はてなキーワード: 冬休みとは
雪がほとんど降らないand氷点下にならないということはとても良い。
その他にも色々あるけど、とにかくすごく良い。
雪and寒さってやっぱクソ。
あの学校、「地アタマがいい生徒が、多数在籍してた」というだけで、学校自体は、そんなにカリキュラムを工夫してなかったんだなあ、と最近思うようになった。
というのは、今子供が中学受験を控えていて、首都圏のいろんな中高一貫校の説明会を回ってるが、各校の取り組みが、数十年前の某校と、全然違うのよ。
ネイティブの英語教師の在籍なんて当たり前だし、「高校2年の時に、全員が2週間、アメリカにホームステイして、アイビーリーグの研究室をセッション」なんてのが、
当たり前のように行われていて腰抜かした。
「キャリア教育」ということで、社会人のOBを呼んできてセッションしたり、或いは医学部志望な生徒のために「医学部体験」ということで、手術室立ち入り体験したり。
中1の4月の時に、仲間意識を高めるために「オリエンテーション合宿」するのが、当たり前になってるのね。
在校中に「論文」を書いたり、ゼミ形式の討論授業なんてのも、当たり前にように行われている。
一方、数十年前の某校なんて、英語教師は日本人だけだったし、授業は日本語だったし、修学旅行は国内(自分達は九州、上の学年は東北)だったし。
中1の冬休みにスキー合宿はあったケド、オリ合宿なんて、なかった。
授業は「一方通行」が当たり前で、ゼミ形式なんて存在してなかった。まあ教室の後ろで有志が放課後にゼミ的な議論やってたりしていたが。
それでも東大に100人近く合格できてたから、特に問題なかったのか?
というわけで、この数十年で、すっかり中高一貫教育が進化してるなあ、おみそれしました、というのが本音だが、今の母校は、教育どうなってるのかね?
うちの息子、バリバリの包茎なんですわ。いま小五、根っからのサッカー少年。親のあたしが言うのもなんだけど顔は悪くない。両親ともに決して美人やイケメンの類ではないっつうのに、隔世遺伝とかなのかな。それから息子は割とひょうきんなタイプだ。でもこれは自信を持って言えるんだけど、陰湿なことはやらない。能天気でお人好し。いやあ、つくづくいい息子を持ったよ。
まあ匿名をいいことにした息子自慢はこれぐらいにして包茎の話だけど、秋ぐらいからママ友の間で包茎手術が話題で、冬休みにやった子が二人いるそうなんです。で、息子の親友のR君とT君は春休みにやっちゃうんだって。H君(うちの息子)も一緒にやっちゃわない?ってT君のママさんは言ってくる。悩む。親バカだけど、うちのイケメン息子はこれから中学高校と、多分彼女とか作ると思う。そしたらやっぱり真性包茎はひかれちゃうんじゃないかな。それなら息子がかわいそう。手術受けさせといてやろうかな。
でも息子、ビビり。それも相当なビビり。ケガして縫うときでも散々渋るのに、手術とか絶対無理だと思う。痛いのも苦手だし。いい歳して(そんなのもかわいいんだけど)。だから手術はかわいそうかな。
いや、でもここで手術乗り越えて一皮むけて、心身ともに強くなってくれたらうれしい。R君やT君もやるらしいからって言って説得してみようかな。息子、R君T君とはいつも一緒にいるんだけど、なにかとライバル視してたりもするし。いいかも。
ベイマックスの胸のカードスロットから「HAMADA」と書いたメモリーカードっぽいものが出てきたとき、増田を読んでいる人なら気付くと思う
気付くでは無いな、ほぼ条件反射で「バックアップを取らなきゃ」と、ど・ストレートに
他の人が書いているように、日本では「ベイマックス」、アメリカでは「BIG HERO 6」で、その違いに付いて
「BIG HERO 6」では女性に受けないから、というのは当たっていると思う
じゃあ、何が好きかと言うと「丸くて、柔らかいもの」 抱きしめると、ムギュっとするもの
そこらを日本の興行会社が考えて「ベイマックス」にしたのだろう
