はてなキーワード: 冬休みとは
自画自賛みたいになっちゃうけど、うちの職場悪くない職場だと思うんだよね。
残業無いし、17時半定時だし、完全週休二日制だし、休日出勤無いし、飲み会も休日返上の付き合いも無いし。冬休みも夏休みも1週間あるし。
都心にあるからアクセスもいいよ。ネームバリューなんて全然無い小さい会社だけど、歴史はそこそこあるよ。景気にも左右されないよ。
年収だって平均の1.5倍~2倍くらいは出るし、営業成績がいいと更に増えちゃうかも。昇給だって万単位であるよ。
学歴不問、未経験OKだよ。年金とか保険だって勿論支払ってるよ。
でもねー、年末からせっせと求人出してるんだけどほっとんど応募が無いの。
数件来た応募も全員面接しようと思ったけどバックレられたり、何度電話しても出なかったり、ドタキャン食らってあっちからお断りされてる。
もうすぐ定年退職の人が居て、その人の引継ぎを…と思ったんだけど無理そうだ。
春から何件か人材紹介?みたいな会社に問い合わせてみたけど、いい返事は来ない。らしい。俺はその愚痴を聞いてるだけだからよく解んないけど。
取引先でも中々人が集まらなくて難儀してる所が何か所もある。今は応募来ないから大変だよーって口揃えて言う。大きい所は違うんだろうけどね。
世の中じゃ転職しようにもまともな職が無い。食いっぱぐれるなら今のブラックで…って頑張っちゃう人がいっぱい居るらしい。
大企業で島耕作になりたいって言うなら話は違うんだろうけど、中小は結構求人出てるよ。
うちの周りじゃ大きい会社より小さい会社の方が若い人の待遇はいい。だって逃げられちゃったら次捕まえるの大変だもの。
六月。陽が紫陽花色の残滓を残し沈んだ直後、入れ替わりに空へ現れた低く大きな月と、
明滅する黄ばんだ街灯に照らされる薄暗がりの中、セーラー服を着た少女が廃品工場の敷地に積みあがった錆びたガラクタの山を睨み付けていた。
帰宅途中、自転車で通りかかってその様子を見つけ、なんとなく立ち止まって彼女を眺めている私に気付いたのか、
彼女は一度、背後に停めてある彼女の銀の自転車越しに私の方を振り向いたが、すぐに興味を失ったように視線をガラクタの山へと戻した。
肩までかかるまっすぐな黒髪と、やや度の強い眼鏡をかけた彼女について、名前はわからなかったが、私は自分が彼女の同級生だという事をなぜか知っていた。
私は、人気のない工場の入り口で自転車に跨ったまま、声をかけるでもなく、しばらく彼女の背を眺めていた。
「ねえ。」
不意に彼女が口を開いた。
その言葉が私に向けられたものなのか確かめる間もなく、聞いていようがいまいが関係ない一方的な様子で、彼女は続けた。
「ユキのこと、覚えてる?」
ユキという名前には聞き覚えがあった。タニムラユキ。緩くパーマのかかった、明るい栗色の髪が印象的な少女。
タニムラさんは、私と彼女の前年度の同級生で、明るく活発で誰にでも分け隔てなく接するタイプの、少し勉強が苦手な子だった。
成績が良く控えめな性格の目の前で背を向けている彼女とは好対照な性格ながら、傍から見ても二人は特に仲の良い友人関係だったように見受けられた。
タニムラさんは、五ヶ月前、ちょうど冬休みが明ける頃に亡くなった。
朝、ご家族が起こしに行くと自室で首を吊って亡くなっていたそうだ。
遺書のなかった彼女の死は、二年生への進級を控え、進路や勉強についての悩みが原因の突発的な自殺として片づけられた。
私も通夜に参列し、学校では命の大切さを説く授業が行われ、現在も一部の生徒にはカウンセラーによる面談が継続的に実施されているはずだ。
もちろん覚えている、と私が口を開きかけた途端、彼女が先に口を開いた。
「ユキ、自殺する前日に『明日先輩に告白する』って言ってたんだ。」
「先輩?」
間抜けな私が、今夜初めて声を発して聞き返した。タニムラさんの死は、実は失恋によるものだったのか。
聞き返されたことが不快だとでも言いたげに少しの間を置いて、彼女は続けた。
「……シュート先輩。サッカー部の。このことは多分……ユキのご両親も知らないと思う。」
シュート先輩について、名前を聞いても顔が思い浮かぶほどの接点はなかったが、
私はその名前が、スポーツがとても得意で容姿の整った、女子生徒から人気のある一学年上の男子生徒だという断片的な情報は持ち合わせていた。
「ユキが死んだ少し後、私、シュート先輩のところに話を聞きに行ったの。
少しでも、亡くなる前のユキの様子を聞きたくて。
そしたら、部室の中から『マワしたのがバレるかと思って焦った』『まさか死ぬとは』って……。アイツら、笑ってた。」
ごくありふれた、思春期の精神的な揺らぎに勢いが付きすぎて死んでしまったのだとばかり思っていたタニムラさんが、
彼女の気持ちを踏みにじる、俄かには信じがたいような乱暴を受けたことを苦にして亡くなっていた、ということか。
「許せないって思った。絶対に、絶対にこいつらに復讐して、ユキの仇を取ってやるんだって……。」
絞り出すようにそう言うと、彼女は手に持っていた、どこかのご当地ものらしいキャラクターのマスコットを、潰れるほど強く握りしめた。
マスコットを歪め、ガラクタの山の頂上を睨み付けたまま、彼女はさらに語る。
「その後、シュート先輩やサッカー部の事を調べたら、結構いろんな噂があった。
だから、アイツらに近づいて、油断させて、証拠をタップリ掴んで、
卒業まであと少しの……そう、ユキの一周忌に秘密を全部バラ撒いて、あいつらの人生をグッチャグチャにしてやろうと思った。」
「……そのために私は、都合のいい女になろうと思った。
無条件に愛して、尽くして、学校でも街でも家でも、いつでも呼び出せて、身体を使わせる、そんな女……。
男って面白いのね、最初は皆に使わせていたのに、何度も繰り返して、それでも私が離れないとわかると、
段々情がわいてきたみたいに、逆に独占したがって、優しくするようになるの。」
シュート先輩のその行為はとても認められるものではなかったが、その心情がどこか理解できるような気もしてしまった後ろめたさを、私は沈黙で隠した。
