はてなキーワード: 欠点とは
30後半でDTで身長は165未満の俺でも30前半の他人から美人と評価され、優しくて、ボケとツッコミができて、料理ができて、おっぱいが大きい、理想郷のような彼女ができた。
こう書くと妄想みたいだけど、マジなの。欠点は、ちょっと内臓に軽い持病があって、歯並びが悪くて、家族と甥っ子を溺愛しててデートが潰れるくらい。
アプリの使用期間は3ヶ月。マッチングアプリのマッチ率は10%なかった気がする。withとオミアイの2つを使っていたが、無料ポイントでできるいいねを限界までやって1マッチするかどうか、という感じだった。無料いいねは10はできてた気がする。
そして年齢の下限が31だった。20代とは義理マッチが一度あっただけで、メッセージのやり取りまで行っていない。
本格的にメッセージのやり取りができたのは2割か3割くらい。「はじめまして~ご趣味は~」みたいなテンプレラリーで終わる人の方が多い。
なので、厳密に「マッチ」したと言えるのは5,6人だと思う。
コツとしては、やはり相手女性のフィルターにかけることである。私は高身長、高収入を条件に入れている女性を外していた。途中から20代も外した。(実家ぐらしも外した方がいい。受け身すぎて会話ができない人が多い)
条件に30代可といれていても、やはり近い年の男性を好む女性がほとんどである。自分と前後2,3歳、当然に年上も可のつもりで探さなければならない。
女性は何もしなくても様々な男からいいねがくる。いいねをつけてくれた男性から選ぶのだ。男性は違う。男性にくるいいねは、10歳以上年上の女性からだ。
そして「いいね」の回数は制限(又は要課金)がある。いかに、マッチ確率の高い女性へ「いいね」し、自分を認知させるかが第一関門である。
容姿に優れた女性がいっぱいいるため、現実に出会って自分と恋愛するであろうレベルの女性がとても醜く見えてしまうのが、アプリの辛いところである。
男性のレベルにもよるが、私は200いいねを基準としていた。200以上のいいねをもらってる女性は、私以上の男性からいいねされているし、その男性を選ぶだろう。
200未満であれば、自分にとって「きれい」でも、他人からはそうでもないと判断されているかもしれないし、登録してまもないため良い男性に見つかる前にマッチできるかもしれない。
容姿が素晴らしいわけでもない、性格がいいかもわからない、どんな女性かも分からない相手に、気を使って世辞メッセージを送るのはしんどいであろう。
または、一目惚れに近い感情を抱き、バラ色の未来を妄想しながら練ったメッセージが無視されて凹むことも少なくないだろう。
アプリを通して男性力をレベルアップさせることはそれほど重要ではない。
自分とマッチする確率の高そうな女性を厳選し、根気よく「いいね」しメッセージを送り続ける。あとは運任せである。
余談ではあるが、友人の40前半男は高身長のイケメンなのであるが、容易に20代とマッチしまくっていたため、やはり顔の良い男性は有利である現実をここに突きつける。
適当な空き家買ってまずエアコンだけ付けて冬用にストーブ持ってって、あとは1人で昼からとか起きれなかったら夜からとか現場行ってクロス貼ってクッションフロア貼ってベランダ掃除して畳運んだりしてる
残置物多めの家とかだと安く買えるし、屋内作業の割合増えるからかなり良い
深夜でも玄関に分別して積むだけなら全然できるし、直前まで生活してたりするから温度は快適
ニート予備軍なら部屋のカビとゴキブリ程度慣れてるだろうしオススメ
玄関まで運んでおけば後は車横付けして積んでクリーンセンター持ち込みとか産廃業者に取ってもらうとかだからそんなに力仕事って訳でも無い
キレイになったら美装入れて売るなり貸すなりで手離れ
風呂の酷いカビとかはやっぱり専門業者じゃないと取れないからね
生活習慣ぶっ壊れてるけど、年に30日程度しかない立ち会いの日だけなんとかすれば良いからこんな俺でも個人事業主できてる。
