はてなキーワード: 苦痛とは
インターネットの治安の悪い界隈では、リベラルやフェミニストを自称する皆様すら、気軽にこんなことを言ってしまう
そうすれば風俗で働く女性の苦しみがお前にも理解できるだろう、というわけだ
しかしそちらについてはここでは触れない、重要なポイントは他にある
そこの理由を、そういう人らはもちろん、下手すりゃ当事者の女性すら理解していないのだ
まず女というのは、とにかくその場でヒエラルキーの高い男に群がるという習性がある
小学校では足の速い児童に、高校大学では体育会系やイケメンに、サークルでは3年の幹部に、就活となればギョーカイの偉そうなおっさんに、婚活では医者や弁護士に、そして新興宗教なら教祖のジジイに
これらは男目線では単なる節操のない行動にしか見えないが、全て一貫した動機から生じている
「その場でヒエラルキーの高い男に群がり、そいつに取り入ることで、自分も同じヒエラルキーに上がった気分になる」というわけだ
単に箱の種類とヒエラルキーの基準が違うだけで、やっていることはみんな一緒である
まず客を選べない
そしていくら高級なそれであっても、金のやりとりをすれば、基本それで終わる
女にとっては、やること自体ではなく「ヒエラルキーの低い男とやらされること」「やったのに自分のヒエラルキーが全然上がらないこと」こそがたまらない苦痛であり、そして搾取に他ならないのだ
そりゃメンタルも病むだろう
戦国時代の小姓とかならともかく、現代社会では「自分の性を使って自分のヒエラルキーを上げる」というのが、女相手であれゲイ相手であれ、そもそも単なる夢物語でしかないからだ
どこぞのアナウンサーやなンだわの人みたいな例がないわけではないが、相当のレアケースである
だからゲイ相手に体を売ったとしても、もちろんそれにはそれなりの肉体的精神的苦痛は伴うだろうが、しかし風俗嬢の本当の苦しみとは全くかけ離れている
見下している相手とやることの悔しさ、そして本来なら当然得られてしかるべきだったヒエラルキーの喪失感
どちらも男にとってはハナから無縁であり、ゆえに想像もしづらいのである
そして当の風俗嬢自身すら、それを感覚としてはわかっていても、論理として消化できていないのかもしれない
ハフポストの記事をいくら読んだって、そんなこと理解できるわけがないのだ
ところで、これらを踏まえると、江戸時代の遊郭の「位が上がれば客を選べる」とか「身請け」とかのシステム、あれはもう悪辣なほどによくできているのではないだろうか
苦痛過ぎて読めなかったが、これは世界おじさんブログ遺産に認定し、後世まで残すべき文書。
自分は今38歳だが、今後こんな文書を絶対に書かないように気を付けたい。
と思ったが、Twitterで「躁鬱の躁の状態で、冷静さを欠いているのでは?」と指摘があった。確かにそうかもしれない。
それにしても読むのが辛い。
http://hants.livedoor.biz/archives/52184019.html
本当は何も言わないつもりだったんです。
なんかカッコ悪いじゃないですかー
「この件は、これこれしかじかでーー」とか、なんか言い訳してるみたいで。
なので僕もいろいろ変だな?と思うところはあるけど、じっと黙ってようかと思ってたんですね。梅澤さんがそう思うならそれでいい、的な。
相手が男だったらまた違っただろうけど、女性なんで、男はじっとするものだと。
でも、同じ質問をいくつかのテレビやネットニュース屋さんからされるのもあって、面倒になってきちゃった。
どこかにテンプレートみたいなものを置いて、聞かれたら、「ここを参照してね!」みたいな場所があったほうが楽かな、と。。
で、その場所をですね、いろいろ考えてたんですね。
じっと黙って黙って、最後の最後でどこかの週刊誌に載せたら、けっこうギャラも貰えるんじゃないかという気持ちもありました(ていうかとても大きかったwww)
が、朝のテレビ朝日「グッドモーニング」を見て(実際にはリアルで見れなかったので、ネットで見つけた)、自分が話した内容と、実際にまとめられた文章が、やっぱりなんか違う。そこじゃないんだよなー、みたいな。。
その時、気づいたのが、結局、週刊誌に載せるにしても、編集者さんのバイアスがかかり、僕は単に不思議だな?という話を言いたいだけなのに、
たぶん週刊誌は売上UPのために「フードジャーナリスト徹底反論!!」とかなんとか、ぜんぜんそんな事を思ってないのに、あおる見出しをつけちゃったりなんかしちゃったりするので、やっぱ、信用できない 笑
となると、お金とかを考えずに、純粋に自分のブログに載せておけばいいかな、と。
でも、書こうと思った本当の理由は、数名のとても親しい友人に同じことを言われたんです。
「ラーメン評論家が怒られてるけど、今、はんつ遠藤がきちんと何か言わないと、他のラーメン評論家に迷惑がかかるだろ!!」
あーー、その視点は全くありませんでした。
