はてなキーワード: 大音量とは
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
・朝の情報番組は実にどうでもいいことに長時間を割いている。出張先のホテル朝食の際にどうしてもTV音声が耳に入ってしまうのだが、聴くに堪えない。TVは馬鹿製造機だというが本当にそうだと思う。テレビ局も出演者も愚かしいし、これを見ている人々が日本中に大勢いるのだと思うと言葉がない。
・大衆とはそういうものなのだと結論付ける他ない。圧倒的大多数の人々は愚かしいことに長時間を費やし、それが当然だと思っている。
・安いホテルの朝食会場にはたいてい大音量でTVがつけっぱなしになっている。迷惑である。質の高い、比較的価格帯の高い宿だとそうではない。TVの音量は抑えられているか消音とされているし、そもそもTV自体がおいてなかったりする。
・宿は良いところを選びに選んで利用すべきである。安宿を日常的に使っていると自分までも馬鹿になってしまう。おそろしい話である。
家は兄兄妹(私)の三兄妹だ。
次男とはテレビを見ながら一言二言会話ができる程度には良好な関係だ(私自身あまり口数が多い方ではない)
長男は、兄妹の中で唯一わかりやすく典型的な思春期、反抗期を経験している。
彼が中高生の時には母親と毎日のように口喧嘩をしていた。(父親は単身赴任のためほぼ不在)
直接母親に手を上げることは無かったが、彼の部屋の壁や本棚の側面には未だにいくつかの穴が空いているし、母親が泣きながら家を出て行くところも何度も見た。
両親が家にいない時、兄はよく私に命令をした。
覚えてるのは「カップラーメン作れ」とかそんな程度のものだったが、私はそれが凄く嫌だった。
反抗すると「殴るぞ」と脅され、「やってみれば」と挑発すると本当に腕を振り上げるのだ。
当然私はびびって構えるのだが実際に彼が私を殴ることは無かった。
けれど私にとっては腕を振り上げられた時点でもうそのショックは殴られた事と同じだった。
違いは肉体的な痛みの有無だけだった。
そんな事が何度もあり、兄と二人で家にいるのが怖くて家を出てマンションの階段にずっと座り込んでいたこともある。
そして大学生になると同時に家を出ていった。
時々帰省して来ると顔を合わせることになるのだが、流石に成人して数年が経つ彼が私に何かを命令して来る事は当然無い。
そもそもここ数年私と彼の間には会話らしい会話というものが無い。
私は彼の事が苦手だし興味も無いので話しかけることは無いし、彼も私に話しかけてくることは無い。
私の事をどう思っているのかなど会話が無いのだから分かるはずもない。
それだけなら文句はないのだが、私は彼の吸うタバコの匂いや自室で流している大音量の音楽にとても迷惑している。
母親にどうにかして欲しいと話すと何度かは注意してくれるのだが数回目からは「自分で言いなさい」と言われる。
その通りなのだが、何故か私にはそれが出来ない。
何故なんだろうと考えて、気がついた。
私は彼の事が怖いのだ。
私の中の長男の記憶は彼の反抗期真っ盛りの頃が最も多くを占めている。
きっと今の彼はもう私にムカついたとしても殴ろうとすることは無いだろう。
母親からも「実際に殴られた事はないんでしょ?向こうも別に嫌ってる訳じゃ無いんだから大丈夫でしょ」と言われる。
そんなことは分かっている。
けれどどうしてもあの時の恐怖がチラついて直接彼に立ち向かう事ができないのだ。
