はてなキーワード: 塾長とは
おーい、ブスども聞いてるか?
美人の告白ポエムだぞ! https://t.co/gF9JybU5ee— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) 2019年2月24日
そもそも美人とは何だろう?人によって好みは異なる。私は人から美人と言われているらしい。が、なにを持って美人なのだろう?学生時代よく告白された。私の顔が好きなの?スタイル?性格?一体、何がいいのだろう?と疑問だった。損したことだって沢山ある。その辺を時々呟いてみたい。美人は辛いよ。 pic.twitter.com/f6GKQiA0X8— 松浦由紀 Yuki Matsuura (@yukimatsuura128) 2019年2月23日
弊社役員の松浦 @yukimatsuura128 をインフルエンサーとして育てる会議終了。@tabbata 田端さんがメンターに就任。働く強い女のリアルを呟き続けるよ。乞うご期待!!年内に3万フォロワー目指します!! pic.twitter.com/dzp2dQZmYi— 三浦崇宏 GO (@TAKAHIRO3IURA) 2019年2月21日
解散。
昨今、官への働きかけに余念のないベネッセコーポレーション。文部科学省に絶大な影響力を持つ慶應義塾元塾長・安西氏との癒着関係や、元文部科学省事務次官の天下り受入れ(役員待遇)について指摘が相次いでいる。最近では、文部科学省が招聘した外国の有識者の旅費と報酬を肩代わりしたという報道も記憶に新しい(不正無しと文部科学省が結論)。
一方、そのような文部科学省との強い関係により、ベネッセは十分な果実を得ているように見受けられる。全小中学校で全生徒を対象に行われる「全国学力・学習状況調査」を受注したり、大学入試センター試験の後継となる新試験(2021年導入)においてベネッセが実施する英語試験「GTEC」の結果利用が認められたりと。だからといって不正とは限らない。法令に反しない範囲で行っていることであろう。しかし、このような濃厚すぎる蜜月は、「国民の見えないところで取引が行われている」という疑惑をかきたてたままだ。
新宿に「株式会社 学力評価研究機構」という会社がある。なんともいかめしい研究機関のような名前であるが、通常の株式会社であるようだ。名前だけからすると、ベネッセとの関わりは見いだせない。
https://www.crlea.co.jp/company.html
2017年創業の新しい会社である。ウェブサイトには従業員数や取引先など詳しいことは何も書かれていない。あたかもペーパーカンパニーのように見えるが、そうではない。事実として、設立直後から文部科学省関係の事業を次々と落札し、受注しているのである。
https://www.crlea.co.jp/company.html
代表取締役社長とされる服部氏は、プロフィールも何も書いていないので同一人物とは断定はできないが、ベネッセ社員に同姓同名の者がいたことがわかる。
本社所在地住所は、ベネッセ東京本部新宿オフィスや、多くのベネッセグループ会社が居を構えるところとまったく同一。仮に上の者が独立・起業したにしては不自然である。
以上から、同社はベネッセの子会社、あるいは子会社相当のグループ関連会社であると強く推測できる。重要なのは、容易に推測できるにもかかわらず、それをウェブサイト上どこにも明らかにしていないことである。一見、ベネッセとは無関係の社名であるというだけ。不正の要素はどこにもなく、今後疑惑を投げかけられたとしても、「隠していない」として逃げる準備はできているということだ。
文部科学省側としては、「すでに社会の批判を受けている以上、なんでもかんでも業務をベネッセに丸投げするわけにはいかない。一方で、信頼関係・利害関係のあるベネッセに仕事をお願いしたい。中身はベネッセで、看板だけ別という会社などないだろうか」
ベネッセとしては、「文部科学省とより強い関係を築くためには、合法ならば手段を選ばない。別会社をひとつ作るくらいは造作もない」
……そんなところだろうか。
この推測が現実に当てはまるか否かは増田読者諸兄の判断にゆだねたい。しかし、頭皮はともかく考えていただきたいのは、近年の文部科学省とベネッセの激しく緊密な官民関係を良しとするか、ということである。本件のふしぎなベネッセ関連会社も、すでに、確実に、その強化へ連なっているのだ。
【中学受験】
動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。
小学校は東京郊外の私立に通った。いわゆる東京の私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針を実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスもひとつしかなかった。
私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいつしかその子に好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。
五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任の先生と相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生の一言だけで私は世界が広がった気がした。
学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家の一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由な校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。
好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家が第一志望となった。
塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生は塾長と奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。
塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。
大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段の学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったからお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリの偏差値をいつも取っていた。
そんなこんなで中学受験。第一志望の受験日は2月1日。受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼの学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任や塾長の言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。
手ごたえはあった。得意科目は算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク。
【大学受験】
東大を受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。
はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践したかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法を模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。
