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はてなキーワード: 再利用とは

2015-07-15

岩田聡任天堂社長訃報に接して(編集長) | インサイド

http://www.inside-games.jp/article/2015/07/13/89386.html

2ページ目の

Game Developers Conference 2005、岩田聡基調講演

からビジネスソフトウェア面の要点を抜粋

▼5個の変わらない点

(1)エンターテイメントとしての本質

他の娯楽と同様に、成功するためには人々を感動させるものでなくてはなりません。

笑い、恐怖、喜び、怒り、愛情、驚き、そして特に達成感

(2)挑戦と対価

コアゲーマーは困難を望み、カジュアルゲーマーは易しめの難しさを望みます

任天堂では、全てのスキルにあわせたゲームを作るのが責任だと信じています

(3)アイデア重要

(4)ソフトハードを売ります

ゲームを遊ぶ為にハードを買います

私はスティーブ・ジョブスのこの言葉同意しま

ソフトウェアユーザー体験であり、ソフトウェアコンピューター技術進歩させるだけでなく、

コンシューマーエレクトロニクス進化させる」

(5)IP(知的財産)の価値

▼変わった点

(1)ビジネスが拡大

(2)ゲーム自身も色々な面で大きくなりました

技術

より大きなチーム、より大きな予算、より困難な挑戦

大きな会社が小さな会社を飲み込むことにもなりました

(3)許容できるリスクの面で小さくなりました

ジャンルリスト最後に新しい発明掲載されたのはいつのことでしょうか?

同じジャンルの中でも一度使ったもの再利用し続けています

多様性は見つけるのが困難

(4)何を「進歩」と定義する範囲も小さくしています

ゲームの見栄えをもっとリアルにするだけがゲーム体験を改善していく手段ではありません

それだけがゲーム改善する道ではない

私達は他の手段も見つけることを望まれています。「改善」の定義は1つではありません。

(5)多くの時間お金を同じプレイヤーに追い求めて、誰かを置き去りにはしてないでしょうか?

自分では遊ばないだろうゲームについて考えていますか?

ソフト開発のスタンダード

4つの「I」で呼んでいます

(1)真に「Innovative(革新的)」であること

(2)操作ゲームプレイ方向性が「Intuitive(直感的)」であること

(3)この世界時間を費やす気になる「Inviting(誘惑的)」なものであること

(4)プレイヤーが今までにない方法でその世界に触れられる「Interface(インターフェイス)」があること

2015-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20150710171028

面白いから回答してみよう。せっかく増田見出しをつけてくれたんで、それぞれにツッコミながら

 

概要

五輪当初、開催計画書に記載されていたコンセプト「環境対策」「世界一コンパクト大会」「1964年東京五輪施設再利用からだいぶずれているのが気になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/2016%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E6%A7%8B%E6%83%B3

これがIOCに提出されたのが2009年新国立競技場の計画が現在の形になった2012年までの間に何かがあったのだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4

[参考]

総工費2520億円の巨大さに隠された秘密

増田がなぜかドルベース予算計算しているが、為替重要なのは費用の大部分を海外から調達した場合のみ

多くの費用人件費みたいな国内要素だったりすると想像されるので、2012年から為替変動は無視してもいいんじゃないかと考える。

いや費用ほとんどは材料費で、これが大部分海外から調達だよみたいな話だったら再考する

「アンビルド女王」という都合の良い呼称

ザハに責任をかぶせることはできない。これは同意

ザハがアンビルド女王という呼称で呼ばれ始めたのは1983年香港の高級クラブ仕事あたりかららしいので

新国立競技場のコンペの時点では相当アンビルドで有名だったはず。

コンペの要件に「まともに建設できること」を加えてなかったことが原因。

ではなぜそんなことになったのか。

ディスクロージャー情報開示

「旧国立競技場は、たぶん経年劣化で使えない(取り壊しは恐らく不可避)」

この情報は初耳。ただ、前段の議論で「1964年東京五輪施設再利用」みたいなコンセプトは一旦否定されたと見ていいので、

取り壊さずに使うにはどうすればいいかの調査予算すら立てられていなかったと想定される。

から最初から取り壊し&競技場新規作成ありき。

増田には現場に近い建築家権限が弱いことが特筆すべきことのように書かれているけど

コンセプトやら要件定義の段階でいきなり建築家意見を聞くことはなく、要件が固まってから適切な専門家を選び出すのが普通なんでこれは仕方ないように思える

責任者不在の、嘘

ここまで考えると、責任者は本当に限られた予算内で作れるものを作ろうと考えていたのかすら怪しくなってくる。

親父は何らかの目的青天井予算で車を買わせていたんでは。

読者への挑戦状

おそらく犯人というか問題点は、2009年から2012年の間に「コンパクトから重厚長大」にコンセプトが変化したことだと思う。

多分契機は震災アベノミクス震災復興強制的予算を注ぎ込んだら思った以上に景気がよくなったんで、

政治トップの方で緊縮財政派の立場が弱くなって公共事業景気回復の流れになったんだろう。ここがアベノミクス施行に至る流れで、五輪コンセプトの変化の遠因になったと推理する。