これ、余談ですが、僕、ラーメン評論家じゃなくてフードジャーナリストなんです。。
この度はあらゆる方にご迷惑をお掛けすることとなり申し訳ございません。
誰にも迷惑をかけず、誰にも存在を認知されないまま消えたかったです。
誰にも心を割けず、人に迷惑を掛けるだけの価値のない存在でした。
本当にすみませんでした。
仕事が忙しく自分の責任能力のなさと矮小さで死を考える癖がついてしまいました。
退職直前には既にまともな思考力がなくなっていたのだと思います。
それから個人で受けた仕事も家のことも碌に手がつけれず風呂にも入らず、いつ死ねるのかどうすれば迷惑を掛けず楽に死ねるのかばかり考えていました。
友人が家に来てくれた時もありましたし、とても心配掛けました。
ほっておいてほしい気持ちと、私が鬱々とした状況に心を痛めた友人を見て許された気持ちになりました。
他人がどう思い、嫌な気持ちになるかが人一倍欠落し、自己中心的な人間なのだと思います。
死ぬ失敗と死後の迷惑がちらついて、情けなくも怖くなりました。
自殺した人が偉いとは一切思いませんが、行動に移した度胸は尊敬します。
自殺について調べた際気づいたことは、こころの相談ダイヤルに救われるなら今年だけで14000人も自殺していないです。
死ぬことも責任も放棄した全ての言い訳をみっともなく残し、自らデジタルタトゥーを彫りました。
これを書いている今も誰かに助けてほしいわけではなく、きっとどうにか自分で出来るだろうと過信している自分がいます。
一先ずここで一度、私は私を殺します。
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【追記】
自殺するつもりなわけでもなく、何か起きるかもしれないので残します。
相手もいません。
なので後悔はしていません。
前職に勤めていた頃から退職後しばらくまで、その頃の自分の精神状況は非常におかしかったと思います。
本業と同時に、友人の仕事請け負いをしていたのですが、当時勤めていた仕事が非常に激務で段々と気づかない内に自分の考え方や精神の在り方が崩れていったのだと思います。
本来の仕事と友人からの仕事、自分なら両立できると思っていましたが、自分が弱く計画性もなく、楽な方に逃げた結果、友人からの仕事は手を付けれない状況が続いていました。
しかし、退職する目途が立っていたので虚偽の進捗連絡をしました。
退職さえすればどうにかなるだろうと思っていました。
そして約半年で退職を迎えましたが、その頃にはおかしくなっていました。
自分が入社してからスタートした案件だったのですが、社内で対応できる人間もおらず、ほんのわずかな知識しかなく実績もない自分が担当となりました。
自分は人前で話すことが得意ではなく、注目を集めた状態で人前で話をすると頭が真っ白になったり声が震えたり、頭や手が痙攣したようになってしまうので精神科に通ったこともありました。
しかし自分の業務は打ち合わせ等が比較的多く、確実に負担になっていました。
件数が増えると外注先が対応しきれない案件のフォローも増え、回しきれない業務による残業・ストレス諸々で逃げ出したい気持ちが大きくなりました。
そこで初めて自殺を考えました。
朝起きる度、自殺がちらつく日が続きました。
風呂にも入らず、外にも出ず、家事も手を付けず、食事は宅配で済ませ重なる出費、前までの自分ならやばいと思えたこともどうでもよくなりました。
どうせ自殺するし今日しなくていいや、という投げやりな考え方をするようになりました。
結果、ありませんでした。
マンションでの自殺・電車飛び込みは損害賠償費が発生し迷惑になるのでNGです。
いのちの相談ダイヤルとかいうクソの役にも立たないものが出てきて少し嫌な気持ちになりました。
結果、繋がりませんでした。やっぱりクソです。
ですが死ぬぞ死ぬぞと考えて数カ月経ち、いい加減死ななきゃと思い紙ごみ用の紐を首に巻き付けてドアに掛けました。
30秒もしない内に喉が辛くなり紐を外してしまいました。
結局、私は死ぬ度胸はありませんでした。
そうなると生きるしかないので、これからどうするかぼんやり考えました。(※)
そうこうしていると虚偽申告を続け連絡を絶っていた知人の仕事について、催促の連絡が届きました。
最終的に弁護士を挟んで損害費用を請求するとも伝えられました。
本当に申し訳なかったので借金をしてお金を送りました。(今はリリースしているのを知ったので申し訳ない気持ちは消えました)
この知人が同級生なので、それから他の同級生とも連絡を取っていません。
また、同時期べつの界隈の友人からも依頼をされていたのですが、こちらも逃亡。
どん底なのでこれ以上気持ちが下がることはなですが、上がることは二度とないと思います。
他人と関わると誰かの迷惑になるので、誰とも関わらないように生きていきます。
(※)のタイミングで仕事を探していたところ、就職できました。
借金は年内に返す予定です。
こういうのってどこで相談したらいいんだろう?
