はてなキーワード: 世界史とは
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
地方医学部だけど、こんなにも毎日勉強したくないと思いながら勉強するのは健全じゃない気がする。つまんねー勉強の仕方をしてるから、つまんないんだよな。でもコスパがいいんだよ。
私の勉強の仕方は、テストで点をとることに特化した勉強の仕方だ。うちの大学は毎年試験の過去問が共有されているので、過去問の対策をすればコスパよく点が取れる。
でも、いくら興味のある分野でも、過去問を見てひたすら知識の穴を埋めていくような作業をしていると嫌いになる。
世界史の勉強をするときに、本を読みながら流れを整理していけば、こういう流れでフランス革命が起こったのかへー面白いってなれるのに、ひたすらセンターの過去問をときながら間違えた問題を修正していくという方法で勉強をしている。
つまんねーにも程がある。
つまんねーなら、本を読みながら理解して勉強をしていけばいいんじゃないの、興味が持てるし面白くなるだろうと思う。
でも、そのやり方は「テストで点をクリアする」のにとても時間がかかるんだよ。
医学の知識は深めようと思うとどこまで行っても底が見えない深い深い沼だ。医者に専門を聞くと、とんでもないところまで細分化されていることに気づく。深淵にハマるのは楽しいが、テストで点をとるのにはなんの役にも立たない。去年、すごく賢かった6年の先輩が国家試験に落ちたと聞いた。ちなみにうちの大学では95%は国試に一発で通る。賢い先輩は国試の勉強をしているうちに、深淵に潜ってしまったのだろう。
試験で求められているのは学問をキワのキワまで、極めることじゃない。ひろーく、あさい知識を頭にパンパンに詰め込むことなのだ。そして大事なのはそのすべてを暗記する、ということだ。
理解することと、覚えることは似て非なる脳の作業だ。きっと何度も経験があるだろう。テスト勉強の時点では理解して覚えたはずだったはずの知識が、テスト用紙を前にすると一向に思い出せない、という現象を。
池谷裕二先生の「受験脳の作り方」という本に書いてあったのだが、脳はサボり魔で本当の本当に大事なことじゃないと覚えてくれないそうだ。だから単語帳を一周しただけだと、ほとんどどの単語も覚えられない。これを何周も何周もさせると、こんなに何回も何回も出会う知識だ、きっと生きるのに必要な知識に違いないから覚えておこうと認識してもらえるようになる。
そして暗記するのに最強の方法がある。「思い出すこと」だ。脳は本質的に思い出すときにしか覚えることができない。必要な知識をなんとか引っ張り出そうとするときに脳に回路が作られるようだ。
これを踏まえると過去問を解くというのは、とても理に叶った暗記作業だ。本を何周も読むより、ずっと早くにテストに出る知識を「暗記する」ことができる。
ただこの方法は理解することを楽しむという学問のご褒美を全く味わえない。過去問を繰り返し解いて知識の穴を埋める作業は学問ではない。テストで点をとることに特化した作業だ。ただ悲しいことに圧倒的に点を取れるし、なんなら隅々まで覚えているから理解も深かったりする。
・アメリカの属国になったため軍備への支出が減り、経済大国として発展、80年代に絶頂を迎える
・その後バブルが崩壊、失われたX0年の中で格差が拡大し、かつての中流階級から「非正規」という身分に没落する者も現れた
・国を維持するため異民を受け入れた結果、徐々に従来の日本社会が変容していくことに
それから見ると、ワイは昭和生まれのおっさんやけど、バックラッシュ派だなぁ。
小学生の時から日教組系の先生に日本は太平洋戦争時に悪いことを世界でしました的な教育を受けた。いかに日本の兵隊が残虐だったかというような、はだしのゲンみたいな話を普通に聞いた。
中学生の時は日本の軍隊は世界でも類を見ないほど統率が取れていたという話をされた。日韓併合は当時の列強も好意的にとらえていたという話を聞いた。
高校の時も日教組系の先生が世界史の近代史だけやって、いかに日本が悪いことをしたかという話を聞いた。修学旅行先は中国だった。
大学生のころにゴーマニズム宣言が流行っていたので、流行に乗って読んだ。靖国神社にも参拝した。
父親たちの星条旗、戦艦大和、硫黄島からの手紙、明日への遺言も見た。
映像の世紀でガンジーが日本について評していたのがなかなか的を射てるなと思って今に至る。
多分、十把一絡げに議論するのが間違ってるんだろうな。どっちも本当。でも、立場とか視点とかによってその意味が違ってくるし、軍人にもいろんな人がいる。