ただ関わりのある業者とか見てる感じ、こういう家庭内廃材とかの処理はペアでやってるのが多いからこのスタイルだと1人作業ばっかりになるのが欠点
階段から落ちて怪我とか棚の下敷きになるとかカビた床板踏み抜くとかやっちゃうと1人はかなり危ない
幸い俺はまだ怪我はせずに済んでる
カビ系の発疹はすごいけどな
立ち会いでしか人と会わないし、ヘルメットとマスクあるから発疹あっても気付かれないから問題ない
やっぱり時間に融通効くことしかできないから、この仕事は休んでも誰かに怒られたりしないし、ゲームしたい時は仕事ほっぽってゲームできるしでかなり自分にあってる
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
最初は純粋な興味でメイクするようになったけど、ある程度技術が確立できるようになってからはバフのつく装備orデバフ削除の認識でメイクしてる。
メイクしない:肌に欠点がある(デバフ)→清潔感がなく見えて他人からの第一印象が下がる→自分が損する
のとき、肌の欠点をベースメイクで消せれば第一印象で損しなくなる
【バフ付加のメイク】
唇の形がすごくいいので、きれいにリップライン取って似合う色のリップをつけてるとそれだけで「いつもニコニコしてる(いい人だよね)」と勝手に思ってもらえる
男女ともにリップケアというトークテーマがデッキに追加される(これは人によってはキモイかもしれないけど私は嬉しい)
人付き合いの目的みたいな書き方に見えるけど、たまに見る「他人に不快感を与えないためにメイク」という気持ちは全くない
あくまでも自分が生きてくうえで損しない・得するためにメイクしてるので結局自分が一番好きだから持てるマインドではあると思う
だから別に好かれたい人がいるわけではない仕事の時でもばっちりメイクするし、逆に人にどう思われてもいいスーパーに買い物行くだけみたいなときは日焼け止めしかしない
ちなみに美人ではない
友人レベルの人からよく言われる顔の評価は男:ちょうどいいブス 女:愛嬌がある
多いぞ。
そいつらはオジオバで、つまり20世紀後半という時代に大学生で、そのころのリベラル文系学問を修めて知識としている。
で、20世紀末の文系学問の大きな欠点が、理系科学と意識的に断絶していたことだ。
断絶していられなくなったのが、21世紀以降のことなんだよね。
例えば倫理っていうのは、完全に哲学とか文系思想の文野だと思われていたんだけど、脳科学の発展によって「人間という生物がどういう倫理を生まれつき作るか」みたいなことも分かってきちゃって、哲学や思想の想定していた理想の倫理ってやつが「でもそれは人間には不可能ですよね?」で反駁されるようになっちゃった。
哲学や社会科学が、理系学問の結果に基づいて、構築されることが求めれるようになったわけだ。
インターネットで高説をたれるオジオバは、昔の理論については知っているけど、実は最先端の勉強をしているわけじゃないので、そこらへんの時代の欠点も普通に保持したままだよね。
論破していっていいぞ。
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:チキンラーメン。ポテチ。クッキー。夜:りんご。ヨーグルト。大根と玉ねぎとキノコとたまごのスープ。間食:なし。
○調
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ。
すっかりお馴染みになっている株式会社オレンジが定期的にリリースしている低価格のDL専売テキストアドベンチャーゲーム。
警視庁の取り調べ専門の部署に配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に仲間達との事件捜査を描く短編集形式のシナリオになっている。
シナリオライターがTHE鑑識官シリーズの方という売り文句なだけに、1話完結の短編集、主人公が若い女性、相棒のAIマスコットキャラがいるなど外枠の部分に共通点がある。
