はてなキーワード: タブー視とは
じっくり読んだけどさ。結論が「すり合わせしましょう」だと、結局、「話し合ってみないとわからないよね」っていうだけになってしまうのでは。
それより気になったのは、ここ。
これ、言い換えれば、「日本人しか見ないことが保証されていれば、海外でタブー視されていることをやってもいい」って元増田は思っているってことだよね。
多分、そこから「そういう問題?」と思っている人が多いと思うから、整理した方がいいと思う。
1)見たくない人が見てしまう確率が一定以下に抑えられるなら、不特定多数が見るテレビで放映していい
2)たとえ少ない確率でも、見たくない人が見れてしまうことは問題。見たい人にだけ見せられる仕組みが必要
3)見たくない人が見れてしまうかどうかにかかわらず、タブー視されているからやってはいけない
1)や2)は、要するに、ゾーニングの問題なんだよね。例えば、最初に警告を流すことでテレビで放映していい1)みたいな作品もあれば、絶対にテレビでは放映されないポルノ映画みたいな2)の作品もある。
モノマネとかで明らかに他者を馬鹿にするためにやってんなーって言うのは不快なんだけどさ、ガキ使の浜田は浜田が笑われるためにやってるよね。
いつもいつもお前だけソレかよみたいな。
女装してもゴリラ装しても、だからって女性やゴリラを馬鹿にするとか下にみるとか言う感情は一切湧いてこないんだよ。
今回もその文脈であって、浜田が黒人に扮したからって黒人を笑う感情は一切生まれないんだよ。
でも逆に黒人に扮した今回だけ大きく差別だと吹き上がってるよね。
ソレはやっぱり、差別的じゃないでしょうか。
黒塗りには触れてはならないと言うのが、海外から日本へと横流しされて輸入されちゃってるわけだけど、いつまで触らぬ神に祟りなしのスタンスで行くの?
黒人差別って白人ー黒人間の出来事だし、どっちかと言うと巻き込まれてる我ら日本人は黄色人種として馬鹿にされてたから黒人側に入るし、なのに今こうして文脈無視して巻き込まれるって言うね。
ミンストレルショー?知らんがな。
馬鹿の一つ覚えでタブーだからと言わず、ちょっと考えて欲しい。
白人ー黒人のタブーを意図も文脈も無視して他者にも強要するって本当に解決の道辿ってる?
本当めんどくさいんで、他者巻き込む暇があったら白人ー黒人間でとっとと解決してくださいませんかね。
俺たちの間でタブーになったから、お前らもタブーなって、ソレこそ色々履き違えてない?
これ最高に意味わかんないよね。
相手がマジョリティなら許されるの?俺は嫌だけどねそんな世界。
人種や属性で他者を見下す行為、いじめ、相手の多少関わらずどっちもダメでしょ。
今回はコメディとしてコメディアン当人が笑われるからOKなのであって。
だいたいさ、今回の構図、日本人vs黒人で照らし合わせたら本件は差別に当たらないで即終了ですよ。
これってもう表現の自由に関する話になってくるけど、黒人が不快に思ったからやめろって言うなら、黒人だけピックアップは差別的だから声の大小に関わらずあらゆる人の不快も取り上げてあげないといけないよね。
それを徹底した世界はどうなるの?
ディストピア大好きなの?
◆ここまで読んで
俺があれこれと理屈つけてまで黒人差別したがってる人間に見える?
ただの差別者に見えるか?