相手に何かして欲しかったり、逆に相手がこちらになにかをして欲しかったりする会話がすごい苦手で困っている。
恋人との会話というのも自分にとってはこれで、結果全てが苦痛になって逃げ出してしまった。
こちらの仕事を増やそうとしてくる奴なんてどう考えても敵なのに、敵として扱うと不利益が出てくるから丁寧に応対するその矛盾に発狂しそうになる。
逆に、相手に協力してあげたい気持ちになっても、こちらの利益を考えなくてはいけない場合はどこかで線を引く必要が出てくるから、その線をどこにするか考えるのが難しくて、なにもしてあげられなくなる。
毎回「初回専用トーク」を繰り広げて無理やり2時間乗り切っている
(※1000円カットは入院前に一度試したが、昔の女学生みたいにされて怖くてもう行けない)
なので、そろそろ髪切りたいなーと思った時はアプリで通勤定期区間内のお店を探し、
仕事帰りか土日で空いてる日を探して適当に選び、担当美容師の指名はしない
もう7年ほどこの生活をしている
さて、安い美容院と高い美容院は、スタッフの応対やカラーリングの丁寧さとか色々違いがあるけど
後ろ髪のカットには極端な差は感じないが、安いチェーン店はとにかく前髪切れない美容師が多いと感じる
決して全員がそうだとは言ってないが多い
正確に言うと「切れない」というよりは「あーっ。前髪自分で切ったんですねぇー。ダメですよぉー。前髪って朝髪型セットする時にこうしてこうするようにすると切る必要ないですよぉー。」という感じで
色々と蘊蓄を語って前髪を「切らなくていい」ための予防線を張っている感じがする
内心「いや…この前髪を最後に切ったのは別の美容院の美容師の方だが…」とか思いつつ
面倒なので「そうなんですよぉ〜前髪のためだけに美容院行ってられないので〜^^」と接待モードに入る
前髪切ってもらえなかったら、次の時はそこそこ高めのお店を選ぶようにしている
そうするとちゃんと頼んだ通りに前髪切ってくれる
もちろん個人の感想です
純粋に倫理の問題だけで考えるなら「受精卵であれなんであれ殺しちゃいけない」って結論になるのは自明では。
発売日に買ってようやく4ルート+灰狼をクリアしたのでつらつら書いてみる。
水増しするくらいなら1ルートに絞って徹底的に作りこむべきだったのではなかろうか。
過去作品はそこそこやっているが、ここまでガッカリした、時間を無駄にしたと感じる作品ははじめて。
世の中でなぜこんなに売れてもてはやされているのかまったく理解できなかった。
「入れ込みすぎ」たキャラクターというのは最後までいないままだった。
ターン制限やクリア条件がシビアなマップはほとんどないせいで、頭を使わずに戦闘を繰り返すだけ。
使いまわしが多いため周回するともはやプレイに苦痛を感じるレベル。
様々な制限があるなかでどう勝つか、考える要素が多く非常に面白い。
これのせいで適当に突撃して失敗したら天拍で巻き戻すという繰り返しでクリアできてしまう。
雑にプレイして平気なら何かを考える方があほらしく感じてしまってだめ。
「命中30%?とりあえず振ってみるか」こんな思考でFEをやりたくなかった。
使わなければいいという声もあるが、なぜ公式に存在する選択肢を縛ってプレイしなければならないのか。
ハードより上の難易度なら多少は何か変わるかもしれないが、そこに挑戦する熱意は生まれなかった。
黄はかろうじてそれっぽい締めがあるが、白赤青は中途半端になげっぱなし。
大団円はなくとも、風花雪月の話が終わったという感じは欲しかった。
赤なんて闇うごを討伐までがエガちゃんの想いのはずなのにレア倒してエンドでは、ただ闇うごの願いを成就させただけじゃないかと。
短く綺麗にまとまっている。級長の団結も見られて楽しい。
父親が死んで1回失敗したらもう諦めちゃうのか。青ルートでロドリグ死んときは「ディミトリ正気に戻ったからまあいっか」なのか。
不意打ちで死ぬ系はすべてが天拍でどうにからならないのか?と思ってしまう。ストーリーに組み込んだのは失敗だったと思う。
謎のまま明かされないアレコレが多すぎてもやもやする。
地下書庫を見ると解消するらしいが、それならオマケと感じる程度にどうでもいい感じまで薄めて提供して欲しい。
レオニーとジェラルトが出会ったときいベレトスがいなかった理由が最後までわからなかった。
無口な上に過去の記憶も曖昧なせいでベレトスは何からなにまで終始謎のキャラクターだった。
それでいて周囲の人からひたすら信頼・信用されるという状況には違和感しかない。
立ち位置も非常に弱く、ストーリーを動かすキャラクターではない。風花雪月の主人公は3級長とレア。
