2021-08-02

これぞ広告人

五輪開会式日本デザインの恥。

何となく東京五輪開会式の、あのやり場のない恥ずかしさは、きっと実際の試合の感動で薄れると思っていた。

でも、それは希望だけであって、そう単純ではなかった。

しろ、あの恥ずかしすぎる開会式の事が頭から離れなくなってしまっている。

今更だけど、あの語る事と言うか、批評さえも不毛で、虚しくなる、あの脱力感の正体って、一体何なんだろう。

心の中で、日本世界の裏側だから海外では見ている人が少なくありますように!とか、願っていたwww

あの虚無というか、ほとんどの誰もが感じていただろう「なかった事にしたい!」という感情は、●●●●を代表とする、現在の若手の東京グラフィックデザインの現状とそっくりだ。

作っている本人や周辺のお仲間ちゃんけが、絶好調に喜んでいる感じがする事や、仕事を依頼するスポンサー意識の低さや、アホさ加減もそっくりだ。

恥を知らない自家中毒

情けない。

さらにまるやその周辺の人間は、『あの開会式自分が行っている事が、相似形である』ことを分かっちゃいないだろう。

さらに、恥じらいもなく自信満々なところまで、そっくりだし。

羞恥心というものを持っていないのだろうし、自分達がキワモノであるとかも自覚していないのだ。

あぁ、嫌だ嫌だ。

本当に無かった事にしたいけど、グラフィックは、まだ現在進行形だから、本当に恥ずかしい。

フランスの友人から耳にすると、やはりあの開会式は、最悪だったとの事。現在のアホな日本グラフィックデザインが目に触れないように、願う。)

僕だったら、自殺ちゃうけどな。。。

いやぁ〜笑えない。。。

ほとんど、犯罪だよな。

その汚い手で、俺の神聖デザインに触れるな!って、正直に思う。



・・・

批判で終わればいいものを、実名出して「僕だったら、自殺ちゃうけどな。。。」だって

権力のある立場から死ねと言っている」自覚がないんだろうなあ。

仕事評価責任を命で取らせようとする感じ、まさにオールスタイル広告人だなあ。

挙げられている方の名前は気の毒なので伏せ字にしました。

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