はてなキーワード: 怠惰とは
お前らみたいな口だけ達者で役に立たねえ奴が政権を取ったのが民主党政権 ○
アベに何年も首相させてたのは国民の総意(笑)とかいう報道一つで切り替わりやすい上にたった一人に責任をおっかぶせる怠惰な体質を振りかざされたせいでろくなことにならなかったから安定感のある動きが出来るアベに半独裁でもなんでもいいからやらせてただけ、あと独裁だったらお前ら一人ずつ吊るされてるレベルの罵倒を言ってるし、お前らの好きな首相を揶揄するジョークがひとつも面白く無いのはやりづらいことをやらせてるという罪悪感がネタにしちゃいけない空気感を作ってたし、何よりアベの手下共が勝手に忖度して自爆してたのがあの詐欺事件の真相なんだからもう言うことない
続けるコツ ゆるぼ
理由としては先月から一人暮らしの為の貯金を始めて、毎月の貯金額を増やしたいから。
実家だから普通に毎日千円弱昼飯に使っても生活はできてるけど、借金を月3万返しているので貯金が捗らない。
副業して収入増やすことも考えているがまずは手っ取り早く昼を節約したい。
昼買うためにコンビニ寄ると飯以外にもおやつ買っちゃうじゃん?無駄・オブ・無駄。
弁当生活に憧れて今まで何度も挑戦してきたが朝起きれないし弁当箱洗うの面倒だし続けられない。
なんかいいアイデアはないものか。作り置きおかずおすすめレシピとか怠惰な人間のための弁当作りとかそういうのを知ってたら教えてくれ。頼む。増田にはクズと社会人とママが入り乱れてるって知ってんだ、ボカァ。
ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。
先日
https://ddnavi.com/serial/563023/a/
ほんで
早稲田政経の発達障害先輩が職場で不適応を起こしている話を読んだ。
母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。
母親は高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。
今まで「恋愛はダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。
「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」
めちゃ今更である。
私は自分の意思や判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。
「ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験の勉強をやってみたり、安定した大企業の面接を受けたものの、全くダメだった。
強い意志やモチベーションを持って社会に自分を示す同級生と闘わないといけない。
早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転、適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。
そこで判明したのがガチガチの発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である。
私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的に人生は薔薇色、大手企業で働けるのだ」
という母親第一書記の洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである。
母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神。
ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。
本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンやサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミングや英語も使い物になっておくべきだ。
こういうことの知識収集、プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。
サークルやコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害とストロングゼロ的生活で記憶がボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。
(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者からの評価にした方がいい、と思う。)
ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。
これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。
親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である。
子どもは母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円。しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。
発達障害で言うと、
複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビルで迷子になる。
不安障害では、不安で自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)
そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。
背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。
もうすぐ、夏が終わる。
っていうと、多分色んな人が「それはあなたが怠惰なだけだよね」というと思う。
でもまあ、色々感情がぐにゃぐにゃしてしまっていて、無性に文章を書きたくなった。
何もまとまってない文章だけど。
もう20代後半になった。
けど今は、構想すら思いつかない。やりたいのに、やる気が出ない。あんなに楽しかったのになあ。
職業はソフトウェアエンジニア。最近憎まれているWebのエンジニアというやつだ。
自分はまあ、プログラミングは好きだけど、そればっかりやってたいというわけでもない、程度。
趣味が色々あるうちの一つくらいで、それが仕事になっているという感じだ。
勤めている会社は、100人規模くらいのITベンチャー。だからか会社の目標もめちゃくちゃ高いところに設定してある。
正直その高い目標についていく気力がない。そんな頑張れないよ。
会社でのポジションは、ちょっと頼られる若い人、くらいのものだと思う。
頼られるというと聞こえはいいが、実際は便利屋という感じな気もする。それ故、自分の感覚的には仕事量が多すぎる。
いつも3つ以上のタスクを同時で進める状態って普通なんだろうか。経験が浅いからわからない。
評価制度と仕事量が自分には合わない気がしてきている。給料は多分上がらないし。
しかも「これやりたい!」みたいなの無いんだよなあ。強いて言えば、Go 言語でプロダクトの API 開発してみたいかな、くらい。まあ Go 言語初学者なんだけどね。
後ろ向きな理由で退職をすると、周囲から責められるだろうし、次の就職先を決めるのも困難だろう。
まあ実際、そういう人を採用したくないよね、企業側からしたら。
結局自分の強みがわからない。使ったことある技術を羅列することはできるけど、高いレベルではないと思うし。
世の中的に自分の能力がどのくらいのものなのかわからないけど、多分相当低いところにあるんじゃないだろうか。
atcoder の beginner contest の D 問題解けないし。
ああ、結局こうやってうだうだ言うしかできない、能のない人間なんだなあ、と書いてて思った。
自分の中ではもう、八方塞がりになっている。
お前は浅学非才無能怠惰であるが、親の教育の賜物で国立大学に入れた。
しかしデータサイエンティストになりたいなどと夢を見たせいでお前のスキルはボロボロである。まず、お前の学部で学ぶ、経済学であるが、経済学はマクロ経済学もミクロ経済学もテスト問題を解けるようにしただけで本質は掴めず、データサイエンスに少しでも近づこうと取った計量経済学の講義はコーディングのテストは余裕でクリアしたが、面接で理論を答えられず落単した。
プログラミングは学部のまわりのやつらよりは多少できたが、それでも1番ではなく、当然外の世界を見れば、底辺もいいところである。
肝心の機械学習についてであるが、情報学部のパターン認識の講義をとったものの、ただコードが動くように書き、手書きの数字を識別できるようになっただけで、SVMの理論的背景もNNがなんたるかということも理解できぬまま、C評価の単位がきたのみである。
かといって努力せず、まわりの人と交流することもなければ、無理やり実績を作ってインターンに行くようなこともしなかった。
よくて数行のコードとGoogle Analyticsを使う程度の仕事しかできないお前はそうして雪かきをして一生を終えるだろう
真摯なご返信を読ませていただき、刺さるところがいくつもありました。
これはまさしくその通りで、何も主張しないのは責任から逃れる態度だということを以前子供に話した事があります。家庭内ではそこまでではないのですが、学校では「波風立てない」でやり過ごすのを処世術にしているというか…。
「私に決断をさせるな!」
