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2023-11-21

沙東すずさん(旧名メレ山メレ子さん)の「奇貨」を読んで

沙東すずさん(旧名メレ山メレ子さん)の新刊「奇貨」を読んで、自分の頭の中でぐるぐるしていることを、感想としてしたためます

ご本人に長文DMを送り付けるのは怖がらせるのではという懸念から、慣れ親しんだはてな匿名ダイアリーを利用します。ご本人にURLを知らせるかどうかは、、、悩み中です。

まえがきと1章をブログで公開されています

https://mereco.hatenadiary.com/entry/20231105/1699185014

まえがきを「錆びた灯台に灯を入れて、自分しかできない痛みの話をする」で締めるのすごすぎませんか。

感想

💡 この文章主語わたしです。例えば「怒っている」と書いたとき主語わたしであり、作者ではありません。

恋人だろうが夫婦だろうが心変わりすることはあるだろう。なにも「好きって言ったのに!ひどい!裏切者!」と詰りたいわけではない。

別れ際に関係を終わらせることへの謝罪をろくにせず、「この状況を演じている自分に酔い」「恋人を泣かせている自分に酔い」「別れ話のあと飲みに誘ったあげく、頭のてっぺんキスして出ていった」ことに怒っている。とんだ三文芝居。

そうして作者はテキストメッセージ恋人とやりとりを続ける。

おそらくだけど、最初は連絡せずにいられなくて。そのうち恋人に考え直して欲しくて。そのあとは、悪意を持って自分を傷つけようとする元恋人と決裂するために。

恋人との闘いの記録では、作者の「自分気持ち文章にする力」にぐいぐい引き込まれた。過去自分失恋を思い返しても、感情に流されてとてもあんな風に言語化できなかった。

作者の元恋人は「すずさんの自信というか、自己愛根拠がこんなにもおれになってたことは気づいてなかったし、いたましいし、申し訳ないと思う」とメッセージを送ってきたそうだ。

あなたが今落ち込んでいるのは、おれに依存していたからですね、気づかなくてごめんね、ということか。バカにしやがって。

自立した人間同士、信頼関係を築く努力を続けてきた(と思っていた)のに、最後にお前がぶち壊したんじゃないか

よくもまあ他人失恋話でこんなに怒れますねと言われそうだが、元恋人に対しては知らない人なのでとくに何の感情もない。

ここから余談

わたしは5年前くらいから「信頼できるパートナー」と定義している人がいる。今後の人生もできるだけ一緒にいられるように努力しよう、と話し合った相手だ。

そのパートナーはおよそ半年に一回の頻度で、感情的になる。わたしの何らかの行動や言動に、自分への敵意を見出しスイッチが入る。わたしにはそれが予測できない。

スイッチが入ると「わたしから電話は出ない」「DMなどでわたし感情的なメッセージを投げつける」「話し合おうとしても取り合わない」といった行動に出る。

そうしているうちにわたしは心身がやられてしまい、落ち込んで、寝込んでしまう寸前にSOSを出して、ようやくパートナーが話を聞いてくれるようになる。そうして仲直りをする。

わたしはいつ爆発するかわからない爆弾をかかえているような気分だった。

このサイクルを繰り返して分かったことは、パートナーは「感情的なメッセージを投げつけること」はコミュニケーション一種であり、「言い過ぎてごめん」で許し合うものと考えているらしかった。

自分の口から出た言葉相手に受け取られるものなので、「言い過ぎた」という意味が分からなかったが、それはわたし言葉というもの神聖視しすぎているのかもしれない。

わたしは、もし相手の行動や言動違和感があったら、まず対話必要だと思っている。対話をしないでいきなり感情をぶつけることは、すごく傲慢なことだと思う。

これまで何度も「対話をしないで感情をぶつけるのは止めてほしい」と伝えてきたが、相手を変えることはできないとつくづく感じた。

他人相談したら「それモラハラじゃないの」と言われそうな気もする。

彼はわたしの「信頼できるパートナー」では無かった。そう認めるのにすごく時間がかかった。5年もかかったのだ。

すずさんの文章を読んで、はからずも自分思考も整理することができた。

今気づいたけど、わたしの元パートナーも絵を描く人だったな。言葉よりも感情を優先することが、芸術において大事ことなのかしらと想像してみたり。知らんけど。

さいごに

わたしが「信頼できるパートナー」を持つことは本当に可能なのだろうか、と最近考える。

友達は少ない。死にたい気持ちときに「死にたい」と言える友達はひとりだけ。そのひとりに対しても、本来の死にたさを十分の一に薄めて愚痴っぽいオブラートにくるんでいる。

それだけで十分だという気持ちもある。

40年以上、内向的自己対話をしてきた人間なのだ他人と深い関係を築くのは難しいのかもしれない。

余談だが、わたしの父が亡くなって10年以上経つが、父がキャッチャーとして甲子園に出場していたことを最近知った。普通そういうの子供に100回は自慢するやつじゃないの???

わたし内向的性格は父譲りだと思っていたが、想像の上をいっていた。

ひとまず本文で紹介されていた舞城王太郎熊の場所」を購入した。

2009-04-14

舞城王太郎がさ

俺、ある時点から好きな作家3人挙げろって言われたら、定番の3人のほかに舞城王太郎も入れるようにしてたんだけれど、「阿修羅ガール」あたりから、ちょっとそれでいいのかと思ってた。そして、「九十九十九」。もうこれでちょっと舞城好きとかは違うんじゃないかと思ってた。「山ん中の獅見朋成雄」はそこそこ面白かったけど、それでもやっぱり違うと。

でも2004年、つまり「山ん中の獅見朋成雄」の後あたりから俺は本を読まなくなってきてて、舞城のことも追わなくなってきてて、だから他に好きな作家っつっても特になくて、まあもう舞城が好きな作家ってことでいいかとか思いつつも、やっぱり少し違うなとは思ってた。

それでね? 今7年ぶりに「熊の場所(に収録の3編)」を読んでみたんだけど。面白え。面白えなんて言葉じゃカバー出来ない。これはもうあれだね。何かは言えないね。あーなるほど、俺が舞城を好きだったわけが分かった。これは好きだわ。これは俺的不動のベスト3作家に匹敵するわ。すげえよ、舞城。文体おかしいけど。って、俺、文体がきれいな人の方が好きなんだけど。けどそんなの関係ないね。

しょうがねえからタイトル聞いただけで萎える「好き好き大好き超愛してる。」とか「みんな元気。」とかその辺りも読んでやることにする。

とりあえず5年ぶりに、先月から読書戦線に復帰した俺から一言言わせて欲しいのは、もはや舞城とかには別にこだわらず、とにかく本は超絶面白いよ。音楽ゲーム映画漫画も他のあらゆる娯楽も素晴らしい。しかし、本は群を抜いてるね。俺、よく5年も本読まずに、1年に3冊くらいで生きてこれたな。何もいらねー。本だけあればいい。タイトルと違ってきたけど、とりあえず本、超素敵。死んでない俺の好きな作家さんたちは、今すぐ新刊を次々出してください。死んでる人たちも遠慮なく出していいんだぜ! もうマジで、本の面白さに比べたら、この世のすべてがどうでもいいよ。

俺しかし、コストパフォーマンスいいなあ、これ。実は別に正社員で働かなくていいんじゃね、と今思った。本買える金さえあればいいんだからさ。うーんいいことに気付いた。今までいい会社とかいい給料とか思ってたけど、そんなん手に入れても全然幸せじゃない。時間なくて本読めなかったし。楽しい本買える金さえあればそれで幸せだわ。

 
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