私が中学の頃に父は長年勤めた会社を早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費と生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験の意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。
幸い有数の進学校には通っていたので、目標を東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。
ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間だけが過ぎていった。
願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である。
余談だが、父は学生紛争で東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。
結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験は合格者平均を大きく下回っていた。二次試験の数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。
【大学受験2】
東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。
私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校も卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。
就職か浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。
浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。
後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強と試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校の教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。
この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議と二次試験の過去問も解けるようになった。
結果からいうと、私は当時の前期日程試験で不合格だったが、後期日程で理科一類に合格した。
前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要な試験が少なく、私の場合はほぼ英語と数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。
試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語が会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ちで試験を終えた。
結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分の体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。
こうして私の受験は終わった。
【最後に】
小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家に合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。
受験は競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較でしか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。
正月の受験生たちに、あけましておめでとう。
違いは何なんだろうか。
自分の会社は全社員が、自己啓発系の勉強に会社から行けといわれて行くことになってる。
そこを「I塾」とする。
そこでは、人間としてどうあるべきかとか、この塾を受講してよくなったって人の話が月1ペースである。
自分としては、まぁ会社の命令だからと、話半分、自分にとって都合の良いことを抜き出して毎回報告してる。
今日、新人君がその勉強会について社長に「宗教じゃないですか」と言っていた。
すると社長は「宗教じゃない。人間として当たり前の道徳の勉強だ。」と反論していた。
自分にとって、「宗教」と「勉強」は同じなんじゃないかと思う。って話をすると長くなりそうなので控えるとして、
と、いうより、オウム真理教の話題が最近尽きることがないので再確認したのだけど、「宗教」って「ネガティブな言葉」になってるんだと思う。
具体的にいうと、「宗教」はマインドコントロールや洗脳による教育というニュアンスが含まれている。
つまり、日本神教や、仏教、キリスト教などは宗教とは一線を画する崇高ななにかで、低俗な教えがはびこってるものは「宗教」というような空気がある。
でも、I塾は間違いなく宗教なのだ。なぜなら、塾長と呼ばれる人が仏教に精通していて、「お釈迦様は」とか「崇高な僧の○○がこう残した」とかいうテキストが多分にでてくる。xevraでは無いが、瞑想の素晴らしさを説いていらっしゃるし、悟りはなんたるかと言っている。
つまり、ほとんど仏教を塾長なりに噛み砕いて経営に持ってきたものが「I塾」の勉強テキストだと自分は思っている。
なので、自分のとってI塾とは、仕事をする上ではあまり役に立たないんだろうなという高度な数学や、漢文などと同じなのだ。
なので、宗教って言われても「宗教だ」と自分はポジティブに言うと思うのだが、どうやら社長は「宗教」と言われることについて物凄く怒っていて、今もその新人を社長室で説教している。昼ぐらいは解放してあげないとマズイだろ…。
ない。なくてもそう困らないだろうが、困っているので書いている。
学生時代に力を入れたこと、すなわちガクチカを3つは用意しとく必要がある。たいていはバイト、サークル、学業。
もうこの1年ずっと悩んで、延々と悩み、悩んでる間に何かに取り組めればよかったのだろうけど、まあそんなことはなく、そして今死にそうになっている。
適当に嘘でも書ければいいのだが、やったことがないのだから全く想像出来ないし、就活サイトに載ってるのはやれ部活だ大会だであまりに現状と離れておりどうしようもない。
ほんとやばくて、支離滅裂なのは分かってるけど、なんかもう、なんでもいいから、増田に助けてほしい。助けてください。
・バイト
塾講やってる。嘘。やってた。都合が悪いので続けてる体で行く。
教材は塾が用意してるし、誰がどのテキストを使うかは塾長の指示だった。
教材作ったことにしてもいいけど、もし「見せて」なんて言われたら詰むので、そこは諦める。
ぶっちゃけ本気を出すのは生徒の方だ。
いかに本気を出させるか?勉強のモチベをキープさせるか?なんて問うことは出来るけど、んなもん、こっちの知らんこっちゃない。
塾はあくまで勉強の補助(うちはそういう塾だった)で、せいぜい週に一回会うぐらいのバイトが子供にしてやれることなんて何もない。
そいつの成績が上がろうが志望校に受かろうが、結局そいつがちゃんとやったってだけで、こっちには何の影響もないんだよ……
困った。
・サークル
ゆるい物作り系に入ってる。もうこの時点で詰んだ気がする。詰んでる。でも体育会系とかなんか人多いとことか無理して入ったら、きっと私のことだ、辞めてただろう。しゃあない。
学祭で作ったもの売ったりとかはしてた。あ、これアピール行けるっぽくない?