「それで、これからは、部活を引退して、私が勉強をサポートして、いい大学に入学を決めて……その後、その後全部台無しにしてやるつもりだったのに……!」
彼女の語気が強くなり、嗚咽が混じり始める。不意に振りかぶるように上げられた右手に握られたマスコットが、更に変形した。
「なのに……なんであっさり死ぬのよ!なによ、遠征帰りのバスが事故って!!」
「なんで、遠征先で私に、プレゼントなんか買ってんのよ……!!!」
事故?サッカー部のバスが?そんな話を、私はまだ聞いていなかった。
しかし言われてみれば、昼間救急車が妙にたくさん走っていて、学校の教師陣の様子が慌ただしかったような気がする。
驚き、展開を吞み込めないでいる私を置き去りにするように、彼女は続けた。
「夕方、病院で先輩のお母さんに会って渡されたの、この人形。『あの子が、あなたに。いつもありがとう。』って。」
「何よそれ!!ざまあみろ!自業自得だ!死んで当然だ!因果応報だって!
私が!ユキのために!言って……!笑って……!こんなもの、投げ捨ててやらなきゃいけないのに!!」
腕を振り上げたまま髪を振り乱す彼女の声は、最早完全に泣き叫んでいた。
「どうして、捨てられないのよ……!こんな……ものが……!!」
泣きじゃくり、肩を震わせながら、力なく彼女の右手が降ろされていく。歪んだマスコットを握りしめたまま。
「どうして……」
うなだれ、小刻みに震える彼女の背と、同年代の人物から発せられたあまりに強烈な感情を前にして、
己の幼稚さが急に恥ずかしくなり、かける言葉も見つけられずただただ見つめるばかりの私を、
先ほどよりも濃さを増した夜と、少し高くなった月が見降ろしていた。
昨日風邪をひいて20時間ぐらい寝ていたら色々な夢を見たのだけれど、その中でも印象に残っているものを文章におこしてみた。
でも頭の中の映像ではもっと迫力あったんだよなー。うーん。やはり夢の話はしょうもないか。
10歳(5年生)と3歳(幼稚園年少)と1歳半の子どもがいる。首都圏在住。同郷で、実家までは新幹線+在来線で5時間。
夫は8時に出社して、おおむね日付変更前後に帰ってくる。遅ければ1時半とか。休日出勤もそれなりの頻度。
たまに谷間のように暇な時期が来る。暇って言っても、9時前に帰宅することなんて稀だけど。
仕事は大変そうだ。よく愚痴を聞く。会社で仕事の愚痴は言いにくいから、私相手に発散している。聞くのも妻の役割だと思う。たまにしんどいけど。
仕事は出来る人で、稼ぎもいい。無駄遣いもしない。ありがたい。
私の料理が好きで、適当な外食するくらいなら家でゆっくり食べる方がいいと言う。
子どももどちらの実家の両親も帰省を楽しみにしているので、夏休みと冬休み、わたしはひとりで3人を連れて新幹線に乗り、義理の実家に夫抜きで滞在もする。自分の実家とあわせると、夏は2~3週間くらい地元にいる。
夫は会社の休暇にあわせて一人で帰省し、一人でまた帰宅する。年末年始やお盆も案件が入ると休めないので、帰省しないこともある。
先日の夏休みは帰省するにはちょっと日数が足りず、夫はひとりで旅行にいった。周囲に話したら、よく許されるものだと驚かれたそうだ。
義理の両親もいい人だから滞在がそれほど辛いわけではない。甥っ子姪っ子もいるし料理も毎日しなくていい、朝早起きして弁当を作らなくていい、ある意味では自宅より楽だ。そりゃ帰省してくれたら嬉しいけど、夫がそれで喜ぶなら、まあいいやと思った。
「たまに子供を任せて遊んできてもいい?」「いいよ、行っておいで、子供は適当に見とくから」
これを言ってくれるんだから、いい夫だと思う。もちろん出勤がない日を狙わなければいけないけれど。一通りの家事をすませ、昼食の手はずを整え、夕飯の調理に間に合うように帰宅する約束で、バタバタと出かける。子供と離れて買い物をしたり、友人とお喋りしたり、子連れでは入れないような店に行く。とても楽しい。
「任せきりでごめんね。一時保育を使ってリフレッシュするのもいいんじゃない。そのくらいの稼ぎはあるんだから」
こうも言ってくれる。嬉しいことだと思う。幸い、一週間前に電話予約のできる託児所があるので、たまに使ったりもする。
「お母さんは大変なんだよ。全員の世話をしてくれてるからね」
子供にこう言ってくれる。ありがとうと、感謝の言葉をくれる。お疲れさまって労ってくれる。結婚して13年経つけど、いまだに、愛してるよって照れずに言ってくれる。お酒が入ると甘えてきて、かわいい。
私は家事がへたくそでずぼらなんだけど、どうしようもないとき以外、あまり怒らない。昔はもう少し怒られてたけど、しかたないと諦めてくれたらしい。
日々の家事育児に参加は出来ないけど、子供の話は聞いてくれる。しつけとか、進路とか、お金のこととか、悩み事は一緒に考えてくれる。家計簿を一緒に見て、ライフプランを相談できる。
いい夫なんだよ。すごーく、いい夫なんだ。
でも、だから、ときどきしんどい。あなたが羨ましいって、言いたいけど言えない。私も仲間と働いて結果を出して達成感を味わったり、お客さんに感謝されたり、いろんなお店で飲み会したり、「あ、明日ちょっと飲んでくるね」って言ってでかけたり、予告もなく朝帰りしたり、ふらっとカフェで一服しながらスマホ見てたり、休日は日がな一日ゲームしたりスマホ見てごろごろしたり、したい。でもそういうのは、毎日毎日夜遅くまで働いている夫の権利だ。
そういうことを言うなら、共働きすればいいんだろう。わかってる。でも踏ん切りが付かない。今でも朝や夕方は戦争みたいなのに、ここにさらに自分の会社勤めを追加したらたぶん私パンクする。私はそれほど有能じゃない。夫が仕事をセーブしてくれる期待はできない、職場まで一時間半もかかるし、仕事大好きのワーカホリックだし、それに、仕事が生きがいみたいな人の邪魔したくもない。
私も細々だけど在宅で仕事もしてるし、それをがんばるのがいちばんいいのもわかってる。
でもしんどい。
なんのために生きてるんだろうって、ときどき思う。
