はてなキーワード: 物言いとは
ここ最近3ヶ月ほどで漸く本配属が決まった
同じチームに1人、中年くらいの男性社員がいるのだが、最近その人に何か注意される度に涙が出るようになってしまっているのだ
きっかけとしてはつい1ヶ月ほど前、その人にひどく叱られたことに起因する。その人はベテランであり、至極真っ当なことは言っていた。けれど、言い方がなんというか、キツイかったのだ。人格攻撃はしてこないのだが、口調も責め立てるような形で。
その人が怒り終わった後、私も傍にいた先輩も泣いてしまい、思わず休憩室に行った程だ。
その後そのことが上席にも知れ渡り、その人は態度について注意を受けたらしい。
私もまた、上席に話す機会を頂いた。
上席曰く、その社員は昔から仕事は出来るが態度に問題があるらしい。どれくらいかというと
・派遣会社の人と揉めて2週間で辞めさせた(派遣会社に謝る事態になったらしい)
・機嫌に左右される 機嫌が悪いと他の社員に当たってしまう また人によっても態度を変える
・これまでも人間関係でトラブルを起こし、前の部署の上席や自分も再三注意している
・退職者への送別品など、チームでカンパするものも1人「払わない主義だから」という理由をつけて払わない
・新人のOJTをしていた時、あまりに物言いがキツくて見かねた教育チームからOJT変更の申し出があった
との話だった。
それでも、仕事ができるから…という事である意味大目に見られているらしい。注意をしてもあんまり直らないそうで、上席も「直ってくれないかなあ…」とぼやいていた。全くである。
さて、その後その人が態度が改まったかというと勿論そんなことがなかった。
その結果、最近では呼ばれる度に身構え、何か些細なことでも言われてしまうと涙ぐむようやってしまった。
最初の叱責で完全に恐怖心を植え付けられてしまったのである。早い話がトラウマ(笑)になってしまったらしい
先日も、その人が参加するMTGを仕切ることなったのだが、案の定そこそこに言われ、終わった後緊張の糸書かれた後もあってまた泣いてしまった
今日も、注意された内容で一部疑問があったので聞いて見たところ「せっかく教えてやってるのに、その態度は失礼だ!」と言われた
個人的に、メンタル弱いマンで基本八方美人、人を怒らせないように気を遣っていたので態度を褒められることはあっても失礼と言われたのは初めてなので驚いた 自分は寧ろ貴方に失礼な態度以外とられたようなことがない気がする 挨拶しても帰ってきた来ないし
ADHDで元々心療内科に通っていたのだが、ちょうどその人にひどく怒られた日と通院日が被っており、その余波で先生の前でも涙が止まらなくなり、心配させてしまった。
「その人の前だと涙止まんなくなって普通に業務支障出るんすけどどうしたらいいですかね」
と相談すると、
「その人の前で涙が止まらないのはちょっとあれですね…なら不安を抑える薬、少量ですがお出ししましょうか?」
次の日、早速ちょっとその人と関わる会議の前とか、怒られた後に飲んでみると結構落ち着いた。ADHDの薬飲んだ時も思ったけどく、薬ってスゲー!
とはいえ、その人と関わるのに薬が必要な状態って、健康じゃないよなあとも思うのだが。でも飲まないと多分涙が止まらなくなってしまうのだ。
ADHDだから、そもそも会社生活もその中の対人関係も普通より困難だとは思っていて、理不尽さを覚えつつも頑張ろうとは思っていた。
けれと、些細なことで叱責される度にADHDじゃなければこんなことにはならなかったのかなあ、と思わざるを得ないのである
運動部と文化部を兼部し、どちらも県で優秀な成績を収めていた。秀才と呼ばれていた。
その高校出身だと言うと、地元の人間は目の色を変えた。優秀だと言われていた。
大学受験あたりから暗雲が立ち込めていたが、自分の目には全く映っていなかった。
大学受験はろくに勉強しなかったが、滑り止めの私立大学に合格したので、そこに行くことに決めた。親は現役合格というだけで喜んでいた。
その時点で学歴や勉強に対して価値を見いだせていなかったにも関わらず、自分が選んだ学部は猛勉強が必要なところだった。
自分が勉強しなかったために行くことになった私立大学ではプライドが満たされず、「こんな私立に推薦で来るやつ(笑)」と同級生を見下していた。
