はてなキーワード: 環状線とは
もう蒸し蒸しして湿度が高いわ。
私何が苦手かって言うとあの湿度のむわーんとした感じに身体が包まれると活力が減るような気がするわ。
ステータス異常のところに「湿気」ってあってじわじわヒッツポイントが減っていく感じね。
このステータス異常には悩まされるわ。
そんな中電車の車窓から見える稲の畑いわゆる田んぼにはちょっと前から水が張られて苗が田植えされてたわよ。
梅雨の時期の苗の新緑も艶があって見ていて元気がもらえそうよ。
ただいつも思うのが、
田んぼってなんで水が抜けないんだろう?って思うと夜も寝れないこともなく、
寝る頃にはすっかり忘れちゃってるんだけど、
電車に乗ってみるたびに思い出すわ。
田んぼで作業してるトラクターの後を白鷺が追いかけてる様を見ると
そんな季節なのねって。
みかんの花咲く丘公園駅から南に行く電車に乗ると本当にもっと田園地帯で田園調布と間違えちゃうぐらいなの。
そして乗り継いで環状線に乗って、
ついうとうとして気付いたら、
乗った駅に到着していて一瞬環状線一周しちゃったことに気付かないことが。
でもそれ本当?って思っちゃうけど、
うふふ。
ライ麦パンを使った茶色いパンの野菜サンドイッチとオムレツサンド。
なんかいつも白い食材がちょっと茶色いと自然派!的な感じがするけど、
そういうブラウンってなんか身体によさそう!って思っちゃうのよね。
玉子だって白い玉子より茶色い玉子の方が栄養ありそうな気がするじゃない?
実際は変わらないんだって!
少なくとも餃子に関しては焼いてない白い餃子より焼いてあるナイスブラウンの餃子の方が絶対美味しそうに見えるのは間違いないわ!
私があなたの目の前で指パッチンするまでこの暗示は解けないわよ!
だから
今日のお昼は餃子にしない?ってケンタッキーにしない?の口調で隣の人に言って見てね。
スイカの香りがする麦茶ウォーラーをセッセと毎日作ってるのよね。
早く使い切りたいがために。
お昼も水筒に持って行こうと思ったけど、
家に忘れてきちゃった!
デトックスウォーラーだからってあの透明な瓶に入れておくと自意識が高杉産業になるから、
見えないように保冷の水筒に入れてってるのよ。
ちょっとプチショックだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大体俺らが聞くのは表面だけだから、そういう差別の話を聞くと「酷い!直さなきゃ!」って思って、外から色々言ったりする。
例えばジプシー差別、ジプシーは文化として家を持たず、ただそこに居るだけで迫害されているように日本では聞くけど、
実際の現地に行くとほぼヤンキーと変わらず、スリや万引きの犯罪に手を染め、レイプもする。そこで反抗したり、取り締まるとそこだけトリミングされる。
ユダヤ人差別も、実際1900年代、それ以前から莫大な富を独占し、インサイダーや地元企業潰し、恐慌を起こして空売りしたりして嫌われていたわけだ。
韓国併合も、実際は将来的な共栄圏の中で、西欧とは違う、ある程度のナショナリズムを残すためにハングルを見つけて普及させたり、
学校に行けない子供の為に国が予算を出して、階級制を無くして飯も行きわたらせるようにしたわけで。
男女差別も、実際は戦争や仕事、資本主義の面倒な部分を男に押し付けて、それによって男は地位を上げた所があって、
そういう実際の事情を知ると恐らく多くの人が「しゃーないな」で片付けられてしまうし、今までそうなってきたんだよな。
でも同時にしゃーないな、で片付けると、何もしていないジプシーやただ真っ当にやってきたユダヤ人、日本ではなく一国として認めてほしい韓国人、
「面倒な部分」を担当して武功を上げたい女、資本主義に潰されそうで別の道に活路を見出したい男なんかは救われないわけで
結局そうやって表面を切り取って民衆を扇動する必要があるのも「しゃーないな」って思ってしまう。
その一方で「差別を肯定する」一因となるような、ジプシーやユダヤ人による被害者は一生救われないわけだよね。
世の中には黒人差別とか、アヘン戦争とか、先住民狩りとか、「しゃーないな」で済まされない、本人たちもやべえな、と思いつつやっちゃってるものもあるから、
そういうのは潰すべきだし潰されてきたんだろうけど。
現代は誤魔化すのが上手くなったり、どっちが正義か悪かわからないものが増えて、確実に善悪を判断する難易度は高くなってる。
以前のような「絶対的な正義」ってのが無くなってると思うんだよね。というより、そもそもそんなものはなかったけれど。
寧ろ、アベンジャーズとか見てても「ヒドラ」とかいうアメリカが恐らく正義っぽかったころの悪をずっと引きずって、
もうその状態がクリストファー・ノーラン版のダークナイトみたいに「悪が居なきゃヒーローになれない、ヒーローが悪を生む」事になってしまっている。
理想は「被害者」も「加害者」も、そして「加害者の中の被害者」も救おうとする事が必要なのだけれど
「完全な被害者」でないとめんどくさいし救いたくない僕らにとって、それは無理な願いなんだよね。
国語の論説みたいに、「一人一人が意識をもって社会問題について勉強し、根本的に解決する姿勢が必要だ」
なんて言うのは簡単だけどムリなわけで。物事を二項対立にしか見ない「正義」を偽善者として叩けば解決しそうな気もするけど、それもまた偽善者として処罰されるわけで。
「トロッコ問題」で二つの選択肢、誰を殺すかってのがよく議論されるけど、実際の社会、そのトロッコは何処に向かうのではなく、環状線のように同じところをぐるぐると回ってるわけで
そのトロッコが自分を轢く前に寿命が尽きるのを願うしかない、そんな絶望的な営みの中で生かされているのだと思うとなんだか悲しくなっちゃうよね。
地元の電車は路線が一つだけだったので上京しても2年くらい電車の仕組みがよく分からなかった。
パスモでも可。スイカは便利です。500円払う価値あります。東京に住んでいて一々切符を買っている人は多分ほとんどいません。
私は「◯◯方面行き」という意味だと思っていました。△△線の電車の中でも路線の途中の駅までしか行かない電車があったりするので要注意です。終点駅では回送するため降ろされるか、折り返し運転になります。
山手線は線路が丸なので(環状線なので)「渋谷方面行」等と表示されています。
鉄道会社が別の◯◯線と△△線であっても、線路が繋がっていて今乗っている電車がそのまま別の路線に進んでしまいます。(乗換不要なので便利)
◯◯線に乗ったから終点で降りればOKと思って寝ていると別の路線に接続していて全く知らない駅に辿り着いてしまう可能性があります。
また、◯◯線のはずなのに全く知らない駅が行き先に表示されて混乱する、ということが私はありましたが、それは接続された△△線の終点が表示されているのです。
