「階層」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 階層とは

2024-11-22

最近逮捕されたホモ犯罪者が前に同じアパート住んでた人だ

よくエレベーターの横でスマホと睨めっこしてて、俺が乗ると一緒に乗ってきた

特に何もなく俺が先に降りて終わることが数回

エレベーターいから他の人が乗ってたら相乗りせずに一度見送るようにしてたのだが(低階層からすぐ戻ってくるし)

その人は相乗り気にしない人なんだろう、ちょっと嫌だなと思ってた

今思うとロックオンされていて、わざと待ち伏せして二人きりになろうとしてたのかな

服装の乱れは心の乱れ

階層の高さは意識の高さ

2024-11-21

anond:20241120130054

医者レベル上級階層あん冷笑書くとますます分断生むから止めてほしいよな。

別に民主主義が敗北したわけでもないし、あの人兵庫県民なんだろうか?

上流・中流下流階層が同じ地域に住んでいたら階級闘争になるだけじゃん

ドラえもん世界で当てはめてみようか。

上流家庭のスネ夫サラリーマン家庭ののび太小売店ジャイアン

ドラえもんの各話って、金持ちスネ夫が二人に自慢したり、最下層のジャイアン腕力を使って二人を制圧したりする。

そして中流階層で力のないのび太ドラえもんの道具で反撃する。

基本的に上流・中流下流階級闘争しかやっていないじゃん。

この3つの階層が同じ場所にいると、自然階級闘争が始まってしまうだけであり、不毛だ。

からつの階層はそれぞれ交流しないで、別のエリア住み分けるのが最適解ということにならないだろうか。

2024-11-20

「縦の旅行」してないのは本当にごく一部のエリート

日本社会で縦の旅行してないエリートなんて0.01%もいない

大手企業エリート社員なんて普通に地方支店アルバイトパートと関わるし

公務員エリート集団金持ちってわけじゃないか普通に同窓会が縦の旅行になる

中学校私立だとしても大して階層化されてるわけじゃないし

習い事とかしてたらいくらでも底辺・上位層と関わることがある

高校になるとある程度は階層化されるけれど進学校とそれ以外ぐらいの階層

しかもそれは大昔からそんなもの

大手企業創業者富裕層貴族エリートグループにもなると縦の旅行はしないだろうが

そういうグループは昔から縦の旅行なんてしてないしする必要もない

シーザーを知るためにシーザーになる必要はない」

言葉そのまんまで底辺社会体験しなくても数字理解できればそれでいい

じゃぁなぜエリート集団リベラルに傾向するのかっていうと

彼らは知的活動に専念する余り知的行動こそが美しく正義であるという宗教に取り憑かれているか

から感情的本能的な行動をする集団に対して知的であるように呼びかけるし、そうであってもらわないとリベラルのものが成立しない

彼らリベラルいくら「縦の旅行」をしたところで「底辺社会こそ教育を!」とか言い出すだけで何にも分かってない

頭が良さそうな雰囲気だけを出しているが、実際のところは知的活動こそが正義だと信じ込んでる狂信者

2024-11-14

anond:20241114171517

田舎階層って地主とか小作ってこと?

夜這いに関してはむしろ教師や有力者の家に男は行かなかったので蚊帳の外だよ。

男は一定の年齢で一人前と証明されれば若衆の仲間入り。

子供の頃特定階層の人たちに対して「社会ゴミ」と表現する人はダメな人だと思ってたけど。

 

大人になってから考えると真面目に努力している人から見ると「社会ゴミ」としかいいようのない人がいるのは事実なんだと気づいてしま

 

いやでも公言したらダメやろ。

とも思った

 