大音量と歌手の圧倒的パフォーマンス、声量、会場全体の熱気、高揚感。胸の奥がざわめいた。何十年ぶりに高まった鼓動で心がざわめいた。ここ数十年の自分はとても暗い。それは仕事も人間関係も何もかもがうまくいっていない状況だから。だからどんどん性格が暗くなっていった。今の自分は昔の自分とは正反対だ。ライブでも周りの人の盛り上がりと自分は正反対。自分は心の中では楽しんでいるのだけど、表情は軽く微笑んでいるだけで体を動かすでもなく手を叩くでもなく、ただ静かに聴き入っていた。そうじゃない、これじゃない。俺がやりたいのは周りのみんなと同じように踊って手を叩いて声を上げて一体になって楽しむことだ。もっと心からの感情を弾けさせて全力で楽しむことだ。でも今日はそれが出来なかった。楽しかったけどできなかった。でも今までの病的な性格の落ち込みに一筋の光明が射したように思う。これからは今日のような激しいライブにもっと行こうと思う。心が打ち震えるようなエンターテイメントで俺の心の病気は治るかもしれない。そして自分はパフォーマンスをする立場になりたい。みんなに見てもらいたい、楽しませたい、盛り上げたい。きっとそれが本当の気持ち。
幼い頃から姉のことは大嫌いだった。
中学受験だった。
なんか常に苛立っていたし、父親と良くケンカして泣き寝入りとかしていたときだ。
だが、それも吹っ飛ぶくらいに嫌だったことがある。
「勉強するからもう少し音量下げて」と言うと、更にボリュームを上げていくアホだったこと。
そして何より、「一生親の脛をかじって生きていく」と宣言した翌年には
そのせいで私の一人暮らしが2年遅れたこと。(親が不仲だったから間に入る人が必要だった)
でも、どうしても許せない。
自分と同じような声の高さのくせに
外に出ると1オクターブ以上上げて、鼻にかけて話すのが大嫌いだ。
あーぁ、嫌い嫌い。
20代なのにおばさんって悲しいな。
一年とちょっと前、地下アイドル好きな友人に連れられて初めて地下アイドルのライブに行った。それは前々から勧められていたアイドルのワンマンで、本当に楽しかった。でもその後すぐメンバーの一人が脱退して体制が変わってしまったため、そこから推すことはなくなってしまった。
そしてそれからまたすぐ、その友人から今度は別のアイドルの対バンに誘われて行った。その中に出てくるあるアイドルを事前に勧められ、そのグループ目的で行った。他のアイドルの時間は、後ろでひっそり見ていようと思っていた。
結果からいうと、全然違うアイドルにどハマりした。グループ名こそ聞いたことはあったものの、曲名どころか、メンバーの名前すら、友人が推す一人のメンバーのあだ名しか知らなかった。だが彼女たちが登場した途端、ある一人のアイドルに、冗談ではなく本当に一目惚れした。(ガチ恋という意味ではなく、推すアイドルとして)
ライブ後に開催された物販には速攻並び、列に並びながら友人にメンバーの名前を聞き、彼女たちのツイッターをフォローした。その時は確か、チェキのシステムはそのアイドルグループにはなく、ケータイでの撮影だった。写真を撮ってもらった後、少しの間、ついさっき一目惚れしたアイドルと会話した。メンバーのAちゃんとする。
今でも忘れない。Aちゃんに、今日初めて現場に来て好きになったことを告げると
「もしかして、さっきツイッターフォローしてくれた?」と。物販列に並んでいる間にフォローしたのに、なんともう認知されていた。それが最初の現場だった。(ちなみにこのときちょうどバレンタインのイベントをやっていて、普通のチョコや激辛チョコをあーんしてくれるイベントがあったのだが、もちろん参加した)