恐らく色々あると思うのですが詳しくないので自分の体験談を1つ。
高尾駅に行くために国分寺から中央線に乗るも、途中で全く知らない駅にいることに気が付き大遅刻。
原因は途中の立川から高尾に向かう中央線と、青梅方面に向かう青梅線に分かれていることを知らず、適当に乗ったため。(電車はどちらも同じオレンジ色)
おそらく立川駅で乗換えを促すアナウンスはあったはずだが、全く聞いておらず。アナウンスは聞きましょう。
エレベーターのドアと同じようなイメージで閉まりかけのドアに飛び込むと、思いっきり挟まれます。
他のお客さんに引っ張り出してもらったりして、電車に乗れたとしてもその後車内で大変恥ずかしい思いをします。
駆け込み乗車はやめましょう。
スイカを買おう。
行き先表示を確認しよう。
アナウンスは聞こう。
駆け込み乗車はやめよう。
以上です。
参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。
3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。
応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。
「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。
保育園の間は、ずっと会話は不成立。
3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。
確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。
テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。
しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。
たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡のCDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分で操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)
テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターでDVDは視聴可)
発語はあるが会話は成立しないのですから、小学校は当然にしてストレートで特別支援学級です。
集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)
「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運。安心すると精神状態が落ち着くんですね。
特別支援学級の教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。
言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます。
予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性を最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。
伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます)
息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロの距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。
電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板と写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効だから打ち明けますが、1区分の切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります。
地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。
実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネルが最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない。
ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女の存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから。
特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから。
家族での外出のほか、JRが沿線で企画するウォーキングに猛烈に参加しました。
参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。
他の子達と同様、かならず電車の最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞの超ローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。
あと英語のナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分で英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。
10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。
食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。
ヤフーキッズをブラウザのデフォルトにしたのと、使用時間に制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。
パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿な映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんとプリキュア(笑)