プレイヤーキャラクターがわき役となるとゲームへの没入感はなくなる。
落とし物さがしでやる気を得たり、花を育てたり、釣りをしたりと、生徒たちを強くするには欠かせない工程。
これがとにかくつらい。落とし物は誰のものか見つけて渡すためにマップをひたすら走る必要があるし、魚釣りは単調な繰り返し。
「嫌ならやるな」「スキップ機能がある」そういう声もあるけれど、やらないデメリットが大きい。
不幸自慢大会がひらすら繰り広げられ、どの組み合わせでも特定の話題が繰り返されることが多い。
そのキャラの持ちネタはわかるが、それしかないのかと。例えばリシテアで言いうと寿命が短い話になることが多い。みんな陰鬱。
ただ舞台装置として存在し、ストーリーを成立させるために動くキャラクターが多い。このキャラクターならこう動くだろうというものが感じられない。
キャラクターを潰している。
なんとなくとか、ベレトスを信じるとかそれだけで家と国を裏切る人たちが多すぎる。
LGBTQ+の権利の拡大が叫ばれている。
そのうち、特にトランスジェンダーの権利の拡大が行われるたび、これはどこまで続くのだろうと、少しの恐怖もある。
なぜ怖いのか、書きながら正直な気持ちを整理してみた。
まず、そもそもこの分野の言説では、男女を区分けする意味が雑すぎて、混乱が生じてる部分が多そう。
私の意識では、性自認、アイデンティティの部分だと本人が言ってることが正。意識の領域だから、意識が出してる答えが正。
でも例えば、スポーツで男性部門に出るか女性部門に出るかとかの問題だと、このホルモン値だったらとか、体に影響する治療をしてるのかとか、社会としてガイドラインを整備した上で、医師が判断するなどがよいのではないか。
身体は完全に生物学的にXYなのに、アイデンティティにあわせてXXの競技に出たら、筋肉量が少なかったりなどXXの選手にとってすごく不利になってしまうので、なぜ分けているのかの理由を考えてそれにあわせて対応する必要がある。
それと同時に男性部門、女性部門っていう呼び方をやめるとか、トランス当事者に苦痛の少ない方法を模索していく必要がある。
他にも例えば地震が来て避難所でナプキンを配る数を知りたいから男女どちらですか?って確認してるのに性自認で答えてたら双方困るよね。
不要な人に渡すのは物資がもったいないし、逆に性自認が男性でも身体に生理が来るならその人はナプキン要るでしょ。
だからここでもそもそも男性女性という区別/質問の方法がふさわしくないという話なんだけど。
そう、男性ですか女性ですかという区分けは雑だし、伝統的だからステレオタイプ的でもある。
これまでの男女どちらかの区分けでは対応できないことが社会的に認知されだしていて、2区分だけでは絶対足りない。どっちに押し込んでも潰される人は出る。
私としては、トランス女性は女性だし、トランス男性は男性だと思う。
その考えに従うと、今後は「女性」や「男性」という言葉の中に、身体的な特徴がXXの人、XYの人、どちらも含まれる。女性にも男性にもバリエーションが存在する。
だから、雑に男女で分けてればOKだった時代はもう終わったから、より明確に何のためにここでの区別は存在しているのか、という目的を改めて考えて、明示する必要があると思う。
個人的に一番気になるのは、自分の生活に影響してくる部分である、トイレや浴場での区分けで、安全を重視して考えたときに今後も残る区分だろう。
歴史的に男性から女性への加害が多かったことを考えると、ここで一番多数の人の安全を守れる可能性が高い基準というと、身体の持っている特徴がXXかXYか、というところに依らざるを得ないのではないか。
私は女性だが、相手の性自認に関わらず、ペニスがある人と同じ場所で着替えたりしたくない。
ペニスがはえていなければ、相手の自認が「男」でも構わない(というか、気付きようがない)。相手がこちらを性的に見ているかどうかも関係ない。伝統的な女性(身体がXXの特徴だった人)の中にもレズビアンやバイセクシュアルの人はいたわけだし。
平均的にXXはXYより力が弱く、膣に強引に挿入される形での性被害を受けやすい。
誰かの身体がXXあるいはXYであるとき、本人がその事実に苦しんでいたとしても、それを反対のようにみなすことはできない。意識上の自認が違うということは理解はできる。けれども、現にここに存在している身体、ペニスあるいは膣のついた(もちろんどちらにもあてはまらないあるいは両方である人もいるが)身体の、現実の特徴を無視することはできない。