近所で、軍服みたいな服着て街宣車に乗ったヤクザみたいなおっさんが、よく日の丸振り回してたせいで、「怖い旗」のイメージが先行してしまうから。子供の頃植え付けられたイメージはなかなか消えない。
なお、地域性なのか、学校ではそれほど「日本は悪い国です」とは教わらなかった。
っていうか、小中学校とも教師がいいかげんだったので、明治くらいで大分時間がなくなって、第2次大戦あたりはちょろっとしかやった記憶がない。平成元年に高校生になったけど世界史選択だし。
Ayam
@MakitaAya
大学生の娘の勉強見てたら次の課題コレって…どうしよう…本当にどうしよう…ガチで怖いんですけど😱
手に変な汗かいた💦
Fラン大学が現代文の時間にやるなら仕方ないけど、もし歴史学だったらいくら何でもやばすぎる。
歴史学で日本語の要約させるってのは学問の体を成してない。史観の問題じゃないよ。
高校世界史の教科書で圧倒的シェアを誇る、山川出版社の「詳説世界史B」では、大日本帝国の東南アジア政策について、
「…東南アジアの占領地では、当初、日本を欧米諸国の植民地支配からの解放者として迎えたところもあった。しかし、日本の占領目的は資源収奪とそれに必要な治安確保であり、軍政のもとで、日本語教育や神社参拝の強制など、現地の歴史や文化を無視した政策がおこなわれた。さらに、シンガポールやマレー半島、フィリピンでは住民への残虐行為や捕虜を含む強制労働が多発したため、住民の激しい反感を呼び、日本軍は各地で抵抗運動に直面した。」
また、世界史資料集でも、これも受験向きとされシェアが大きい帝国書院の「タペストリー」では、
「④泰麺鉄道の建設 日本軍が占領した東南アジアなどの南方地域でも、日本文化が押しつけられた。また、日本軍は、多くの現地の人々や連合軍捕虜を、鉄道建設などの過酷な労働に動員した。」と、写真付きで紹介している。
これらのことから、課題文の日本の歴史教育disは、完全に根拠のないものだということが分かる。
さらに課題文の、「『3年半の日本占領期は350年のオランダ植民地時代よりも残酷だった』という文句は広く人口に膾炙している。」は本当かよ。
19世紀前半、イギリスを筆頭に奴隷制廃止の機運に逆らって、ベルギーを失ったオランダはその経済的損失を埋めるべく、ジャワに事実上の奴隷制である強制栽培制度を実施し、19世紀後半にはオランダ領東インドから得られる利益はオランダの歳入の1/3から1/2を占めるまでに至ったと言われている。それほど搾取は過酷だった。
その後も搾取を強めたオランダに対し1873年から始まったアチェ戦争では、アチェ側の死者は10万人を超えている。
また日本敗戦後、デヴィ夫人の旦那スカルノが中心となって、オランダを相手に戦われたインドネシア独立戦争では、およそ10万人のインドネシア人が命を落としている。(ちなみにこの独立戦争には約900名の旧日本兵が参加してもいる。)
オランダは国際世論の抵抗に逢い、アメリカにマーシャルプランの停止をちらつかされて、しぶしぶインドネシアを手放したんだよ。(佐藤弘幸「オランダの歴史」河出書房)
馬の口につけて引く綱。
だいたい、現代に生きる平均的な市民である私は、乗馬をする機会などほとんどなく、ファンタジーや時代小説で馬術に関する用語が出てくるたびに辞書を引かねばならない。同様の理屈で、船舶に関する語彙についても無知であり、これが外国語にもなるとどうしようもない。「朝びらき丸 東の海へ」の原文に挑戦したときにも、児童書なのでそれほど難解な言葉が出ているはずもないのに、困惑した。
ちなみに、この言葉が出てきたのは興亡の世界史シリーズの「アレクサンドロスの征服と神話」である。マケドニアでは、敵を一人も殺したことのない者は馬の端綱を帯とする屈辱を受けねばならなかった。当時のマケドニアはきわめて軍国主義的な国家であった。
速水 融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』
日本で猛威をふるったスペイン・インフルエンザ(現在のインフルエンザ)について、各地方の新聞記事を基に当時の様子を詳細に記述している本を読んだ。
スペイン・インフルエンザを新型コロナと重ねてみるには、最も参考になる本。
テレビで『感染症の世界史』が紹介されることが多かった(文庫本なので手に取りやすい)けど、あっちはウイルス学的な紹介なので、当時の社会情勢を知るにはこっちの本のが当たり。
著者によれば、スペイン・インフルエンザの流行は世界的にも「忘れられて」おり、その記録は数えるほどしかないという。
記述からも、統計上の数値からも、当時のスペイン・インフルエンザは猛威をふるい、日本史上に大きな傷を残したはずなのに、なぜわれわれの記憶に残っていないのか?