子供と女性層を取り込まないと、この冬休みは妖怪、アイカツ、仮面ライダーに勝てないもの、根こそぎ客を持って行かれる
大切な人が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる、とはありきたりのストーリーだ
主人公とベイマックスが街中のテレポーテーション装置に突っ込んで、教授の娘を助けに行くのだけれど、これもお約束、ギリで全員助かるのだろうと思っていた
しかし、ベイマックスはケアロボット、自分を置いて主人公を助ける。なんかインターステラ―という映画で同じようなシーンがあったな
ケアロボットだけに、何が何でも主人公をケアする、つまり命(ロボットに命がどうのということはこの際、)に代えて守るわけ
自己犠牲というやつですね
お子様に自己犠牲を見せていいのだろうか? 「最後まであきらめずにがんばる」と教えるのが大人の良心、義務だと思う
自己犠牲は人として人らしい行為で美しいのだけれど、残される当事者としては一生背負わなければならない十字架だ
子供に自爆テロをさせるのと同じこと、とは考えが飛躍しすぎだろうか
映画では、残されたベイマックスの手のひらから、先のメモリーカードが出て来て、主人公は十字架を背負わなくて済んだのだけれど
アメリカの正義の味方の映画は「チーム」と「信じる」がベースとなっていると思う
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう
だから、白人、黒人、東洋人、その他、といった編成になってしまう
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない
現在、午前4時14分。何で、私はこんな時刻に起きているのか。冬休みに入って、即座に堕落していく。こんなではいけないとも思えない。ヘッドホンからは椎名林檎の新しいアルバムが流れている。
“NIPPON”。この曲は歌詞が右翼的だとかで騒がれた。そんなことは、どうでもいい。NHKが安倍自民政権の影響を受けないわけもないし、それでNHKが右傾化するのも選挙の結果なのだろう。そしてそのNHK(右)に制作依頼を受けてできたこの曲が、多少右翼的であるとしても、それもそれ、当然の結果だ。そんなことより、この曲の煽動的なメロディーを堪能したい。だから聴く。
“いろはにほへと”。この間、サークルのみんなでカラオケに行ったのだけど、そこで後輩がこれを歌っていた。深夜だからあんまり憶えていないけど、後輩は椎名林檎みたいな怖さは全然なくて、むしろ柔らかく優しそうな感触を受けた。この後輩はメンヘラなどによく好かれているけど、その理由がよく分かる。メンヘラはこのぐらいの優しさを欲しているのだ。
スペック:45歳、妻は専業主婦、子供2人(小学生)、年収1,000万円
普段あまり見ない預金通帳を、久しぶりに棚卸として見てみたら、自分の通帳で2,000万円の預金があり、
この他、妻によれば「1,500万円程度の妻名義の投信残高」があるらしい。
今のマンション(自分名義)は都内の80㎡で、ローンは完済している。
うまくいけば、3,500万円~4,000万円程度で売れるだろう。
なので、不動産資産+金融資産=1億近く、ということになる。全く実感湧かないが。
・そのローンをどんどん繰り上げ返済した
・そんなに贅沢しない。趣味は「図書館で本を読んだり」で、カネ掛からない。
・旅行に行きたいが、行けない。子供の習い事とか優先していると、土日に全く旅行できず、夏休み冬休みの帰省位しか行けない。
で、これくらいの金融資産があると、なんだか「アーリーリタイア」が出来そうな気もしてきたが、いかがだろうか?
家族揃ってフィリピンに行けば、仕事せずに暮らしていけそうな気もする。
もっとも、今後教育費に1,000万円×2人=2,000万円掛かるらしいが・・・
実際にアーリーリタイアすることはないだろうが、
大人になってから「学生の頃に戻りたい」とか言う人多いけど、言うほど学生時代って恵まれてたか?