システムは株式会社オレンジ恒例のそれで、オーソドックスなADVの形式で容疑者との対峙、聞き込み、捜査などを行う。
(捜査箇所や移動場所を選ぶ際、カーソル移動の挙動がよくわからない点もここまで変わらないと愛おしくなってくるね)
取り調べ専門の部署という特異な設定があるにはあるものの、よくある推理系ADVの通り現場にも行くし、聞き込みもあるしで、ゲームのプレイ感としてはそこまで大きな違いは感じなかった。
登場人物達も良い意味でも悪い意味でも癖がない良い子ちゃんが揃っており、引っかかるポイントがなかった。
例えば、海外で飛び級で義務教育を終えているため16歳の若さで働いているミズキなんかは、いかにもな設定だが、彼女を掘り下げる具体的なエピソードは駄菓子の酢イカが好きなところぐらいで、かなり薄味。
芝犬の渾名がついているワンコ系青年の小柴レオとは、犬猿の仲ながら実は内心で通じ合っていそうな関係値も、それらしさがあるだけで深掘りはされていない。
短編集で5編入っているのだが、肝心の事件の方は最初の3編はかなり薄めの作り。
三つともかなり真っ直ぐな事件になっている上に、取り調べ専門の部署という縛りのせいで、フーダニットが謎の主題に置けないのが窮屈そう。
リニアで一直線の謎解きが続き、作中人物達があたかも最初から今回の事件のページ数を把握しているかのように、序盤のこれがミスリード、終盤のこれが本丸と区分けしていくような、非常にモドカシイ作りになっていた。
スチル絵が被害者や容疑者のそれしかなく、遊びの文章が無いのは、流石に硬派がすぎる。
というように、三つ目まではかなり褒めるポイントが少なく厳しい出来だったのだが、四編目と五編目は前後編になっていて文量が確保出来たからか、面白かった。
レギュラー登場人物それぞれに活躍の場面があり、事件も二転三転しつつ容疑者も多め、さらに内輪に犯人がいるかもしれない疑惑が盛り上がりを感じた。
取り調べ専門の部署という設定も、最終盤の展開を考えると腑に落ちる部分があり面白かった。
ミステリ的な薄味感とキャラクタ描写の少なさはは最後まで変わらなかったものの、取り調べ専門の捜査官が目指す場所を情緒たっぷりに描く最後の取り調べは面白かった。
全編このクオリティであればより良かったのだろうが、終わりよければ全て良しだ。
クリア後のおまけエピソードも数分で読み終わるものとはいえ、脱力ものの緩いコメディとして普通に楽しめた。
続編も作れると思うので末長く続いて欲しいし、できれば主人公にもカップリング相手が出てくるとそういう楽しみ方も出来てより良いと思った。
なお、三話でとある人物が夜中に同性の家に招待されジャグジーに入るシーンがある。
トリックの都合でジャグジーに入れたい気持ちはわかるものの、夜中に金を返すと言われて呼び出されたのにジャグジーに入る必要性がない上に、それなりに関係性が悪化している以上、どうやってジャグジーに誘導したのかの詳細が明らかになっていないのが気になって仕方ない。
折り畳めるiPhoneを出さない理由もわからないけど、おそらくAppleはもうiPhoneのような主力商品で遊びが利かない体質になっているんだろう。
それならiPadのラインナップに折り畳めるものを投入するべきなのだ。
タブレット端末の欠点はその可搬性がスマートフォンよりも劣ることだ。
しかし折りたたみ性能を持たせることでどちらの性質も持たせることが出来る。
ポケットに入り、取り出せばスマートフォンよりも大きな画面を利用できる製品の需要はある。
そして、そのような製品にはiPhoneでは実現できない可能性が必ずある。
また折りたたみスマートフォンを精力的に発売する他メーカー勢にマッチアップする必要もある。
本来ならiPhoneにそのラインナップを加えるべきなのだがそれはしない。
ならばiPadでやってみるべきだ。