そして約一ヶ月後、そのグループがワンマンを開くことになった。それに合わせ、メンバーが一人ずつ接客するカフェ?で手売りチケットを販売することになった。友人は所用でワンマンには行かれないことがわかっていたので、一人でカフェのイベントに行った。本当に狭いスペースがカウンターテーブルで分断されており、あちら側にAちゃん、こちら側にはファン6,7人が詰めて座るという形だった。自分は完全に新規だったため(またコミュ障であり、目の前の推しに緊張していたのもあり)、もともとのファンの内輪のノリについていけず、あまり会話に参加できなかった。そんな中、イベントの一環で、アカペラで何か歌を歌うことになった。そのアイドルの持ち歌はもちろん歌ったが、他に何かないか、という話になった。あまり会話に参加しなかった私に、Aちゃんは、「そうだ、(自分の名前)ちゃん、〇〇って歌手好きだよね!その歌にしよう」と、話を振ってくれた。本当にAちゃんはすごいのだが、私は〇〇という歌手が好きという話をAちゃんにしたことがない。どうして知ってるのと聞くと、Aちゃんはなんと自分のツイッターのホームを見たというのだ。本当にびっくりした。そして本当にその歌手の曲を歌ってくれた。また、ファン一人一人の似顔絵を描くコーナーがあり、それぞれ顔を見ながら描いてくれた。今も大切にとってある。
ワンマンのことも忘れない。前述の通り友人は来られなかったので初めて一人で現場に行った。その日は二曲新曲のお披露目があった。終了後物販で、またチェキを購入した。確かこの辺りで、Aちゃんは名前を覚えてくれていて、向こうから呼びかけてくれた。まだまだ緊張してなにを話していいかわからなかった自分に、「新曲、どっちの方が好き?」などと色々聞いてくれた。答えると、Aちゃんは「私もそっちの方が好き!」と返してくれた。
余談ではあるが、このライブで初めて現場で知り合った人と友人になった。
東京アイドル劇場にも何度か通った。一回の時間は短いが、他の会場よりもずっと近くで見られた。このときになってもまだ緊張してこちらから会話できなかったが、Aちゃんは「髪の毛短い方と長い方どっちがいいかな?」などと話を広げてくれた。
しばらくしてからまた夏に、レコ発のワンマンが開かれることになった。東京アイドル劇場で手売りチケットが販売されることになり、参加した。初めて全員チェキを撮った。死ぬほど緊張したけど、そのあとAちゃんと撮ったチェキは楽しかった。ワンマン行くねというと、喜んでいた。
レコ発のワンマンということで、CD発売に合わせ、リリイベも各地で開催された。これもまたすごく近くで見られた。割と地元の方まで推しが来てくれることが嬉しかった。
夏のレコ発ワンマンは本当に楽しかった。今までと比べられないくらい大きな会場と大音量でのライブだった。バックライトに照らされて踊るメンバーが神々しくて、ちょっとだけ泣いた。これからも推していこうと思った。
夏のワンマンからちょっとして、活動休止することが発表された。そして間も無く、そのまま解散することが発表された。活動休止直前ライブには、行かれなかった。
そして冬、解散ライブが行われることが決定した。同時に、手売りチケットを販売する機会があることも発表された。このアイドルに出会わせてくれた友人と、絶対に行こうと誓った。
昨年末、忘年会と称されたイベントが開催された。ライブではなかったが、ファンイベントのような形だった。トークイベントやカラオケをしながら食事ができるスタイルのイベントで、その現場で販売されている食べ物飲み物のみ、メンバーに差し入れることができるシステムだった。私はAちゃんにチョコケーキを差し入れた。Aちゃんは隣に座るメンバーと分け合いながら楽しそうに食べていた。それだけで楽しかった。とてもこれから解散するグループのイベントとは思えないほど、楽しかった。
イベントの前には物販もあり、久しぶりにAちゃんにあった。今考えると夏のワンマンぶりだったのかもしれない。Aちゃんは変わらず可愛かった。このころには割とAちゃんと話せるようになっていた。絶対に解散ライブ行くね、と言うとAちゃんはダンスとか歌とか忘れちゃったよ…とおちゃらけてくれた。