でも何をどうアピールするんだ。そりゃ作ったからには売るだろ。
別に売上の目標とかないし、そもそも売るためじゃなくてなんとなくの集まりだし。
一応合宿もあったけど、日程決めて宿を取るくらいしか仕事はない。
ちょっと前ならその日程決めだって大変だっただろうけど、今はラインでカレンダーに丸付けたらおしまいだ。
困った。
・学業
言うまでもない。
いやまあ、GPAは4超えてるし、成績は悪くはないと思うが、特別良いとも思わない。周りのGPAもそんなもんだし。普通。
レポートは言われた資料読んだり美術館行ったりでちょろちょろって書けばよかったし、試験は一晩か二晩徹夜すれば成績来るような授業ばっかり取ってた。
なので「じゃあこれ知ってる?」なんて突っ込まれたりしたら一巻の終わりである。
あ、ゼミのグループ論文があったけど、まあそれは苦労したけど……
苦労は苦労でも、フリーライダーが多かったとかリーダーと連絡がつかなくなったとか、アピールしたらまずい苦労である。
困った。
とりあえず思いつくだけのガクチカを挙げてみたけど、なんというか、ダメである。
いやほんとどうすればいいんだろう。
今からボランティアでも行く?どの?何のために?手遅れである。
なんで今さらこんな困ってるかって、週末に模擬面接があるからだ。
短期インターンのエントリーだったら何となくそれっぽいこと書けばよかったけど、流石に模擬面接でそれはやや困る。いやかなり。
人事の方も「とりあえずガクチカ深堀りする」って言ってたし。
まあ最悪上手く答えられなくても、本面接のときにちゃんと出来てればいいのだろうけど、それでもやっぱりある程度ちゃんとしておきたい。
私は御行に入りたいが、御行は私でなくてもいいのだ。
企業が「こいつなら雇ってやろう」と考える何らかの基準があって、それを満たしてるかはかるためのガクチカなのだ。
だからこんなんじゃどこにも入れない。それは困る。
私には趣味があって、それにお金がかかるので、お金が欲しい!!!働いてでも!!!!
御行の収益増やすので雇ってください、と言っても雇われないだろう。
だってこんなガクチカじゃ、到底売上に貢献出来るような人材には見えないし。
しっちゃかめっちゃかだし、どうしろってんだとしか言えないだろうけど、とにかく助けてください。
中学一年生から、僕は個人指導でお馴染みのあの塾に通って英語と数学を三年間習っていた。
僕に英語を教えてくれていたのはK先生で、バイクで全国を旅してお城を回るのが好きな先生だった。(ガラケーで撮った写真をよく見せてくれたものだ)
僕も歴史は好きだったし、英語もわりかし得意だったので、K先生の授業が(それと雑談が)とても楽しみだった。
(K先生は大学生だったから、たまに授業を受けられないこともあって、その時は残念だったことを覚えている)
ある日のこと、どんな話の流れだったかは思い出せないが、K先生が僕に「テーゼとアンチテーゼ」の話をしてくれたことがあった。
今になって思えば、多分先生自身が授業で習ったことを教えてくれたのだと思う。
ノートの隅に図式でテーゼとアンチテーゼ……そしてもう一個ジンテーゼってのがあるんだよ。と書き込んでくれた。
僕はアンチテーゼぐらいまではなんとなく知っていたけど、ジンテーゼは聞いたことがなかったので、そんな言葉というか、概念があること驚いたし、「僕だけが難しいことを知っている」というちょっとした優越感も持つことができた。
もう10年以上前の話だし、その時説明してくれた言葉の意味については正直に言って覚えていないのだが、aufhebenと先生愛用のBIG(黄色い芯に青いキャップのボールペンだ)で書かれたドイツ語はとても魅力的に見えた。
僕は高校生の駆け出しぐらいまでその塾にいたのだが、中学校卒業間近ではほとんど会ってないような気がする。
「K先生は家庭の事情で退職されたよ。お父さんが病気で体調を崩されたらしい」と塾長が僕に教えてくれた。
先生とメールアドレス交換すりゃあよかったな、と少し後悔した。
僕は大学へ進学しドイツ語を学び、先生と同じように塾でアルバイトした。