年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメや芸能関係の Wikipedia の更新もやってたみたい。
基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。
時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。
まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することなく喧嘩させる選択(妹相手に喧嘩の練習をしておけ、と)
3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。
その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。
小学校の入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。
無事に一人で(同級生と)行ってきました。
プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。
養護教諭のフォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。
奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級を希望。
2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。
しかも女の子! だけど家庭の事情(引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間に見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています。
その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。
気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりにキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意
(性的なことをやったわけじゃありません)
当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります。
中学校の特別支援学級の担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。
3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生に相談。
数学や理科は進度が全く違うという理由で NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK。
7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっと(ギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。
JRのウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名(都市の位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。
理科は小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。
その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格。
たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。
9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。
ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。
4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋は売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチな登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。
温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)
よって、うちの子たちは本当に頑丈です。
中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。
小学~中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特な子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。
同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。
とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります。
年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。
迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校の保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動とかに参加したわけだけど、先生の命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子も自分の言葉で挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。
高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRのウォーキング企画に一人で参加することを許可
前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。
コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃんと自分で交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長
学校行事か何かで、家から最も近い私大(偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてものが学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。
高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後の文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。
劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。
名探偵コナンのナレーションを意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分の世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。
審査と表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラスは最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。
進路指導の先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系・理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学に出会ったからです」なのだから仕方ない。
いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格は絶望的だろう、と先生から言われ、最初で最後のチャンスということで指定校推薦に応募
そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)
第一希望の学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系の大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコンの仕事はできるのよ。
劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。
高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学を卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。
完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。
ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。
運転経験は2ケタ年あるけど、首都高経験浅めな自分も色々共感。
特にクロス合流、ひどいよね…。4車線横断とかあるからね(「横断」してる数は2車線と数えるべきかもしれんが)。
案内標識の「銀座」は、「C1方面」と読み替えてます。CはCircleの頭文字で、環状線のことです。
ブコメ、勉強になりました。首都高ナビの動画機能、知らなかった(ルート検索すると、経路に沿った動画が見られる)。この機能、すごいな。
自分の場合、PCに首都高ナビマップをダウンロードしてあって、首都高通る用事があるときには事前に確認してます。サイトには「概略」と書いてあるけど、車線とか標識まで書いてあるから便利。しかも、路線図じゃなくて、ちゃんと縮尺正しい「地図」だし。
https://www.shutoko.jp/use/network/navimap/
あと、一部ブコメに。
トンネル内はGPS信号が届かないので、車両から速度情報を取れないスマホナビがロストしてしまうのは仕方ない。速度情報が取れる据え置きナビでも、GPSは高さ方向の誤差が大きいので(正確には、地球がきれいな楕円体じゃないからなのかな)、道路が重なっているところなどで間違えるのは仕方ない。
免許取った頃ナビなんて高嶺の花だったし、民間向けGPSにわざと誤差入っていた時期を経験してるので、ナビは参考程度と思ってます。
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くのが辛い。
5〜6日の内訳はこうだ。
1日ソープ(1日4〜6万円)
ソープが減ることと裏引きが減ることはある。派遣の事務は週4の契約なので基本は減らない。私が突発的に休むと減る。
小学生まではまともな人間の擬態ができていた。中学受験のため塾に通っていたのもあり、成績は良かった。
過食嘔吐とリストカット。度胸がないので傷は浅い。アラサー現在残ってはいるけれどそう目立たない。
母に電車で寝過ごしたから遅刻と伝え、体調不良のため遅刻と連絡をいれてもらった。私は体調不良でもなんでもなく、ただ環状線をうとうとしながらやりすごし、3〜4限目から学校に行った。
大学にはいり、生活はいよいよ破綻した。大学に行かないので当然単位は取れない。とくに宿題のある講座が苦手で、宿題ができていないために出席ができない講座がいくつかあった。語学系の講座と、学科の必修科目だった。
大学1年の夏、チャトレ的な仕事で稼ぐ予定だった出会い系サイトで援助交際を知り、サークルの先輩で処女を捨てていわゆる援交少女となった。
大学5年目の秋、卒論の提出期限を家で過ごして安堵したのち、自分の現状が不安になって「やるべきこと できない」でGoogle先生に聞いてみた。
実家から一番近い"大人のADHD"を扱う精神科医にかかり、心理検査などを受けてあなたはADHDですねという診断を受けた。
大学が県内でいちばんいい私立大学だったこともあり(中学受験をした学校の付属校だ。成績が悪くても推薦入学が可能だった)、大学を辞めるのはもったいないのではと主治医に言われた。
私は6年目を過ごしたのちに大学を卒業する自信がなく、親に診断結果を告げて大学を5年で退学した。
実家を出て、インターネットで知り合ったデリヘル嬢と暮らしはじめる。彼女に紹介してもらい、デリヘルで働く。
実家を出て2年目の夏、両親に今の仕事を心配されて正社員になる。第二新卒に強い転職サイトを利用した。
しばらくは順調だったが、友人との関係がこじれたことをきっかけに鬱状態になる。
高校時代学習塾に思うように行けなかったり、大学時代軽音部の課題キーボードが進まなかったことで自殺を図ったことはあったため、彼女が悪いとはとても言えない。
鬱状態になってから、それまでの趣味が色褪せていたこともあり、精神科にかかる。
私の主訴は、見捨てられ不安からの鬱状態だったためか、双極性Ⅱ型の疑いを持たれ、躁鬱向けの投薬をされていた。
