38 泡坂妻夫 11枚のとらんぷ 1976
42 岡本綺堂 半七捕物帳 1917
43 桐野夏生 OUT 1997
44 皆川博子 死の泉 1997
45 大沢在昌 毒猿 新宿鮫II 1991
46 船戸与一 山猫の夏 1984
49 京極夏彦 絡新婦の理 1996
50 馳星周 不夜城 1996
51 島田荘司 奇想、天を動かす 1989
53 髙村薫 マークスの山 1993
56 島田荘司 異邦の騎士 1988
58 船戸与一 猛き箱舟 1987
59 小泉喜美子 弁護側の証人 1963
60 宮部みゆき 理由 1996
61 真保裕一 奪取 1994
62 三津田信三 首無の如き祟るもの 2007
63 麻耶雄嵩 夏と冬の奏鳴曲 1993
64 森博嗣 すべてがFになる 1996
65 大沢在昌 新宿鮫 1990
66 貴志祐介 黒い家 1997
68 泡坂妻夫 しあわせの書 1987
69 久生十蘭 魔都 1948
70 西澤保彦 七回死んだ男 1995
73 伊坂幸太郎 アヒルと鴨のコインロッカー 2003
74 乾くるみ イニシエーション・ラブ 2004
77 仁木悦子 猫は知っていた 1957
79 土屋隆夫 危険な童話 1961
80 我孫子武丸 殺戮にいたる病 1992
85 逢坂剛 カディスの赤い星 1986
86 連城三紀彦 夜よ鼠たちのために 1983
88 高木彬光 白昼の死角 1959
89 志水辰夫 背いて故郷 1985
90 山田風太郎 明治断頭台 1979
92 赤江瀑 オイディプスの刃 1974
93 貫井徳郎 慟哭 1993
95 有栖川有栖 孤島パズル 1989
96 都筑道夫 なめくじに聞いてみろ 1968
97 逢坂剛 百舌の叫ぶ夜 1986
98 岡嶋二人 99%の誘拐 1988
99 宮部みゆき 龍は眠る 1991
100 鮎川哲也 黒い白鳥 1959
【国外】
1 アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった 1939
2 エラリー・クイーン Yの悲劇 1933
3 アーサー・コナン・ドイル シャーロック・ホームズの冒険 1892
4 ウィリアム・アイリッシュ 幻の女 1942
6 レイモンド・チャンドラー 長いお別れ / ロング・グッドバイ 1954
10 ジョン・ディクスン・カー 火刑法廷 1937
12 スティーグ・ラーソン 〈ミレニアム〉三部作 2005
13 アイラ・レヴィン 死の接吻 1953
14 エラリー・クイーン Xの悲劇 1932
15 ロス・マクドナルド さむけ 1964
16 ジョン・ディクスン・カー 三つの棺 1935
17 フレデリック・フォーサイス ジャッカルの日 1971
19 ジャック・ヒギンズ 鷲は舞い降りた 1975
20 アントニイ・バークリー 毒入りチョコレート事件 1929
21 ローレンス・ブロック 八百万の死にざま 1982
22 ジェフリー・ディーヴァー ボーン・コレクター 1998
24 クリスチアナ・ブランド ジェゼベルの死 1949
26 ジェイムズ・P・ホーガン 星を継ぐもの 1977
27 ジェイムズ・エルロイ ホワイト・ジャズ 1992
28 ガストン・ルルー 黄色い部屋の謎 1907
31 アントニイ・バークリー 試行錯誤 1937
33 F・W・クロフツ 樽 1920
34 エドガー・アラン・ポー モルグ街の殺人 1841
35 ディック・フランシス 興奮 1965
37 ジョン・ディクスン・カー 皇帝のかぎ煙草入れ 1942
38 ダシール・ハメット 血の収穫 / 赤い収穫 1929
39 ジョセフィン・テイ 時の娘 1951
41 セバスチアン・ジャプリゾ シンデレラの罠 1962
43 R・D・ウィングフィールド クリスマスのフロスト 1984
44 カーター・ディクスン ユダの窓 1938
45 ドロシー・L・セイヤーズ ナイン・テイラーズ 1934
46 ディック・フランシス 利腕 1979
47 アーサー・コナン・ドイル バスカヴィル家の犬 1902
48 イーデン・フィルポッツ 赤毛のレドメイン家 1922
49 アントニイ・バークリー ジャンピング・ジェニイ 1933
53 カトリーヌ・アルレー わらの女 1956
54 スティーヴン・ハンター 極大射程 1993
55 ジェイムズ・エルロイ ブラック・ダリア 1987
57 ロス・マクドナルド ウィチャリー家の女 1961
58 キャロル・オコンネル クリスマスに少女は還る 1998
59 アントニイ・バークリー 第二の銃声 1930
60 ジェイムズ・エルロイ ビッグ・ノーウェア 1988
61 スティーヴン・キング ミザリー 1987
63 ウィリアム・L・デアンドリア(英語版) ホッグ連続殺人 1979
64 ロアルド・ダール あなたに似た人 1953
65 R・D・ウィングフィールド フロスト日和 1987
66 アイザック・アシモフ 黒後家蜘蛛の会 1980
67 ウィルキー・コリンズ 月長石 1868
68 ハリイ・ケメルマン(英語版) 九マイルは遠すぎる 1947
69 ダン・ブラウン ダ・ヴィンチ・コード 2003
70 アリステア・マクリーン 女王陛下のユリシーズ号 1955
71 トレヴェニアン シブミ 1979
72 ロバート・ゴダード 千尋の闇 1986
73 ジェフリー・ディーヴァー ウォッチメイカー 2006
75 ロバート・R・マキャモン 少年時代 1991
76 シャーロット・アームストロング(英語版) 毒薬の小壜 1956
78 エラリー・クイーン 九尾の猫 1949
79 レイモンド・チャンドラー さらば愛しき女よ / さよなら、愛しい人 1940
80 コリン・デクスター キドリントンから消えた娘 1976
81 セオドア・ローザック フリッカー、あるいは映画の魔 1991
82 サラ・ウォーターズ 荊の城 2002
83 ジョージ・P・ペレケーノス 俺たちの日 1996
86 G・K・チェスタトン 詩人と狂人たち 1929
87 ドン・ウィンズロウ 犬の力 2005
88 サラ・ウォーターズ 半身 1999
90 エラリー・クイーン 災厄の町 1942
91 デズモンド・バグリィ 高い砦 1965
92 モーリス・ルブラン 奇岩城 1909
93 ロバート・B・パーカー 初秋 1980
94 トマス・H・クック 緋色の記憶 1996
95 ジェフリー・アーチャー 百万ドルをとり返せ! 1976
96 アーサー・コナン・ドイル 緋色の研究 1887
97 ドナルド・E・ウェストレイク ホット・ロック 1970
98 リチャード・ニーリィ 心ひき裂かれて 1976
99 アガサ・クリスティ ナイルに死す 1937
100 アイザック・アシモフ 鋼鉄都市