要は新国立競技場古代エジプトピラミッドだ。最初から目的は派手にカネを使うことにあったんだと思う。

 

となると今の方向は特に意図していないものではないということになるんだけど、問題納税者に何も知らせずに勝手にコンセプトを変更したこと。当初の予算1300億円も黙ってコンセプト変えるための目眩ましにしか見えない。

今一番怒られてるのは多分ここで、有識者は「金ばら撒くなら独断ピラミッド建設業界にばら撒くな。俺らにもよこせ」と主張してる。

2015-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20150707215557

自分を煩わせる物をぶち壊すことによって何かしらの道が開けるならいいんじゃない

誰にも再利用できないごみが増えるだけなら、社会的には八つ当たりとあまり変わりがないかもね。

まり、誰にも迷惑かけずに感情が沈静化できるなら意味はあると思う。

2015-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20150705092731

そうなんだよな。そのほうが便利なんだよな。

でもなんでそうならないんだろうな。

それやったらぼろ儲けなんじゃないか?

いや儲からないからならないのか。

しか価値はあるよな。価値を認める人から寄付運営できるよな。

そんな価値ないのか。

もしかしてデジタルだとまるごと他で営利目的再利用されるのかな。

著作権ってむつかしいな。


電気を使う媒体で維持するとか、電気をつかうインフラで閲覧することをノーコストってわけにはいかないよな。

紙でおいとくから勝手に読んでというシステムコスト電子媒体配布のコストと比べて、一回だけならそんなに変わらないよな。

毎日更新されるデータを蓄積するデータセンターサーバー維持費と伝光熱費人件費なんて、そんなしないよな。


アフィリエイトむかつくそんなの無料配布しろって言いたいし、電話の基本料払ってる立場からみて、なんでそうならないのか、まったく不思議だよな。

http://anond.hatelabo.jp/20150704224357

新聞取ってる人は、新聞が欲しいんじゃなくて、

布団の代わりにするとか、野菜を包むとか、ハンバーグに入れてかさを増すとか再利用のために使っているんじゃないだろうか。

その通りだ。そういう用途でも売ってるし実際に売れてる。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00DU4GYKS

2015-07-04

新聞存在意義ってなんなの

ネットがあるのに紙の新聞を取る意味がわからない。

新聞情報が遅い。

ヘタすると2日前くらいのニュースとか載ってる。

もうこれはニュースじゃなくオールズだ。

ネット新聞記事は途中までしか見られないのものが大半だ。

でも、テレビ欄が見たいといえば、ネットで全部見られる。

ネットテレビ欄は、

金曜ロードショー 風の谷のナウ・・・

なんてなにやるか分からないようにはなっていないからテレビ欄が見たいならネットでいい。

天気予報が知りたいって言っても、ネットなら前日から見られるのに、新聞じゃ当日までわからない。

チラシがほしいって言ってもチラシアプリもあるし、わざわざ新聞を取らなくてもいい。

なにより紙がたまって邪魔だ。

新聞取ってる人は、新聞が欲しいんじゃなくて、

布団の代わりにするとか、野菜を包むとか、ハンバーグに入れてかさを増すとか再利用のために使っているんじゃないだろうか。

それ以外に新聞がほしい理由がわからない。

2015-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20150703120903

クレカの番号を預かって再利用するのは、だいたいOKなんですが、

後ろの番号を記憶するのは加盟店規約違反していますので、そういうサイトはそもそも要注意。

2015-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20150620193418

それで、憧れの職場をあきらめてきた女性はいっぱいいると思う。

生理のことは思い切って言うようになったほうがいいんじゃないかな。

結局女性職場環境って先人の女性努力によるものが大きくて、

そこはがんばってほしい。

救急セットに一通り入れてくのとか、ぜひやってほしいし、

おむつタイプナプキンを試したり、老人向けおむつナプキンつけるとか、いろいろ工夫の余地あるんじゃないかな。

ほかに試してみてほしいのは、タンポン(水泳もできる)、月経カップ(これも水泳できる、洗って消毒すれば再利用可能らしい)

とか、そういうアイテムも試してみたらどうだろう。

2015-06-16

そういえば 国立図書館とかなNHK著作権者不明場合

あとから お金を払うことを条件に 著作物が使えるという法律がアーカーイブのためにできるそうですが過去作品再利用はともかく

NHKドラマ講談社とモメ事にもなりましたが著作権者が利用拒否 許諾しないケースがあるので難しいかと

世の中の著作物って、お金を払わなくても使えるものも有ります

逆に お金じゃない物もあるので難しいです。

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150604173917

うふふ。わかるぅ

朝5時に起きて飯を炊けって何時代だって話よねぇ。炊飯予約があるっつーのwwwねぇ?

