はてなキーワード: 社会生活とは
まずこの文脈で第一に【弱者】、はLGBTQではないよ。キモイ主張を一方的に押し付けられる人間。
LGBTQでサベツサベツーと叫んでる人間が攻撃するのはより弱い人間でしかない。
社会生活を送る上でヘテロならそもそもないハードルがあって、ヘテロにはできるのにLGBTにはゲートすら開いていないことが様々ある
これ馬鹿にもほどがある。自分だけは殴っていいけど、相手はダメっていう差別主義者の典型。
社会生活を送るうえでゲイならそもそもこういうキモイ押し付けられるっていうハードルがないんだよ。わかる?そのヘテロが押し付けられているハードルにゲートを作ろうって動きなんだよ。もう逆転してんの。「ゲイが受け入れられて当然」みたいなのがもう差別なの。わかる?
分かんないよねーサベツサベツーって思い込んで戦って戦利品を獲てマンセーしてるだけの人生じゃあねえ。
マジョリティにとっての「普通」をそもそも現在の社会においては手に入れられない人たちが声を上げることすらできない世の中は地獄だよ
これ、される方が「地獄」ってわかってるのに、相手にはやるってすごいよな。尋常じゃないにもほどがある。
ヘテロにとっての「普通」を、声を上げることすら許されない地獄を作って満足ですか?
無限ループ開始に関して、開始者であるそっちがやめてほしい。なぜいきなり殴られる方が黙って言うことを聞かないといけないのか。ちょっと落ち着いて考えてみなよ。思想の押し付け合いと、マジョリティ/マイノリティは関係ないんだよ。関係ある問題なら憲法で保障するのもおかしいだろ。マイノリティだからマジョリティを地獄に落としていい?
地獄に落ちろ!
統合失調症やら引きこもりやらの個々人の具体的なきっかけや原因は千差万別なので参考になるかはわからないけど、自分は弟さん(追記:早とちりしたけど、お兄さんの可能性もあるか)と似た症状で3年くらい引きこもったことがあったよ。以下は自分語り多目で恐縮だけど参考までに。
当時の自分は自分を不甲斐なく思っていて、その自分を「以前の自分を知っている人」に知られるのが嫌だった。例えば、元同級生と出くわしそうな場所へは出かけたがらなかったし、近所の人ともできれば会いたくなかった。もっとも親しい友人にさえ顔を合わせることができなかった。
弟さんが出来ること・出来ないことを読んでみると、その辺がもしかしたら自分と似てるかもしれないと思ったよ。
まぁ個別の事情が異なるにせよ、おそらく誰にでも当てはまる事は、
①臓器としての脳の機能が弱っている
②認知の歪みが大きい
この2点のかけ算が社会生活に戻るためのハードルになっているということ。
①については発話能力や筆記能力が顕著に落ちた。段取り能力も落ちた。これはそういう能力を使う作業をすれば徐々に回復する。
弟さんの場合、家事はするそうなので日常作業に関してはあまり心配いらないかもしれない。仕事するための段取り力は不明だけど、やらなければならない事に漠然と圧倒されて身動きが取れないようであれば、GTDを習慣づけるのが自分には効いた。
それから、あらゆることへのやる気も顕著に落ちるんだけど、これを短期間で劇的に回復させる処方箋はないように思う。はてブの某先生がお題目のように唱えるアレを続けつつ、できる範囲を徐々に増やしていくと、結果としてやる気も回復していく。
②については最初に提案したようなカウンセリングを相性の良いカウンセラーにしてもらうか、それ関連の本を読んで自分で自分をカウンセリングするかが有効だと思う。自分の場合は本を読んで自分で自分をカウンセリングした。
と言っても、当時認知療法や森田療法を知っていたわけではなく、たまたま仏教の本を読んだ時に、自分の認知の歪みとその原因に気づいたといったところ。
とりとめなく書いたけど、我が身を振り返ると、引きこもりから脱するのも、脱してから引きこもる前の水準まで力を取り戻すのも、どちらも数年がかりだったよ。
弟さんのこともあまりせっつかず、長い目で見てあげてほしいと思う。時々会ってあれをしろこれをしろと言われたり、これからどうするつもりかと詰問されたりするよりは、安心して気の置けない会話ができることのほうが嬉しいし、力になると思う。
特に人文系において、大学や研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。
* * *
研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。
例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。
このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日の日本においても、同様である。むしろ、人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識したからに他ならないが——に直面している極東の島国の方が、研究生活を取り巻く環境は過酷であるといえるだろう。
博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しかも低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である。
日本より恵まれた研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単である。しかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語、文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国の研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマの選択が制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである。
当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである。
ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学や官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクス、そもそも学歴のなかったピエール・プルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在である。しかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要な研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである。
