はてなキーワード: 冬休みとは
そうそう、あれあれ。こんど公開される予定のあの作品ですよ、あれだよあれ。寝る前にあれのこと書きたくなった。
あれさ、予告を見る限り、細田守ファンタジー作品みたいなストーリーを匂わせつつ
岡田麿里作品のような思春期ローティーンの悩みや心の揺れ動きを描くような作りになっているように感じたんだけど、
今のところいったい誰がこの作品を見に映画館へ足を運ぶんだろうかと、すごく心配になるんだよね。
まず映画館で一般の人が予告を観たとしても、”よくわからないオタク向けの萌えアニメ”というカテゴライズがされる気がしてて
勝手な印象だけど、一般人の萌えアニメへの拒絶反応(萌え絵への不気味の谷のようなもの)に対していま流してる予告の絵面と内容では、
不気味の谷を超えてでも見に行きたい何かを提供していないように思えるんだよ。なので予告やCMを目にした一般の人に認知されて
その人達が映画館に見に来るという状況にならないんじゃないかと感じるわけですよ。
次に、プリキュア的なプロットや必修化されたダンスなんかを作中要素に入れてるみたいなので小学校高学年くらいまでの女の子への
フックが効くように作ってるとは思うんだけど、どうしても上に書いたような萌え絵問題のせいでその子達のママさんの足は重いんじゃないだろうかと思うんだよね。
(今年のクリスマスの思い出にと、劇場へ萌えアニメを見せにいく母親がどれほどいるだろうか?)
あとさすがに女子中高生はJCJKにもなればプリキュアは卒業してるだろうから、いくらアニメ映画が流行ってるからといって
わざわざ冬休みに彼氏や友達と連れ立ってプリキュアみのある作品を見に来ることは考えづらいと思うし、あてもなく映画館へ来た子や見たい作品が満員だった子たちがいたとしても
このアニメ作品を見るくらいなら公開終了が近そうな君の名は。か、この世界の片隅に へ流れてしまうんじゃないだろうかと思うわけですよ。
となると残るは我々男性オタクのアニメ視聴者層となるのだが、これも心許ないんじゃないかな?
いかんせんオリジナルの劇場アニメだから深夜作品やゲームのように熱心な層の地盤もなくて
さらに今期の美少女動物園作品の惨状を見るに、さすがの萌豚さんたちも食傷気味なんではないだろうかと思ってしまう。
尚且つ、XX周年記念作品だと銘打っているけどこの制作会社の記念作品だからという理由でリピート鑑賞するような
というわけで君の名は。聲の形、この世界の片隅にと、好調な波が来ているさなかここは何としても
ひと山当てたいこととお察ししますが、個人的には2.5億と予想を立ててみました。
あと一ヶ月あるので広報さん、プロデューサーさん頑張ってください。
それじゃ、おやすみ。
「年賀状、ください。だってもらうとうれしいんです。」池袋駅近くの郵便局で、アイドルグループ『嵐』の5人が、年賀状片手に写るポスターが目に入った。
私が中学生くらいの頃までは、友達と年末前にお互いの住所を教え合い、年賀状を送り合っていた。
パソコンの年賀状作成ソフトが使えなかったので、表の住所から裏の挨拶文まですべて手書き。
友達に漫画やアニメが好きな子が多かったので、年賀状に相手が好きなキャラクターのイラストを、ガラケーで画像検索して描いたのはいい思い出である。時間がたつと画面が消えるのでその度ボタン押すのが面倒だった。ハガレンとか、銀魂とか。あとDグレだったかな。年代がばれそう。
受け取るのも楽しみだった。朝寒い中ポストを開け、自分あての年賀状を探す。友達も自分の絵柄でイラストを描いてくれたりしていて、一つの作品を受け取ったようで嬉しかった。
(凝りすぎて新年間に合わんかった!と冬休み明けに手渡しで年賀状を渡してきた友達には笑った)
現在新年の挨拶はメールやLINEアプリで一言メッセージを送るのみ。こちらの都合もあるが、それよりこちらが送ると、向こうに送り返す負担が生じることを避ける気持ちが大きい。
「年賀状お互いめんどいし送らなくていいからー」と事前に伝えてくれる人も多い。
ネット通信によって相手に言葉を送ることは簡単になった。技術の進歩ありがとう。
でも、自分のため、誰かが手間をかけて作ってくれたものを受け取る喜びを感じる機会が減ったことは、ちょっと寂しいことなのかもしれない。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2016/08/31/113000
自分も同じような目にあっている。
統合失調症で引きこもっていると近所の人たちが騒ぎ出す。
田舎なのですぐに噂が広まる。
田舎は精神病院は限られているし、誰がいつどこへ行ったというのも知られる。
ましてや近所からマークされているといつ病院へ行くかも知られる。
どこでかはわからないが病院への行き帰りで写真を取られて、見た目やら何やら噂される。
どうも家を直した時に盗聴器を仕掛けられた気がする。
自分にはさらには部屋にいるとか、寝ているとか、ネットで何を聞いていた見ていたなど、噂の内容が聞こえている。
幻聴と違ってその時の自分がしていることや見ていることが反映された声ではない。
あとになってから、こんなことがあった、あいつは部屋でこんなことをしていたなどという噂が聞こえてくるのだ。
また薬を飲んでも消えない。
自分にとっては本当のことなので消えないのは当たり前なのだが。
しかし、壁に盗聴器を仕掛けられたなど、家族には信じられるわけがないので、どうにもならない。
当然、病院でも同じだ。
今はネットで盗聴器を安く簡単に買えるし、LINEなどで写真や情報を共有できる。
四六時中、家を見張るような暇な人はいないというのもあるが、完全に切れ間なく人がいるということはないし、入れ代わり立ち代わりいろんな人が来ているので嫌がらせ目的では十分ありうる頻度だと思う。
