はてなキーワード: タイアップとは
今日ネットでNHKでマイルドヤンキーを扱っていたとニュースを読んでいくつかマイルドヤンキーについて思ったことを書きたくなった。
まずはじめに視聴率が欲しければマイルドヤンキーを狙えということ
ヒルナンデスが番組が始まった頃の大方の予想を裏切って視聴率が良いという話を聞いた。
なのでヒルナンデスをちゃんと見てみることにした。
この時、最も思ったのは日テレの製作陣はなかなかおもしろいところに目をつけたなあと言うこと
もっと簡単にいえば最近話題になっているマイルドヤンキーという層が必要とするような情報
具体的にはしまむらやユニクロ・アウトレットモールで芸能人がコーディネート対決をしたり
車で行けるような郊外型のレジャーを中心に扱うといった感じの日常の延長線上に有るよな内容をメインとして扱っている気がした
何がいいたいかといえばいわゆるマイルドヤンキーと言われる層が好みそうな内容という事
確かに地方のマイルドヤンキーからすればその性質上からも東京や芸能界など全く興味が無いわけで
そう言った人たちからすれば東京の情報や芸能界の内輪ネタなど全く見る気がしないのは分からないでもない
その辺りの視聴者の需要を上手く汲み取って番組を作っているヒルナンデスにはなかなか優秀だと思った。
そしてそういった目線からTVを見てみると、面白いことに近年比較的数字の稼げると言われている番組
具体的には全国チェーンの飲食店とタイアップしたような番組だったり日頃目にする食品の工場を取材したような番組
いかにもマイルドヤンキー層の日常の延長線上だったり好みそうな内容である事に気がついた。
この目線で見ると少し前の事になるのだが
あの低視聴率であえぐフジテレビで一時期ヘキサゴンがものすごく視聴率が良かったのも番組を作っている島田紳助が元ヤンキーでそう言った層と好みが重なったからなんじゃないかと思う
具体的には仲間・絆・何かをみんなでつくり上げる番組構成が正にマイルドヤンキーが好みそうなヨサコイソーランを彷彿とさせる
話しが飛んだので元に戻すと
そう考えるとこの手の内容はテレ朝・テレ東が得意とするジャンルで近年視聴率が良いと言うのもうなずけるしその逆でこの手の番組づくりが下手なフジなどは視聴率が低下するというのも納得がいく
ではフジの何がいけないのか?
フジというのはバブル期に持て囃された東京至上主義・世の中は業界人(言い換えると高学歴エリート)に皆憧れそれを目指しているという前提に立った内輪ネタなど明らかにマイルドヤンキー層から嫌われる要素しか無いからだと思う
つまりこの違いがテレ朝・テレ東とフジテレビとの視聴率の明暗を分けているのだと思う
つまりこれからの低視聴率時代である程度数字を稼ぎたいと思ったら
これらの層が好みそうな番組作りをすれば数字が稼ぎやすいということが言えるのだと思う。
その理由はインターネットの発達と労働時間の長時間化に伴い最後にTVを見る層として残ったのがマイルドヤンキーと言われる層だからではないかと思う
従来のTVを見ていた視聴者層のうちマイルドヤンキーではない層
例えばネットに親和性の高い層(簡単に言えばオタク)はネットへ移っていったし
都市部のホワイトカラーは地方のブルーカラーに比べて労働時間が守られにくく残業時間や通勤時間でTVを見る隙がない
更に言えば昼間家でTVを見れる層と言うのも結婚して子供がいるような家庭の主婦層がほとんどだと思う
そしてそう言った層の多くはこのマイルドヤンキー家庭に属する
ググらないで記憶だけで書くので、たぶん事実誤認甚だしいだろうけど
90年代っていうと、おニャン子クラブが斜陽のアイドルブームにとどめを刺して
ビーイングの社長が何百パターンの15秒CM用のサビだけのデモテープで
営業まわって、タイアップ取れてからフルの曲を書かせてたそうで
アニメもそれまでのタイトルや技名を連呼する生管絃のクソ熱い曲がなりをひそめ
本編内容ガン無視で雰囲気すら合ってるのかどうか分からないタイアップばかりになる
もう、自称音楽好きは洋楽ロックくらいしか音楽好きのアイデンティティを満たし
聞いてて飽きないクオリティのはなくなる
今思えば、当時の洋楽ロックも行き詰ってて、MTVブーム以降のまずビジュアルありき
潤沢な予算を使ってアーティストのキャラクターとサウンドがプロデュースされた
商業音楽だったんだけど、まあ金かかってるから、まずポップさに捕まれて
何度も聞くと実は小難しいこともやってるので飽きない
そういう行き詰った、よく言えば爛熟したロックを取り入れたJ-ROCKがそろそろ出始めて
こいつらがタイアップ取ってポップシーンにも食い込んでくるようになって
素人歌にカスカスの打ち込みに辟易していたJ-POPがだんだんマシになってきた
この前佐久間正英氏が亡くなってはじめてこの方がこいつらの多くをプロデュースしてたの知って