塾通いして、成績落ちれば親に怒られて、遊んでたら勉強しろと怒られて、夏休みや冬休みも半分は講習で、
大学生になっても自宅生だったからあんまり遊んでいると親の目が痛いし、
バイトで稼げるお金なんて微々たるものだから旅行も豪勢にとはいかないし。
学生時代に戻りたいって思ったことが一度もない。
社会人になってから、特に結婚して実家出てからは誰の目を気にすることなく遊べるし、ボーナスもあるから旅行も豪勢にいけるし、
そりゃ仕事が忙しい時期もあったりするけど、波を超えれば休めるし。
なにより勉強でどんなに忙しくなってもお金は貰えないけど、仕事で成果を出せばお金がもらえる。
医学部は、1年か2年はクッソ楽。普通の学部と変わらない。普通にドイツ語とかフランス語だけやっとけば普通に受かる。
エグイ。確かに、医学を学ぶにはまず人体を知らなければ。という理屈は分かるのだが、とにかく量が多くてびっくりした。広辞苑みたいな教科書がドカドカと数冊積まれて、「この量を覚えるんだよ」と言われる。パニックになる。
周りが「この学年の勉強はキツい!ガチでやらないと普通に留年する!」と焦るのだが、何をしていいのか分からない。暗記をしてみるもとてもじゃないが追いつかない。覚えられるはずがない!となる。
まず始まるのが、過去問や授業資料の取引。先輩などからもらった資料を元手に他の友達からも資料を交換しまくる。
また、仲がいい奴らで集まって、効果的な勉強法なり、周りとの足を揃えて知らず知らずに処置無し状態にならないように必死になる。先輩などからどの時期に何を勉強するのか必死に情報を手に入れる。
「暗記は無理」→「過去問から1割くらいは出るし、勉強すべき分野が絞れるぞ」→「そうやっても全然覚えられない」→「できるやつがまとめノートなり、全体のオリエンテーションをつける講義をやってくれる」→「全然覚えられない!!!」→「テスト2ヶ月前にガンガンひたすら覚える」→「1ヶ月前に2周目に入ったでも全然覚えてない!」→「2週間前に3周目、なんとかなるかな???過去問もなんとか合格点超えるなあ」→「テスト直前に長文などブーストが効く奴をやりつつ短期記憶に詰め込みまくる」→「なんとか受かる」
多分、このパターンが一番多いと思う。ちなみに、2ヶ月は無いと受からない。前期後期とテストがあるなら1年の内4ヶ月は受験生より勉強することとなる。1日15時間という勉強量に焦るが、周りも普通にやっており、やらないと終わらない。
ここで気づかずに2ヶ月残せない状態でノーベンだと、だいたい留年する。
次の学年くらいから、一般的な病気にかかわるものを学んでくいく。
このあたりから勉強法が自分に合ったものを採用したり、効率がよい勉強を覚えていくようになる。なにしろ高校までの勉強とは明らかに異質な暗記マシーンとなるので、自分を変えなければならない。
「全く臨床に関係無いものにどうやって興味持つんだ無理だ」→「書くと覚えやすいかなオレは」→「質より量で長時間の勉強でできるだけストレスをかけないのがいいから音楽聴きながらやるといいな」→「とにかく学校で友達とやると肝外しな勉強にならずにすむ」→「とりあえず3周すると忘れにくいかな」→「授業の参考資料+成書での深い記述+とりあえずまとまりがいい資料の3コンボでまわすのが覚えやすいな」→「むしろ出題者の意図を読めば選択脚が覚えやすいな」→「友達とやらないと、出題者特有のその問題ごとの攻略の仕方が膨大すぎてとらえられない」→「コツコツ1年ずっと勉強するのは不可能だ」
まあ、いろいろ工夫をしだす。
ハッキリ言って、マトモにやったら絶対無理な量をこなすこととなる。「試験って次何教科?→18教科かな→(゜Д゜)」リアルである。全員ものすごく焦る。信じられないからだ。2ヶ月で終わるのか?と思う。
しかし、一応この学年まで生き残った人々、それなりに勉強法は心得ている。が、それでもキツい。ほぼ1年、勉強に費やすというのも普通。
頭では、「実際の患者さんの為に、ここが本番なんだ」となるが、そんなもの、人格を破壊するかのような学習量にズタズタになる。何も考えられないほど1日勉強でつぶれるなんてざらである。10日風呂に入ってない、ありがちである。
ところで、ここまでで気づいた人もいるかもしれない。「2ヶ月なんて毎日勉強とか時間取れるの?」当然だが、夏休み、冬休みを突っ込むことになる。再試にならなければ、1,2週間は遊ぶことはできるが、再試にかかるとその年の夏休みは終了。
④さあ、臨床の場へ!