――閉幕(カーテンフォール)。
減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。 返せ。
舞城王太郎とか読めばいんじゃねーの
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
やぁ、増田諸君ご機嫌よう。
おじさんの趣旨を汲んでくれて、罵倒してくれたトラバ諸君には感謝の気持ちでいっぱいだ。
変な書き方をしたが、おじさん的には、うみねこの死体蹴りをしつつも、ファンタジー及びSFベースのミステリを教えて欲しかっただけだったりする。
ブギーポップは笑わないしか読んだことないんだよね、この作者。肌に合わなかったから、避けていたが、頑張って手に入れて読んでみます。
チョーモンインは全部読んでいるが、それ以外は知らないので、是非とも読んでみたいと思う。
すまん、既プレイなんだ。許してくれ。ダンガンロンパ面白いよね。個人的に、2の展開はかなり気に入っている。
うむ。西澤保彦はほぼ全部読んでしまったのだよ。お陰でもっと別の作者を知りたかったんだ。騙してしまってすまない。
ここは全部抑えているんだな、これが。短編集含めアシモフは最高のSFミステリ作家だとおじさんは思っているよ。
トラバでもあったし、優先的に読みたいと思う。
このお二人の作品にはいくつか目を通しているのだが、挙げてもらった作品は読んだことがないので、読んでみるよ。ありがとう。
虚構推理は読んでみたいね。清涼院流水は済まない、全部読んでいるのだ。コズミックとジョーカーを縛って作者の頭を殴りに行きたいよ、おじさんは。
おお、初めて聞くタイトルだ。探してみて読んで見るよ、ありがとう。
あれは非常に良い作品だった。おじさんも大好きな本の一つだね。もちろん、今回書いた異種ルールミステリに当てはまるとおじさんは思っているよ。
アヤツジストなおじさんは Anotherも Another エピソードSも両方読んでいるよ。アヤツジのあのドロドロした雰囲気はミステリというより、幻想小説に近いので、おじさんはかなり好きだよ。
これにはやられたよ、おじさんも。こんなのありかって初めて叫んだ作品だね。殊能作品は全部読んだけれども、作者の早世が惜しまれるよ。
いわゆる叙述トリックで、天才筒井康隆の作品だから面白いよね。でも、おじさんはこの作品では騙されなかったんだ。本当に申し訳ない。
これは知らない作品だから、目を通したいと思う。どんな落ちでもおじさんは喜んで読むと思うよ。
ほう、乙一氏の作品はおじさんの友人がかなりお薦めしてるので、優先的に読みたいと思うよ。
未読なので、読みたいね。あと、うみねこの死体蹴りはおじさん楽しくて仕方がないんだ。許して欲しい。
麻耶雄嵩もほぼ全部読んでいる。神様シリーズも面白いよね。麻耶作品は大体頭のネジが2本くらい捻れてぶっ刺さっているから、おじさんは毎回毎回楽しみに読んでいるよ。
すまない、乾くるみも初期作品は大体読んでいるのだ。イニシエーション・ラブやセカンド・ラブが有名だけれども、Jの神話や匣の中といった若さあふれた初期乾作品独特の雰囲気はおじさん好みだねぇ。
インシテミルは既読だね。あれ、人狼が元ネタだよねぇ。まあ、それは除いても結構面白かったよ。その可能性は~は今積読の中にあるので、後で読んでみるよ。扉は閉ざされたままは探してきて読んでみるね。
逆転裁判は全く手を付けていないので、今度やってみるね。2以降がお薦めって事は、1はそこまで謎解き要素が無いということなのかな?そういえば、最近6が発売されたようなので、ちょっと買ってみて遊んでみるとするよ。
非常に惹かれる設定と内容だね。この作者さんの作品は全く読んでいないので、おじさんワクワクしちゃうよ。
空の境界と虐殺器官は既に読んでしまっているので、高井信作品を読んでみることにするよ。ファンタジーには疎いおじさんなので、名前を挙げてもらえると本当にありがたい。
田中啓文先生のネタはめちゃくちゃ面白いよね。クスっとくるネタが多いので、おじさんが好きな作家さんの一人だよ。
ぎくっ。おじさんの振りをしているのを読み解くとか中々の強者だね。でも、残念ながらおじさんはおじさんなんだよ、つい最近おじさんのラインにいったおじさんなんだよ。京極堂以外は読んだことないので、読んでみることにするねぇ。
死神が出てくるのかい。それはとても面白そうだ。伊坂幸太郎作品は、オーデュボンの祈り以外ゴミという評価だったので、読んでいないんだけれど、ちょっと先入観を捨てて読んでみることにするよ。
カーの名作だねぇ。懐かしいねぇ。おじさんは、こういう古典作品は全て読み漁っているから、名前が挙がっただけで感動だよ。この作品の結末は、ミステリっぽくなくて、おじさんは凄く好きだなぁ。
これも聞いたことがないタイトルだね。深見真作というのが興味深いね。手に入れて読んでみることにするよ。
ラノベには本当に弱いなとおじさん感じるよ。ちょっと電撃文庫揃えるようにするね。
貴志祐介作品はどちらかと言うとホラー依りだけれど、おじさんホラーも構わずに読んじゃってるんだよね。どちらの2作もまだ読んでいないから読んでみることにするね。
それでも町は廻っているはおじさん連載当初から追いかけている作品だよ。でも、それ以外は読んでいないから、絶対読むよ。
君は1番つまらないコメントだね。罵倒するならば、もっと上手に罵倒した方がおじさんも顔を真っ赤にできたんだけれどねぇ。
舞城王太郎のトリビュート作品の九十九十九でかなりお腹いっぱいになったところで、 「ディスコ探偵水曜日」はおじさんには堪えたよ。まあ、でも確かに破天荒なミステリなので、名前が挙がってもおかしくはないねぇ。
十二国記と、屍鬼しか読んだことが無いので、読んでみることにするね。
谷川流作品か……。ハルヒしか読んだことが無いので、読んでみようかなぁ。
アシモフは殆ど全部読んでいるよ。黒後家蜘蛛の会は、ミステリ好きでもウヒャウヒャと読める名作だよねぇ。名前が挙がっておじさん嬉しいよ。
これは全く知らない作者なので、是非とも探しだして読んでみることにするよ。ありがとう。
ソウヤーの名前は他の人も挙げているね。きっと凄い作家さんなんだろうね。おじさん、恥ずかしながら知らなかったので、読み漁ることに決めたよ。
魔術師が多すぎるはトラバにも挙がっていたね。はだかの太陽は名作だよね。おじさん大好きだよ。
後味の悪さとタイトルの爽やかさのギャップがたまらない作品だよね。これも非常に好きな作品の一つだよ。名前が挙がっていておじさん、嬉しいよ。
意外な作品タイトルでおじさんびっくりしたよ。第何巻なのか書いてくれると嬉しいなぁ。
アヤツジストだから、どんどん橋も既読なんだ。本当に済まない。
まどマギもシュタゲもキズナイーバーも全部好きだよ、おじさんは。