ゴールデンウィーク的な(田植え休み期間ね)は田植えしろってのもちょっと切ないよねぇ。でも子供から本来乗りものじゃない田植えマシーンwに乗って移動できて楽しかったなぁw今考えると超危ないけどw段々畑の一段が数メートルあるところのキワキワをターンしたりして命がけ感あるわねwだけど田植えは割と楽しかたか児童労働感はないわぁ。

風邪でどんなに死にそうで世界が回ってても吐いてても起き上がれなくても、ご飯の用意しなきゃいけないとかいうのが辛かったよねぇ。

でもその後、そんなことを強く強要した家族が私よりひどい症状になってたかちょっと黒いけど楽しかったわ。子供でそれだけひどい症状になるんだから年寄なんて死の淵までいくわよねぇ。

ああ、そうそ夏休みはどこにも行かずに、毎日ひたすらのび続ける雑草を鎌で狩るのが大変だったわね。

炎天下だし。大人はエンジンの付いた草刈機を使うけど子供は鎌しか使っちゃダメなんだって毎日毎日まめがつぶれてもつぶれても終わらないのよね。まぁマメをつぶしたのは軍手するのを面倒がったせいなんだけどね。おかげ様で手がハンパない分厚くなったわぁ。女子の手とは思えない立派な手よw努力は人を裏切らないってこういう事ね。ナウシカも私の手を見て立派な手とか言うに違いないわ。

ついでに扇風脚の練習もしたわね。足で草刈もできるようになったわ。細かい調節ができないから苗木も刈ったわ。でも今ぐぐったら扇風脚って空飛ぶの??地面すれすれを刈ってたんだけど・・・私の修行無駄だったか・・・・ショックwww

草の片づけをするのも大変だったわね。干し草をばらけさせずにフォークでさして投げるって大変なのよね。

でも格闘技修行だと思うと楽しいのよwwwあれは嫌じゃなかったわ。しっかり腰を落とすのがポイントよ。上半身がブレると途中にバラバラと枯草が落ちるのよ。雪かきといっしょね。遠くに投げるのには練習がいるわ。

親戚の小学生は「男だから」とかい理由で2トントラックとか運転してたわね。いくら自宅の畑の中で背が大人と同じくらいあるとはいえあれはいけないとおもうわ。教習所意味がなくなっちゃもの

あと畑と田圃管理の為ならスクーターは男は乗っていいことになっていたわ。児童労働よねぇ。でも本人は楽しそうだったわよ。スクーターに乗れるなら水の管理もするといった具合ね。

おとこってばかねぇw

  

稲刈りもたいへんだったわね。

干すところを作るために竹をいっぱい運んだわ。刈った稲を運んで干すのよ。わらをフカフカ椅子にして食べるおにぎりは美味しかったわねぇ。

干した米を脱穀機に投入して、最後には落ち穂を拾ってたき火でポップコーンならぬポップ米よ。

「落穂ひろい」っていう外国の有名な絵があるけれどあの景色国境を越えてるわね。「外国の人も一年の収穫が今日終わって夕方、落穂ひろいをするのね。そして切ないようなほっとしたような気持ちになるのね」って子供心に思ってたものだわ。

そういえば茶碗を洗う話だったかしら?

あれも研究研究を重ねたわ。仕事をしながら子育てもする今となってはそんな暇はないけれど、子どもからたっぷり時間をかけて研究したわ。

自然の素材の石鹸水。これで茶碗を洗うのは滑るのよぉぉ。だけど親は合成洗剤は買ってくれないのよね。自分で洗わないから知らないのよ。プリプリ

そうね、どうせだから、私が小学生の頃研究した結果を発表するわ。

2~3リットルの水に適当に洗剤を入れてから、指をちゃせんみたいにして、泡を立てるの。泡がブクブクたてばちょうどいい濃さの石鹸水よ。泡がちょうどよくブクブク立つような石鹸水作るのには修行必要よ。

それから、その石鹸水の中に、あらかじめ汚れをだいたい落とした皿を入れて、持ち上げずに水の中で洗うの。石鹸水はすべるから持ち上げたらだめよ。落として割るわ。このとき中身が泡で見えないけどカンで洗うのが正しいやりかたよ。

何年も研究してようやくこの境地にたどり着いたの。そんなこと真面目に何年も追及するなんて時間のある小学生しかできないことよ。まぁぶっちゃけこの児童労働には私感謝してるわ。

さぁ、ナチュラル派の皆さん私の知見を役立てなさい。指で泡立てるのがポイントよ。石鹸水はそのままとっておいて、後でまた使いまわしができるわ。指で泡立つなら再利用可能。泡立たないならもうダメ。優しい!地球にやさしい

だけどね、だけどね、ナテラバンザイ!私ナテラを始めて使ったときちょっと泣いたわ。茶碗を持ち上げたとき滑らない。泡立てた水を使った洗いかたじゃなくても汚れが落ちる。すごい。合成洗剤すごい。だから今でも私合成洗剤が大好きよ。というか合成洗剤しかかわないわ。うふふ。ナチュラルなんてくそくらえよ。