その主張を理解しようとも考えようともせず、タブーを肯定してる教養もない差別者だと言うなら、俺はソレこそ下に見られて不快だし、ソレこそナチュラルな差別心だと思うよ。
こんなこと言うとお前こそ黒人の心情を理解しようとしていないとか言うのだろうけど、こちとら関係ないところからいきなりタブーとか言うポリコレ棍棒でマウント取られてるんだよ。
はあちゅうさんが、岸勇希氏から「電通」でセクハラやパワハラを受けた
この件が話題になるにつれ、はあちゅうさんが過去にTweetした
「童貞いじりの件」(彼女Twitterでの言葉を採用し、この言葉を使うが、わざわざ逆撫でする言い方をしなくても良いのにとは思う)
これはどうなっているんだ、これもセクハラではないのか、と批難の声があがっている。
感情に流されない識者は、岸勇希氏からのセクハラやパワハラと、「童貞いじりの件」は別箇に議論されるべきであって、
今回の彼女の告発は、相対化されるものではないとコメントしている。
まったくその通りだと思う。
はあちゅうさんが、「私は電通の考え方に染まったのから『童貞いじりの件』をTwitterに書いた」といえば味方できるのに、というのも、この二つの件を混同している典型に思える。
一番問題なのは、「理想の被害者ではないと声をあげてはならない」と、被害を被っている側、被害者の相談を受ける人が内面化することだろう。
しかし、この二つのことを一緒くたにしてブーメランだとか、語る資格はないと語る人がいる。なぜか。
「童貞いじりの件」という言葉は、女性から男性へのセクハラ、同じセクハラという言葉の定義に抱括されてしまうからだ。
Wikipediaのセクシャルハラスメントのページ(いろいろ見て回ったがWikipediaがわかりやすかった)を参照する。
セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに分類できるそうだ。
今回のはあちゅうさんが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうさんの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類されるっぽい。
(あくまで私の私見である。きっとこのように綺麗に分類できるものではないし、セクハラにあたるのかもわからない。私は専門家ではないので、専門家に詳しい解説を願いたい)
どうも、この対価型セクハラと環境型セクハラをセクハラという大きな言葉で括っていることが
要はセクハラと言ってもいろいろなモノがあり、そのひとつひとつの拾い上げて検証する必要があるのではないだろうか。
対価型セクハラと環境型セクハラという分類も、大雑把な分類だがこの性質はまったく違う。さらにその中でも発信される場所などに対しての考慮も必要だろう。
対価型セクハラは、権力を持つものが、セクハラもしくはパワハラをその権力を笠に行うので、セクハラ・パワハラ被害を訴えにくい。
対価型セクハラは、声をあげ辛く、議論の俎上にも載せにくい。なぜなら声を上げるだけで不利益を被る蓋然性が高く。匿名で訴えたとしても、信憑性にかけると判断される可能性もある。
一方の環境型セクハラも職場や学校など限定された環境であれば、声をあげるのは難しい。
しかし「童貞いじりの件」は、インターネット上の発信であり、批判の声を発信者に届け、議論の俎上に載せることは容易である。
そもそもはあちゅうさんが、童貞に対して(語りかたが不愉快だから)何も語る資格を持たないというのも、冷静に考えれば妙な話であり、
さらに言えば、はあちゅうさんの今回批難されているTwitterの「童貞いじりの件」は、概念としての童貞を語っており、誰か個人を晒し上げているわけでもない。
そもそもセクハラなのか、これは環境型セクハラに分類しちゃって良いのだろうか(専門家の意見求む)。どうもビミョー臭い。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
と、いうはぁちゅうさんのコメントは、童貞をタブー視することこそが問題なんじゃね?と彼女なりの考えがあっての発言にも思える。
彼女の言い回しに対して違和感がないわけではないが、言わんとすることはわかる。
すべての、セクハラという言葉で定義できるものをシステマティックに片付ける社会は嫌だけど、許せないことはある。これは矛盾しない。
私はセクハラやパラハラの専門家ではないので、発言を控えるべきだとも思った。
しかし、かつて酷いパワーハラスメントにあい「言ったとて、どうにもならない」と言い出せず、悔しくて、惨めな思いを味わったこともあり、
今回の#metooの動きで声にならなかった言葉が可視化されて、今後「私だけじゃない、これは怒っていい奴だ」と声をあげやすくなるのは、
とても素晴らしいことだと感じ、考えを述べた。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
本当に分からない。
どうやら、修正を入れないと頒布できないというのに、自分でプリンターやら買って印刷する気配もない。
https://twitter.com/macaronicheese0/status/852924068898643968
けど、男性向けではコピー本は無料配布と思われるのか?よく分からんが、コピー本だとか自分で刷るとか色々あると思う。
本当にこの国は北朝鮮みたいだ
本題なんだけど、コミケは「コミケの存続ガー」ってやたら振りかざして法に対抗するつもりもないよな。
マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話。
それ、純粋に疑問に思うんだけど。
ネットショップでも出来るじゃん。海外サイトならそういうもので検閲受けないし、BOOTHなら見本誌チェックなどない。普通に売れるし。
抵抗権でもっと言えば、ヨハン・クライフの息子がジョルディって有名やん?