で、この辺の90年代後半辺りからのJ-POPでサウンド的に面白いことをやってるのを認めるかどうかってのが
なーんか「俺は音楽好きだぜ」みたいな人たちから馬鹿にされがちみたいなところある気がするんだよね。それってさ、つまり「音楽好き」の文化レベルが低すぎるんじゃないの?????お前ら「マウントポジション」取ることにしか興味なくて、本当は音楽に興味ないだろ。
そうそう、こんな感じ。
お前ブランドだけで判断してるだけだろ
楽曲まったく聞いてないだろ、耳腐ってるんだろ
いいねえ。すごく懐かしくなったので長々書いた
お茶の間はドラマの主題歌やCMソングとそれとは別の話題のミュージシャンとかアイドル枠だとジャニーズとかAKB48、きゃりーぱみゅぱみゅ位までなら
多分許容しているだろうが、アニメソングはお茶の間が凍りつくと思う。
Mステに限らないが、PVで深夜アニメの少し卑猥なアニメキャラ達が歌って踊るシーンは見てて不快感を持たれる恐れがあるというわけだ。
今度の件ではうたプリ、ラブライブなんかが当てはまるけど、正直言ってアニソンがベスト10に続々入るようになって久しい。
ただ、それだけである。
他の人にとってはどこかで聞いた事あるなぁって曲ならともかく全く聞いたことがない上に、深夜アニメに対してまだまだ認知度が低く、酷い場合はそれらが有害図書であるかのような
認識でいる人達さえいるわけだ。PTASの子供に見せたくないアニメに未だクレヨンしんちゃんがランクインしている所を見ても当然だろう。
それとは別に往年のアニソン歌手などは昨今見られるようになったが、それは今のテレビ業界の年齢層を反映しているからである。
本業歌手は昨今アニメとのタイアップが実現しての主題歌担当なので、元々歌手でそれが売れればMステに出られてもおかしくないだろう。
こういったアニメキャラクターやその中の人はMステに出されるべきだろうか。
まず声優だが、子供ないし大きなお友達の夢を壊す事になるであろう中の人の出演はNGである。
林原めぐみ曰く「(本業の)声優は裏方に徹するべき」なのだから、本来は出演されるべきでない事は明白だ。
次にアニメキャラクターに関してだが、例えば初音ミクであればどうだろうか?
Mステでさえも海外でもその留まる事を知らない人気を無視できずについには出演となったが、それは海外の邦楽ファンの意見を容れた結果であり、
決してアニソンやアニメキャラクターが容認された、というわけではない。
調査の結果、子供に見せられるアニメキャラクター(ゲーム、音楽含む)だと認可されたための出演だったのである。
初音ミクのように海外でも無視できない人気であれば、アニメキャラクターを出演させることが出来るかもしれないが、
問題のうたプリやラブライブのムーブメントは局所的であり、日本以外ではまず話題に上る事はないだろう。
いろいろブコメ、トラバありがとう。やはり過疎地域の扱いについては議論が分かれるね。
合計特殊出生率について。ここ数年の上昇が「団塊ジュニアの駆け込み出産」だと見る意見があったが、言葉の定義の問題なのではっきりさせたい。合計特殊出生率は15歳から49歳までの各年齢の出生率を足し合わせるという求め方をするので、世代間の人数の偏りの影響を受けない。合計特殊出生率への寄与度は世代の人数によらず同じということだね。
人口集積について。フォローしてくれてる人もいるけど東京一極集中という意味ではないよ。各地域で中核となる人口数万〜数十万の都市はたくさん必要だと思う。ちょっとアバウトなイメージでいうとJ3どころかJ4、J5(まだないけど)のチームが「俺達のクラブ」としてそれなりに盛り上がっちゃうぐらいの熱量(?)を備えた街だ。これって人口5万でも田畑や山林の中にバラバラに点在する5万じゃ多分だめだよね。でも集積して居住する中でなら3万でも成り立つかもしれない。俺は都市計画の専門家じゃないんでわからないけど、税制面での優遇や公共インフラへの低廉なアクセス、便利な公共交通、行政、保育、教育、介護、医療サービスなどの面で他地域より優遇することで計画的に中核市街地に人を集めていくような方法になるのかな?一部の人が想像してそうな強制移住みたいなことは俺は想定してないんだけどね。そんなことしなくても中核市街地の魅力を高めることで勝手に集まるのが一番いい。それでもどうしても限界集落に残りたい頑固じいさんがいたら、最後まで面倒見てあげたらいいじゃんと思う。