ご存知のかたも多いとは思うが、精神科を予約するためには1〜2ヶ月待つ必要がある。私が待っている間に友人との関係はゆっくりと改善され、主訴はADHD的な、毎月1日くらい当日欠勤してしまうとか、仕事中ねむいとか、集中できないとか、そういう内容になるはずだった。
主治医はADHDよりも躁鬱を優先すべきだと言った。わたしはADHDが自己否定感情の由来であり、躁鬱の原因なのではと話した。
私が大学時代検査を受けた病院の診断書を今の病院に届けるのをめんどうがり、そうこうしているうちに職場へはどんどん行かなくなった。
職場に行けていないことや、風俗で生計を立てていることをきちんと話せない病院なら通う意味はないのではと思い、病院に行くのをやめた。
有給がなくなったことをきっかけに、職場を1ヶ月休職した。1ヶ月間給料はもらえなかったがのびのびと過ごした。
生活のなかで、私のできる仕事は今の職場の仕事だけでなく、もっと選択肢があるのではと気付くことができた。
(休職するまでは、そのとき勤めている会社で働けないことはすなわちふつうの会社に勤めていけないことだと考えていた)
仕事を辞めて、派遣の仕事を探しはじめた。私は自分で面接をセッティングすることを避けていたし、できればフルタイムではなく週3〜週4の仕事をしたかった。
派遣先は大企業で、仕事は暇だ。私がいなくてもまわっていく職場にいるとはっきりと言える。
私の当日欠勤の癖はなおらない。朝起きて、仕事に行くことがどうしても無理な気がしてしまう日が月に1〜2度ある。
ソープや裏引きの日も合わせると月に4〜5度ある。
今はマネージャーやソープの店員、裏引きの相手に連絡することで休みをいただいているが、次の派遣先はこうもいくまい。あるいは、今の派遣先でもすでに私の欠勤は問題視されているかもしれない。
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くことが難しいと感じることがよくある。朝行くことができないと感じたり、遅刻してでも出勤できないと感じたりする。
宿題のある講義が苦手だったことを踏まえると、在宅であっても仕事ができるとは思えない。
もしかしたら、毎日家まで迎えに来てくれる人がいることで私の当日欠勤癖は治るのかもしれない。でもその人の給与は誰が払うんだろう。
森友加計やイラク日報問題で勢いを増すリベラル勢であるが、現国会が始まる直前まで安倍政権はより若い世代により高い支持率を得ていたことはもはや忘れられている。安倍政権倒閣後の次の首相は外交軍事大好き石破が最右翼と考えられる。その顔の怖さ・ねっとり話法から長くは若い人の支持は続かないと想像される。では、次は誰か。一部報道機関は小泉息子という可能性を論じている。小泉息子はかつて"悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか"と発言し、多くのリベラル勢を恐怖のどん底に叩き落としたのも記憶に浅い。かつての首相父・純一郎が実施した非正規雇用に関する緩和策もまた同じく。リベラル勢は笑ってはいられないはずなのである。今や40%が非正規雇用とも言われる時代、多くの国民が日々怒りと憎しみを日々堪え、苦しい生活を耐え忍んでいる。そんな中、リベラル勢は沖縄旅行ばかりを楽しみ、戦争反対と嘯く。なぜか。沖縄辺野古基地移設反対運動が多くの国民の"不幸"の手助けになる行為であろうか。原発反対運動・安保法制反対運動もまた然りである。それが最も緊迫する問題か?答えはNoである。"景気対策"。この4文字が安倍政権を支える最大の宣伝文句に他ならない。ところが現実は円安誘導にともない、ごく一部の大企業幹部が利益を享受しほくそ笑んでるだけ。千代田線大手町駅前の経団連会館ビルディング前。至って平和である。警備員の数も手薄。首都高環状線を走る車両の騒音に打ち勝つ程のデモ活動などできるはずがないと弱気になっているのであろうか?そもそも発想が無いのか。"代案は?"という質問が罵詈雑言にしか聞こえないのであろうか?
日々マップが変わるという、
よく地下で道に迷ったら地上に出たらいいが、もはやリレミトも効かないダンジョン。
なぜか北と南が逆になって南が上になってる地図とか!
北だと思って出口を出て歩いて行って
なんか方向がどう考えてもおかしいと思って戻ったら
地図がそう言うことだったのよ。
てっきり北が上向きという固定概念をも疑わなければならないわ。
で、やっとたどり着いたデパート。
今本館なのか新館にいるのか迷ってしまう、
目的の8階に行ったと思ったらお目当てのお店が全くなかったりと
南米だわって思うわ。
うふふ。
この週末はちょっと遠出してたの。
無事家に着いてよかったわ。
大都会は疲れるわね。
そろそろ苺も取り入れたい
苺の季節。
初心者は色々な組み合わせより
シンプルなので始めたらいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
パナソニックの広告に出てるタレント。川北麻衣子さん。はい。ドライヤーね、へー。っと。
(あー、河北麻友子さん、ね、指摘ありがトン)
だけど。この違和感。
こんなに、若かった?とか。前から出てたよねとかって。顔全然違うじゃん。
ヤフーニュースの方と、週刊誌のゴシップ記事で、違いが明瞭になった。
川上麻衣子と川北麻衣子の区別がついてなかったんだ...オレ。
やっと分かった。
(森下千里と森高千里の違いは、分かってたんだが。紛らわしいよな)
【追記...】
川北麻衣子ではなくて、河北麻友子、おおこれは、とんだ間違いを。川上麻衣子と河北麻友子の区別だったのか。
(意図は、辛うじて通じたようで何よりかな。)
豪華寝台列車で食べた、
超高級電子レンジでチンした奥義の丸大ハンバーグの味忘れられないわ。
走り出したってニュースで見たわよ。
ある部屋は2階のジャグジーで夜空を見ながらジャグジれるんだって。
トンネルの時どうするのかしら?
まあ、そんな列車、
超高値な高嶺の花だけど、
私思ったんだけど、
ぐるぐる回る環状線ってあるじゃない、
帰りに牛丼食べれるし、
ビアガーデン気分よ!まさにヘブンだわ。
ずっと回って走るから乗り過ごしても、
それか、原点回帰して、
昔はよく駅にあったキオスクも少なくなってきたじゃない、
それを車両にして走らせるの、
あれ買って帰ってきても、
家で食べてもなんか素っ気ないのよね。
つくづくそう思うわ。
あらやだ、
なんだか旅したくなっちゃったわ。
出発しんこー!!!
とってもヤミー
サンドイッチって
毎朝食べてるけどなんてステキなのかしらって思うわ。
トマトもなかなか、
私は嫌いじゃないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!