はてなキーワード: 鳥葬とは
ホテルの窓が半開きになっている。他の奴が入ってくるのではないか。そういう風なおどしともとれるが、脅しだったら犯罪である。しかし、私はこのホテルに入ってから仮に窓が半開きでも
ホテルの従業員が合鍵で入ってこれる可能性がいくらでもあっても、そういう被害に遭ったことがない。 3月1日はそんな感じがしたので、増田に、処方薬をもらっていると送信したら
送信しただけで、何らかの指令が停止した。これはカンである。高野もぐらが書いた裁決に書いたことをそのまま書いたらそうなった。何も起きない代わりに、女性が、うんこちんちんと言って
帰っていく。この世の残酷なもぐらは、 相手方が何も考えていない、子供であると思っていても、既にそういうことをしている、これでは話にならない。
私が4時を過ぎてもいつまでもダラダラやっていると、今度は、時間加速、時空間全てを糞にしてしまう魔法が始まる。誰かがそういう状態にしているんやな、何の要件?
佐藤もぎらは何をしてほしいのかを言わない。電話もしてこなくなった。しかし私は今、一時帰省して母親のところにいるので、そこの家では、鳥葬になることがない。母親が保護しているからである。
しかし、板橋区のメゾンときわ台では、令和5年5月以降、頻繁に、鳥葬になる。 しかし、どうやって対処してほしいのか、誰も言わないので、腹が立って、頭が、河川敷にいくか、
メリーガーデンの奴がやってるんだなと思って、そこの方に拡声器を向けることになる。そうなるものは仕方がない。 文章を書いてもいいが、金ももらえない、何も楽しくないのに、なんでそんなことを
しなければならないのか。前提を欠いているのではないか。 そういう状態になるはずがないようなものを要求している。 ないものはないというしかない。
今日は女子小学生の設計でプレイをさせてそれで満足したので、別に何の不満もない。東京ではありえないような美人が来るのでそれで満足である。文章を最後まで書いたら何かいいことが
私は今日何をしに来たのか。 興味のある人が一人だけいる。それを目指して来た。これで4回目である。だからなんなのか。私には絶えず指令が入っていていくら出来上がったタテマエを
私の周辺にいる残酷なもぐらは何を考えているのか、それが分からない。 40歳のもぐらは、何も有形力がない私に、一定の状況で、有形力を許している。あるわけがないものがある。
それを知った時点でげんなりする。もうお前が、34歳~39歳の間にやった活動は終わったから、次の事をしろ、それをしなかったから、令和5年7月15日以降に何度も鳥葬にされたのに
ひとつも次にいかないから鳥葬が続いている、そういう風にも解釈できるし、解釈できないときもある。私は法学部で、文がないわけではない。誰かが決めたことをやりたくない。しかし、
GLAYの場合は、明らかに状態がいいから5年間やってきた。他方で、文章を書くのは、若いときに散々やって、こりごり、仮にやったとしても、何の利益もない、それなのに、弱くて残酷なもぐらは
34-39歳の計画は終わったから次に移れ、という。それが単純に言って、むかつく。
ネット通販の拡声器や、音楽は、誰が見ても、迷惑をかけるためにある、そういう状態やものとして提示されている。これに対して、なんでものを書かないといけないのか、何もメリットがないのに
である。
赤い悪魔による平仮名で固めた日本語は、 平成23年10月23日午前11時9分頃から開始されたが、延岡の警察、特に、前田晴生がそれをするのを決定したのは
平成23年9月頃からで、最初の発案は、警視庁の、野村朋美というババアなど。 それより前は特に何もなかった。
ここで、エロスレなど様々な言葉で実体を誤魔化しているが、 鳥葬にするぞ、という有名な言葉があり、 ただし寝ている間に実行されるので、寝なければいいし、または、ずらすという
方法もある。さらに、 クエチアピンとアメルを服薬しないと眠れないなどあり、とする裁決を援用すると、SNSのバカは、そのとおりにしなければならないので、同裁決を援用すると、