適当に決めた学部だったので、猛勉強が必要なことを知って驚き、自分に合っていないと考えると楽になった。だが、退学する勇気はなかった。
進級するための最低限の勉強を続け、ギリギリながらも結局最終学年までたどり着いた。
そこまで来てしまうと、自分は最低限の努力で物事をこなせる要領の良い人間なのだと勘違いするようになっていた。
その理由はただ一つ、自分の周囲に居たのは、口先に騙されてくれるような、善良で純粋無垢で心優しい、自分とは正反対の人間たちばかりだったからだ。
そして、ついにいかづちが落ちた。
理由は単純、やる気がなかった。だが恐ろしいことに、それに全く気付くことができなかった。
自分が勉強に集中できないのは何か重大な理由があるのだと考え、もっともらしい理由をつけ、周囲を納得させた。周囲が納得したので、自分は責務から解放されたような気分になった。
高卒はプライドが許さなかったので、留年して卒業だけはすることにした。
プライドのためだけに将来を決めていることを隠そうと、常識ぶった物言いで親を説得した。親は納得し、自分の学費のために病体に鞭打って働くと言った。
だが、相変わらず勉強へのやる気は皆無。勉学への情熱もなく、親の首を締めて学んでいる危機感もない。あるのは義務感、老いへの焦り、価値のない時間だから早く過ぎればいいのに、という意識のみ。
できることなら好きなことだけして、好きなことで食っていきたい。でももう結構な歳だし、真剣勝負は怖い。人生を棒に振るかもしれない。
自分は優秀で、才能があり、与えられたものに甘えず、目標をしっかり持ち、現実的に物事を考え、自己実現に向けて努力し、自分の芯を持っている。
そう信じて疑わずに今まで生きてきた。なんてひどい人生なのだろう。
当たり前のようにクズを見下して生きてきた。
クズはクズなりにクズらしく、クズを貫いて生きているというのに、自分の有様はなんだ。
クズにもなりきれず、優秀な仮面をつけるのも息苦しく、好きなことに情熱を注ぐ勇気もない、クソの中のクソが産んだクソみたいな人間じゃないか。
最初から自分についてなにもかも諦めていたらよかったのだ。最初からクソらしく生きていたら、ここまで悲惨なことにはならなかった。
だが、今やるべきことは嘆くことではなく、これ以上更なる悲劇を産まないことだ。
いいか、よく聞け、お前のようなクソがすべきことは、今からでも遅くない、自分についてなにもかも諦めることだ。
自分がクソであることを受け入れることだ。クソはクソらしくとっとと濁流に流されることだ。
自分についてクソと書くことで悲しくなっているようじゃ、お前はまだ自分のことを人間だと思い込んでいる。
泣くなクソ。これは罵倒じゃない。事実を書いているだけなんだ。お前は人間じゃないんだ。何らかの手違いで産み出されたクソなんだ。
本当はお前以外の人間らしい人間が産まれてくるはずだった。お前は間違って人間として産まれてしまったから、クソなりに人間の真似をして生きてきただけだ。
人間のモノマネばかり上手くなっても、お前はクソだから、人間にはなれない。お前はかわいそうなやつだ。必死に人間になろうとしてきた。
提示された課題をこなし、期待に応え、善良で、常識的で、聡明で、才能ある人間に憧れ、そんな人間のモノマネに尽力してきた。お前はクソだが、人間の真似はクソ一倍上手い。それだけは認めてやろう。
楽になることをちょっと教えてやるから泣くなクソ。クソであることを認めれば、お前はクソだから、誰かを幸せにする必要はない。一般的な幸せに迎合する必要もない。誰かを無理に愛そうとしなくてもいい。なんにも頑張らずにのたれ死んでもいい。誰とも喋らなくていい。ずっと一人で居てもいい。スマホも捨てていい。お前はもう人間らしく生きるために生きなくても良くなる。
でもお前が本当に人間になりたいと思ってたのは知ってる。だからクソだと認めたくないって渋ってることは分かってる。だからこそ、これ以上ひどいクソにならないために、クソだと認めなきゃならないんだ。これ以上信念もクソもないクソにならないために。クソなりに恩を感じてる人間たちをこれ以上失望させないために。騙さないために。
