はてなキーワード: Aチームとは
https://anond.hatelabo.jp/20241118011129
例えば「それをやってるのが少数派な趣味」の話の場合、経験者に語らせるのが正解
逆に、「それをやってるのが多数派な趣味」かつ「自分はやってない」場合、やってない特殊な自分に話を集中させる
なぜそれをやるのが当たり前か、やらない人の意見
→説得されて「いや、それでもやらない!」でも「え、じゃあちょっとやってみようかな」でも話の着地としては問題ない
自分がやってる側の人間だったとしても、やってる人だけで会話してはいけない
・やってる人チーム vs やってない人チーム とか
・やってる人Aチーム vs やってる人Bチーム vs やってないチーム とか
ドラマだったら
の会話になる
攻略不可能な雑談は、上記の逆で、知ってる人だけで会話が繰り広げられるパターン
割って入ったら白けるし、黙るしかない
交代交代で他のチームの試合の審判を任されるのだが、今日は私が線審に当たった。
線審というのは、簡単に言うとボールがコートから出たかどうか、あるいはサーブの時にラインを踏んでいないかなどを判断し主審に伝える役割だ(と私は理解している)。
私が見ているコートのチーム(Aチームとしよう)のサーブ。他クラスのNさんがサーブを打った。彼女は“明らかに”ラインを踏んだ。私は即座に主審へ合図を送り、反則(?)であるとしてAチームの相手チームに点が加えられた。この判定が不服だったNさんは、チームメイトに「は?絶対今(ライン)踏んでなかったやろ意味わからん」と言った。結構攻撃的に。「おかしいやろ」とも言った。私の中に少しの申し訳なさと特大サイズの怒りが込み上げてきた。試合はAチームの負け。Nさんは私の判定のせいで負けたとでも言いたいような顔で私を睨みつけた。私は遂に我慢がならなくなって、試合後すぐにNさんに話しかけた。「さっき、審判に暴言吐いてたよね?やめてね、そういうの。完全に踏んでたし。うん。聞こえてるから。」と、とびきりの笑顔で言い放った。表情筋がピクピクする、と表現するのが正しいのだろうか。怒りと悔しさと、なぜか悲しみのような感情が込み上げてきた。Nさんは「あ、すんません」といった様子でヘラヘラしながら言った。周りにいるNさんのチームメイトも笑っていた。私は心底気分が悪くなり、その場を離れる際に「いや、お前が悪いやろ!」と言ってしまった。その一言がなければ、完全に私が正義だったのに。ああ、後悔が絶えない、、。
ところで、そのNさん、結構曲者である。成績優秀だと言う理由で、学校行事の際に全校生徒の前でありがた〜い演説をしていた。生徒会長でもないのに。他学年の代表は1分程度で終わっていたのに、Nさんは5分ほど喋り続けていた。まあ要は“でしゃばり”なのだ。なのでもちろん学年全体から嫌われている。今日の審判事件をクラスメイトに愚痴っても、みんな口を揃えて「あー、そういう人よな」と言う。Nさんは自分は賢い、下々とは違うのだというオーラがとにかくすごい。でも聞いたところによると、彼女は学年1位ではないらしい。私は学年4位だ。いや、お前そんな賢くないやん!そんな気持ちがあるから私はNさんに楯突いてしまったのかもしれない。
今、結構後悔している。自分は間違ってなかったのだから、無視しておけばよかったのに。なんか言い返したことによってめっちゃ不利なってない?てか審判への文句ぐらい私も言ってしまうかもしれない。言わんかったらよかった。
現実に生きている人が苦しんでいる様を見てそれを"ネタ"として笑いものにするのは悪趣味だと思う。
チーム組みの時点でチームバランスが悪いことが指摘されていて荒れ気味だった。
特にCチームの先鋒次鋒があまりに強すぎるんじゃないかという話になっていた。
実際試合になると
Cチームは全15試合中9勝6敗と順当に強さを見せた。
特に先鋒次鋒は2本先取の試合形式で1本も落とさず全勝して強さをいかんなく発揮した。
そして、Cチームは最下位に終わった。
優勝は15戦6勝9敗のBチーム。
準優勝は12戦6勝6敗のAチーム。(戦数が違うのは延長戦があったため)
今大会はポイント制になっており、通常戦は勝った方が1ポイント大将戦は2ポイントルール。
Cチームは大将が0勝5敗。すべてのチーム戦で他メンバーが勝ち越した状態で手番が回ってきて
全て負けて、チームを逆転負けに導いた。
それを◯◯(Cチームの大将名)虐、最高すぎる!とか言って茶化して遊んでる連中の多いこと。
大会のために一生懸命練習して、大将というプレッシャーの中戦って、結果負けてしまってしょげてる人を見て
冗談でも「シコシコシコシコ」「びゅるるるるる」ってコメントするの、そんなに楽しいか?