余談。実際これにわりと近いことをやってるのが流山市で、ここは若夫婦に特化したマーケティングをしてるんだけど、立派な少子高齢化対策になってる。流山の場合はTX開通により「東京まで20分」という付加価値をゲットし、それに「森」「自然」「子育て」という人気のキーワードを組み合わせてブランディングしてる。はてブ的には「恋愛届の街」って言ったほうが通りがいいのかな?あれもはてブでは不人気だったけど所詮お遊び企画だからね、個人情報がどうのストーカーがどうのと目くじら立てるほどのものじゃない。大したオペレーションコストもかけず、民間タイアップで安く認知度向上のキャンペーンやってるんだから大した工夫だと思う。もちろん、よく見ると緑とかやすらぎとか単なるイメージ戦略の域を出てないのでは?とギモンを抱くところもある。実質的なメリット(保育料が安いとか子どもの医療費が無料とか深夜保育や休日保育にも安価に対応できるとか公立幼稚園が安く充実してるとか)がバーーンと打ちだされてるといいんだけどその辺のアピールはない。それでも「意識高い系自治体」としてベンチマークしておきたい自治体ではある。
これな。
「2050年、全国の6割が人口半分…2割はゼロ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140329-OYT1T00081.htm
元ネタは国交省のこちらの発表資料
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
日本の人口の中位推計っていうのに基づくと、人口減少のスピードがデトロイトに匹敵するくらい急激になってしまう。グラフにするとこんな感じ。
ときどき日本は人口多すぎ。減ってもいいじゃんみたいな意見もあるが、急激に減るのはマズいし、老人増えすぎのアンバランスな状態で減るのもマズい。
社会保障制度が成り立たなくなるし、デトロイトのように街がもりもりスラム化していって治安が悪くなる(デトロイトの画像検索結果)。社会の活力が失われ悪循環を生む。
逆に言えば、社会保障制度がついていけるスピード、スラム街を取り壊しつつ、コンパクトな市街を再構築していけるスピードで減るならなんとかなる。
https://www.mlit.go.jp/common/001033672.pdf
増える地域が大都市圏を中心に若干あるという話だが、これは本当にピンポイントで増えるというだけの話で、都市圏全体でみると、こちらの資料2ページ目によると、やはり増えるところは無い模様。
さらに問題は(これは全国的に言えることだが)老人比率が高くなりながらの人口減なので社会保障制度を始めとしてまったく大丈夫ではない。
これはブコメで散見された誤解。日本は森林ばっかだから2割の土地で人口ゼロって別に驚くこともないじゃんという意見だが、資料によると2割は「国土の2割」じゃなくて「今現在人が住んでいるうちの2割」ということだ。人口減少のひとつの結果として、それなりに顕著な変化と言えると思う。
俺は過疎については仕方ないとも思っている。「2割がゼロ」になってもいいじゃないかとも思う。
国や自治体の赤字を減らすためには、なるべく人間は固まって暮らしたほうが効率的だ。電気ガス水道、通信回線、道路などの社会インフラの維持費は安く済むし、人口が集積すればさまざまな商業活動が成り立つため街も活性化する。公共部門の支出が減り税収が増えれば、社会保障が充実する。少子化対策に割ける予算も増える。
増田なんで書いてしまうが、国も役所も本音としては過疎地域は一刻も早く人口ゼロになってくれという感じじゃなかろうか。
さて、減る一方だというイメージのある合計特殊出生率だが、2005年の1.26を底に2012年の1.41まで少しずつ増えている。もうすぐ2013年の数字も出るだろう。
これはネガティブな話題ばかりの少子高齢化関連のトピックでは唯一の光明だ。今後の数字に注目したい。
これもブコメで散見された残念な意見のひとつ。全然「どうしようもなくない」。
同じ資料の1ページ目には、合計特殊出生率が現在の上昇ペース(2005年1.26→2012年1.41)を維持した場合と、フランス並のペースで上昇した場合の2種類の人口推計グラフも掲載されている。
つっても誰もpdfなんか見ないだろうと思ったのでスクショとってアップした。関係ないが増田は画像くらい貼り付けさせて欲しい。
これを見ると2050年で1.1億人弱、2100年で9100万〜9600万人の人口をキープできるということで、中位推計(合計特殊出生率1.35)の2100年4959万人とは雲泥の差だ。
しかも出生率が2.07まで回復した上での1億人なので、人口減といってもいずれ減少はストップし、社会保障問題は大幅に改善され、今よりも暮らしやすい日本になっている可能性が高い。
労働人口は十分にあり、税収も確保でき、子どもの養育・教育に国も自治体も家庭も十分に投資できる。
人口が適度に市街地に集積しているおかげでコミュニティバスは密に運行でき、老人妊婦子どもが市街のどこでも自由に移動できる。
公園にはゆとりある老後生活をおくるじーさんばーさんが散歩していて、子どもたちの元気な声が溢れる。