生成AIに遅れを取り、スマートカーの実現もまだ遥かに遠く、レンズ型のコンピューターも値段が高すぎる。
iPhoneは毎年のモデファイだけで、これから他勢力がAIスマートフォンを登場させたときには対抗できないかもしれない。
かなりジリ貧(あれだけ儲けているのにジリ貧というのもおかしいが)具合で日本の自動車メーカーがEVの生産に遅れていることどころではない周回遅れにAppleは入ろうとしていている。
・よかった
・最初は期待しないで見てたがマキタスポーツ出てきて話聞き流しながら歩く杉本さんが実写に近すぎてそのあたりから引き込まれた
・アシリパさん(実写)の肌が透けるように真っ白なの雪国の人感あってgood
・原作読んではいたが「何がどうなってるのか」よう分からんまま脳死で面白がってたから実写にして頂いて「こういう流れなのか」ってわからせて頂いた
・画面に文字が出て「ドン!」ってなると気持ちいいのはワンピースアニメに刷り込まれてる抗えない
・俳優さん達の多くが最初の登場シーンの一番最初のセリフをアニメの声優さんの発声に寄せてて「いい…」ってなった ヒプマイのアーティスト提供曲を楽曲提供アーティストの歌い方に寄せて歌ってるのと同じ良さあったそして寄せ方が上手いさすがプロ
・まさか二階堂さんのアクションシーンが一番の戦闘見せ所とは思わなんだ 二階堂さん足長い
「ここまで見せて貰えるなら実写家永さんも見てぇ〜」からのセンキューエンディング
・梅ちゃん美人すぎやろ!からのまあ最終回であのたくましい生き様やし逆に説得力になっとるという解釈
・髪の伸びた杉本さん(実写)の野田サトル神漫画に出てくるイケメン感すご
・わがままを言うならば鶴見中尉のタラシっぷりをもう少し欲しかった
・あの海外コラの馬3分割して「漫画アニメ実写化全てが成功する稀有な例」の画像思い出した
・阿部寛?
・
・
・
・よかったけど何か心凪だなとは思っていたが
他の人の感想で「目茶苦茶良かったが原作以上のメッセージ性やオリジナル性はちょっと欠けてるかも」っていってそれやってなった
目茶苦茶再現度高いが映画で焼き直す必要…いや映画オリキャラとか謎展開とか入れられたら論外だけど
ウヌゥ…ってなった
この方法にもうひとつ欠点があって、ゴミ箱の上で物をおとすとまず発見できないっていうのもあるよ。鍵とかポケットに裸でいれるものが特にあぶない。エアタグとか必須だね。
よし、順を追って話そう。冒頭のタイトルを見てこの記事が目に止まったのであれば、あなたはズボラ人だ。そうだろう?安心してほしい、私もズボラ人だ。
ズボラ人が一人暮らしをすると、部屋が片付かない。のみならず、いつの間にかゴミが溜まり、それを片付けるのがまた億劫なのでゴミが積まれていく。以降、この無限ループはとどまるところを知らない。こうなってしまっては、引っ越しなど大きく必要に駆られないともとに戻すことは不可能になるし、あるいはその必要なときにすべき作業の量が爆発して脳も吹っ飛んでしまう。
もうおわかりだろうが、ゴミ箱を買えばこれらが解消する。
デザインとかはお好みでいいが、45L程度の容量のゴミ袋がセット可能なものを、その地域のゴミ分別をこなせる数買うのだ。例えば「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」「カン」「ビン」「ペットボトル」なら5つだ。一応、真にめったに出ないゴミ分類がある場合は流石に無視しても良い。缶飲料は絶対に買わない、とかの場合な。ただし、そうは思っていてもそのうちその手のゴミはきっと出るので、その場合はこの後の記事を読んで意図を理解した上で最適な量のゴミ箱を買ったほうがいいだろう。
そして、これらのゴミ箱を、自分の手が届く場所に全部置け。一人暮らしのズボラ人は、どうせ普段座っている場所で殆どの作業ができるようになってるだろう。その近くに置くのだ。そして、出たゴミはさっさと分類に従ったゴミ箱に入れる。自分の直ぐ側にあるのだから簡単だな?