ミステリっぽくはあるけれど、あれは荒木飛呂彦ワールドだから、おじさんが求めているのとは違うかなぁ。でも、荒木先生は天才だっておじさんは思うよ。台詞回しが初期の頃か抜群に上手いからね。
西尾維新作品は、人間シリーズと戯言シリーズしか読んでいないから、りすかには手を出していないなぁ。いい加減重い腰を上げて読んでみることにするよ(積読の山から目を背けつつ)
これまた思わぬ所からの打撃でおじさん衝撃だよ。パタリロは未読なので、挑戦してみるけれど、ギャグ漫画だよね、アレ。
こらこら、未読の人がいるんだから、はてブでネタバレしちゃ駄目だよ。でも、クリスティのアクロイド殺しは有名だから、大丈夫かなぁ。
おお、これはどちらも知らない作品だ。ありがとう。ありがとう。
ファンタジー系のミステリなのかな。おじさんワクワクしちゃうなぁ。
泡坂妻夫は偉大だねぇ。他の作品も非常に興味深いので、参考にしたいと思います。
まだ出ていないね。おじさんも知らない作家なので、読んでみるよ。
Anotherのアヤツジ展開はおじさんの好物の一つだよ。いい作品だよねぇ。
六とんシリーズは、かの島荘作品からインスパイアされて生み出された作品群だけれども、あれはパズルちっくで、おじさんは楽しんで読んでいるよ。
済まないねぇ、京極堂シリーズは全部読んでいるんだ。邪魅の雫の次が待ち遠しくてしかたがないよ。
>>「数学的にありえない」
初めて聞くタイトルだね。おじさんの今度読む本リスト入り決定だ。とても興味深いタイトルだ。
柄刀作品もいくつかつまみ読みしてるよ。彼の作品も独特で、おじさん好きだなぁ。ただ、柄刀作品はおじさんが求めているような独自なルールはなるべく避けるように心がけている気がするよ。
気になる作家さんがまた一人増えたよ、ありがとう。
所々端折ったりしたけれど、これで全部かな。
読みたい本がいっぱい増えておじさん、大満足だよ。
1
6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるとコメントを発表した。
以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家、知識人、芸能人、ライター、クリエイター、etc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。
少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。
原発だ。
震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。
そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライターやクリエイター、芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。
また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義なものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonのレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。
なんというかまさに「脱法ハーブ、握手会、風営法、放射能、ダサい、ダンス、ダウンロードって言ったら負け」状態だ。
2
俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき、純粋に読みたいと思った。ただの好奇心。
この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり、創作をする人間として、この本に興味を持った。
この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎や佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉『GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。
創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件の当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。
(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件をモデルにした窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家が事件現場を巡礼(?)するという内容の佐藤友哉「ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本のドラマ「ボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)
3
事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。
俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーがバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親も心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。
そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナルな事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。
フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治の映画「ユリイカ」などだ。
開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナルな事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。
ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実は小説より奇なり」なのか、現実では悲惨なニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手な理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人、闇サイト、児童虐待。世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。