だから泣くなクソ。お前が申し訳ないと思っている大切な人間たちが愛しているのは、お前が演じていた人間であって、クソじゃない。お前は不幸にも優秀な人間のモノマネが上手すぎたことによって、クソのままで愛される術を失った。これからはちゃんとクソとして生きていくんだ。そうしたら、数は少ないけど、スカトロ好きなやつが褒めてくれる時が来るかもしれない。お前はクソだ。人間のふりをしなくていいんだ。
クソであることを認めれば、お前がクソである事実に変わりはないが、お前が過ごすクソ生はクソじゃなくなるかもしれない。いいな、クソ。
「受かる方法しか」教えようとしないアドバイザーも同様に今すぐ捨てたほうがいい。
君たちの目的は「自分の希望に少しでも沿う職場」に入ることだったはずだ。
その目的達成において面接を「内定を取るためだけにやる」のは全くもってナンセンスだ。
面接は相手の会社が「自分の希望の職場であるか」を確認するための作業でもある事を忘れてはならない。
たとえば君が「サービス残業をさせるような会社で働きたくない」と思っているなら絶対にソレを質問するべきだ。
サービス残業をさせない会社であればその質問に気持ちよく答えてくれるだろうし、させるような会社ならその度合いに応じたはぐらかしかたをするだろう。
君が「根性論を振り回す会社には入りたくない」という思いを持っていて、それを面接でぶつけた結果としてお説教が始まるようなら、君はその会社にはたとえ受かっても絶対に入るべきではないのだ。
「受かるためだけ」の面接対策をするのは、それこそ「親の敵がその会社で働いているから暗殺するための下準備としてその会社に入るしかない」ぐらいの状況でなければやらない方がいい。
君が面接で嘘を付いたり、聞きたいことを聞かなかったり、無理に自分を偽ったりするのならば、それを「その組織に入ってから退職するまでの間ずっと続けていけるか」を考えるべきだ。
あくまで腰掛けで5年程度いるつもりであるならその5年間その嘘を突き通せるか、定年までいるつもりなら40年間ずっとそれを我慢できるかを考えてから自分を偽るべきだ。
でもどこかしら受からなきゃ始まらないじゃんというのはそのとおりだ。
ではその時、どれをどれぐらい妥協したらどの程度受かりやすくなりそうなのかは何によって知ればいいのだろうか?
その答えは、今まで面接で自分がしてきた数々の受け答えに対する相手の答えの中に隠れているはずだ。
正直に受け答えをしなければ、自分の妥協すべき物の正しいコストパフォーマンスは永遠に見えてこない。
なぜなら、業者や仕事の傾向、そして君自身の資質によってそれらは全く持って変化するからだ。
君が自分に正直に就活を続けていれば、適当な就活本が全ての業界を十把一絡げにして雑に語った文章よりも、よっぽど信頼できる情報がこれでもかと蓄積されていくことだろう。
そして、君が何かしら自分を偽るたびに、そうして手に入るはずだった情報の入手機会は失われる。
それで面接に落ちれば手元に残るのはただのお祈りメールだけだ。
何の成果も得られない就活を続けるか、少しずつ情報を手に入れて軌道修正をしていける就活をするか、どちらがいいかは明白だろう。
最後に、これは本当に大切なことなので是非覚えて帰って欲しい。
面接をする側からしても、「嘘をついたり」「背伸びをしたり」「勢いで押し切ろうとしている人間」よりも、「ズケズケした物言いでも」「自分の主張をハッキリ述べてくれる人間」の方が「印象がいい」のだ。
なぜなら一緒に働く人間として「その場しのぎの嘘をつく癖がある」「とりあえず目先目先で誤魔化せればいい」「相手の顔色を伺ってはすぐ言葉を飲み込む」といった特徴のある人間は、「信用できない危険人物」となりやすいのだ。
その場しのぎをしないといけない状況や、とっさに言葉を飲み込むべき状況は仕事では多々ある。
しかし、それを身内に対してすら高頻度でやってくる人間は厄介なことこのうえない。
それならまだそういった事が一切できない人間の方がずっとずっと扱いやすいし、仲間として信用できる。
将来の仲間に対して平気でウソを付くような人間、虚勢を張ってばかりで自分の正体を隠してばかりいる人間、そういった人間と「一緒に働きたい」と思うだろうか?