この方法は、ゴミを捨てに行く回数を大幅に減らせることがメリットとなる。要はバッファを大きく取るのだ。ズボラ人は、やることなすこと面倒くさいくせに、「わざわざゴミ箱などなくても、コンビニで買ったレジ袋にゴミになった弁当箱を入れて次のゴミの日に捨てればいいや」などと考えてしまいがちだ。だが、ゴミの日のたびにこまめにそれらを捨てるなんてできないだろう。そもそも、そのようなゴミが1日2回とか発生したら、週に2回ゴミ回収があったとしてもそこそこの量が溜まってしまうんだぞ?小さい袋が複数だと持ち出すのも困難だ。
ゴミ箱を大きめに取ったのは、仮にこのゴミ箱がいっぱいになってしまい、そのタイミングでゴミを捨てそこねたとしても、とりあえずは「次回捨てる袋は1個」に抑えることができるからだ。袋を入れ替え、次にゴミ箱がいっぱいになるまでは時間稼ぎができる。また、デカい袋にゴミがまとまっていれば、最悪2袋まではいっぺんに出すことができる。小さいゴミが散らばらないから、床が埋もれることもない。このサイクルに自分を乗せることができれば、少なくとも部屋全体がゴミで足の踏み場もない、といった事態は避けることができる。
薄々お感じの方もおられると思うが、これは私が実際にした失敗が元であり、またそれを抜け出すのに成功した方法でもある。ここにたどり着くのに俺は7年かかったが、諸君らがそんな無駄な時間を使う必要はないだろう。参考にしてもらえたら幸いだ。
なお、大げさなこと書いてるな、と思った人もきっといるだろうが、それはあなたが私より優れているからなので気にしないでほしい。まあ真にズボラ人でも万人に向いた方法かはわからんが…
そうそう、この方法の欠点は「そこそこの床面積が予約されてしまう」ことと「見栄えが良くない」こと。後者は気にしなければそれでいいが、前者は部屋の広さが枷になるので、これから一人暮らしの部屋を探す人はゴミ箱スペースを考慮に入れておくとよいだろう。
さあ、ゴミ箱を買うのだ。
思ったよりコメント付いたな。当然自分にとっての最大効率を求めた作戦であり、その人ごとの正解があるはずで、もちろんそれでいいのだよ。単に俺はこれが良かったと言うだけのことだ。
小さい袋たくさん用意する作戦は俺には無理だった(理由は上記の通りで、それをゴミの日に部屋中回って回収するのがもう無理。これは精神的なものであって、全く理解できない人もいるだろう)。
ゴミ袋直接置くパターンだとゴミの投入口が開いた状態にならないので、ノータイムでゴミを捨てることが叶わないのだ。そう考えると、ゴミの排出回数を最小にするという作戦であると同時に、家の中でのゴミの投入効率を最大化する作戦でもあったということなのだな(気づき
>いつそれが世間様に漏れたのか知らないけど、いつの間にかそれは普通の恋愛ができる奴が、ただただ相手の些細な欠点に冷めるというクソどうでもいい概念を表す言葉として奪われてしまった
そうか?
世間もそうなんじゃない?
彼氏いない歴、年齢
ただ、それまで何の気遣いもなく友達づきあいしていて、何ならかっこいいとさえ思っていても、好意を寄せられたと知ってしまうと、だんだんと生理的に無理になっていく
その人の何かに冷めるんじゃない
私を好きになってしまうようなその人の器に冷める、のでもない
ただ、ただ、その人が私を特別なものとして考える、それだけでどうしてもどうしても無理なのだ
そしてやがてパニックになって、その人の中から私の痕跡が全て消えて欲しいと願いながら、必死で、逃げるように関係を切る
説明もこれ以上はできないし分析しても確かめようがないし、原因がわからないから直しようもない
一生まともな恋愛はできないんだ、という事実だけが、ずっと私の中に絶望となって沈んでいる
この不可解で身勝手で絶望的な現象を一言で呼び表す言葉が昔はあったんだよ
蛙化現象って
いつそれが世間様に漏れたのか知らないけど、いつの間にかそれは普通の恋愛ができる奴が、ただただ相手の些細な欠点に冷めるというクソどうでもいい概念を表す言葉として奪われてしまった
そんなん「冷めた」でいいだろ
「蛙化現象」って言葉、概念を誰かがすでに作っていたということは、自分の異様な心の動きを「ある」ものとして認められている、そしてそれを誰かに説明できる(理解してもらえるかは別として)ということで
それは私にとって一縷の救いだったのに
この先私が「蛙化現象」と言っても、「あー些細なことですぐ冷める奴だろw」ぐらいの理解しか得られないし、それはまったく理解されないよりなお質が悪い
ブーンブーンブーングルグルグルグルブーンブーンブーンブーン
「単調やなあ」
最初に突っ込んで感じたのはそれだった。
初めてオナホを使ったときに感じた吸引力への感動を人生でもう一度味わえると思ったが、その期待は裏切られた。
シコシコしなくていいから手が疲れないと思っていたが、実際には重さ数kgで取手もない大筒を構えることのほうが、数百gのシリコンを上下に動かすよりもずっと手の負担になることもすぐに分かった。
クッションの上に寝かせておけば両手が自由になるかと思い試してみるも、振動によって倒れ込んだ時にチンコがグルっと捻り取られそうになったのでこの方法は危険だ。
電動と言っても要するにオナホをグルグル回したり振動させたりしているだけであり、こんなのは普通のオナホを自分の手の中でグルグルと回したり握ったりして用意に再現できるものだ。