「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」
これは、とある賞の選評の一部だ。とある一作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまうときに、この言葉がふと思い浮かぶ。
我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。
この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽も映画も本も同じだ。
4
そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本の犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。
しかし、どうだろう。前半はネットで揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラのライブハウスで演奏しているクソみたいなバンドの歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。
でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。
そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。
一部で神格化、カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通の人間だった。
前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。
これについてはロマンポルシェのロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。
“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象がおかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”
http://bucchinews.com/subcul/5203.html
5
少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTubeに投稿した少年のニュースをやっていた。
それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。
つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ。
同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。
でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。
「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。
舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。
だから、俺は敢えて言う。
自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通の理由で普通の狂い方をした普通の人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ。
だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。
6
“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐で薄っぺらで通俗的なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道)
まったくその通りだ。
そんで、つまんない本のことで、
いちいち騒ぐのはやめようぜ。
おわり。
「彼女の長くて黒い髪はとても綺麗だ」
この文章をより文学的な一文にするにはどのような表現がいいだろうか。
「彼女の肩元で揺れる髪は美しく輝いていた」
長さについて具体的にした後、カメラの露光を上げるような感じで描写してみた。
少しはイメージしやすくなったけれども、表現が陳腐で直截だ。もっと工夫してみよう。
「黒髪が」「美しさを」「なびかせる」という文構造で奇をてらってみる。「黒髪が~をなびかせる」は日本語として一般的ではないが、
ありのままを言葉にすればそうなるだろう。「なびかせる」ではなく「際立たせる」であればもっと通用しやすくなる。
「鴉の濡羽色」などという、物書きぶりたい人間がよく使う語彙を用いてしまったのが弱い。
美しさの描写が少し損なわれてしまった。少し「彼女」がしっかりとした人物であるような印象を与えるので使いどころはありそうだが。
「見返り美人図のどこが美人なのだと常日頃主張してきた私ではあるが、振り返った彼女の頬に差した艶めく黒髪が堪らなく美しく見えたその瞬間は、畢竟一目惚れであろう」
森見登美彦風。
「黒いくろいクロイ髪が黒いのは黒いから黒いのかなんなのか、光とは無縁のブラックホールとか宇宙みたいなものにロマンがある理由が彼女を見て分かった気がした」
「『井戸の底は仄暗くて、湿った土の匂いがするんだ』僕は言った。『君の髪を見ると落ち着くのは、井戸の底をのぞくような気持ちになるからだよ』」
村上春樹風。
「みんなも黒い綺麗な髪の毛を描写して、文学的な表現力を手に入れよう!」
進研ゼミ風。
キングの小説に出てくる殺人ピエロ、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ウェイン・ゲイシーは父親から常に完璧を求められ、少しのミスでも罵倒され続けた。
それでも彼は父を愛しており、父が求める完璧なアメリカ人になれば自分を認めてくれるだろうと思い、幾たびの挫折を乗り越え必死に努力して成功した。
福祉施設などを慰問し、子供たちの人気者になり、地元の名士としての地位を確立する。
だが父が自らの事を認めぬままに死んだとき、彼の精神は破綻し、33人の少年を殺害し、アメリカの歴史にシリアルキラーとして不朽の名を刻むことになる。
前置きはさておき、家族と30云年つきあってきてさすがに疲れた。
ここ数年間、精神科やアルコールの手を借りてまでどうにかしようとしてきたが多分もう無理だ。
近いうちに何も言わずに引っ越し、電話番号も変え、名前も変えようと思う(こういう時に外国人みたいな変わった名前であるというのは許可がおりやすくてラッキーだ)。
うちの両親が悪人なのか?と聞かれればいささか戸惑う。
