はてなキーワード: SC-88Proとは
当時20万近くしてプロしか買えなかったKOMPLETE5が突如セールをやり、学生でも5万円でスタンダードで買えたことが感慨深いね。
(プロ御用達だったミックスマスタリングツールWavesもそう。2008年くらいのプロしかできない電子音楽からアマチュアもできる電子音楽に変革した気がする。その後ボカロも出てきた)
元増田がいいたいのは、枠を超えた新しい音楽表現が近年でていないのではないかという話だと思っている。
そこで個人の音楽体験をいうのは違う。(ブコメでも一部言及されている)
元増田がテクノ界隈なので、音楽理論(=現代音楽、微分音含む)の話はおいておく。
なお、民族音楽とテクノの組み合わせは広範囲で実施されていることは存じ上げていて重要だが、枠を超えたという意味だと弱いと思う。
(個人的には西アフリカのジャンベの複雑なリズムがテクノに活かされてほしいが、別に大局的には新しい音楽ではないだろう。リズムパターンを変えただけなので)
私は歴史でしか知らないが80'sや90'sは電子音楽の全盛期だったと感じる。技術のアップデートが音楽につながるといった流れだ。
有名なのはシンセサイザーTB-303だが, TR808 or 909 もあるし、鍵盤系だったらJD800(それこそ小室哲哉のピアノ)やsupwersawのJP8000(8080)もあった。
また、シンセではないSC-88proのようなPCM音源(≒いわゆるMIDI音源)も重要であろう。アマチュア音楽家もハマり、それが今のDTM人口にもつながっている。なにより、プロも使用していた。(レイハラカミやボカロ勢(i.e. sasakure.UK))
また、各種トランス(サイケ含む)やドラムンベースなど一世を風靡したジャンルがあったのもこのころだと思う。
あとオウテカのような音響系も盛んだった。あと日本でいうWEGのようなIDM系もね。
00's後半になるとエレクトロ全盛期があった。ダフトパンクやジャスティスだね。
10's前半はスクリレックスに代表されるベース音楽(BROSTEP, etc)が流行った、スクリレックスは従来の加算系シンセFM8で音を作ったとのこと立ったが、いままで減算シンセでつくった音をいかにひずませるか(それこそ00's後半)からすると衝撃的だったよね。しかも当時倍音を出せるソフトウェアシンセMassiveでなくFM8でやったなんて。そこからウェーブテーブルシンセの音色(おんしょく)探求が始まった。増田もそこらへんの世代。一方ニコニコではボカロが黎明から全盛期になっている。ここを組み合わせたうまい人は今一戦でやっているね。
そのあとは、2013年くらいにTrap やFootWorkといった80'sリバイバルが起き(FootWorkはリズム芸人なところもあって好きだが)
そのあと#Seapunkを経たFuturebassが主流になり、数年前ベースとボコーダーを合わせたColourBassが流行っている。
並行してボカロ≒JPOPもリリースカットピアノだの譜割りだのはアッパーになっている。
東方の原曲は自作の同人ゲームBGMで、作者の神主ことZUN氏は多分昔からSC-88Proとかの良い音源を使ってDTMしてたとは思うんだけど、結局はMIDIなわけよ。
楽譜はかなり技巧的で複雑怪奇なんだけど(実際自分が作曲したものを聞いてもらうためにゲームを作りはじめたと言ってた)、音自体はMIDI音源をサンプリングしたにしては(良い音源使ってるから)だいぶリッチに聴こえるとは言え、結局は一人で作った打ち込みサウンド感が滲み出てるわけ。通になるとこのDTM感こそZUN作品の味だと分かるものの、普通の人は「すごい個性的な曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感をおぼえる具合。というかピアノもドラムも人間業じゃないしベースも大抵和音で鳴ってる。