そして先日、解散ライブが開催された。奇しくも、その日はAちゃんの誕生日であった。もう絶対に後悔したくなかったので、とにかくいろんなことを話した。あけましておめでとう、と新年の挨拶をして、誕生日を祝い、いつもと違う髪型が可愛かったので話題に出した。チェキの時間が終わりの方になると、Aちゃんは、「チェキはこれで終わり?」と聞いて来た。(メンバー一人につき一人一枚の枚数制限があったが、ファン同士で協力し何周かする人もいた)
私は一枚しか手に入れられなかったため、そうだよと返事をすると、Aちゃんは、男性ばかりのこのアイドルの現場に、女の子一人なのに来てくれてありがとうと言ってくれた。これが最後かどうか聞いてくれたと言うことは、最後の挨拶をしてくれようとしたのだと思う。ライブも始まってないのに、本当に泣いてしまうかと思った。私もAちゃんと話せるのはこれが最後だと思い、「Aちゃんが一番大好きです。これからも応援してます。」と言って別れた。自分のできる最大限の返事をして別れたあと、その場にしゃがみ込みたくなるほどの感情に襲われた。それが無力感だったのかやりきった感だったのかはいまもよくわからない。
あまりに語彙力がないが、ライブは今までで一番最高だった。現場に行き始めたころは周りの怖そうなオタクに怯えていたが、今ではケチャをしたり、振りコピしたりするまでになった。本当に楽しかった。ライブ中は、とにかく後悔後半はとにかくずっと泣いていた。泣きたくない、笑顔で見送りたいと思っていたのに、泣いているメンバーを見たら駄目だった。
地下アイドルが好きな人は大抵、1つのグループだけでなく、いくつかのグループに推しがいることが多いそうだ。私はAちゃんのグループを追いかける過程で、ほかの地下アイドルにも何グループか出会ってきたが、推しはAちゃんだけだった。
楽曲、衣装、メンバーそれぞれ、ファン層など、どこを取っても、Aちゃんのいたグループが自分に合っていたのだと思う。
まず、書籍・音楽・映像・ゲームといったコンテンツは、いまどきデジタルで買うのが基本だ。
そしてデジタルコンテンツの販売となれば物理通販と比べてAmazonの優位性はない。
(まあ「昔からAmazonのヘビーユーザーだから惰性でKindleやAmazonビデオを使ってます」というなら分かる)
仕事帰りに自宅近くのコンビニやスーパーに寄る程度のことを面倒がる理由が分からない。
元記事にも書いたが配達の受け取りのほうがよっぽど面倒だ。俺は遅配や再配達で発狂したくはない。
(元記事を読まずに文句を言う奴がいそうなので書いておくが宅配ボックスがあるならその限りではない)
(自宅周辺にコンビニやスーパーが存在しないという人はご愁傷様です)
この時点で、通販に頼る機会は非常に少なくなる。
個人的なことを言うと、直近ではPCとゲーム機を通販で購入したが、どちらも販売元の公式サイトを利用した。
「口座情報を分散させたくない」というのも分かるが、高額商品にまつわる個人情報はむしろその企業にしか渡したくない。
Amazonを経由すると変なトラブルに巻き込まれそうで嫌だ。
そもそも「信頼できないような企業の商品を買うな」ということでもある。
まあこれについては日本でもPaypalが普及すれば話は違ってくるのかもしれない。みんなでPaypalを使おう。
トップには「何とかの売れ筋」だの「何とかがセール」だのと毒にも薬にもならないような情報が並んでいる。
上から順に「Kindleストア」「Amazonビデオ」「デジタルミュージック」「Androidアプリ」「本」「洋書」…
これ、客が欲しいもんじゃなくてAmazonが売りたいもんだろ!?