それをもう一度よく考えて欲しい
渦中の人物、財木琢磨のファンです。思考の整理のために綴ります。
私は🔪ミュからの所謂新規です。本分は学生で休日は音楽の仕事をしています。休みは滅多にありませんし、行きたくてもいけない現場は沢山ありました。他人から見れば『茶の間』に近いと思います。ですがどうにか工面して行ける現場には足を運んだし、グッズも懐が許される限り積んだと自負しております。だからこそ、全通したりイベントも全部参加している方々と同じステージで物言いすることは出来ないし、本当の茶の間の方々と同一視される筋合いはないと思います。私だってファンです。
まず第一に言いたいことは「なぜ2度同じことをした」
彼女がいることは問題ではない。暴露たことに憤りを感じているんです。これはファンの方みんなに共通すると思っていましたがそうでもないみたいですね。私はとにかく知りたくなかった。私がそれを知ってしまう必要はなかったはずです。知らなければしんどい思いすることもなく、ずっと推しに夢見て頑張って働いていたわけですから。最初の謝罪ツイートに「推しくんは悪くないよ!気にしないで!」「大丈夫だよ!」とリプしてた方々に問います。何が大丈夫なんですか?全く大丈夫じゃないしめっちゃ気にするのはこちらです。大丈夫じゃないのもこちらです。悪いのは推したちです。どの口が言ってるんですか。しゃしゃんないでください。こちらには推しを責める…というか、言及する権利があると思っています。それは決して人格を否定したり、人権を貶めす行為ではありません。俳優として職務を怠慢したことに対する怒りです。そしてあちらには、ことの経緯を説明する責任があると思っています。
第二に言いたいことは、「件の流出がなぜ起こったのか、そしてそれに対する誠意を見せて欲しい」ということです。1度経験していれば流出の恐怖はわかっているはずですよね。彼女側が流したとか、ストーカーが流したとか色々憶測はありますがこの際どうでもいいです。はっきり事務所としてなにかしらの発表をすべきです。この日記を書いている現在、なんの音沙汰もありません。とくに橋本楓さん。お名前は隠さず書かせていただきます。橋本さんはなにをしているんでしょうか?体調不良を理由にイベントを欠席なさっていますね。被害者面しないでください。被害も体調不良も被ってるのはこちらです。所属事務所が大きいとか、一般人の私からしたらよくわかりませんしどうでもいいです。大体、元アイドルでモデルさんなら少なからず橋本さんにもファンはいるでしょうに。応援してくださってる方々になにも表明しないのですか?このままだんまりを続けるなら、あまりにも非常ですね。同情します。それに比べて矢面に立つ財木さんはまだマシなのでしょうか。もう感覚が狂ってきました。
財木さんのツイート、財琢便、そしてバスツアーでの言葉。私はバスツアーには参加できていないのでフォロワーさんやエゴサでの状況しか把握できませんが、財木さんは涙を流して謝罪されたようですね。私は絆されませんよ。ちゃんと人間でしたね。
でも、ファンを降りられませんし、嫌いになれません。なんなら今後舞台に出るなら観に行こうかなとも思っています。大変な間違いを犯した推しを早々に見切りつけたい気持ちと、まだ応援したい・好きっていう気持ちが大バトルです。自分の中で矛盾がすごいです。意味がわかりません。とくに今回バスツアーに参加していらっしゃる方で矛盾を抱えている方、多いのではないでしょうか?1対1で話したからこそ。そのとき感じたこと、会話したこと、すべてあなたしか分かりません。私にはわかるはずありません。でも汲み取ることはできます。何様だと思われることは容易ですが、もうこの日記書いてる時点で唯我独尊ですし大目にみてください。見てる人もいないと思いますが。
深夜の意味深ツイート。ありましたね。あれと、財琢便で『本当はもっとあった文章』をこの目で読むまではまずファンを降りることは無理です。そりゃ芸能界いろいろあると思いますが、ちゃんと一個人としての言い分を聞きたいし知りたい。ファンを続けるか続けないか決めるのは、知ってからでも遅くはないと思います。もちろん、橋本さん側の発表もずっと待ってますよ。受け身でしかいられないことにもどかしさが募るばかりです。
私は、役者・財木琢磨が好きでしたし、好きです。お芝居に対する真摯さ、真面目さ。そして役作り。本当にかっこいいと思います。そんな彼を追いかけて初めて夜行バスに乗りました。初めて新幹線に一人で乗りました。初めて、東京に行きました。好きなものを追いかける時間はなんて楽しいものだったか。同担の子と現場やツイッター、ラインで推しのことを話すのがどれだけ楽しかったか。1年もなかったけど本当にかけがえのない時間でした。仲がよかった同担の子は事件以来浮上していません。ラインの返信もほとんど来ません。ネットの関係とはそういうものでしょう、でも好きなものを共有できる友達でした。他担の子だって、お互いイベント後にまたオタ会しようね!と約束していました。次開催できるかも分かりません。そういえば、3月のイベントは直近過ぎてキャンセルしましたよ。笑顔を見たら殴ってしまいそうなので。(何笑てんねん!と。)
それでも、あの時間や使ったお金は無駄だったと思わないし、返してとも思いません。私は最低で最悪な財木さんのファンであることに誇りを持っていました。それは今も変わらないし、誰が何を言おうとそれを変えることはできません。させません。これから私はファンであり続けることができるのでしょうか?前みたいに推すことはできないだろうけど、舞台を見ても平然でいられるのでしょうか?