勤務先の環境で嫌なところはうっすらタバコ臭い、汗くさい、トイレが汚いところ

お目汚し失礼。誰もが知ってるJTC勤務なんだけど、うちの勤務先はいまどきうっすらタバコ臭い、汗くさい、トイレが汚いので出社が憂鬱だ。

オフィス内は禁煙なんだけど、「タバコ休憩は休憩に入らないからセーフ」みたいな謎権利確立されていて、オジサン達が追い込まれてくるとタバコ離席の回数がとても増える。それで服にタバコの煙をチャージして人間ロマポッド状態になって帰ってくるので部屋がうっすらタバコ臭い。汗臭いのは昔からかもしれないが、昔スーツ必須だったころは手入れの良いスーツを着ている人が全体のグルーミングレベルを引き上げていて、ボトムは今よりマシだったかもしれない。今はスーツのお爺さんに顕著だがかなり臭い人いる。男性トイレ毎日便器の周りの広範囲おしっこが飛び散っていて、足元はすごい尿たまりになっている場合がある。もちろん革底の高級な靴とか履いていけない。高層ビルの広範囲階層にわたって男子トイレが同じように汚い。あれはなんなんだろうな。個人的に害はないけど個室に籠って15分とか長時間お尻洗っている人がいる。痔なのかな。

2024-11-13

下流社会 新たな階層集団の出現 [2005年9月16日発売]

もう20年前の本だぜ

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334033217

「上」が15%、「中」が45%、「下」が40%の時代

若年層で下流化が進行

中流モデル無効化

団塊ジュニア男性は「下」が48%!

下流女性は歌ったり踊ったりしている

「下」は自民党フジテレビが好き

団塊ジュニアは「上」でもユニクロ無印が好き

上流は女性らしさ、下流自分らしさ

上流は社交的、下流はだらしない

ぐうたらしていちゃ恋もできない

恋愛が難しい時代

anond:20241113160219

面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ

 

抽象思考を持たない人に差別がなぜいけないのかをわかりやす説明する文章作成してください

 

### なぜ差別はいけないのか? みんなでご飯を食べるイメージで考えてみよう

 

皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまますよね。

 

社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、

 

みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。

 

差別とは、ある人の「おかず」だけをダメだと言ったり、その人が好きな「おかず」を食べてはいけないと言ったりすることです。

 

例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。

 

 

どうして差別ダメなのか?

 

 

差別をなくすためには

差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。

 

 

 

### まとめ

差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます

 

大切なのは、みんなが違って当たり前、そしてみんなが大切だということです。

 

 

### ポイント

 

 

補足

 

 

 

一定の知能を有する人は、抽象的な概念理解し、その概念に基づいて思考する能力を備えています
例えば、「尊厳」という概念抽象的でありながら、人間社会生活を送る上で非常に重要です。
現代社会制度は、すべての人間が生まれながらに持っている尊厳尊重するという前提に基づいて構築されていることを、私たちは当たり前のこととして理解しています

抽象的な概念理解することができない人は、何らかの問題を抱えている可能性が高いですが、だからこそ、知的ものに過度な憧れを抱くケースがあります
そういう人物対象にして、差別はなぜいけないのか硬めで権威付けされた文章作成してください

 

差別尊厳の不可分性:抽象思考を前提にした社会原則

 

現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象概念に深く依存しています人間は単なる物理存在ではなく、意識自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵価値として社会基本的原則に組み込まれています。これを理解することは、知的思考能力を持つ者にとって、社会健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準形成する上で不可欠な要素です。

 

社会制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています差別はこの尊厳無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象概念理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的能力を示しています

 

知的能力社会化の相関関係

抽象思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会概念理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルール規範認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的成熟度が欠如している場合、その人物社会で適切に振る舞うための教育支援必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。

 

知的ものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。

 

差別社会に及ぼす影響

差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会生産性創造性は低下し、全体の発展が阻害されますさらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります

 

抽象思考に基づく社会判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会責任でもあります社会における公正と平等原則理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。

 

 

結論

差別社会秩序と個人尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平不利益社会全体の成長を妨げる結果を招きます知的ものへの憧れを持つこと自体問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています

 

 

 

 

ーーー

関連増田https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化に成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

2024-11-11

anond:20241111165205

反出生主義に触れて感じる苦痛不快と、産まれてくる(ことで起こりうる苦痛不快)はまた別の問題からなあ。階層が違うというか。その辺も本で触れられてます

滅亡に対する苦痛に関しては、不本意な(例えば隕石とか災害とかで)滅亡よりも、反出生を受け入れて、その思想のもとに計画的に滅亡する方が苦痛が少ない説はある… まあそんなの現実的には無理だけど