新型コロナの流行の先を予測するためには、スペイン・インフルエンザの流行の様子を知ることがまず第一に重要ではないか。
スペイン・インフルエンザ流行時も、学校が閉鎖され、社会インフラが麻痺し、火葬場に棺桶が溢れた。
ひとつは、スペイン・インフルエンザの流行時、学校閉鎖や社会インフラの機能停止は、感染した結果人がいなくなり生じたものであり、予防のためにあらかじめ閉鎖したものではないということ。
劇場や社交場の閉鎖は行われたが、感染症の原因も不明であり、学校は4日~2週間の休校で再開していた。
感染症の感染拡大を予防するために社会機能を停止させたのは、新型コロナが史上初めてではないか。
ふたつは、スペイン・インフルエンザは多くの日本人が感染し、前流行と後流行があったが、前流行で感染し抗体を得たことが後流行の感染率低下となったこと。
日本において、新型コロナはほとんど伝播していない。外出自粛により感染拡大よりも予防が勝った。
スペイン・インフルエンザと同様に、前流行の後に後流行が生じたとして、前流行による抗体が獲得されていなければ、同様の被害を得るのではないか?
前流行と同様の対処で乗り切るのであれば、後流行でも社会機能を停止させ、外出自粛により感染予防に努めることが必須となる。
感染症と対峙した際、予防するか、抗体を得るか、どちらかしかない。
あるいは、徐々に抗体を得ていく方針なのか。新型コロナにおける外出自粛は、医療機能の崩壊を防ぐことが第一であり、新型コロナにかからないためではない。
一過性の激しい流行ではなく、慢性的な感染により、医療機能を崩壊させることなく一定の感染を得て免疫を獲得することが目的なのかもしれない。
しかし、感染症である以上、また史上最も人口密度が高く人類の移動もより広範囲・高頻度で行われている以上、そう簡単になだらかな感染が起こりうるのか?
一度発生すればまたたくまに広がる恐れがある。
みっつ、スペイン・インフルエンザと新型コロナではウイルスの種類が異なる。
スペイン・インフルエンザはインフルエンザであるので、季節性がある。
前流行と後流行も、約1年の間をあけた同時期のものである。気温や湿度の影響を多大に受ける。
おかげで収束したともいえる。
新型コロナが季節の影響を受けるのかは、未知であり、はっきりしない。
東アジアとアメリカ・ヨーロッパでの毒性が異なるのは、ウイルスの株が違うのではないか(何らかの変異があったのでははないか)という可能性があり、ほかには、季節性や環境、生活習慣の影響が考えられる。
スペイン・インフルエンザよりは毒性が高いが、無症状の患者も多い。死亡する年代も異なる。
新型コロナについては、まだいずれも判明していないが、数年後には明らかにはなるだろう。
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スペイン・インフルエンザの事例を受けて、新型コロナを見て思うことは
人類史上初めて、社会機能を停止させてでも感染症の拡大を予防したのが今回。
感染者数、ひいては死者数を劇的に削減した代わりに、抗体を得た者も少ない。
新型コロナであれスペイン・インフルエンザであれ、ウイルスが消滅することはないのは間違いない。
新型コロナと共生するにあたり、感染予防の対策をとった結果、今後どうなるのか。
ひとつは、散発的な流行が生じるたびに社会機能をある程度縮小させ、感染予防を今後も徹底するということ
また、国ごとに対策も感染者数も異なるために、国際的な軋轢にもつながる。
他の国ではある程度抗体が獲得されていってしまうと、完全に鎖国するわけにはいかない。
そもそも、感染予防を第一に置いた対応は継続可能なのか?現実的なのか?
