はてなキーワード: 手料理とは
自分の経験談。愚痴なので。読んで得することなしです。ご承知おき下さい。
婚活パーティで知り合って3回ぐらい会った後、お互い結婚相手を探しているという目的も話したうえで、付き合うことになった。
私にとっては、今まで会話して関わってきた内容の濃さの割りには、体の関係に進むのは早い気がして複雑な心境だった。
かといって、頑なに拒否したい訳ではなかったし、私自身はこういう進展に関してペースが遅いと思っていたから、相手に私への気持ちがあるなら…と思い体を許した。
2回目のデートでは、「お酒が飲みたい」と言われ、家で飲むことになったので私の家に泊まることに。
事前に夕食は私が作っても良いかと聞くと「〇〇ちゃんの手料理がいい♡」とLINEが。
夕食を食べて、お酒を飲んで、お互いテレビゲームが好きなので私がプレイするところを彼が見ることに。
私がプレイ中、甘えた声で体を触ってきた。私はあまりにも声質が変わった彼に若干の違和感を感じたこともあり、体を触ってくる彼を受け流してゲームを続けた。といっても10分程度だったと思う。
「一緒にはいる?」とにやにやしながら言われたが、生憎生理中だったのと、やはりまだなんかそれをする気になれず、愛想よく謝って断った。
私が髪を乾かしていると、「先に横になってるね」と言って、私のベッドの真ん中で寝だした。
甘える彼の気持ちを踏みにじった?と反省し、私もベッドに入る…と思ったけど彼が真ん中で寝ているため入れない。
どうしようかと思いながら、ベッド横に座り彼の頭を撫でた。
すると彼が起き上がって、体を求めてきた。
彼はなんだか、女の子?のように声を出し、私からすると恥ずかしいような言葉まで、喘ぎながら言う。正直、若干、引いたけど、こんなことでその人自体に幻滅することではないと思っていたので、そこで彼を見限ることはなかった。
そして彼が終わったあと、彼はまた、「眠い〜」と甘えた声でベッドの真ん中に自分の頭をのせて寝た。
私が入るスペースは無く、私は自分のベッドで寝れず、仕方なく床で寝た。
私は、不眠ぎみな体質で、睡眠について悩んでいることを彼に話していて、そのことについて彼も「今日はよく寝れるといいね」と前に私に言っていた。
実際、床でなんて寝れなかった。夜中3時ごろ、私のベッドで熟睡している彼を見て、すごく悲しい気持ちになった。心が荒んだ。
そして朝7時。彼は起きた。私は眠気と体調の悪さで頭がグラグラしていた。彼がベッドから出ると、私は無意識のうちにそのベッドに入り込んだ。布団の上で、うつ伏せで倒れるように、辛い体を少しでも休めたくて。
そうして私が横になって少しすると、彼は「じゃあ帰るね」と話しかけた。見ると、もう着替えてかばんまで身に着けている。
「昨日は寝れた?」「ごめん、俺、寝相悪くて」など言っていたが、苦笑いするしかできなかった。
そうして彼が帰ったあとしばらくしてLINEがきた。
「好きかどうか分からないし、今後付き合っても好きになれるか分からない」と。
私は体調の悪さと頭のグラグラと眠さと、悲しさと不満でよくわからない感情になっていた。
「じゃあ付き合うのやめよう」とLINEした。
あっさり同じ文面で、別れの返信がきた。
そして終わった。
私が、あの時ああしたのが悪かったのかなとか、こうしたのが気に食わなかったのかなとか、そもそもあまり合わなかったのかなとか、体の相性が悪かったのかなとか、
考えたくなかったけどたくさん考えてしまった。
そして、その出来事があってから約3週間で、ようやく平静な気持ちで、過去の人だと思えてきた時だったのに。
私と別れてから彼は結婚相談所に登録していた。(年齢と職業でばればれ)
正直、私から見て、彼は将来結婚を考えたうえで私と付き合ったのか?と疑問に思っていたので、結婚相談所に登録していると分かりなんだか啞然とした。
とともに、私はなにがいけなかったのかという気持ちに、またなってしまった。
ただ、合わない、という事はある。それは仕方がない。だけど、合わないと思った人に体を求め、ベッドを占領して寝たのは…なんでそこまでされないといけなかったのか、疑問だし、疑問に思う時間がもったいないぐらい相手を嫌いに思う。
おわります。
去年から、仕事は基本的にテレワーク。最後に出社したのはもう随分前。
テレワークに理解のある職場であることに、心から感謝している。
家族以外の人と接触するのは、週に2日だけ、食料品・雑貨の買い出し。
人混みを避けるため、夕食時以降の、人がガラガラのスーパーマーケットに行くようにしている。
外食はしない。デリバリーもテイクアウトもしていない。基本的に自炊している。
善意と幸運のお陰で、ここまで人と接さない暮らしができていると思う。
やむを得ずリスクを背負って人と接して仕事をしている人達に感謝している。
だけど、やっぱり友達と接して酒を飲んだり話し込んだりしたいと思う。
妻は、外食をしがたる。突然、外へ食事を摂りに行くこともある。
台所に立って三食を用意するのは俺の仕事なので、正直、面倒臭い。
週2回の買い出しで済むように食材・ストックを考えて組み立てているから。
そして何より、妻がコロナに罹るのが怖い。
俺も妻もワクチン接種が済んでいない。それでも、妻は外に食事を摂りに行く。
俺は行かない。妻にとっては、そのことが面白くないらしい。
出歩くことが趣味だった妻のメンタルは、俺から見て限界であるように見える。
内心では妻を咎めたい。妻を止めたい。だからせめて俺は行かない。
俺は行かず、そして、最大限の笑顔で送り出すようにしている。
妻の行動記録を手帳につけると、週の半分は外に出ていくようになってしまった。
コロナ情勢下での妊娠、出産を経て、羽を伸ばしたいのだと思う。
行って欲しい気持ちと、行ってほしくない気持ちが毎日、戦っている。
そしてその戦いは、妻の中にもあると思う。
