はてなキーワード: 協和とは
下記書籍を最小限読書した。読書時のメモを以下に記す。 小口 孝司 (監修),"史上最強図解 よくわかる社会心理学",ナツメ社,2013. 人は社会的存在であることを前提 パーソナリティ心理学 性格心理学 心のなか 3つのシステム 自己概念 自己評価 自尊感情 認知 状況やできごとへの認知 他者への認知 感情 情動 人ならではの高度な感情 社会的感情 関係 心の遺伝子 行動 人には必ず自分について知りたい欲求がある 自己査定動機 自己概念 個人的アイデンティティ 社会的アイデンティティ 自己 主体的自己 客観的自己 物質的 精神的 社会的 作動的自己概念 意識に上ってる自己概念 状況や相手によって常にかわる 自己スキーマ 現実 ありのまま 理想 こうありたい 義務 こうでなくては 可能 そうなれるかもしれない 気になる異性に好かれたい → 理想自己を選択 人は常に他者との比較によって自己評価 社会的比較論 自分は良い、価値ある人間だと思いたい 自己奉仕的動機 自分に甘口 自己高揚動機 自己防衛動機 平均以上効果 上方比較 私もあんなふうになりたい 下方比較 あの人よりはできるはず 自尊感情はほどほどがいい ローゼンバーグの自尊感情尺度 俺 27 10〜50 40以上 高め 20以下 低め 潜在連合テスト 日本 謙遜を美徳 欧米 自己アピール 評価される 自尊感情を維持のために無意識に心理作戦 セルフハンディキャッピング 栄光浴 認知的 評価 倹約 バイアス 不協和 都合良しに目を向け、悪しにはつぶる ヒューリスティック処理 代表性 利用可能性 認知的評価のさい、何かに原因を求める 原因帰属 内的、外的 初期カテゴリー化 興味があれば深掘り ステレオタイプ 個人に対するステレオタイプ 2次元 能力 優劣 温かさ 温冷 解釈レベル理論 時間的 心理的距離によって物事の捉え方 異なる 長 抽象的 高次解釈 why 大目標達成できるが、理想高すぎで実行できない 短 具体的 低次解釈 how 実現性高いが、目先しか見えない 恋愛 高次解釈 崇高 理想化 現実の恋愛しにくくなる 低次解釈 肉体だけ 使い分け重要 コントロール可能 情動 喜び 悲しみ 驚き 恐怖 怒り 嫌悪 生理的変化 伴う 重要な事態に気付くため 社会的感情 社会生活を営む人間のみ 社会生活を円滑にするため 愛 友情 感謝 誇り → 助け合いを促す 疑い 嫉妬 正義感 罪悪感 恥 → 集団内の裏切りを防ぐ 感情の役割 命の危険から身を守りつつ、社会生活を円滑に送れる 感情 脳内で無意識に 大脳辺縁系 扁桃体 大脳皮質 気分一致効果 良い気分の時は良い記憶を思い出す 感情感染 感情を適度にオープンにすると健康になる 感情コントロールの理由 合理的に判断するため 疲れやストレスを避けるため まわりの人によく思われるため 社会にうまくなじむため 感情 あらわにしすぎも、抑制しすぎもよくない 紙に書いて表出する筆記療法 感情抑制による健康への害を防ぐ 1日15分以上 静かな場所で 誰にも見せない 状況、感情を整理 いやなことへの慣れ できごとの解釈が変わる 抑うつ感がなくなり 免疫力もアップ 心の特徴は遺伝子で受け継がれる 進化心理学 助け合いの社会行動 適応的かどうか 適応的でないと淘汰されやすい 以上
マジレスするとそもそもエッセイ創作で名前を売ろうとするやつらの9割9分9厘は間違いなくスクールカーストの底辺に近い連中なので、創作上そやつらよりも更に下の存在とされるような人たちは現実には作者と同等の存在として扱われていたやつらであると考えられる。
創作やらエッセイやらで有名になろうってやつらの根本にあるのは学生時代の底辺評価を一発逆転させたいということなので、自分よりも底辺の人がいてくれないと認知協和をとることができないんだよ。
的確な分析すぎてなんか笑った。
まさにその通りなんだと思う。