そんなに笑えるか?それがお前らの"ネタ"なの?
一生懸命戦って負けた人が見るコメント欄で「◯◯虐最高のイベントをありがとう!」ってコメントすることが?
そういう下劣なことでしょうもないホモソーシャルに浸るところからいつになったら脱出できるの?
Vtuberオタクなんていうリアルホモソーシャルになじめなかった人たちが、
結局ネットで集まって同じことしてるのに疑問を感じないの?
当時1年生の元部員が先輩から全裸土下座させられてたのが今更告発され、活動自粛という話だが、展開があまりにもひどいので書く。
全裸土下座発生は2022年1月。告発は最近で、今月5日に活動自粛決定というもの。
年度を2つまたいでいる事案である。これを知らずに頓珍漢なコメントしてる人が多い。
告発時期を鑑みると、サッカー部の同期達が次々と大学推薦等が決まっていくのに、自分自身はサッカー部辞めてるので進路が定まらないのが我慢出来なかったと考えられる。例のジャニーズ性加害問題も告発を後押ししたかも知れない。
ただ、告発まで時間が掛かりすぎたことで、加害者(ベンチ外3年生)は卒業後1年以上経過してるため、今更処分は不可能。
で、今になって告発騒ぎになり部活動自粛に至るわけだが、このせいで、いじめ事案があった2022年1月当時は大津高校に入学すらしていない現1、2年生まで巻き込まれてしまっている。
大津高校は高校サッカーのリーグ戦の最上位クラスである高円宮杯プレミアリーグに参戦しているが、その登録メンバー、つまり「Aチーム」を見てみよう。
https://www.jfa.jp/match/takamado_jfa_u18_premier2023/west/team11.html#member
なんと大半が2年生以下。3年生は28人中10人しか居ない。3年生中心のチームではないのだ。また試合記録を見ると分かるが、いずれの試合も2年生以下が常に5人以上先発している。
つまり、いじめの責任が全くない、連帯責任にも問えない2年生以下がトップレベルで試合が出来る環境がいきなり奪われた格好だ。
まずいじめをこの時期まで放置した学校側に責があるのは言うまでもない。また、いじめの責が全くない2年生以下は活動継続という選択肢は取れたはずだが今回そうしていない。
その上で、今更告発し、無関係だった下級生に八つ当たりをかます事になったいじめ被害者の責任も問うべきだ。事件当時その場に居あわせ、スマホで撮影に参加したともされる現3年生の試合の場を奪うのは良いが、当時入学すらしていない下級生にとっては今回の件は理不尽だ。Aチームの2年生以下の部員はいじめ被害者を強く恨んでいるだろう。
彼らから見たら、いじめ被害者は「僕達の活躍の場を奪ったパワハラ上級生」でしかないのだ。
増田は部活の不祥事で連帯責任を負わせることは賛成だ。そうしないと、レギュラー格が直近起こした不祥事の責任を補欠枠の部員に押し付けて凌いでしまう事案だらけになるからだ。(失敗したが)日大アメフト部がまさにそう。
ところが大津高校の件はそれにあたらない。あまりにも告発が遅かったことで、連帯責任を負わせるべきでない人達にも押し付け、下級生のレギュラー格が被害食らっている。
もとを辿れば「いじめの加害者が悪い」と言うだろうが、増田はその手のなぜなぜ分析はやらない。なぜなぜ分析は突き詰めると「サッカー部に入らなければよかった」「生まれなければよかった」にしかならないからだ。
仕事が無い
A担当とB担当は、ごちゃ混ぜにしてしまうと不正が起きるという観点から完全に独立する組織体制が好ましいのだが