「電動オナホ」という言葉が持つ夢のある概念に皆が期待するものは電動オナホでは得られない。
電動オナホを買うぐらいなら2万円ぐらいの尻型オナホを買った方がいい。
尻型のオナホだったら机の上に固定して打ち付けるという普通のオナホでは絶対に出来ないことが可能だ。
冷たいのだ。
普通のオナホは手の中で握って性器とこすり合わせるうちに摩擦の影響もあり最終的には程よい温度になる。
だが尻型のオナホは違う。
内側はそれなりに温まるかも知れないが外は違う。
冷たいのだ。
ネクロフィリアの人間からすればこれ以上になく上質な性玩具なのだろうが、そうでない人間からすれば本能的な違和感が拭えない代物だ。
戯れに鍋で尻を煮込んでみたことがあるが、結果としては鍋底に当たった部分を焦がすだけに終わった。
低温調理器具につっこんでジックリと温めることも出来るのだろうが、行為中に冷めていくのだろう。
たとえば使っているオカズが「強盗に入った家の相手を思わず刺してしまい、ここまできたならばと犯していたら相手の体がドンドン冷えていき、この女の命は既に失われているということを肌で感じることとなった」といったものであるならばそれでも良かろうが、大抵の場合はそうではない。
こっちの体温ばかり上がっているのに尻の方は冷えていくというのはどうにもおかしい話だ。
発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分の欠点を、自分の意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから。
意志と責任はセットの概念で、自分の意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会のルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子がエネルギーポテンシャルの坂道を転がった結果でしかない。とはいえ、人間は意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人が意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。
しかし、能力不足だったり人格の形が社会の多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志と責任の物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。
問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分の能力の範囲内では、意志と責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間と齟齬が生まれるからだ。この増田が良い例である。増田の彼女はゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女は自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象と人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田は自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである。
だからこれから増田がしなければならないことは、彼女を人間に戻すこと、つまり可能な範囲でゲームに参加させること、ということになる。私は自由な意志によってあなたと関係したいと思っている、だからあなたも意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。
追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章が想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要な論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田が自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたしは別に「人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係も存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。
引退後の生活なら昼間に家にいるだろうけど、現役世代はそもそも昼間は自宅にいない。
余剰電力は売電されるが、無慈悲な売電価格だ。活路は余剰電力で夜の電気需要を賄う節電なのだけど、蓄電池がめちゃんこ高い。
判断基準は補助をどう活用するかで、補助金なしでプロパーな価格で導入は現実的ではない。
それ用の設備投資は必要になるのだけど、そこはそれほどではない。
ただ、これには致命的な欠点がある。
昼間の余剰電力を夜に使うと翌朝車に乗れないし、昼間に車で出掛けてしまうと、その間の太陽光発電の余剰電力は今やタダ同然の売電価格だし。