正直楽だった。テストが無く、ひたすら目の前の患者さんと臨床に尽くすだけでいいからだ。勉強はそりゃほぼ毎日する。目の前で横行する臨床を見て、知識が足りない!と焦って学校の後に知識を補充すべく勉強する。
ああ、これが本当の勉強だよなあ、と感動する。
⑤国家試験
正直楽だった。臨床の場で得た体験が結びつけば覚えやすいなあという感じであった。それに、1回やったことの繰り返しの部分も多かった。また、コレまでに比べて考えればなんとかなる問題も多く暗記量を理解で減らしまくれた。
思えば①~③までの勉強がキツかった理由を考えると
Ⅰ 勉強方法が明らかに高校までのものと違い勉強法が分からない
Ⅱ 2ヶ月前からずーっと1日10時間以上勉強する、などという経験がなく合宿みたいで辛い
Ⅲ 暗記量が尋常でなく、数学や物理みたいな暗記いらずの分野で稼ぎまくったタイプかつ、歴史など暗記がまったくできなかった自分の能力特性が悪すぎた
Ⅳ 試験前に病気や怪我をしたことが多く、それでも勉強しなきゃという現実が辛かった
Ⅴ 理解して暗記するというプロセスの有効さや復習の有効さが理解できていなかった
Ⅵ 先生の趣味みたいな問題が多く、しかも出題する先生が1教科15人×10教科など多すぎて過去問を見ても出題傾向がつかみにくい
Ⅶ とにかく先生の趣味みたいな問題でまったく取れない分野が多い
といったことがあげられる。
まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。
そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。
よく、国民皆教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラムで教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。
今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。
私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。
呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。
それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。
そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。
私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。
学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。
(この高いハードルを「親は学校/先生に子供を人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)
家族のために計画的な休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。
たとえば医師は患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。
気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい、大丈夫です」と言わなければならない。
実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。
でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。
「たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」
「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」
このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。
担任教師の家族が危篤の場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの。
でも、自分の子供の入学式に出るために計画的に学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。
「誠意がない」と感じるのではないか。
「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。
最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。
でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。
なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。
これまではウソも方便で良かったのだ。医者は患者に優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。
だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。
そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。
ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。
今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。
今はもちろんそれはできない。
後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。
「知らぬが仏」という言葉もある。
さて、では自分自身はどうなのか。
通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分も担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。
自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。
担任教師が休むことそのものが、子供の教育にとって良いことだ、という意見もあった。
行動を通じて労働者の権利、ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。
とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。
友人とも対話した。
友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法を現場で無視してよいのか」
自分「担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」
友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」
自分「計画的な休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事の性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」
友人「妊娠はどうか?」
自分「妊娠は計画的なものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」
友人「教師のなり手が減るぞ」
自分「有能でも信念がないのはだめだ」
このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。
そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。
昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分の出身校に誇りを持っている。
同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。
(このサイトを見つけてメンバー一同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県と福岡県の高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682)
受験できる範囲内の県立高校としては一応トップの学校に入学して3日目から、まぁ右翼かヤクザのような指導を受けるわけです。
高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。
「○せ」みたいな内容の。
親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。
課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。
一方で体育祭ともなれば、放課後に強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。
それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから、学校の先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。
その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。
公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。
こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。
3月で東北大学を卒業して、4月から某企業の社畜となる22歳です。
文系の学部出身なので、ITやらプログラミングの知識は完全に独学です。
特にITに興味を持ってはいなかったのですが、就活が終わったあたりに
映画のソーシャルネットワークとかを観たりしてプログラミング勉強しようと思い立ちました。
そんで実際に勉強し始めるとなかなか興味が持てる分野だったので、去年の秋の試験で基本情報技術者を取ったりもしてました。
でもここまでひと通り勉強し終えた時点で、このあとどうしよう?ってなったんですね。
HTMLやらPHPの本を写経して、『やったー、Hello,World!を100回分表示させたぞ!』なんてやっぱりすぐ飽きるわけですよ。
プログラマって毎日こんなことしてんの?と思ってネットを漁ってみると、色々と面白い情報をはっけん!
http://anond.hatelabo.jp/20101203150748
やっぱ何かを創ってなんぼだよね!