尤も研究者も所詮人間であるからして、研究そのものの「客観性」や科学の位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。
* * *
さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働(自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである。
収入がないなどもっての外であり、亡命や収監、失踪や放浪なども、家庭生活とは相容れないものである。
歴史を顧みれば、自死や発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。
できれば平穏無事に、昭和時代に理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満で子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。
しかし今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームもマイカーも持たず、年金制度の破綻を前に怯えながら年老いるのである。
もしあなたが結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナーが無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。
さらに子供がいるとすれば、当然あなたは研究生活を放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制と時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれているかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖」である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)
多くの研究者たちにとって、結婚と出産は研究生活の首にかけられた縄である。
女性研究者の研究生活は性別的役割分業的発想や家庭生活に対する支援をパートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別的役割分業的発想や金銭的支援をパートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。
いずれにしろ、他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである。
だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である。穂積陳重以来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するものと定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である。
しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。
その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。
実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである。
当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。
あるいは「家庭」という理想像の崩壊、高齢者二人世帯や単身世帯、シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体が空虚なものになっているという批判があるかもしれない。
しかし反面で、なお結婚と出産を経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚と出産を前提とした私的領域の生活のモデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。
* * *
収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。
では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究者であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。
前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性に人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法を採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。
後者の方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラーが炭水化物の摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活の否定でしかない。
研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学の研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。
そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日の言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである。
家事労働、ワークライフバランス、長時間労働の問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働は時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大である。ワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないから低賃金かつやることのない中途半端な余暇をもたらすだけである。長時間労働を改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである。