わりと暮らしやすそうな雰囲気が街に漂っているため若夫婦も子ども産むのに抵抗がなく、出生率は2.1前後がキープされる。
そんな2100年、人口9000万人台の日本に「まだなれる」。決して手遅れではない。
なんとしても子どもを産みやすい日本にして、合計特殊出生率をあげなきゃいけない。
「人口減ってもいいじゃん」という認識をあらため、「手遅れだから」「焼け石に水」と諦めないことがまず第一歩だ。
「子どもいらねーー」「結婚したくないし」という個人の価値観を語ってみるのもときによかろう。それは否定されるものではない。
だが急激な人口減が及ぼす悪影響は人を選ばない。子どもが欲しくない者も、少子高齢化社会とは無関係でいられない。
国民のだれもが、少子化問題を深刻にとらえ、主体的に考える必要がある。
少子化問題が解決すれば、社会保障問題をはじめとして好影響はやはり人を選ばない。
以上、ここに書いたことは別に俺個人の意見でもなんでもなく、わりと一般的に言われていることだと思っている。国交省の人口増減メッシュ地図の件をフックに書いてみたものの、人口推計の数値自体は既に周知されているデータを引用しただけだし、少子化が及ぼす影響についても目新しいことは書いていない。異論がありそうなところとしては、過疎を積極的に肯定しちゃってるところと、出生率回復時の楽観的な記述だろうか?コメントやトラバをいただけると嬉しい。
また機会があれば、少子化問題を解決するため政策・行政レベルで取り組むべきことや一個人としてできることなどについてもまとめてみたい。
日本のデータはこちらの「表1-1」と「参考表1-1」から、デトロイトのデータはウィキペディアから拾ってきた。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401smm.html
あとはぜんぶ国交省の例の発表です。
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
この時期になるとBGMがミクミクしてくるのが生理的にダメなのです。パンや弁当などでボカロのキャラクターとタイアップするのは全然OKなんですけれども。
そんな折に 「いまボカロ曲は過去最高水準にある」2014年2月39選 - ボカロとヒトのあいだ を読みました。普段ボカロ曲を敬遠している自分だけども、そんなに良いのかーと思っていくつか聴いてみました。
が、これで「過去最高水準」なのか……とやっぱり残念。全部が全部ダメじゃなくて、「惜しい」のもいくつかあったけれども。何が気になるかというと、ズバリ歌い方(発音)が普通の人間の歌い方に比べてすごく不自然なところなんですね。例えて言うと、pixivで、顔のパーツのバランスが狂っていたり人体のパースが微妙に崩れているような、違和感や気持ち悪さを感じる人物画を延々見せられる感覚、と言えば分かるかしら。
一応フォローすると「残念」なのは主にボーカルだけで、PVや伴奏などは、確かにニコニコ動画の初期の頃と比べたらプロ並なクオリティのものがすごく増えてきたと思います。でも肝心のボーカルの質が数年前とほとんど変わってないのはどうなのよ。これならVOCALOIDじゃなくて普通に人間に歌ってもらってほしいわ。ボーカル以外の要素は本当に良いのだから。例えば「米津玄師」名義で「ゴーゴー幽霊船」をリリースしているハチ氏みたいに、ボカロ曲としてではなく普通のボーカル曲として作ってほしい。
ちなみに、世の中のボカロ曲すべてが嫌なのではなく、これなら違和感なく聞ける、というのもあります。最近のものからいくつかピックアップしてみるけど(以下、オリジナル/カバー曲混じってます。あと厳密には「VOCALOID」じゃないのもあります)
世の中のボカロ曲のボーカルの平均レベルがこのくらいになってくれれば、もっとVOCALOIDが好きになれるし、BGMでじゃんじゃん流してくれても問題ないんだけどなあー
http://d.hatena.ne.jp/kubisime/20131214/1387035717
アイカツ!およびプリティーリズムでの3DCGの使われ方について補足したい。
一番の突っ込みどころといえる、女児向けアニメの3DCGの話でありながらなんでプリキュアについて触れてないのかというところだけど、
この記事の中でプリキュアについて触れていないのは正しい。
それは、プリキュアと、アイカツ!及びプリティーリズムでは3DCGに対するスタンスが違うからだ。
プリキュアシリーズで3DCGが使われるのは基本的にEDのみであり、半年に一度作られる一品料理だ。
そして本編のお話の中で3DCGが使われることは基本的にない。
(本編内のまこぴーのライブシーンがあくまで作画で描かれたことがその表れである)
プリキュアのED自体は言うまでもなく映像としては素晴らしいものであり、新EDの発表時点では大きな話題になるが、