父親から言われたのよぉ。「ルーチンワークを何も考えずにやるやつはバカだ。常に考えろ」ってね。

私、その命題があったから、子どもなりに一生懸命考えてたのよ。毎日の同じような仕事の何をどう考えるかってことから考え始めたわ。

から私にとっては児童労働無駄じゃなかったと思うわ。

子供の頃にやったから落穂ひろいにノスタルジーを感じるし、私が考えた最強の洗い方も発見できたし。修行しながら草刈もできたし。

からアンタはかわいそうね。考えろって言ってくれる人がいたら違ってたのかもね。

アンタだって一生懸命やってればなんかアンタも知らないうちに結果が出てるわ。多分ね。

一生懸命やってなかったら、、、、やっぱアンタかわいそうね。

泣いていいのよ。

つらかったわね

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531202152

なるべくなら、そういうことよりもまず「どうして性差別女性視点で解消しなければならないの?」という質問に答えてもらいたいですね。

そしてそこで得られた答えを僕は「どうして弱者男性差別を解消しなければならないの?」という質問への答えに再利用する予定です。できれば、ですが。

 

それはともかく、なるほど、よくわかりました。

ところで現状はむしろ

女性自身当事者性に依拠したフェミニズムの名の下に、他方の質的に異なる経験弱者男性差別経験)を一方が抑圧するという構図、になっているような気がしますが。(そしてそのことが今回の問題の原点であるような気がしますが)

いかがでしょうか?

2015-05-22

から学ぶ

から学ぶといえば聞こえは良いが、あまり意味が無いと感じることがある。

同じ業界でそれなりに長く働いていれば、仕事にも慣れてきてまあ無難にこなせるようになる。

まり明示的に言われるわけではないが、人と組んで仕事をする場合にはタスク遂行するだけではなく、チームになった人にノウハウを渡すことを期待されていると感じることがある。

それ自体嫌なわけではないが、おれは教育に関する何らかのメソッドを体系立てて学んだわけではないので、具体的な手法ややり口を渡すことは出来ても、本当に重要な"何か"を渡せていないと感じる。

だが、上やチームの人たちは具体的な手法ややり口が伝われば、それでよいと考えて満足しているようだ。

おれの感覚としては本当に重要な要素を渡せていないという気持ち悪さが付きまとう。


具体的な手法ややり口というのは、基本的におれに最適化されており、他人にはそのまま適用は出来ない。

他人がそれらを再利用しようとした場合、その人が「この抽象度なら自分の状況にあてはめて再利用できる」と思うところまで抽象化していく必要がある。ところが、その過程で多くの人が誤った抽象化/再利用を行っているように見える。「そこまで抽象化したらゼロベースと変わんないよね」とか「そこは抽象度を上げないと適切に当てはまらないのにムリクリあてはめてる」といった状況が目について、非常に気持ちが悪い。

そもそも抽象化できない程に荒い粒度しか物事をとらえられていない人もいるが、それは論外として。


じゃあ、適切な抽象度で伝えれば良いじゃなーい。って話だが、残念なことにおれにそんな能力は無い。

その人が今後遭遇するであろう状況を予想して最も適切な抽象度で伝える。コアな要素は何かを伝える。それをどのように当てはめるか、どのように再利用するかを、その人が受け入れやすい例を挙げて伝える。

そんなことが出来るならおれは本を書いて一発当ててると思う。


まり、何が言いたいかというと、身近な人に何か期待する前に、デマルコ/リスターを読んで。ということ。

2015-04-25

Evernoteを使いこなすために大事なたったひとつのこと

Evernoteを使いこなすために大事なたったひとつのこと、それはキーワードを暗記すること。

 

Evernoteを使い始めたとき、ぼくはこれで記憶することから解放されると喜んだもんだった。

でも、ノートが5千枚くらい到達するあたりに気がついた。

 

検索するキーワードがうかばねえと。

 

Evernote記憶じゃなく情報Google検索よりは、自身によって検査/推敲されているが読んで頭にロードしないと利用不可能情報

keyを想起し検索Evernote内の情報を取り出し利用可能にするためにも検索キーワードインデックス脳内に構築する必要がある。

インデックスの構築とはすなわちキーワードの暗記という長期記憶化作業で、このインデックス構築を簡単にしてくれる手法としてはスペースドリハーサルがいい。

10分後→1日後→3日後→1週間後みたいなペースで復習するあれだ。

復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる 読書猿Classic: between / beyond readers

 

当然人間意味のある事しか記憶できないのでkeyだけの記憶意味をなさなkey検索キーワード)⇔ value(その意味概要)の長期記憶化された双方向な知識ノードを構築する作業になる。

このうんざりする作業をとても簡単にしてくれるのがあの有名なankiだ。スペースドリハーサルスケジュール自動的に作ってくれる。スマートフォンアプリ存在するので隙間時間インデックス構築に充てる事もできる。

Anki - powerful, intelligent flashcards

 