B担当は一般社員だと1~2、3~10は部長以上でないと関わる権限すらない
B担当でも頑張ればキャリアは積めると信じて頑張ろうと思っていたし
企業だって馬鹿じゃないんだから、歪になっていることに気が付けば是正してくれるはずだ。と考えていた
「なんでAチームは残業多いのにBは残業少ないの?おかしくない?」
そんなことを言われても個々人の問題では無いので困る
強いて言うならばそんな体制を作り上げた企業、ひいては上層部全体が悪いのだから
しかし本部長からは、「あの部署は田中(仮名)さんに一任してるから知らない」と言い
田中(仮名)さんは「会社の方針が分からないから知らない」と言う
そして役員は「なんでこんなに残業時間で偏りが出てるの?」と純粋無垢な子供のような態度で聞いてくる
キャリア積む為に転職してきたのに、なんでこんなことになったんだろう
大した業務もなければ誰も先導してくれない。役員からは評価も低い(現時点)ので昇給や賞与の期待も薄い
なんだこの企業
ワールドカップのPK戦で高校部活組とユース育ち組の比較が話題となった。
その高校生カテゴリのトップリーグである「高円宮杯プレミアリーグ」で衝撃的な事件が起きた。2011年にプリンスリーグを格上げする形で作られたこのリーグは「Jクラブのユース7~8割、部活チーム2~3割」という状況が続いたが、2023年はユース11チーム、部活チーム13チームと史上初めて部活チームが多くなるという事象が起きている。特に下部となるプリンスリーグとの入れ替え戦では部活チームが全勝(部活チーム同士の対戦は除く)。
高校サッカーの世界で、ユースから部活への回帰が進んでいると言う話は数年前からあったが、それは育成のトップリーグにまで波及したことになる。
まずは練習環境面。Jクラブのユースチームは専用の練習場を持っていないことが多く(トップチームが優先的に使える公共施設を共用、と言うケースが多い)、地域内のグラウンドを他の地域クラブと取り合いになるケースが珍しくない。あるJ1強豪クラブのユースチームは練習場の件で地元と常に揉めていると言う話もあるくらいだ。一方で部活チームは、強豪ならだいたい専用グラウンドを持っている。練習段階で地元ともめることはまずない。
それと大会の注目度の違いに起因する学校生活のしやすさの違い。世間の注目度はどうしても高校サッカー選手権>>>>>越えられない壁>>>>>クラブユース選手権(ユースの全国大会)、高円宮プレミア・・・となってしまう。ユースの選手たちとは言っても日中帯は部活組と同じく普通の高校生だ。ユース組は頑張って結果出しても「ふーん、良かったね」で終わってしまうが、部活組は高校サッカー選手権で結果出したら一躍スターである。それと部活組はサッカーを通じた学校の宣伝もミッションの1つであることから学業面でもだいぶ考慮してもらえるが、ユース組にはそのような恩恵はない。
地元と揉めがちで、サッカーで活躍しても認められない、学業面でも考慮してもらえないユース組。地元に支持され、活躍したら一躍スター、学業面でも考慮してもらえる部活組、どちらが「良い」高校生活を過ごせるかは言うまでもない。
本田圭佑や中村俊輔は中学校までJクラブのジュニアユースで活動していて、ユースに昇格することが出来なかったため部活動に移行してプロになったが、近年はユース昇格を「選手側が断る」ケースが非常に増えているのだ。
部活動の地域移行が盛んに議論されているが、その思惑と真逆の事象がサッカー界で起きていることは知っておいた方が良いだろう。