放映されるのは毎週同じものであり、数週間もするとあまり触れられることがなくなるのが実情だ。
これに対してアイカツ!やプリティーリズムでは、本編内にて毎週異なる曲、衣装、メンバー、ステージでのダンスシーンが3DCGにて行われ、
そこが作品としての見せ場になっている。
そして、アイカツ!やプリティーリズムでは、ステージシーン以外の日常パート内で3DCGが使われることはほぼない。
このことで、作画パートとCGパートの質感の違いにより生まれる違和感を逆に利用し、
ステージシーンを特別なものとして意味づける効果を持たせていると考えられる。
特にプリティーリズムでは、その回で示された問題について、解決の提示や挫折、新たな問題の発露などがステージシーンを通して行われることが多く、
このような目的の3DCGの使い方は、「全編をCG化する」「作画の省力化のためにCG化する」「作画と違和感なくCGを同居させる」という
使い方とは一線を画していると言えるのではないだろうか。
(補足というか余談)
「女児向けアニメ」としての3DCGは2008年の「きらりん☆レボリューション STAGE3」から使われてはいるが、
これは全編を3DCGとするものだった。当時の技術ではお世辞にも自然な動きとは言えず、
声優をタイアップする実在男性アイドルへ変更するなどの影響もあって人気は低迷し、3年目となる本作にてシリーズ終了となる。
2009年に放送開始した「極上!めちゃモテ委員長」ではシーンによって作画とCGが統一感無くちぐはぐに使われており、
日常パート内では作画を使い、ステージシーンのみ3DCGを使うという手法は2010年の
「ひめチェン!おとぎちっくアイドル リルぷりっ」から用いられたと考えられる。
しかし、リルぷりっではステージシーンで使われる曲も少なく(OP曲含め4曲)、
また監督がマイメロディ、ミルキィホームズを手掛けた森脇真琴であったことから、
問題発生→変身して歌う→みんな元気になって問題解決、というパターンが時に
荒唐無稽に行われるところを中心に注目された作品となっていた。
「リルぷりっ」は1年間のレギュラー放送の後、全編CGのショートアニメとして
「のりのり♪のりスタ!」内で1年間放送される。
そして、これらのアニメと入れ替わるようにして始まるのが
2011年放送開始の「プリティーリズム・オーロラドリーム」なのである。
バーなんて行くな。お札が飛んで、ヲタグッズを揃えられなくなるぞ。
東京てチャージ1000円取るん??映画の日で映画見れるじゃないか。
ちょっと飲んでつまんで5000弱??ボッタクリだろ。その金で円盤買え。アニメ制作者に還元しろ。
ホテルのバーは伝聞の伝聞によると3000円がどんどん飛んで行くんだって?!
安倍晋三の会員制バーは週刊誌の伝聞によるとXX万円?静寂だかプライバシー確保だか知らないが、庶民が手を出せる場所じゃないよな。
毛唐が集結してるバーで国際交流?アホか、馬鹿かと。草食男子は草食男子らしく、大和撫子は大和撫子らしくしてろ。ラテン系があほほど声をかけてくるに違いない(推量)。
コンセプトバーがいいかも?特にアニメキャラとタイアップしてるやつ!!なんてトンデモナイ!!!!!!!某名古屋資本系列のBARは、ヲタの財布を当て込んで狙ったメニュー名で出してるが、どいつもこいつもクソマズイぞ。チャージ料あったかわすれたが、ワンドリンク800~600円と安いのがマシなのかな、だが見合った価値を提供しているという意味でリーズナブルというわけでもねーぞ。
そっかタイアップ狙いなんだな。納得いったわ
割とどこの出版社も今はアップアップなわけです。
ものの見事に賞もの、タイアップもの、ライトノベルなんかが座を占めてる。
そんな感じで、今本を出させてもらえる作家って、採算分岐点を割らない作家だけなんだよね。
各社、発掘してる体力なんてほとんどない。
特にミステリなんて不遇の時代で、ミステリの固定ファンが本当にいない。
図書館で借りるかブックオフで買うみたいな、購買に結びつかないファンがほとんど。
それじゃ本も出ませんよ。
苦肉の策で、タイアップねらってドラマ化しやすい男女恋愛ものになるわけだ。
となると、売れる本を作るのは、編集者自身の都合でもあるし、発行部数が収入になる作家のためでもある。
(つっても、今はそういう人でも本当に売れない)
そうじゃない人の場合は、やはり策を弄せざるを得なくなるわけです。
ブコメとかでトンチンカンな事言ってる人がいるけど、あくまでもここで言う「担当」とは、「テレビで見て好感持ってる」とかじゃなく、ファンクラブに入り、コンサートに行ってCDも買う、要はお金を落とす人って事だよね
そういう意味ではTOKIOが希少種ってのは何の不思議もないけど
タイアップだけは事欠かないし毎年紅白出るからシングルは結構出してるけど、驚くほど売れてないし