こういう、けれん味のある表現はお年頃もあって好きかもしれません。作文を苦行ではなく楽しむのに効きそうです!
他人がどう思うか、を考えられるのはとても優しいお子さんなんだと思う。(中略)そこを褒めてみてほしい。
これは私には全くなかった視点で驚きました。色々な立場を考えるのは公平性とか可能性列挙癖のように捉えていました、が、おっしゃる通り優しさから他人の心を考えているのかも…。
ほかの部分も、とてもとても参考になりました。
本と関連「付けない」自分語り…
関連付けないことを意識するとまた荒れそうですが、自分語り自体はすることもある子供なので、できるかもしれません。
増田先生のおかげで、まだ試したことのない引き出しが増えて、多少(私が)落ち着きました。作文を書くのは子供なのに、親が勝手に焦っていました…。
普段増田は書き逃げなんだけど、凄く切実そうに見えたので、大マジレスする。釣りなら釣りでいいや。代筆にならない程度に書く。なお、私は「子供の教育」の疑似体験をめちゃくちゃ傲慢に楽しむからな。
まず一言で。物事をジャッジするのが辛いなら、物事をジャッジするのが辛いと"まず"書く。これが私流感想文。それすらも書きたくない、というのは、自己主張をしないのが美徳、空気を読みすぎて空気なるのが楽って思ってしまっているので、そこは個性であっても伸ばすべきではない。怠惰に近い。なお、「感想文を書きたくない。」が書き出しの読書感想文を書いてもいいぞ。上級者向けだがな。
当然ながら、よくある読書感想文の指導「面白かった、は何が面白かったか」「よくわからなかった、ならなぜよくわからなかったか」も、立派な指導ではある。けど、これは修羅の道。なぜなぜ分析ができるならいいんだが。「面白かった、ところで私は~」「よくわからなかった、ところで私は~」のほうが楽でしょ。やっぱり自分のことを書くのが一番楽なんよ。
さて、話し聞いた限りだと、
物事をジャッジするのがとてもストレスになるようで、「ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いかもしれないじゃん、だから自分はどっちとも決められない。作文で○○と思いました、って書くと決めなきゃいけないから書けない。」と言います。
ここがすごく良い種。何読んだかしらんが、ここを1文目に、そのまま書いていい。例えばこうだ。
「私は物事を判定するのがとても苦手だ。何故なら、ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いことかもしれない。それを考えると、自分はどっちと決めるのが(億劫/ずるい/傲慢/いけないこと/理不尽)な気がしてくるのだ。どうしても決めなければならないとなると、だんだん辛くなってきて、泣きそうになってしまう。」
ほぼそのまま、一人称の文語にしただけ。ここからスタートして、本のタイトル書いて、その「どちらが正しいと決めたくない」ポイントを文中から引っ張り出してきて、両論書いて、みたいな構成にすると思う。私ならね。登場人物が決断して何かを切り捨てるシーンとかがあったら儲けもんだ。「私には主人公が理不尽の権化に見えてしまう」とか書けば、先生も「お、コピペ感想文じゃないな」となってくれる。
書くことを楽しむなら、一文目をもっと派手にしてもいい。「私に決断をさせるな!」とか、「感想を言葉にするのが、とても辛くて泣きそうになる。」とか。後者なんて、どんな感動超大作を読んだのか?と思わせておきながら、「別に本の内容に感動したわけじゃない。感想を言葉にすること自体が〜」と、ずっと卑近な話に流れるから意外性もあって楽しそう。
ともあれ、他人がどう思うか、を考えられるのはとても優しいお子さんなんだと思う。読んでいただければわかるとおり、私は我と圧の強いメンタルをしていて、他人とか知るかよ、という感じなので、私とは全く違う読書感想文がかけると思う。
身勝手なこと言うけど、そこを褒めてみてほしい。「褒められてどう思った?」が書けるようになれば、多分この「物事をジャッジするのが苦手」をフォーカスした感想文にオチがつけられる。「優柔不断な自分だけれども、親は「相手のことを考えられる優しい子」だと褒めてくれる。これを甘やかしととるか、個性を伸ばす教育ととるか、ジャッジはしないでおこうと思う。」な具合で。私だったら褒められてなくても捏造してこう書くけど。
私は大学入学してから3年間現在までアルバイトをし、数々のミスを犯してきました。私は聞いても一度で理解できない、聞いてもすぐ忘れてしまいます。また分からないことを聞きたくても人の顔色も必要以上に伺い聞くタイミングを逃してばかりでした。これまでしてきたアルバイトを始めるきっかけ、期間、やらかしたことなどをまとめてみました。
1.塾講師
大学入学と同時に開始。なるべく楽して稼ぎたい。その思いで学習塾の講師になります。当時求人に掲載されている給与は時給ではなくコマ給というトラップに気づけませんでした。週に1〜2日入っていました。一年半働いていました。