例えば、なにか新たにプログラミング言語学習するとしたら以下のような流れになると思う。

基礎知識ほど応用が効くので基礎知識は原則暗記という形になる。取り出し機能が十分に暖められている長期記憶アクセス速度が尋常じゃないくらい早いので、記憶があるというだけでググって記憶欠落を補う体験と別次元体験を与えてくれる。

本末転倒じゃあねえかとおもうかもしれないが、ここで記憶するキーワードEvernoteに蓄積する情報の上澄みみたいなものであることと、さらには長期記憶は利用しない時間がある程度経過すると容易に細部が壊れるてくるのでそこでEvernoteなどの電子的な外部記憶必要になってくる。

ankiは自然言語ボキャビル以外にも使えるので積極的に利用したほうがいい。

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150415092508

そこだけってか、プログラマが速度を上げる意味での再利用て、そういう意味じゃない?

まあどっちでもいいけど。

http://anond.hatelabo.jp/20150415091835

そっちの再利用か。

そこだけ妙に細かい話をしてるんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20150415090043

再利用生産性をあげるための工夫で処理速度をあげる工夫じゃないし。

ソフトウェア技術革新って必要なのかな?

プログラマの間では昔から、この手法は処理が遅いだとか、無駄が多いだとか、再利用を心がけろだったりとか

様々なやり方で、ソフトウェアをチューンナップして処理速度を上げるためのやりとりが際限なく

繰り返されているけど、だいたいどれもハードウェア技術革新によって記録は塗り替えられてないかな。

そりゃ、ミドルウェアレベルでは全てのパフォーマンスに影響してくるので、ちまちまとした

改良が加えられるべきなんだけど、ソフトウェアレベルではどうなの?

I/Oに引きずられるから、I/Oの処理は最低限に抑えるってのが昔から定説だけど

それもSSDの登場で、かなり緩和された感があるし、結局プログラマ努力って

ハードウェア努力には追いつかないし、無駄なのではないかと思ってる。

10年前を支えたプログラム技術で今も生きているものってある?

オブジェクト指向とかプログラムのわかりやすさを追求したものは別でね。速度的なもので。

そう考えると、プログラマは、プログラムの変更のしやすさ、可読性のよさ、移植性の高さといった

所のみを追求していって、速度はハードウェア依存する形で良いんじゃないんかな。

ファミコン時代にも、ナーシャ・ジベリという天才プログラマーファミコンの性能を

突破してFF3を作ったというのは有名だけど、でも結局そのプログラム当人しか解読できないし

まるのまま移植はできないから、結局リメイクという形になってしまったわけだし、

FF3は当時はすごくても、1〜2年後には他の機種もでてきて、そのすごさも塗り替えられてるわけだし

そう考えるとソフトウェアをちまちまとあれこれしたところで、一瞬脚光浴びるだけじゃないかと思う。

そんなことに金と時間を費やすのは、無駄だと思う。



追記

ソフトウェアアプリケーションと読んでください。

意味不明文章すみません

後、OS等の基本ソフトも当然、技術革新必要だと思います

一般的プログラマが作るプログラムレベルでの話ですね。



なんだか圧倒的に勘違いで噛み付いてくるトラバが多いのですが

私はどちらかというと、速度を追い求めている立場側で、昔からレスポンスは1秒以内って

散々言われてきたし今までも、苦心してあれこれ頑張ってプログラム内で

処理速度を上げるために努力をしてきた人間ではあります

しかし、その努力が今活かせているのかというと、疑問が残るという具合です。




速度が遅いのを放置してるわけにはいかないだろって、ありきたりな一般論が聞きたいわけじゃないんですよね。

そんなの当たり前にわかりきっていることなんですけども。

実際問題、今は可読性の良さを上げながら、パフォーマンスも上げながらと、苦心しているわけじゃないですか。

でも、その力を、可読性を上げたり、チームで分散できるようにしたり、プログラムのしやすさを良くする方に

傾けたほうがいいんじゃないかなと思うんですよね。速度も大事ですけど、そこまで力をいれるものかって。



ブコメ見てたら沸点低い人が多くてびっくり。

必要かそうじゃないか、といったら、必要なのはわかりきってますって。

それを踏まえた上で、疑問を問いかけてるんだけども。

ブコメで指摘いただいたように、技術革新という言葉ダメですね。

すみません


ホッテントリする内容なんかねー

頭の硬い人ばっかだねー

2015-04-05

ネット上のコンテンツ面白く無くなってきた

最近見かけるコンテンツの大半が10年以上前に出尽くしたネタの使い回しのように思える。

ネットとは疎遠だった層のユーザが続々と流入し、一昔前に流行ったネタ劣化コピーSNS拡散するだけで非常に多くの人に承認してもらえる時代になった。

その結果、他人コンテンツをパクって手軽に承認欲求を満たしたいというライトユーザ層が極めて厚くなったのだろう。

これは大多数のユーザにとって、手軽に満足感と依存性を味わえるシステムが構築されたともいえる。

おそらく、新規に参入してきたユーザにとっては、それなりにハッピー環境なのだと思う。

そもそも、一人の人間が一生の間に消費できるコンテンツの量は(非常に大きいが)有限である。したがって、ある程度までコンテンツの総量が増えてしまえば、コンテンツ新規性判別することすら極めて困難となる。