LINEなどで人を集うこともできる。
写真取って共有して、こんなやつがいると書き込んでやれば面白がる人間が集まってくる。
これが幻聴であれば部屋の外までは聞こえないし、仮想の人間なので誰も傷つくことはないはずだ。
幻聴だと言い返すとかえって聞こえる頻度が増え、はっきりと聞こえるようになったりするようだが、自分の場合、言い返していたら少し落ち着いてきた。
イメージする引きこもりと違っていたこともあるし、長くやっていて根負けしたのだろう。
イメージする通りなら嫌がらせで追い詰めて自殺するようなことになっても良いのだろうか?と思うし、実際、そう言い返してやった。
毎日毎日、のぞき見して盗聴という犯罪行為をしてよく人の顔していられるな、など思いつく限り罵ってやった。
言い返されて意外だったようだが、気分が悪いのであちこちに吹聴して回っているようだ。
これも幻聴と違うところだ。
こちらの都合ではなく、あちらの都合で幻聴がひどくなることはないから。
このまま。数年はこの状況が続くのだろう。
これまでにも多くの障害者とりわけ精神障害者が同じような目にあっていたのだろうと思う。
嫌がらせに耐え切れずに暴力に訴えて捕まった人もいるだろうし、実際にあったのに全て妄想のせいにされて無罪という名の強制入院を余儀なくされた人もいるだろう。
周囲の人の罪は包み隠される。
どうにもならないなこの国は。
昔、幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤がコミケにたくさんいるというようなことをいったレポーターがいたという都市伝説があるが、相模原の植松聖のような予備軍の方が全国に遥かに多く存在しているんじゃないだろうか?
どうしてこんなひどいことができるのかと理解に苦しむ。
この状況が本当であることを他人に信じてもらうために証拠を残そうなどとすると結局、冒頭の記事の男と同じような状況になってしまう。
どうしたものかな。
見終えたあと思ったのが、ずいしょさんが言っていた「複雑な世界」のお話だった。
宗教が生まれて数千年も続いていることから考えるに、人間が生きて行く上で不可分な領域なのだと思う。
だからといって、作中のような行為が許されるわけではないけど、短絡的に宗教を廃止していいわけもない。
どこかで折り合いをつける必要はあるけど、単純に0か100かにはできないんだなあ。
とかなんとか綺麗事を書こうと思ってたんだけど、
小学生の頃に義理の母にオチンチンを触られたことを振り返る夢だった。
夢だけど、本当にあったことなので、ただただ思い出がフラッシュバックしただけなんだけど、
ただただ気持ち悪くなってきた……
僕が小学四年生の頃。(小学五年生のときに両親が離婚して、その原因になった事件がこれだから、という推測)
まだ生物学上の父親と母親と弟の四人で暮らしているときの話だ。
未だに事の始まりの因果を知らないけど、どうやら父親の商売がうまくいっていなかったらしい。
とはいえ、2016年の今でも商売が続いているので、この話の後なにかしらの巻き返しがあったのだと思う。
はっきりいって興味がないので、誰かに尋ねた事はない。
(断片的な会話で、父親の母親(僕から見たら祖母)が土地を売って何とかした、的なことを聞いた記憶があるので、そのおかげかもしれない)
いまいまの話はともかく、当時はうまくいっていなかったらしく、父親はとにかく荒れてた。
それが遂に爆発した。
何月のことかの記憶はないんだけど、
正月休みに祖母宅でこの事件で母親が父親を見切り離婚の話をしたこと、
おお、つまりもしかすると、ちょうど今頃の出来事なのかも、なんか気持ち悪いなあ。
で、なにがあったかだけど、
夜中に父親が酒を飲んで暴れ出して、
家族全員を車に押し込んで「もういい全員で死ぬ」と言い出したのだ。
弟はまだ4歳で、よくわかってないし(誕生日付近だから5歳かも、ってか僕と弟は誕生日が三日違いなのだけど、もし上の推測があっていてこのぐらいの時期だとしたら、兄弟の誕生日付近にあった出来事の可能性があるのか……)
というか、この二人はこの車に押し込まれた後、特に登場シーンはない。
そして父親が運転(飲酒運転だが今はそこをつっこまれても困る)を始めた。
父親は、その当時気に入っていた「山師が使うナイフ」(何を言ってるのかわからないが、今でもよくわからない、なぜか山師が使うナイフを収集していたのだ)を取り出し
「お前たちをこれで殺してから、俺は崖に向かって車で飛ぶ」的なことを言い出した。
そこからは、ただひたすらに、父親を説得するために喋り続けた。
会話が止まると本当に殺されるのだと思って、ずーーーーーーっと喋り続けた。
どれぐらいずーーーっとかというと、途中休憩所によりながら、
住んで居た三重県から、なんと四国に車で渡るまでの間、ずーーーっと喋り続けた。
いやおまえ、心中しようとしてるときに、なに悠長に休憩所よってるんだよって感じだけど、
その休憩所の間も含めて、朝になって四国に渡るまで、とにかく喋り続けた。
とにかく何かしらの会話を続けるのに精一杯だった記憶しか今はなくて、
きっと何かしらの流れで四国に行くことになったのだろう。
よく体験談とか過去の思い出話で「会話」を鮮明に覚えている人がいるけど、あれはすごい能力だと思う。
なんていうか、僕にとって会話は瞬発力がいるうえに、相手の考えとか理屈も加味しないといけないから、脳内で再現ができないんだよね。
その、自分が喋ったことはまだ思い出せるけど、相手が何を喋ったかは、絶望的に思い出せない。
ただ「相手が何を喋って、自分が「どう思ったか?』」は思い出せる。