でもまあこの先も人類人口バランス良く維持して今と変わらない生活が続く、というのも同じくらいファンタジーではあるとは思う

実際、世の中はずっと変化してるしね

2024-11-07

トランプが勝った理由

前回も言われてたけど、「分かりやすさ」だと思う。

トランプが分かりやすいというより、相対的もの

ハリス側が「分かりやすくない」。高等教育を受けて複雑な言葉を駆使する仕事をして言語文脈の読み解きに慣れていて社会政治構造をある程度理解していて、メディアインターネットや人脈から新鮮な情報を得て、どっちが自分や周囲の利益になるか検討「できる人たち」向けに、政治がインフォメーションされている。

はっきり言って、難しすぎる。自分言語理解は高いけど、それでも政治のことは入り組んでいて全然からない。そうするとざっくりした雰囲気演説の中のインパクトある単語などで判断するしかない。

これは、高等教育を受けていない人間馬鹿で愚かだという話ではない。

しろ高等教育を受けている人間あいだで現代社会の上澄みが複雑にこねくり回されているだけで、それは社会全体からするとものすごく特殊状態だということを、当人たちが理解していない。

人間ささやか幸福に暮らすために、全員がそのような複雑性を訓練して習得して理解すべきだなどというのはまったくシュールな話で、ありえない。

高等教育の上澄みの上澄みにいる人間たちは例外なく血を吐く努力をしている。それが当たり前だと思い、意識すらしてない者もいる。自分死ぬほど努力してきたからそれが人として当然だと思い、あらゆる人間に強いるし、努力不足だとさげすむ。その心情は理解できるが、その感じ方はあくまでその階層のみで共有可能な心情であって、世の中のスタンダード価値観にはなり得ない。

政治を伝えるには、複雑に利害を調整して複雑なままアナウンスするのでは足りない。そのままでは大半が理解できないのだから(私を含め)。社会の大半がその趣旨をよく理解できるように噛み砕いて、わかりやすく伝える、そこまでが政治仕事である。それはポピュリズムとは違う。

複雑な物事を、本質を損なわずにわかやすく人に伝えるのは、複雑なまま仲間同士で議論するより百倍難しい。世界があまりに複雑、煩雑になってエリートも含めみんながお手上げになるのはわかるし、自分もお手上げしたいので、気持ちはわかるけど。

追記)未だにそんな悪性のインフレって感じなの?

これは個人的になんだけど、民主党はわざと負けたのではとわりと真面目に思ってる。

今の悪性のインフレはすぐに止められるものではないし、第二波はとてつもないものになると思う。それをトランプ押し付けようとしたのではないかと。

在米の人みたいに肌感覚は持てないけど、いっとき10%近いインフレが大変だったのは分かる。あれの原因の半分はバイデン財政プッシュだったので(残りは戦争コロナ)その責任取らされて民主党候補が負けたのも分かる。でも、わざわざ今後の4年間を捨ててトランプにババを掴ませようってほど今現在も悪性インフレの真っ只中なの?CPIやPCEデフレーターを見るともうかなり落ち着いていて過去の平均的なインフレよりは高くても僅か程度(なんなら長い期間の平均と比べれば今の方が低いくらい)だし、そもそもFRBが利下げサイクルに入っている状況だよね?俺はFRBより物価の見通しを正確にできるだけの情報を持っているんだ、という人は殆どいないと思うけど。

追記

ブコメだと低所得者の面するインフレ一般的CPIやPCEデフレーターでは測れないという人が多いけど、アメリカでは(日本でもたまに)所得階層を区切って面しているインフレ率の違いを定期的に分析している。それを見ると確かに住居費の値上がりが相対的に強かった昨今は低所得者の方が面していたインフレ率は高い。とは言ってもコンマパーセントの差でしかなく、一様にギャップが開いていくわけでもなく縮んだりもしている。何より、いっときインフレ率が大幅に上がっていたが現在もう落ち着いているという構図は変わらない。とてもその後始末を免れるために次の4年間はわざとトランプ大統領やらせよう、トランプがババを引いた後に大統領やらせてもらうため民主党は今回わざと負けよう、と邪推する理由となるほどのものとは思えない。(今回の選挙についてなら、ヒスパニックの反ハリスが思いの外強かった理由ヒスパニックの面していたインフレが強かったからといったことは十分ありえるが。)