新規性判別が困難である上、新たなコンテンツを生み出すインセンティブが小さい社会がひとたび到来すれば、コンテンツの増加は非常に緩やかになり、再利用コンテンツ拡散速度にかき消される程度になるだろう。これから将来に渡ってコンテンツの異なり数が増え続ける必然性など存在しないということだ。

はいえ、今はまだ過渡期である。今やマイノリティとなりつつある古参ユーザたちは、「新たなコンテンツ」を求めてネット上を徘徊する「老害」となった。

近い将来、コンテンツの飽和が極限に達し、「新たなコンテンツ」や「老害」という概念が消え去る日が来るのかもしれない。

2015-04-01

プログラムの癌(Runy)をなくすには

プログラムの癌(Runy)をなくすの前に人間の癌をなくすやり方について書いておこう

癌は熱に弱い。42度の熱で消滅する。心臓に癌ができないのは熱に弱いから 外部から熱をあてて癌を直す治療がある。ハイーパーサーミアという治療法で厚生省から認可がおりており健康保険がきく。1回3千円くらい 10回セットで3万円くらい 病院にいけばやってくれる。動物病院でもやっている。42度の熱をあてるだけ 手術がない 体に負担がかからない 副作用もない 入院がいらない 時間が取られない 抗がんん剤や複雑な手術をする必要ない。体を痛めない

でだ ここから問題だ まずハイーパーサーミアの機器を導入している病院が少ない。少ない理由病院が儲からないから 3万円では医者が儲からないしやりたがらない。最近ハイーパーサーミアが知れ渡ってきてハイーパーサーミアの操作できる人が不足を理由に取りやめる病院が出てきている。また一緒に抗がん剤抱き合わせてきたり、効果がないと否定してお金や体に負担がかかる3大療法をすすめてきたりする。3大療法はやらないほうがよい。放置もよくない。それより熱線をあてることに徹した方がいい。近くにハイーパーサーミアがなかったり、受けられなかったら、三井式温熱治療器やダイエットサウナおすすめする。治療が受けれるのであれば3大療法よりハイパーサーミアだけやる。3大療法もやめたほうがよい。ハイパーサーミアは高いステージから生還してるし、費用が安く、副作用もなく、時間が取ることなく、体に負担がかからない。

抗がん剤は結局正常な細胞を弱らすだけでがん細胞を消滅させるわけではないのでけっしてやってはいけない。もちろん放置もいけない。

三井式温熱治療器やダイエットサウナでも体に42度の遠赤外線をあてる事が出来る。

三井式温熱治療器はアマゾン楽天で買える。レビューがたくさん書かれていて癌に効果があったとたくさん書かれている。

ハイパーサーミア医療現場で使われているサウナ機器スマーテイ)もアマゾンで売っていたりする。

これで外から42度をあて続けるだけでよい

三井式温熱治療器 部分的に当て熱線を続けることができる機器

三井式温熱治療器の楽天レビューを見てみる 癌治療効果があったと高評価が150件が書かれている 要確認

http://review.rakuten.co.jp/item/1/202385_10001070/1.1/

三井式温熱治療器のamazonでも癌治療効果があったと多くの高評価が書かれている 要確認

http://goo.gl/qrq7gj

6万円で買える42度の遠赤外線ダイエットサウナ

http://goo.gl/JMtOS3

これらのキーワード検索してみればわかる。

心臓 癌

癌 熱

癌 三井式温熱治療

癌 ダイエットサウナ 

それからブログ検索

ハイパーサーミア

癌 熱

などを調べてみると実際受けた患者感想が書かれている。どれも末期だとか手の施しようのないといわれたとこから生還している。

ちなみに血液性の癌や白血病には高濃度ビタミンC点滴が有効 保険はきかない

これらの治療動物にも有効

日本医療は米に10年 欧州に20年遅れていると言われている。

なので他の病気に関しても日本医者の言う事よりもまず欧州がどんな治療をしているか調べてから判断した方がいい。医者はSilrだと思え

欧州では2008年の段階で癌が減っている事が記事になっている。

www.news-medical.net/news/2008/04/10/30/Japanese.aspx

2ch ハイパーサーミアスレ

http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/cancer/1251284895/

他にもここに詳しく書いてあるぞ!