羽を伸ばしに外出した妻は、決まって暗い顔をして帰ってくる。
娘のことを考えれていない、母としてあるまじき行為だとわんわん泣くこともある。
近所の散歩くらいに留めたら良いと提案したいが、真夏でそれも難しい。
朝夕の散歩を提案したいが、夜泣きとメンタル不調からくるスマフォ依存症で朝は起きられない。
夕方は、娘がコリックを起こして泣いていることが多くて心配ゆえに出かけられないようだ。
ままならない。
妻と俺で交代交代に買出しに行くことも当初は考えた。
だが、妻は料理をしないから、献立が考えられず、計画的な買出しができなかった。
また、あるとき、ぶらぶら半日ウィンドウショッピングして帰ってきてしまった。
妻自身、自制が効かないと泣きながら打ち明けてくれた。
そのこともあって、俺が買出しに行っている。
ときどき妻が一緒に買出しに行きたがることもあるが、我慢してくれている。
これまでのこともあるから、妻が買い物に行きたがっても止める。
何か理由があって外に出たら、ぶらぶらしてくなるのもよく分かる。
毎朝のごみ捨ては、それがどんなに少量だろうとも出すようにしている。
玄関を出てゴミ捨て場までの数十秒、数分だが、細やかな幸福だ。
それでも、もちろん怖い。怖いから、足早に済ましている。
2年前には想像していなかった。
うちはまだ子どもが小さい。まだ、生後3ヶ月。
子どもの免疫力を考えたら、とてもじゃないが、俺は不用意に外に出られない。
一方で、外に出たがる妻の気持ちもよく分かる。
週2回の買い物を、週1回に減らせないかと考えてみた。
スーパーマーケットで生鮮食品の賞味期限・消費期限を見ながら、
野菜の冷凍保存、冷蔵、その他の方法を駆使することを考えながら。
何とか1回に出来そうな気もするが、食べるものは偏りそうで現実的でない。
妻も俺も、俺の手料理にすっかり飽きている。生命線になってると思う。
妊娠八ヶ月の女性が早産しても入院できなかったってニュースを見た。
俺は、生後3ヶ月の娘を抱きながら、自然と涙が溢れた。
同時に、狂っているのは自分じゃなくて、みんながみんななんじゃないかとも思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210203235546 の続き
久しぶりに見たらなんかすごい反応あって、
なんか色んなサイトに転記されたりして嬉しかったから、酔った勢いで追記する。
ずいぶん前の記事だけど興味ある人だけ見てってことで。
でも根本的に家事が嫌いなんだね。家を綺麗に保とうとか思わないし、ご飯も手料理である必要性を感じない。
できたら楽しいのかもしれないけど、体力使うし、やっぱりコンビニでパン買うのが最強なんです。
そもそも自炊なんて週1でもきつい。料理なんて今の時代ただの自己満足でしかないんだから。
次にお金。さすがに生活費出してたよ。東京出てきて正社員やってるので。
ただ彼の方が稼ぎもいいので家賃は4割負担でいいと、そこはちゃんと話してた。ちなみに彼は3つ上。
あと夜の方で繋ぎ止めてたみたいなコメ見たけど、最後の方はレスだったかな。
そもそもセックスそんな好きじゃないんだよね、行為より雰囲気の方が好きっていうか。
彼のことは好きだったけど、寝てるだけで済むなら結局それが一番楽なのよ。
たまにテクがどうとか聞くけど、これまでの彼氏もそれなりに満足してたみたいだし、
元々そんなに興味もないから調べたりはしなかったね、こういうところもダメなのかも。
ここまで書いてなんとなく察したけど、私は自分の人生以外に興味ないんだろうね。
何で自分が結婚しようとしてるのかさえわからないし、子育てもあんまりって感じで。
とりあえず今月30歳を迎えたので記念に残してみた。
結婚て車買うのに似てるかも。
買える人、買えない人、買わない人、買えないのに買わないだけって言う人、
幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎の関係性は、最近の赤井家フィーバーの最中では朧気になってしまう。
こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムでアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。
(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである。
ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎の関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)
改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。
これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。
ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。
毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。
最近だと、映画「ゼロの執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。
あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理を吹き出してしまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物のたっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。