この魔術が解除されるという事実がある。
要するに、 傷病名ー広汎性発達障害(F84) 気に入らないことがあると大声を上げる
エスニック・スパイス系の屋台飯を出すキッチンカーや天然酵母パンの屋台、
陶器やアパレル(オーガニックシルクがどうとか書かれていたがオーガニックじゃないシルクがあるのか?)の販売店が並んでいた。
それらの店主達や、買い物をする客たちはおおむね白やベージュの色の薄い服を着ていて、
いかにも自然派という雰囲気だった。いわゆる「丁寧な暮らし」というものを営む人たちなんだろう。
あれだけの数の「丁寧な暮らし」族がいれば、その中に少数のサイコパス・殺人鬼もいるだろう。
「丁寧な暮らし」を営む殺人鬼はいったいどのような殺人を行っているのだろう。
自然派な彼女たちのことだから、当然重機や爆発物は使わないだろう。
包丁はアリか?いや、味の薄い、野菜や穀物ばかり食ってるであろう彼女たちは、
普段脂がまとわりつくこともない包丁で、人間を切ったりするのは抵抗がありそうだ。
しばらく考えてみたが、「丁寧な暮らし」殺人鬼が用いる攻撃方法は「投石」ということにした。
投石できる状況まで、どのようにターゲットを誘導するか考えるのは面倒だ。
いや、「丁寧な暮らし」族は生ごみ等は、微生物が混じった土に埋めて分解・肥料化するというのを見たことがある。
カンブリア宮殿でみたので間違いない。
投石で殺害し、微生物で分解、その肥料でオーガニックな農耕を行うのだろう。
大方の日本人の感覚に合わせて「侮辱的な葬り方」だと思ってるんだったらそれは単に故人に失礼なことを言ったってだけだし、
「鳥葬を侮辱と捉えるのはチベットの人に逆に失礼なんですけどwww」みたいなバリアを貼るために鳥葬という言葉を使ったんだったらそれはそれでしょうもないなってだけ
町山氏の鳥葬発言に対するブクマカの発言レベルが酷い、とても酷い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TomoMachi/status/1562794180383911937
gryphon リプライや引用リツで、安倍氏に対してではなく「鳥葬という異民族の異文化への偏見・差別ではないか」という指摘があり、ハッとした。
chakatan 彼らリベラルの言う多様性って欧米内の少数派にしか適用されないんだな。アジア、アフリカの文化は未だに遅れた野蛮な文化と思ってそう。
mcnurphy これ、鳥葬というマイノリティ文化に対するヘイトでしょ。小田嶋隆氏もそうだったが、宝島文化圏にあった人達がポリコレリベラル纏っても地金が出てしまうんだよな(従軍いやん婦とか)
町山氏の発言が下品なのは言うまでもないけれど、こうしたブクマカの発言も『文化的多様性』を誤った形で認識しているとしか思えない。
まず前提として、鳥葬に対して日本じゃ「怖い」「無惨」「打ち棄てられた死体」といったネガティブなイメージの方がベーシックだろう。
人によっては異文化への憧憬や厨二的なカッコ良さを感じることはあるかもしれないが(正直俺もロマンは感じる)、だからといって自分の家族の葬り方に鳥葬を提案されたら99%以上の人は「はぁ?」となるのは間違いない。
異文化として肯定的に捉えることはできても、日本では生前から特別本人が望んでいたという場合でもない限り、鳥葬は明らかに真っ当ではない葬り方だ。
そして、だからこそ、そうした文化的背景を踏まえれば、その文化圏内にいる人に対して鳥葬という言葉を使うことは、チベットなどの鳥葬文化の人々に対しての侮辱にはならないハズなのだ。
考えてもみてほしい。
例えば日本人の貴方は、誰かが厳格なキリスト教徒に対して「お前が死んだら来るべき日に復活できないように火葬にしてやるぜェ!!」と罵倒している場面に出くわしたとして「テメェは今、火葬文化のオレ達日本人を侮辱したァ!!」とキレるだろうか?