クライフに息子が生まれた時、当時フランコ将軍により『ジョルディ』とかカタルーニャ系の名前を禁じていたわけ。
それでも『ジョルディ』って名付けた訳だよ。「オランダの出生届のコピーだ」ってアリバイも作った。
まあこれは、その前日に5-0でバルサが買ったこともあるんだよな。
なんで俺がこうやって増田さんに愚痴ってるかと言うと、純粋に疑問に思うわけ。
なんでこんなろくでなし子裁判でも批判が吹き出てるのに、抵抗権を行使しないのか。
世間体ってのもあるんだろうけど、本当に自分のこと信じられるならそんなモン乗り越えられるだろ。
清岡純子が一昔前は普通にあったんだが今はタブー視されてるんだぜ?
そんな風に世の中は変わるんだよ。すぐに。
世相なんてこんなモンだろ。
頭のおかしい痛い一部のやつが世間という皮を被って糾弾するわけで、それはかつての部落解放同盟のつるし上げとかまなざし村と変わらん。
これは個人的な意見になる上、私は表現規制を推進している訳でも何でもないんだが、覚悟が無いなら同人活動やるな、同人活動に文句言うな。
あれだけ印刷所が「成年向同人誌は何時でも逮捕される可能性がある!」って煽ってんだよ?
そんな煽りを真に受けるなら「覚悟のないやつはしない」が正解じゃん。
何を言ってんの。
俺の思う同人活動が違うのか、抵抗権を行使して無修正で頒布するのはカウンターカルチャーの一つとして見るべきか。
肌の色の話題って割りとタブー視されがちだからあんまり共有したことないし共感もされたことないんだけど、
自分は昔から褐色系ヒロインというのがやたら好きだった。普段深夜アニメなんてあんまり見ないのに今期は褐色姉妹を見るためだけにソード・オラトリアを毎週追ってるし、対魔忍ユキカゼなんて何百回プレイしたかわからない。
で、なんで好きかっていうと、変態っぽいんだけど「褐色ヒロインと白人or東洋人主人公との間に産まれる子供を想像するのが好きだから」
子供の頃、ふしぎの海のナディア最終話で大人になったジャンとナディア、そして白人と黒人である二人のちょうど中間くらいの肌の色をした子供たちがほのぼの暮らしているという物語のエピローグにやたらとムラムラしたことがあった。
そう、自分は18禁ゲームなんてものがこの世に存在すると知るずっと前からこの「肌の色が混ざってエロい」っていう感覚を本能的に感じ取っていたのだ。
なんか遺伝子が混ざり合ってる感じがしていやらしくない?
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。
https://news.yahoo.co.jp/feature/612
っていう記事があった。これわかるなぁー。
先日もたかまつななが「学生時代、子どもがどうやってできるかは知ってるのにセックスは知らなかった」みたいなことを言ってて大きく頷いた。
昭和風に言えばAとBは知ってるけどCがわかんないんだよね。その辺学校じゃ教えてくれない。
私が中学か高校のとき、保健体育のテストで「貧しい国で少女が売春をしているが、それについて意見を述べよ」みたいのがあったわけ。
私は売春がなんたるかを知らないから「かわいそうだけど生活の為だから仕方ない」みたいなことを書いたら×もらって、本当に恥ずかしい思いをしたわ。
先生もテストの解説でこんなことは言語道断だ的なことを言ってるわけ。じゃぁ授業でそれを教えてくれよ、と。当時からしっかり新聞も読む子だったけど、
セックスについてなんてどこにも書いてない。当時はもちろんインターネットなんてないし。今の子供がネットの知識に頼るのは当たり前だと思う。
セックスレスがつらい。可能な限り今の状況を晒すので誰か、俺を助けてくれ。経験者のアドバイスでも読んだ感想でもなんでもいいんだ、俺を救って欲しい。
付き合ってから5年、結婚してから3年、最後にセックスをしてから1年が経とうとしている20代後半夫婦。
傍目に見てもかなり夫婦仲の良い方だと思う。2人とも人付き合いが苦手なので友達ともほとんど会わず、うっとうしくならないのが不思議なぐらいずっと2人でいる。お互いが休みの日に片方だけで出かける機会なんて数えるぐらいしかない。