この過去の成功体験から離れられないタイプの中年て現実とこうあるべきである自分との乖離からくる認知不協和を素直に内側に向けられないところに哀れさを感じるな。
たった1万ばかりの金をポンと取材費として払えなかった自分に一番ムカついてるんじゃないかとまとめ読んでて勘ぐってしまった。
他の人もコメントしてたけどこんだけ全部の発言がブーメランになってるってことは、もともと怒り矛先は自分自身に向けるはずであるってことを理解してたからなんだろうな。
そのあたりが完全にバカなんじゃなくて有名大学と有名企業を出たという中途半端な知能が余計にキズを深くしているようにも思う。
あとこの鳥カエルさんは最終的に他人破壊か自分破壊の極端な方向に進みそうで怖いんであんま直接触れない方がいいような気がする。
少子化問題の解決に移民推進とか言ってる奴はお金持ちになりたい→遺産目当てに老人と結婚するホストみたいだと思う。
安直だ。
移民の根本的な問題を解決しつつ出生率をあげる方法が出せない無能だと思う。
移民を「生産」してる国を日本の実質的な植民地にして、日本が資源産出国になるのがベストだと思う。
帝国主義と言われようと、難民問題解決のために必要なコストを支払ってもらう。
日本は平和を維持するために多くの制限を受けてきたし、支払いも続けてきた。
同じものを払わないで善人ぶって単純に助けてあげるのは国益に反する可能性が極めて高いのではないか。
国際社会が協調しないなら日本は難民の受け入れなど拒否するし国連への拠出金も凍結する。
日本が受け取る利益はプライマリーバランスを改善し、出産育児教育支援への体制を整える。
よって現状でいえば国連主導による、移民の国を新たに樹立する方針がベターだ。
砂漠のなかにラスベガスがつくれるのだから、空いてる砂漠にアメリカをつくればいい。
そしてかかった費用は出資国に還元する。通貨も国家運営が安定するまではドルペッグでよかろう。
わたしの不勉強もあってか、移民受け入れを行ったドイツがどうなったのか、
どうすればよかったのかを支持者に明確な説明をした移民推進派の論客を見たことがない。
日本に単純労働の担い手として出稼ぎにきた人々が日本で幸福に満ち足りた生活をしているか、
ヘイトスピーチはいけない、差別はいけないというが、移民が差別されなかった地域など聞いたこともない。
文化的不協和が摩擦になり、隣の町の本国人は楽しく暮らしているさまを毎日見せつけられたら不満を抱くのも当然だ。
結局のところ移民推進派は、机上の空論で指標の数字を操るゲームをしているだけだ。
現実とゲームの区別がつかないとは、移民推進派の主張に貼られるべきレッテルだと思う。
同時に、育児検定も発足させる。免許ではない。あくまで検定だ。
日本語検定を持っていなくても日本語を自由に(当然責任をもって)使っていいように
親になるのは勝手だが、親としての資質を他者に証明できるシステムがあっていい。
これは明らかに性差別だと思うのだが、にも関わらず育児の適性についての明確な指標がない。
教育論はまちまちだが、「栄養の偏りのない食事を提供する」「子供との触れあう時間をもつ」「子供の健康に気を配る」など
常識となっていて議論もされていない部分を明確にすることには意味があるだろう。
・アレルギーをいまだに甘えと認識している不勉強な人間を排除することができる。
・地域で放置子の問題が発生した時に対処にかかる時間が短縮される。
・周囲の無理解から産後うつや育児ノイローゼに陥る危険性が減る。
など、妊婦や新生児の母への協力を促すことが見込まれるので育児放棄の減少が期待できる。
また「妊婦様」などと言われる、過剰な権利や優遇を主張するモンスターペアレント予備軍の減少も副次的な効果として期待したい。
一級以上の検定所有者は
「規定以上の割合で検定所有者を雇用している企業の法人税減免」などはワークライフバランスを見つめなおすきっかけになるだろう。
受験に両親の不仲、友達との不協和が私のちっぽけな肩にのしかかる