彼と彼女は一個人としては極めて優秀な能力をもった人間であり、社会的地位も年収も僕とはくらべものにならない。
そしてこのタイプの人間の多くに見られるように(ワタミが典型例)自分自身の相対化というものがなく、自分ができることは他者もできるものであり、そうでないのは努力や精神力がたりないから、という風に考えている。
そして子供の立場からすると最悪なことだが、起きた出来事=その人間の人格として考える、「状況だのなんだのいうのは甘え、自分の人生はすべて自分で責任を負うべき」という思想がある。
「部屋が汚い」→なんでこんな当たり前のこともできないのか。お前らは狂っている
といった具合に。
こういう親とずっといると子供も同じ思想に染まってしまうが、すでに罵倒され続け自尊心というものを奪われているので、ゲイシーのような一部の強者を除けば両親のマネをして成り上がろうとするも失敗する=自分の存在意義の全否定になる為にたいていの場合、努力するのが怖くなり、逃げてしまう→俺は両親があたりまえにできたこともできない屑という風になり自尊心のデフレスパイラルに陥ることになる。そしてそれをみた両親はまともに努力もできない屑と見て(以下略
僕と兄はずっとこの状態だった。
必死に努力しようとしても怖くて仕方がなくなり、手がつかず「それでもあんな両親みたく立派になるんだ」などと愛情を抱いていた。
兄は勉強で頑張ろうとしたが、失敗し、ネトウヨになり、両親の代わりに関係ない在日に対して憎しみをぶちまけ続けた。
その後はヤのつく自由業になって成功し、今度は「金こそすべて」という価値観に逃避した。
そして生まれた子供に対して「こいつは俺が完璧に育てる。最高の教育を受けさせて海外で働けるような完璧な人間にする」と、かつて自分自身が親にされたのと同様の事をやろうとしている。
僕は普通に働いていたが、数年前から不眠症、アルコール依存、鬱を発症し、精神科やらカウンセラーのお世話になった。
そこで、起きた出来事=自分自身の人格な考え方(典型的なアル中やうつ病の人間の発想らしい)を指摘され、初めて自分自身のゆがみに気づき、修正していくようになり、だいぶ回復した。
なんだかんだでこの数年間で学んだのは「人間は結局全てを背負う事なんてできないし、色んな状況で成り立っている。そしてすべてが自分の責任という発想は宿命論を呼び込んで物事に対する選択肢を奪い、改善の余地もなくし、他者や自分自身を許そうという発想も出てこない」というごくごく一般的なことだった。
まあ先の例でいうなら
「部屋が汚い」→「俺は屑だからできない」
「部屋が汚い」→「動線の確保はできているか?ごみ箱を増やしては?本は電子化。ルンバ購入して楽しよう」
といった具合に変化したわけだ。
で、先日そのことを両親に伝えたところ「いろいろつらい思いをさせてすまなかった」・・・などということはなく「お前は自分自身で責任を負わず、親に責任転嫁しようとしている。そういう甘ったれた考えだから、アル中や鬱なんかになる」「精神科医なんてのは責任をそらして甘やかすのが仕事。お前はそれに洗脳されている」などと言われた。
特に「お前は6歳の頃、勉強をやれと言って課題を与えてもやらなかった。俺はそれが信じられなかった。そういう無頼な生き方が現状を招いたのにそれを他人のせいにしようとしている。うちは普通の家庭なのにおまえらだけが異常だった。普通の子供なら親にやれと言われたことはやる。我々は普通の子供が欲しかった」と言われたときに家族を捨てることを決意した。
僕と兄が育ったのは普通の家庭ではなくたった一つの事で六歳のガキんちょに異常者のスティグマを張るような家庭であることにようやく気付いた。
子供のころから特別に優秀な人間になって両親に認められたら幸せになると思っていたが、結局僕の幸せは「家族と関わらず、静かに日々の生活を送ること」なのだろう。
収入が下がるのは痛いがこのままこれを続けると遅かれ早かれロード・オブ・ジョン・ウェイン・ゲイシーに乗っかる予感がする。
長々と駄文にお付き合いさせてごめんなさい。
結局一言でまとめるとこういう事になる。
「我々は一見して家族のようであったが、残念ながら異なる惑星の住人だった」
追記1
部屋の掃除のたとえが誤解を招いたようですいません。
両親とは就職して以来、近所ですが別居です。
追記2
反響がとても大きくて驚いています。おそらく僕の文章云々ではなく、家族との関係に悩まされている人が想像以上に多いのだろうと思います。
釣りだとおっしゃってる方もいらっしゃいますが、本当に釣り宣言でもできたらどれだけ楽かと思いますw
ジョン・ウェイン・ゲイシーの例は自身の投影というよりも、自尊心を奪われた人間の行動の一つの極北として記しました。
自尊心を傷つけられ続けた人間に残る憎しみというのは消すことができないし、それは兄やゲイシーのようにまったく無関係な人間に向けられるか、僕のように自分自身に向けられるかの場合がほとんどであるように思います。
残念ながら自分を傷つけた人間に返して、謝罪なりされて許してハッピーエンド、といなるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
あと、ブコメ欄で舞城王太郎の「奈津川家サーガ」に触れていた方がいらっしゃいましたが、僕自身がうちの家庭や自分は普通ではないのではないか?
と疑念を抱いたのが、この本の元ネタになった村上春樹が翻訳した「心臓を貫かれて」だったりします。
内容はこれまた殺人犯ゲイリー・ギルモアの家庭について弟がしるしたもので虐待を受けた親がそれを子供にそのままぶつけ、子供たちは自分自身にぶつけるもの、無関係な人間を殺したり、みんな一様におかしくなっていく様を記したもので我が家に似ている部分が多々あり非常に衝撃でした。
まあ三十年以上問題がある家族と過ごした身としていえることは「対話による解決は難しいだろうし、まず逃げ出すことを考えた方がいい。」ということでしょうか。
時間が解決することもあればしないこともありますが、こういう生活は常に毒を飲み続ける生活に似ていますし、どんな人間でも毒に対する耐性には限界があります。
そしてその貯めこんだ毒は自分自身のみならず、周りにも向けられるものでもあるのです。
僕は自分自身が家族をつくったとして、その毒が子供や伴侶に向けられ、その子供が家庭をつくってさらに毒の拡大再生産をするような事態に一番怯えています。
表題の「家族を捨てることにした。」というのはそういう意味では今ある家族のみではなく、将来家族を作るという選択肢を放棄するという意味でもあります。
さて最後に暖かいご意見をいただいた方も厳しいご意見の方も、ろくでもない我が家の家庭事情にお付き合いいただいた全ての方に感謝を。
ありがとうございました。
・私
・好きな人(Fとする)
・Fは私をなんでも話せる女友達として見ている。