[犯した過ち]
・どうしても行く気分じゃなく当欠
・計画性がなく夏期講習の予定を立てられない、上の人から催促されて出すも欠勤
・予習しても分からない、聞かれたら来週答えるといいそのまま放置
結果塾長からの信頼を失い一年半後退職する時にはほぼ会話しなくなりました。最後の出勤日も無言で帰りました。唯一友人が居ましたが退職以降は疎遠になりました。
大学一年生の冬頃から勤務開始。塾講師は稼げないと勝手に判断し掛け持ちしようと思い始めました。時給は派遣と同じくらい低かったです。週に2.3日(そのうち1日はほぼフルタイム)入っていました。半年程働いていました。
[犯した過ち]
・ポーチの中に空気の入ったビニールの袋を入れなければならないところを包装の袋をぐちゃぐちゃにして詰める
・レジ誤差4000円だす。防犯カメラによる追跡調査により私だと発覚
・棚卸しのやり方を何度やっても覚えられない
あまりにも仕事ができないので叱られてばかりでした。最後の出勤日まで叱られていましたがいつものように叱られると思った瞬間に「…もういいです」と言われかなりショックを受けたことを覚えています。固定シフトだったのでこんなヤバい奴でも求められる曜日はありました。大変な曜日でもヘルプにきてくれたりフォローしてくれた方もいたので辞める時は本当に申し訳無かったです。
雑貨店を辞めた後塾講師と掛け持ちで始めました。時給は比較的良かったです。一ヶ月シフト制でした。干されていたのでほぼ週2でした。1年程働いていました。
[犯した過ち]
・伝票を入れ間違え会計を隣の卓と逆にする
・冷めきった熱燗を出す
・日本酒に氷を入れる
・まだ食べてるお客さんの皿を下げようとする(本社にクレーム)・伝票の打ち方が変更されると覚えられない・日本人のお客様に外国の方用メニューを出す
・またひっくり返す
・あまりにもミスが多いため無視されるようになる、耐えられず号泣し謝罪される
全従業員に嫌われていました。誰とも気軽に話せませんでした。社員や歴が長いアルバイトの方は店長にこの子の尻拭いをする分給与を上げてくれと言っていました。暇なことが多かったのですが自分は誰とも話せなかったので無理やり時間を潰していました。飛ぼうとしていましたが結局制服を返すために来店して辞めました。この頃大学の友達はバイトが順調そうだったので私も仕事に慣れているフリをしていました。ギャップが辛かったです。
いつ見ても暇そうという理由から飲食店と掛け持ちで始めました。時給は飲食店より低かったです。固定シフトでしたが干されていたので月3〜週2とまばらでした。半年働いていました。
[犯した過ち]
・綺麗に畳めずもたもたする、遅いし汚い
・お客さんに話しかけても聞かれると答えられない
・お客さんのポイントカードを失効させる
・当欠
・もっと入れと言われて増やしたシフトがめちゃくちゃ削られると分かった瞬間に辞めますといってしまう
社員さんと慣れたパートの方で回っていました。優しい方ばかりでしたが馴染めませんでした。スーツどころか衣服にも興味が無い上にお客さんに話しかけたくないという最悪のバイトでした。声を荒げて叱られることはありませんでしたが諦められていたと思います。本当の最悪なのですがバイトのクセにシフト通り入れないことには一丁前に憤っていました。他にも服をいただいたりしていたのに繁忙期前までに知識を付けずに辞めてしまい今では申し訳なく思っています。
1〜3年生頃までたまにしていました。どのアルバイトも干されるので始めました。チラシ配布、握手会の秒数カウント、コンサートのチケット発券、展示会の受付、 セール品即売スタッフなどしました。約半年間働いていました。
[犯した過ち]
・チケット発行で受付が混み始めパニックになり身分確認をしっかりしろと注意を受けるも同じミスをする
・スポーツウェアセール品即売で暇過ぎて服をたたみ直すも汚過ぎて休憩から戻ると全て他の人にたたみ直されていた
1日しか入らないことがほとんどだったのでやらかしても今後の業務にひびくことがなかったのが救いでした。握手会スタッフが楽しかったです。コンサートスタッフは威圧的な社員が多く怖かったです。慣れないチケット発券で自分の字が汚過ぎてメモがよく読めないままデジチケの取り方が分からないお客で混み合うのが最も恐怖でした。
現在は事務と塾講師を再び始め、2つ掛け持ちしています。私はあと約半年で社会人になります。これだけのことが出来なかった私が仕事などできるのか不安で仕方ないです。バイト先への文句も書いてしまいましたが自分のせいでうまくいかなかったことがほとんどです。人間関係から逃げ、嫌なことから逃げ続けてきました。現在もアルバイトはあまり入れずほぼ引きこもっています(今年はそういう方も多いかもしれませんが) 何度も発達障害を疑い心理検査も受けましたが結果はできることとできないことの差が激しいということと困り感が大きいことが分かっただけでした。能力に偏りがあっても私はただの怠惰で注意力散漫な健常者です。私よりミスをする人も中々いないと思います。アルバイトや仕事で悩んでる方がこいつよりはマシだなくらいの気持ちになっていただけたら幸いです。