伊勢神宮にでも旅に出て半年くらい姿を消したら神隠しとかミヤネヤで取り上げられるのかな
ま、すぐに見つかっちゃうだろうけど
今年の抱負はこれ以上悪くならないこと
私自身はいたって普通なのに周りが混沌としすぎて渦に巻き込まれてる
なんとか脱出したいけど私の力じゃ無理
斜め向かいの家の兄弟みたいに世を捨てて生きられたらなんて思うけど、それはそれで辛そう
次男は似合わないグラサン、この前ジロジロ見られて気持ち悪かった
三男は神経質で近づけない
四男は陰気でそれこそ犯罪でミヤネヤだ
六男はひ弱で男らしくない
だけど、こんなおそまつな私が遊びに誘ったら気持ちよく歓迎してくれそう
そしたら笑ってこう言おう
「シェーーーーー!!!!!!!!」
はてな匿名ダイアリヰ利用者(以下「増田」)は、善良なる精神と高潔なる理性を持つた匿名のはてな民として、人類文化の発展と世界平和のために、増田とブツクマアカアの協和による建設的議論の構築と、思想の自由のもたらす恵沢を確保し、承認欲求の暴走によつて手斧の投げ合いや不毛な炎上による慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに書き手としての良心が存することを宣言し、このアノニマスダ宣言を確定する。
そもそもインタアネツトは、人類にとつての価値ある情報もしくは藝術的資産を見つけるためのツウルであり、公開されるすべての情報は人類発展に寄与されるべきである。人類文化の発展こそがインタアネツトの普遍的理念であり、このアノニマスダ宣言も、かかる理念に基づくものである。われらは、表現の自由に対する一切の圧力、規制及び誹謗を排除する。
はてな民は、質の高いウエブコンテンツを念願し、公平な批判的精神を持ちあらゆる文章媒体を深く読解するのであつて、文章表現を愛する増田の公正と信義に信頼して、増田の安全と生存を保持しやうと決意した。われらは、平和を維持し、荒らしとスパム、誹謗と中傷をネツトから永遠に除去しやうと努めてゐるネツトサアビスにおいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の増田が、ひとしく炎上と手斧の恐怖から免かれ、己の良心に従い書く権利を有することを確認する。
われらは、いづれの増田も、自分のことのみに執着して他者を無視してはならないのであつて、倫理道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、匿名の文化を維持し、他者と対等関係に立たうとする増田の責務であると信ずる。
増田は、はてなの名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
増田はトラツクバツクやIDコヲル等を使用して、積極的に他者との意思疎通を図ることができる。
増田は建設的な議論を行うために、主張や反論を述べる際は当該文章が論理に適うものであるかを検討する。但し、他者との円滑な意思疎通を育むために感情を読み取ることも大切である。
増田は己の妄想や憶測によつて他者を貶める文章を書いてはならない。真実を描写することにより問題点を浮き彫りにし、また問題提起を行うべきである。但し、小説等の文藝表現を目的とするときはこの限りでない。
無意味、無文脈、シユールレアリスム、前衛的文学など、増田ではいかなる表現の自由が保障され、尊重されるものとする。
増田は投稿されたものに対し己の良心に従い、建設的議論と人類文化発展のために、反論、反証または批判ができるものとする。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。
増田はわかりやすい表現をこころがけ、読者に無用な解読作業をさせないやう、最大限の配慮と工夫をしなければならない。
あの謝罪を見てブチ切れてたおっさんたちも、よくよく見りゃかわいい服着てるしおじさん応援しちゃうぞー☆となるのは間違いないよ!