あんまりアウフヘーベンと関係ないけど、今話題になってるのを見て、K先生も同じように「そういや昔、アルバイトしてた塾で中学生に説明してたな」と思い出していたらいいと思う。
有難う。お世辞と思うけど、前向きなコメントを貰えて本当に嬉しい。実は…いきなり最初に書くと引いちゃうと思ったから書けなかったんだけど、学部・院と、今まで色々なアルバイトしてきて、上手く行った試しがないんだ。結論から言うと、ほぼクビ状態で辞めていく形やフェードアウトする流れ。送別会なんてされたことが無かったし。
今までやってきたバイトは多種多様にやってきた。飲食(ホール)、プールの監視員(体育会系で、タバコ吸ってる高校生バイトの先輩達にイジメられたり)、コンベンション(学会会場のディレクター)、複雑な建築構造をした座席が数百とある某音楽施設のホール(お席案内係)、個別塾講師(塾長の息子にストーカーとキモい手紙を渡されて怖くて辞めた)、図書館司書、某宅急便バイト(電話対応)
塾講師(ストーカーが無ければ)と図書館司書、宅急便バイト(マニュアル通りに話すだけだったから何とかできた)は、何とか…。あとはほとんど駄目だった。
臨機応変に対応できなかったり、同時処理が出来なかったり、聴覚処理(ワーキングメモリが弱くて物覚えが悪い、メモを書き取れず聞き直すと怒られる)、凡ミスが多いとか…。最初に書いた、「上司が黒と言ったら白でも黒と歯向かってしまう」のも、世渡りが下手で、「ひどい」「いけないこと」と思ったら、怒りのボルテージを溜めてしまい一気に爆発してしまうんだ。教授も今までのバイトを辞めさせられてきた経緯を聞いて「やはり、貴方は正常ではないと思います。」と言っていたし。
だから、せめて世間様や他人に迷惑が掛からないような、手に職(単調な仕事)はないかなって…。長文になってしまってごめんなさい。
最近、塾講師をやってる。ちょっと愚痴を言わせてくれ。おもに上(塾長)への愚痴だけど。
小学校のね低学年から高学年、中学入試とかもやってる。それでね、俺はそもそも子供が好きじゃないんだけど、まぁいろいろあってこの仕事をしている。
で、塾だからなんとか勉強させてやってるんだけど、騒ぐやつがいるわけね。本気で殴りたくなるぐらい。注意してもなにしても聞かない奴がね。いるわけよ。授業できなくなるぐらい。
それで、まぁ、その上に報告するんだけど、「その子はなんで騒ぐか考えて? 騒がないように集中させて! 」ってみたいな説教を食らうわけね。まぁ、この一言も一理あるし、俺もそれなりにすっごく考えて、教育、指導方法を考えているわけよ。
だけどな、
「そんな甘っちょろいことが通用するか!」
って、すげぇ叫びたい。なんでかって? そんなね、その子が騒ぐ。それは、先生だけでなく、他にちゃんとしている子供がいて、その子が迷惑するんだよ! ちゃんとしている子って優秀なわけよ、すごいんだよ。そんな子がなんで、騒ぐ阿呆のために、我慢しなきゃならんのだ? 「その子が来たくない!」って言ったらどうする? 実際泣きながら俺に相談来たことあったよ。親に来させられているから、なかなか「行きたくない!」って親に言えない子なんだけど。
いやね、そういうことも報告するんだけど、やっぱり「騒ぐ子のことも考えて...」って。いやいや、そういうことじゃない。だからね、どういった子に教えたいか?なんだよ。たとえばね、そういった「騒ぐ子のための塾」だったら俺もそっちに努力するよ。それでも良いよ。騒ぐ子のための駆け込み寺ね。そういう需要はめっちゃあると思う。だけどそれだったら、優秀な子は来ないよ? いいの?
「優秀な子は来てもいいと思うし、来てほしい」じゃないんだよ。そうじゃねぇ。「そういう子は来なくなるよ」って言ってるだけなんだよ。それだけなんだよ。それだけ。なんでそれが分からんのだ? 「優秀な子に来て欲しい」と思うんだったら、騒ぐ子はお断りしないとやっぱり、優秀な子のためにならないんだよ。
やっぱりね、「子供たち皆のためになる」なんて無理なんだよ。それがどうして分からんのだ?