私は大学入学してから3年間現在までアルバイトをし、数々のミスを犯してきました。私は聞いても一度で理解できない、聞いてもすぐ忘れてしまいます。また分からないことを聞きたくても人の顔色も必要以上に伺い聞くタイミングを逃してばかりでした。これまでしてきたアルバイトを始めるきっかけ、期間、やらかしたことなどをまとめてみました。
1.塾講師
大学入学と同時に開始。なるべく楽して稼ぎたい。その思いで学習塾の講師になります。当時求人に掲載されている給与は時給ではなくコマ給というトラップに気づけませんでした。週に1〜2日入っていました。一年半働いていました。
[犯した過ち]
・どうしても行く気分じゃなく当欠
・計画性がなく夏期講習の予定を立てられない、上の人から催促されて出すも欠勤
・予習しても分からない、聞かれたら来週答えるといいそのまま放置
結果塾長からの信頼を失い一年半後退職する時にはほぼ会話しなくなりました。最後の出勤日も無言で帰りました。唯一友人が居ましたが退職以降は疎遠になりました。
大学一年生の冬頃から勤務開始。塾講師は稼げないと勝手に判断し掛け持ちしようと思い始めました。時給は派遣と同じくらい低かったです。週に2.3日(そのうち1日はほぼフルタイム)入っていました。半年程働いていました。
[犯した過ち]
・ポーチの中に空気の入ったビニールの袋を入れなければならないところを包装の袋をぐちゃぐちゃにして詰める
・レジ誤差4000円だす。防犯カメラによる追跡調査により私だと発覚
・棚卸しのやり方を何度やっても覚えられない
あまりにも仕事ができないので叱られてばかりでした。最後の出勤日まで叱られていましたがいつものように叱られると思った瞬間に「…もういいです」と言われかなりショックを受けたことを覚えています。固定シフトだったのでこんなヤバい奴でも求められる曜日はありました。大変な曜日でもヘルプにきてくれたりフォローしてくれた方もいたので辞める時は本当に申し訳無かったです。
雑貨店を辞めた後塾講師と掛け持ちで始めました。時給は比較的良かったです。一ヶ月シフト制でした。干されていたのでほぼ週2でした。1年程働いていました。
[犯した過ち]
・伝票を入れ間違え会計を隣の卓と逆にする
・冷めきった熱燗を出す
・日本酒に氷を入れる
・まだ食べてるお客さんの皿を下げようとする(本社にクレーム)・伝票の打ち方が変更されると覚えられない・日本人のお客様に外国の方用メニューを出す
・またひっくり返す
・あまりにもミスが多いため無視されるようになる、耐えられず号泣し謝罪される
全従業員に嫌われていました。誰とも気軽に話せませんでした。社員や歴が長いアルバイトの方は店長にこの子の尻拭いをする分給与を上げてくれと言っていました。暇なことが多かったのですが自分は誰とも話せなかったので無理やり時間を潰していました。飛ぼうとしていましたが結局制服を返すために来店して辞めました。この頃大学の友達はバイトが順調そうだったので私も仕事に慣れているフリをしていました。ギャップが辛かったです。
いつ見ても暇そうという理由から飲食店と掛け持ちで始めました。時給は飲食店より低かったです。固定シフトでしたが干されていたので月3〜週2とまばらでした。半年働いていました。
[犯した過ち]
・綺麗に畳めずもたもたする、遅いし汚い
・お客さんに話しかけても聞かれると答えられない
・お客さんのポイントカードを失効させる
・当欠
・もっと入れと言われて増やしたシフトがめちゃくちゃ削られると分かった瞬間に辞めますといってしまう
社員さんと慣れたパートの方で回っていました。優しい方ばかりでしたが馴染めませんでした。スーツどころか衣服にも興味が無い上にお客さんに話しかけたくないという最悪のバイトでした。声を荒げて叱られることはありませんでしたが諦められていたと思います。本当の最悪なのですがバイトのクセにシフト通り入れないことには一丁前に憤っていました。他にも服をいただいたりしていたのに繁忙期前までに知識を付けずに辞めてしまい今では申し訳なく思っています。
1〜3年生頃までたまにしていました。どのアルバイトも干されるので始めました。チラシ配布、握手会の秒数カウント、コンサートのチケット発券、展示会の受付、 セール品即売スタッフなどしました。約半年間働いていました。
[犯した過ち]
・チケット発行で受付が混み始めパニックになり身分確認をしっかりしろと注意を受けるも同じミスをする
・スポーツウェアセール品即売で暇過ぎて服をたたみ直すも汚過ぎて休憩から戻ると全て他の人にたたみ直されていた