喧嘩もほとんどしない。たまにぶつかる時はあるけど、俺が一歩引いて大人になればどんなことも笑いに変えられる。食べ物はいつも半分に分け合う。お風呂はいつも一緒に入る。ベッドも一緒。妻は1人じゃ眠れないらしいので俺は決して外泊しない。外泊どころか酒も煙草もやらないし、仕事を終えたら飛んで帰ってくるぐらい2人の時間が好きだ。本当に空気みたいな存在で、一緒に住む前はこんなふうになるなんて思ってもなかった。
2人だけでいるのがお互い好きなので子供もいらないし、作る予定はない。2人とも猫が好きなのでペットぐらいなら飼ってもいいかな。
結婚してから1年半ぐらい経つまでは週に1~2度はしていた。世間一般だと10分とかで終わる淡白なセックスもあるらしいが、毎回必ず前戯もするし、1時間ぐらいかけてしていた。旅行のときには疲れていながらも励んで「家以外でこういうのも良いね」なんて言ったりもした。
セックスの始まりはどっちから誘うでもなく、夜に布団に入っている時にお互いを触り合っていたら始まっているケースが多かった。かつては妻からしてほしいということもあったし、こちらから言う事もあったけどどちらが多かったといえるほど差はなかった。セックスをするほど時間や体力が無い時は手コキや電マだけで済ませることもあったが、それも楽しんでいた。
その頃、妻の仕事はかなり忙しくて毎日9時出勤の23時帰りなんかが続いていて、それだけ忙しかったら睡眠欲が優先されてもしょうがないよな、なんて思いながらマッサージしてあげたり家事を積極的にやるようにした。妻が辛い時にはいつだって俺が支えてやりたい。
そんなこんなで2ヶ月ほどセックスレスになった折、旅行に行った。普段見られないものを見て、美味しいもの食べて、温泉に入って、浴衣着て、「最近してなかったけどせっかくの旅行だしどう?」って誘ってみたんだよ。そしたら「正直○○に最近は性欲が全然わかない」「ドキドキするよりも一緒にいて安心する家族って感じ」「太ったよね」「最近口臭くさい」みたいなことを言われて撃沈した。
かなりショックで、それから気軽に誘うこともできなくなってしまった。なんだかセックスのことに触れるのがタブーになってしまった感じがした。
それから少し経って妻は正社員のフルタイムの仕事を辞めてパートになった。妻は体力的にも余裕が出てきてジムに通ったり新しい趣味を始めた。俺も食事を減らしたり運動したりして10kg痩せた。まだ良い肉体だとは誇れないけど、「頑張って痩せてるね、ファイト!」なんて妻は褒めてくれる。
セックスレスになって半年が経っていたが、心身健康に向かっている感じがした今ならどうだろう?と思ってリトライしてみた。強要するんじゃなくて、「久しぶりに…セックスしてみるのはどうかな?」って提案みたいな。サラッと書いたがこれを言うのに童貞並にすごく勇気が必要だったよ。また断られたらどうしよう、しつこいって嫌われたらどうしよう、って思っていたので心臓がドキドキしていた。
で、ダメだった。
二度目のショックもかなり大きくて、このままだと一生しなくなっちゃうんじゃないかって思って、真剣に向き合おうとした。「なんでダメなのか理由を言って欲しい」「悪いところは直したい」「強制したくないからほんの少しでもセックスしても良いかなって思ったタイミングがあれば言って欲しい」と伝えた。こういう話し合いを強制されることが嫌がられることもわかっていたけど、このままじゃ何も解決しないって思った。
「もう性欲なくなっちゃったかも」「私のことはいいから風俗でも行ってきたら」と言われた。これは本当に辛くて、つらくて涙が出た。
べつに好きな人以外とセックスすべきでないとかそういう潔癖な考えがあるわけじゃないけど、愛情の延長というか表現というかとにかく一緒にいて愛おしいと思う気持ちが湧いて、○○だからしたい。性欲解消のためだけに他の誰としたって絶対虚しい。
そういう気持ちを伝えてみたところで「言い過ぎた、ごめん」とは言ってもらえた。「セックスレスに関する記事とか読んでみるし解消するよう努力する」って言ってくれた。
それからはセックスの話題をタブー視するんじゃなくて、セックスレスに関する色んな記事( http://anond.hatelabo.jp/20160707093536 の増田も )や漫画をシェアしたりした。ムラムラする日はどうしてもあるってことは理解してくれたようで、お風呂でローションを使った手コキをしてくれるようになった。