性自認のみで考えろというのであれば、その要求は安全を考えたときに行き過ぎだ。
安全を譲歩することは、できない。
ルール変更によって加害を受ける可能性が高くなることが受け入れがたいのだ。
ペニスのついた体の人も「女子更衣室」を使ってOKです、となったときに、性自認しか基準がないと、それがトランス当事者なのか、トランス当事者を装った性犯罪者なのか、他人が容易に判断できない。加害の可能性にさらされ、その上不安を訴えれば自分が「差別者」になるのではないかという葛藤まで負わされる。不当だ。
公共のスペースで判断基準を設けるなら、他人が判断できるもの、つまり自認以外のものであるべきだ。
だから、そもそもの男性女性という区分けをやめ、ペニスがはえてるかはえてないかとかの事実でしかない区分けに変更するとかはしてもいいと思うが、自認が女性だから、(これまでの意味での)「女性用スペース」に入っていいとかにはしないでほしい。
でも、トランス当事者を含め女性にも男性にもバリエーションがあって、そのすべてのバリエーションを同じには扱えない。
トランス当事者の権利は拡張されるべきだ。例えばトランスジェンダーであることを理由に就職で差別される、容姿
を揶揄されるなどはあってはならない。
でも、次に主張される権利は私の安全を脅かすものではないか?その恐怖が頭をよぎり、手放しで応援できない。
男女の2区分では対応しきれないことは明らかなのだから、これまでの区分で言う男性用/女性用スペースに入る権利を拡張していくのではなくて、そもそも男女の区分でなくてもよいのでは、という見直しも含めた形で、苦痛の少ない社会を目指していければいいのに。
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
全く興味が無くめちゃくちゃ苦痛だった。
私の旦那とどっこいどっこいの凡顔で、
靴が可愛くて〜、とか手が可愛くて〜、とか
彼氏出来たんだ〜!と嬉しそうに報告されたら
聞かれる方も「一応聞かれた」という認識で
終了なのが普通じゃないのか?
なかった。
私や私が頻繁に会ってるグループの友人は
素敵なこととか栄誉なこと、どストレートに言うと
一応友人、とカテゴリ付けしているが
改めて思い出していた。
アホな話ぐるぐるグループもどっちが偉いとか
どっちが民度高いとか一切無いと思っている。
大事だなと思った。
私はアホな話ぐるぐるの方が居心地が良いので
今後もそちらのメンバーと遊ぶことが多いだろうし、
無いんか」と多分思っただろうと思うので
言ってもらって終了みたいな感じ)、
なるかなと思った。
国を跨いだりしたらそりゃ揉め事も増えるよな。
文化って難しい。
ブコメで腐女子とフェミニズムはそこまで繋がらないだろって指摘もあるけど、フェミニストと、隠れろ自粛しろ棲み分けろってルールを皆に守らせたがる学級会腐女子・自治厨腐女子は、語り口が妙に似てるんだよな。
目指すものは必ずしも同じではないが、それを目指すモチベーションとか周囲へのアピールの仕方、理論武装の仕方が似てる。
どちらも強い不安感と被害感情が背景にあるので、自分は倫理的に正しいと安心したくて差別撤廃や困ってる人を助けるとか生誕祭は死者にしか使わないからマナー違反と布教などの善行に(実態を精査せず)熱心になるし、何か苦痛や被害が発生しそうな行為は自分のものも他人のものも先んじて安全装置を沢山かけたがる。
腐女子全体は知らんけど、少なくとも自治厨腐女子とフェミニストは似てると思う。
男も閉鎖的ジャンルの自治厨は多少似たようなもんだけど、女ジャンルはどこでも自治厨に耳を貸す人が多いのが特徴だな。つまり自治歓迎の空気がある。
「ラブ度は〇〇が50%、▲▲が30%、増田は20%くらい(おそらくこれでも多少盛ってくれた)」と言われ失恋。
恋愛相談していた友達に「いけるって!増田なら大丈夫だって!」と応援されまくっていたが
実際はその友達と好きな人が裏で付き合っていたというオチだった。
人間不信になった。
中学時代は初めて人と付き合う(もちろん相手はオタク)も、初デートで「手…つながない?」と言われた瞬間
「自分に向けられる恋愛特有の眼差し」と「恋愛している自分」に気持ち悪くなり、腹痛を起こして早退。
その後1ヶ月で自然消滅。
2人目は片思い中に相手に気持ちがバレた上に周囲にまでバレ、クラス中でことあるごとに
「おい!○○が増田にプリント渡してるぞ!」みたいにネタにされ苦痛を味わったのち
3人目は中学3年の秋から中高一貫で高校3年間、そして大学2年までずっと好きだった人。