だから、このなんかヤバい曲を俺らのバンドで再現してみよーぜ!だとか、この聞いたことないくらいメロディアスなBGMに歌詞つけて歌ってみましたわ!みたいな、二次創作欲が刺激される原曲でもあった。そして神主も二次に寛容だった。
アニメMADみたいな、基本商業流通している洗練された作品を切り貼りして面白おかしいナンセンス動画を作り、こっそりネットのオタク内で楽しむ方向ような方向の二次創作とは真逆だったわけ。
ボカロというのは、クリプトン社などが公式として一次の権利を持つ商業モノではあるけども、楽器ソフトとしての音声データとその声の主というキャラ設定だけが一次設定としてあるにすぎない。
そこに不完全性というか、むしろユーザーの創意工夫によってキャラの世界観を作ってくださいねとする商品なわけなので、これも東方のように二次創作欲が刺激される元コンテンツなわけよ。
それでボカロPと名乗る多くはアマチュアのDTMerたちが、言ってしまえば楽曲を披露したくってゲームを作ったZUN氏のように、自作曲を公開していくわけ。
でもそこはアマチュアなりの編成の拙さがあったり、ボーカルもボカロという普通の人が聞くとケロケロと聴こえる萌え声風機械音声にすぎないわけで、「すごい癖のある曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感を覚えてしまう具合。
なので三次創作として「××(ボカロ曲)歌ってみた」とか「演奏してみた」というのが生まれてくる。
これが大手アーティストの曲とかだと少し抵抗や遠慮、あるいは権利面の危うさから一歩踏み出す人は減ってくるところだが、ボカロだとボカロ曲作者自体が自分たちと同じ同人音楽畑の人間だということが分かるから、抵抗が減る。
1995年は私が美大に入学した年で、テレ東の夕方のアニメでも、日曜の朝のアニメでも話題にできる環境にいました。
だから、どっぷりエヴァに浸っていた。学食でエヴァの話ができる環境なのです。
まあ、美大生なのに他人様が作った作品をどうのこうの言っている状態は、意識高い系の美大生からするとガキっぽかったかもしれませんが、まだ1年生ということもあって、それはそれで楽しかった。
そして、TV版の終盤のグダグダ。でも、そのグダグダさえ楽しかった。
限られたテレビという時間の中ではよくあることだし、終盤おかしくなっていくアニメなんて沢山ある。
しかし、TV放送終了後に、なぜか話題になっていくエヴァ。時代はルリルリではないのか?
そして、劇場版。
TV版の総集編を映画館でわざわざ観させるって凄いなと思ったし、わざわざ観たくないと思った。
期限内に終わらせられなかったら、どんなに素晴らしい作品でもボツではないのか?と。
いや、美大生化は違うかも。こいつスゲーなというようなやつは、よく期限内に提出できなくて、
先生に頼み込んでなんとか時間を伸ばして仕上げてくるやつで、単に私がそういうやり方が嫌いだっただけかも。
そういう、交渉してまで作品にガッツク根性的なものに対する嫉妬だったかもしれない。
その後、就職氷河期世代となった私は、職を何度か変えながら、今はMacで何かを作る仕事をしている。
まあ、私の名前が出るような作品もなく、何者にもなれていない私ですが、何とか食っていけています。
ここ10年ぐらいは、日本酒にハマっていますが、エヴァのTV版再放送に獺祭が出てきたときは引いた。
気持ち悪い。
最近は、アマプラでヱヴァを観ました。別の世界線の話なのだろう。
TV版終了後に持て囃していた人たちは、このリメイクをどう観るのだろうか? 私は蛇足でしかない感じた。
いや、別の監督によるヱヴァの世界だったら楽しめたような気がする。
同じ監督が作るから、その作品を見るときに、わざわざ記憶に残るエヴァを引っ張り出し、
ダラダラと、書き連ねていたら、わかってきた。