・Fとの会話は常に私が聞き役
・Fと私は仕事上のパートナーとして時間を共にすることが多い。
Fとの雑談の際、たまに元カノやねんごろになった女の子の話になることがある。
自慢話ではなく、こういうことがあった、という、本人としては笑い話、ネタ、くらいの話なのだが、嫉妬に狂ってしまって冷静に会話ができなくなる。
今までは「相槌を打つ」という対策を立ててきたのだが、感情に限界が来ている。
突然キレる、ということになりそうで、まずい気がしている。
そこで今後の対応策を考えているのだが、もしこんな戯言に付き合っていただける人がいたら、ご助言いただけますと幸いです。
ざくっと言うとこんな感じ。
「そういえば以前こういうことがあってこういう女の子と出逢ってこうだった。そのあとその子の事は押し倒した」
「喧嘩のあと、仲直りしたあとのセックスは最高に気持ちいいぞ」
私のシモネタのほうが生々しくて、Fから本気でシモネタ禁止令を言い渡されている。
現在一緒に仕事をしているため、その間もFとは顔を合わせるし、話もしなくてはならない。
1)女としての嫉妬
彼に優しく愛でられ、男モードの声で優しい言葉をささやかれ、彼に欲情されたその子たちが羨ましい。
私はセックスに対するコンプレックスとトラウマがひどく、男性と恋愛関係になることに臆病だ。(そのことはFも知っている)
セックスの快感は一応知っているが、あまりそういう機会に恵まれていないため、セックス充爆発しろ!!!と思ってしまう。
初対面の女性もほとんど落とせる。やりちんではなく、ほんとうの意味で男っぷりがいい。
「私の前でほかの女とやった話をしないでよ!!!」
「私は想像力豊かなので、お前のセックスする姿を思い浮かべることになる。恋人ではないお前の脇腹の脂肪が滑稽に揺れる様子を想像するのは生理的に不快なんだよ!!!」
告白は、今はしないと決めている。
スパっと白黒を付けたい性格ではあるが、時期と状況というものがある。
でも来年中にはすることになる。
どう伝えるか、が大事だと思う。
要は「私が傷つかないように話の内容に気を遣え」という至極自分勝手な言いがかりなのだから、「そういうことなら」と前向きな気持ちで了承してもらえるよう、伝え方を相手の立場にたって考えるべき。
この相手の立場にたって、というのが難しく、努力・工夫・成長の求められるところだ。
「私も女なので、他の女の話をされると嫉妬します」と、半泣きになりながら言ったことはある。
Fは非常に面食らっていて、「でも恋愛感情はないんだろ?つまり規格が合うということだろ」というところで落ち着いた。
Fとの仕事のためであったし、保身でもあった。そしてその頃はFでなきゃ駄目だというものでもない、とも思っていた。
Fに対して愛情はあったけれども、恋をしていなかった。
今一度、同じセリフを言ってみるとどうなるのか。
腫れ物にさわるように扱わねばならないと思わせてしまうと思う。
今でさえアスペ的反応をしコミュニケーションに齟齬が生まれやすい私にかなり気を遣ってくれているのに、さらに条件を増やすのか。
Fが私の抱えている問題は知っている。
でもここまで過敏に反応していることは知らない。セックスについて、そのくらいの話題でも傷つきかねないということを、最近の自慰の様子をもとに伝えるというのはどうか。
最近は自慰の際、AVでよがる女の子たちを見ていると、同じように乳首に当ててみた電マの音が虚しくなってタブを閉じる。
うーん、私の自慰の話を聞かされても、気持ちのよい交渉にならないよな…。
Fの思いもよらないところで私は傷つき、それについて私がFに働きかけるとき、どうあってもFが傷つくような気がする。
私がもっと器を大きくしないと駄目なのでは。
あーーーぜんぜん相手の立場に立って考えられていない。相手の立場から私を見た場合の自分の醜さ、恋愛条件に入っていなさに、耐えられない。
そもそもの問題はそこなのかと思い始める。
やはりここは3なのか
一番いいのは「自分に自信を持つ」ことではないのか。
私は自分に自信がない。
舞城王太郎の九十九十九よろしく、「こんな私、誰も好きになんかならないよ」と心の奥のほうで叫んでいる。いじけている。
自分を蔑む思考回路をもって、自分の前向きな希望や欲求を検証する癖がついている。
それが生活にも大きく影響を与えており、第三者からすれば、Fとの恋愛以前に、自分の生活、性格をなんとかしろよと言われてもおかしくないくらい、精神状態も生活状態もやばいと思われると思う。
ただ、「恋愛以前に」という考え方はしないほうがいいことを今までの経験から確信した。
だから私は生活、性格をなんとかする努力もするが、Fへの思いは人間の当たり前の感情として、抱え、持て余し、悩み、時が来たら押し付け、自爆してもいいと思っている。
なので2,3は両方選ぶことはできる。
距離を置くとかがいのだけど、状況が状況のため、常に2人でいることが多く、息抜きに他の人と話せる環境がないため途方に暮れていた。
女の部分を捨てる引き換えに一緒にいられるようなものでもあるのだけど、欲とは限りないな。
あまりに心が乱れてしまい、吐き出してしまったが、ちょっと頭が整理できた。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
感想でもいいかも。私がおかしいのかとか、他の人ならどうするのかなとか、そういうのも知りたい。
もしアドバイスもらえたら、嬉しいです。
その名は萌え。
萌えの定義って結局決着ついたの? サブカル文化論とか社会学界隈で。
舞城王太郎が(確か『阿修羅ガール』あたりで)ちょっとカワイソーな事になった顔のいい同級生を「えーかわいそうだよ」「謝ってあげなよ」と庇うモブのクラスメートに対して「萌えてんじゃねーよ」と言ってのけて、ああこれって萌えなのか、言われてみれば萌えかもな、上手いこと言うな流石小説家、みたいなことを思ったことがあったんだけどあれって結局何なのかってズバリ言い表せた人とか言い表そうとして失敗してる人とかいないの?
俺は萌えを殺したい。
いい加減何にも萌えないようにしたい。
萌えは愛だから萌えを捨てるとは愛を捨てる事であってそうすると心が乾くとか錆びるからやめろみたいなことを言ってくる奴がいるんだが冗談じゃない。
萌えが愛であるはずがない。少なくともアガペーでは絶対ない。エロスではありうるかもしれない。
しかし心を潤したり磨いたりするのは本質的にアガペーであってエロスではない。つーか心が乾いたり錆びたりで死にそうになるのはエロスのせいだと思うの。
与える愛と渇望する愛との二分類は「こんな心理になるのはクピドの矢に刺されたせいですよ」という説明付のための分類であり言わば出発点であって、それぞれの愛の性質の羅列にはなっても分解はできてない。
サブカル界隈、萌えの定義あたりからそこんとこ突破した人誰かいないの?