相手は寡黙だったけどもちろんオタクで一緒にコミケに行ったりもした。
だけど、大学時代友人達と一緒に旅行した時、雑魚寝をしていた深夜に襲われてキスされた。
さすがに皆が起きると思いすぐはねのけたが、正直当時は嬉しかった。
その後「あの時なんであんなことした?」と聞いたのが始まりで付き合うことになった。
お互い別の大学で、自分は地元の関東を離れ関西、相手は関東の大学に在学していた。
遠距離になるけど、5年以上片思いしていたから(ようやく叶った)としか頭になかった。
関西と関東の中間地点で初デートして、「セックスしよっか」と言われたのでセックスした。
もともと自分の身体にコンプレックスがあり、セックスする時は期待はずれだと思われないか、嫌われないかかなり心配だった。
対する向こうは「大学2年にもなってセックスの経験がない」ことをコンプレックスだと言っている時があった。
おそらく関西という遠い大学にいる自分を使ってセックスの経験を積んだのだと思った。
「初デートは関東に帰ろうか?」と聞いた時、頑なに拒まれたことも思い出した。
知り合いに会うのが嫌だったんだろうなと察した。
高校卒業後、垢抜けるためにかなり友達に手伝ってもらったり、バーテンダーのバイトをして人と関わってみたりと
色々頑張ったがやはりダメだったらしい。
そんなこんなで蒸発された時はかなり泣いた。
せめて「そんなに好きじゃなかった」とか一言くらいは欲しかった。
自分が前を向くために「別れる」とハッキリさせたくて数ヶ月後に連絡したが、「今でもすごくイイ人だなって思ってる」と言われた。
「自分なんかとはさっさと縁を切って、新しい恋をして幸せになってほしい」とまで言われた。
思い出は綺麗なまま、重要な話し合いになると悪者になりたくなくて避ける、土壇場で逃げるような人だったとは知らなかった。
寡黙なところが好きだったけど、だからこそコミュニケーションがとても足りなくて、
この5年半一体何て人に費やしてたんだと自分に呆れた。
あれからもう3年半が経つ。
個人事業主になったので常に在宅ワークだし周囲に相手がいないのもそうだけど、
誰かをいいなと思ってももう一人の自分が防衛体制に入り、「これ以上はダメだ」とストップをかけてしまう。
(こんなやつ好きになる人なんていない)(どうせまた利用されて終わる)という思考が最初にくる。
仕事にも集中したくて、実際恋人がいたら連絡がわずらわしく感じる可能性もあった。
一般的な会社員とは休みも合わないし、自分は毎日仕事、休みも不定期で半休といった感じだ。
今ではもう諦めて仕事人間と化している。
いやいややってると思うんだけど
そういう人が栄養こそ気を付けても、味付けにあまり凝らないのは仕方ない気がする
本人に成功体験を植え付けるのが大事だったんじゃないかなといま思った
あとほんと、女だからって料理させる時代いい加減終わってほしい
プロシェフは男多いやろ、別に男女関係なくやればできることなんだ・・・
苦痛が少ない人がやるようになってほしいわ
ピンチの時には助けに来て、みんなを救って姿を明かさずに去っていく。
かっこいい、そう思った。自分もいつかなれると思っていたんだ、誰かのヒーローに。
でも現実は甘くない、私はヒーローになれなかった。大きくなるにつれて人間にならなきゃならなかった。
私は普通という呪いにむしばまれた、でも幸か不幸か私は容量が良かった。我慢を続けて我慢を続けて、それでも私が生きる意味は少ないけれど確かにあった。
生涯の付き合いになると思っていた、そんな親友で幼馴染の二人が私にはいる。
二人のヒーローに、二人が私のヒーローに、そんな存在だと思っていた。
一緒に過ごすのが本当に幸せだった、それだけでよかった、それだけでよかったのに。
今こうやって文章を書いてどうにかならないかと願って逃げている。救うべき相手から逃げたんだ、私は
今年の五月、精神を病んでいた私に、深夜訃報が流れた。弟から私のヒーローの一人が自殺したと電話越しにそんな言葉が聞こえた。
夢じゃないかと思った、頭が回らない、世界がスローモーションになっていく、思考が沖に逃げていく。
わからない馬鹿なふりをするので精一杯だった、考えたら受け止めなきゃいけない気がしたから。
今涙を流したら顔を合わす時までに自分の心が持たない気がして、そんな気がしてまた我慢した
それでも時は止まらない、葬儀に出席するために色々な用意もあれば、日常も止まってくれるわけじゃない、洗濯しなきゃと喪服を引っ張り出して、洗濯を済ませて取り込んだ時、春の香りがして、もう駄目だった。