ということで人生最後の冬休みから構想を練り始め、今年に入ってから本格的にwebサービスの作成に取り掛かりました。
ちなみに本記事タイトルは『京大で画像処理を学んだ僕が本気でエロWEBサービス作ったった』をリスペクトさせて頂きました。
この人はIT関連が専門みたいで、創ったものもレベルが違うんですけどね。まぁキャッチーなタイトルにしたかっただけです。
やはり社会人になるとなにかと時間が限られてしまうと思うので、
多少未完成でもまずは公開してみて少しづつ付け足していこうと。
結果として、この記事を書いている時点でお問い合わせフォームとかを実装してませんし、
他にもいろいろとやりたい機能をとりあえず諦めざるを得ませんでした。
今後頑張ります。
今年の1月時点での自分の知識を大まかに説明すると、
HTML → 基本は分かる。でもdivとかをうまいこと調整するのは苦手
CSS → ぶっちゃけあんま理解してない。今回の創作物もtwitterbootstrapに頼っちゃった
PHP → 基本は分かる。forとかforeachとかwhileあたりが使えるくらいだけど、実際それで何とかなったしこれからもっと勉強するし
javascript → たしか一番初めに勉強したけど、もう忘れた。今回のサービスにも使ってない。
まぁこんなもんです。
『未痴との遭遇』
やっぱりエロいのだとモチベーションも続くし、やっててたのしいかなぁと思いまして。
1.全体像の把握
基本情報技術者を取得したんですが、サーバーとかFTPとかの単語をあまり理解してなかったんですよね。
具体的にどうすればホームページやwebサービスを公開できるのかを理解するようにしました。
上に書いたようないわゆる『つくってみた』系の記事も沢山読みました。
ふむ、手っ取り早く作るにはフレームワークとやらがいいらしい。
具体的には公式サイトのブログチュートリアルから入って、『CakePHP 入門』とかで検索して出てきたサイトをいろいろとまわりました。
覚えることは多いですが、確かに便利なので頑張って修得することをおすすめします。
とりあえずサイトの作り方はわかったので先に進む。
APIを利用したサービスがたくさんあったので僕のサイトでも使ってみようと思いました。
勉強ってほどのものではないですが、DMMAPIのコードを公開しているサイトを参考にしました。
僕の創ったサイトに必要なデータがAPIでは効率よく取得できないことがわかったので、
DMMのサイトをスクレイピングして必要なデータを集めることにしました。
Simple HTML DOM Parser ってやつを利用。
5.メイン機能搭載
まずはAPIとスクレイピングを利用してデータベースに必要なデータを集めました。
スクレイピングがうまいこといかなかったり、なぜかデータが重複しまくったりといろいろ苦労はしましたがデータベースはなんとか完成。
その後、メインページを作成して、ランダム表示ができるようなスクリプトを書く。これは簡単。
6.他のページの作成
メイン以外のページを作成。
twitterbootstrapもここで導入。
でも間に合わなそうだったので、目標達成のためにとりあえず飛ばすことに。
特に希望のものはなかったのですが、まぁそれっぽいものを購入。
問題はサーバーですよ。
初めはGMOクラウドのVPSで無料お試しをしたのですが、これがまた難しい。
ネットでいろんな情報を探して、試して、動かなくなって、OS再インストールって流れを5回ほど繰り返して断念。
結局FUTOKAのレンタルサーバーと契約しました。こちらは非常に扱いやすくて、らくちんです。
8.公開
こんなしょぼいサイトでも公開できただけでうれしいものですね。
約3ヶ月の苦労は無駄ではなかった。これで僕もクリエイターの仲間入りだ。
文系の僕でも3ヶ月でひとりでwebサービスの公開まで漕ぎ着けることができました。
この期間が長いと思うか短いと思うかは人それぞれでしょうが、自分のアイデアを現実化させることは想像以上に楽しいことですよ。
壁にぶつかることはたくさんありましたが、不思議と辛くはありませんでした。だって楽しいから。
用事がある日にも、早起きして作業することが苦になりませんでした。だって楽しいから。