教養ある記事書けないくせに、他人に対してはバカバカ連呼してるけど、本当に教養のある人からすりゃどっちもどっちだわバーカ。
ということで、今回もかわいい服着た女の子が正義!ってことでかいさーん
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追記:関係ないけど、日本経済ガーのおっさんたちは経済学でも学んできたのかな?消費が良くなりゃ経済が良くなる!と盲目的に連呼してるけど、制約や基礎的消費ーそれ以外の消費といった概念や、不要なものへの消費は間違ったシグナルを与え社会的費用を上昇させ資源や財の分配を阻害するという思考すら理解してないよね?笑
いい年してネットで見かけた言説を丸呑みしてそのまま吐き出した脳みそ腐ったマヌケにしか見えないんですが笑
さらに、個人の経済行動は自由でありインセンティブによって変容させるのが経済政策のあり方なので、お前の思想なんか知らないけど消費しろ!なんて言うバカはじゃあお前が破産するまで消費しろよお前の思想なんか知らんから自分でやってろバカと返されて終わりだということも理解できないんだろうな
そして、マヌケの言うことを鵜呑みにしてあれが正しいと思考停止してるのって恥ずかしくないのかな。教養がどうこう言ってるクソ間抜けどもは自分の脳みそを省みるほうがいいんじゃないのかな?本気で書いてるのか?とか頭悪そうとか思わせぶりなコメントつけるだけで反論できない自分の認知不協和を解消するだけの脳みそ腐ったマヌケばっかりなんだよなぁ。バカはまだ許せるけど調子に乗ってるバカほど惨めなものはないぞ☆
http://kyoumoe.hatenablog.com/entries/2015/07/12
どっちも教養ない→そのうちの教養がどうこう言ってる側は間抜け
つまり教養がないのに教養がどうこう言ってる連中のことを指してるので的ハズレもいいとこ。
ちなみにおまえのファンなんだけどよ、いつもより切れ味わるかったなぁおい。
ちょっぴりおしゃんてぃーなわかいねえちゃん見つけてうれしくなってんのはおまえじゃねぇのかおい。
かわいいとちょっぴり褒めるとすぐエロまで飛躍させる発想、それはおまえの願望の現れだろう。
なるほどね
↓
http://anond.hatelabo.jp/20150508203105
こいつは釣りだろうけど、文章の主人公アラサー女性にとってチンピラ→家庭人という「人としてあるべき道」をたどっていない人は
「普通の人」になろうとしていないという認知不協和を起こす存在として映るというふうに推測ができるな
(その証拠に「まだ」そうしていないという言い回しをして消費を繰り返す人もいずれ自分と同じ位置に来るものとナチュラルに信じ込んでいる)
同性婚もそうだけど「普通の幸せが一番の幸せ」って言い方する人間てのは、今自分の立ち位置である「普通」を選ぶ人が少数派になると「普通」というブランドが通用しなくなる恐怖感が言わせているセリフなのかと
あんたは自己責任論を一番最悪の形で拗らせている
「あんな危ないところウロチョロして日本人に迷惑かけて」と自己責任論者は言う
だけど現地で取材をする人間が居なくなれば何も真実は見えてこない
関係各国の公式発表はどれもプロパガンダを含む偏向報道だよ、「ヤツラは虐殺ばかりしている」「いや俺たちは虐殺なんてしていない」真偽不明な印象操作がひたすら繰り返されるだけになる
「遠い中東世界のことで日本人には関係ないのに余計なことをして」と自己責任論者は言う
だけどジャーナリズムの監視の目があるからこそ先進国権力者の自制が促され、この日本の一応の平和だって保たれているんだ
これらの草の根的運動が何百年も積み重なって今の報道があり国際社会の協調が保たれている
個人としては家族や恩人に迷惑と心配をかける非行かもしれない、彼らは自ら生贄にならざるを得ない生い立ちなんかを持っているのかもしれない
だけど、恩恵を受けている俺たちが軽々しく自己責任論で切り離して良い存在じゃないんだ
あんたもうすうす気付いているんだろ
散々自己責任論で吹き上がって認知不協和起してるだけなんじゃないのか?
「ジャーナリストなんて他人の不幸を見世物にしてるクズの所為で多くの日本人が迷惑を被った」
そんな風に言ってもらえれば無責任な自己責任論にいつまでもしがみ付いていられるんだから
助けることは叶わないかもしれないが、せめて心を痛めるぐらいの敬意を手向けられないのかと憤りを禁じえないよ
最近は家族からしっかりと愛情を受けずに育った子供が目立つ。そういうやつは俺の周りにもたくさんいて、大抵そいつらは無気力的で、これといった趣味もなくもっと言えば欲求が弱い。そいつらの一人の言葉を聴いて俺はびっくりした。「美味しいものを
食べるのはたしかに幸せなことだけど、わざわざ自分から食べたいとは思わない(意訳)」だとさ。ありえるか?こんなこと。ちなみにそいつの家では、母親がまともに飯を作らないせいか、夕飯は冷食とスーパーのお惣菜のみ、学校に持ってくる弁当も同じようなもんで、一緒に飯を食ってる俺からすると、そいつの弁当は臭くて仕方がない。
話がそれたがまあ何が言いたいかというと、冷え切った家庭環境の奴ってのは、まず衣食住の衣の部分が完全には満たせていない。この基本的かつ最低限な欲求が満たしきれていないと、その上位にあるようなより人間らしい欲求にはなかなか到達できないだろう。そしてこういう家庭は今とても多い。というのも恐らく今親をやっている奴らってのは、言うならば今の世代と団塊世代の間にいて、団塊世代の「正常な人は結婚する」って考えと今の世代のリベラルな考えに板挟みにされていて、ちょうどお互いの不協和な要素を併せ持った人が多いんだろな。こう考えると今の非婚化は悪いとは言えないのかも。
またまた話がそれたが俺が言いたかったことは、多分今起こっていたりこれから起こる社会問題の根底には、こういう人たちの存在が隠れているかもしれないからそれに気づいてほしいってことだ。
非常に読みづらい文章で申し訳ない。こういう議題について語りたいことはたくさんあるんだけどなかなか自分の中でまとめられないんだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本の音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。