ふたつは、医療機能の崩壊には注視するものの、ある程度は感染拡大を受け入れていくということ。
最初はセンセーショナルに扱ったとしても、次第に慣れていくのが人間らしいところ。
来年、再来年、数年後と、徐々に取りざたされることも減り、感染を受け入れながら暮らしていく。
今年、こんなに我慢をして大変な目にあっていることを思うと、そんなことがまかり通るのかと思いつつも、人間は慣れて飽きる生き物だから、意外となんとかなるのかも。
ひとつめの未来になるとすれば、社会機能を縮小させた状態でいかに生き抜くかが重要になる。
ふたつめの未来になるとすれば、いずれ新型コロナに感染するという心構えでもって、用意をしていくことになる。
マクロ的に見れば、ひとりの人間は数百万の人口の中の1人であり、感染症にかかって亡くなる未来もあれば、運よく生き抜くこともある。
それはどうやったって運でしかない。
+αで影響があるとすれば、年齢や基礎疾患、医療を受ける環境など、「感染したときに生き残るかどうか」であり、生命保険を含めて、多少の打つ手はあるかもしれない。
感染予防を全面的に押し出して感染症を闘った歴史は人類にいまだかつてなく、その結果を見るといった面では非常に興味深い。
但し、感染予防に固執し、社会機能を停止・縮小させることに執着し、知らぬ間に社会を崩壊させる恐れもある。
まるきりBAD END。そんな未来は見たくない。
昨今の経済対策への批判や、教育制度に対する批判を見てると一抹の不安がある。
史上に例がなく、だれも正解を知りえない以上、それぞれに考えがあり、それぞれにメリット・デメリットがあり、一概に何をもって正しいといえない。
なのに、批判・反対することばかりに固執すれば、いずれ方向性を見失い、知らぬ間に自らの尻尾にかみつく形で社会を瓦解させることに繋がりかねない。
一市民として家庭を守るためにできることは
である。
かかるときはかかるし、まるきりかからないようにすることは難しい。
人類と感染症の歴史を追っても、感染症から逃げきれた例はない。
正常です。これからも清く正しいインターネットライフをお過ごしください
気をつけてください
インターネットに向いてなさそう
コロナ禍に伴う外出自粛で持て余した時間を有益に費やそうと、学生時代ぶりに読書をしようと思い至る。
以前からゲームに時間を奪われてばかりだが、「良質な人生」やら「スキルアップ」やらのため読書をすべきと思ってはいた。
そうした気分と、今回のコロナ禍という状況を鑑みて、前々から気になっていたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読むことにした。
学生時代に同著者の「世界史」を読もうとしてギブアップした苦い記憶があり、今回はしっかりと読み込みたいと思っていたので、こうして読んだあとのことをアウトプットしておきたいと思った。
しかし、数多の名だたる知性人たちが読み漁り語り尽くされた名著を、今更に教養のない者がまとめても誰も得しないので、ただ個人的に気になったところをいくつか己の言葉にする程度にとどめておきたい。
今回は、特に気になった「病原菌」がどのように世界において役割を果たしていたのかという所である。
「病原菌」とは他の生き物の構造に感染し、伝播することによって己を増殖し存在を拡散していくものと大雑把に理解した。
時に細菌は突然変異によってその性質を変えることがある。ネコにだけ感染する菌が、ネコからヒトへ感染するようになり、さらにヒトからヒトへ、という具合である。
しかし、この問題は前提に「異種」が接触する範囲に存在し、更に突然変異を発生させるだけの試行回数を重ねる環境を要する。
世界では、先んじて家畜と共に暮らす人びとが家畜からの細菌と接触し、そして(結果的に)その耐性を得て、遺伝子に刻み込んでいった。
逆に、家畜を持たず生きてきた人びとは、こうした機会を得ることはなかった。それだけの理由で、家畜を持った人びとと比べて、免疫という力において圧倒的に不利になる。
その「家畜化の条件」から「栽培可能な植物」、果ては「大陸の形」に至るまで様々な要件を読み解き、現在の世界情勢に至る起源を多面的に語り尽くそうとしたのが本書だった。
私は「人やイベントの名前を覚えるのが致命的に苦手」で、歴史という学問にあまり興味が沸かない。
それでも、今に至る歴史の流れの中に、ただ条件が悪かったと言うだけで死んでいった者たちで溢れていると思うと、今生きている私が明日を迎えるかどうかすら約束されてはいないという事実に思い当たり、陰鬱とまでは行かなくとも、逃れがたい何かに流されているような、言いようのない浮遊感を覚えてしまう。