とにかく、家庭生活の求めるものを根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである。
* * *
では、解決方法は何か。家庭生活の問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働を女性が支えるという構図が出来上がった。
しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族からの支援で収入の不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。
もし家庭生活に関与してからも研究生活を継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からのリソースが調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分の研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)
ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソースの調達先である。大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達が個人の能力に帰せられることで、研究の能力とは別にそれに取り組む環境が規定されてしまうということである。
この二つの問題を解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。
どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである。
アカデメイアやリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティが形成されていたはずだ。修道院のようなものである。
いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なものは国外へ出て行ってしまっている。もう最後のタイミングである。
いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間的猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に人文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 84 | 17899 | 213.1 | 39 |
01 | 50 | 6048 | 121.0 | 60 |
02 | 37 | 2758 | 74.5 | 39 |
03 | 12 | 1037 | 86.4 | 83.5 |
04 | 15 | 1921 | 128.1 | 43 |
05 | 25 | 4639 | 185.6 | 50 |
06 | 23 | 3142 | 136.6 | 48 |
07 | 42 | 6994 | 166.5 | 58 |
08 | 46 | 7599 | 165.2 | 76.5 |
09 | 85 | 8011 | 94.2 | 52 |
10 | 88 | 9600 | 109.1 | 44 |
11 | 102 | 9888 | 96.9 | 32.5 |
12 | 118 | 9946 | 84.3 | 40 |
13 | 115 | 12154 | 105.7 | 45 |
14 | 123 | 8752 | 71.2 | 36 |
15 | 89 | 8590 | 96.5 | 53 |
16 | 86 | 7711 | 89.7 | 42.5 |
17 | 85 | 6895 | 81.1 | 41 |
18 | 160 | 15002 | 93.8 | 55 |
19 | 133 | 17851 | 134.2 | 49 |
20 | 132 | 8310 | 63.0 | 29.5 |
21 | 166 | 10823 | 65.2 | 34 |
22 | 109 | 8525 | 78.2 | 48 |
23 | 104 | 8452 | 81.3 | 40 |
1日 | 2029 | 202547 | 99.8 | 43 |
人(191), 自分(168), 増田(108), 話(105), 今(103), 医者(88), 女(77), 男(77), 必要(71), 前(67), 人間(66), 仕事(64), 問題(63), 時間(63), 意味(62), 好き(59), 相手(56), サマータイム(50), 普通(50), 関係(49), 医師(49), あと(48), 女性(47), 日本(44), 気(43), 告白(40), 子供(40), 感じ(39), ー(39), レベル(39), 理由(37), 会社(37), 今日(36), 結婚(34), 頭(34), 優秀(33), 嫌(33), 言葉(32), 世界(31), 友達(31), 患者(30), 結果(30), 気持ち(30), 場合(29), 金(29), 結局(29), 一人(29), 最近(29), 理解(28), 存在(28), 人生(28), 家事(28), 目(28), 別(27), 可能性(26), 他(26), 男性(26), 顔(26), じゃなくて(25), バカ(25), 台風(24), 前提(24), システム(24), 社会(24), 馬鹿(24), 自体(23), 手(23), 医療(23), 大学(23), ダメ(23), 無理(22), しよう(22), 差別(22), 最初(22), 逆(22), 誰か(22), 導入(22), 親(22), 一番(21), 時代(20), 医学部(20), 経験(20), 国(20), 家(20), 職場(20), 朝(20), 一つ(20), 状態(19), 全部(19), 一緒(19), 扱い(19), 情報(19), 間違い(19), 大丈夫(19), 状況(19), 先生(19), 日本人(18), 子(18), 周り(18), 勝手(18), 嫁(18), 絶対(18), 横(18), 昔(18), 過去(18), 😺(18), 上司(18), 対応(18), 違い(18), しない(18)