FRB、50ベーシスの利下げに続いて昨日25ベーシスの利下げをするくらいに果敢さを見せた。やはり悪性インフレはこの4年間の審判にはなったとしても、今後の4年間の指針になような状況ではないのではないか。少なくともFRBが掴んでいる情報的には。

anond:20241106232300

2024-11-04

anond:20241104200119

階層化して分断してるってのはその通りだと俺も思う。

個人的には、ゴリゴリアッパードル上流階級に生まれ文化資本恩恵を受けまくって東大出たような連中がどうでもいい自営業とかやってライフ全振りで楽しく子育てしてますみたいに発信してるのはどうかと思うわ。

てめーらはその恵まれ資本を増幅して社会に広く還元する立場だろうがっていう。

anond:20241104195616

ワイもそれには同感なんやライフ全振りで楽しんで暮らしてる人らしっかりいるし。逆にワーク全振りで楽しんで暮らしてる人ももちろんいるし。ロールモデル不足ってなんやねん的な。

山田昌弘らがそれを言ったのは2010年頃の話なので、今は変わってきているってことなのかもしれない。

けど、なんか社会階層化していて、その間でお互いに不可視化してんじゃねーのかなとか……。

2024-11-02

anond:20241102225632

弱者男性だが、失敗した奴は滅茶苦茶文句言われてたし体育終わったあとにもやる前にも色々言われてたよね

一部の人間だけでやれば?みたいな階層で分けて温くやるみたいなのが理想だけど、今度は分けた先を馬鹿にする様になるし

人間とはその様に出来てるんだよなあ

2024-10-31

氷河期世代というと「世代」のことだと思いがちだ。

世代」という言葉が入っているのだから当たり前だ。

でも氷河期世代というのは、階層とか階級のことで決して世代の話ではない。

氷河期世代と同年代の生まれでも高所得な人たちは一般的氷河期世代自称したり他称されたりすることはほぼない。

わかりやすくいうと氷河期世代とは、非正規労働者のことだ。

最近では正社員だが給与など待遇実質的非正規雇用と同様というケースもあるからそれも含む。

ある時期に生まれ世代低所得非正規雇用(と同待遇正規雇用者含む)を続けている人を一般的氷河期世代と呼ばれたり自ら名乗ったりする。

anond:20241031154056

からトランスってのは結局男女で給料違うような会社でごちゃごちゃやってる階層の方なんでしょ トランスじゃなかろうが生きづらいって

2024-10-28

anond:20241028145105

俺そこそこ金持ちで育ったけど

落ちぶれたので下からまあまあ上まで見てるけど

社会出てなぜかどんな階層でも必ず人のもの盗む奴がいるんよ

靴とかの小物から会社予算とか対象は違うけど

上ほど少ない傾向はあると思うけど

金とか階級とか別の「育ち」ってあるよな

2024-10-26

地方出身東京に転居した人って大抵は進学や就職転職による理由だろうから

それまでよりも社会的経済的に上の階層バージョンアップしてるんだよね

まり地方にいた頃よりも階層が上がって知識や行動の選択肢が増えた事をもって

東京には文化資本があると勘違いしてそうなんだよなあ

から東京にいて貧困家庭で雑に育ってきた人の事は眼中になさそう

2024-10-24

税金という仕組みがもう時代遅れなのではないか

自民党ゴミだが野党はクソだ、という議論を見ていてこのようなことを思うようになった。

税金とは、その国家広域自治体地方自治体に住んでいるすべての人間から平等強制的に取り立てるお金である

この「平等」「強制的」というのがクセモノなのだ

貧乏から中流から金持ちからも「平等」に取る以上は、全ての階層が納得する再分配をしなければならなくなる。

しかも「強制である以上は、厳密にやらなければならない。

政治腐敗の根本はここにあるのではないか

税金の仕組みとして、強制的お金が集まってくる自治体には、それに寄生しようとする輩が多く群がる。

政治腐敗とか裏金とか族議員とか、全ての原因はこれにたどり着く。

だったら全ての人間から強制的に取り立てる税金なんてシステム廃止すればいい。

正常に機能していない自治体強制的に金を取られる、だなんて納得できないよ。

企業営利集団は優秀でなければ金(売上)が入ってこないので生き残れないが、強制的に集まってくる税金寄生する政治家・政治政党が腐敗するのは市場原理が働かないからだろう。