変に敷居の高さを感じている人がこの記事を見て、『俺もやってみよう』と感じてくれると嬉しいです。
・幼少期は父親の姿を平日見た記憶がないけど、休日は目一杯遊んでくれたし、色々な事を教えてくれた。
・幼少期は気付かなかったが、わりとでかい家を建てていた。
・母方の両親と、父方の両親の家の建て替えにお金を出した(全額ではなく半分位らしいので、もう一個家建てたのと同じ)
・超高級車ではないけど、割りと良い車に乗っていた。
・今はあまり面影がないが、結婚式の写真見ると普通に美人の嫁(母)を貰っていた。
・母が専業主婦だった。子供が中学生位になってから暇だし働きたいと言ってなんかやってたけど。
・たまに家に帰って母と酒を飲むと、ベロンベロンになりながら父と一緒に居られて幸せだと言う。
・自分の体型を崩さないために筋トレとかちゃんとしていて、未だにシュッとしてる。
・家で愚痴言ってる姿を見たことがない。
だが社会人になり俺は父のようにはなれないと感じる。
たまに仕事の話とかしても、考え方が違う。意外と厳しいというか、仕事に関しては理詰めで妥協もミスも許さないという感じだった。
でもね、無理。俺仕事できねーもん。給料も低いし童貞だし腹出てきてるし女性と話すのすごい苦手だし。もう父が結婚した歳と同じなのにな。
コンプレックスありすぎて最近本当に辛い。多分俺なんて運良く結婚できても中年になって家建てるのがやっとだし、
子供も1人できればいいけど共働きは確定だし、車も安いのしか買えない。多分大学も奨学金借りさせてとかになるかも。
もちろん自分の両親も相手の両親の面倒も見られないと思う。それもこのまま順調に会社が残っていれば、という話だし、
ダメなら子供なんて作れない。ちゃんと育てられるだけ稼ぐ自信ない。共働き前提といっても相手が働けなくなったら詰むとか
リスクありすぎだろ。転職しろと言われてもそんな勇気ないし実力もない。
妹も働き始めてから結婚を意識するようになったみたいで、結婚するなら絶対に父みたいな人と言って譲らない。
そりゃそうだろうな。働き始めてから愕然とするよな、自分で稼いでるのに実家に居るときより生活レベル落ちてるんだから。
いいよな、結婚って逃げ場があって。
ああ、父はすごいけど唯一失敗があるな。俺がまともな強い男に育たなかった事だ。
ごめんな。ほんとにごめん。
理由は単純に言えば配置換え後の上司に不満があったから。よくあるやつ。
一年ぐらい前に新規プロジェクトのための配置換えの話があった。
話を持ってきたのも世話になってきた人だったので、引き受けることにした。
配置換えから数週間で、すぐに「あれ?この人・・・」みたいな感じになったのを覚えている。
そこからしばらく様子を見たが
「ああ、この人無理なタイプの人だ」
端的に言えば「嘘つき+人に厳しく自分に甘い」みたいな感じ。
当然ながら尊敬できなかった。
結局そこから色々相談もしてみたけど、その上司も上からの評判は良いみたいで
残念ながらあんまり聞き入れてもらえず。
(実際あんな人を評価しているという会社自体にも結構失望が大きかった)
退職することに後悔は無いし、多分これからもそんなにしないと思う(少しはするだろうけど)。
不満のあったその上司に直接言わなければならなかったわけだけど
10割全部言ってしまって改善されるのも癪に障るな、とか思ってしまった。
なんでそんなこと気にしたんだろう?と今になって思う。
「この人、その説教自分にも当てはまるって気づいてないんだろうな」
とか思いながら聞き流していたな
それも言ってやればよかったな。
さーて、冬休み何しようかな。
初めてその店に行った記憶は、柿の渋抜き用にと焼酎を買いに行かされた「はじめてのおつかい」だ。
それからしばらくの間は子供が酒類を買いに来ても咎められることはなかったな、そういえば。
その酒屋には豊富に駄菓子も売られていたので子供の頃からよく利用していた。
たまに賞味期限切れだったり小虫が紛れている菓子があったのもご愛嬌。
顔見知りとなっていたので当時生意気だった私は酒屋のおっさんに軽口を叩いては遊んでもらっていた。
地域の祭にもよく参加していたおっさんが、竹笛をとても上手に吹いていたのを私は知っている。
おっさんのくせに上手いなあと思っていた。
海がとても近い町だったので、放課後に買ったアイスをかじりながら、よく堤防の上で友達とジャンプを回し読みしたっけ。