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・ユース:学校の部活とは別の高校生年代のチーム。Jリーグチームはユース組織を持つことが義務付けられているため(そうでないとJ2以上に昇格できない)Jリーグチームの下部組織が多いが、三菱養和SCのようにJリーグチームとは直接関係がないチームもある。なお中学生年代のチームは「ジュニアユース」と呼ばれる
・高円宮杯プレミアリーグ:高校生年代のリーグ戦の最上位カテゴリ。その下はプリンスリーグ(1部と2部)、都道府県リーグ・・・と続く。学校の部活チームとユースチーム両方出られる。カテゴリが別々なら同一校やユースから複数チーム出すことも可能。1軍をAチームとして、D,Eチームまで作るケースも珍しくなく、中にはHチーム(9軍)まで作って公式戦に出してる学校もある。これがあるため近年の高校サッカーの部活は「補欠が試合経験を積めない」問題はだいぶ改善されている。一方でJリーグユースは1軍しかないところが大半で、あっても2軍まで。
・高校サッカー選手権:毎年冬に行われる、学校の部活チームだけが出られるトーナメント制の全国大会。前後半終了後即行われるPK戦が名物。代表は都道府県別(東京都だけ2チーム)。都道府県予選の決勝は地元TV局、全国大会も1回戦から日本テレビ系列で放送され、決勝戦はほぼ毎年4-5万人の観衆を集めるなど注目度は高い。一般人にとっては「箱根駅伝生中継後に放送される番組」のイメージが強いかも。
・クラブユース選手権:毎年秋に行われる、ユースチームだけが出られるトーナメント制の全国大会。決勝はテレビ朝日系列で生放送されるが観衆は1万人行けば良い方で(会場は高校サッカー選手権と同じことが多いので空席が目立つ)注目度は低い。
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【追記2】
ブコメより
>それ聞くとなんでユースは練習環境整えないんだ?ってなるけど。資金力とか、子供にサッカー教えた後のリターン考えると高校に比べてユースが手を抜くの変じゃない?
資金力は学校の方があることが大きい。学校なら宣伝目的でお金投入できるし、OBや地元企業からの寄付金も集められるし、浅野がいた四中工のような県立高だと県の税金も使える(これには例の共産党も反対しない)。市立船橋高のように独自にスポンサーを集めることもできる。ユースはそのいずれも難しい。あくまでもトップチームが主でありユースは従だから。
王様はそう言った。
…どうしてこうなってしまったんだ。
俺はいつもと変わらず高校に向かった今朝のことを思い出す。―――――(ここまで書いた。以下全てAI)
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目覚ましが壊れていたらしく、アラームが鳴る前に起きてしまったのだ。
慌てて制服に着替えて家を飛び出したのだった。
学校に着き自分の教室に入ると、クラスメイト達から一斉に視線を浴びる。
俺が遅刻した事で驚いたのかと思ったがどうやら違うようだ。
「おい! アレって……」
「マジかよ!!」
そんな声があちこちで聞こえてきた。
一体何事だと思いながら席に着くと、後ろから肩を叩かれる。
振り返るとそこには幼馴染みである美樹の姿があった。
「おはよー、大樹」
「ああ、おはよう」
挨拶を交わす俺たちだったが、周りのざわめきは収まる気配がない。
そこでようやく気が付いたのだが、俺の首には首輪が嵌められていたのだ。
(なんだこれ? ペットでも飼い始めたのか?)