あまり不満を言わないようにって思ってるけど、たぶんうまくいってないだろうと思う。機嫌悪いねって言われちゃうこともある。申し訳ない。
もっとニコニコ明るい、やすらげる妻でいたいのになぁ。なんでまだ好きでいてくれるのか、わかんなくなってきた。
先日ついに夫と別れた。嫌な面は山ほどあった。私にもいたらない部分があったんだろう。
高校、大学、社会人と思春期からずっとともに過ごしてきても終わるときはあっけないものだ。
最後の会話は短かった。
「まあ……いろいろありがとな。じゃあ元気で」
それだけ残して夫は玄関を出ていった。
家の片付けはわたしがひとりでやった。台所には灰皿替わりのペットボトルとタバコ、100円ライターが残されたままだった。そういうところが本当に嫌いだった。
でもそんなタバコ一式を見ていたら思い出したことがある。
あれは高校三年の冬休みだった。まだ夫ではなく彼氏という存在だったときのことだ。
その日彼とわたしは渋谷で飲んでいた。そして店を出てふたりでブラブラしているうちになんとなく路地裏のほうへと足を向けていた。
気づくと「空室」のランプがともっているお城が目の前にあり、人目を気にしながらこそこそと入っていった。
ふたりともそういった場所へ足を踏み入れるのは初めてだった。鏡張りの浴室や足を包み込む絨毯より、ベッドの白さがなぜか印象的だったのを覚えている。
わたしは鞄もコートもソファに放り出すと勢いよくベッドの上に乗った。
「ねえ、ねえ、すごい跳ねる。うちのと全然違う」
そんなことを言いながら飛び跳ね、部屋中を見渡していた。彼はソファに腰掛けながらタバコに火をつけ、煙で輪っかを作る練習をしていた。
ふたりとも枕元の避妊具からは意識的に目をそらしていた。わたしたちは無邪気さと冷静さを演出し合うことで、互いに緊張を見破られないようにしていたんだと思う。
そのうち飛び飽きたわたしは彼の隣に腰を下ろし煙を眺めていた。目が合うと、彼はふっと輪っかを私に向けて吐き出してきた。
「うざいし」
私は顔をしかめると鞄から香水を取り出し仕返しとばかりに彼に吹き返した。彼も顔をしかめていた。
ふたりをくるんでいる羽毛布団の中でのことはよく覚えていない。ただ彼の腕の中で眠るのが幸せだったのは確かだった。
翌朝、寒さで目を覚ますと彼はひとりで先に朝食サービスのパンをかじっていた。わたしがベッドから這い出すと
「寒くない?」
と言ってわたしをベッドに押し戻し、布団の上から抱きしめてくれた。そういうところが本当に好きだった。
お城を出たわたしたちは、パン1枚じゃ足りないのでマックに入っていった。わたしがハンバーガーを食べていると彼はまたタバコの輪っかを投げかけてきた。
「うざいし」
わたしは笑いながら顔を背けると香水瓶を掴み彼の鼻先に向けてプッシュした。
煙と香料の入り混じった匂いに包まれながらふたりでけらけらと笑いあった。
書いていて恥ずかしくなるくらい甘ったるい思い出だ。今となってはもう下らない思い出だ。
http://q.hatena.ne.jp/1492052653
幻聴かと疑いながら過ごしてきましたが、今は現実である確信を持っています。
補足をすると
朝の5時6時に噂が聞こえ、その声で起こされたりします。
こちらは寝ていて時間を知ることはできないので幻聴ではありえません。
そもそも幻聴で起こされることもありえません。
昼の12時に一旦、噂が収まり、2時3時あたりにまた始まります。
また、中学生高校生などが噂に参加しはじめたなと思ってカレンダーで確認すると夏休みや冬休みだったりします。
これも幻聴ではありません。
盗聴器の電波を受信するレシーバーには3Ghzまで受診できるものもあり、もし単純なアナログ方式ならこれで見つけることができる可能性もありますが、安いものでも5万円以上するので買うを躊躇しています。
どうにか家族に実際に盗聴器が取り付けられていることを理解してもらい、できる範囲の対策をしてもらいたいのです。
良い知恵はないでしょうか?
先生はすごい
日曜日も大抵いる
祝日もいる
夏休みもいる
冬休みもいる
春休みもいる
今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたから
誰も職員室にいなかったらしい。
今年は。
いつも手足がむくんでる
転任の挨拶のあの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生
どんどん減っていく毛量
今日は化粧のノリ悪いなあとか。
クマが隠しきれてないなあとか。
忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり
たくさん課題を出す分
たくさんチェックしなくてはならないのですね
土曜日は課外授業
自由参加という建前でしたね
みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。
いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね
予備校にも塾にも行かなくていい
うちが面倒を見る、という先生
ほんとうにありがとうございます。
でもいいんです
僕は予備校がいいんです
でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです
学校と予備校の二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです
ですから先生方はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね
結構です
遠慮させていただきます
先生方は休んでください
労働基準法について授業しながら笑わないでください
予備校の課題と学校の課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど
そんな学校のせいで有名予備校が進出していないのではないでしょうか
東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策を無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね
センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策をしませんでしたね
部活のOBも年上の兄弟も異口同音にセンター対策は必要と言っていましたが
僕は高校が大好きでした
卒業した今でも大好きです
先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています
ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました
今までお世話になりました。
教師をしている友人と飲む機会があったので、教師のお仕事関係を聞いてみた。
死なない程度に手を抜いてくださいと伝えたのが精一杯だった。
はてなの日記を閉じているので、ここに。
手を出しているポケジムがある。
そんな中、一人だけ妙なトレーナーがいる事が判明した。
突然ジムに入り込んできている。
この場合、通常の敵からの攻撃による数千から数万の名声減少ではなく
1000程度の減少が起きた後に、上位にポケモンが配置されていた。
偶然では有りえない。
考えられることは、敵陣営の知人に依頼して味方のジムを攻撃し、
それは「1000」という最小労力でポケコインとほしのすなを集める位置に
もちろん、運営には報告してあるが、
機械的にこれをはじくのは難しいと思う。
/* ただし、その場合には直後にトレーナーが入り込むのはまれだ。
明らかにパターンは異なる。*/
もちろん運営側が考える話だけれど、
位置偽装についても今のところ操作性の悪化という事しか起きていないので
/* 個人的には位置偽装は「近くのポケストの写真を送らせろ」だと思っている。 */
自分ならこういう手法を使うけど、という考察があったらお願いしたい。
冬休みはその「中くらい」が一番強いミニタワーが複数できていた。
トレーナー名が「お名前」だし、子供だなと思って笑ってみていた。
僕は風邪をひきにくい体質だ。病弱そうな見た目の風邪をひかないタイプの人間だと思っていただきたい。
スポーツもあまり好きではなく、外出時は義父の車に乗って遠出をするので、怪我もしていない。病気も滅多にしなく、多少調子が悪くても軽い頭痛程度の私は、毎日毎日律儀に学校へ行った。おかげで一ヵ年皆勤まであと少しだった。教員に「努力すれば出来る子」としてみてもらいたいからでもある。
ところが、だ。
天国のような冬休みがあいにく終わり、始業式のためだけの儀式的な学校に行ってから、どうも調子がおかしい。気にせずその日は眠ったが翌日の朝、起きた時にはっきりと体がだるかった。布団を頭からかぶっても寒かった。吐き気がした。
僕はがっかりした。僕も風邪をひくんだな、と思った。僕は母に頼んで学校を休んだ。
学校を休ませてほしい、熱はないがはっきり体調が悪い。その言葉がさらっと出てくるまで何度か言い直した。一日休んだからといって学校での僕の立場が変わらないのは知っているが、皆勤を逃したくない、教員に「出来る子」と思われたい、という思想は僕を形作る大切な要素の一つで(僕はこの時それを初めて自覚した)、休みたい、というにはかなり葛藤した。
母は滅多に体調を崩さない僕の白い顔と、乾燥した唇からとぎれとぎれに漏れ出る言葉を理解し、はっきりと動揺していた。母は心配そうな顔をして、派遣先の会社へ向かった。
一人ぼっちの家の静寂に耐え切れなくて音楽を流した。P-modelのアルバムを、ずっとリピートで流した。3回目のリピートに入ろうとした時に、僕は卒業アルバムを開いた。
小学生の頃、今とは比べ物にならないほど体の弱かった僕は、1~2ヶ月に一度は風邪をひいて、学校を休んでいた。普段学校に来るな、と僕に吐き捨てていた同級生は僕が学校を休むとなに学校休んでんだよ、と言ってきた。
耐え切れなくなってアルバムをしまい、羽毛布団をかぶった。なに学校休んでんだよ、か。ひとりごちた僕は、何から逃げようとしているのかもわからないまま、布団の中でうずくまった。
仮病で学校を休んだ。
私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。
今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。
ごめんねおばあちゃん
今回は課題が終わっていなくて、休み明けテストの勉強を全然してなかった。
昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。
先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。
テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。
休み明け初日、しかもテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。
昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。
脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。
冬休み、時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。
どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか。
こんなのでも成績はトップのグループだから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。
でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。
そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズなダメ人間だ。
今は登校したときの不安と仮病の演技が怪しくないかの不安と、クズさから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。
変わりたいけど無理な気しかしない。
仮病で学校を休んだ。
私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。
今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。
ごめんねおばあちゃん
今回は課題が終わっていなくて、休み明けテストの勉強を全然してなかった。
昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。
先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。
テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。
休み明け初日、しかもテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。
昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。
脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。
冬休み、時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。
どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか。
こんなのでも成績はトップのグループだから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。
でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。
そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズなダメ人間だ。
今は登校したときの不安と仮病の演技が怪しくないかの不安と、クズさから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。
変わりたいけど無理な気しかしない。
仮病で学校を休んだ。
私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。
今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。
ごめんねおばあちゃん
今回は課題が終わっていなくて、休み明けテストの勉強を全然してなかった。
昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。
先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。
テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。
休み明け初日、しかもテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。
昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。
脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。
冬休み、時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。
どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか。
こんなのでも成績はトップのグループだから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。
でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。
そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズなダメ人間だ。
今は登校したときの不安と仮病の演技が怪しくないかの不安と、クズさから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。
変わりたいけど無理な気しかしない。
私、専業主婦。
こどもふたり。2歳児と1歳児。
夫、会社員。
私、スゲー喜んだ。
めっちゃ楽しみにしてた。
第一子を妊娠してから3年以上、独りで身軽にお出掛けなんて出来なかったから。
子はかわいい。
今までも、ちょっとスーパーいったり、ヘアサロンに行ったりとかはもちろんできた。
でも、1日だよ?
何してもいいんだよ?
お腹重くないし、子達の手を繋いでなくていいし、抱っこもしてなくていい。
夫氏は子に、
とか言ってた。
優しいじゃないか、夫。
なので、フリータイムもらったとはいえ、一応洗濯干して、弁当位は作ってから出掛けよう、とか思ってはいた。
しかし、急遽前日になって、旧友と飲みに行くことになった夫。
私は嫌な予感がしたので言った。
きちんと電車に乗って帰ってくるように、と。
終電逃されては困る。
タクシーも困る。
で、当日。
今日だよ。
朝起きたらベッドに夫はいない。
ものすごく嫌な予感がして、リビングへ行くと、案の定昨日出掛けた服装のままソファーに転がっている夫の姿。
うん。
とりあえずシャワーでも浴びようか?