増田(108), 日本(44), 可能性(26), じゃなくて(25), いない(16), LGBT(16), ブクマカ(15), 一緒に(13), 元増田(13), ブクマ(13), 東京(12), スマホ(12), いいんじゃない(11), 2時間(11), IQ(11), 社会的(10), アメリカ(10), 心理学(10), キモ(10), IT(10), はてブ(10), 基本的(10), ブコメ(9), マジで(9), 昭和(8), なんだろう(8), わからん(8), 毒親(8), 10年(8), 女性医師(8), ビル・ゲイツ(8), モテ(7), SNS(7), hatena(7), 2018年(7), A(7), 具体的(7), 価値観(7), 労働環境(7), s(7), 被害者(7), …。(7), トラバ(7), 沖縄(6), 東京医大(6), twitter(6), 就活(6), 中国(6), 娘(6), 数年(6), 翁長知事(6), アレ(6), ヤバい(6), 専業主婦(6), Twitter(6), ノンケ(6), なのか(6), 1人(6), コスパ(5), プレイ(5), まんこ(5), 判断力(5), ネトウヨ(5), 労働時間(5), 偏差値(5), 発達障害(5), かやく(5), ???(5), 告(5), 東大(5), 看護師(5), LINE(5), Amazon(5), メンヘラ(5), キモい(5), イケメン(5), リアル(5), 5年(5), 自民党(5), 嫌悪感(4), おまえら(4), 社会生活(4), 専門学校(4), 8月7日(4), 一日(4), URL(4), 学生時代(4), 精神的(4), 津川雅彦(4), 翁長(4), AI(4), 普通じゃない(4), 山根(4), キツ(4), 経験値(4), 分からん(4), おちんちん(4), かな(4), 1日(4), パヨク(4), 漫画家(4), な!(4), フェミ(4), なんの(4), 5時(4), ガチ(4), 先進国(4), 東京医科大学(4), アプリ(4), 1本(4), 生産性(4), iPhone(4), 3日(4), 医師不足(4), 無修正(4), レズ(4), 安倍(4), 3人(4), ステマ(4), カミングアウト(4), 攻撃的(4), 30歳(4), yahoo(4), 罪悪感(4), 満員電車(4), PC(4), 笑(4), 何度(4), エビデンス(4), るん(4), 猫の日(4), かもしれん(4), メール便(4), 国家試験(4)
うんち (8), おまんまん (2), それな。 (2), 了解ちゃんです (2), 結論だけ教えて。 (2)
■婚約者が不倫しすぎる /20180807235525(25), ■心理学って、疑似科学と何が違うの?笑 /20180807222403(18), ■優秀な医者とそうでない医者の違い /20180807124518(15), ■人間の見分けがつかない /20180808115111(14), ■医師にもランク制が必要だよな /20180808082921(12), ■両手離しで自転車乗っている増田いる? /20180807222854(11), ■大麻がアウトで酒がセーフは意味が分からない /20180808200627(10), ■ダンナが家事しないと言う女は全員自業自得 /20180808192022(10), ■IQ100未満は死滅させるボタン /20180808164408(8), ■煙草でストレスは解消されるのか /20180808102300(7), ■家族がクソむかつく /20180808230804(7), ■変な校則は非難しつつ成立した理由である自分には触れない /20180808180114(6), ■誰か、これを言葉で表現してくれないか? /20180808163742(6), ■女性、浪人排除の誠実さに感激 /20180808051231(6), ■友達が不倫した /20180808115123(6), ■自分が面白いと思ってるまんこのつまらなさは異常 /20180808225343(6), ■31歳素人童貞が、2ちゃんねるの画像自動まとめサイトを作ってみた。 /20180808191038(5), ■風の谷の増田 /20180807205144(5), ■泣きそう /20180808194333(5), ■anond:20180808201021 /20180808202445(5), ■「告白したいんだけど」 /20180808175558(5), ■一時期終わりかけていた楽天であるが /20180808113416(5), ■anond:20180808184645 /20180808184811(5), ■ /20180808020310(5)
5482819(3074)
でもさあ。
例えば自分は生まれた時からLGBT自認して生きてきてるけど、今は社会生活的にストレートのふりして生きてるわけ。
ぜんっぜん興味のない異性のアイドルの勉強とかして話し合わせたりしてるわけよ。
あとストレート(異性愛者)の人たちもわざわざ「自分は異性愛者です」みたいな名札つけて生活してるわけじゃないでしょ。
まあそういう名札があったら自分は差別とか怖いからわざと名札もらってつける気がするけど。
たださ、自分が好きだなって思った人に対して「好き」って伝えるのになんで生死をかけるようなリスク負わないといけないのかなって思うの。
「好き」って告白した人が「ごめん、自分は異性愛者だから」って言われてもああそう、じゃあこれからは友達でいようねで終わるけど
寄り添うことの難しさ
辛い時に母親に頼るような思いで訴えるけど
だいたい失望するような気がする
社会生活の事でも
まあ、うちの母親がそもそも 話聞くのが上手くないタイプなので
けどそういう風に寄り添ってくれるサービスって
なかなか難しい
頼って、だいたいダメだと諦める
そんな事ばっかりだな
同じく、軽度のクローン病と精神病で精神障害者手帳貰って社会復帰している者です。
一応、精神障害者手帳の申請用医師診断書に、他の病気を書く欄があって、精神科医に事情を説明すればそこにクローン病と書き加えて貰えます。
国の審査でどこまで合わせ技一本が認められるかはブラックボックスの中ですが
そういう記入欄があるということは、精神障害の単騎で申請するよりは通りやすくなっているはずです。
そもそも精神障害者手帳の申請のチェック事項は、日常生活・社会生活を送れているかどうかの選択枝を選んでいくだけで
原因とか、特に問われていないし。
大半の医者は、治療することと、患者が社会に出られるように図らってやることの狭間で、判断のバランス取ってくれているので