この抵抗感は、多分、TV版当時の楽しかったモラトリアムな時間の記憶と共にエヴァがあるからなんだろうと。
当時の私のPowerMac 7500の起動時には、アスカのエヴァ起動時のドイツ語が流れ、
システム終了時には、ミサトさんが「メインケーブル切断!」と言っていたし、
エラー音は、伊吹マヤの「不潔」だったり、リツコの「探しても載ってないわよ」だったりした。
エヴァ一色だったわけではなく、高校受験と大学受験とで、いろいろオアズケになっていた90年代のガンダムを観まくったし、
ガンプラや戦車のプラモデルも作っていたし、FSSのガレージキットにも手を出していた。
コスプレをする気はなかったけど、ミシンを買って、丈の長いシャツを作ったり、
SC-88Proを買ってDMTやったり、ギター買ったりキーボを買ったり、
フイルムカメラを買ってユニットバスを暗室にしてモノクロ現像したり
バイト先の女子にも手を出して、飲みに行ったり、私の部屋で手料理をふるまったり。
受験というものから開放され、3年生の後半ぐらいから意識しだす就職というものまでの、2年半のモラトリアム。
ただただ充実していた。自分の中では超満足している。
だから、いちいち戻りたいとも思わないし、やり直したいということもない。
ただ、話題のシン・エヴァンゲリオンは楽しめるのではないかと思っている。
そして、一緒に酒を飲みたいかも。
前エントリが思いの他読んで貰えて「まぁ、こんなものか」と思っていた20数年の枯れたプログラマ人生に幾許かの水を挿して貰った気分になった。ありがとう。
続きを書いて欲しいという声もちらほら頂いたので調子にのって書いてみた。
↓前エントリ
https://anond.hatelabo.jp/20210130001953
年収が高いのでは?という声をそれなりに頂いた。
最初に所属した会社が倒産をして先輩の起業に付いていったのだが、その会社が完全歩合制の会社だった為、多重派遣としては良い方の収入だったように思う。
例えば、月単価から2割が会社のお金、8割が自分の取り分というようなシステムである。勿論、仕事が無い時は収入はゼロ。
前エントリでも書いたが、個人でフリーでいるより単価交渉をしやすく、将来貰えるかは解らないが年金も2階建てに出来る。
現状ではある程度キャリアのある人達にとっては悪くないシステムなのではと思う。
ただ、退職金も無く、手当も通勤手当さえもないので福利厚生も貧弱なのを考えると大手と同じ金額感ではないはず。
多重派遣の会社でも月単価80万~100万の人間は居るし、特にDB技術者やネットワークの技術者として特化している人には年収1000万プレイヤーでタワマンに住んでいるような人も居るので多重派遣の人間の収入も様々だ。
会社によっても給与体系はマチマチで、過去に私が自社(SES時代の最後の会社)に引き抜いた人は年収が1.5倍くらいになったのではないだろうか。
だからSESでも会社を変えるのは多分、有効な収入アップの手立てなのだろうと思う。
実は仕事ができる人というコメントも多く頂いたが、私と一緒に仕事をしてきた人達が読んだらしかめっ面をするのは間違いない。
期待を裏切ったようで申し訳ない。
今回は派遣先のウンコ事情についての話からだ。大事な話なんだ。申し訳ない。
派遣先は男ばかりの社会であることが多い。しかも現場ではすし詰めである。
最後の現場なんかは長机に90cm毎に青の養生テープが貼ってあり、そこが1人分のスペースだった。
ちょうど2枚の液晶モニターがおけるギリギリである。勿論、そこにはIT技術者しかおらず、顧客は居ない。
養鶏場の鳥である我々に人権など無い。コロナの感染などもあれば鳥インフル並にあっという間だろう。
人数も多い・男が多いとくれば当然、男性トイレの個室が足りない問題が発生する現場が当然多かった。
更に困ったことに、休憩を取りにくい業界である為、一息つけるパーソナルスペースが本来ウンコをする場所であるトイレの個室くらいしか無く、休憩に使っている人も多く居た。