だから、耳で聞いた音声ファイルを再生はできないけど、僕の脳みそが解釈した相手の言い分みたいなものは自分の言葉として再現できるかなあ。
とにかく
「死にたくない」こと
「なにかしたいことがある」こと
今にして思うと、自分のことしか考えてない自己中人間のような気がするが、
小学生が、父親の商売がうまくいっていない話を聞いて啓蒙かませられるわけがないので、しょうがなかったのかなあ。
この「なにかしたいこと」というのが何だったのか、今ではあまり思い出せないけど、
後の記憶から推察するに「プレイしたいゲームがある」と「読みたい本がある」の二つは最低でも伝えたのだと思う。
うーむ、僕は変わらないなあ。
で、橋を渡る頃には、父親は酔いも覚め憑き物が落ちたようだった。
そこで、朝ごはんだか昼ごはんだかわからない食事をして、そこの近くの商店で、たまごっちみたいなドラクエのスライムのおもちゃを買ってもらった。
(メニューをなぜか覚えているな、卵焼き定食とかいう、だし巻き卵とご飯と味噌汁だった)
その後本屋さんに行くぞ、と本屋さんを探し出したんだけど、徳島では本屋が見つからず、さっさと本州に戻った。
(唐突に徳島をディスることで、cider_kondoさんのブクマを誘いたいわけではない。当時はスマホもナビもなかったから仕方ない)
とまあ、記憶を辿るとこんな感じだ。
この後小学生に徹夜はきつかったらしく、ぐっすり寝てしまい、そこからは特に記憶に残っていない。
うーむ、こうして文章に書き出すと、冷静に見れるんだけど、
やっぱり、自分の気持ちとしては、いまだに決着がついていないのかもしれないなあ。
別に今更父親に謝罪して欲しいなんて気持ちは一切ないし、なぜああなったのか? を聞くつもりもないから、
自分が自分のためにこの思い出に何かしらの点を打たないと、すっきりしないのかもしれない。
ただ、なにをどうしたら、この思い出に点がつくのかさっぱりわからないなあ。
冒頭のずいしょさんの言葉じゃないけど、
この複雑さを抱えて生きていけるよう頑張るぞいやなのかなあ……
はややんむきゅむきゅはてなにちわですわ。
せめてプリキュアのコスプレはゾーニングして欲しい、というお話。
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos
上記エントリのブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。
fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。
oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル、障害者、ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ
それを見て、未就学児時代に出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。
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3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、
近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。
本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。
まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。
特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。
朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子と遊んだりして、お昼と夕方のチャイムで家に帰った。
私が特別放置されていたわけではなく、地域性と時代の問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。
「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。
Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。
Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。
Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。
家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。
家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。
一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。
何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。
ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。
「アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。
今思えば彼女は身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。
猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。
Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。
小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。
地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。
特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。
なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。
1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。
おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。
そんなもんだった。
ただ、自分がどうだったかな、というのを思い出したので書いた。
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【追記】
watto こだわりを持たなかった子どもが、やがて成長して、なにごとかを察して離れていく瞬間が、一番つらいだろうな。
上記ブコメがなぜかスターを集めているようだが、少なくとも私は「なにごとかを察した」記憶など全くない。
近場でしか遊べない幼児の頃はAおばちゃんを含め近場の大人によく遊んでもらったし、
次第に行動半径が広がる小学生になるとその機会が減っただけのことだ。
Aおばちゃんはふつうにいた。
あなた方の近所のおばちゃんと同じように。
なんかやたらガルパンとシンゴジラが比較されてたのでスペックを書いておく
・初期公開館数
・製作費
ガルパン 2.5億~5億(通常TV1クール分とされてるが延期があったため高めの推測値が界隈では出回っている)
・公開時期
・配給
ガルパン ショーゲート
・私見
邦画実写は300スクリーン公開で最終15~20億ぐらいが想定されている
シンゴジラは400スクリーン超えなので最終20億~30億超えは想定されていると思われる
深夜アニメの場合、100スクリーン以上くらいで最終10億くらいが想定される(あの花の興業収入がそれぐらいだったため)
公開時期がシンゴジラは夏休みだがガルパンは冬休み前の閑散期だ
シンゴジラは完全新規なので一般客でも見やすいがガルパンの場合、TVの続編のため敷居はやや高い
公開館数や公開時期、想定される客層を考えると比較することに意味はあるのだろうか
謎
すごく長文ですごく愚痴
なにかの主張に使われることは望みません。今、数年たって要領が悪かったなぁっておもう事はいっぱいあります。
保育士と幼稚園教諭免許が取れる短期大学を卒業して幼稚園に就職した。
初任で年少組(3歳児~)20名弱おはな組(仮)さんの担任になった。
私の初任給は手取り丁度15万円+交通費(3か月定期代を1/3ずつもらう)
。
8:00には出勤 (バスでのお迎え当番が1ヶ月に2.3回7:50までには出勤)
園庭の準備をする(遊具にカバーをかけていたり水を拭いたり、園庭の水溜りを掃除したり)
もちろん素直に上手に着替えができない子だっている。着替えもせずに遊びまわったりしている。
そういった子の手伝いもしながら、園庭で遊ぶ子どもたちも見ないといけない、徒歩でやってくる子を門前で引き受けないといけない、お休みした子どもの制作もさせないといけない
一人ひとりかばんを開けて提出物や保護者からのお手紙を確認して、体に傷がないか、しんどくなさそうか チェックする。
私は毎日先輩の先生たちに「なぜ園庭に出てなかったの?門前にいなかったの?制作させてないの?先生のクラスの○○ちゃんが着替えられなくて戸惑ってた!」とお叱りを受けていた。
正直「もうどこで何をしていれば正解なのか」解らなかった。
登園~朝の挨拶~一日の遊び(制作や行事の練習)~お昼ごはん~自由時間~降園
教職をとったことのある方ならわかるだろうけれど
これらはその日そのときの思いつきで行われているわけじゃない。
私を含めクラス担任たちは毎日毎日 一日の流れを分刻みでスケジューリングしてそれを日案という形で毎朝指導教諭に提出していた。
まず年少組の先生たちと話し合った内容にそって 何時何分~何分までに説明して、実行して、できない子がいたらどうして、こうして、こういう声を掛けて、
A4の紙いっぱいにo.3mボールペンでみっちりと1日につき2~3枚書いていた。
はさみで丸を切る。 紙の端からはさみを入れて紙を動かしながら切ることを示して見せる。
難しい子どもを把握して早めに声をかける。終わった子どもにははさみを置き静かに待つように予め伝えることで事故を防ぐ、遊ぶことが予想される子どもからははさみを預かる。
こんな感じ。これを行動の逐一に書いていく。そして決して「できない子ども」とは書かないのだ。
初任の私はまずそれを指導教諭に渡す、すると次の日に足りない部分を指導される。
帰宅してそれを青いボールペンで修正、朝主任に提出して夕方指導を受ける。
帰宅して赤いボールペンで修正して当日の朝一番に再度主任に提出するのだ。
これを毎日繰り返した。つまり3日分の日報を修正含めて毎日書いていた。
どれだけ書いても終わらない、いたちごっこがつらかった。
制作物も行事や季節にそっていたり、発達に会わせているのだけれど
なぜ作るのか、なぜこの形なのか、どういう意味があるのか 子どもにもわかるように、そして行事に期待や思いを寄せられるように話さなくてはならなかった。
たとえば七夕 なぜ笹なの?なぜ短冊に願いをかくの?飾り物の意味は?