涙が止まらなかった、思いが止まらなかった、動けなくなるぐらいその日は泣き続けた。
実家への帰路、バスの中でまた涙が出てきた。人目も気にせずまた泣いた。
葬儀が始まって、亡き骸を見たとき寝てるんじゃないかと思った。本当は質の悪いドッキリなんじゃないかって思い続けた。
それでも時間は進んでいって火葬場に行かなきゃいけなかった。吐きそうだった、世界が歪に見えた。これは夢だからと自分に言い聞かせた。そうしないと自分をだましていないと世界の速度に追いつけなくなっていた。
煙が見えた後、もう一人の幼馴染とふたりで骨を拾った、すべての時間が夢ならどんなに良かっただろうか。
現実感がないまま、時だけが進んで思考が置き去りにされていく。
私は生きる意味が減ってしまった、こんな苦痛を味わって生きた先に待っているものは何だろうか。
時間が解決すると皆が口をそろえて唱える、ヒーローがいない世界で、長い時間をかけて何が解決するんだよ。解決ってなんだよ、人が、私の大切な人が死んだんだ。もう会えないんだよ。
私は救えなかったし、救われなかった。
眠れない日々が続いて、毎晩私は彼への後悔と自分の不甲斐なさにイライラして泣いて朝が来る。
この後の人生、人のふりをしていきていけるといいな。
どういたらいい、教えてくれよヒーロー
他人から遊びに誘われると、断ったら嫌な顔されそうだと思って、つい誘いに乗ってしまう。
しかし、もともと乗り気ではないので、当日が近づくと嫌になってしまい、理由をつけて無理やり断ってしまう。
近視眼的には合理的な行動をとってるんだが、相手を「なんだあいつ!」と怒らせかねない状況にさせてしまうのが心苦しい。
いや、弁解したとしても、他人と行動するの嫌だからそもそも行きたくなかったんだという理由になるので、ますます相手を怒らせてしまう。
こういう詰めパターンがあるから、他人と遊びに行くことだけじゃなく、そもそも遊びに誘われたりすることが怖いんだよな。
別に相手は強制などしてなくて、回答を求められた時点で最初っから断ればいいんだけど、相手の求めていない忖度をして、行きたくないのに「ぜひ行きたい!」と威勢よく答えてしまう。
そして最後には、他人との行動という来るべき苦痛に耐えきれず覆してしまい、理由を「最初から行きたくなかったんです」と答えて、相手をますますぶちきれさせてしまう。
我ながらなんなの、これ?
続き
https://anond.hatelabo.jp/20210920161004
いよいよ作品は完全に3D化し、『プリンセスと魔法のキス』『くまのプーさん』を最後に2Dアニメは公開されていない。アニメーションとしてのたのしさを感じることは少なく、かろうじて『塔の上のラプンツェル』のランタンや『モアナと伝説の海』のココナッツ妖怪のシーンが関心を惹く程度。個人の好みの問題ではある。劇場の大スクリーンで見ると印象が違うかもしれない。
きわめて雑な括りにまとめると、ここからはオタク少年とポリコレ少女の時代であり、2021年現在のネット政治談義の地獄絵図と完全な地続きとなる。もちろん、ディズニー作品上でそういった地獄の扉が開くわけではないのでその点は安心してほしい。
オタク少年の物語は『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』の3つ。ポリコレ少女の物語は『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』、あと『ズートピア』を入れてもよいかもしれない。ビデオゲームが題材であり、かつ社会問題とのつながりを思わせる『シュガー・ラッシュ』はその両方にまたがる作品と言えるだろう。
そのうえで言うと、『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』は物語が希薄で、率直に言ってあまり見るべきところがない。
『チキン・リトル』はナードの息子との関係性に悩むジョックの父親というキャラクター設定は興味深いものの、あまりにアメリカ固有の事情がすぎるため感情移入しづらい。『ルイスと未来泥棒』は出来の悪いバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなやつ。『ベイマックス』はあからさまな吊り目描写を控え、許容範囲内のアジア人描写を採用した点では興味深いものの、お話は薄い。
逆に『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』『ズートピア』はテーマ設定は高尚なものの、物語として十分に消化されているかというと疑問符をつけざるを得ない。