貴方がどうかは知らないが、普通に考えたら大多数の日本人はそんな風にキレたりしない。
それがなぜかと言えば、厳格なキリスト教文化圏では火葬が禁忌とされていることを、自分達とは異なる文化圏として認識し、そして尊重しているからだ。
その文化が何を尊ぶかだけでなく、何を"忌み"とするかも尊重するのが、本当の多様性だと俺は思う。
今回の町山氏の鳥葬発言に対してマイノリティ差別などと的外れな批判をしている人たちはそこを勘違いしているとしか思えない。
さあ分かったら、薄っぺらなポリコレポイント稼ぎとしか思えない発言にハッとするのではなく、俺の書いたこの増田にハッとしてくれ。
鳥葬だったら鳥に弱いのかよ
これがブコメに上がってて、なかなか的を射た指摘に思えた
ようは未だに日本文化はスピリチュアルに汚染されて、死ぬことによって一種の浄化が行われるっていう社会の妄想があるように感じる
自殺が多いのもこれな
これが賛成派(この中でも本当にアホと思えるのは、「私は死刑を仕方ないと思っているだけで賛成していません」とか言う間抜けな言説で、おまえ死刑を容認してる時点で賛成してるってことじゃないか。論理の破綻に気が付けないほどに脳内深くに死刑があることが自然で当たり前という、やべー思想を深く刻んでるんだけど、こういうこと言っても本人完全に脳が狂っていて悪いやつ殺すのは当たり前って思ってるし、この文章読んでも多分理解は出来ないと思う。)は、社会の枠組みが世界の真理であると錯覚しているというか、主観的になりすぎてて見えないんだろうな。
殺人を容認するのが野蛮。これにはどれだけの人が合意できるのだろうか。
条件付きなら人を殺して良い、ってのにはどれだけの人が合意するのだろうか。
自分の手さえ汚れなければ、条件付きで人を殺すべきだ、殺されて当然だ、殺されるのもしょうが無い、ってのはどれだけの人が合意できるのだろうか。
私刑としての殺人から、社会合意による殺人(死刑のことね)まで、グラデーションはあるだろう。死刑賛成派と死刑反対派もこのグラデーションの中で、どこに居るかにもよるんだろうけど、この手の話題だとそれぞれ相手の立ち位置を、極端に解釈して一方的に叩いてるように見えるんだよな〜
ちなみに、私の意見としては、自分の手さえ汚さなければ殺されるのもしょうが無いってのも、結構野蛮だし普通に死刑は反対。
可逆的なのもあるし、死刑よりも人権のほうが優先されるというイデオロギーがまともだと信じてるしそれが当たり前になってほしい。
監禁するのと死刑にするので死刑にするほうが軽い。みたいなサイコパスじみた感覚の持ち主が日本に多いよな〜って感じるのも、最初に上げたように日本にはびこってるスピ文化のせいで、なんか日本人は死んで目的を達成する、死ぬことで一人前の人生を終えてとにかく良かっためでたいぞ!みたいな心持ちの人が多い気がする。
私は人が死ぬのは人が死ぬ以上でも以下でもないし、死体とか燃やそうが土葬しようが鳥葬しようがどうでもいいし、人が死ぬことに意味づけとかして、死者を祭り上げて死者の栄光で他人を操作しようとしてるやつ見ると吐き気するんだけど、そういうのがまかり通ってるのが現代のこの国の実情で、
死ぬことに特殊な意味付けをしている人が多く、死ぬことで贖罪が行われるという、迷信の影響が色濃く残り続ける限り、(あってもしょうがなーいとか言ってる事象死刑反対派じゃない人も含め)死刑賛成の人が減ることは無いだろうな〜って感じです
お盆とかも止めたほうが良い気がするんだよなー。死者が戻ってくるわけ無いじゃん。やっぱり死を軽く見すぎていると思っていて、こういうと指摘された人はそんなこと無いって顔真っ赤にして否定するだろうけど、はたからみてたらやっぱり死後の世界とか先祖とか、そういうフィクションに多かれ少なかれ影響を受けていて、死を軽んじているふうに見える。