ちなみに俺は優秀な子供のためにしたいとは思っている。だってそうでしょ? 優秀だもん。教えがいがある。俺だって、人間だし、やっぱり躾がなって物分りが良い子は味方になるよ。「なんで優秀な子の味方ばかりするの?」と言われたけど、単純なんだよ。騒ぐ子が物分りの良い子になれば、俺だっていっぱいいっぱい味方になるよ。
もちろん、何度も言うけど、やっぱりこっちとしてもお金もらってやる以上、「騒ぐ子のための塾にしろ」と言わればやるよ。たぶん、騒ぐ子がしっかりした子になる喜びは知っているよ。しかし現実問題、騒がない子が我慢している状況を問題にしてほしい。
さんざん愚痴ったけど、よく考えると、小学校の先生とか大変だよなぁと。こっちはビジネスだからお客さんを選べるんだけど、小学校の先生はビジネスじゃない以上、みんなの味方をしなければならない。大変だと思うな。
俺の持論だけど、子供は騒がなくなるだけで、学校の先生は負担がなくなると思う。とすれば、「子供はうるさいもの」という観念を無くして、やっぱり環境が「子供はうるさくて良い」環境を無くしていくだけで、いろんなことが問題にならなくなると思うけどそうじゃねぇよなぁと。
最後、言いたいことは、大人は「すべての大人の味方」になることは無理だろう? だったらなんで、先生は「すべての子供の味方」にならないといけないと思うんだ?ということである。
30過ぎてるけどバイトだから、大学生のバイトと同じ扱いをされるのがつらい。
一時は使える人として重宝されてたんだけど(そりゃ大学生と比べたら俺でも使える人だ)
ただ最近いろいろ問題も起きた。さすがに30過ぎてるもんで受験勉強も忘れてる。
それでもなんとかやってたんだけど、俺のコミュ障の性格と合わさって
「あの先生分かりづらい」とか「絡みにくい」とか
苦情が塾長のところによく来るようになった。
しかもそういうことが重なって、以前患っていたパニック障害が出始めた。
授業中は教えるよりもパニックとの闘いだ。
どうにもならなかったら、トイレに逃げ込むが、何度も使える手じゃない。
いつか発作が起こったら…もう恥ずかしくてこの塾にはいられないだろう。
そうなる前にいい副業を見つけてやめたい。
私は某大学数学科の学部生です。塾でアルバイトをしており、先日、中学1年生のクラスで1次方程式の解き方を教える機会がありました。その際に起きたことについて書いておこうと思います。
私の認識では、中学数学において「4x-6=xを解く」とは「4x-6=xを満たす実数xをすべて求める」ということです。中学数学の参考書は「4x-6=x, 3x=6, x=2」という書き方しかしておらず、これでは、「4x-6=x⇔3x=6⇔x=2」なのか「4x-6=x ∴3x=6 ∴x=2」なのか分かりません。前者であれば問題ありませんが、後者であれば論理的に不完全であり、x=2が実際に4x-6=xを満たすことを確かめねばなりません。
中学1年生にこのようなことを話半分に説明したところで、理解してもらえるはずありません。しかし、このことは本質的であり、また、中学校で曖昧にしたまま方程式を解かせるから高校数学の論理と集合で多くの人が躓くのだと私は考えています。そこで、1コマまるまる使って論理、命題、必要条件・十分条件の授業を行いました。それから、1次方程式を解くときの式変形では式だけを並べるのではなく、式と式の間に⇔か∴を挿入し、その論理構造によっては検算も行うように指導しました。結果、生徒の多くは戸惑いながらも喜んで授業を吸収してくれ、小テストでも多くの生徒の理解を確認することができました。
ところが全く予期しないことに、保護者数名から苦情が入ったようで、塾長からかなり厳しく叱られてしまいました。「教えるべきレベルを逸脱している」とのことでした。塾長は英語国語社会の担当で数学の素養がないのもあるのか、方程式を解くということについて必要条件・十分条件の概念は本質的であり、教える必要があるのだと力説しても、「必要ないし、普通の内容を教えることに時間を使え。ここでの方針に従えないならしかるべき措置をとる」とまで言われる始末でした。
仕方がないのでそれからはテキストに徹底的に従って授業していますが、指導の方法について、私が間違っていたのでしょうか。モヤモヤしています。
歴史上の天皇をネタにしたジョークに触れる機会が当たり前のようにあった
高校や予備校の日本史の授業では先生も生徒も関係なくネタにしていた
無論彼らを侮辱する意図は一切なく、聖徳太子や新撰組や将軍やマリー・アントワネットが