そう思って周りを見渡してみるも誰もいない。
するとまた美樹から声を掛けられる。
「ねぇ……それなんだと思う?」
「いや、わからないけど……。何か知ってるのか?」
美樹の様子を見ると心当たりがありそうな感じだったので聞いてみた。
「実はさっきね、先生から聞いたんだけど……。大樹って昨日退学になったらしいよ」
「……はい?」
全く予想していなかった答えに思考が追い付かない。
そして美樹の言葉を理解していくにつれて段々と顔色が悪くなっていくのを感じる。
「えっと……どういうことだ?」
恐る恐る尋ねると美樹は大きくため息をつく。
「どうもこうもないわよ!! あんたが退学処分だって言ったんでしょ!」
その言葉を聞いて思い出す。
(そうだ! 俺はあの時――)
――
――
――
それは一ヶ月前のこと。
俺は学校帰りにある噂を聞いた。
なんでも最近、この辺りで行方不明者が続出しているという話だ。
警察もその事件の捜査をしているらしく、ニュースにもなっているくらい有名な話になっていた。
最初は他人事のように思っていたのだが、数日後に友人から行方不明になったのは俺の知り合いだと聞かされたのだ。
だがそんなある日、学校の帰り道で見覚えのある少女を見つける。
それが幼馴染みの美樹だった。
俺は急いで駆け寄り、話しかけようとする。
しかし次の瞬間、目の前が真っ暗になる。
どうやら何者かによって気絶させられたようだった。
目が覚めるとそこは薄暗い部屋の中で、手足を拘束されていた。
状況が理解できず混乱していると部屋の扉が開かれる。
そこに立っていたのは、行方不明になっていたはずの美樹だった。
「あぁ、起きたんだね」
「み、美樹なのか……?」
「ねぇ大樹君、君はもう用済みだからここで死んでもらうよ」
それを目にした途端、全身の血の気が引いて行く。
「ま、待ってくれ! 何言ってんだよ!?」
必死に訴えかけるが聞き入れてもらえない。
そう言い終わると同時に美樹は襲いかかってきた。振り下ろされるナイフを避けることができず、腕を斬りつけられる。
「ほらほら~まだ始まったばかりなんだよ? もっと頑張らないと死んじゃうよぉ?」
狂気に満ちた笑顔を見せてくる彼女を見て背筋が凍りつくような感覚を覚える。
逃げようにも縛られているせいで身動きが取れなかった。
その後も何度も刺されたり斬られたりと繰り返していくうちに、次第に抵抗することも出来なくなる。
やがて血を流しすぎたのか身体が思うように動かせなくなり、視界がぼやけてきた。そしてついに力尽きてしまい床に転がる。
(クソッ……こんなところで死ぬのかよ……)
薄れゆく意識の中、最後に見たのはこちらに向かって歩いてくる美樹の姿だった。
――
――
そして現在へと至る。
あの時の事を思い出して頭を抱える。(そういえばそうだった……。確かあいつに殺されたんだったっけ……)
どうやら俺は本当に死んだらしい。
「おい! 何やってんだお前!!」
突然、怒声が響き渡る。
そちらの方へ目を向けると、担任の教師が怒りの形相で立っていた。
その視線の先には美樹がいる。
「ち、違います! 私はただ……」
慌てて弁明しようとするが聞く耳を持ってもらえないようだった。
そのまま教師は俺の元へ歩み寄ってくる。
怒鳴られビクつきながらもなんとか答える。
「えっと……その、寝坊しちゃって……」
「そんなことはどうでもいい!! どうしてこいつがここにいるのか説明しろと言っているんだ!!」
完全に頭にきているようで、いつもより口調が強くなっていた。
「そ、それは……昨日のことで話があると言われまして……それで呼び出されたので……ついて来たら……いきなり襲い掛かられて……。怖かったので……思わず突き飛ばして……しまったんですけど……。気が付いたら……いなくなっていて……逃げたみたいです」
俺は美樹に襲われた時のことを詳しく話す。
すると美樹の顔色は見るみる青ざめていき、その場に座り込んで泣き出してしまった。
(あれ? おかしいな……。なんで俺、こいつを庇ってるんだろう?)