小五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。
こうした少年漫画における女性の男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。
クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写がコンプライアンスの関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。
もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実とコミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。
そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画だからだ。サスペンスドラマでももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。
その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーションが存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。
撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである。
殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。
『コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェや家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。
計画性も低く、犯人の動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。
(何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実の事件も、ドラマチックな犯人の動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である)
さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。
つまり、『自分の料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物のたっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機と手段とシチュエーションが三拍子揃った場面なのだ。
鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。
前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)
もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。
コメディと一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリな描写なのではないかと思う。
そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。
ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。
端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。
びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。
『名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写は通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写は通用してしまうのである。
あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物を一口頬張ってしまうのだ。
つまり小五郎のツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである)
まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである。
ややフィーリングな結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。
それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。
深刻なように見せかけて、冗談だった。
愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。
仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ、自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。
ともすれば作中の『犯人と被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。
『コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。
ラブがきっかけで阿呆なやらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものだからこそ、威力が軽減されるのである。
恐らくあの世界で『犯人と被害者』になってしまうカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ。
そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。
なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。
あの夫婦はかわいらしい。
ただそう思うだけで良かったのだ。
さて。
(終わり)
高校卒業後即入隊してずっと営内だったので、実家の母の手料理より自衛隊のメシを食べた回数の方が多いかもしれない。
思い出深いマズかったメシをつらつらと書いていく。
当初メニューの誤植ではないか(よくあった)と考え、とんこつラーメンを楽しみにしていたのだが
場末のサービスエリアで食べるようなしょうゆラーメンに、わりとデカいとんかつがスープをたっぷりとすいこんで
しっとりと鎮座していた。
カラッとした揚げ物が好きな自分にはラーメンスープに浸ったとんかつは辛かった。
この某巨大駐屯地の食堂は天井がめちゃくちゃ高くて、天井ででハトやスズメが数羽いつも飛んでいた。
今思えば衛生的にどうなの、という感じだが当時は誰も何とも思っていなかった。
今はもうありません。
② しつこく喰わされた「うなぎ」
これは多分何年か前TVで話題になった、とんでもない衛生管理の中パックされた中国製の輸入うなぎだと思う。
本当にまずかった。週2くらいで食わされいた。
多分とんでもなく安く仕入れていたのだろう。
これは一度だけ出た。ただただ硬かった。
でも当時は本当に日本米が無かったから、メシが出るだけありがたかったです。
⑤ひたすら薄い「味噌汁」
平成初期の減塩ブームにのっとり、うっすらと味噌色のお湯がよく出された。
いつも自由に使用できた卓上ふりかけが撤去されたときは本当に泣きたくなった。
どんなマズイおかずでもふりかけさえあれば、メシが食べられたので。
しかし、時代が進むにつれ肉体労働時の塩分接種の重要さが浸透したのか
味はまともになっていった。
風の強い日に外で食べる缶飯は、砂が入ってジャリジャリして嫌だなあ、とか
そういう小さいことはたくさんあったけど、今思い出すのは
一緒に食べた先輩、同期、後輩と楽しくメシを食べたことだけです。
イヤだったメシの思い出がこれしかないということは、大概美味しく食べていたんだろうなあ。
好きな食べ物はなんですか?と聞かれ、即答できる人が心底うらやましい。
どうでもいいことじゃないか。とか、好きな食べ物くらいすぐ思いつくだろうと感じていると思うが、
好きな食べ物を即答できる人は、世の中にほとんどいないのではないかと思うほど難しい質問だと感じている。
自分に好きな食べ物がないと実感したのは、結婚後に配偶者の実家に泊まった時だ。
当たり前のように問いかけてきた。
「好きな食べ物はなに?」
この一瞬で私の頭の中では様々な思考が巡っていた。
当たり前のように食べたい物を探した。”寿司”、”焼肉”、”アイス”、”コーラ”、”ビッグマック”、”梨”、"餃子"、"ビーフシチュー"・・・
好きな食べ物はたくさんある。だが、これといって特別好きな食べ物はない。今食べたいものが何かと考えてもまったく響かないのだ。
また、おそらく義母が想定している食べ物は、”ビッグマック”のようなジャンクフードや"梨"という果物ではなく、手料理のことを想定していると思う。
ここで私がジャンクフードを答えることは想定にないはずだし、材料の制限だってあるはずだ。
一般的に牛肉の塊が常備されている家はほとんどないはずで、材料をどうするか困らせてしまう可能性が高い。
そしてなにより、私は中が赤くレアになっている柔らかい"ローストビーフ"が好きなのであって、
硬くなってしまった"ローストビーフ"はどちらかというと嫌いだ。自分のわがままであるのはわかってるが、
初めて夕食を共にするのに作り笑顔で「美味しいです」という未来を想像したくない。
"寿司"と答えた時はどうだろう。
大トロ、いくらは苦手だし、アジやイワシなどの光物系もあまり得意ではないので、鮮度がいいものではないと食べられない。
これを踏まえると、私がする回答は、「寿司が好きですが、大トロ、いくらは食べられません。アジやイワシは好きなのですが、鮮度がいいものしか食べられないです。」
と答えることになる。
ほぼ初対面の状態でこの回答は難しい。
"カレー"であれば、材料に特殊なものはないし、作成難易度も高くない。
あえてデメリットをあげるとしたら、面白くない人間だなと思われるだけである。
適当に答えたとしても、この先長い付き合いになるはずだ。どこかで矛盾が生じると困る。
本当に好きな食べ物であれば、「好きな食べ物はなに?」と聞かれたタイミングで、小難しく考えなくても即答できるはずだ。
どんな結果になったとしても後悔しない結果になるはずだ。
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
1995年は私が美大に入学した年で、テレ東の夕方のアニメでも、日曜の朝のアニメでも話題にできる環境にいました。
だから、どっぷりエヴァに浸っていた。学食でエヴァの話ができる環境なのです。
まあ、美大生なのに他人様が作った作品をどうのこうの言っている状態は、意識高い系の美大生からするとガキっぽかったかもしれませんが、まだ1年生ということもあって、それはそれで楽しかった。
そして、TV版の終盤のグダグダ。でも、そのグダグダさえ楽しかった。
限られたテレビという時間の中ではよくあることだし、終盤おかしくなっていくアニメなんて沢山ある。
しかし、TV放送終了後に、なぜか話題になっていくエヴァ。時代はルリルリではないのか?