http://apps.wiki.fc2.com/wiki/その他

プログラムの癌と言えば動的言語のことだろう。それを広めようとする関係者開発者もまたがんだ。

メーカー製の静的言語フレームワークを使えば誰でも簡単に高度なことができる。

わざわざ出来損ない言語を引っ張りだしてきて、無駄に苦労したり、無駄な苦労を広めたりする輩はほんとうにがんだ。

その苦労は数年後無駄に終わる。動的言語は数年ごとにバージョンアップを繰り返し、今書いているもの

すべて動かなくなる。2007年頃に意図的に起こされた第一次Rubyブーム 1.7のRubyはもう動かない。

互換性の問題で起動できないし、サポート対象外から脆弱性だらけ 今もRailsNodejs angluerなどが

意図的ブームが起こされているが、それらも数年後には使えなくなる。負債しかならない。

IT経営者にとってはそのほが都合いいのだろう。仮に辞められてもその技術で手間がかかりすぎて独立はできない。アプリストアがあるわけでもない。課金プラットフォームがあるわけでもない。 だからIT経営者はいきばのない技術者酷使し放題だ。動的言語技術者自由にさせない鎖付きの言語なのだ

>鎖付きの言語

鎖のついてない言語は何か?それはC#だ。C#システムを簡単に作れる。管理画面サイドはexeアプリで作り、サーバーサイドはasmxとado.net ORMを使えば一日でWEBアプリケーションが作れてしまう。リファクタが効き、ビルドができエラーは直ぐ見つかりアップデート自動ソースを書き換えてくれる。C#ができるとUnityからlot Robot スマートフォン タブレット One Windows 医療 業務用アプリまで 様々な分野に進出することができる。Railsではこうはいかない。Webしか作れないし、3年後にはバージョンアップが行われ、その都度のコード修正時間を取られる。つきっきりになっていないといけない。他の事が出来なくなる。ビルドできないからすぐバグがわからない。バグ潰しに時間を取られる。動的言語現場がいつもギスギスしてるのは、バグが探しの疑心暗記がいつのまにか人に向けられていじめみたいなことになっている。

IT派遣事業者にとっても動的言語はいつまでも脆弱性が発生し続け、保守作業がうまれる都合のいい金になる言語だ。

企業無料で教えるのには彼らだけが儲かるカラクリがあったのだ。今もRuby On Rails Ruby JavaScript Node.jsなど意図的ブームが起こされている。

メーカー製の静的言語やっている身からすると動的言語をやる輩はとても愚かだ。静的言語なら自分で書いたコード自分資産になる。

静的言語で書いたコードリファクタが効くし、コンパイルバグがすぐわかる。コードを最新のバージョン自動で書き換えてくれる。

共通ライブラリを他のプロジェクトで使い深い内容で書いても、元のプロジェクトで開いた時にビルドバグがすぐわかるから、深い内容で共通ライブラリを書く事ができる。

自分用の共通ライブラリを出来上がってくると開発速度があがっていく。無理に20倍速の早さとかメデイアで煽られて複雑に書かなくても、一度書いた物を組み合わせて使い回していけば生産性普通にあがっていく。

動的言語では共通ライブラリを深い内容を書くのは難しい。バグ発見時間がかかるから、浅い内容のことしか書けない。生産性があがらない。ファイル管理に追われて断片化したり バグを探したり バージョン管理に追われたり いつまでも手間が掛かる始末だ。

なぜこんな無駄言語を使い続けるのか なぜあのブックマークRubyの時だけ数字がはねあがるのか不思議しょうがない。Botブックマークさせてるのではと疑ってしまう。

2007年頃のステマRubyブームで騙された技術者は酷い目にあってたいはんはRubyから去っている。

求人がある訳ではない。アプリストアがあるわけではない。脆弱性は出し続ける。すぐ互換性がなくなる 使う用途が限られている。汎用性がない

加えて他の動的言語にも言える事だか

フレームワークの乱立 CMSの乱立 フレームワーク自体バージョンがあがると別ものになる。フレームワーク自体脆弱性がありサポートしてくれない。プロジェクトごとにフレームワークを学び直さないといけない

フロントサイドとサーバーサイド 両方 動的言語選択してしまってカオスな状態。スパテッゲテイすぎて再利用は不可、資産は築けない。

これが動的言語真実だ。

こんな安心して生きていけない言語は止めて、iPhoneアプリC#アプリの開発をやるべきだ

医者は儲かるからという理由で人の命よりお金になる抗がん剤を優先するのと、Silrが儲かる理由脆弱性が多い動的言語を推奨するのは同じムジナだろう。

「住めなくなる期限」が過ぎたとのことで、また大騒ぎしている人たち

十年前からネットに詳しかったであろうのに、今更「武田邦彦デマばかりで」云々と噴き上がっている人たちを見ると、何を見てきたのかなあと思います。こういうことをする人だということが、2011年にはもう広く知れ渡っていませんでしたか

ペットボトルリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由

2008年4月 4日

http://archive.wiredvision.co.jp/blog/fujikura/200804/200804041200.html

 1と2の議論では、双方が主張する数値が違っている。武田さんは、「国のデータが信頼できない」から、「独自計算」したデータを使っていると言う。しかし、環境省実数を何倍もゴマかしているとはちょっと思えない。また、武田さんがPETボトルリサイクル推進協議会から引用したとする「再利用量」データは、「捏造であるデータ元とされた同協議会が指摘している。武田さんも協議会環境省データが信じられないと主張するのならば、「独自」の計算根拠を示すべきだが、見たことがない。