すると、シャワーではなく、きちんと湯船に浸かりたい等と抜かす夫。
そもそも子達の世話は私に丸投げですか。
着替えの用意をして、ごはんを食べさせて。
挙げ句お前の世話まで追加ですか。
いつも出掛けるときに子達の支度なんて全くしてくれない(そもそも出来ないし、覚えるつもりもないご様子)ので、荷造りもしてあげなきゃいけないなーとか思ってたけど、どこまで人に丸投げですか。
風呂沸かしてやって、入れと散々促してやっと入り、出てきたと思ったら、私が出掛けるまで寝かせろとおほざきになって、寝室で横になりやがりました。
何故休みをもらえるはずの私が出掛けるまで平行して色々とやらなければ?
と、恐る恐る聞いたら、
とか抜かしおった。
父親は子の世話はしなくていいんですね!
お前はゴルフだなんだと私も子も置いてちょいちょい出掛けているだろうが。
早朝出掛けるから、出発前には何もできないんだよーとか言うけど、帰ってきたところで早朝出発のせいで眠くて、いつもだいたい何もしてくれないだろうが。
3年以上ぶりにやっと出掛けられるはずの私を、何故快く送り出してくれないんだ?
そもそも前日に飲みに行くのは久しぶりに会う人だから仕方ないにしても、何故一軒目で帰って来ない?
歩いて帰ってきた?
タクシー使わなきゃいいってことじゃねーだろうが。
そんなに私のお願い事の優先順位は下か。
人に金借りてる分際で40000円以上置いてきやがりましたか。
もーこの時点でぶちギレた。
泣きながら怒鳴った。
怒鳴って泣きわめいて、やっと重い腰を上げてリビングへ来た夫。
でもまたソファーに転がる。
だーかーらーさー。
自分の支度させてよ。
子達に邪魔されるのよ。
目を離すとろくなことしないのよこの人達。
改めて思い出した。
彼に子達を見てて、と頼むと本当に見ているだけ。
見てねえ!
既に出掛けようと思っていた時刻はとっくに過ぎ去っている。
なんなんだ、この人。
そんなに出掛けさせたくないのか。
何度もぶちギレ、やっと出掛けられたのが、10時前。
洗濯?干せませんでしたよ。
回すだけ回して干してもらおうかとも思ったけど、信用できなかった。
だってぶちギレて、洗濯もお前がやれ!と怒鳴った時、使い方がわからないから回すだけやってってくれない?と言われたから。
教えてくれ、ではなく、やっといてくれ。
だって。
もー本当にがっくり。
すったもんだで、やっとひとり。
とか言ってる。
子達が不憫になった。
お土産買って帰ってあげよう。
で、2時間半後。
電話が鳴る。
夫、何かにあたったんだって!
どーしろと?
行きたいところはたくさんあって、まー家には17時位に着けばいいかな、とか思ってたけど、完全に水を注された気分。
独りでぶらつく気分では無くなってしまった。
それでも、どうしても行きたいところに行ったけど、全然楽しくない。
というか、はっきり言って夫なぞこの際どうでもいい。
子達が心配になった。
もーいいや、帰ろう。
家に着いたのは16時位。
ドア開けて、ビックリ。
出迎えてくれたのはパジャマのまま、それも上着ただけ。ボトム穿いてない子。
聞いたら赤子と父は寝室で寝てるんだってさ!
お願いしたはずなのに、炊飯器には朝炊いたごはんが入れっぱなし。
水にも浸けてないからかっぴかぴ。
もーなんなんだ。
なんだこれは。
半日居ないだけでこれか。
1日休みをくれると言っていたのは何なんだ。
悲しくなった。
色々情けなくなった。
なんかせっかく出掛けて帰ってきたけど、何も楽しい気分ではない。
子達がかわいそうで泣いた。
母、ワガママでごめん。
もー2度とこんなことしないよ。
君たちがせめて二人とも幼稚園に入るまで、色々母は我慢するよ。
本当にごめん。
約束破られてお出掛けできなくてごめんね。
出掛けさせてくれてありがとうと言いたいけど、とてもじゃないけど言えるレベルじゃないよ、夫。
ひとかけらもリフレッシュできるような日ではなかった。
10月ごろから進めているはずの卒論がまったく進んでいなく、毎週教授に進捗報告しているはずなのに全然進んでいない。
どうにかしないとと思って教授の元に質問しに行こうかと思っても怖くてなかなか行けない。実際何回か辛辣な言葉をかけられて行きづらい。どのくらい進めたらもっていっていいレベルなのかがよくわからない。教授はメールなどで連絡するのが嫌いなのか、毎回教授の部屋を尋ねなければならない。ノックをするのが毎回怖い。よくわからなくて家に閉じこもってしまう。研究に対する調査とかしていると頭がぐらぐらして寝っ転がってしまうときがしばしばある。効率が悪くすすまない。