そして、劇場版。
TV版の総集編を映画館でわざわざ観させるって凄いなと思ったし、わざわざ観たくないと思った。
期限内に終わらせられなかったら、どんなに素晴らしい作品でもボツではないのか?と。
いや、美大生化は違うかも。こいつスゲーなというようなやつは、よく期限内に提出できなくて、
先生に頼み込んでなんとか時間を伸ばして仕上げてくるやつで、単に私がそういうやり方が嫌いだっただけかも。
そういう、交渉してまで作品にガッツク根性的なものに対する嫉妬だったかもしれない。
その後、就職氷河期世代となった私は、職を何度か変えながら、今はMacで何かを作る仕事をしている。
まあ、私の名前が出るような作品もなく、何者にもなれていない私ですが、何とか食っていけています。
ここ10年ぐらいは、日本酒にハマっていますが、エヴァのTV版再放送に獺祭が出てきたときは引いた。
気持ち悪い。
最近は、アマプラでヱヴァを観ました。別の世界線の話なのだろう。
TV版終了後に持て囃していた人たちは、このリメイクをどう観るのだろうか? 私は蛇足でしかない感じた。
いや、別の監督によるヱヴァの世界だったら楽しめたような気がする。
同じ監督が作るから、その作品を見るときに、わざわざ記憶に残るエヴァを引っ張り出し、
ダラダラと、書き連ねていたら、わかってきた。
この抵抗感は、多分、TV版当時の楽しかったモラトリアムな時間の記憶と共にエヴァがあるからなんだろうと。
当時の私のPowerMac 7500の起動時には、アスカのエヴァ起動時のドイツ語が流れ、
システム終了時には、ミサトさんが「メインケーブル切断!」と言っていたし、
エラー音は、伊吹マヤの「不潔」だったり、リツコの「探しても載ってないわよ」だったりした。
エヴァ一色だったわけではなく、高校受験と大学受験とで、いろいろオアズケになっていた90年代のガンダムを観まくったし、
ガンプラや戦車のプラモデルも作っていたし、FSSのガレージキットにも手を出していた。
コスプレをする気はなかったけど、ミシンを買って、丈の長いシャツを作ったり、
SC-88Proを買ってDMTやったり、ギター買ったりキーボを買ったり、
フイルムカメラを買ってユニットバスを暗室にしてモノクロ現像したり
バイト先の女子にも手を出して、飲みに行ったり、私の部屋で手料理をふるまったり。
受験というものから開放され、3年生の後半ぐらいから意識しだす就職というものまでの、2年半のモラトリアム。
ただただ充実していた。自分の中では超満足している。
だから、いちいち戻りたいとも思わないし、やり直したいということもない。
ただ、話題のシン・エヴァンゲリオンは楽しめるのではないかと思っている。
そして、一緒に酒を飲みたいかも。
・増田友人妻は「いつまで食べてればいい」をきっかけに手料理を食べさせるのを諦め、完全冷食へ
・増田友人は普段から料理や育児をせず、子どもの偏食に全く理解がない
・増田友人がネグレクト親父だから、増田妻は子供を任せて実家に帰ることができない
増田が友人妻へ最大限の邪推で虐待と決めつけているからバランスをとった。
以下疑問
・増田友人は何故はじめ「冷食しか食べさせていない」を「食べさせていない」と言ったのか?
・増田友人が冷食オンリーを問題だと思っているなら、何故妻にそれを辞めるよう働きかけないのか?
・既に妻に働きかけたが無駄だったとして、何故増田友人は妻に変わって子どもに手料理を与えないのか?