「この患者が社会福祉に助けられず詰んでいる」と判断したときには、型に嵌った診断書ではなく工夫して書類を作ってくれたりします。
ズルではありません。だって、クローン病が治療法も原因も不明の難病である以上、
頑張れないのがクローン病から来ることかメンタルヘルスから来ることかなんて、判別不可能なのです。
頻繁にトイレに駆け込もうが。
社会福祉の恩恵を受けやすい精神病に寄せても、バチは当たりません。
精神科の主治医が、学会で症例報告とかする時の倫理はまた別問題で、厳密に考えた方がいいでしょうけど。
そして、働くにしても最初の稼ぎは、生活保護基準以下でしょう。
才能を疑うようで申し訳ありませんが。
やはりクローン病対応の障害者用グループホームを探して、世帯を分けて住むことをお勧めします。
役所の障害者窓口で相談すれば、消化器疾患に強いグループホームを紹介してくれます。
町に一つはある「障害者就労支援センター」みたいな所でも相談しましょう。
親があなたを扶養できるかなんて、親の自己申告でしかないのです。
幾ら親に収入があろうが、「養っていたら我々が最低限度の文化的生活を維持できなくなる」と言えばそれで扶養義務から外れるのです。
親に差押えとかありません。
(
ただ、御父上が自営業とのことですが、都道府県・市区町村との取引が多いと、田舎の場合業務に支障が出るかもしれません。
俺はこれと、地方だから車を手放せない、クレジットカードは欲しいという理由で生活保護以下の収入で食いつないでいた時期がありました。
御父上の名誉の問題になるなら、2,3隣町のグループホームを探すのも手です。
)
親と世帯を分ければ、社会保険も親の扶養から国民健康保険になり、保険料基準が自分の所得になります。
精神科でも自立支援医療制度を使った場合の月額上限が、かなり下がります。
増田だけど(笑)、名を変更した。氏ではなく。つまり例えば、増田佳美から増田宏実になったような話。名を変更するには家庭裁判所の許可がいるけど、許可が出たあとの話をする。
私は他人と性行為をしない人なんで一生結婚しないと思うから、氏を変更することもないだろうと思う。だから、名の変更はいい人生経験になったと思う。
家庭裁判所に申し立てるまでも大変なんだが、許可が出たら長型○号かなんかの封筒の定形郵便で審判書謄本がペらッと送られてくるので、いささか拍子抜けするかもしれない。審判書の謄本というのは、審判書をコピーしたやつに書記官が「謄本である」とか書いて記名押印したやつ。これを持って役所に届け出てはじめて、名が変更される。
金融機関とかの要らない口座は、なるだけ解約しておく。そうしないと、もっとめんどくさくなる。要る口座も、現住所に変更してないやつがないか確認しておく。
電力ガス水道とかは本人確認書類なしでもいいことが多いので、あらかじめ契約名義を変更しとくとラク。(電話は無理)
運転免許証も住基カードも個人番号カード(マイナンバーカード)も持っていない人は、マイナンバーカードをあらかじめつくっとくといい。可能なら、原付でも小特でもいいから運転免許をとっとく(有料)。名の変更がすぐに反映される顔写真入り本人確認書類だから。パスポートは、戸籍抄(または謄)本も必要で日数がかかる。マイナンバーカードや住基カードは受け付けてくれない業者もあるので、運転免許証が万能。
名の変更の届出先は、本籍地か住所地の市町村(東京特別区含む、以下同じ)。政令指定都市なんかは実際には区役所に行くと思う。本籍地と住所地で市町村が異なる人はどっちでもいいんだけど、本籍地から戸籍謄本を取り寄せないといけないとはいえ、住所地の方が便利だと思う。なぜなら住民票に即日反映されるから。
持ち物は、
名の変更手続の経験が少なそうな市町村ならば、前日かなんかにあらかじめ連絡しとくとスムーズになる。そうしないで奇襲すると大騒ぎになるかもしれない。私は奇襲攻撃をしたけど、住民票の写しをとって国民健康保険証を再発行しても1時間くらいで完了。
国民年金の人は、手続き要らないらしい。年金手帳も、氏名変更を載せたければ勝手に書いていいって言われた(笑
住民票には、旧氏名のところに取消線が引かれた状態で新氏名が載り、備考欄とかにも経緯が載るので、履歴がわかる。
運転免許証を持っている人は、すぐに記載事項変更手続。本籍記載の住民票を持って警察署(または運転免許試験場)に行く。裏面に書き加えられ、ICチップの内容も書き換えられる。こいつは万能型本人確認書類になる。完璧。
そして、新氏名の金融機関口座をつくる。既存の口座でも、本支店で即日変更可能な金融機関もあるかもしれないけれど、罠にハマる可能性がある。というのは、いままで口座自動振替(自動引落)とかで使っている口座だと、口座の氏名変更で引落し不能!ウェッってなることがある。滞納とか言われることもある。金融機関や、それと事業者の間の契約の内容によっては、口座の氏名を変更しても引き継がれることもあるけどケースバイケースで、いちいち確認して言質をとっとかないとヤバい。
自動引落をやっている人は、口座をつくるのと同時に申し込んどく。公共料金とかは金融機関店頭で申し込めることが多い。けどこれが切り替わるまで1か月くらいかかると思うので、気長に待とう。それまでは既存口座の氏名変更手続はやらない。
ほかの、銀行とか証券会社とかの変更手続は、可能なところからやっていく。住民票とかでやれるところと、戸籍抄本出せというところがある。後者は戸籍抄本を取り寄せてからなので期間がかかる。反対にPaypalみたいに氏名変更でさえも本人確認書類を撮影してアップロードすれば済むという金融機関もある。(どっちかってーと、撮影画像の方が改竄検出に特殊技能要らないから、コピーを郵送させるよりもラクなんだと思うよ実は。)
届出印と氏名が変わってしまった人は、改印届も一緒にやる。証券会社の入出金口座は口座名義と一致している必要があるから、さっきつくった銀行口座を使う。
クレジットカードを持っている人とか、発行会社との手続めんどくさそう(デビットは良いね)。住宅ローンとか自動車ローンとかで借りている人は、そっちも重大だよね。
国民健康保険や国民年金でない人はおそらく、手続が要る。つまり、協会けんぽや健康保険組合とか、厚生年金とか。要は職場関係。
不動産の所有権の氏名変更登記も、法務局の人に訊いたら、戸籍でないとダメって言われた。
詰むことはないはずだけど、金銭と期間と労力がかなりかかり、地道にやっていかないといけない。
こうして経験してみると、結婚で氏が変わる人は多いはずだけど、それも物凄く面倒くさいんだね。いわゆる「できちゃった婚」だと、結婚してすぐに手続やっていく余裕なんてないだろうなあ。さっさと選択的別姓制度やれや!