度々フィクションのネタにされているような、そういう無邪気な類のものである
この間、たまたま高校日本史の話題から、平安時代の天皇のジョークの話になった
そうしたら大真面目に天皇(家)に対して失礼なことを言うな、と言われてしまって
その時はたまたまそうなのだと思ったら、バイト先の塾でも、塾長から同様の指導が入った
他にも同じようなことが、ここ二年くらいで結構あった
これだけで一般化をはかるつもりはないのが、もしかして私の認識に大きな誤りがあったのかと不安になった
問題を起こした人物が炎上防止のために、謝罪文をテキストではなく画像で公開する手法が蔓延している。
そんな風潮に嫌気が差している訳だが、なんと天下の慶應義塾大学までもがこの手法を用いて未成年飲酒事件を起こしたサークルに対する処分の告示をしたのだ。
慶應義塾大学-塾生HP-【告示】学生団体の処分(1月30日)について2
時期的にも「イスラム国の件に世間が大騒ぎしている隙に...」という魂胆が見え見え。まるで正月に結婚を発表する芸能人のようだ。
蔓延する炎上対策に一石を投じるべく、告示をテキストに書き起こした。決して当該サークルに対する私怨などではない。
この度、公認学生団体のF.C.ONZEが、「学生団体は、本塾の教育目的に添うもの」と定めた「学生の団体、集会および掲示等に関する規程」の第一条にもとる行為に及んだことが確認されました。これを受け、同規定第六条に基づき、平成二十七年一月三十日付で同団体に解散を命じました。
平成二十六年十二月二十日から二十一日にかけ、同団体は大会出場のために滞在していた宿泊施設において、懇親会を行いました。その後、泥酔した一部の会員が、無関係の同宿者の部屋に侵入し、そのまま寝込むという事態が生起しました。加えて、宿舎の共用部で騒ぎ立てる、備品を破損する、嘔吐により施設を汚損するなど、著しく品位を欠く行為も多数報告されています。周囲に対し、恐怖と不安、不快感を与えたこれらの行為は、決して許されるものではありません。
さらに、懇親会では未成年の会員六名が違法行為である飲酒に及んだことや、イッキ飲み、コールによる飲酒があったことも判明しています。学生責任者は、これらの行為を防止すると誓約しながら、何らの手立ても講じていませんでした。その態度は極めて不誠実であるといわざるを得ません。
再三の注意喚起、警告のとおり、未成年飲酒、飲酒による不適切な行為に対し、慶應義塾は断固たる態度で臨みます。
すべての塾生諸君が自身の行動を振り返り、こうした事態を二度と惹き起こすことのないよう、切に望みます。
平成二十七年一月三十日
塾長 清家 篤
サイコパスのAO義塾塾長の文章に突っ込み入れるンゴwwwwwww
全文は http://aogijuku.com/tk2016/
今回の一件で悶々とする中で、改めていま私が為すべき事は何かと考えた時、
それは「AO入試を通して、全社会を牽引していく先導者を輩出していく」という原点を貫き続けていくことだと、思い至りました。
→勘違いやぞ
自らの頭で考え、行動することを身につけていくことをサポートしていきます。
→まず学力つけるのが第一なんだよなあ
そして、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
それは今回の一件でも痛切に感じました。
それでもなお、私はAO入試が、これからの日本社会にとって欠かせない入試形態の一つだと私は確信しています。
AO入試では、大学から受験生へ必ず「志(=大学で学ぶことへの目的意識)」が問われることになります。
「志」を抱くには「意識」が欠かせない
そして「志」を抱くには、
だから私たちが「意識が高い」と嘲笑されることは避け難いこととも言えるのでしょう。
しかし、これからの日本には社会への「意識」が高い人々が「異端」として嘲笑されてしまう少数派であってはならないと思います。
これからを担っていく高校生にとって、そしてひいては日本人全体にとって、
「社会への意識が高いこと」を普遍的なことにしていくためには、
AO入試という入試形態が社会の教育装置として不可欠だと僕は思っています。
とんだ思い違いやね
社会問題を解決していく、社会への高い意識を持った担い手こそ必要です。
→まあわかる
その担い手を育てる仕組みの一つこそ、私はAO入試なのだと思います。
一方で、一点刻みの受験戦争を勝ち抜くには、
社会へ関心を持つよりも、机に向かうことばかりが奨励されてしまいがちです。
→いかんのか?