だったら嫁さん、娘としてなおさら実家に帰って親の看病をしてもいい立場だし、育児も嫌だ、看病も嫌とか幼児か?とムカついてきたし、事実これを感情剥き出しで言ったら
「まあ、そう思うのが普通だろうな。でも俺としては、子どもが世界で一番好きだって言って甘えてる相手と子どもを引き離したくないんだよ」
・上記の文章からは、増田友人の「母親と子を引き離したくない」という欲求から、妻は実家に帰らずにいるようだ。増田は何故、『育児も嫌だ、看病も嫌だとか幼児か?』に表れるように「友人妻は看病が嫌だから帰らないに違いない」と意味不明の決めつけをしているのか?意味不明で怖い
発達障害児の育児に完璧を求めすぎている増田が怖い。偏見だが、この手のベストな育児を求める輩は自分の不出来をいくつになっても親の責任にし続けるカスが多い。邪推すると増田も当事者で、上手くいかないのを幼少期の親の育て方のせいにして、いつまでもガキ目線で生きてる奴なんじゃねえかと。自分も発達当事者として、この手の偏見を持ちたかないが発達界隈はそういう奴が多すぎて辟易としている。
嫌味言うと、「他人の子供のことを気にする前に増田は増田ですることがあるのでは?」と言いたい。テメェが子供作って完璧な育児してみてから健常者様に物申せ。
日本のバリキャリ女性(政治家・管理職)を増やすためには、家事・育児・介護を引き受けて妻をサポートする主夫を増やすしかない。
毎年公表される度に日本は120位、また下がったと嘆かれるジェンダーギャップ指数だが、内訳を見ると日本が圧倒的に弱いのはバリキャリ女性の割合であり、ここさえ上げれば指数は大きく改善される。
主夫を増やすためには、陳腐で時間の掛かる道のりだが、やはり学校教育で主夫を目指す男子を増やし、女子も主夫を夫にするように誘導するしかないだろう。
家事や子育てに関心や適性を示す男子を教師が他の生徒の前で褒めて褒めて褒めまくるのは当然として、女子にも「結婚するなら家庭的な男」と植え付ける必要がある。
「女子の皆さんは、足の速い男子、お勉強のできる男子、お喋りの上手い男子が好きかもしれませんが、ソイツらは家のことは妻に押し付けて自分が出世することだけを考える大人になるので結婚してはいけません。結婚するなら働く女性をサポートする家事や子育てが好きで得意な男子にしましょう」
「私は大企業で役員を経験し、起業して成功し、政界に転じて大臣になり、二児の母でもあります。私のキャリアを支えてくれたのは主夫の夫です。夫が育児を全て引き受けてくれたから産休を一ヶ月で切り上げて仕事に戻ることができました。他の女性とは違い子育てでキャリアが中断する不利が無かったのです。最高の男性と結婚しました!」
「私は名門大学でラグビーをしていた商社マンの夫と結婚しました。良い結婚をしたと思っていましたが、夫はすぐに浮気し、子供を抱えて職歴も資格も無い私は離婚もできずに毎日惨めな気持ちで暮らしています。
こんなことになるなら、お泊りデートの度に手料理を振る舞ってくれて『僕はビジネスの世界の競争が苦手だから、家庭に入って愛する人を支える生き方をしたいな』と就職活動もしていなかった学生時代の彼氏を甲斐性無しと見下さないで、彼と結婚して私は仕事に打ち込む人生を選ぶべきだったと後悔しています」
こういう言説を女子に浴びせ続けて夫選びの好みを人工的に改変しなければならない。
その日は、普段料理を作ってくれる母を労うため、夕食の支度を担当すると申し出た。予算が言い渡されて、その中で献立を考えることになった。その頃自分は、ステーキ肉の脂身から卒業して、刺身のうまさに目覚めた頃だった。刺身ならご馳走だし、ややこしい調理もない。包丁さえ操れれば料理初心者の自分でもなんとかなりそう。というわけで、父親にダイエーまで連れて行ってもらい、刺身用のアジを丸ごと一匹買ってきた。値段もお手頃だし、それでいて王道のマグロより光り物の方が大人っぽく贅沢な気がした。しかしそもそも魚など捌いたことがない。雰囲気で三枚おろしに挑戦するも、案の定、身がボロボロになりとても刺身にできる状態ではなくなった。涙目になる僕。そこへ父が助け舟を出してくれた。父が言うには、アジを細かく刻んで味噌やらネギやらと一緒に包丁で叩いた「なめろう」なる料理があるらしい。そこで急遽、もはや刺身とするには目も当てられないほどよれよれのアジの身を、証拠隠滅の勢いで叩いてなめろうに仕立て上げ、人生初の手料理を母に振る舞うことができた。母はいたく感動したらしく、それを同級生のママ友に触れ回ったせいで、それからしばらく僕は周りからからかわれることになった。基本口数少なめで、ラグビー部に所属しているような思春期の男子校生が料理なんて、と。まだ昭和だった頃のなめろう一口話。