できるなら、ずっと役者としての彼を推していたい。プライベートと仕事は別物ですから。別物として割り切れば良いもの。でも、一度あの写真を見てから頭から離れないんです。あの、一人の男としての彼が。やっぱり見たくなかった。知りたくなかった。演技をしている財木さんが、お仕事をしている財木さんが好きだったから。
応援していたいけど、応援できない。矛盾が堂々巡りをしています。
近所に3歳(男児)と5歳(女児)がおり、よく招いて一緒に遊んでもらっている。
娘があちらの家にお邪魔することもよくあるが、割合としてはうちで遊ぶ方が多い。
おもちゃの取り合いなどでよく喧嘩するが、その都度譲り合いを促したり、順番を守らせたり、謝らせたりと介入している。
しかし、うちとよそが区別がつかない言動を取られるとイラッとしてしまうことが多々ある。
例えば、
・引き出しを勝手に開ける
・注意しても反応がない(「粘土が下に落ちてるから拾おうね、足にくっついてるよ」「歩きながら食べないでね」)
・勝手に家に入ろうとする
・勝手に帰ろうとする
・おもちゃを持って帰ろうとする
・食べたいものをおねだりされる(「〇〇ちゃん、みかんが食べたいなぁ」「牛乳飲みたくなっちゃったなぁ」「ぶどうジュースは嫌!」)
・見て見て、なんでなんで、やりたいやりたい、もっともっとがしつこい
冷静に注意や促しもするし、ダメなものはダメ、無い物は無い、自分ちでね、お母さんに頼んでね、とは言うものの、冷たい物言いになってしまい、もっとおおらかに対応できないものか悩む。
同じことを我が子もよそでやらかしているのだと思う。
その場合はしっかり注意してもらっても構わないと思っている。
母親付きでよそのお家にお邪魔することがあまりないので、よその家での子供の振る舞いを見る機会が少ないが、機会があればすかさず言い聞かせるよう心がけている。
もしくは同じようにイラッとすることもあるのだろうか。
同業者に対しての罪悪感と、ただの底辺からのあてつけと思ってください。
紆余曲折あり、自分自身もうイラストに関われるならどこでもいいや、
と知人の紹介された会社に入ったのが間違いだった。
スズメの涙の製作費、厳しい条件、200%嘘になる制作スケジュール、
それらを文面にお越す。相手がなんとなく良い方に勘違いするようなものを考える。
そしてメールを送信。断られる日々。あたりまえだ。自分だったらこんなの引き受けない。
引き受けてもらっても苦痛は続く。若いクリエイターからの期待に満ちた文面が、修正が入る度に文字数が減っていく。
クリエイターを騙していると言っても過言ではない日々。罪悪感と胃の痛みがすごい。
そして批評家な上司たち。何を偉そうに、知った風に品定めしてるんだか。胸と目が大きい痛々しい程の高彩度の女児しか描かない癖に。
よくもまぁいけしゃあしゃあとそんな物言いができるな?その職に就けるのは幅広い画風に対応できるくらいの経験と技術を持った人材じゃないのか?
なにがADだ。人材が足りないのは重々承知だ。小規模のベンチャー企業だ。でもあんな言い方、あんな狭い視野でいいのか?