その後自分も中学高校へと進むにつれ行動範囲も広がり、その店に行くことも減ったが、
おっさんの母親であるお婆さんが痴呆となり、外を徘徊しているという話を両親が夕飯の席で話していた。
へー、そういえばおっさん元気かなと一瞬頭を過ぎるものの、そんなことより
生意気だった小学生も思春期を迎えて、その頃にはたいへん卑屈で地味で中二病交じりに内向的な高校生になっていて
あの頃の失礼極まりないながらも天真爛漫だった私はどこに行ったんだろうなどと考えながら白飯を口に詰め込んだ。
確か部活終わりに部室でまったりカップラーメン食ってる時に、同中の友人からメールが来たんだっけ。
中学校の近くの裏山で首をくくっていたという。例の痴呆の母親の介護を苦に…とかそれらしい話もで出回っていたが
背が高く飄々とした、竹笛のうまい顔見知りのオッサンに死のにおいは全く結びつかなくて戸惑った。
おっさんを知る友人も私も、泣くほどではない。ただ、あれこれ思い出話をしては、たださみしいなと思った。
海の近い町に生まれた。山も近かったが、なにより海に近かった。
それなりにいい町だと思う。とはいえ、人口に対して自殺の話題をやたらとよく耳にして、
それは同級生や後輩の父親だったり地元の名士的に知られた男性といった、面識があったりなかったりの人達だったから。
おっさんの死後、しばらくは彼の妻が会社勤めをやめ店に出ていたようだが、その頃実家を出ていた私はよく知らない。
おっさんが(屋号からしてきっと先代の頃から)営んでいた酒屋はもうない。当然、ジャンプを回し読みした堤防も。
今までギャルゲ(エロ含)ってーとプリンセスメーカー(初代←年がバレる)とか、あとはアリスソフトの無料配布の奴とかしまいま(これも無料の奴)とかしかやっていなかったが。
一時期3次元で恋愛して結婚もしていたのだが(過去形)、なんやかんやでまた次元が落ちて今年の冬休みはアマガミです。絶望放送他で神谷浩史がハマってたのを聞いて気になってたのよ。
しかし、なんつーか、amazonのレビュー見ると「自分と主人公を同一化してプレイする人には向かない、なぜなら主人公が変態紳士すぎるから」というコメントがあったが、自分の中の変態性をむくむくと刺激され、結構なエロゲよりもハマってしまうことに気がついた。いや、これにハマった人はたぶん変態予備軍ですよ、自分も含めて。こういうシチュエーションの妙に比べると、エロゲのストレートなエロシーンって、なんつーか、クドいんだよね…。
とりあえず絶望放送つながりということで桜井さんを自力で落として、その上で時間あまりないので中多さんと絢辻さんを攻略ページを頼りに最短で落としたけど、今のところどの方向性もかなりくるものがある。しかし、いい加減時間切れなので、あとはしばらく積みゲーに戻しておかないと睡眠時間がヤバい。
おまおれ
相手は短大2年
俺は大学2年
20歳になっていたから親の同意はいらなかったけど、当時はまだまだ子供だった
在学中に結婚することも考えた
だけど結局、お互いに育てられる自信がなかったので、中絶を選んだ
今でも後悔はしていない
妊娠は簡単になる
そりゃ毎日セクスしていればな
とにかく毎日した
もちろんゴムなんかもったいないと思っていたし、感触がいやだった
男の身勝手だな
彼女は手術後、しばらくうちのアパートで休んで、年末年始は実家へ帰省した
俺はモンモンと正月を過ごした
もちろんそれまでにはお互いに電話したりした
久しぶりに会ったけれど、なんとなくギコチなかった
何も言えなかった ただただすいませんしか言えなかった
本来なら相手の実家に行って謝るのが筋なのかもしれないが、俺はずるい男だった
彼女に聞いたら、父親には話していないとのこと
相手の母親に電話で怒られても、結局、彼女の実家に行かなかった
まだ子供だった
久しぶりに会った彼女はどこか距離を感じた
たぶん俺にとっては申し訳ないという思いと引け目を感じてしまっていたのかもしれない
結局、その後はセクスもせずに、彼女の卒業とともにお互いに離れた
距離が離れて、心も離れた
電話もしなくなり、きちんとお別れをせずにそのまま
今ではどうしているか、連絡もとっていない
しばらくして、俺は新しい恋と出会い、今、また毎日セクスライフをエンジョイしている
お前ら、ゴムだけはつけろよ