はてなキーワード: 七五三とは
郵便局で売ってるグリーティング切手がかわいいので今所有している切手を使いきったら買おう。グフフフと思っていたけれども
そもそも私そんなに手紙を書かない人間だったわ。前買ったグリーティング切手も一枚のシート使いきるのに数ヶ月かかってたわ。しかも最後の方ゆうパックで消費したw
グリーティング切手って10枚セットだから、基本的に84円の手紙を10通出さないと消費できないよ。
我が家では年賀状出さないし、懸賞も積極的にはしないから、ハガキのための63円切手もそんなに使わないし
文通を趣味にするつもりもないし、たくさん切手を買っても使いきれねえや!
郵便切手って金券であって、消費するためにあるのであって、ずーっと眺めるために存在するものじゃないと思う。だからコレクション目的で切手シート買いたくない。
手紙は書くの好きだからときどき書く。でも、頻繁には書かない。自分の好きなペースで書きたいから文通はやりたくない。
グリーティング切手、季節モノが可愛いんだけどこんな私なんでなるべく季節感がなくてオールシーズン使えるものを買わねば。
とりあえず、子供のイベント(七五三とか運動会とか)がある度に義両親に手紙なりハガキなり出そうかと思っています。子供の写真を載っけて…
あと夫の祖父母とも郵便物で交流したいから、そっちにもお便りを出したいんだけどどうかな。初ひ孫の写真喜んでくれるかな…
子供のお宮参りやお食い初めのことで嫁と義母が揉めるのはあるあるだそうですが
娘と母でも揉めそう…
実母の性格は私とは相容れない性質なもんで、揉める揉める。母親みたいな人間とは付き合いたくない。でも、私の実の母は1人しかいなくて。血の繋がりがあるからブチッと絶縁というのも難しい。世間体もあるし。
妊娠する前に風疹の予防接種をしたのに、妊娠後、抗体が十分についてないことが発覚したので戌の日のイベントはやらないことにしたのに実母は私に向かって「戌の日やらなかった…」と言ってくる。何度も風疹のことを説明したにも関わらず。理由があってできなかったんだからしょうがないじゃん。
母親は今時「帝王切開は甘え」って堂々と言うような人間だしほんと無理。帝王切開する人も好きで帝王切開してるわけじゃないし胎児にへその緒が巻き付いて帝王切開せざるを得ない人もいるし、帝王切開の人は手術後大変なんだよとか色々説明したけれども、うちの母親のことなのでしばらくたったらまた「帝王切開は甘え」って言ってきそうな気がするよ。
古い価値観にとらわれた人なんでもう手におえない。Amazonで買い物もできないようなアナログ馬鹿が何を言ってるんだか。
七五三だのお宮参りだの偉そうに語ってるわりには毒親で私にとって母親は反面教師です。子供のときから色々トラウマ植え付けられたよ。ぜったいに母親みたいになりたくない。
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
30代になり2人目、3人目を産み育てる友人もいること
自分もいつか歳をとって当たり前にできると思ったことは30を過ぎてもできていない
うちは籍は入れていないが一つ屋根の下を同世帯と見るならば世帯年収は1200〜1300万ほどある
それでも結婚式を挙げて子どもを産んで育ててというお金が足りないのでは無いかと不安に思う
かと言って辞めたりパートにすると一気に辛くなるよねという話をよくする
また保育園に入れられなかったらどうなる?親は新幹線で数時間の距離にいて頼れないし…などなど
周りもきっとそういう不安はあるにはあるんだろうけど普通に子育てしてるように見える
どうやったら思いきれるのか?割り切れるのか?
予備校で働いているんだけどさ、医学部の面接で、女子生徒だけ「女性としてのワーク・ライフ・バランスをどうとりますか?」という内容のことを聞かれることがまあまああるわけよ。女性差別じゃん。あとは男女問わず「家庭と医師としての仕事、どちらを優先しますか?」って。ちなみに模範解答は当然、公僕としての医師像を述べ私もそうなりたいと言うってやつである。医学部入りたいから問題視する声はあまり上がらない。
うちの予備校は大手だから、大学の先生を講演会なんかで呼ぶんだけどさ、そういうときにやっぱり面接の話とかして探りを入れるわけよ。まーー探るまでもなく「家庭とか犠牲にして国のため人のため働け。何千万とかかってるんやぞ。僕は息子の参観日も運動会も七五三も全部行ってないでもやりがいがある云々」と言う内容のことをぶっ★ちゃける人が多いけどね。
そりゃね、国は一人あたりに税金何千万かけて医者育てて、高齢社会に医療で貢献してもらわねーとダメだから、子供生まれたんで時短しまーすじゃねえよ馬鹿野郎、馬車馬のように働けやってのが現場の本音でもあるんでしょうけどね。でも医師だって公僕である前に労働者なのにさ。子供の七五三も運動会も参観日も誕生日も全部仕事のせいで顔出せないような働き方って絶対おかしいと思うし、そういう風潮を肯定する入試というのも俺は大問題だと思うんだよ
そう思うようになったのは松松が加入してからだ。
今まで幾度となくメンバーの人数が変遷してきたが増員は初めてだった。それに戸惑ったファンもいれば、歓迎したファンもいた。
トラジャを青山劇場時代から知ってる人の気持ちはわからない。私は2016年出の新規だからだ。ただそんな新規でもむしろトラジャ担じゃなくても、トラジャがかなり(言い方が悪いかもしれないが)老舗グループだと言うことは知れ渡っているであろう。そんなグループが、増員をするなんてのは多分誰も夢にも思わなかったことだ。
だって、トラジャは仲田、川島、森田、七五三掛、吉澤、宮近、中村、阿部、梶山の9人で始まって、そこから(ここ数年で突然)減ってしまったけれどそれでもなんとか原型を留めていた気がする。
松松もずっと、本当にずっと松松だった。一時期離れさせられそうになったこともあったけれど、俺たちはシンメだという強い信念のもとここまでこれたんだと思う。無所属として色んな子たちと紙面を飾ってきたけど松松のカラーはぶれてなかった。
お互いがお互い、独立していたが故の違和感だと思う。まだ入って数ヶ月だし違和感があるのは仕方の無いことだ。納得のいかないファンがいるのも当たり前。
私は納得がいかない。
この選択が間違っているとは思ってない。トラジャのためにも松松のためにもこの選択はきっと素敵な未来を導いてくれると信じて疑わない。私は自担を信じている。
だけど納得はいかないのだ。何故納得いかないのか、理由は自分でもよくわからないけれど、多分自分の思い通りの未来じゃなかったからだね。
だから私はアニメの2期を見ている気分でゆるくオタクをすることにした。今のトラジャは第2期なのだ。第1期はきっと、2017年の8月に最終回を迎えた。それでいいのだ。