たぶん自分はトランスジェンダーだけど、パス(見た目の性別と身体の性別をあわせること)することに対してあまり努力をしていないので、
カミングアウトしていない人からは、(異性装的な)中性的な格好を好むシスジェンダーって思われているのだろうなと思っています。
別にこの状態でとりわけ社会生活に苦労はしていないので、別にそれでいいんじゃないかと思っていたんですが、
はっきりさせたほうがいいんでしょうか……。
表面的なコミニュケーションにとどめる相手からはシスジェンダーの異性愛者、
プライベートに仲良くする友人の多くからはシスジェンダーの同性愛者、
あるいは性別という概念に独自の見方を持っている不思議な人、だと思われていますが、
ですので、カミングアウトしましょう、LGBTを受け入れましょう、みたいな風潮になったとして、
それを真に受けてカミングアウトしてしまうと逆にちょっと不利になることが増えそうなんですよね。
というのも、過去に友人の輪でカミングアウトしたときの反応を見る限り、一定数、
「どうしても自然に受け入れるのは無理(警戒してしまう)」というタイプの人はある割合でいるようで、それはそういう個性なんだろうなあとこちらも思っております。
先述のように、こちらから何も恋愛対象や性自認のことに対して述べなくとも仲良くになるにつれ多くの友人は、
「シスジェンダーの異性愛者ではないな」と、雰囲気でそれと察するらしいので、そのあたりからなんとなく世間話的なシスジェンダーの異性愛者としての恋愛話をこちらに振るのは向こうから避けてくれるようになるので、こちらとしてはわりと有り難かったりします。
ただ、そういう状況のそういう場でさえ、「LGBTは異常者に違いない」みたいな偏見が先にありすぎて、
その人だけ、私がないことに気付かないタイプが少数ですがたまにいまして、そういう友人は「周りの全員が私をシスジェンダーの同性愛者としてうっすら認識している場で、私をシスジェンダーの異性愛者と認識したタイプのコミニュケーションをとろうとしてくる」のですが、
それに対して、私は「性別をその人だけ誤解している!」と思うわけではなく、
ああ、友人としてその人なりの最大限の尊重してくれてるんだろうな、と感じるんですよね。
そこで、わざわざ、「私はLGBTです」って明言する意味がどこにあるのだろうか、という疑問がありまして。
そういうところで明言したときの反応として、ほとんどの人にとっては、「知ってた」という感じで特に何か変化が起きることはありません、ただし、その、ごく少数の友人だけ、「信じられない!」みたいな驚き方をされて、そのあとその人と妙な感じになってしまうことはありました。
それを考えると、別に公言するメリットはどこにもないよなーという感じです。
もちろん、公言しないと、自分の認識する性自認のまま振舞うことが許さないタイプのトランスジェンダーの方としては、カミングアウトや社会の受け入れは死活問題だと思います。
自分は、性別で「男はこう」「女はこう」と外から括られてそのように身体の性別に応じた振舞いを要求される分野を避けたので、あまりそのあたりで困ったことはありません。困ったことはあるのかもしれませんが、いつまでも過去の恨みを根に持ってもしょうがないのでだいぶ忘れました。
なのでまあ、中にはこういう人も居ますよーとだけ。
毎週決まった時間に決まった場所で何かすることが苦手だった、と言うことに気づくのに時間がかかった。
学校という場所に毎日決まった時間に行かなければならないことをみんながみんなすごく苦痛だと思っていたのだけど、実はそんなに苦痛じゃない人がいるみたいだ。
そんなわけで、大人になった今も会社に同じ時間に行くと言うのもかなり自分には大変なのである。
最初に入った会社は、いわゆるブラックというところで、9時半始業だった。
電車遅延以外の遅刻の場合、その日の給料が出ないという仕組みであった(あり得ない仕組みだが、あり得たのである)。