「Kindle」と「本」と「洋書」を分けるこの謎カテゴライズは何なんだよ。
普通は「Kindle」とだけ書いてあっても何のことか分からんぞ。知名度に胡座かいてんのか。
そもそもサイト自体の階層構造がカオスで、あるページがどのカテゴリに属すのかよく分からないし、そのURLに規則性もない。
検索オプションやソートもしょぼいからサイトを奥深くまで掘ることができない。
まあこれだけ巨大なサイトだから仕方ないのかもしれないけどね。
さて、俺は時計を買いたいです。
カテゴリから辿ると混乱するので検索ボックスに「時計」と打ち込んでみましょう。
https://www.amazon.co.jp/s/field-keywords=%E6%99%82%E8%A8%88
なになに。
「GanRiverスマートブレスレット タッチ操作スマートウォッチ 心拍計 歩数計 腕時計 多機能スマートリストバンドIP67防水 着信電話通知 SMS通知line通知 カロリー 目覚まし時計 長座注意 リモート音楽 紛失防止 日本語説明書 iphone&Android対応」
「FiBiSonic デジタル 置き時計 LED 目覚まし時計 大音量 アラーム 多機能 カレンダー付 温度湿度計 省エネ 音声感知 USB給電 電池 木目調 ナチュラル風(茶・白字)」
GanRiverってどこ? FiBiSonicってなに?
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XQYBL8K/
俺には無理だわ。
たとえセイコーやカシオの商品でも「Amazonで買えば何か間違えそう」感がパない。
「神話」と言われようが実店舗にはまだ「棚に置いてあるやつはちゃんと使えるんだろ」くらいの信用があるよ。
はい、次に俺はMacbookProが欲しいと思いました。
https://www.amazon.co.jp/s/?field-keywords=MacbookPro
https://www.apple.com/jp/shop/buy-mac/macbook-pro
これでAmazonのほうが分かりやすいとか言われたらさすがにショックを受けるわ。
「公式サイトはその商品に特化した作りなんだから分かりやすいに決まってるだろ」
あ、レビュー?
細かく音量調整できるようにしてほしい
sideM、デフォルトの音声が爆音すぎてPCでやってる時も常にミュートにしてる
音声オフにしてもオリピのハイタッチとパフォーマンスアイドル設定の時に問答無用で台詞再生されるから
ながら作業で動画見ながらやってる時はいったん動画を止めて、パソコン全体のスピーカー設定をミュートにして
ハイタッチ選択して次のパフォーマンスアイドル選択して数秒待って台詞喋り終わったであろうタイミングでミュートを解除してまた動画を再生して……ってやってるのでめんどくさい
ボナタイ終わるまでパフォーマンスアイドル変更するのを無視することもあるけどその間ゲージがたまらないからちょっともったいない
周りに誰もいなくて音漏れしてもいい時はミュートにしないけど新人声優のふにゃふにゃした演技を大音量で聴かされてイラついてしまう
帰り道にその女と遭遇したのだが、色々やべー奴だった。
ママチャリに乗ったその女はいかもにもな魔女の衣装をし、カゴに入れたラジカセから大音量で「ルージュの伝言」を垂れ流しつつ大声で歌いながらこっちに近づいてきた。
(あ、これは関わっちゃいけないタイプの人間だ)と思ってスルーしようと思ったがこっちにどんどん近づいてくる。案の定話しかけられてしまった。
「あの、私魔女のキキです。こっちは黒猫のジジ。お邪魔させていただきます。この町に住まわせて頂きたいんです。きれいだし時計塔もステキだし…」
俺は「そう…がんばって」と返事をし逃げるように立ち去った。