今期は単位が全部とれているはずが、前期にあと数点というところで単位を落とし、先生にメールをおくって救済処置をと思ったがだめだった。一応後期にとっておいた講義を受けるが、課題がひどく重いせいで卒論すすめる時間も少なくなってしまっている。地味に講義を英語でやられるせいで英語が苦手な自分はよくわからないうえに講義のたびに頭がいたい。一緒に受ける友達もいないので聞くこともできないしつらい。適当に講義をとった自分が馬鹿だが、これを受けないと単位が死んでしまうので毎回死んだ目をしながら受けている。課題はわからないときがあると気が狂って部屋の中で暴れることもしばしばある。
あと一ヶ月半近くで卒論は終わるのか、単位はとれるのかが心配でならない。就職先は決まっているものの卒業が伸びたらだめになっちゃうのではとか、親に迷惑をかけてしまうとか、色々考えてごちゃごちゃする。今までの大学生活は割とちゃんとできていた気がする、単位だって今まではちゃんととれていたのにつめが甘かった。なんとなく過ごしていればさらっと卒業できるものだと思っていたのが本当に馬鹿だった。
とりあえず教授にあうのが怖いが明日勇気を出してみる。冬休み前から会っていない。こんな自分をまだ指導してくれるのかが不安。だめだったら、おとなしく秋卒業か退学かを選びたい。と思っているものの実際に春卒業できなかったら鬱に殺されそう。実際単位を落とした時は死のうかと本気で考えていた。病院に行くべきだろうか。明日大学行ったら色々考えよう
1985年2月27日誕生 大阪で過ごす。当時の両親兄姉の5人だった。
迷子からの誘拐からのタイムスリップで1987年から1997年に来た(タイムスリップで横浜市内に)←これ重要
高校の学力テストのパンフレットで常に表紙に名前が載ってたのになぜか情報系の短期大学に
いつのまにやら広い部屋の家に
作家志望←now!!
兄は公立大学で鉄道研究にはまる・姉がヤンキー漫画や走り屋漫画の影響でバイク乗りに目覚めた。
私は最後まで邪険に扱われていた。
・帰省のために家族が京都に行くことがあるが、その際に両親にタイムスリップ前の実家のあった場所に連れて行かせた
・親に隠れて深夜アニメを見た
・エロ小説を書くようになり、小説かラノベの応募で母親におねだりした(テーマは学園もの)
・絶版になるまで、母親が書いたことにさせた。原稿料・印税も母親持ち
・高1の夏休みのときに友人ら3人と一緒に自転車で長距離移動し、宿泊ではネカフェで過ごした
・高2のとき、私利私欲のために自宅の自室を使って小中学生用の私塾を開いて学校で問題になった
・夏冬休みは、アルバイトか休む。アルバイトのない日は5日間かけて友人のバイクに二人乗りして地方都市を回った
このことを言いたいが為に増田に登録した程伝えたい。子供達冬休みおめでとう!
と言っても年末年始でお忙しい方々多いでしょうが、子供達にお手伝いをさせてあげてますか?あくまで上手くいった上で褒めてあげるという流れの為のお手伝いです。それで怒鳴ってしまう、子供が子供らしく大人の階段登るための遊ぶ時間を削るのはいけません。いい話を作るために子供に重い米を運ばせるわけではありません。
火を使わせると危ない!包丁も!ピーラーも!持たせられない!いう奥様方も洗濯物畳みをさせるとか、歯ブラシを持って越させるとか、とにかく出来そうなことを探すのです。とにかく褒められる機会を探しましょう。
反面教師がてらアダルトチルドレンになり自己肯定感が死んだ増田の話を書きます。
我が家は父はせっかち、母は効率厨という神経質な家庭でした。なにかをしてると父が擬音をつけたり、ガラスの容器を持ち上げるとあー!危ない!とオーバーリアクションでやる事なす事びっくりさせて怖がらせるような父なのです(小さい子供ならまだしも高校になって別居まで続きます)母の注意の言葉には被せて注意はしてくる。母の迷惑になるなが説教や励ましの最後につく言葉でした。
その母というのはとんでもなく効率厨。こだわりが多いので本人の思う形にならなくてはなりません。少し時間が狂えばイライラで物に当たりだしてました。
その為家事手伝いはとても時間に余裕のある時にやらせてもらうのです。大体は私が手伝いたいと言えば、私がやった方がはやいとか、これはこうやらなきゃいけないとか。父親も何かしようとすれば怒られる。
なので手伝っている、親を助けているというより、迷惑なのにやらせてもらっているという感覚でした。迷惑にならないようにしなきゃって小学校から思ってたんですよ。
私がいない方が物事がはやく片付く、私がいない方がみんな幸せなんだろうなみたいに思ってました。同じような子を作らないであげてくださいね。
クリスマスなんかも楽しそうにしなきゃいけない失敗しちゃいけないでキリキリしてました。二十歳過ぎてもそんな気持ちです。それではよい冬休みを。