そこで日本の現代音楽界とか教育をDisるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。
大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。
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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代。
まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。
一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存の技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12音技法」ってのを作った。
これは何かってうと、まず1オクターブの12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。
で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。
それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。
つまりはルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなものが音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。
でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。
シェーンベルクの弟子たちがそう考えて、より主観性を排除する方向に向かうわけです。
どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。
どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。
そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。
同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。
(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要なポイントだと個人的には思ってるよ。)
でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明なものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。
ここまでが「無調」。
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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ。
彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで
サイコロで演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージが最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。
ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。
このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。
このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽が存在しなくてもいいんだよ。
さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)
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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派、スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。
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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては
調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。
ただ調性感のある音楽は大したことがないからと著作権を放棄する作曲家ばかりなのかは自分は作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。
あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんのテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックをバリバリやってた人です。
そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
色々とどうしようもなくなってきたので、ここで吐露する。
ただ、憚られることもあるので。
去年くらいからきょうだいの調子が悪くなって、何回か病院に救急車で運ばれたりして
それでも原因がわからず帰ってきてはまた体調を崩して、という日々が続いた。
もともと身体が強いほうではなかったので家族も多少気にはしていたけど、重くとることはなかった。
そんなことで、ある日も強い腹痛で病院に行くことになって、いつもとは違う病院に行ったのも
ただ、それでも原因がわからなくていよいよ退院となったときに、ふと看護師さんが
「黄疸が出てる。」
と言ったらしい。