でも、それだけだった。そろそろセックスどうかな、ってふと聞いてみても「前よりは進展したじゃん」「気長にやろう」という感じでさらに半年が経ちそう。
友達が「最近彼女ができた」とか「最近子作り始めたんだ」とか話しても平静を装って「へー」と聞いたりしているが、俺は内心「こいつもあいつもセックスできているんだな、自分を受け入れてもらってるんだな」なんて嫉妬に近い感情が湧いてしまう。昔ほどセックスの話題に前のめりになれない。そういう自分に自己嫌悪してまたどんどん自信がなくなりそうなのを踏み留める瞬間がある。
そして今日、2人でちょっと遠出しておいしいものをいっぱい食べた。「良い一日だったね」って言うから「そうだね。最後はセックスで〆たらもっと最高だけどね」って冗談の流れで言ったんだよ。そしたらちょっとムッとして、「またそれ?セックスのことしか頭にないの?良い一日だったんだからそれで良くないの?」ってな具合に喧嘩になりそうだったので早々に話は切り上げた。「ま、いつかはできると思うよ。もっと痩せたらね」だって。
その場は険悪な感じにはならず、妻がベッドに入ったのでお約束のマッサージをせっかくしてあげたのに歩き疲れたせいか途中で寝やがった。可愛い奴め。
でも今、1人になってまた涙が出てきた。
妻を好きな気持ちは変わらないのにその延長としてセックスのことを語ったり誘ったりすると嫌がられる。だからって、これからも自分はそういう気持ちを押し殺して生きていくのか。
普段まったく隠し事をしないのに、そういう気持ちや性欲を隠すことで俺は妻に対して嘘をついているような気分になる。
俺にとってはこんな世界は俺たち2人しかいないようなもんだから、ずっと正直で、素の自分のままでいたい。
別れるなんてもっとつらい。セックスのことを除いたら妻の悪いところなんて1つもない。
最近ふとした拍子に涙が出ることがあるんだが、今はいつもよりとても苦しくて涙が止まらない。
性欲が満たされないことがつらいんじゃなくて、ありのままの自分を受け入れてもらえないことがただただ悲しい。これに何年も耐えている人たち、本当にすごいな。
俺、どうしてこうなったんだろう。俺たち、どうなるんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170111233644
日本はそうじゃない。
└個人的にはタイとかミャンマーみたいに西暦併記すりゃいいだけだと思ってる。
議論の余地はあるし、タブー視すべきではない。21世紀だからね。
だけど、これだけは言える。
フランス革命のように新しいIdentityを作り出す気概がいまの日本人にあるのか?
まずはそれを考えないことには、なくすことは出来ないんじゃないかな。
壊すだけで「造る」ことを考えないと◯国とか◯国みたいに芯のないふわふわした国になるんだと思う。
こうした議論に一石を投じただけでも、今上天皇の問題提起には価値がある。
どんどん議論していけばいい。
自由恋愛とLGBTとフェミニズムと少子化はそれぞれ結構な関連性を持っていると思うが、
それら4つすべてのカウンターサイドに位置する最も分かりやすい概念がPC的に褒められない封建的家族主義なのであまり大っぴらに語られない、というのが現状だと思う。
日本で経験的に少子化を避ける為の方策として制度的コストを払う対象として選ばれたのがイエ制度なら、それを廃するためにはそれ以上の知恵が必要なのだろう。
しかし、いったん蓋が開いてしまった後の社会で、まるっきり元に戻すことなどできるわけもない。
なら、せめて過去のあやまちを社会が総括するぐらいのことはしないと、新たな道の模索もできるはずがないのではないか。(LGBTに関しては過度のタブー視が近代以降のもののようなので現状が変とも思わないが)
ようは避妊をしないセックスをしてもらいたい、ってだけの話なのに
日本社会の不思議なところは、これほどセックスが氾濫しているにも関わらず、
公(オオヤケ)で性について語ることが奇怪なほどタブー視されているところ。
性について語られるのは、単なる猥談かジェンダー論くらいしかない。
みんなが避妊をせずにセックスをすること。セックスの回数を増やすこと。
避妊や中絶を善しとしないこと(まるでカトリックの教義みたいだがw)
世の中が避妊や中絶を重要視するのであれば、それは少子化なんかよりも、
避妊や中絶によって守られる権益の方を重視しているという証拠。