教えてエロい人。
そしてこの愛を殺して。
共依存の行く先は、ぐずぐずとした破滅に他ならない。エンターテイメントは、それが逃避という形であっても、最終的には現実と戦うためのものでなければならない、と思っている。それが作り手の良心であり、矜持であるべきだ。
「現実と戦う」ためのエンタメみたいのはもう厳しい感があると思うの。個人的には舞城王太郎がピークだった。
みんな正直既に疲弊してる。だからボカロ界隈の歌詞はあんなドロドロに暗かったり過剰に過激だったりみたいな感じになるんだと思う。
なんてったってボカロで現実と戦う系の歌は(知ってる限り)ひとつ残らず自己犠牲ネタ(悪けりゃ単なる自殺)だかんね。
『メアリーと遊園地』、『カゲロウデイズ』、『悪ノ召使』、みんな最後にグスコーブドリが火山に残るとこだけやりたがってる。
宮澤賢治の自己犠牲だってもやもや来るところが全くないとは言えないのに、ボカロはみんなして「誰かのために死ぬ」とこは嬉々としてやりたがるくせに「その誰かといばら道を生きる」方は誰もやらん。
「いばら道でも何でも切り開いてもがいてもがいてもがく」ようなのは誰もやらん。あるいは「やったけど無駄でした」くらいの描写に留めて省く。
もうみんな疲れてんだよ。うんざりしてんだよ物心ついたころからろくでもない未来像ばっか聞こえてきて。
自分の人生割とクソかもと思ってるし、そのクソ人生投げ出して「誰かのため」と等価交換できるんなら御の字だとか思ってんだよ。
それが現実とやらに報いる一矢たり得ると思いこんでいてそんなものまともな逃避以下の自己正当化だって事実からは目を逸らし続けてんだよ。ガキだから。
本当の「誰かのため」のためには自分が命捨てて済ますんじゃなくて困難てんこ盛りな道を寄り添い続ける覚悟がナチュラルに要るってことから逃げ続けてんだよ。
だって既にしんどいからこれ以上しんどくなるのってごめんだもの。
"どうしてこれが、これがハッピー?"♪、終わりも始まりも見えない道に寝そべって身体がグズグズに崩れていくのにゼイリブドハッピリーエバーアフターって納得なんてするはずないわってなものよ。
がんばってるみんな、がんばろうぜ。がんばるから。きっと現実は変わる。第一に、そう信じてなきゃ、まっとうなものをつくる方法なんて無いのだから。
頑張れるのはもう作り手だけだよ。
消費する側はもう現実が何をどうやったって変わんない気がしてるよ。
つーか消費するばっかり受け身ばっかりで「現実が変わる」なんて奇跡のようなことが起きると思ってる時点で頭があたたかい感じの人間だってことになるわけだけど、もうぬるい露天にぬるぬる浸かってたせいで肺呼吸でぜーはー言いながらのたうつようにして地を進むなんてできないんだよ。
もう頑張れるのは作り手だけだよ。マジで。
おれは頑張りたいからまだ作ってるけど。
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飲食店でアルバイトをしていると、たまに「ああ、このお客さんは俺のことを人間だとは意識せずに、店員だとしか思ってないな」と感じる瞬間がある。
別にそれで何かあるわけではなく、ちょっと不快な思いをして、こっちも店員とお客さんという型に合わせたコミュニケーションのスイッチが入るだけ。これはよくあること。
ただ、最近そういったお客さんが「店員さんに横暴な態度をとる人が信じられない。」と言っているのを耳にした。
理由を聞きたくてうずうずしたのは言うまでもない。
理由を聞けば、きっと「店員さん可哀想じゃん、店員さんも人間だよ、そもそも人としてどうなの」的な言葉が返ってくるんだろうなあと思う。
彼に理由は聞いていないので想像になるけど、もしそういう考えなのだったら、それは非常に手抜きしたコミュニケーションではないか。
つまり、店員と客という間でも根本に自分とあなたという考えがあれば、「生中」じゃなくて「生中下さい」、「どうも」じゃなくて「ありがとうございます」って言うんじゃないの。普段からそういう話し方の人じゃない限り。それをしないってことは無意識のうちに店員と客っていう型に合わせてコミュニケーションしてればいいやと思っているのでしょう。
「店員に横暴な態度とるのは良くない」という言葉は自分は相手を人間として捉えていますよというポーズであって、その根本は、その言葉自体がコミュニケーションの型に含まれているか、あるいは、自分が嫌われたくない、よく思われたいという感情を「店員さんが可哀想」という相手の為ですよという言葉に置き換えているかのどちらか。
余談だけど、大学生が飲食店で「ごちそうさま」をいう割合は80%以上。
そのうち80%が学生バイトに対しても丁寧に「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」という。残りは「どーもー」「ごちそうさま」など。
対してコンビニのレジで「ありがとうございます」という割合は40%。レジに人がいない時に「お願いします」など言わないで無言で待つという人が70%以上。(数字は全部適当。自分の感覚)
お礼を言う言わないは今回の趣旨ではないが、居酒屋では「ごちそうさま」を言うけどコンビニでは「ありがとうございます」を言わない理由は何なのでしょう。
別に挨拶はしっかりとか、敬語で話そうとか、僕に優しくしてとか言っているわけではない。
例え、そうですかと「生中お願いします」とか言われても今までのコミュニケーションの型が置き換わるだけで何も変わっていない。
生まれつきなのか、環境なのか、自然にそういう意識を持てる人がいる。自分の周りにもたくさんいて、とても羨ましく感じる時がある。
というのも、僕自身がずっと手抜きしてきたと思うし、今でも「やばい、手抜きしてる」と気づく瞬間がある。自分の行動がちゃんと説明できない時がある。
何が心配かというと、自分がそんな手抜きのコミュニケーションにどっぷりつかってしまって、何かの基準なしには生きていけなくなること。
友達だからこうする。彼女にはこうする。先生と学生のコミュニケーションはこうで、親と子供だとこう、みたいに、自分と相手のコミュニケーションのはずなのに誰かが定義した友達、彼氏、先輩、後輩、彼女、親etcの枠組みに合わせなきゃコミュニケーションが取れないのは不幸なことだと思う。
よく言う、自分に役割が与えられていて、その役割を演じるっていうやつ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んで一通り感動した後に、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」を読んではっとする感覚。
あの感覚を忘れないようにしたいと思う。
「自分の軸足を自分の内側に置くことは大事だよ」「自分のものさしではかりなさい」などよく言われてきたけど、最近になって本当に大事なことなんだと感じることが多い。
以上、居酒屋のバイトしているときにぼんやり考えていたことを、ぼんやりまとめました。
(あらためて読むと、すげーひねくれてるなあ(笑))
「煙か土か食い物」とは何か?