1日しか入らないことがほとんどだったのでやらかしても今後の業務にひびくことがなかったのが救いでした。握手会スタッフが楽しかったです。コンサートスタッフは威圧的な社員が多く怖かったです。慣れないチケット発券で自分の字が汚過ぎてメモがよく読めないままデジチケの取り方が分からないお客で混み合うのが最も恐怖でした。
現在は事務と塾講師を再び始め、2つ掛け持ちしています。私はあと約半年で社会人になります。これだけのことが出来なかった私が仕事などできるのか不安で仕方ないです。バイト先への文句も書いてしまいましたが自分のせいでうまくいかなかったことがほとんどです。人間関係から逃げ、嫌なことから逃げ続けてきました。現在もアルバイトはあまり入れずほぼ引きこもっています(今年はそういう方も多いかもしれませんが) 何度も発達障害を疑い心理検査も受けましたが結果はできることとできないことの差が激しいということと困り感が大きいことが分かっただけでした。能力に偏りがあっても私はただの怠惰で注意力散漫な健常者です。私よりミスをする人も中々いないと思います。アルバイトや仕事で悩んでる方がこいつよりはマシだなくらいの気持ちになっていただけたら幸いです。
俺は社員200人程度の中堅のメーカーの物流部門に勤めている。勤務内容は在庫管理。2つの工場と4つの出荷拠点で(できる限り)円滑に出荷業務を行うように調整する仕事だ。
毎日、基幹システムから在庫情報、受注、売上情報、製造情報を拾い上げて出荷までに各倉庫に製品を移動する。製品には期限や改廃があるので特定の拠点にだけモノがあふれているような状況は回避する。
俺が入る2年前に新しい基幹システムが入る前はこれを帳面で手書きでやっていたらしい。気が遠くなる。
基幹システムが導入されても対応する人が変わらなかったため、あらゆる情報を必要な時に毎回手入力して呼び出して計算して、別の情報を呼び出して整合性を確かめて、とめちゃくちゃ手間をかけていた。
俺も最初はそれを引き継いで業務を始めたが、あまりに面倒くさくなってしまった。何より感覚、メモ頼りの入力でのチェックは漏れが頻発した。先輩マジですごかったんだなと感心した(後から聞いた話だが帳面時代もめちゃくちゃ漏れてたらしい。ダメじゃん)
もう頭がおかしくなってしまった俺は基幹システムを実装したシステム屋からシステムDBのアクセス権をもらい(なぜか10万とられた)、複数のテーブルから直接必要なデータを結合して取り出すクエリをいくつか作成した。
そしてそのデータをエクセルに吐き出して様々な条件でセルの色付けをして視覚的に見落としを減らすような仕組みを作った。最終的に4枚のシートを見れば在庫数の確認、偏り、出荷予定、必要数、移動(すべき)予定がほぼほぼ網羅できるようになった。
これまでは毎日10時間くらいかけて行っていた業務が3時間くらいでできるようになった。
このことについては誰にも話さなかった。ITの便利屋で駆り出されるのが嫌だった。これまで通りの方法でやっている感を出しながらワンボタンで通常業務は終わらせて、緊急対応(毎日山ほどある)だけ時間を使う。
空いた時間で資格の勉強なんかしちゃったりして、嘘をつきましたすいません。空いた時間はまとめサイトをみたり増田を見たりニュースサイトをハシゴしたり。要するに遊び倒している。
たまに俺が有給を取ったりすると他の社員が俺の業務を代行するわけだが、昔のマニュアルをもとに業務を行うとその複雑さと面倒くささにげんなりするそうだ。わかるぅ。
それが原因かはわからないが、異動もなくもう12年間同じ業務を続けている。
正直、業務時間の半分以上を遊びに費やしている今の状況が正しいとは思わないのだが、あえて自分からしんどくなりに行くのもなぁと怠惰に日々を送ってしまっている。
でも俺じゃなかったら10時間かかる仕事なんだよな。俺が3時間でできるからって、残りの5時間を会社が無駄に金を払ってるってことにはならないと思うのだが、どうだろうか。
さてと……、そろそろアンチフェミがフェミニストに勝てない理由を解説しておきますか。
実際には、
権力者とは強者男性、アルファオス、牧場主のように言い換えることもできる。
男性と女性を両方働かせることで権力者の得られる報酬はさらに増加するんだ。
そしてそれは国際競争を勝ち抜くためには避けられない流れなんだ。
一般女性が一方的に要求しているのではなく「どうしたら、気持ちよく働いてもらえますか?」と権力者の側からも歩み寄っているんだ。
これは牧場主が家畜の質を高めるためにあれこれ工夫するのと同様だ。
アンチフェミが「正しさを振りかざして〜」「かわいそうランキングが〜」などと言うのはまったく的外れだ。
きわめて、実利的な領域でのやりとりなんだ。
だから「気持ちよく働くため」という女性側の言い分が本当のことだと判断されれば、それは受け入れられる。
家電の普及によって家事の負担が軽減されたという側面は否定できないだろう。
更に突き詰めて、敢えて戦犯を挙げるなら「専業主婦叩き」がそれではないか?
