2018-03-06

Twitterでよく見る漫画家

彼(彼女?)の絵を見るたびに、彼が去年の夏頃描いた漫画を思い出す。

少女父親花火をした後、「ゼンイ」でゴミを拾い、翌日見て見るとほとんど元の状況に戻っている。少女は父に「私たちのゼンイは無駄だったの?」と涙ながらに問い、父はそれに答えられない。

といったようなね。

まあ善意があっさりと踏みにじられるという展開は非常によくある寓話ですわ。

この漫画を初めて読んだ時から反感をものすごく覚えるんだよな。

この作者が一体どのような目論見でこの漫画を描いたのかは知らんので漫画内の父娘に対しての話になるんだけれども

そもそもボランティアゴミ拾いは何かのイベント後とかで突発的に大量のゴミが発生した場合を除き、定期的に行われる。

そうでなければ当然再びゴミが溜まる。

じゃあそのたびにボランティアの人たちの労力は無駄になっているのか?

当然違う。ゴミ拾いが行われた後は間違いなくその場は綺麗になっているし、拾った何袋分かのゴミはその場に舞い戻ってきたりしない。

間違いなく"拾った分"はゴミが無くなっている。

この父娘はまずそこを見誤ったのだろう。「今この一瞬この場を綺麗にすればその状況は永続するだろう」というぼんやりした期待を持っていたのだろう。

自分としては別にこの点はそこまで問題ではない。

甘い期待を持つの人間として生まれた以上罪ではないだろう。

ただ、「ゴミを拾った」という行為自体無駄だと考えるのは間違いだ。

それは言ってみれば池の向こうに届かせたいと思って投げた最初の石が沈んでしまたか無駄だと断じるようなものである

最初の石の投げ方を分析した結果向こう岸に届くかもしれない。

石を投げ続ければ池が埋まって向こうに転がるかもしれない。

「向こう岸に届ける」という目的を見つめ続けるならば、最初の一投は無駄になったりはしない。

勿論諦めてもいい。

「池の向こうに届かせなくてもいいや」と考えたって、やはり最初に投げたことは変わらない。

この父娘はそもそも目的を設定し損なったのかもしれない。

「ゼンイだからただゴミを拾う」ではきっとあの世界のゴミ永遠にまり続けるのだろう。

立て札を立てたり、定期的にゴミ拾いをしたり、人を集めたり。

とにかく「あの場を永続的に美しく保つ」という希望目的に据え、計画的努力するという行為に考えが至らなかったのだ。

それもまたよくあることだと思う。最善の希望目的に据えなければ最善の希望は実現できないのは当然だが、それは最善ゆえに困難が多いだろう。

ここで諦めたっていいのだ。それでもこの父娘が拾った幾らかのゴミは無かったことにはならないのだから

ところが彼らはどうやら自分たちのした事を無駄にしたいらしい。無かったこととして認めたいらしい。

自分たち行為をどう捉えるかは勝手だが、

彼らと同量のゴミを、同じように拾い、同じようにその場に再びゴミを投棄された人にも彼らは哀れみの視線を向けそうなところが非常にムカつくのである

ここまでだいぶ長くなった気がしたが、まだもう一つの主題が残っているのである

「ゼンイ」の話だ。

この話の中でたしか父は「ゼンイ」だからという理由ゴミを拾っていたのではないだろうか。

素晴らしいことである。実際その「ゼンイ」によって幾らかその場所不法投棄という犯罪行為が拭われたわけだしね。

しかし、前述の通り、この父娘は自分たち行為無為だと認識した。「ゼンイ」は無駄だったと判断したのである

ふざけた話だ。そもそも「ゼンイ」が無駄にならないという希望を、顔も見えない相手になすりつけるのはお門違いでは?

「ゼンイ」とかい何となく偉そうな行為何となくして、何となく裏切られた気がして、何となく失望しているのだ。

まあ娘は仕方ないかもしれないな、子供だし。この作者の描く人物はあまり年齢による区別がないかあやふやだが、多分小学校中学年とかだろう。

が、父親、テメーはダメだ。

「ゼンイ」が無駄になってしまったのかと泣いてる娘に対して何だその態度は。お前の頭も小学生女児か。

せめて昨日の行為は消えたりしないことは分かるだろ。慰めることもできないのか。親として子どもの心を守ることもできないのに他人に対して「ゼンイ」振りまいてる場合か。いやそれはまあ人によるだろうけどさ!!

そもそも「ゼンイ」が必ずしも良いことみてえな言い方自体が俺は非論理的だと思うんだけどさ。

人に感謝してもらおうとしてする「ゼンイ」は感謝求めない「ゼンイ」と比べて劣っていやしない。

しかし、「ゼンイ」に限らず、目に見えないもの認識され、更には感謝されるのは非常に難しい。

から人目にさらされなかった娘の「ゼンイ」がもし父にだけ見えているなら、父が娘にしてあげられることはあるはずだ。

それもしね〜で(以下繰り返し)

まあ、漫画の中の話に何マジになってんのと思う人もいるだろう。気持ちわかるよ。

でも、ある表現の中の仮想的な話に批判をすることは無意味ではないと思うんだ。

実際この漫画すごい拡散されただろう?いろんな人が関心を持ったのは間違いない。俺は俺の関心の持ち方をこんな形で表現したんだよ

この作者のイラストだの何だのがTwitterで流れてくるたびにこれを思い出してイライラしてたからその整理ってのもある。この人が作ったイラストとか動画で好きなのあるし、それ見るたびにフラストレーション溜めてちゃ世話ないしね。

このクソみたいな文章で何が言いたかたかというと、

自分が本当にしたいことは何なのか確認しながら行動をしたほうがぼんやりした失敗や失望をせずに済むということと

「ゼンイ」を目的に据えるということは他者目的決定権を委ねる原因になること

あとは娘が泣いてる時に言葉が詰まるパパはダサいということだ。

おやすみ

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