考えたことのある人はどれだけいるだろう。でもそういったことを逐一お話することが求められた。
また毎月1枚 その月に子どもたちに達成させたいことや、覚えてほしいことについてを記入して提出(※月案 これも学年主任、主任のWチェック)
毎週1枚 生活面で達成してほしいこと、衛生面についての意識付けをするための活動について提出(※生活案 同じくチェック)
他にも行事(遠足、運動会、発表会、参観、お祭りetc)のたびに特別指導案を書いた。これは5枚近くになるときもあった。天候などで行事が中止になった時のための普段の日案も書かなければならない為行事は大嫌いだった。
そこから何往復かするバスに乗せて子どもたちが完全に帰るのは16:00ころになった。
もちろん朝からそこまで休憩は一切無い。
14時~16時はバス当番でない先生で園内の掃除をして回る。各部屋に掃除機を掛けて、おもちゃを清拭して、廊下の泥を掃いて、トイレを洗って・・・
16時からは気になる家庭へ連絡をいれる。
熱っぽかった、けんかした、誰かに叩かれた、手を上げた、登園時には無かった傷(それが何かに押し当たっただけのスレでも)があった、登園時に泣いていた等などの理由で電話をかける。
そして次の日の制作物の準備に取りかかる。画用紙など画材を用意するのは園でしかできないから。
(子どもの描いた絵を完成品に仕上げたりするのは自宅で行うのが暗黙の了解だった)
1人600円の延長保育(おやつ付)は14:00~18:00 平均して15人ほどの子どもを1人で見るのだ。
1ヶ月に2回ほど回ってくる 延長保育に関しても同じように日報を提出した
子どもの事、ご家庭のこと全クラスの事を共有できるように一人ひとり発言していく。短くて30分、長いと1時間かかることもあった。
職員会議後には日案の指導が始まる。指導教諭から指導を受け、主任から指導をうけるといつも20:00ころになっていた。
私は自宅が少し離れていた為帰宅はいつも10時ころだった。そこから夕飯を片手に指導案を修正して、書いて、制作物の仕上げをして、気がつくといつも午前3時4時だった。
気を失うように寝て、6時半に飛び起きて出勤していた。
いつもお風呂から上がった後は勤務着(ジャージ)を着ていた。飛び起きてそのまま出勤できるからだ。
化粧もしなかった、朝ご飯も食べなかった。園で食べるお昼ご飯は詰め込むように5分もかけずに食べた。
だんだん寝てしまうことが多くなり、指導案の提出がずれて、しかられることも多くなった。ズレればずれる程自分が大変になるのに、どうしてもできなかった。書くことがなにも思いつかなかった。
家だと寝てしまうと思って夜にファミレスに行って指導案を書いた。6時前に帰宅してそのまま出勤した。
夕方の掃除の時間にトイレにこもって三角座りで仮眠をした。バスの中でも何度も寝てしまった(子どもが乗っているのに)
それでも一日も休まなかった。休みたかったけれど、園には余剰な人員なんていない、休んだら誰が私のクラスをみるの??
10月に園長先生から「来年度もがんばれるか。続けられるか?」尋ねられた。
「がんばります。来年こそはご迷惑をかけないようにしっかりします」そう答えた。
1月冬休み明け出勤の1日目「すみません。今年度で退職させてください」
引き留められなかった、当然だ。そのときには私は園の厄介者になっていたからだ。
情けなかった。自分の容量の悪さが不甲斐なかった、だんだん私の指導が御座なりになる指導教諭が怖かった、申し訳なかった。
そして冬休み前に行われた保護者との個人面談で「先生、本当に子ども好きなんですか?」
1人の保護者からそういわれたことで、私のなかでこの仕事への未練がなくなってしまった。
4月に学生時代に貯めたお金で買った礼服はちょっと胸周りがきつい服で入園式の写真に残っている。
卒園式で撮った職員写真では、礼服はガバガバのユルユルだった。
1年で10キロ以上は痩せた。3学期には保護者にも心配されるくらい急激に痩せていた。(元が太りすぎというのもあるかな)
有名大学に在学中の、前途有望な若い男女が、冬休みに、軽井沢に、カップルで、スキー旅行に来ている最中に、
神も仏も何の救いもないようなブラックな労働環境下で希望もなく毎日毎日こき使われる運転手の積み重なった疲労から発生する運転ミスで、
いずれは大手企業やホワイト企業に内定を貰って好条件下で働き、美しい伴侶や子供と幸せに暮らし定年後も安泰な暮らしが約束されていそうな若者達がその未来を片鱗も味わう事なく無残に命を落とす。
下級国民風情が上級国民様の足元をすくって二度と立てなくしてみせた。
経営者層(上級国民層)による被雇用者層(下級国民層)の圧迫および隷属こそが、事故の原因である。
報道を聞くたび、
「若い前途有望な人がいっぱい死んでかわいそうでしょ?ホラ泣けよ!」と言わんばかりのテレビのニュースを見るたびに、
本来感じるべき酷さややるせなさが逆にカタルシスとなって押し寄せ、愉悦でゾクゾクする。
ああ世も末だなあ。
愉悦。
家族はお祝いしてくれるけど、まだLINEどころかメールもない小中学校の頃は、
高校2年生の時はたまたま冬休みが短くて、1月8日から学校再開となった。
わくわくしながら学校に行ったのは覚えてる。