決定的だったのは「どんなに仕事が忙しくても、本当に好きなら絵は描けるでしょ」だ。代表取締役から出た一言。吐き気がする。
1ヶ月とたたずにその会社からは逃げ出した。委託先のクリエイターの個性を殺し続けるのはもう無理だった。
私は自分自身が毒親にならない自信がなくて、今までそういう本を読み漁ってきました。
実際そうできているかは、子供達が大きくなって、家庭の価値観にとらわれずに物を見ることができるようになるまでわかりませんが。
母親になるために我慢することも諦めてきたこともたくさんあります。
おかあさんだから諦めたのではなく、おかあさんになるために自分で選択したのです。
私の辛抱は何においても一つも子供のせいではなく、だから子供は少なくとも私の犠牲の上に成り立ってはいない。
そして私は私の責任において、時にちょっとした我儘も言う。しかし決してそのために子供を不幸にするようなことがあってはならない。
その我慢をどこに噴出させることもなく最後までやり遂げるのは美談かもしれないが、
余程強い精神力と体力の持ち主でなければ最後まで無理をやり遂げられる人間などほぼいないのだから、
自分を過信しないで、自分の感情は自分の中だけできちんと処理できるよう、休むなりして対策を取る。
それほど器用にできてはいないかもしれないが、そういう私の姿勢から、我慢や無理をしすぎず責任を果たすということを学んでくれることを願っている。
そして子供も、誰からの負い目も感じることなく、誰のせいにもせず、自分自身の責任において、そして決して無理をすることで自分を追い込まず、しっかりと人生を歩んでいって欲しい。
それが私の見つけた、子供を愛するということです。
あの、おかあさんが諦めたものや我慢しているものばかりを恨み節のように挙げ連ね、最後に全部あなたのためよ、あなたを愛しているからなの、と呪いのように締めくくるあの歌が、まだ幼い子供に向けて発信されることは、私の努力が水の泡になるということなのです…
だから、あの歌を許容することができなかった。
(みなさんがおっしゃる通り、大人向けに作られ、子供が触れることがない歌なら、まああまり好きな考え方じゃないけど…という程度で、それほど攻撃する必要もない話だったのです。)
それを言いたいがために、あなたを傷つけてしまったことは本当にすみませんでした。
前回とは逆に積極的に行き過ぎた結果、公私をわきまえない立ち振る舞いになってしまい破局。
俺も同じところで働いていたので、その時のことは覚えている。
『恋は盲目』とはよく言うが、ほんとに足元を疎かにする人間を間近で見たのは初めてだった。
「俺も近くで見ていましたが、バイト中も個人的な話をしまくるのはダメですよ」
「それだって人間関係の一形態でしょ。完全に切り離すことはできない。地続きなんです」
「“恋愛”というものに対して、張り切りすぎなんだと思いますよ。いつも通りの自分で接してみては」
俺のこの指摘を受けて、次に出来た恋人にはとにかく平常運転でいくことにしたらしい。
個人的な愚痴にすら、取ってつけたような正論で否定してしまったらしい。
「不平不満だったり、個人的な話を身近な人にするときというのは、大抵は肯定してほしいんです。少なくとも否定はしてほしくないのでは」
「別にワイは間違ったこと言ったつもりはないんやけどなあ……」
「是非の話ではなくて、人と人との個人的な対話ですからね。杓子定規な論理や倫理で相手の感性を一蹴するのは、“恋人という個人”を尊重する気がないと受け取られるのかも」
「ええ~? マスダ、『恋愛は人間関係の一形態』だって言ってなかった?」
「『同じ』だとは言っていませんって。いつでもどこでも恋人相手にそんな他人行儀な接し方したら、それはもう恋人じゃないでしょ」
「……確かに」
俺に言われてやっと、そのことに気づくのか。
恋愛のことになると、なぜ先輩はここまでバカになってしまうんだ。
「やや子供だましな方法ですが、とりあえずウンウン頷いてください。そして合間合間で、相手の意思を尊重するという、肯定する意を言葉で示すんです」
そうして俺の言われたとおりに、恋人の個人的な話にはウンウン頷いていた。
「いや、正直しんどい……心にもない相槌をうつたび、自分の免疫細胞が徐々に死んでいく感覚がする」
だが、これは先輩にとってはかなりツラいものであった。
結局、そのツラさが顔に滲み出てきたあたりで破局。
「あの~、カン先輩。そもそも自分が恋人といて嬉しいとか楽しいとか、何らかのメリットが勝っている前提がないと、そういう関係は成り立ちにくいと思いますよ」