女はやや寂しそうな顔を浮かべてママチャリにまたがると闇夜に消えていった。背中のリュックに入れた黒猫と会話しながら…。ハロウィンはさっさと廃れてほしいと思った。
俺は、パチンコとかゲーセンのメダルゲームの類は何が面白いのか理解できなかった。
子供の頃に少しやってみて、手持ちのメダルが無くなるだけで何も起きなかったからだ。
プレイしている人達を見ても、なんかスマホ見ながら筐体はノールックでメダルを次々投入してるだけの人ばかりで、
大当たりするまで延々とただ打ち続けるなんて、なんて不毛なゲームなんだ…と思っていたが
友人達が「パチンコは簡単だし、メダルゲームはメダルの量がある程度あれば面白さがわかる、一度やってみろ」と言うので
近所のゲーセンのメダルゲームコーナーで、まずは100円50発のパチンコを打ってみた。
なんかグラビアアイドルの姉ちゃんがいっぱい出てくるパチンコで、「おっぱいおっぱい」と思って打ってたら
これに実際大金が懸かってたら熱くなるのもわかる。
いい加減同じ演出の大当たり映像ばかり見せられて飽きたんで席を立つと、
隣でエヴァ打ってたおじさんが「兄ちゃん!まだ大当たり続いてるよ!」と声をかけてくれたが
「もう飽きたんでいいです、よかったらどうぞ」と席を譲り(別に金懸かってる訳でもないのに後でコーヒー奢ってくれた)
続いてメダルゲームをやってみた。
俺が子供の頃のメダル落としは、本当に黙々とメダルが落とされてくるのを待っているだけの地味なゲームって印象だったんだけど
今のメダル落としはメダルと一緒にボールがあって、ボールを何個か落とすとジャックポットチャンスに突入、
しかもそれが当たると何千枚から何万枚といったメダルが湯水の如く天井からジャラジャラ落ちてきて、演出も派手だ。
なんか大袈裟なクラシック音楽が大音量で鳴り響き、筐体が真っ暗になって当たったプレイヤーだけが照らされる。
俺は、先程のパチンコで当てたメダルを訳もわからず投入しているうちに、9000枚当ててしまった。
気がつけばルーレットに一つしかないジャックポットの穴にボールが入っていたのだ。
ジャーン!と音楽が鳴り響き、俺だけ照らされ天井から延々とメダルが落ち続ける。
5、6分は続いたろうか。
なるほど、演出も派手で飽きがこないし
一度これを経験したらハマるのも頷ける。
昔のメダルゲームは地味だし当たっても大した枚数が出ないクソみたいなゲーム性だったが、今はここまで進化したのか。
こうしてメダルゲームの面白さを理解した俺は、元手100円でウン千枚とメダルを手にしたので、これからタダでゲームできるわと思って
暇になればメダルゲームコーナーに行くようになった。(もちろん自販機でコーヒーとかお菓子買うし一階でアンサー×アンサーとかイニシャルDをめっちゃプレイしたのでちゃんと金は使ってるよ!)
こうしてメダルゲームコーナーに通うようになると、メダルゲームコーナーの客層もわかってきた。
今はどうか知らないが、当時の神奈川県は条令で16歳未満の立ち入りが禁止されてるとかで、その店のメダルゲームコーナーには「条令によりメダルコーナーの未成年の立ち入り禁止」と入り口の邪魔なところに看板が立てられており、
一階の音ゲー・プリクラ・UFOキャッチャーのコーナーにはガキが沢山いるのに
競馬ゲーム・パチスロは仕事サボってる風のサラリーマンばかりだ。
で、大人しか入れないし、こんなゲームやってる大人なんて喫煙者と相場は決まってるのになぜかメダルフロアは全面禁煙で、
タバコを吸うには別室に隔離されたパチスロコーナーに行くしかない。
というわけで、各々スロットコーナーに集まってタバコを吸うので、プレイするゲームはそれぞれ違っても喫煙室で皆で会話するうちに仲良くなり
リーマンも若い兄ちゃんも老人も主婦も、常連は全員仲間みたいなアットホームな空間で居心地が良かった。
キャップから爪先まで全身黒を纏い、コンビニ強盗としか形容できないルックスだ。毎日同じ服装である。黒い服しか買わないのだろう。