初めて、誕生日当日に、友人にお祝いしてもらえると思ったから。
その妄想はみんなに誕生日そのものを忘れ去られていたという現実に打ち砕かれた。
その日は泣きながらバスに乗った。
Wikipediaで読んだんだけど、本来の誕生日って自分が生まれてから、
ケーキを真ん中に家族で顔を突き合わせて食べるケーキは何歳になっても美味しい。
今年はとても忙しくて、ケーキを買う余裕がないなあと思いながら帰ったら、母が買ってきてくれていた。
さくさくタルトの土台にたっぷりの生クリーム、大ぶりで程よく甘いイチゴが乗ったショートケーキは、いつも以上に美味しかった。
きっとクリスマスケーキより、ずっとずっと美味しい。
これくらいの歳になって、早生まれはちょっと得だなって思うようになった。
同学年の友人には、早生まれがうらやましいと良く言われる。
私が小学生の頃は、児童番号も生まれ順だったから、ずっと後ろの方だった。
ついでに50音でもかなり後ろの方になる苗字なので、中高大でも後ろの方だった。
ちなみに成績もそんなもんであった。
いつも誰かの後ろにいる日々だったけど、それも悪くなかったのかなあと思う。
来年のこの日は30歳。まだまだ何にもできやしない人間だけど、
せっかくだから色んなことに挑戦してみて、今より少しだけ素敵になって30代を迎えられればいいな。
30代になるまでの隙間を、無為に過ごすのではなく、いつもいつでも何かある日々にして埋めていければ素敵だと思う。
お、嬉しいなと思ってブクマページ見にいくと、その人は自分だけでなくてたくさんの人に付けている。
もちろんそれは構わないのだけれど、全てのコメントにスターを付けているわけじゃない。
普段は誰が誰にスター付けたなんてどうでも良かったけど、学校が冬休みで暇だから興味を持った。
すぐに気付いた。多分非表示にされているんだろう。非表示にされた人はそれを分かっているのかな。
「あの野郎、いつも俺には星つけない」って。
年末年始にやたらカラースター配っている人がいたけど、やっぱり数人は付けられていなかった。
自分はもらえたけど、それを見てお尻がムズムズするような、かわいそうというか、いたたまれない気持ちになった。
カラースター貰えなかった人はどう思っているのだろう。
やっぱり腹立っているのか。それとも気にしないのか。お返しに非表示にしているのか。
配っている当人はもちろん全く何も気付かないのだろうけど。
そんなわけで2015年の増田で印象に残っているものを集めてみました。
この記事は増田アドベントカレンダー30日目の増田です。という予定でした。
上記以外にも「FAQ」「もがき苦しむサラリーマン」「ソーシャル・リンク」「ハッキング極意」「年収1000万日記」なんかもありました。
今年の自分のブクマ数は昨日時点で10210で、そのうち増田は8820です。ブクマでいただいたスターはおよそ23500でした。年間スター2万を稼ぐ男の仲間入りです。気持ち悪いですね。
当初は全レスするつもりでクソブコメを量産していましたが9月以降仕事が忙しくなってきたこと、増田人口及び増田ブクマ家が増えたことからペースが落ちています。
泡沫ブクマカな自分ですが、増田をひたすらブクマすることで一部の方に個別認識されました。そのおかげで少し増田にかまってもらえるようになりました。増田愛してる。
1人の子の誕生日を祝おうとなってから毎回誰かの誕生日が来ると1人千円位出してケーキ買ったりプレゼント買ったりしてた。
だけど、冬休みに誕生日だった私と私の次に誕生日だった子はプレゼントもなくてLINEでおめでとうーって言われただけだった。
そのあと2月に誕生日の子が居たから自分からプレゼント買いに行こうって言ったけど、
普通に祝って私とその子に対しては謝罪もプレゼントもなんもなし、
社会人1年目になって私の誕生日が近い日に遊んだりしたけど、その時も何もなし
2年目の今年からはそのグループのLINEでおめでとうも言われなくなってすごく惨めな思いをした。
祝ったのに祝われないとか思う執着深い自分が嫌だけど、
あいつらはこんな風に私が感じてるなんて思ってもないんだろうなと思う。
もう仲のいい子だけ大事にして、どうでもいい他人は祝わないと決めた誕生日でした!
彼氏に沢山祝ってもらえたのが唯一の救い。
クリスマスが週末という曜日の並びから、「ひょっとしたら9連休になるんじゃないか」という期待をよそに、月曜もしっかり働いってやっと今日から冬休みになったのだが、別段帰省の予定もなかったので、ひとつ映画でも観ようと、「クリード チャンプを継ぐ男」を見てきたら、わりと良かったので見所を紹介しようと思う。
ネタバレ上等で書いてるわけではないが、それでもほんのりネタバレはしちゃうかもしれないので、観る気満々のひとは読まないほうが良いかもしれない。
巷の映画紹介で紹介されてる程度に物語のあらすじを紹介すると、かつてロッキーと死闘を繰り広げた伝説の王者、アポロ・クリードの隠し子、アドニスが、自らの情熱を注ぐ夢として、ボクシングの道を選び、トレーナーを頼むため、すでにボクシングの世界から遠ざかっていたロッキーの店の門をたたく。初めは拒むロッキーだが、やがてアドニスとともに頂点を目指すというおはなし。
さて、このアドニスだが、とにかく周囲からの愛されっぷりがハンパない。