「メリットぉ?」
「先輩は、その人のどこに魅力を感じて付き合っていたんですか」
割と普通の質問をしたつもりだったのだが、カン先輩はウンウン唸って答えられない様子だった。
「いや、あったはず。確かにあったという記憶だけはあるんやけど……」
妹が会社を辞めた。かなり上の人間から理不尽なひどい扱いを受けたとのことだった。
オッサンは自分に適切な報告がなかったとのことで腹を立てたらしいが、妹は1番先に連絡しているという。
そこら辺の誤解はどこにでもあることかもしれないが、そこからのオッサンのパワハラがひどかった。
妹の学歴が比較的高いのをなじり、仕事が出来ないとこき下ろし、旦那(同じ会社に勤めてる)共々辞めてしまえ、とまで言ったのだそうだ。
妹は責任感が強く、仕事もまじめでよく頑張っている。決して辞めさせられるほど能力が低い人間ではない。
オッサンのパワハラに妹がウンザリして退職を申し出たところ、社長とオッサンから引き止めがあったそうだ。
けれど引き止めの場でも、オッサンは謝罪するどころか、オマエのようにダメなやつを引き止めているんだ、ありがたいと思わないか、考えを改めろと…上からの物言いと馬鹿にするような態度を変えなかったという。
妹の受けた扱いに同情し腹が立つと同時に
というかこういう文面って
代理出産の人も、人の子を譲り受けて育ててる人も救われない気がする。
養子を選択した人だって、比較されたい訳じゃないだろうに、どうして別個の考え方だと捉えられないんだろうね。
根本は、家族が欲しいという普遍的な希望だろうに、血の繋がり関係無く人を一人前に育てるのがさも当然かのような物言いをする。
私の出た田舎の小学校・中学校は、学校の「図書館」ではなく学校の「図書室」だったので、
増田やTogetterで学校「図書館」や、小学校・中学校にも資格持ちの司書・教諭司書を
配置している話を見かけるたび、都会は進んでいるなと驚いている。
「図書館」であれば、元増田やTogetterで言われる通り、貸し出し制限に物言いが
つくのは分かるのだけど(ただし図鑑・事典・辞典や重要資料/史料は例外として)、
学校の「図書室」であれば、教育指導の一貫として「こういう本を読んでほしい」という
介入はあって仕方ないと私は思っている。
今日は右膝を思いっきり蹴られてアザができ、足の甲にも傷ができた。歩く事も辛い。
夫いわく「本気で蹴ってない!本気でやったらお前死んでるわ!」と、よく分からない『俺は強い』自慢をされた。
たまに5歳の娘に対しても暴力を振るう。過去に娘は蹴飛ばされた事がある。
投げ飛ばされた先に四角い棚があり、耳を強打して内出血した事もあった。
夫は、大手外資系コンサルファーム勤務で、コンサルの仕事をしている。
警察に訴えても、私が負けるような理由を作るのなんて簡単にできるだろう。
コンサルの得意分野だ。
夫はADHDの気もあり、話が通じない、人の気持ちが分からない。
夫と言い争いになると、私を見下した物言いで、コンサル業務にありがちな専門用語や、まるで一つの案件をまとめているような話し方で攻撃されている。
私はどうしたらいいんだろう。
だれか助けて。
追記
2018/01/21日曜日
大阪河内地域出身の夫が、子供達の喧嘩に対して汚い方言で怒鳴り散らしている。特に5歳の娘に対しては、壁を思いっきり叩きながら威圧している。キレるといつもこう。
ちなみに、過去に上の子を蹴飛ばして、子供が吹っ飛んで負傷した時に止めに入った私へ言った言葉は「手加減したけど、飛んでいっただけ。」だ。
夫は虚言癖と記憶の改ざんが多く、事実を自分の都合の良いように記憶がすり替わっている。一種の脳障害。だから、事実に対しての話し合いが困難。
追記2
2018/01/21日曜日 夜
ドラマで関西人のチンピラが巻き舌で相手を脅す喋り方…夫がキレた時がまさにそれ。
私、明日生きてるのかな。脚動くかな。攻撃されてから時間経過した今脚見たら、立派にアザが濃くなっていた。
もし夫が通う極真の支部長に夫から受けた暴力を相談しても、信じてくれなさそう。夫は普段、温厚な人だから。。。
疲れた。。。
追記3
2018/01/21日曜日 夜
話しかける夫を無視していたら「いちいち一つの事にこだわって無視して感情的に怒ってるって、お前はおかしい。これはこれ。もう済んだ事引きずってんなよ。これだからバカなんや。」と、暴言が続いた。
身体も心も傷つけられて、何事もなかったように明るく夫の相手ができない私はバカなのか?