ジャニヲタは踊ってないとそっぽ向きがち
ここで「全然知らない」とか言われてる若いグループも単独(ここ重要)でドーム埋められるんだからジャニヲタのパワーは計り知れない
Japan Nightというピッチのイベントを見た。スポンサーは大和証券。1位のサービスはRingというジェスチャーであらゆる操作をするデバイス。試作品もプロトタイプもなし、コンセプトムービーだけ。作った会社のサイトをみたら、バーだった。ただの飲食店。チャラい。うさんくさすぎる。
Japan Night
優勝したサービス:
http://vimeo.com/74626545#at=1
電源とか通信とか認証とかジャイロセンサーとかGPSとか電池とか考えると面積的にも機能的にもどうなんだろね。
2位以下の人たちは、まじめにサービスを運営している人が多かった。
Google検索すると、色々もがいてるのをみた。
優勝したサービスがいちばん中身ない。
チャラい、にーちゃんが、カッコイイ動画をつくると、投資されるらしい。
おめでてーな。
enchantmoonを思い出した。
あれも、豪華なコンセプトムービーとタイアップしたメディアの賞賛記事ばっかりで、
4万円のまな板だった。
とあるゲーム・アニメ作品が好きな者です。ネットのごく局地で、ヤラカシ(ファン・運営共に)が話題になったりしています。この作品もオタク向け作品のお約束「限定グッズ」があります。最近、上記の購入できない・参加出来ない流れが続いて、今回のロー●ンとのコラボでとどめとまではいきませんが、かなり息が上がってきました。
「開始3分で完売」「販売前に完売」「始発組惨敗」「未成年惨敗」「配送トラックを待ち伏せろ」など、高度な情報戦状態でした。
そしてそれは情報戦では無くて、ガチでした。私も前日の夜間~当日の早朝に何件かロ●ソンを回りましたが、一部景品以外は目撃することすら出来ませんでした。店舗に事前に入荷予定や陳列時間など伺ったものの要領を得ず、あまり意味は無かったです(フェア自体知らない、オーナー居ないので分からないという答えが殆ど)。店員の皆様にはお忙しい中、大変親切に対応していただき有難うございました。あと、夜中に危ないからと付き合ってくれた夫に焼土下座。
在庫リスクを考えて入荷数が少ないのも、個数制限をかけずに売り切りたいのも分かります。人気の読み間違いについては、沢山あるタイアップの一つで、ワンピースやエヴァンゲリオンのような有名タイトルでもないので、完全に雑魚扱いだったんだと思います。
イベントは展示やゲーム、他のファンとの交流などの楽しみもありますが、目玉商品を用意して盛り上げたいというのも分かります。なので、グッズ類はイベントで先行販売として、後日全部通販にしてくれれば良いのに、と思っています(通販の仕組み作りとか製造ラインとか色々事情があるかとは思いますが)。
twitterで知ったが、映画キャプテンハーロックのマスコミ向け試写会で映画評論家の樋口尚文さんがぶちぎれたそうだ。
https://twitter.com/AoiKunio/status/359164717597601792
ご本人のツイートは消えているんだけれど、
「今日は試写室が狭いのでマスコミの方ではない一本どっこのライターの方は出ていってくれ」
と言われたそうだ。
映画の宣伝部は、基本的に試写会に来てくれたライターを帰すことはない。
マスコミ用の試写会は、映画を紹介しようと検討している媒体の編集部や、ライターの方に観てもらうことが
一番の優先順位だからだ。そのライターが社員かフリーかは関係ない。
ハーロックの公開は9/7。公開日近く発売の雑誌はもう締切りも近い。キャパが50〜60の狭い試写室が混むのはこのころだ。
「媒体編集部、ライターの方以外はご遠慮下さい」と言って、代理店や、営業マン、映画の関係者とかを帰すことはたまにある。
この業種が公開一ヶ月前にふらっと映画を観たって、何か仕事になる訳でもない。彼らが無駄に座席を潰すことで、編集部やライターの席がなくなるのを防ぐためだ。
思うに、試写会の受付で、樋口さんは電通の名刺を出したのではないだろうか。
彼が映画評論家であることを知らなかった残念な宣伝部が、(ぼくは、樋口さんが気に食わなかったのはここだと思うんだけれど)
「電通クリエーティブ局?今日じゃなくても大丈夫だろう・・・ごめんなさい」と思い、声かけちゃったんだと思う。
それで忙しい中わざわざ試写に行った樋口さんは、「この俺に出て行けだと!」とぶちぎれたのだと思っている。
樋口さんを知らなかったのはまずいし、映画会社は反省するべきだけれど、
試写会で「フリーライターは出ていってくれ」と言うはずはないので思ったことを書いてしまった。
樋口さん、間違っていたらごめんなさい。
ちなみに混んでいる時期の試写会に来てもらって困るのは