私自身、無呼吸症候群がひどくて眠すぎる場合はトイレの5分の仮眠をとっていた。
リモートワークはトイレの個室問題も、休憩のとり方についても一つの解決策になるのかもしれない。
何度も何度も漏れそうになったが、肛門まわりの筋肉の活躍により、大事に至らなかった。頼もしい鉾である。感謝。
・オフショア開発の話①
野田が大臣・総理だった時、「円高を注視していく」というコメントを多く残していた。
一滴一滴を見つめるだけが仕事になるというドモホルンリンクルのCMが昔あったが、聴くたびそれを思い出していた。
円高に加え、当時は中国・他アジアの人件費が現在よりも低いということもあり、オフショア開発のブームが起こった。
「海外情勢等を勘案し」という理由で単価が2回下がった。合計で月単価が10万円は下がったはず。
その金額は最後まで巻き返す事が出来なかった。だから私のプログラマ人生で最高の収入を得ていたのはこのときの円高前ということになる。
余談だが、この時期、とある「なんちゃらソリューション」社では開発拠点の北海道・沖縄への移転が真剣に検討されていた。
何故なら北海道と沖縄は開発の単価が低い(給料が低い)からだ。同じ日本人であっても。
日本人を北海道・沖縄に移動させて安く使おうという会社に畏怖しか感じない。
同一労働・同一賃金の世界にならなければ地方民の流出なんて治まるわけがない。
・オフショア開発の話②
中小のベンダーではオフショアで失敗している所が非常に多かった。制作されたもののクオリティが低いか完成に至らない為だ。
当時の中間会社から「明日からインフルで1週間ほど倒れた事にして現場を休み、中間会社に来て欲しい」と言われたことがある。
欲を出して自社開発(という名のオフショア開発)に手を出し、見事に失敗し、その尻拭いを手伝って欲しいという事である。
私は言われたとおり嘘を付いて現場を休み、中間会社で7日間(土日も出勤)、無償奉仕でオフショア開発でダメだったプログラムの修正をさせられた。
基礎的な部分もまるでダメだったので日本人が書いた仕様書を見て1から全部組み直し。
北海道のとある大手である。私としては借しのつもりだったが、私が仕事が無いか問い合わせた時に対応が非常に冷たかったのを忘れてはいない。
しかもこの会社は私の事を1次プロパーが評価して単価を上げていてくれていたのにも関わらず、上がった分をただただ吸い上げていた。
当然、働きの割に単価が低いので次の現場に移動するという話になったのだが、その時にこの会社の営業から「単価を上げるので考え直せ」と必死に食い止められた。勿論断り、その営業は1次プロパーからこっ酷く怒られたそうだ。ざまーねえな。
ただ、これは3次受け4次受けの会社には良くある話なので、皆さんも気をつけてくだされ。
余談だが、公的機関のシステムも海外開発で作られていることが一時期は凄く多かったように思う。
良くルーター等で海外産だと情報流出が・・・といった話が上がるが、そもそも海外開発のシステムなんて抜け目を作ろうと思えばやりたい放題だし、そのほうが問題なんじゃないのと思うのは私だけなのだろうか。
私の20数年のプログラム人生の殆どにおいて開発PCのメモリが4GBだった。これほど恐ろしい話は無い。
eclipseで開発していてもである。開発PCのメモリの少なさに嘆いている派遣プログラマの増田も多いことだろう。
金融システム開発の現場では未だにCore2Duoマシンが現役の開発マシンの所もある。人権が無い。
一定額以上のPCに関しては減価償却という面倒な経理手順が関わってくる為、関連会社にリースというレンタル契約、及び保守契約している所が大手にはそこそこある。そうするとPC一式15万円のものが数十万円に化けてしまう。
実際に保守をしてくれるかというと微妙で、要は減価償却を理由にした誰かの利権なのだ。