隠し子ということもあり、出自こそ施設だが、その後引き取られた家庭で良い教育を受け、投資銀行の社員になり、会社からは高級車で「家族2人で住むには広すぎじゃないの?」というような家に帰ってくる。
良い家で育ち、良い教育を受けた2世のお坊ちゃんなのだが、じゃあいけ好かない奴なのかというと、これが思わず可愛がりたくなる様な素直な良い奴で、まず自分を施設から引き取ったアポロ夫人、メリーアンに愛され、すったもんだでボクシングの道を志してからも、ロッキーは実の息子の様に愛情を注ぐ。物語中盤では恋人も現れ、終いには色眼鏡で見ていた様なストリートキッズたちまで彼を応援する始末。
彼は彼で、学のないロッキーを案じて、息子のごとく的確で愛に溢れたアドバイスまでする。
彼を包む環境そのものが豊かな愛で包まれており、妙にほっこりした気持ちにさせられる。
一方、彼が挑むチャンピオン、リッキー・コンランは、リバプールの港湾労働者の息子で、あまり良い教育を受けた風でないので、対戦前に相手を口汚く罵ったりするし、トレーナーとの関係も「こいつあんまり愛されてねーなー・・・」という気の毒な感じで、見ていて切なくなってくる。
黒人の方のアドニスの方が、良い教育を受け豊かな愛もあふれる世界で育った良い奴で、白人のチャンプが、下流から腕一本でのし上がったのに粗野でトレーナーにもいまいち愛されてない、という感じで、白人が主人公になりがちなアメリカ映画にあって、バックグラウンドの逆転現象がおきている。
物語の視点も偉大な父の名前を巡る2代目の苦悩だったりして、「下層からののし上がり」ではなく「恵まれた奴にもそれなりに大変な事はある」という方向からのストーリーになっている。
この映画は、無名のライアン・クーグラーの情熱に、シルベスター・スタローンが応えて、ロッキーシリーズを託したという。
その若造の脚本にのって出てくるロッキーのジジイっぷりといったら。
スタローンも真面目にやっていて、そのヨボヨボぶりは物語が進むにつれどんどん加速していき、絵面がNHKドキュメンタリーかよという感じになってくる。
中盤では、人種を巡るちょっとしたやりとりがあるんだが、そのピリッとした空気でまた、スタローンがボケることボケること。
スタローンを見て感じる「凄い人だけど、この人ひょっとしたらバカなんじゃないかなぁ」というイメージを飄々とやってしまう。
よくぞまあスタローンもこれを「よしやろうぜ」って言ったなと思う。
見所3:ボクシングシーンの迫力
ロッキーシリーズでは、どうしてもボクシングのシーンがスローモーになり勝ちなきがするのだが、今回はピチピチの若手が主人公ということもあって、なかなかのスピード感。
敵役のチャンプを演じるアンソニー・べリューは実際に英国チャンピオンでもあるボクサーという事で、迫力あるボクシングシーンとなっている。
画的にも、派手に血が舞う感じで、痛さが伝わってくる。
気になる点を挙げるとすれば、主人公アドニスは魅力的だが、どうしても「ロッキーの愛弟子」感が強い事か。
スタローンとしては2もやるぜといったとか言わないとかで、そうなってくると、「ロッキーのとこの子アドニス」が、ロッキーのジジイ圧を乗り越えて、本当に物語全体を支配する魅力ある主人公として独り立ちできるかがポイントのように思う。
そんな感じで、ちょいちょい「おっ」と思う見所もあり、全体としても派手な盛り上がりにこそ欠けるもが、親子愛、師弟愛を感じつつ、しっかりスポ根ものの感動が伝わってくる良い映画だとおもう。
年末にやる事が決まっていない諸兄、スターウォーズの盛り上がりについていけない方などは、こちらもどうだろうかと思う次第であります。
http://anond.hatelabo.jp/20151229102542
12/30 寝る
12/31 寝る
1/1 映像の世紀デジタルリマスター版 NHK BS1 元日一挙再放送
1月1日(金)午前00時00分~午前01時14分 第1集 20世紀の幕開け
1月1日(金)午前01時20分~午前02時34分 第2集 大量殺戮の完成
1月1日(金)午前02時40分~午前03時54分 第3集 それはマンハッタンから始まった
1月1日(金)午前04時00分~午前05時14分 第4集 ヒトラーの野望
1月1日(金)午前05時20分~午前06時34分 第5集 世界は地獄を見た
1月1日(金)午前06時40分~午前07時54分 第6集 独立の旗の下に
1月1日(金)午前08時00分~午前09時14分 第7集 勝者の世界分割
1月1日(金)午前09時20分~午前10時34分 第8集 恐怖の中の平和
1月1日(金)午前10時40分~午前11時54分 第9集 ベトナムの衝撃
1月1日(金)午後00時00分~午後01時14分 第10集 民族の悲劇果てしなく
1月1日(金)午後01時20分~午後02時34分 第11集 JAPAN
1/2 寝る
1/3 寝る
本当の追記
http://anond.hatelabo.jp/20160105143040
そういう嘘つくのやめようよ
1/4 仕事
1/5 仕事
1/6 仕事
1/7 仕事
1/8 仕事
1/9 休日出勤(予定)
1/10 寝る
1/11 寝る
↑これが本当の僕のすごしかた