広告、タイアップに関わる代理店や関連企業のひとたちは、もっと早いスケジュールの試写で
観るのが普通だ。早目に観ておかないと仕事が進められないからだ。
公開一ヶ月前に来るこの業種の人たちは、重要ではない。
今現在、お仕事がない方々が席を埋めてしまうのは、観てもらわないとまずい人たちの席がなくなるので困る。
観てもらわないとまずい人たちは忙しいので、ぎりぎりに来ることが多い。
Category:1990年のテレビアニメ - Wikipedia
総数:30作品
Category:1995年のテレビアニメ - Wikipedia
総数:42作品
Category:2000年のテレビアニメ - Wikipedia
総数:67作品
Category:2005年のテレビアニメ - Wikipedia
総数:127作品
Category:2010年のテレビアニメ - Wikipedia
総数:135作品
分類がなかなか難しく、かなり機械的にやってしまっているので、
「これは違うだろ」とか「これは入るだろ」とかあれば、脳内で足したり引いたりしてください。
あ、「テレビアニメ」のリストだから、元増田が好きな『秘境探検ファム&イーリー』(95年)が入ってないな…。
元増田がこのあたりの作品群を想定していたかどうかは分からないが。
全体的に見て、ファンタジーの比率は90年代からそれほど高くはないし、
2000年には偏りが見られるが、非召喚が少ないだけで、召喚が多いわけではない。
2001年にはゾイド、テイルズ、魔法戦士リウイ、RAVEなどがあるので、
前後の年を見てみると、
http://blog.freeex.jp/archives/51387030.html
岡田 このアニメに予算どれくらいかかるか、分かんないですけども、多分、15分~20分のアニメ作るのに2・3000万×10本作るんだったら2億から3億くらいですね。このお金をどうやって集めるのかでキャンプファイヤーの仕組みを使いたいっていうのがお互いの土曜日の話し合いですね。
声優の話とか金の集める方法についての声が目立っているけれど、どう考えても1本2・3000万は高いんじゃないの?
http://japanimate.com/Entry/2226
2010年のメディア開発綜研の調査によると、テレビアニメ30分1話の制作費用1100万円の内訳は次の通り。
原作:5万円、脚本:20万円、演出:50万円、制作進行:200万円、作画監督:25万円、原画150万円、動画:110万円、仕上げ:120万円、美術(背景):120万円、撮影:70万円、音響制作:120万円、材料:40万円、編集:20万円、プリント:50万円となっている。
このうち、動画については1話あたりの枚数を5000枚とすると、動画1枚の費用を220円と試算している。これは30年前とほぼ変わりなく、若手のアニメーターが生活苦から業界を去る一因となっているとの指摘がある。
制作費が多い分、末端まで潤うんなら良いけどね
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1210/02/news108.html
http://blog.freeex.jp/archives/51387030.html
【対象】
【プレミアに見たい人向け】
1.非公開の高画質版限定配信
4.試写会にご招待
作中にて商品、ロゴの登場
うーんこの
いきものがかりのイケメンじゃない方の男性が、以前テレビ番組で
「正直、周りも自分も、学生時代にはロックや洋楽に憧れていた。でも、みんなでカラオケに行った時、全員で盛り上がれるのはそういう曲じゃなかった。
結局、みんなポップな曲が好きなんだろ?じゃあ俺たちも、そういう曲を作っていこう」
みたいなことを言っていた。(しっかり内容を記憶していないので、間違いがあったら申し訳ない)
結局みんなポップな曲が好きなんだろ?というあたりには同意しかねるけれど、確かに、二次会なんかでカラオケで盛り上がる曲はAKBでありジャニーズであったり、いきものがかりであったりする。
私は学生時代(といってもほんの数年前)、バンドに明け暮れていて、時折作曲もした。
高校生の時は、いわゆるロキノン系、邦ロック、というものに周囲はドハマりしていた。
バンドメンバーの一人は、本格的に音楽を学びたいと上京していった。
彼は、ロキノン(雑誌「ROCKIN'ON」)から始まり、他にも毎月音楽雑誌を何冊も読み漁り、新しくお気に入りバンドを見つけては嬉々として語るような奴だった。一番のお気に入りはバンプだったと記憶している。
彼と数年ぶりに会うと、驚くほど音楽の好みが変わっていた。
近場のツタヤに寄ってバンドをやっていたときの事などを話していながら、ロキノンを読んだ。