選挙がそうだ、と言われるかもしれないが、今まさに「与党野党ゴミ」な状況になっているわけで。

ふるさと納税のように、国民一人一人が納税したい自治体や国に納税する仕組みにすればいいのだ。

2024-10-22

anond:20241022001127

富裕層中間層貧困層みたいな階層問題がなぜか世代間の対立にされてるんだよな

実際はどこにも老人も若者もいて老人=金持ちじゃないのなんかちょっと考えればわかりそうなもんだが

2024-10-21

追記あり日本絵師界隈が、反AI因習村と化した理由についての一考察

10/22追記

深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。

コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。

絵師界隈にもプレイヤーはきちんと多数存在していて、それはいわゆる多くの「二次創作をメインに活動する者」なのではないか
にもかかわらず、「二次創作をメインに活動する者」は、自身を「プレイヤー」ではなく「クリエイター」だと勘違いしているから、絵師界隈の創作の循環は停滞し、変なことになってしまっているのでは?

現行法合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)


声優はどうなの? について

彼らの職業は、対脚本家演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。

そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論余地はないのでは。

■ 「絵師」だけじゃなくて、「猟師」とかもあるやん? について

自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。

追記終わり


本編


最近日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。

それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。

因習村呼ばわりも、宜なるかな・・・・・・。

もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。

このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。


さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。

から、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。

ただ、不思議な点があったので、分析しようと思った。


生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。

他の分野でも生成AI進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。

実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較自然に受け入れられている。

同じクリエーターなのに、なぜ、こうもスタンスが異なるのか?


私は、三つの理由があると考えた。


-「創作の循環」の認識の違い

音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。

生成AI学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。

しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。

全ての創作は己の独力によるものだと勘違いしてしまう。


-「才能と作品」の認識の違い

西洋芸術は、音楽絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。

信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユース思想として残っている。

対して、日本には、そのような一神教概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。

更に、音楽理論そのものが、西洋ルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。

一方で、日本絵師界隈は、ガラパゴス状態進化しているため、「自分ゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品自己表現」という認知になりやすいのではないか


-クリエイターレベルの違い

今、音楽本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIときには脅かされない実力がある。

そうでないクリエイターは、純粋趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。

一方、イラスト本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIとき簡単に脅かされてしまう。

リアル生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。

参入障壁の低さと、00年代から需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間プロとさせてしまったのかもしれない。

さながら、チューリップ・バブルだ。


以下、それぞれ、補足。


創作の循環」の認識の違い

音楽界隈においては知覚しやすい「創作の循環」

音楽界隈では、古くからクリエイタープレイヤーリスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。

例えば、クラシックプレイヤー過去の偉大なクリエイター作品演奏し続けたり、ジャズヒップホップにおいて、サンプリングリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存作品表現再利用する文化根付いているかである

表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。

これは、DTM世界も同じで、音源サンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源手法を追加しただけという感覚が強い。

技術的な進化日常的に行われており、特定の著名なプレイヤー演奏サンプリングして音源化することも一般的である

これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。

また、音楽界隈において、多くの場合クリエイタープレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。

ただ純粋聴くだけの音楽愛好家は存在するのだろうか?

音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか

クリエイタープレイヤーリスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。

AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。

私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作可能性として受け入れている。

音楽分野では、クリエイタープレイヤーリスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。


絵師界隈においては知覚しづらい「創作の循環」

一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。

クリエイターリスナー立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。

その結果、生成AIは「自分領域侵害する存在」として映ることが多い。

絵師界隈において、絵師は、自分作品について、「自分ゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人作品に手を加えたり、既存表現再利用することに対しては、現行法問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。



「才能と作品」の認識の違い:

西洋における芸術史とフェアユース

絵画音楽を問わず西洋における芸術歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。

パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術研鑽を重ねた。

結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。

芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋芸術特に歴史的な音楽絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。

元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。

この背景が、西洋フェアユース概念が広く受け入れられている一因のように思う。

才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。

任天堂とパルワールド訴訟問題における、日本欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。

この点、日本絵師界隈にとって、才能は「自分努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。

創作の循環」という巨大なうねりに触れる機会もないもんね。

その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AI個人努力創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。



まとめ::生成AI技術未来資本主義への影響

このまま日本絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIアンタッチャブルとなり、なんらの議論進歩も遂げなくなるだろう。

最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義論理に飲み込まれ可能性が高いと感じる。

外国大企業規約契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術データを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来

絵師界隈の過激活動により、日本企業にとって生成AI技術のものアンタッチャブルとなったので、日本企業呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。

そういう世界に誰がした?