増田アドベントカレンダーもあと2日。
今日は、僕の敬愛する榎本俊二先生の漫画についてランキング形式で書きます。
本当はベスト100にしたかったんですが、全部で10コくらいしか作品が無かったのであきらめました。
あそこまで気軽に死んだり脱糞したり射精したり去勢したりする漫画はそうそうないだろう。
この順位に甘んじている要因として、ちょっとキャラクター性に頼ってしまっている、と言う点が挙げられる。
葛原さんとかすげぇ良いキャラだと思うんですよ。でもこの漫画に萌えとかいらないじゃないですか。
エログロ下ネタをディフォルメして描くことで逆にそれを感じさせない、という絶妙なバランスで描かれていたのに、たまにちゃんとエロい、っていうのはよくないと思うんです。
キャラクターを好きになってしまうとこの漫画にもドハマりできると思うんですが、それは榎本先生の漫画の本質ではないような気がしてしまうんです。
特に最後の「風前の灯火ジョニー」は奇跡。20世紀最高作品の1つと語られています。(僕の中で)
単調なコマ割り(4x4が並んでいるだけ)。シルエットだけのキャラクター。全てのコマがほぼ同じ構図。
ではセリフだけでストーリーが進んでいるのか?というわけではない。
単調なコマ割りだからこそ生まれる単調なリズムによって生まれる「先読み」がゾワゾワとした恐れを生み、シルエットで単調な絵柄だからこそ怖い。
この作品は一度読んだだけだとちょっと怖いだけの話に見えますが、あの男がなぜあの行動をとったのか、さらにFinの後なにをしていくのかを考えるとさらに恐怖が深まっていくことでしょう。
すごいとおもいました。
現在連載中の作品。IKKIは無くなってしまいましたが、またどこかで連載が続くことを切望しております。
今のところ2巻まで。
分かりやすく面白い話、ばかばかしい話、意味が分からない話、怖い話、がごちゃごちゃになっています。
怖い話に関しては、榎本先生どうしたの?って思うくらい、社会風刺的でわかりやすく怖い話です。(携帯、もあみ)
他の作者の作品であれば、ふぅん、っていうくらいなんですが、榎本先生がわざわざこんなわかりやすい話を書いちゃうなんて!って思ってしまいます。
昔の榎本先生だったら、一度話を分解して、全てのパーツをちょっとずつゆがめて、無理やり組み立て直そうとしてぐちゃぐちゃになった状態にしてくれてたと思うんです。
イモ軍団パワーズのような意味が分からない系の話は、カオスなストーリーの上に純粋な恐怖がそっと置いてある感じですごくいいです。
フルチンシリーズはただただばかばかしく、合間に読む分にはちょうどいいと思います。少しくらい風刺な要素があってもいいのにね。
初期は絵も安定しておらず、ちょっととっつきにくいところもありますが、週刊ギャグ4コマ作家が徐々にこなれていきつつ壊れていく様が垣間見え非常に楽しい。
後半、キャラクターに頼ってしまっているところもありますが、何とかひねり出しているであろう4コマに底知れないモノを感じさせる。そんな感じです。
あと、最終回のもうどうでもいいや、っていう感じがすごい。でもその中でもルールを徹底していたりと、几帳面さがうかがえる。
どれだけナンセンスに見える作品でも、理詰めで作ってるんだろうなぁ、というのがわかります。
「面白いとは何か」を考えすぎちゃって、いつのまにか「考えるとは何か」までたどり着き、面白いかどうかわからなくなってしまった系漫画。
天才。全2巻。
主人公の小学生ムー夫の日常的な疑問に対し、ミノル(父)や身の回りの人と話しながら考えていく、というような平和な世界。
が、疑問もそれに対する受け答えも常識的ではないが間違っていない、というギリギリを攻めていてスゴイ。
常識にとらわれず、作品の中のキャラクターの考えを理解することが出来れば、その深い世界観に感銘すること間違いなしでしょう。
そして、ストーリーの面白さもさておき、絵の独特さもかなりのものです。
ミノルが出てくるコマに顕著なんですが、とにかくおかしい。パースがズレているとかそういうレベルではなく。
おそらく、常識を無視しつつ、反面論理的である父親、という概念を表現しているのでしょうか。
でも、気にならない。
ストーリーが会話メインで進んでいるというのも理由の1つかと思いますが、絵のおかしさがディフォルメのギリギリ許容できる範囲になっているのでしょう。
また、規理野くんが出てくるエピソードでは、ビッグデータとは何かという視点を非常に鋭く描いています。
8年以上前の時点でここまでの考察をしているのは本当にすごい。
テーマは哲学的なものが多く、文化とは何か?科学とは?言葉とは?意識とは?1つ1つ、常識を疑っていく。
そんな漫画です。
榎本先生の作品は全体的にナンセンスに見えますが、SFや思考実験に近いものもあり、組み立てられたものなのか完全なナンセンスなのか、深く考える楽しみがあります。
解のない問いかけに対し、全てが組み立てられた世界が構築され、わかりやすく読み解くことができます。
榎本先生の作品には実はナンセンスなものは1つもなく、全て組み立てられたものなのではないか、とすら想像してしまいます。
特に、榎本先生の描く「人間」は、マックス・エルンストの絵画にも非常によく似たものがあります。