そこでふとある事を思い出す。
(そういえばあの時もそうだったな……。なぜかあいつの事が許せなかったんだよな……)
その理由が今になってようやくわかった。
おそらく俺は美樹が嫌いだったのだ。
小さい頃からずっと一緒にいた幼馴染みなのに、どこか冷めた態度を取る彼女が気に食わなかった。だから今回のことも彼女の本性を見抜けなかったことも含めて全て自分の責任だと思い、彼女を庇ったのだ。
「そうか、そういうことだったのか。じゃあこの件はこれで終わりだな。さぁ、授業を始めるぞ!」
俺はその様子を眺めながらこれからどうしようかと考える。
恐らく俺はこのまま成仏するのだろうと思っていたのだが、美樹の言葉を聞いて考えが変わった。
『ねぇ、大樹君。私ね、昔からあなたのことが大っ嫌いだったの』
それなら俺も付き合うとするか。
こうして、俺と美樹による復讐劇が始まった――
美樹に殺されてから一ヶ月が過ぎた。
その間、特に何もすることがなく暇を持て余していた。
というのも俺には霊感がないため、幽霊として何かできるわけではないからだ。
そのため学校にいる間も、放課後も、家で寛いでいるときですら、ひたすら美樹を観察していた。
そもそも彼女は学校では優等生を演じているため、普段の様子からは何も掴むことができなかった。
唯一わかるのは休み時間になると決まってトイレに行くということだけだ。
だがそれも個室に入るだけで、誰かと会っているような素振りはなかった。
それから更に数日が経つと、今度はクラスメイトに話しかけられる回数が増えた。といってもその内容はどれも似たようなもので、「最近元気がないね」「悩みがあったら相談に乗るよ」といったものだった。
最初は適当にあしらっていたが、あまりにしつこく聞かれるため鬱陶しく感じてくる。
そしてついに我慢の限界を迎えた俺は、美樹以外の生徒を遠ざけるようになった。
――
その日は男女混合でソフトボールをすることになった。
チーム分けの結果、俺達はAチームとBチームの二つに分かれることになる。
Bチームは男子ばかりで、その中には美樹の姿もある。
「よし、いくよー!!」
美樹は声を上げ、勢いよくボールを投げ込む。
しかしその球は大きく逸れてしまい、相手側の外野まで飛んでいった。
「ごめんなさい!
いまやプリントシール機そのものの代名詞となったプリクラだが、そもそもは1995年にアトラスが発売した『プリント倶楽部』(以下「プリクラ」)の略称である。
「プリクラ」はそれまで世の中にまったく存在しなかった分野を切り開き、最盛期の1997年にはプリントシール機の市場規模は1000億円を突破した( https://jaia.jp/wp-content/uploads/2020/04/JAMMA-PRI3.pdf )。そんな「プリクラ」の生みの親が、当時アトラスの営業ウーマンであった佐々木美穂氏である。元々リクルートに勤めていた彼女は、アトラスの創業社長・原野直也氏に誘われて1987年にアトラス入り。仕事に使用していたビデオプリンターから着想を得て、「プリクラ」が誕生した。
その佐々木美穂氏が亡くなっていたという話が飛び込んできた。
江崎 稔
@esakings
ATLAS女神転生初期メンバー同窓会楽しかった~僕が仕事の都合で22時抜けだったけど話は尽きなかった。メガテン制作時の笑い話、バイオ戦士、えりさと、銀河伝承、亀の恩返し。伝説の人々、可愛がって頂いた亡くなったプリクラ生みの親美○姉さん
@gontarou
色々話聞きたかった…
…ん?
>亡くなったプリクラ生みの親美○姉さん
…えっ えっ!? 亡くなってるの…??∑(゚ロ゚ ;)
午前11:04 · 2022年7月9日·Twitter Web App
https://twitter.com/gontarou/status/1545589700005875712
江崎 稔
@esakings
返信先: @gontarouさん
亡くなったらしいですよ
午前11:23 · 2022年7月9日·Twitter for iPhone
@gontarou
返信先: @esakingsさん
なんと…。
いつかの記事にこんな事書かれてましたけど、この記事が2019年の記事なので本当にこのタイトル通りとなってしまわれたのですね。。。
江崎 稔
@esakings
返信先: @gontarouさん
よくおやつ持って来てくれた優しいお姉さんでした。ご冥福をお祈りします
江崎稔氏は元アトラスのグラフィッカーで、『デジタル・デビル物語 女神転生』では悪魔デザイン、説明書イラストを担当。現在はアニメ業界に転身している。
2019年のインタビューによれば、佐々木氏は老人介護施設に勤務していた。また2021年1月放送のテレビ番組でもインタビューに答えていた。当時まだ55歳である。
「プリクラ」はSMAPが出演するテレビ番組で取り上げられたことをきっかけに社会的認知が高まり、女子高生層を中心として空前のブームとなる。「プリクラ」特需に乗るようにしてアトラスは1997年にJASDAQ上場を果たすが、ブームの退潮、他社のプリントシール機参入もあり、21世紀に入ってからは経営難に陥る。タカラ、インデックスの子会社となり、2009年には「プリクラ」を含む業務用ゲーム部門を畳んでいる( https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/09/news014.html )。2010年からはインデックスに完全に吸収されていたが、2013年にセガサミーグループ傘下となり会社組織として復活した。セガといえば「プリクラ」をアトラスと共同開発したという縁がある。2013年のセガ社長・鶴見尚也氏のインタビューでも「セガとの歴史で言うと、アトラスとは、プリクラの時代から長いお付き合いがありましたし、ポジティブな印象を持っていました。」と触れられている( https://www.famitsu.com/news/201312/02043751.html )。2020年にセガは20年ぶりとなるプリクラ機「fiz」を発売した( https://automaton-media.com/articles/newsjp/20200707-129763/ )。
セガとアトラスの縁といえば、以下のような話もある。セガサターン用アクションRPG『プリンセスクラウン』の開発が暗礁に乗り上げた際、神谷盛治氏とアトラスを結びつけたのも、「プリクラ」ヒットによる両社の友好的な関係が背景にあったという。神谷氏が設立したヴァニラウェアはアトラスと複数のタイトルでタッグを組むことになるのだが、もしかしたら「プリクラ」がなければ『十三機兵防衛圏』もなかったかもしれない。(『十三機兵』の複雑な時系列の組み上げにはアトラスQAチームの貢献が知られる)
神谷氏:
プリンセスクラウンの開発途中で,所属してた会社が倒産してしまうんです。
あら……。その後どうしたんですか?
神谷氏:
あわててセガの担当者に連絡を取って,「なんとかなりませんか」とお願いしたんですけど,その時はちょうどセガとバンダイの合併話が持ち上がっていた時期で,身動きが取れない状態でした。それで,代わりに……というわけではないのでしょうが,当時,セガさんと仲の良かったアトラスさんを紹介してもらったんです。
なるほど。それはなんというか……凄い展開ですね。
神谷氏:
あの時期,セガとアトラスは「プリント倶楽部」の大ヒットを背景に,とても関係がよかったそうで。こういう危うい案件の相談もできたみたいなんですね。結果としては,アトラスさんが開発費の一部を引き受けてくれて。セガ×アトラス共同プロジェクトという形で,プリンセスクラウンのプロジェクトが再開されることになるわけです。
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ヴァニラウェアは命がけでゲームを作る会社――クリエイター神谷盛治氏・ロングインタビュー https://www.4gamer.net/games/134/G013480/20130521001/
