はてなキーワード: 階層とは
ワイは自民、公明、国民の連立与党はあり得るんじゃねーかなって思ってんだけどどうだろうね。
それって日本社会党の二の舞だってのはわかってるだろうし、流石に連合がやらせないでしょ。強行したら連合の支持が抜けてかつての希望の党騒動みたいになると思う。
国民民主は与党入りすると連合としての支持はなくなるだろうが、特定の労組(電力労連とか、自動車総連とか、電機連合とか)の組織内候補は独立して支持すると言う形で継続して、玉虫色な感じになると思う。。
そこら辺の労働組合は、大手ばっかりで、支配階層で御用組合色が強いから、思想的にも自民党に近い。
そして選挙を繰り返していくうちに、自民党と区別がつかなくなって党勢が悪化、いつの間にか会派が解散して自民党に合流というのが今までのパターン。
維新は与党に入ると自民党と区別がつかなくなって支持を落とすってのはわかりきってるから、是々非々っていいながら野党第一党を目指すんじゃないか。
立民は極右極左がいない中道左派の第二自民党を目指すことになり、それが完遂したら台風の目になって行けると思う。ただその政策が流行るころには自民党の極右系が分裂して極右・民族主義政党を立ち上げてくる感じはする。
(閑話休題)
XというSNS(様々なネタを送信できる)で見たペラ1(数コマ?)漫画
本来であれば引用の要件を満たしそうなので、ペタっと貼ってもよっぽいのだろうが、引用者が匿名というケースはどうなのかを見たことが無いので
1)魔王が勇者に攻め込まれてて、「ほな、四天王をぶつけた口」て、四天王を呼び出す
参じろ四天王! みたいなコテコテ招集パターンはほんとに初期の初期だけで食パン曲がり角と同じでど真ん中があまりないやつかも
オデは勇者を倒す(オデだけど役割を理解できるタイプ。オデ系の中では有能)
オデは腹減った(一見無能だが、キレポイントがあちこちにあるので、殲滅力は高くて使い道はありあり)
オデ、全部壊す(一人目の発展形。制御がむずいが使える)
オーデー、オデオデオデー(←サッカーのチャント。お花畑。歩いてるだけで街を壊すとか、やっぱキレポイントあるとか)
元のキャラから少し変えたり変えなかったり(変更に特に意味はない、今のところは)
3)で、オデ系ばっかやん……と魔王が凹む
で、このボケ(小ボケやあるあるは置いておく)に対して、最低(よしあしではなく、レイヤーの)レベルツッコミは、
ぐらいではなかろうか。もっとふわっと、「不安やな!」とか「大丈夫かこいつらで」みたいなのもあるか
その次に、カブりの要所を攻めて、
・「一人称が全員オデやんけ!」
とか。それを推敲してったら、
「オデ系ばっかりやんけ」となる
ノブ「オデが多いんよ」「オデ四人!」「これはもうオデ祭りじゃあ」「どっからこんな個性集めて来た?」「よう集めたな」
※以下、多くなったので末尾に移動
で、作内で、そのツッコミは魔王がやってる。魔王「オデ系しかいないじゃん!」
引用やめた都合上なんとなく微妙にニュアンス変えて面白くなくなってるが、元ネタはかなり面白い
で、ツッコミが入ってるのでそれで終わってるのだが、
テレビ等の本ネタ放送じゃない場合にテロップ(やワイプの表情、ふたつ合わせて)で補強したり、本ネタやってるけど、MCなりの外からのツッコミがあってさらに盛り上がる
というのも増えて来てる。
ex.レッドカーペット(ムーディとか、じわじわくる系の加速装置として等)、あらびき団(TVで流すほどのネタではないので)、千鳥のクセすご(ゴールデンあらびき)
という時代で、TVで弱いネタとか伝わりづらいネタを見てたら、隣で見てる上級者が補完してくれるのもよくある光景(ないというならない)
で、この場合に増田が思いついたのが、「自分で選んだ四天王やないんかい!」というもの
で、元ネタ(引用元)は作内で完結してるので、これ以降を述べるのは不適切かもしれないが、以下のようなパターンもかんがえうる
・あえて余白(ツッコミ代)を残した
リズムや語感、あるいは(か総合的に)一般Xユーザーの所属階を加味してバランスのよいところを
つまりは作中で言っていないことは作内で触れるべきではない
実は魔王に人事権が無いとか、四天王選定にはすごくしがらみがあるとか
どれかひとつ掘るだけでも続編が描けそうなくらい
総じていえば「お前が選んだんやろがい!」がキャンセルされるような世界
・
・
書いたの覚えてたら大幅加筆修正など予定(未定
☆
※
禿げ峠(魔王の立場で)「なんて四天王だ」「やってらんねーよ!」
西田orてつお「そんなんちゃうわ(←のような適当かつミニマムなつっこみ)変われ」
CHの人「ゆーとりますわ(オデキャラばっかの四天王出てきましたけど)」
三村「使えねーな!」なんか違う「オデばっかかよ!」なんか違う
もちろん社長なり国会議員なり社会的に成功した階層の中にも犯罪者はいます。が、ここでは程度や傾向の話をしています。少数の判例を持ち出して否定しにかかるのは典型的な詭弁です。所得が高い層と低い層、高等教育を受けた層と受けていない層、社会的に成功している層としていない層では後者の方が犯罪率が高い傾向にあるのには議論の余地はないと思います。故に、社会的に成功していれば相対的に高い知能・倫理観を持ち合わせているはずであると主張してもおかしくないはずです。
逆にあなたに伺いたいのは、あなたの正しさの担保は何かということです。あなたは私よりもあなたの意見の方が正しいと思うからわざわざリプライを投げたのだと思いますが、あなたが自分の意見や感覚が正しいと思う根拠はなんですか?例えば博士卒で高度な専門知識があり高年収で社会的に成功を収めているのでしょうか?だとしたら納得できます。別に「意見が100%正しいという証拠を出せ!」みたいな、程度の低い二元論の話をしているのではないですよ。自身が正しいと信ずるに足る、依拠するものを教えてください。
ただ仮にそうでなかったとしたら、つまりそうした担保や依拠するもの=学歴や社会的地位がないのだとしたら「もしかして僕って馬鹿で、僕の方の意見や感覚が間違っているのかも」とか思わないのかな?と。
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
福井はばちばちの家父長制だけど県民が「自分は幸せ」と言い聞かせて幸福度高いことになっててサイコパス
教育熱と競争がすごくて結果として差別や階層化が進むけど我が子だけ良ければいいと管理教育しまくり子供の自由とかなくてサイコパス
嶺南は原発という穢れたものがある穢土だとしか思ってなくて実際差別しまくりでそれが普通だと思ってて罪悪感などなくてサイコパス
医者か弁護士以外の職業は人権などないと思ってて、子供にもそう教え込むので子供に個人の夢など全くなくてサイコパス
上記諸々指摘されても批判だとすら捉えられず逆に意味わからんこというバカだと思うけどそんな時も愛想笑いは絶やさぬサイコパス