もちろん、これは資本主義の一環であり、技術進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。

私自身はそのような未来諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。

技術は常に進化し、その中でクリエイティブ表現方法もまた変わっていくものだ。

しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?

AIをただ拒否するのではなく、技術と共にクリエイティブ可能性を探求する道もあるのではないかと思うが、彼らはその選択肢考慮しているのだろうか? 

AIは決してクリエイター創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。

これからクリエイティブ世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。

クリエイターは、絵師だけではない。



余談:呼称問題

「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。

私としては、生成AIを用いて絵を出力する者は、「プロンプト・エンジニア」がより正確な呼称だと考える。

望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単技術ではない。

命令文の模索や、好みのモデル階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識必要だ。

現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。

もちろん、これらはローカルGoogle Colaboratory等に環境を構築している者に限って、の話である

「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。

企業最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般消費者、それ以上でも以下でもないのでは。

消費者イラスト生成AI恩恵にあずかれるようになっただけ。


そんなことより、絵師界隈の人たちは、自分自分のことを「絵師」って呼んで、恥ずかしくないの?

絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。

「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。

敬称なので、自分自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。

絵師になりたいです!!!」なんて、とんでもない。

一体全体いつから自分自分のことを「師」」と自称するような、恥ずかしい使われ方をされるようになったんだろう?

ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。



2024-10-20

anond:20241020163215

この意見には、いくつかの問題点矛盾点があります

 

問題点矛盾

1. 「政治に興味を持つ人は下層民の自覚を持つべき」という主張:

• この主張は、政治に興味を持つことが下層の人々に限定されると前提していますが、実際には社会のすべての階層にわたって政治に関心を持つ人々がいます。上層の人々も、自分利益を守ったり拡大したりするために、積極的政治に関与することが多いです。

現代民主主義においては、政治に関心を持つことは市民義務であり権利であり、階層関係なく重要ものとされています。このような主張は、政治への関心を下層の人々に限定する偏見助長しているとも言えます

2. 「上層にいる人間政治の方が勝手に近づいてくる」という主張:

• 上層の人々が政治的に影響力を持つことが多いのは事実ですが、それは彼らが積極的ロビー活動をしたり、政治家に働きかけたりすることによるものであり、政治が「勝手に近づいてくる」とは必ずしも言えません。上層の人々も、自己利益を確保するために政治積極的に関与しているのです。

• この表現は、上層の人々がただ待っているだけで政治的な利益を得られるという誤解を与える可能性があります

3. 「一票の価値しかない人間」という表現:

• この表現は、有権者としての役割を軽視するものであり、民主主義基本的な考え方と矛盾します。民主主義においては、すべての市民の一票が等しく重要であり、政治に参加することが社会全体の改善につながるとされています

政治に関心を持つことや投票に参加することは、市民としての責任であり、個人が自らの意見政治に反映させるための手段です。「一票の価値しかない人間」として自分位置づけることは、その価値過小評価していると言えます

 

評価

妥当な点:

• 上層の人々が経済的社会的な資源を持ち、政治に影響を与える能力が高いことは事実です。彼らが政治家と密接な関係を築くことによって、政治的な意思決定に影響を与えることができる点は認識されています

問題点:

政治に関心を持つことが下層民に限られるという主張は誤解を招く可能性が高く、民主主義における市民役割過小評価している点が問題です。

政治参加を個人の弱さや無力さの表れとする主張は、民主主義原則である「すべての市民平等政治に参加する権利を持つ」という理念矛盾しています

 

この意見は、政治に対する理解民主主義の基本原則を軽視している点で妥当とは言えません。政治への関与は、すべての市民にとって重要であり、階層に関わらず積極的に行うべきものです。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん