はてなキーワード: 物言いとは
えー、悩み相談というのはそれを相談という形で他者に解るように言語化してしまう過程で、すでにその悩みの解法が一目瞭然誰の目にも明らかになってしまうということがまま起こるものでして。
それを他者から見ると「この人はなぜこのように自明なことで悩んでいるんだ?」などと不思議に思われてしまうものですが、一人で悩んでいる間はそにれ気づかないものなんですよね。
で、この場合もまさにそのケースで、きっともう御本人的にも悩みの答えというものはほぼ言わずもがなな状態だろうとは思いますが、一応ご相談へのお答えというものをここに返してみようと思います。
先ず、ご相談の元増田様がなぜ恋人を作らなければならぬと思っておられるのかという点についてですが、これは一読すれば誰もが解るように、
「自分が恋愛というものから落伍しているという烙印を押されることへの不満、あるいはすでに貼り付けられたレッテルを払拭したいという願望」ということに尽きるでしょう。
世間体とかプライドとか言われるものでしょうか、切実な悩みですね。
発端がそのようなものですので、元増田様が交際相手への条件として"自分と同程度の社会的地位及び容姿"を求めるのは、これもまた自然な話だと思います。
世間の目からも己の内的な目からも落伍者の誹りを受けないためには、一定程度の市場価値のある相手でないと困ります。
で、ここからが難しいのですが。元増田様が求めているのはそのような"ステイタス"であるにもかかわらず、ここにさらなる付帯条件がついてきます。
それは「ちゃんとした恋愛らしい恋愛がしたい」ということです。元増田様の表現によるなら「ちゃんとゆっくりお互い中身を知り合ってからちゃんと付き合える」ということになります。
なんということでしょう、元増田様が欲しているのは飽くまで"交際という実績"であるのに、そこに"形式的でない本当の恋愛"という矛盾した制限がかかっているのです。
解ります、
「恋愛のために恋愛するのではなく、真の恋愛(って何?)を演じることが出来るのだということを証明しなければ恋愛出来ないという誹りを免れ得ないのだ」
と考えておられるのは。
しかし、ここで「己のプライドの問題を解決する」という動機と「他人とお互いの中身を知り合ってちゃんと付き合う」という手段は決定的にすれ違っています。
だって元増田様は別に他人の中身になんて興味ありませんし、ここまで詳らかにしてきた貴方の中身を他人に知ってもらうつもりもありはしないのでしょう?
少なくとも貴方がおかきになったこれまでとこれからの中に、他者の中身に対する期待や不安、己の内面を受け入れて欲しいという渇望、のようなものが読み取れる箇所は一箇所としてありません。
持って回った物言いになってしまったので話をまとめると、元増田様は今の所他者を渇望する内的な動機はないが、ちゃんと恋愛出来るのだという証明はしたい。という現状にあります。
そのような中途半端な義務感で恋愛に取り掛かろうとするから良くないのだというのが答えになろうと思います。
学生時代の勉強のことを思い出してください。「なぜ勉強しなければならないのかは正直わからないが、やらないといけないものらしい」というように強制的にやらされるだけだと、
能率は上がりません。これが中途半端な義務感と私が言うところの状態です。
まあ勉強だったら別に能率が上がらないだけで、それでも出来るとは思うのですが、これが恋愛になると相手がいるものです。中途半端な義務感で相手を愛そうとしても、
相手から返ってくるのはやっぱり中途半端な義務感だけ、ということになりますでしょう? それは本意ではないはず。
で結局どうすればいいのかということですが、どうでしょう、ひとつ恋愛というものに対する興味をすっぱり忘れ去ってください。
そうした上で「そういえばかつて私を苦しめたあの恋愛というものは一体何だったんだ?」と、改めて興味を持ってください。
この時貴方にはかつての貴方にはなかった"批評性"というものが備わっています。そしてこの興味の持ち方ならば、
あなたの恋愛に対する興味は誰かに押し付けられたものではありませんから義務感もなく、"自分"と"恋愛"の間に適切な距離感を保ちながら取り組むことが出来るはずです。
とまあ、この処方箋部分はご参考程度に、その前段までの矛盾点の解説で大凡貴方がなぜ"恋愛"に苦しめられているのか、というのはお解りになるはずで、
その解決については自分なりに好きな方法をとってください。良い恋愛が貴方に訪れることをお祈りいたしております。
余談ですが、私はよく人生相談に乗ると相手のことをバカにしていると誤解されることが多いのですが、そのような気持ちは一切ないとここに弁明させていださきます。さようなら。
いやー、よくそこまで想像を膨らませられるものだと逆に感心したわ!
ツンケンキャラはネット上だけのものですー。リアルでは物腰柔らか(笑)でキッチリしていて礼儀正しいペルソナを被っています。
地味とか言うなよ! これでもオシャレさんキャラで通ってんだよ!
服の組み合わせ方が上手いんだよ。って自分で言うなよ!!
表参道のヘアサロンでカットしてもらって家で500円のヘアカラー使ってセルフで髪染めてるんじゃい(ちなみに色は落ち着いたダークブラウン)。
「本当は女の子っぽいものに憧れてるけど、コンプこじらせて劣等感もってるために中性的な格好をしてぶっきらぼうな物言いをする女の子」とか、「生活指導のうるさい先生が実は乙女チックなもの大好き」
勘弁してくれ……。なんで「本当は女の子っぽいものが好きに違いない」になるんよ。子供のころからブルー・グリーン系の色が好きでピンク色は好きじゃなかったし、少女漫画より圧倒的に少年漫画派だったし、勝手に人の内面を憶測で決めつけないでほしい。
変に抑圧されてかわいそうだからフォローのつもりで「気にしないで好きな服きたほうがいいよ」って言われてるのでは?そうでなければ、いい大人にわざわざ「女の子っぽい」「花柄とかピンクとか似合いそう」とか言わないし。
私の好きな服は「私に似合う服」「私がより映える服」です。
似合いさえすればスカートもワンピースも着るしヒールもふつうに履く。
ピンクに関しては色んな色調のピンクを試したけどことごとく似合わない。
たぶん私が(事情があって)やばいレベルの色白なので、思い込みでピンクを勧めてるのかもしれない。花柄に関しては「バカっぽいね」と言われてるような感じがして嫌だし意味がわからない。
喋らなければ(もしくはキチンとした態度を崩さなくていい相手であれば)あまり舐められないんだけど、フランクな態度で喋らないといけない相手だと「○○さんって初めは大人の女性って感じだったけど……」と言われ始めるんだよ。
長くなったので分割したやつのつづき。前のは → https://anond.hatelabo.jp/20180402204454
11話まで。
「よりもい」ってのは「宇宙よりも遠い場所」のひらがなの部分だけを読んで「よりもい」。この手の略称は「はがない」以外に定着した試しがない。
正直にいうとストーリーはそれほど好みじゃない。序盤で「わたしを馬鹿にしやっがって、ざまあみろ!」みたいなシーンがあったけれど、なんとも思わなかった。
ツイッターで「抑えるべき感情をあらわにした、その正々堂々たる姿勢に感動した」という旨の感想を見て、なるほどなあと思った。
あのシーンに感動しなかった理由はふたつ。ひとつは、単純にああいうストレートな物言いをあまり好まないこと。
もうひとつは、情熱に満ちた人を小馬鹿にする人間というのは、自分の言ったことをたいして覚えていない、深く考えないことがほとんどだから、「ざまあみろ!」と言ったところで、「クソ!してやられた~!」なんて思わないということ。何事もなかったかのようにスルー。いじめられた側はいじめの記憶が脳に焼きついているけれど、いじめっ子はまったく覚えていないことがよくある、というのに似ている。
こんな考えだからか、ストーリーにはあんまり入っていけなかったし、最後どうなるかがそんなに気にならない性格なんでラスト一歩手前で視聴終了。じゃあ、なにを観ていたかというとアニメーションの出来の良さとギャグシーンだ。
まず、キャラデザ。美形のキャラと美形じゃないキャラがちゃんと描きわけられている。かといって、美形じゃないキャラもちゃんとかわいく描かれている。このバランスの良さがすごい。
つぎに、テンポの良さ。軽すぎず重すぎず、適度にギャグシーンが挟まれ、見やすさと納得感をうまく両立させている。最後に映像の鮮やかさ。地味なシーンでもアニメーションの鮮やかさが加えられ、青春の輝きがうまく描写されている。
まあ一言でいうと、マッドハウスのアニメーションが好きだなあ~!ってことだ。マッドハウスは好きなんだけど、なかなか好みの内容のものをやってくれないからフラストレーションがたまる一方(森見登美彦はもういいよ……)。でもマッドハウスにはこれからも期待してるし楽しみにしている。
七話まで。
アクションシーンは手間がかかっているわりに楽しくないし迫力もいまいち、もっさりしているように感じた。コクピットの露骨なエロ要素は、変に視聴者を絞っているだけだからやらないほうがいいし、やるならもっと徹底してやってほしい。
一話から六話までのストーリーは主人公の挫折と苦難と達成の話でそれはいいんだけど、スランプに悩んでいてそれを解決しようと積極的に行動している主人公が、うじうじしているように見えるのはもったいないと思った。
設定をつくり込んでいるのは好意的に見ると察することができるけど、画面からその設定の奥行きが匂ってこない。なにかのメタファーっぽい設定(パラサイトと呼ばれるパイロット、男女がエロ態勢で操縦するロボ、パパと呼ばれる上層部など)もそんなのもういいよ……としか思えない。
いまどき、うじうじして許されるのはシンジ君くらいだし、メタファーをやって許されるのはイクニ監督だけだ。つまり九十年代の覇者の特権だ。
あと、キスってなあに?ってのは古臭いしEDのセンスもちょっと古い。大人と子供がどうたらってのもどうでもいいし七話の展開はいまさら一話みたいな展開をしてどうするさっさと話をすすめてくれ一話完結だとしてもおもろくねえよ次回予告を見ても話がすすみそうにないしもういいや。
たぶん深夜アニメを見慣れていれば見慣れているほど中途半端さを感じるんじゃないかと思う。
七話まで。
留年という萌えにまったくつながらない設定をどう調理するんだろう?という興味で観つづけたけど、余計な設定でしかないというのが結論だ。
留年設定もそうだけどキャラの関係性もいまいちだし、話の起点が留年以外になにもなく、その結果、下ネタに頼らざるを得なくなるという始末。日常系で露骨なエロは悪手だ。
あと、無駄にもにょもにょ動いてたのはなんだったんだろう?その八割以上がかわいい動作でもないし、演技でもなかった。手間をかけていたわりに作品の魅力に全然つながっていない。
この作品は、かわいければそれでOK!という萌え玄人にしかおすすめできない。
六話まで。
バトル系のラノベアニメとしてよくできていると思った。展開は少年マンガのように熱いし、将棋のことをほとんど知らないから解説の多さも鬱陶しくないどころか、ありがたく感じる。
ローキューブが切り開いた(?)ネタ系のロリも貪欲に吸収していて、作品のエッセンスになっている。念のためにいっておくが、作者はロリコンではない。将棋とロリ系作品を研究した成果がこの作品だ。
でも、いまいち好みじゃなかった。窮屈さを感じた。
どういうことかというと、ありえなさそうな、おもしろい設定・状況のほとんどに現実の将棋界の根拠があるのがなんか嫌だった。
たとえば、マントをつけて試合に挑む棋士。ありえねえ~とおもしろがっていたら、どうもこれは将棋ファンならだれでも佐藤天彦名人が元ネタになっているとわかるらしい。
ほかにも、試合中に喋りまくったりするのも一応は可能らしいし、一番ありえなさそうな、女子小学生が住み込みで弟子入りですら実例があるらしい。用意周到すぎる。
なんでこんなに用意周到に現実とリンクさせてるかっていうと、現実の将棋界がおもしろいからってのももちろんあるけど、ネット上でのツッコミ(叩き)を避けるためだ。
ありえない設定・状況・展開に「こんなのありない!現実的ではない!このアニメは糞!」となんの考えもなしで書き込む輩が大量発生するけれど(ここ五、六年でさらに増えたような気がする)、それを避けるためだ。こういういまの状況は窮屈だ。木を見て森を見ないどころか、木も森も見ず、枝がたった一本折れているのを見ただけで、みんなで寄ってたかって糞!糞!と叩きまくる。SNSの時代の窮屈さ。それに巧みに順応している原作小説ひいてはアニメ作品にも窮屈さを感じてしまった。
七話まで。
一言でいうと萌え以外のポテンシャルが低めのダリフラ。設定を詰めこみすぎて、うまく回せていない。
とくに序盤はダメで、いちおうフックらしきものはあったけれど雑然とした展開の犠牲になっていたし、急な展開に無理やりキャラが動かされている印象があった。やっぱ序盤でコンセプト・ストーリーの展望をはっきり打ち出すのは大事だよ。
それでもなんとな~く観つづけたのは古き良き萌えアニメの匂いを感じたからであって、途中からストーリーや設定が見えてきたものの、なんとな~く観るのをやめてしまった。
でも嫌いじゃないし録画はまだ残しているし、春アニメがつまらなかったらなんとな~く視聴を再開するかも。
五話まで(一話未視聴)。
ネットでの評判がよかったのでひさしぶりにプリキュアを観てみたけれど、なんかいろいろテーマ性やらメッセージ性やらが、これでもかとてんこ盛りで鬱陶しかった。
力のプリキュアがフィジカルの問題で苦悩する、つまりみずからの強みが強いがゆえに自分自身を苦しめる、というのは女児向けアニメには難しすぎるよ。
でも、今年のプリキュアが世の中の大半の教育者よりもまともなのはよくわかった。道徳教育よりは断然まともなんで、作中キャラと同年代の中学生に観てもらえればいい影響があるんじゃないかと思う。
こういうことを書くと、子供を馬鹿にしすぎだ、完全に理解はできなくともなにか大切なものは伝わるはずだ、とか言う人がいるけれど、ガキの頃に観た「オトナ帝国の逆襲」になにか大切なものを感じたかと問われれば「とくに感じなかった!」と言い切ることができる。たしかに、しんちゃんが東京タワーを駆け上るシーンは印象に残ってたけど、ただのお涙ちょうだいモノとの区別がつかなかった。まあガキだったからしかたない。「オトナ帝国」で感動・感心するのは大人だけの特権だ。
子供が楽しんで観れて、大人も唸るテーマ性・メッセージ性を組みこむバランスは、女児向けアニメのなかではやっぱり「プリパラ」が頭ひとつ抜けてうまい。とくに、このあいだ最終回を迎えた「アイドルタイムプリパラ」の後半部分の夢を巡る物語はとくにうまかったと思う。
アニメ作品としては良作になるのかもしれないけど女児向けアニメとしてはちょっと間違っていて、キャラデザが萌えに寄っていて好みだっただけに残念だった。
【小泉さん】二話まで。食べるとき不必要にエロい顔するのいい加減やめてください。ラーメン屋行ってとなりにああいう奴がいたらどう思うよ?
【バイオレット】二話まで。京アニの高級感ただようアニメーションが好きな人は好き、嫌いな人は嫌いってだけの、ある意味とってもわかりやすい作品。
【シトラス】二話まで。百合という枠・様式に甘えすぎ。内輪で評価されても外では通用しない。
【ビートレス】二話まで。この原作小説をアニメ化するのに必要なクオリティが全然足りていない。まあディオメディアだしね……。原作ファンには同情する。
【たくのみ】二話まで。こういう雑学系のやつはマンガで事足りる。あと不必要にエロくするのはいい加減やめてください。
【戦記】二話まで。硬派なの?軟派なの?どっちかに振り切ったほうがいい。サクサク進みすぎて戦記物なのにあっさり感がある。
【ハクミコ】三話まで。マンガ喫茶で既刊全巻読んじゃった。そのほうが手っ取り早いしおもしろい。
【恋雨】三話まで。マンガ喫茶で既刊全巻読んじゃった。そのほうが手っ取り早いしおもしろい。
【メルヘン・メドヘン】二話まで。ダメなアニメ化の典型。二話までの展開は20分あれば余裕でやれる。「俺様ならもっとおもしろくアニメ化できるぜ!」なんてズブの素人に思わせちゃいかんだろ。
■事の起こり
俺は夜の大体定時(22時頃)チャットを立てて、ゲームを楽しんでいた。
ところで、そのチャット(以下雑談チャット)は普段は雑談ばかりであまりゲームのプレイ自体の研究をしていなかった。
そこで別の人間が、ゲームプレイ研究のチャット(以下研究チャット)を週一で立てることを提案。
それ自体は素晴らしいことだと思う。
ところが研究チャットも22時開始となり、雑談チャットと研究チャットが並行することになった。
明確には決めていなかったが、雑談チャットは俺が立てるものとなって居た。
そこでアンケートを取ることにした。
票は割れたが、最終的に6:4で両方のチャットを開くことに票が入り、週一で複数のチャットが同時進行することとなった。
別に俺はそれでいいと思った。うちのコミュはガチガチの効率厨から、エンジョイ勢までがゆるく同居しているのが特徴だからだ。
■何故か物言いがつく
ここでメンヘラ女(推定)(以下メンヘラ女)が登場。雑談チャットで2人になった時に、文句を言いだしたのだ。
文句の内容を要約すると
「あなたが毎日定時にチャットを開くことで、他が萎縮してチャットを立ち上げなくなる」と言うものだった。
コミュ自体には1チャットしか立ててはいけないと言う縛りはなく、管理権限も設定されていない為、
誰でもチャットを立ち上げることができるようになっていた。
その空気を潰しているのが俺で、アンケートはそれを助長するものだと文句をつけられたのだった。
■平行線
定時にチャットが開いていることが確定していれば、その時間帯にログインする人間が増えるだろうと言う考えに基づいたものだ。
一方メンヘラ女は特定個人によって定期的に開かれるチャットはコミュに参加している人間の自主性を奪い、
ひいてはコミュの衰退につながると主張する。
しかしそう言う割に、自分がチャットしたい時は勝手に立てると言うので、時間が不定期になることは分かっていた。
どれだけ話しても無駄であることは明白であるチャットは1時間ほど続き、
最後は「私は私の自由にさせて貰う」と捨てゼリフをはいてメンヘラ女は雑談チャットから退出していった。
先に書いてる通り、俺は22時でほぼ定時にチャットを立てていたが、21時や20時にチャットを立て、説明文はほぼコピペと言うものであった。
おいおい、特定個人によるチャット立てはコミュ衰退につながるんじゃねぇのかよと俺はつっこんだが、
最初の雑談チャットでのやり取りの時点で話が通じないタイプの人間であることは理解済み。
ようはメンヘラ女はチャット立てをすることで感謝されたいのだ。
自分が礼を言われて気持ちよくなりたいが為にチャット立てに乗り出してきたことは明白だった。
俺は定時の雑談チャット立てはメンヘラ女に譲り、別途、協力プレイ用のチャットルーム(以下プレイチャット)を定時で立てることにし、棲み分けを模索した。
まぁしかし俺だって人間だ。経緯が経緯だけに頭にきていた俺はTwitterに読めば分かる皮肉を投稿した。
これは正直まずかったが、俺も俺で相当頭にきて居た。
三日三晩耐えて、それでも冷えなかった怒りを140文字にめいいっぱい詰め込んで吐き出した。
■第二回平行線
さて、そのTwitterをみたメンヘラ女から個別メッセージが来た。内容はまぁ予想通りのTwitterへの反論だ。
で、メンヘラ女はコミュで大きな影響力を持つ別の女性に助けを求め、その女性からもう一回二人で話し合うよう雑談チャットで促された。
俺はどうせ話は平行線になるだろうことは予測できていたので、断ったのだが、ヒエラルキー的に最上位であるその女性の命令には逆らえず、個別のチャットルームを立てた。
そこで、またメンヘラ女と不毛な会話を繰り広げることになった。
コミュへの方針は平行線のまま、Twitterでの嫌味に対する反論や、個別メッセに対しての反論等。
1時間くらい話したが、そもそも大本のコミュへの貢献姿勢についてが平行線である以上、話は前にも後ろにも進まない。
しまいには泣き出すメンヘラ女(この時、相手はボイチャ、俺はテキストチャットだった)。
「私と仲良くしたくないんですか?」
知るか。もともとふっかけてきたのはてめぇだろうが。
ついにTwitterの投稿へリプやふぁぼりつをしないことまで責めだされる。
俺は基本Twitterはコミュツールとしてみていないから、リプを飛ばす習慣がないことを説明しても聞き入れず。
■結末
メンヘラ女はあくまで、自分がチャットを立てたい時は勝手に立てる方針は崩していない。
だが、事情も事情であるし、コミュの衰退も望ましくないと考える俺は、定時雑談チャットとプレイチャットを並行して立てることにした。
話の通じないメンヘラ女と仲良くしたい奴はそっちに行けばいい。
問題があるとすれば、そのメンヘラ女は既婚者だがオタサーの姫のような扱いを受けていることか。
メンヘラ女本人とはもう直接会話することもないだろうが、周りの取り巻きが勝手に攻撃してくるのは鬱陶しい。
その為にコミュを盛り上げようとしているのに、思いっきり冷水をぶっかけられた気分だった。
■おまけ
俺もメンヘラで療養中の身で気分の浮き沈みが激しい。
こう言うことがあると、心底堪える。
「共産・志位氏『首相は知らなくてもアウト』文書改ざん」
首相は「知らなかった」というが、公文書改ざんは国民主権、議会制民主主義を破壊する犯罪行為だ。知っていたらすぐにアウトだが、こんな大事なことを知らなかったら、それも行政の最高責任者としてアウトだ。https://t.co/yCEfQ0xI84— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年3月25日
今日はそういう気分じゃない、
そういう時ない?
全然ない。彼氏と一緒にいたらずっとくっついていたいし、その延長でセックスしたい。
「そういう気分じゃない」ときの彼氏はフェラすらさせてくれない。おかしい。ネットを見れば女の子を性欲処理の道具としか見ていない人がたくさんいて、私の彼氏の趣味垢とか裏垢を見る限り彼氏もそういう思考回路を持っているはずなのに、全然性欲ないの。
朝はしたくない、私が口で勃たせても疲れちゃう、の一点張り。そのまま乗っかろうとすれば、ゴム無しは絶対にダメ。君のためだよ。
まだお互い学生だから、ゴム無し拒否するのは偉いと思うけど、にしても性欲が少ない。
もちろんしてくれる時は色々工夫して楽しませてくれる。私も彼氏を楽しませて気持ちよくできていると思う。でも回数が全然満足いかない。毎日3回したいとか無茶な要望してるわけじゃないのに。せめて週2回でいいのに。
もっとたくさんイチャイチャしたい。なんで、どうしてってそればっかり思う。何がダメなのって。
趣味垢でフォロワーとエロGIF貼りあって盛り上がったりしてたじゃん。裏垢なんて女の子に人権はないもの風な物言いしてるじゃん。
それなのに私に対してはお姫様扱いで、それは凄く嬉しいけど、女の子だって好きな人とはたくさんシたい。好きな人になら多少酷くされてもいいんだよ。でも「そういうのが目的で付き合ってる訳じゃない」て、私だってもちろんそうだけど、でも恋人としか出来ない事だし。友達との明確な線引きはそこにあるじゃん。
私のこと好きで告白して、童貞までくれたんじゃないの?て毎回頭の中がグルグルする。君が最初にしたいって言ったんじゃん、君が言い始めたことなのにこんなのないよってずーっと思ってる。
無料の風俗として彼女が欲しかったんじゃないの?て聞いても、全然違うしそういう風に俺が振る舞ったことある?ないでしょ?どうしてそんな悲しいこと言うんだって。ツイッターの思想を見てるから、ていうのも伝えたら「あんなの全部冗談だよ!」と。
だからネットで女性蔑視してる男の人ほど、そんなものなのかとふと思った。みんな言うほど性欲なくて、私の彼氏みたいに本人も性欲が少ないことを凄く悩んでいるから、だからなんか色々紆余曲折を経てそういう過激な思想を敢えてネットでは披露してるのかなって。ネット弁慶的な。
男の言う歩み寄り2
新婚夫婦の歩みよりって何ですか?
タイトル通り、「歩みより」について教えて下さい。
友人や同僚が私の事を「共働きで、毎日お弁当作ってくれる奥さんで幸せだね」などと褒めてくれると必ず否定します。
「作ってるだけで、味は保証できませんが。。」などとです。
私達は同じ会社ではありませんので、後日そういう話しを夫から聞きます。これは一例で、万事がこんな感じです。
先日、夫に家事に対しての評価ゼロ、ダメな主婦と言われてるみたいで悲しいから言わないでと伝えました。
すると夫は、誰もそんな事思ってない。言い方は変えられないと言ってきました。
私は自分が無意識にした事で相手を悩ませ、悲しい気分にしてしまったのなら、次からそうならないように努力します。夫に対してなら、尚更です。
しかし、夫はそれは価値観が違いだから、お互い歩み寄る努力をすべきで、私が悲しいからと言って夫の物言いを直そうとするのはおかしい!と言います。
歩み寄るって事も解りますが、でも今回の件に対しては違うと思うのです。
歩み寄りって何ですか?
お前この物言いほんっっっっっとーーーーに大好きだな
○調子
はややー。
さすがに、昨日あれだけゴネにゴネて媚を売っただけに、一切僕に非がないようなバグ対応でも残業した。
いやもう、仕事ができるって本当にありがたいので、
「は? そんな急がんでいいでしょ、明日の定時中にならしますよ」みたいな乱暴な物言いは今後避けて、
「へへー! おやびんの靴ぺろぺろぺろぺろぺろおおおおおお!!!」ぐらいの勢いで楽しく残業させてもらおう。
いや、これ来週には喉元過ぎればで、すっかり忘れていつものような態度をとってそうだけど。
デッドラ3DLCと、携帯ゲームを何か一つぐらい今月中に遊びたいなあ。
●3DS
○ポケとる
Sランク683個。
残り、17個。
さすがに、はじきやタイプレスが揃ってないと、この辺でノーアイテムは辛くなってきた。
とはいえ、これを上限解放しないといけないみたいなので、先は長い。
○お便り返信
お便り返信です。
貯めると後が大変なので、ちまちまお返ししようと思います。
今日は、3月13日のトラバまで。(トラバとブコメは、トラバ優先)
ベイビーステップおすすめ。主人公何度も何度も負ける。しかし、神がかった面白さのテニス漫画 - jou2のコメント / はてなブックマーク
マガジン買ってた頃は連載でちらほら読んでてて「まとめ読みした方が面白そうな漫画だなあ」と思っていたのですが完結してたんですね、これを機にまとめ読みしようと思います。
1000年後に江戸しぐさがまだ残ってたら、この文化が江戸しぐさに登録されてそう。
あざーす! 助かりました!
好きです。
女の子が女の子を好きだと公言したり、女の子が女の子に触れ合いたいと主張する様をみると、とても幸せな気持ちになります。
最近また、近所のコンビニがおくようになったので、助六パクパクしてます。
助六おいしい。
ものすごく高慢な物言いだと自覚しているが、オン・オフを問わず「この人、自分がいないと困るんだろうな」と感じる事が多々ある。
作業を捌き切れないとか、同行の仲間がいた方がいいとかその程度の話だし、取り立て自分でなければ絶対に務まらないわけではない。
もし、唐突に自分が居なくなってしまっても、きっと代わりは見つかるのだろう。
そういうレベルの低い依存をされるのが、全く嫌というわけではなかった。
しかし、この程度に付き合ってくれるなら誰でもいいのでは、と気付いてからは、少しずつ面倒さや煩わしさを覚えるようになってきて、相手をすることで自分が消費するリソースが惜しくて惜しくて仕方なくなってきている。
NHKさんが財務省で書き換えられていた、いわゆる「森友文書」を全文掲載してくれてるのに、それを見た人が、右側の人と左側の人で正反対のことを言い始めてるんだよね。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/moritomo_kakikae/
なんで同じものを同じ時に見てるのに、結論がそんなに違ってしまうんだろう?
ってことで、できるだけニュートラルにまとめてみるよ!
以下、右・左って書くと、論点のズレた自称識者が現れそうなので、「親安倍」・「反安倍」に統一するね!
さて、まずは書き換えられていた「森友文書」の内容だけど、ザックリ言えば、籠池さんの「議員さんや総理夫人の後ろ盾があるんやで!」というフェイクや「損害賠償請求するで!」という脅しに屈して安く売っちゃったという流れが消されていたということ。
一方、反安倍の人は、「だったら、去年の籠池証人喚問の時点までにこの資料出してればそれ以上追及されなかったのに、隠すってことは、それ以上にやましいことがあるんじゃないの?」と言う。
なるほど、どちらの主張も筋は通っている。
で、ここまでなら、こんなまとめ書かずに傍観するだけなんだけれども、なんだかおかしいぞと思う訳。
まず、反安倍の人たち。
麻生さんは財務大臣なので、引責での辞任を要求するのは分かる。でも、安倍さんの関与まではまだ不明。
安倍嫌いな人としては早く辞めさせたいんだろうけど、本気で辞めさせたいなら、会計検査院の動きを突くなり、内閣人事局というシステムが忖度を生みやすいからと見直しを迫るなり、外堀から順に埋めて行かないと、ただの空振りになってしまう。官邸前で安倍辞任を叫ぶ時間に、調べられることがいっぱいあるはずなんだけどな?
続いて親安倍の人たち。
確かに「だから何の問題も無いんだ!」という主張は、一見正しい。
でも、「何で今まで隠してたんだ?」という以上に、「なんでこれで人が一人自殺に追い込まれなきゃならないんだ?」という疑問が残る。
これをハッキリさせないと、親安倍ではなく、妄信してるだけになってしまう。
考えられるストーリーは二通り。
1の方は反安倍の人が主張というか、疑っていること。前述のとおり、現段階では何とも言えない。要調査と言ったところ。
反安倍派がこの文脈で考えようとするのは、日頃の考え方からして自然。
2の方ももちろん要調査ではあるんだけど、この視点で考える親安倍派より、財務省が安倍下ろしを目論んでるとか、検察が朝日新聞にリークしたとか、超変化球な見方をする人が多いのが謎過ぎる。
一般的な感覚として、1より2の方があり得るし、親安倍派としても痛みは少ないと思うんだけどね。
小さなミスや不正を隠すと、いつの間にか大変な事になってしまうというのは、多々ある。今回のこの一連の騒動も、実はそんなところなんじゃないかなあと思う。知らんけど。
詐欺被害に遭ったと言うのをカッコ悪いと思う人がたくさんいるという証明はすぐにできる。
https://www.tukamotoyouchien.ed.jp/lecture/
このリンクは、塚本幼稚園で講演に立った人たちをまとめたページ。
一連の騒動で最も罪深いのは、この人たちだと思う。
この人たちがやるべきは、「自分たちは詐欺の被害に遭いました。カッコ悪い話ですが、知らぬ間にその片棒を担がされていました。大変申し訳ありませんが、司法や国会の力を借りて、この尻ぬぐいをさせて頂きたい」とたった一言いうだけなのだ。
ところが、揃いも揃って、ただただ「籠池が悪い」だの「野党が悪い」だのと、完全に自分自身のことを棚に上げた物言い。
その方がよっぽどカッコ悪いわ。
挙句の果てに、「野田中央公園と辻元清美議員の疑惑」とか「民主党政権時代にも文書書き換え」とか既に検証済みのことを今更持ち出す無能ぶり。
野田中央公園の土地取得について調べてみました - 興味乱舞に引きこもれず http://rispair.com/?p=4696
【フェイク注意】民主党時代にも「文書書き換え」の前例!?→自民党時代の2007年に発生した事件でした | BUZZAP!(バザップ!) http://buzzap.jp/news/20180313-moritomo-falsification-minshu/
親安倍を自認しているなら、自分が頭を下げれば、ここまで疑惑の目が強くなることも無かったはずなのに。
もちろんそれは、安倍さんが本当に黒幕じゃなければの話だけど、少なくとも親安倍の人はそう信じてるんでしょ?
ご自身で大好きな安倍首相の首を全力で締めにかかっていることにお気づきだろうか?
結論。
そう、だから何度も指摘してるんだけど、今の結婚制度だと再生産に寄与すると見なされた関係のみを保護して、
高齢での結婚や選択的なDINKSというのは、あくまで例外でしかない
そして同性婚というのは最初からその例外になるのがわかりきっている
同性婚を排除している今ですら養子が足りないのに、あいつら一体どこから持ってくるつもりなんだ?
こんな制度や目的はいい加減今の時代にそぐわないだろう、という物言いは理解できるんだけど、
そうなると再生産を前提とするものもしないものも含めたパートナーシップはどうあるべきか考え、
その辺一切無視して、対立軸を「同性愛vs異性愛」に限定しているのがそもそも恣意的なわけ
マイノリティ自身が自分の属性のことしか考えずに、制度がおかしかろうが俺らだけでも入れれば満足、
というのは、まあ諸々の事情で仕方ないとしてもだ
それを持ち上げている輩というのが、なんとも気持ち悪いんだよな
マンガとかアニメとかにそこそこの頻度で出てくる「下品な言葉遣いの女」居るじゃないですか。
アレがすごく嫌いなんですよ。
例えば漫画的によくある例で言えば、豹変して「テメー」だの「クソ」だの「死ね」みたいな事を言う女
pixiv系?twitter系でよくまわってくる流行りの絵柄の人が、凄く良く使うあのキャラです。
アレがすごく嫌いなんですよ。
こういうキャラクターはファンタジーやバトル系だと男女比的に男のが多数かな?という体感ですが、学園モノやゆるい会話形式の漫画だと
殆どが女キャラ。それも女性が描く女キャラなんですよ。相手のシュールなボケに対して、ドギつい物言いで噛みつくようなあの感じ。
pixiv等に居る10代の女は、やたら暴君的な女を描くなぁという偏見があります。
嫌だからやめろ!という主張ではないです。それが多くRTされたりamazonで高めの評価を得ている事が多いので
感性で言えば自分が少数派意見なのでソレを言及した事は今回が初です。当然ながら作品名も挙げません
ただ、凄く嫌いなんですよ。
そういえば現実世界においても、男が下品な物言いをする様子に比べて
女が下品な物言いをするシーンは凄くダメージが大きいです。「何故そんな醜く振舞うのかな?」と奇妙な不安感に包まれます。
男の場合は女程はダメージは追わないのは絶対数の違いだと思います。
(ウ●コチ●コ言って盛り上がる比率は恐らく男女比的に男圧倒的有利だと思うので、恐らくギャップの関係でしょう)
嫌い≠否定ですね。「こんなキャラ出すな!」では無く「こいつ嫌いゾ~~~~~!!!」という主張だと思っていただければ幸いです。連載当時のフリーザに対する感情ですね。
ただ、凄く嫌いというだけの発展性の無い発言でした。
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。