私は高校生、企業への内定を貰い無事に就職活動を終えた高校生だ。
今日は終業式だった。
2学期の成績と出席状況が出る日だ。
放課後、内定者の中で少しでも成績が下がった者、一回でも遅刻欠席をした者が就職担当の教師に呼び出されて怒られた。
呼び出されたのは10数名もいた。
私は運動などは苦手だがいわゆる5教科の成績は10段階評価で10か9だった。80点前後から90点後半。
2学期は中間テストでつまずいた教科もあったが、期末テストは挽回しようと「いい点数」を取った。80点前後から90点後半。
だが点数は100点でストップなのだから一回つまずいた時点で成績は落ちるのだ。
今回呼び出されるのは「少しでも成績が落ちた者」。
その頑張りは評価されない。
元々成績が悪いなら頑張って取った点数が私にとっての悪い点数でも成績が上がって怒られないのに。
その人はそれで褒められて、最初から成績が良かった者は少し落ちたら怒られるのだ。
何のために頑張ったのだろう。
確かに、例えば数学であれば思考力を鍛えるだとかの目的はあると思う。
でも学生にとっての一番の目的は進路を決めるため、再試にならないため、教師に呼び出されて怒られないようにするためだ。
前提が違うのに「成績が落ちた」と一括りにして10数名の前で名指しで怒る。
周りは他のクラスもいるので私の成績など知りもしなく、ただ「成績が落ちた」ということだけを知るのみ。
今回のことだけではなく、大勢の前で名指しで怒る行為がどんなに無意味で尚且つ怒られた人の心に傷をつけるのか。
だが、その教科の教師は授業中に課題を出すだけで授業をしない。
その授業を受ける価値はないと思った私は他の人の妨害はしない程度に態度が悪くなった。
するとどうだろう、20点代でも7を取った人がいる中私は5。
いい点数だけ言うのも格好悪いので恥を忍んで言うと私は55点だった。
確かに授業態度の問題もあるだろうが、まず他の教科は成績を決めるときほとんどテストを見るのに何でこの教科だけ?
授業態度が大事なのはわかるが、この教科だけ特別授業態度が大事なのか。
そんなはずはないだろう。
そんな私怨のような成績で呼び出された内定者10数名の中でボロクソに言われたのだ。
確かに点数を落としたのだから成績が下がるのは当たり前、でもしっかりと成績をつける教師だったのなら、ここまでズタズタに言われることはなかっただろう。
それはそうだと思う。
でも、その理不尽に対してどう対処したらいいかを教えるのが「教育」であってただ理不尽を与えるだけではその教師がいう理不尽と何ら変わらないと私は思う。
それから出欠状況のこと。
私は欠席はしてないし。遅刻が増えたのは私の甘えなので私に関してはそこは言われたことはその通りだと思う。
ただ、終業式で言われた「信頼される」ということを引き合いに出すのなら欠席を怒るのはどうなのか。
確かに健康体が一番。
でも体調を崩したなら素直に休めばいいと私は思う。
体調が悪いのに無理に学校に来て咳や鼻水で周りの人の邪魔をするか、大人しく欠席して早く治すか。
どちらが信頼されるのだろう。
確かに就職してお給料を貰う立場であれば絶対に休めない日もあると思う。
それは「臨機応変」というやつではないのか?
周りにうつさないために、自分も早く治すために欠席という判断をした、それだけなのに何故怒られるのか? 大勢の前で恥をかいてまで。
私は冬休みの間に「決意文」を書く。書かされる。書かねばならない。
理不尽な怒られ方をしても。
何故ならば就職担当の教師が「内定した会社に言う」と言うからだ。
脅しかもしれない。それでも書く。
何故ならば書かなければまた怒られるから。
こうこんな理不尽に言い返せない空気でボロボロに言われるのは沢山だ。
遅刻は本当に私の気が緩んだ結果なのでそれは反省するが、それ以外は書くことが浮かばない。
成績が落ちたこと自体は私が悪いと思うけれども反省するような点数ではないし、そもそも反省したから期末で挽回しようとしたのに。
拙い文章に加えて、書ききれないことも山ほどある。
もしこれを読む貴方が教育者または何かしら人に何か教える立場であるのなら。
「大勢の前でボロボロに言わないこと、それは傷にしかならない。何も生まない」ということはわかってほしい。
そして怒るのなら。「一方的に言うのではなく相手の言い分も聞くこと」を頭に置いてほしい。
最後に。
今回「怒る」という言葉を使ったのはこれが何も生まない行為だと思うから。
成長させるために相手の欠点やミスを注意することだったら私は「叱る」という言葉を使う。
就職して、私の上司になる人にはちゃんと「叱って」ほしいし、今まで怒っていた人は相手に押し付けるばかりでなくちゃんと歩み寄って叱れるようになってほしい