私は「じゃあ身内が殺されたら、事件後あなたは犯人と普通に話せるの?」と聞くと、「それは話を飛躍しすぎだろ」って。
例え話も通じない。
追記4
何事もなかったかのように、夫が話しかけてくる。そして私に「長女が不安定になっているんやけど?」と、さも私に原因があるように言い放ってきた。
夫が昨日、5歳の長女に対して暴言暴力ふるった事は無かった事になっている。
もし警察に届け出たとしても、この虚言がつきまとうので、解決しないかもしれない。
人の事を散々傷つけた夫の中で、昨日の傷害沙汰は「もう済んだ事。はい、終わり。」なのだ。
いつもそう。
追記5
夫と喧嘩になった時、私が家を飛び出そうとしても、力づくで引っ張られて叩き落とされるため、脱出できません。
空手をやっているだけあり、圧倒的に力が強すぎて喧嘩中は外部に逃げられない。
とりあえず、昨日負傷した脚を写真に撮っておく。変色してるわ、見事に。
追記6
夫に黙って、整形外科に行った。
問診票に症状や痛い箇所を記入した。
そして診察時、担当医に「夫に蹴られました。」と言った。
問診後に衣類の上から簡単な触診があったので、次にアザや傷の確認があると思っていたが、医師が私の蹴られた箇所を目で直接見て確認する事はなかった。脚を出した方がいいか医師に聞くと、「いや、いい。レントゲン撮るから。」とだけ言った。
レントゲンの結果、ヒビや骨折は無かった。医師から「打撲だね。湿布と痛み止めの飲み薬出しておきます。はい、終わり。」と言われ、病院を後にした。
夫に蹴られて痛みがある事を伝えても、アザの状態なんて、いちいち確認しないものなのか。
妻が夫に蹴られて打撲する事なんて、普通なのかな。
結局、問診とレントゲンだけで診察は終わった。
次は調剤薬局。
処方してもらい、薬剤師から「転んだんですか?」と聞かれたので、「家族に蹴られました。」と答えた。薬剤師は、「はははは、そうですかー。」と言って、薬の説明を始めた。
医師も薬剤師も、私のこの脚を見たら、どう思うだろう。この何度も蹴られた、色濃く散らばるアザを見ても、何とも思わないままなのだろうか。骨にヒビや骨折、脚が全く動かない限り、大したことないものとされるのか。
身内に蹴られた打撲って、こんな軽い扱いになるんだ。知らなかった。
警察やDV相談窓口に連絡したとしても、「ただの夫婦喧嘩」扱いとなり、相手にされないだろう。
きっと1日に何十件もDV被害の相談はあるだろう。私が夫に攻撃される事なんて、緊急性の低い面倒な案件扱いにされそうで連絡できない。してはいけない。
子供との無理心中を悩む親の気持ち、大切な家族を守る為に加害者である身内を殺めるしかないと思った人の気持ちって、今の私みたいに頭がおかしくなる位に苦しんだんだろうな。
そして夜。
夫は何事もないように、普通に私へ接してくる。
夫から暴力を受けた私も、何事もなかったように夫に接しなければいけない。
子供達に見せたくない。
私は、なんで生きてるんだろう。
子供達へ。産んでごめんね。
義両親へ。あなた達の息子が、まさか嫁や孫に暴力を振るっているなんて事実、言っても信じないでしょう。あなた達の前では、優しくて優秀な一千万プレーヤーの自慢できる息子だから。
整形外科の先生へ。お忙しい中、打撲程度で診察をお願いしてしまい、申し訳ございませんでした。空手をしている人間からの蹴りなので、脚が大丈夫なのか不安でした。先生が直接脚を見ない診察に対し、蹴られたぐらいで病院へ行くべきではなかったと反省しております。
涙が止まらない。
脚が痛い。
追記7
朝から夫が大声をあげて私を威嚇してくる。
子供達の前だったけど、私は涙が止まらず、激しい動悸と手の震えが止まらなくなった。子供たちが不安に「大丈夫?」と、声をかけてくれる。
夫の威嚇と汚い言葉は、数分後に全て無かったことにされた。そして怒鳴る原因は全て私のせいらしい。
以前から何度も、夫の攻撃で頭が回らなくなり、自傷行為をした事がある。夫の目の前で。その度に夫から「お前頭おかしいわ!」と、言われ続けた。
あくまで、私の自傷行為の原因が夫にらある事にしたくないらしい。単に私がバカで心が弱いから、『私自身に原因があり、勝手に自傷行為をしているだけ。』という扱いだ。
夫が原因で私が自殺する事は、絶対避けたいようだ。法的に不利になる事だけは避けたい人間だ。
誰にも助けが求められず、生きることが辛いなら、自分が消えるしか道がない。選択肢がないのだから。
人の気持ちが分からない夫は、なぜ私が思い詰めるのか全く理解できないでいる。
本人いわく「僕は論理的思考だから、相手の感情なんていちいち見ない。そんなもの見ていたら先に進まない。」。
私の夫は、そういう人です。