難民受け入れたら、もの凄く絶対おもしろいことあるんです。ほんで、なかなかね、苦しい状態がずっと続きますから、難民受け入れたらなかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます。で、パッとやめます。それなりの生活に戻ったら。だから、難民受け入れた時のその3カ月、3カ月は今まで『えっ?こんな子、入ってた?』っていうような人たちが絶対、入ってきますから。はい、だから今、我慢しましょう。今は本当に我慢して。はい、難民受け入れた時に、われわれ風俗野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう。そのために今、我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、そして、いろいろ仕事ない人もアレですけども、切り詰めて切り詰めて、その時の3カ月のために頑張って、今、歯食いしばって踏ん張りましょう。そうしたら、難民受け入れた時に、その3カ月、見てみ?行ってみ?『えっ?こんな子、入ってた?マジっすか』。でも3カ月やで、その子らも。パッてやって、パッとやめるから。それだけはもう、たぶんそうなんじゃないかと。僕は、僕はそれを信じて今、頑張っています
母から俺の子育て時代の話聞いてると、親父が糞すぎて今だったらtwitterでヒス起こしてる女みたいな経験してた。よくよく聞いてみたら大分ナイトメアモードだった。
・父は仕事だけで家事育児は一切しない。(しかし中卒だったので収入も低い上に無駄に自尊心だけは高かった)
・父は「一度」だけ俺のオムツを交換した事があるらしい。その一度で「俺は育児にも積極的に関わってるヅラ」をしていて、仲間内で集まると「俺もオムツ交換とかやってるよね?」みたいな事を言って母がドン引きしていた。
・母が妊娠中、出産後も父は酒タバコ辞める気なし。母の友人達が妊娠を気に煙草をやめていく中、父は分煙の概念すらない喫煙生活を送っていた。
・デリカシーが無い(身内だからという理由で我が物顔で人の物を勝手に使う)上に新興宗教にハマってるという非常に扱いづらいステータスを持つ義母(父の母であり俺の祖母)と、重度のアルコール中毒の義父と同居生活開始。祖母による食べ物の口移しが執り行われ、俺の虫歯ライフが始まる。
こんな糞みたいな環境の中で「子育て楽しかったからあんまり苦ではなかったよ」と言って俺と弟を育てた母にはマジで頭が上らん。母は美容師時代に薄給の上にボロい寮で上下関係の厳しい集団生活を送っていたが(父が言うには7seedsの夏のAチームみたいな狂った環境だったらしい)そこでも伸び伸びと過ごしていたらしいので、とりわけメンタルが強いたけな気もするが、俺だったら耐えられる気がしない。
久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。
アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。
録画されていたのは高校野球。
なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。
プロ野球の放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易な理由も当然ある。
高校野球の優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢な発言や態度が気に食わない、という個人的な嫌悪感もある。
でもそれ以上のキッカケがあったな、と。
僕が小学校時代、地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である。
30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。
自分が住んでいた町では5月~8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子はソフトボール、女子はドッジボールに強制参加させられた。
各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。
ちなみに僕は参加させられるまでソフトボールの正式なルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、程度の認識だった。
僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。
均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。
Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドア系の子が多かった。
また、A,Bチームは過去に野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長のおっさんが監督だったのも色々察せられる。
小学3年生になり参加した初日、いきなり守備の審査が行われた。
まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。
生まれて初めて自分の意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらずキャッチャーの頭上を大きく超えた。
「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。
キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトと審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールにビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。
そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センター、ライトの練習といった感じだった。
2日目、攻撃の練習が始まったがそもそものルールを説明されていない。
1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。
いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。
2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。
次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。
えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督にバットで小突かれ、「子供のくせに野球のルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。
こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。
3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー、三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。
なおここまでもこれからも監督からソフトボールという競技のルール説明は一切ない。
下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。
僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子が休みだったため急遽レフトをやることになった。