もちろん、机の上での勉強や学力を身につけることは極めて重要です。
しかしその重要性は、勉強や学力は「手段」であることに対してであり、それ自体が「目的」ではありません。
→意味不明
点数のみで評価することは、手間がかかりません。
→根拠なし
大学での学びも「手段」であって、入学することが「目的」ではないはずです。
→一時的な目的を達成して、それから手段としての学びを行うことの何が悪いのか
高校生達が大いに学問することへの、それぞれの「目的意識」が最も大切です。
その目的意識を問い、社会全体で育てようとするのが、AO入試です。
このAO入試の可能性を活かして、
「ゴール地点」ではなく「スタート地点」へと描き直していきたいのです。
→一般入学者は大学入学がゴールとかいう妄想を押し付けないで下さい(迫真)
やはり、AO入試で入学するには、意識が高いことが求められます。
要するにバカってことやし
むしろ、意識が高いことで嘲笑されてしまう日本社会の現状こそ、最も正さなければならない深刻の病理だと、真面目に思っています。
そんなこと真面目に思ってるなら真性のバカやな
本来ならAO入試の導入に合わせて、学校が変化するべきでした。
学校がAO入試のサポートを万全に行ってくれるのなら、AO義塾の出番など必要なかったと思います。
学校という教育機関に、高校生達のAO入試への挑戦をサポートしてもらうことを期待するのは難しいのが実情です。
AO入試に挑戦する高校生をサポートするコミュニティを創りたいと決心しました。
幸いなことに、AO義塾は毎年、合格実績の過去最高記録を更新し、
本年度のAO義塾4期生も既に慶應義塾大学に150名以上合格することが出来ました。しかしそれを支えたのは、既存の塾・予備校の概念ではありませんでした。むしろ、全くその逆の概念でした。
→AO用の意識高い実績作りのための団体まで用意しているもよう
教える側、教えられる側という関係でもなく、
茂木健一郎とか
200人の塾生がいれば、200通りの志があります。
みんなそれぞれ、違う色、違う形をしています。
それが私たちにとっての誇りです。
合格を目指しません。社会に貢献出来る人材を輩出することを目指します。
そして、この信念は揺るぎません。
安定した時代には、常識的なライフコースというエスカレーターがあり、
それに乗っていれば、社会のことなど考えられずにいられました。
自らの頭で考え、行動出来なければ、一寸先は闇な時代です。
でも、そんな不安定な時代に生まれた私たちのような世代だからこそ、
スリリングだけれども、わくわくするような人生を送れる世代です。
明日がどうなるのか怯える人生より、明日を切り拓いていく先頭に立つ人生に、僕たちの世代はしたい。
※ポエム終了
そしてそれは全てAO入試に挑戦することで得られる学びです。
時代の転換に合わせてそろそろお役御免です。
こうした背景を考えれば、
やはり、新しい学びの場が不可欠です。
AO義塾はその新しい学びの場たらんと、
そして再出発の第一弾として、
「社会問題を考えるワークショップ」を12月26日(金)に開催します。
皆さんと一緒に「考える」機会としていきたいと思っています。
対象は高校生ですが、参加人数によっては、大学生の見学も受け付けます。
こうした企画等を通じて、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
ぜひ意欲溢れる、才能の原石である高校生の皆さんのイベントへのエントリーをお待ちしております。
それは「結果」で示してみせます。
斎木陽平
全体的に文章が下手で草生えた
なぜかこいつは脳内で一般入学者を大学入学がゴールの「意識低い人間」に仕立て上げてるんだよなあ
お前の意見はあくまでもお前の立場や視点から出た一方的なものでしかないから、自分に対しては甘く見て、相手に対しては厳しく見る。
だからそんなことで優越感を覚えるのは間違いだよ。
まあ、お前の言葉を借りるなら。向こうもこんな風に思ってるよ。
俺の高校の野球部は別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。
俺はこの夏で野球部を引退し、大学受験のために塾に通い始める。
入塾にあたって面談の為に塾を訪れることとなった。
簡単なあいさつがあって、そこからは塾長と俺による面談が続く。
得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活のことなど、なんてことない普通の面談だ。
それに対して俺は「はい!」「はい!」と元気よく返事していたが、具体的な事は何も答えられなかった。
「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」
もちろん、高校の3年間を部活に捧げることはすばらしいことだ。
何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちも多くその行いを賞賛する。
しかし、だからといってそこから引退してしまったら何も残らない、というのは間違いである。
夢も目標もそこから前に進むための道標となるものは何も無いが、少なくともオレには、三年間を部活に捧げた実績、そしてそれをやり抜いた成功体験がある。
体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」なんて事を口にするけど、
後に残るものはそれだけだ。そして、それだけで十分なのである。
オレは体育会系だった。活動の中で将来やりたいことも見つからなかったし、今何をすべきかもわかっていない。
文化部の連中のことはよくわからないが、少なくともオレには進路や将来のことを知ったかぶりしているだけのようにしか見えなかった。