私は例のごとく、よく遅刻していた。だが、東京という場所は、通勤ラッシュの時間帯はいつもどこかの電車が遅延している。
JRと営団地下鉄で通っていた私は、ほぼ毎日どちらかは遅れていた。
駅員さんに1分でも遅れたら遅延証明書を発行してもらっていた。こっちも死に物狂いである。
今思えば、給料が出ないわけだから、遅れたらもう出社しなければいいんだけどね。
そこは変に真面目なので必死に出社していた。若かったのでさじ加減が分からなかったというのもあるだろう。
そんなわけで給料を引かれる日はなかった。
10時を目処にといったくらいの感覚で、周りの人も11時に来ていたりしていたので、どんどん遅くなってしまっていた。
これは意外だった。9時半始業が夜型の私には無理なのだ。10時になれば幾分ラクなハズだと思っていたからだ。
コアタイムも設定されていないので、こうなると何時に出社してもよくなる。
そうするとかなり気分がラクだった。10〜12時の間に来ればよい、と思うと、プレッシャーがかなり減った。
11時に来れる日もあれば、13時に出社する日もあったが、もともと0時くらいまで働いていたので、13時に出社しても1時間休憩挟んで10時間働いている計算になる。
普通に10時に出社して18時半に帰る人と、同じくらいの時間働いている。
ただ、深夜残業手当が出てしまうのがややプレッシャーに感じていた。
遅く来といて、深夜残業手当もらっていいのか……?
今日は仕事がすごい進むけど、終電があるから帰らねばならぬ、というのも面倒であった。
終わらなければ家でやっていた。でも給料でないし、なんでやってるのだろう?と時間内に終わらない自分への怒りと、給料でないのにやりたくないという狭間でモヤモヤしていた。
あと不思議なことに、たまにある朝早い打ち合わせやリリース作業などには遅れたことがない。(ほとんど、と言っておこう。1回くらいはあったかも)
おそらくだけど、朝やらなくてもいいのに、行くのが嫌なんだと思う。
自分が朝に仕事するとエンジンがかからないから、ぼーっとしているだけなのである。
別に悩んで病院に行ったわけではないけれど、社会生活がまともに送れている場合は、とりあえず病気じゃないと思っているからだ。あくまでもそういう傾向があるというだけで。
職場では、おそらく複雑と呼ばれるある程度の仕事はこなして、下に何人かアシスタントがつくレベルというのも、まともに送れていると考えている理由の一つ。
もともと飽きっぽいし熱しやすく冷めやすい性格だと言うこともあるが、毎週決まった曜日になると「習い事に行かなければならない」と言うプレッシャーが特に嫌だった。
好きなことでも今日は行きたくないのに、と言う日もあるだろう。(普通、ないのかな?)
でも、いつかまともになるかなと思ってたけど、30代になって結婚しても全然決まった時間に行くのが嫌なのである。
今は、会社に行くのが嫌になりすぎて、フリーランスで前の職場から仕事もらってやっている。
週5日働いていたけど、今は実質週3〜4人日程度、家で同じような仕事をして働いている。開始時間も終了時間もない。
出社する必要もないし、月〜金の決まった時間に働かなくてもいい。
一応、売上も、会社員時代よりは少し低いが、生活レベルを変えないで暮らしていけるほどにはもらえている。
めちゃくちゃ気楽である。
今日は眠れないから、仕事しちゃおう!なんて日もあるし、今日は眠いから1日寝てしまった。という日もある。
月〜金で終わらない!なんてダメなんだ。終わらないからって土日に仕事なんてしたくない!と会社員時代は思ったものだが、
月〜金で終わらない!!そんな時もあるよね〜、ダメなら土日にしよう。と今は思っている。売上が変わらないわけだし。
なんなら、逆に月火で仕事が終わる時もある。
締め切りまでに決まった仕事が終わればいいわけだから、エンジンのかけ方を一定にしなくてもいいというのはすごく気持ちが落ち着くし、自由だ。こんなに割り切れる日が来るとは思わなかった。