『プリンセスと魔法のキス』は初の黒人プリンセスものだが、物語の大半で主人公と王子様はカエルに変身させられており、カエル同士の恋愛模様を見せられる羽目になる。人種以前の問題で厳しい。
『アナと雪の女王』は暴力を抑えられないエルサが他者との共生を諦め、山に引きこもるというかなり重たい話から始まる。すったもんだあり最終的には女王に復帰するものの、物語上彼女が心を開いた相手は妹のアナ1人のみであり、(作劇上なんとなく誤魔化されているが)共生の範囲は著しく狭く、また他者理解とも程遠い。
プリンセスものへのアンチテーゼとして悪役に王子のハンスが配され、アナがクリストフとくっつかないという展開も、批判されやすいポイントを表面上回避しているに過ぎない。ここではプリンセスを求める消費者の欲望とフェミニズムの倫理が奇妙な連合を築いており、かつての植民地主義とはまた違ったグロテスクさがある。
続編の『アナと雪の女王2』は前作に対する心底意地悪な批評とも見れる作品で、エルサは女王の座を離れ再び山へ、アナとクリストフは無事マイルドヤンキーバカカップルに発展と、前作でごまかされていた点を露悪的に展開させてしまう。
『ズートピア』は『きつねと猟犬』同様に動物種を人種のメタファーとして描いているが、生物学的に異なるものを示す種の概念と、生物学的には同一である人種を重ねることによる概念の混乱が拭えず、メッセージはぼんやりしたものにならざるを得ない。
『シュガー・ラッシュ』は卑しい職に就いたが最後、「これは社会に必要な仕事だ。だからどんなひどい待遇でも文句を言うな」と清廉潔白な人々に差別されるという現代社会の欺瞞を描いた作品である。しかしヴァネロペは実は高貴な生まれだったので問題解決。主人公のラルフもなんの理由付けもないままなんとなくハッピーエンドを迎える。解決策を示さないままハッピーエンドを迎えるというのは、なんと欺瞞的で残酷な映画だろう。
なお続編の『シュガー・ラッシュ:オンライン』は話皆無・物量勝負の典型的な続編映画だが、ディズニー/ピクサー/スター・ウォーズを使った物量作戦はなかなか侮れないものがある。ここに来て『アナと雪の女王2』『シュガー・ラッシュ:オンライン』と続編商法が続いているのはどうも社内の制作体制に関するゴタゴタの影響がありそうだが、詳細はよくわからない。
そのほか『塔の上のラプンツェル』はいわゆる毒親の話だが、劇中「みんな同じだ」と高らかに歌い上げてしまうのは問題の本質を捉えかねている印象を覚える。毒親問題は子供が自分とは根本的に異なる個体であり、かつ尊重しなければならないという意識を欠いているからこそ問題なのだ。それが「みんな同じ」では困る。
『モアナと伝説の海』『ラーヤと龍の王国』は頭を使わず見れる娯楽作で、とくに『モアナと伝説の海』はまあまあ出来がいいが、それ以上書くことは特にない。ポリネシアと東南アジアがそれぞれ舞台となっており、現地のひとが見るといろいろ不満点があるのかもしれない。
以上がディズニー映画59作品の歴史だ。個人的には『白雪姫』『ダンボ』『眠れる森の美女』『リロ・アンド・スティッチ』の4作品は見てよかったと思っている。
全部見るのは正直苦痛なので、気になったものだけでも見てみてほしい。最新作の『ミラベルと魔法だらけの家』は今年の11月に劇場公開されるが、歴史の流れを知って見れば、作品単体のおもしろさとはまた別の発見があるかもしれない。
自分もオラオラ系でもモテ系でもなく、シャイな童貞気質だと思います
妻と付き合って最初にセックスするまでに3年かかったほどですからね
それでも長年の夫婦生活で培ってきた自分のテクニックや妻をその気にさせる力に自信があるので、
そういう自信のことをプライドというのであって、あなたは自信がないだけじゃないですか
夫婦生活の中で信頼や自信を培わずにセックスし続けようなんて随分虫のいい話に聞こえますね
「性欲もないし全然やる気なかったけど、押し切られてやってみたら案外気持ちよくて盛り上がった!」
という経験を妻にさせないといけませんし、そうさせることは長い夫婦生活の間で十分可能だったはずです
何年も付き合っているのにそれが一度もできなかったと言うなら、今後セックスをする資格はないと思います
あなたが妻を愛していて、妻がセックスを苦痛と感じているなら、あなたは我慢し続けるべきだと思いますよ
世の中にはEDなど病気でセックスができなくなった夫婦もたくさんいます