部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎること、それだけで得られるものもあるのだ。
どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。
彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ……という、意見もあるだろう。
しかしオレには物事をやり抜くだけの精神力があるから、何でもやり通す事が出来る。
文化系の連中はいつも目標や進路を明確に定めて努力している風の顔をして、しばしば体育会系の俺らの努力を見下すが、はたして奴らに奴ら自身の定めた目標への道筋を完走するだけの精神力が本当にあるのだろうか。
俺にはある。
そして後は、志望校という目標を、数ある大学の中から選ぶだけである。
それがどんな険しい道であれ、完走する自信は既にある。
どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、グラウンドでしごかれ汗を流していたあの日々に比べれば、正直どのような困難も恐れるには足らない。
ってな。
わたしの高校の野球部は別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。
しばらくすると、一組の親子が来て面談が始まった。その声を聞いてすぐに、自分の同級生だとわかった。
彼はこの夏で野球部を引退し、大学受験のために通い始めるそうだ。
簡単なあいさつがあって、そこからは塾長とその生徒による面談が続く。
得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活のことなど、なんてことない普通の面談だ。
それに対して生徒は「はい!」「はい!」と元気よく返事するが、具体的なことは何一つはっきりしない。
「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」
何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちもさぞ彼を賞賛することだろう。
体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」などと言うかもしれないが、
たとえそうだとしても、果たして後に残るものはそれだけなのだろうか。
わたしは文化部だった。活動の中で将来やりたいことも見つけたし、今何をすべきかもわかっていた。
だから運動部のことはよくわからないが、少なくともわたしには部活を引退した彼らが抜け殻に見えてならなかった。
部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎることは案外危ういことなのかもしれない。
どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。
彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ。
フェイスブックで起業家塾長なる怪しいものが私的に完全アウトで変なことつぶやいてたので憂さ晴らしに増田にはきだします。
都内の有名私大(文系)卒業後会社設立2年目に新卒一期生で加わりました。
今は入社7年目で、社内でもかなりの地位まで昇進しています。給料なんかも同級生などと比べてもかなりもらっております。
おかげさまで今はだいぶまともな職場になってきており、仕事も楽しいし割とハッピーですと言えますが、入社直後なんて何度も自分の選択を後悔しました。
同期は30名近くいましたが、今残っているのは数名というところから、職場環境は推して知るべし。
まあそんなこんなでベンチャーでこれくらい働いていると、界隈に知り合いもいっぱいできるんですが、その中に企業を応援します!みたいなおっさんがいるんですよ。
社会全体でも起業を応援してる人ってたくさんいると思うし、なかにはしっかりと中身のある方もいらっしゃると思うだけど、
「起業なんて簡単だ」
とかいうじゃないですか。
いや、最近は少し変わってきて「起業は楽じゃない、けどやる価値はある」ってくらいかも。
ホリエモン然り大体そういう輩って自分が成してきたことを簡単と言うことによって精神勝利しているような感じかなと思うんで、幸せ者だなぁで済むんですよ。
私にとっての問題は、それを商売にしている輩なんです。
「挑戦する人を助けたい!」
的なことを言う商売起業家塾の方は私的に完全アウト。
確かに、社会にはイノベーションは間違いなく必要だし、その手段として起業が有効なのは私も思う。
ただただそれに喚起されて独立したって、まずもって上手くいかないだろうし、万一うまくいってたとしても、恐らくは他者の不幸を糧に肥えていくようなビジネスになりがちです。
なんだか、子供のころ大人は汚いってどこかで見たことあるけど、そういった汚い大人の代表みたいなのを想起させてくれます。
自分もそろそろいい大人な歳になってきたんだけどなぁ。
同意。
この塾長は糞だ。教育者としてどうなのかは知らんが、経営者としては無能どころか有害レベル。人を見る眼が無いし企画力も実行力もなければカリスマもない。こんな塾長の塾がまかり間違って成功したりなんかしてたら、新しいブラック塾チェーンが一つ増え、そのせいで泣く講師と生徒の被害は増加したところだ。元増田の功績で塾が潰れたことは、とても喜ばしい。
まあ、損害賠償云々言われるなら、「アルバイトなのに無給で営業を強制された」と労働基準局に言いに行き、未払いの賃金と、その間のパワーハラスメントに対する慰謝料を請求しますね、と言い返せれば満点だった。
元増田が塾を辞めたいと思った時、労使トラブルに強い弁護士に依頼してたら、きっと舌なめずりしながら引き受けてくれただろうに。残念だったなあ。