黄疸が出るには特定の原因があるということなので、再度精密検査をしたら、
案の定、末期がんだった。
年末ということもあって、何も決められぬまま、他と検討する時間も状況を飲み込む時間もとれないまま、
原因もこの先もわからないまま即入院で検査で医療の方向性とか色々決まった。
がんは検査の仕方が違うらしい。
正直みんな、楽観的だったと今は思う。
末期と言われてから随分経った。
日中の静かな重たい病室で、衣擦れと空気清浄機と遠くで都会の音とかがしている中で、
一緒にじいっと何かを待っている。
気づいたら、母親も日差しの逆光の中でずいぶん小さくなっていた。
そんな状況で一人どうしようもないのがいる。
たぶん、人格とか環境のせいとかいうレベルじゃないような気がする。
客観性のない偏狭な自己愛を押し付けてくる不協和の塊は、この状況でただ腐臭を放っていて、
それに対してどうしようもない嫌悪から觀念になって無関心に向かおうとしている。
”行ってあげている”病室を「地獄」と形容して、楽しそうにあれはもうもたないとか
しゃべっている口がうるさいと存在を陵辱して、毎日酒を飲んでいると思えば
友人と飲みに行き酒なんか飲んでいる場合じゃないと吐き捨て、家を
汚いと言って毎日掃除機をうるさく回して、机の上の急須の茶が腐った。
自分が一番頑張ってて苦しいと色んな人の前で恥ずかしげもなく言い、
母親や親族に対して文句と暴言を吐いては自分を誰も理解しようとはしないだの
周りがどうだのと調子を上げては、一定の不快な高音を出して「泣く練習」を聞こえるようにしてしている。
平気で嘘の理由をでっち上げて、何故かと問いかければ話をそらして怒鳴りちらす。
何かを言っても、いつから偉くなったとかその口はなんだとか、十数年前から変わらない表面的な
ミスを全てわからないからで片付けて、自分の好きなものや酒を喰らい、余ったり自分の嫌いなものを
食えと冷めた飯を出して、拒否すると言う事を聞かないと嘆いて人の聞こえるか聞こえないところで
罵声をひたこぼす。
極めつけだなと思ったのが、何かを買ってこいとメールが来たのでそれの詳細を聞いたら
どこをどう解読したのか、自分が否定されたと発狂して、お前とは縁を切ると言い放った。
未だに理由も言っていないし撤回もないし、その場では「冗談だ」と抜かしていたが
哀しいかなそのような言葉をそうかと言って忘れられるほどの度量はない。
残念ながら、今に始まったことじゃない。
ただ、正直、今はそこじゃないんだ。わざとやってると言ってくれたらもう赦してもいいかもしれない。
でも、見ててもう何も思わなくなってきた。
この数ヶ月、久々に同じ空間で時間を過ごすことがあったのだけど、その期間、
自分は人に対して苛立ちと無感情になって、分別がおかしくなってた。
こないだ、聞こえないように聞こえさせた暴言を聞いた。
なんか、もういいやと思ってしまった。
いつか気が狂うと思ってたら季節は半分過ぎてしまった。
まだどこかできょうだいは治ると信じているけど、会うたびに
色々できなくなっていくのを見ていると諦めてしまいそうになる。
1つだけ言えるのは、あれを地獄とは言えない。
ちょっと納得。
20代30代の視聴者がそれらを見れば、自分よりも年下キャラの方が人格的にも能力的にも圧倒的に完成されている事実について、違和感や劣等感を感じるものだと思うが、視聴中は自分が14歳~16歳になったような気になっているのだと思う。
ローティーンやミドルティーンの目線で、「ハイティーンのお兄さんやお姉さん」に憧れたり、不満を持ったり、要求したりしている。
これに醒めたり白けたりして、かつ別のジャンルに「現実逃避タイム」を見いだせると、場合によっては完全に脱オタとなるわけか。
(別ジャンルのオタクになるともいえるけど。クラシック音楽オタとかファッションオタとかそういう)
脱線だけど、自分が白けてるものに熱中している他人を見る時、人間がときに殺意に近い憎しみや嫌悪感を抱くのはなぜだろう。
こじらせるとマジキチ的な事件になったりもするみたいだけど。(同人界隈のジャンル変更トラブルとかそんなん多そう)
なんかよく「本当は自分もそれに熱中したいのにできない、だから熱中してる他人に無意識に嫉妬してんだ」的な心理分析がなされているけれども、なんか的を射てない感じがする。
いっぺん白けたわけだから「熱中したいのにできない」状態にあるとは言えないと思う。
人は何らかの物事(=自分とは異なる意見)に遭遇した場合(認知)、
それが自分が持っている「認知」(=自分の意見)と相容れない場合(不協和)、
不協和の逓減には以下の3つがある。
「認知」を変える(現実を変えたり(=論破する)、考えを変える(=反対派の言論も一定程度許容する))
「認知的不協和」とは?
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%A7%C3%CE%C5%AA%C9%D4%B6%A8%CF%C2
>心理学の用語。
>1975年、アメリカの社会心理学者フェスティンガーが提唱。
>それが自分が持っている「認知」と相容れない場合(不協和)、
>不協和の逓減には以下の3つがある。
>1や2のように、「変化」をさせたり「否定」をすることはコストが高いため、
>実際には、3が選択されることが多い。
【意訳】
楽観論者が何らかの物事(=原発事故)に遭遇した場合(認知)、
それが自分が持っている「認知」(=原発安全神話)と相容れない場合(不協和)、
不協和の逓減には以下の3つがある。
「認知」を変える(現実を変えたり(=避難行動)、考えを変える(=反対派の言論も一定程度許容する))
たとえば東大とFランなら平等に扱うというのは不平等だというのがわかるだろう。
大卒という価値が減じているため、これを回復させねばならない。
また、Fランという存在自体が社会にとっての害悪なので、これは国が率先して淘汰しなければならない。
この世は勝ち組と負け組がいて当たり前。みんな仲良くしあわせなんてのは最悪の社会。
負け続けるような人には、死んでもらおう。
小学校のうちから勝ち負けをはっきりさせ、負け続けると死ぬんだぞと教え、向上心を与え競争を促進し、メンタルも強い優良な人間が幸せになれる社会にしよう。
弱者は踏み台。
弱者を多く作れば作っただけ、より高みに上り詰めることができる。