地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。
当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。
練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督がバットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。
僕の両親と監督の指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎のPTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。
また、監督の金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。
流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習をサボるようになった。
久々に17時からのアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。
そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。
夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。
最初はスタメンから順に渡されていき、監督もテンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。
交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。
そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。
なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。
なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。
監督はスタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。
小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督からの辛辣な言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。
そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。
これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。
Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。
さっきまでAチームでピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。
さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。
町大会のルールでは他チームからのトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。
今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人も子供も何人もが見ていた。
「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。
Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。
両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。
町大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツは自力で、とのことだった。
現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合に絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。
優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。
運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンクに氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。
2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。
僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。
閉会式での監督インタビューで「野球というものは精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。
メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供を放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。
まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?
スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち、野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。
野球は素晴らしい、野球というスポーツのルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。
教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまったからかな。
これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。
野球が好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。
なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。
まずAのチームに行ってからBのチームに行って終わりという作業があって、いつもどおりAチームに行ったら「やり方が変わってこれからはAは無しで。直接Bに行ってもらっていいから」と言われた。
昨日その作業のためにAに行こうとしてる人が居たので「A無しでBに行っていいですよ」と伝えた。えー?ホントですか?と言われたけど、自分はAの人からそう聞きましたよって応えた。
しばらくしてその人が帰ってきて「違うじゃないですか!やっぱりAからじゃないと駄目じゃないですか!」って怒られた。
確認の為にAに行ったら「前はそう言ったけど、やっぱり駄目ってことになったから」と言う。
この失敗で学ぶことってなんですかね。
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この回のMVPは文句なしで船木さん。上手いだけでなく,印象に残るパフォーマンス。会場の空気全体が震えているように感じたほどの声量だった。
次いで譜久村さん,高瀬さん。譜久村さんは印象的なものはあまりないが,歌の総合的なレベルがバランスよく高い。高瀬さんは最初のミスさえなければ譜久村さんを超える歌唱だったかもしれない。これに続くのが段原さん,井上さんあたりというのが,個人的な評価。