 3の議論は、かなり前から武田さんが主張している。しかし、森口さんや安井さんが指摘するように、「お金が3倍かかるからエネルギーも3倍かかる」という主張は理解できない。金額とエネルギー消費は必ずしも比例しない。グリーン車に乗るには普通車の2倍近いお金必要だが、だからグリーン車での移動は普通車の2倍エネルギーを消費するとは言わない。リサイクルも同じ理屈である。人手を使って、分別収集すれば人件費がかかるのは当たり前だが、それによって化石燃料の消費が増えるわけではない。

武田さんの言説は一刀両断歯切れが良い。「駄目!」と言明する。しかも、リサイクルは良いという「常識」に挑戦している。だからマスメディアにも受けるし、市民が受ける印象も強い。結局、多数の研究者の「学者っぽい」指摘よりも、武田さんの断言が勝ってしまう。

2015-03-22

大脳が溶けてきた

いっそのこと湯せんで全部溶かしてから型にはめて再利用できないものだろうか。

2015-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20150308155115

資源が枯渇したら埋立地からゴミを掘り起こして再利用するんだろうか

枯渇するって言っても、ある日を境に世界で一斉に石油が出なくなるわけじゃない。

徐々に出が悪くなって、石油価格が上がっていくと代替技術が発展していく。

そうやって徐々に代替技術シフトしていくと思われる。

現在において代替技術石油駆逐するに至っていないのは、石油がまだ出続けているから。

石油の可採年数はあと40~50年程らしい

という言説が何年も前から言われ続けている。

ここ10年程度は乱高下があったが、それよりも前の20年の間は安定していた(むしろやや下がり気味だった)。

から、高コスト代替技術シフトする理由がなかったため、普及が進んでいない。

石油の可採年数はあと40~50年程らしい

資源無限にあるわけじゃないから大量生産・大量消費を永遠に続けるのは不可能なんだけど

資源が枯渇したら埋立地からゴミを掘り起こして再利用するんだろうか

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論

はじめに

映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。

シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリングから成り立っていますが、シナリオから分析局面では、プロットのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリング重要だということになります

ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。

様々な作家による小説、ラノベ創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。

正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスゼロにする」ものしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロしかないからではないのか。

一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである

ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。

であるならばそれは、システマチック再利用可能な一定演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。

仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である

金子映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディ不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。

「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。

本論

定義調査対象

本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話キャラ萌え特化の現代ラノベ普遍的存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。

大塚新城をDisった上で、つまりあ特定様式における「テンプレート」の抽出必要なのであり、本稿ではボーイミーツガール様式をもつラノベ限定することとした。

ボーイミーツガール定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公ヒロイン出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。

まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョン主人公であり、涼宮ハルヒヒロインである。加えて主人公ヒロイン性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公ヒロイン女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公女性ヒロイン男性である表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。

次に、では「非日常」とは何か。

例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公ヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公ヒロイン出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。

そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロイン意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公意識している相手」と定義する。

以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベボーイミーツガールと考える。

  • 語り手/視点人物(主人公)はある人物(ヒロイン)と遭遇し、これを意識した行動を取るようになる。この行動が物語の主たる軸として描かれる。

なお、本稿におけるボーイミーツガール排他的ものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である

これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から映像化された作品を中心に絞り込むこととした。

シリーズ化している場合、本稿での調査原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。

以上からWikipediaアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。

長くなったが、以下やっと本題に入る。

本論

本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的判断によってまとめたものである学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものしかない点は注意されたい。

遭遇のテンプレート

主人公ヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公ヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味ヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。

さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。

問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である

突然同じ部活所属することになったヒロイン毒舌であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロイン天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロイン魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。

筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である

設定の極端化

「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロイン挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものしか認識されないリスク内包する、という点である

演出の工夫

既存陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。

主人公を困難に直面させる

クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能であるヒロイン奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。

とはいえこれらの例において実質的主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。

一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。

秘密漏洩

偶然からヒロイン秘密主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。

知ってしまった秘密主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公ヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密漏洩ヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロイン人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。

謎の提示

その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である

例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。

しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型ヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。

印象的な絵面

例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。

筆者は全く百合趣味理解できないが、そうであっても「美人美少女ネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。

マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。

遭遇の多段階化

以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。

例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインエロゲ趣味主人公漏洩する第一の遭遇(秘密漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロイン主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。

化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロイン体重が無い」という「謎の提示」と「秘密漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインカッターナイフホッチキス主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃性格ヒロインに特段の目新しさはないが、文房具凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。

とらドラ!』の第一の遭遇はヒロイン主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。

興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。

例えば『俺妹』ではエロゲヒロインに返した際、その場でヒロイン主人公へ自室でそのゲームプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロイン夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。

中編へ続く

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