で、右手には必ずローソンストア100の1リットル緑茶のペットボトルを握り、それをチビチビやってる。
ゲームに一切金を払わない。
メダルゲームコーナーをウロウロしては、床に転がってるメダルを見つけて
一枚だけ投入しても何も起きる訳は無いのだが、しばらく様子を伺って何も起きないことを確認すると
またフロアをウロチョロとし、一枚メダルを拾ってはメダル落としにチャリン…を繰返し、
誰かがジャックポットを当てれば、すかさず駆けつけ物欲しそうに見続ける。
ゲームに一切金を使わず、メダルを拾うだけの乞食行為をするだけだし、
飲み物もローソンストア100の緑茶をチビチビやるだけで自販機では絶対に購入しない。
毎日メダルゲームコーナーにいるのに、ゲーセンにはびた一文使わないのだ。
飯も食わず、1リットルの緑茶一本だけで朝から晩までしのいでいるのだ。
しかもそれが皆勤賞だっていうんだから、完全に仕事などしていないだろう。
そんなことをしていたほうが疲れるだろう。
むしろ、働いたほうが数倍ラクだと思う。
見た目は中年っぽいが、常連客の優しい爺ちゃんが話しかけてみても逃げてしまうので、
何か事情があって働けないのだろう。
こういった奴は「かわいそうだから」と少しでもメダルを恵んでやったが最後、というのは目に見えているので誰も恵んでやろうとはしない。
大当たりを当てた人の後ろから物欲しげに見つめる視線が、それを物語っている。
正直客は皆鬱陶しいと思ってるし、
一銭も払わない乞食に毎日毎日一日中いられては店も迷惑でしかないと思うのだが、
店員も何も言わないので客も黙っていた。
そのうち、俺が神奈川から転勤することになってメダルゲームから離れてしまった。
店に何千枚と預けたまま転勤したが、今思えばそのメダルは友人にでも譲っておけばよかったと思う。勿体ないことをした。
そうして転勤してからはゲーセンに行くこともなくなり、メダルゲームコーナーに通っていたことも忘れた頃、
北海道って激安月給の仕事しかなくて、「こんな給料じゃ食っていけないよ」と職を転々としたあと、
そこそこ頂けるところを発見して、今はパチンコ屋で働いている。
パチンコは先程のゲーセンでしか打ったことがなく、よくわからないまま就職したが
いざパチンコ屋で働いてみれば、余計パチンコなんかに金は賭けたくないと思うが、
北海道の田舎なのでお客さんも近所の住宅街の人ばかりで、なかなかアットホームな環境だ。
最近のパチンコ屋は無料ドリンクがあり、スマホ充電無料で綺麗なソファがあってテレビ見ながら漫画が読めるラウンジがあるのだが、
自販機を一切使わず無料ドリンクをがぶ飲みするので頻繁にトイレを行ったり来たりし、
大当たりした客がいれば真後ろで物欲しげに見つめ続ける。
びた一文使わないくせに朝9時の開店と共にやって来て、夕方の5時までいる。
毎日だ。
神奈川にいた頃に、ゲーセンのメダルゲームコーナーにも似た奴がいたなあ。
いちいち動きが挙動不審ですばしっこく、ちょこまかしてるのまでソックリだ。
あのゲーセンは神奈川、こちらは北海道。まさか、同一人物ではあるまい。
今俺が働くパチンコ屋に来るコンビニ強盗も皆勤賞だ。一銭も払わないのに毎日、飯も食わず朝から夕方までいる。
正直お客さんも気味悪がってるし、乞食行為しかしないので追い出したいのは山々なんだが
店長から「無駄なトラブルは起こしたくないので声をかけるな」と言われてるので、どうしようもない。
無料ドリンクはほぼコイツが一人で飲み尽くすので、頻繁に継ぎ足さなくちゃいけなくてイライラするが、仕方がない。
コイツも完全に無職だろう。絶対こんな生活してるより、働いたほうがラクだって。
あのゲーセンにいたコンビニ強盗も、相変わらず毎日一日中メダルゲームコーナーにいるのだろうか。
久しぶりに、メダルゲームやってみようかな。