リースマシンは長く使われる傾向にあり、未だに古いマシンが現役の場合もある。
サーバーサイドの開発であればTeraTermとエクセルとメールソフトが動けば大丈夫な現場もあるので、そういう現場はまぁ大丈夫なのだろう。
私も近年までPentium4とCore2Duoマシンには長くお世話になった。くそが。
中小企業は特例もあるが、PCの減価償却のシステムが日本のITを劣化させているのは間違いない。
そろそろ8GB以下は人権侵害ということで良いのではないだろうか。
・5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話
システムがアラートの音楽を鳴らす仕様が来た時、現場は軽く混乱した。
そもそもアラートの音楽をどう調達して良いのか解らないからである。
「ボカロPの増田さんが作れば良いんじゃない?」という話も出て殺意を覚えるなどした。
初音ミクさんにアラートの歌でも歌わせればよかったのだろうか。ただそれはそれで可愛い。
私から著作権フリーの音源を買うのはどうか?と提案し、採用されたものの、
実際の採用までお偉方と顧客が数週間議論をし、ようやく決まった。
何を議論していたのかは知らないが、彼らの単価・給料を考えると数百万のコストは掛かっただろう。
SC-88ProのMIDIブームの終わりの時にMIDIを触っていた人間なので、初音ミクさんという天使が現れた時は飛びついたものだ。
良くて数万再生の曲が数曲あったのだが、数十万の持ち曲があるミクさんという天使の前では本当に無名の存在だ。
ただ、それでも他の活動もあってTwitterに数千人のフォロワーが居る。(詮索はしないで欲しい)
それを何も知らない人が見たらどうなるか?
じゃあ実際にそのジャンルが好きな人が私を知っているかというと間違いなく私のことは知らないだろう。
そのジャンルの沼のほとりの草のつもりでいるのに、メジャーリーガーの4番バッターの如く語られ、
そのジャンルに少し詳しい人間に実際に調べられ、「全然だよ」と言われる地獄が増田達に伝わるだろうか。
何もしていないのに、何も誇示していないのに、実際に草でしかないのに
勝手にメジャーリーガーの如く言われる気持ち悪さが解るだろうか。
今回のは「イマイチだったね」と言われる地獄が伝わるだろうか。
曲を聞いた現場のリーダーに「増田のポエム(歌詞のこと)読み上げちゃおうかな~」とか最悪ないじりをされる地獄。
その現場に居た事のあるプロパー会社の人間が中洲でボカロが好きなキャバ嬢に私の名前を出して口説いて居たらしい。
「あいつのこと紹介してやるよ」と得意げなプロパー。突然キャバ嬢から連絡が来たが、当然キャバ嬢は私のことなんぞ知らなかったというオチ。
何故何もしていないのにこんな微妙な気持ちにならないといけないのか。
同人活動は職場でバレないように気をつけろ。増田との約束だよ。
余談だが、ミクさん以前はオフの時間はずっとネトゲのリネージュをしていた。
仕事が忙しいので友人も作る時間が無い。そもそも友人を作るのが得意ではない私にとって
ネトゲは人とのゆるい繋がりを作ってくれるのにちょうど居心地が良かったのだ。
たまたま入ったチームが当時ワールドのとある地方を半年に渡り占拠することになるチームで、
数百あるワールドでこれを成し遂げたのはこのチームだけという実力あるチームだった。
地方を占拠すると2日1回戦争を受諾しないと行けなくなる。大抵は22時から行われるのだが、これが面白かった。
戦争のある日は戦争時間に合わせて仕事を切り上げ、戦争の無い日は終電という生活をしており、
同人活動と違ってリネージュユーザーであることはオープンにしていた為、
同人活動バレした現場を覗いて、趣味活動は私を随分と精神的な面で支えてくれたように思う。
また長くなった。パワハラや理不尽な話は続けると胸焼けするかと思うのであっさり目にした。
さすがに20年以上働くと色々あったなと。