高校時代の彼ならば飛びつくような、良くも悪くも「ロキノンらしい」新人バンドが目に入ったが、彼は「ここの曲、ちょっと酷いよ。最近売れてきてるみたいだけど。世界観が独特とか、いろいろ言われてるけど、そうじゃない。音楽の作り方が分かってないから、曲になってないだけ」と言うのである。
驚いた。高校時代に彼が好きだったマイナーなバンドの名をいくつか挙げた。
しかし、「あの頃は、人が知らない物を知ってるっていうことが嬉しかったんだと思う。音楽について知らなさすぎた」とばっさり。
ちなみに、バンプは今でも一番好きらしい。「あの人たちは凄い」と目を輝かせて言っていた。
私は高校時代、メジャーだろうがマイナーだろうがところ構わず勧められたものを聴いていたタイプで、けれど、一番好きなアーテイストは「絢香」と「Perfume」だった。
当然バンドメンバーに耳を傾けてくれる人はいなかった。絢香のリアルボイスをコピーしたり、Perfumeの楽曲をアレンジして一人楽しんだりしていた。
いざ、曲を作ろうという話になると、とにかくみんなが盛り上がれる曲を作ろうという話になったが、皆驚くほど作れない。
私は「ロックでキャッチーでノレるカッチョイイ曲」が作りたかったのに、なんだか通夜みたいな曲ばかりができあがる。
過去に絢香のバンド曲をコピーして、実際に書き起こした譜面を見ながら疑問符を並べた。
「みんながノレるメロディ」というものを作るのは、異常に難しい。
一応、進行に法則のようなものがあることは皆知っていたので当てはめてみるも、どうにもメロディがいまいち。
「で、どこで盛り上がるの?」という曲ばかりが出来上がった。
…思うがままに書いたがなんだか脈絡の無い内容になってしまっている。一度まとめたい。
AKB他アイドルやらGReeeNとか西野カナとかソナーポケットとか、ネットではこんなものがランキング上位などと日本終わってる云々と言われる始末であるが、
ではそのランキングを席巻する曲たちは本当に終わっているのか?
売り方に問題はある。それは十分に分かっているつもりである。
あと、最近はアニメソングとかも凄い。才能に驚く。全く興味の無い分野だったが、作曲家を少し調べてみると学生時代はバンドやってました、なんて人が結構いて驚く。
上記が一番書きたかったこと。
眠いので、全部すっ飛ばして、もう一つ書きたかったことを書く。
メジャーデビューしたりとかして、ロキノン系のバンドがタイアップを組み、がーっと知名度を広げていくと、ざーっと以前からのファンが去っていく。
「メジャーデビューしちゃったから一般受けする曲ばかりになった」と言う人がいる。
阪神人気は視聴者に支えられている。現在も10%以上を取る人気長寿番組だ。
阪神の放送は延長がある時夜中の0時を過ぎても数字が取れるためサンテレビがほぼ独占していた。そのため、阪神ファンはサンテレビをよく見る方だ。一時期はサンテレビといえば阪神というほど人気があった。
しかし、この頃は阪神の試合をサンテレビ(KBS)とテレビ朝日(ABC)以外の、延長を放送せず大事な局面でも即放送を打ち止めるフジテレビ(関西テレビ)やTBS(MBS)日本テレビ(読売テレビ)による所が、視聴者によって支えられてた阪神人気を落とす直接の原因になってる。
原因はドラマやバラエティーの不発により後が無くなったテレビ局が安定した数字を取っている阪神の放送権を狙い出したためだ。
これが功を奏し、一時期は視聴者がサンテレビ以外にも向いたため小さくはあるが視聴率を稼ぐことが出来た。しかしここまでだった。
結論を言えば、民放各局の奪い合い競合によって視聴者は離れてしまった。
その主原因が放送時間を絶対に延長しないため、大事な局面で放送終了するためだ。他にはSMAPの中居正広などの野球にわかのタレント起用によるタイアップ作戦に視聴者がげんなりしたことも大きい。
演繹的に定義できなければ定義ではない、というのであれば、そもそもそんな定義は必要とされてないと思うぞ、でQED。
ところで http://anond.hatelabo.jp/20130207150827
1冊はアニメタイアップの限定カバーで、いわゆる「萌え絵」が書いてある。
中身は一緒だが、売り方は異なっている。
僕の定義では、前者はラノベ寄りミステリ(ライトミステリ)で、後者はラノベとなる。
べつにそれでいいじゃないか。しょせん「ラノベ」だって「ミステリ」だって「SF」だって人が他の人と話すために便宜的につけたラベルに過ぎない。個人的には、「SFは人間に対する絶望であり、ファンタジーは人間に対する希望である」という定義を採用してるが、この定義が普遍的なものだとは思ってないし、他人に強要する気もないし。
そして、森博嗣は主観的にはラノベ以外の何ものでもない。これは作品だけじゃなく、彼の書く姿勢(「書きたいものじゃなく、売れるはずのものを分析して売れるように書く」)からもそう判断している。