「専業主婦は寄生虫」などと誹謗中傷した結果、女性の社会進出が進み、権力者が女性の要求を受け入れる土壌が出来上がったのだ。
権力者にしても一般男性の要求にはウンザリしているような気がしないでもない。
「あれが欲しい。これも欲しい。俺を敬え。誠意は金額だ。つまらない仕事をさせるな。怠惰は美徳。見下したな?復讐してやる。時限爆弾を仕込んでやったぜ」
さらに「セクハラするな」などというフェミニストの要求はコストどころか「組織を私物化する輩」をあぶり出して組織から追放できる機会だと考えれば、権力者にとって願ったり叶ったりとすら言うことができる。
一夫一妻などはその代表と言っていい。
人類も同様で、かつては本邦においても大奥のような一夫多妻が存在した。
自然の掟では「優秀なオスがメスを総取りする」のが基本なんだ。
だが、弱者男性を気持ちよく働かせるためにここでは権力者が譲歩した形となった。
現代人は、その流れを忘れて「不倫や浮気するやつはクズ」という「常識」はアタリマエだと思っている。
ちなみに一夫一妻は権力者と一般男性との取引であり女性の同意は得ていない。
「お前の言うことは間違っているんだ」
「間違ったことを口にするなんて恥ずかしくないのか」
「話し合い」によって何も支払うことなしに相手から譲歩を引き出す。
これはゆすり、たかりの手口だよ。
フェミニストに言うことを聞かせたいのだとして、アンチフェミが支払う見返りは?
不快なものは注視しなくていいし、Web上の広告なら非表示にする手段がたくさんある。トラッキングだってある程度防げる。
そういう自衛のためのソフトウェアが有志により作られ無償で無数に公開されている。
他人に文句を垂れている暇があったら、自分の手を動かして自分の責任で環境を書き換えるのだ。
自助の精神がある人はそういうやり方を次々と見つけて自分の生き方を最適化していける。
他人は簡単に変えられないという事実に目を背けた怠惰な者だけが、下らないことに関わり合いになり続け、不平を言い続ける。
職場の先輩と異常な速度で話が進む。
多分趣味と思考回路が似てるんだと思う。弊社は工場があって、人が通る可能性があるところを機械が通るときに警告音がなるんだけど、それがロシア民謡のカチューシャになることがある。「資本主義の権化みたいな工場でカチューシャ流すなって思うんですよね」って話したら、「資本主義にカチューシャは警告音でしょ」と、爆速で意図を理解してちゃんと返ってくる。「在宅勤務中コーヒー飲みすぎて腹下してトイレにこもってた」って先輩が話したとき、「ベルフェゴールじゃないですか」って言ったら「誰が怠惰や」って返ってくる。
雑談が爆速なら、仕事の会話も爆速で、一を聞いて十を知る感覚で話も仕事も進む。どこまで前提を省いていいか、が感覚で分かってしまうし、どこを説明したら分かってくれるか、もだいたい一致してる。専門分野が全然違うので、これは相手に聞くのが早いと思ったことは全部聞くし、聞いてくる。割り込みしていいタイミングもなんとなく分かってしまう。
先輩が異性だったらよかったのに。
業中もNGだぞ海外も。業務で資格取得を命じられているか、いろいろ規則規律が緩いとこだけよ
日本も監視とか警備とかは業務命令じゃない資格勉強がOKな職場が結構あるみたいよ
たとえ資格取得したらすぐ辞めるヤツでも
怠惰な連中よりは役に立つよ
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
中学まで一切勉強しなくても地方の地元の公立学校ならトップクラスの成績が取れて、調子づいて県下一、二を争う進学校に入ったらみるみるうちに落ちぶれ、それまで地頭でどうにでもなった経験に加えて学習習慣など一切確立していなかったことから一向に勉強せず、高3のあるとき学校へ行くのがたまらなく億劫になり欠席を重ねた結果中退して母親を泣かせ、通信制高校へ編入してどうにか高卒にはなるものの大学受験は散々な結果で浪人、しかしやはりろくに勉強せず、それでも模試では稀にまぐれ当たりの良い成績が出るので予備校の担任と親への最低限の面目は保ち、一浪の末どうにか中堅公立大学に滑り込みで合格、ところが一人暮らしを始めた大学では今まで以上に怠けるので1年次で修得できた単位は30にも満たず、2年前期の期末試験を明日に控えながら半年以上片付けられていないゴミ溜めのような部屋でこれを書いている。人生間違えた。死にたい。死ぬのは怖いので死にたくないけど今の部屋を引き払って学歴も労働も一切求められない全く別な環境で全く別な人間として生きたい。