以下、作中で主人公の祖母が言うセリフ。
「生きてても虚しいわ。どんな偉いもんになってもどんなたくさんお金儲けても、人間死んだら煙か土か食い物や。
火に焼かれて煙になるか、地に埋められて土んなるか、下手したらケモノに食べられてしまうんやで」
ケモノに食べられることは確率的に少ないにせよ、日本人の場合、まあ大抵は煙になりますな、確かに。
身近に人の死を体験し火葬まで立ち会ったのは、やはり祖父と祖母の葬儀の時だが、その時の率直な感想を言えば、
「無茶するなあ」
という感じ。みんなさめざめ泣いていたけど、僕はそれよりもついさっきまで自分がよく知る人間だった物体が思いっきり燃やされて灰色の骨片と化すというダイナミックな事実の方に圧倒された。けっこう頭蓋骨とか骨が厚い部分は燃えきれなくて残ってたりするんだ、これが。そんな「おばあちゃんの様子」を見て、
「なにも燃やさなくてもなあ」
とアホみたいなことを横にいた弟につぶやいたりした。衛生的な面からも、残された人が思いを断ち切るという面からも、火葬はなかなかいい手段とは思うが、死んだからといって家族を燃やすとはなんと野蛮な…という気持ちは正直いまも消えない。いや、土葬の方が土のなかの経過を考えるとはるかにグロテスクなんですけどね。
ごろりと転がった骨のカケラよりも、死は妙な瞬間にリアルになるものだ。
祖母の死から何年もたって、自宅の引き出しを整理していたら、一緒に温泉に行ったとき祖母が買ってくれた、変な
小判の形をしたビニールの財布が出てきた。それを見つけた瞬間、ずっと出なかった涙がどんどん出てきて自分でも
なんでいま?とあきれかえった。すぐに涙とまったけど。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
一つの例として書くけれど、小説家の舞城王太郎は、物語が社会に存在する理由を、次のように述べている。
『ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ』
現実は厳しい。いつだって僕らが願ったものは適わない。思い描いた人生を生きれるわけではないし、なりたかった職業には就けないし、大好きだったあの娘は簡単にイケメンに寝取られる。でも『本当はあの頃、こういう事を思っていた』とか『本当はこういう職業に就きたかった』とか『本当は昔、あの人のことが好きだった』という感情は確かに『存在』していた。それは紛れもない真実だ。現実のはざまに消えていった『真実』を、『物語』が代わりに叶えてくれるから、人間は感動するんじゃないだろうか。物語の無限の可能性に触れて、どんな苦悩も報われると思うことが出来るから。演劇用語ではこういった作用を『浄化』って言うんだけどね。
やーい、おまえのばあちゃん、舞城王太郎ー。
新しいかどうかは別にして、そういう意味のアーティストは宇多田ヒカルが多分最後になると思う。
パーフリに限らず、80年代初頭のYMOとか、バンドブームにおけるブルーハーツとか、90年代の渋谷系におけるフリッパーズギターとか、V系におけるX JAPANとか、J-POPにおけるミスチルとかサザンみたいなアーティストって今後出てくると思う?
これ二つの問題が有って
ってことだと思うんです。実は同じことがアニメとか文学にも起きていて、エヴァンゲリオン以降「みんなが見たアニメ」が無かったり、村上春樹以降には「誰もが一度は読んだ作家」がいなかったりっていう感じで。まさか京アニの諸作品がエヴァンゲリオンや攻殻ほどのものになるとも思えないし、舞城王太郎が「ノルウェイの森」みたいな小説を書くとも思えないし。
俺、ある時点から好きな作家3人挙げろって言われたら、定番の3人のほかに舞城王太郎も入れるようにしてたんだけれど、「阿修羅ガール」あたりから、ちょっとそれでいいのかと思ってた。そして、「九十九十九」。もうこれでちょっと舞城好きとかは違うんじゃないかと思ってた。「山ん中の獅見朋成雄」はそこそこ面白かったけど、それでもやっぱり違うと。
でも2004年、つまり「山ん中の獅見朋成雄」の後あたりから俺は本を読まなくなってきてて、舞城のことも追わなくなってきてて、だから他に好きな作家っつっても特になくて、まあもう舞城が好きな作家ってことでいいかとか思いつつも、やっぱり少し違うなとは思ってた。
それでね? 今7年ぶりに「熊の場所(に収録の3編)」を読んでみたんだけど。面白え。面白えなんて言葉じゃカバー出来ない。これはもうあれだね。何かは言えないね。あーなるほど、俺が舞城を好きだったわけが分かった。これは好きだわ。これは俺的不動のベスト3作家に匹敵するわ。すげえよ、舞城。文体おかしいけど。って、俺、文体がきれいな人の方が好きなんだけど。けどそんなの関係ないね。
しょうがねえからタイトル聞いただけで萎える「好き好き大好き超愛してる。」とか「みんな元気。」とかその辺りも読んでやることにする。
とりあえず5年ぶりに、先月から読書戦線に復帰した俺から一言言わせて欲しいのは、もはや舞城とかには別にこだわらず、とにかく本は超絶面白いよ。音楽もゲームも映画も漫画も他のあらゆる娯楽も素晴らしい。しかし、本は群を抜いてるね。俺、よく5年も本読まずに、1年に3冊くらいで生きてこれたな。何もいらねー。本だけあればいい。タイトルと違ってきたけど、とりあえず本、超素敵。死んでない俺の好きな作家さんたちは、今すぐ新刊を次々出してください。死んでる人たちも遠慮なく出していいんだぜ! もうマジで、本の面白さに比べたら、この世のすべてがどうでもいいよ。
俺しかし、コストパフォーマンスいいなあ、これ。実は別に正社員で働かなくていいんじゃね、と今思った。本買える金さえあればいいんだからさ。うーんいいことに気付いた。今までいい会社とかいい給料とか思ってたけど、そんなん手に入れても全然幸せじゃない。時間なくて本読めなかったし。楽しい本買える金さえあればそれで幸せだわ。
http://d.hatena.ne.jp/raf00/20090305/1236262585
んー、タイトルだけならいろんな改変ネタができそうだ。そこで考えてみた。
この中でいくつかは、本当に俺の友人が似たようなことを言ってた。