はてなキーワード: 人口密度とは
一瞬そういう気持ちにはなるが、次の瞬間に(気持ちの中の)視点が移動して、
この動かないクソむかつく女性も、それにムカついている自分も、朝の満員電車で通勤しなきゃならないという点では似たようなもんだな、「一定数のラットをある面積以下で(つまり人口密度を高くして)飼い続けると、ストレスでお互いを殺しあう」みたいな記事を読んだっけ、と思い出し、自分らもラットじゃん、って思う。
つまり問題は、この女性でも、自分でもなく、まっとうな都市計画のない東京とか日本とか、まっとうな都市計画を作ることができない政治家しか選べない自分らとか、そっちのほうなんだよな、と思う。
そのあと、自分にもうちょっと金があれば、もっと人口密度の低い場所に引越して、満員電車での通勤のない人生を送るのになぁ、と、思う。
被災地はどうにか今を乗り越えてほしい。
これは阪神淡路大震災で起きた揺れと「数値上」同じということが分かる。
人口密度にもよると思うのだが、同じ揺れにしては被害状況が小さいように思う。
(実際被災している人に被害の大きさなど関係ない、それは理解していることは書いておきたい。)
熊本の中心部に行くと流石に現在の耐震基準をクリアしている建物のほうが多いのか、ビルが根本から折れたなどの例は見られない。
ただ地震がくるとは思っていなかった住民が大半であろうし、映像を見ていても古い家や町が並んでいたのが見えた。
揺れに関して備えがあったかと考えると、無かった人が多いのではないだろうか。
しかし古い家があるにも関わらず、建物の崩壊は(阪神淡路と比べて)少ない気がする。
>全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390506棟
となっている。
死者6,434名のうちの80%、約5000人は圧死だそうだ。木造家屋が多かったことも大いに関係している。
そして直下型震度7とはこれほどの被害をもたらす揺れ……と考えられる。
話に聞いた程度だったが調べなおしてみると、阪神淡路大震災では最初に震度6と報道されていた。
震度7は当時の天井高であり、当時の震度7は「倒壊家屋3割超え」という現地調査をしないと出せない数字だったようだ。
新潟中越地震、東日本大震災における震度7とは、機械が計測したものだ。阪神淡路大震災は人間の感覚なのだ。
「震度5、6」について「弱、強」という基準も、阪神淡路大震災以降の基準だ。
震度5、6でも違いがあるということが被災状況から分かったためだ。
当時の地震観測への精密度はその程度のものだったことが、良く分かる話だ。
しかし大阪府内の死者は31人、負傷者は3,589人にも及んでいる。
当時大阪で経験した人によれば、震度4は過去にも例があったがこんな被害は無く、揺れ方も震度5以上はあったと考えている人が多いようだ。
だけど本当にあれは震度7だったのかどうかを考えることで、今後震度7以上の地震がきたときの対策ができるといったものではないだろうか。
http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/009000c
この記事では、全国世論調査で「近所に保育園ができるのを迷惑だと思うか」という質問に対し、「迷惑だと思わない」という回答が86%を占め、一方で「迷惑だと思う」という回答が6%にとどまったことをうけて、「保育園を『迷惑施設』と考える人は少数派」と結論付けています。
最初に断っておくと、単純に数字だけの比較でいえば、保育園迷惑派が全体に対する少数派であることは客観的に明らかであると言えます。しかしながら、この質問は、保育園が実際に近所にある状態を経験している人/したことのある人と、そうでない人では結果の絵姿は変わってくるだろうと思うのです。
では、保育園が近所にある状態を経験している人々は、全国にどの程度存在するのでしょうか。簡単な分析をしてみました。
保育園が近所にあることにより、何らかの不利益をこうむる場合、保育園ができることは迷惑であるということになります。ここでは、この不利益を、子どもの声・お遊戯の音楽等による騒音に的を絞って考えます。
資料1によれば、日常生活で「静かだ」と感じるのは45db(デシベル)以下とされています。対して、「うるさい」と感じられるのは、60~70dbを超えたあたりです。70dbはどのくらいかというと、騒々しい街頭やピアノの音にたとえられていますから、保育園の騒音はだいたいこの程度のものと考えておくと良いかと思います。また、同資料による「音の距離減衰」をみると、70dbの音源からだいたい50mほど離れれば、静かだとされる45db以下におさまることがわかります。騒音防止法の規定により、そもそも保育園で何らかの防音対策を試みているものと考えられますが、ここでその対策を無視すると、少なくとも保育園から半径50mの範囲内では騒音による何らかの影響を受けやすいと考えることができます。本分析では、多めに見積もって保育園から半径100m(約0.03平方キロ)の範囲を「保育園が近所にある」状態と考えることにします。
資料2(厚労省の調査)によれば、全国に公営・私営を含めた保育所は22,992件あります。
日本の人口(およそ1億3千万人)を総面積(およそ38万平方キロ)で割った人口密度(約340人/平方キロ)に0.03平方キロをかけると半径100mあたりの人口(10.18人)が算定できます。
これに日本の保育所数を乗ずると、保育所の近所にいる人口は約23万人となります。これを日本の人口に対する割合で示すと約0.18%となります。
この計算では、保育所を新設するにあたり十分なスペースを確保できる(つまり、実質的に保育所の騒音影響が無視できる)いわゆる過疎地についても考慮に入れてしまっているため、上と同じ計算を密集地域である東京都+指定都市(※)に限定して行った場合、保育所の近所にいる人口は約91万人と計算できます。これを日本の人口にたいする割合で示すと約0.7%(当該地域の人口比に対する割合は約2%)となります。こちらのほうがより実態に近い数字と言えるでしょう。
簡単な四則演算に基づいたもので、実際の数値とは乖離が認められると思いますが、それでも当初言及した「保育所が近所にある状態を経験している人々」は、どれだけ多く見積もっても日本の人口に対してたかだか一桁パーセントでしかないことがわかります。保育所に類する存在である幼稚園を含めても、一桁パーセントからそこまで大きなずれはなさそうです。
6%の内訳を知り得ない以上、保育所の近所に住んだことのある人の多くが保育所の迷惑さを感じていると簡単に結論づけることはできませんし、それが本エントリーの趣旨というわけでもありません。しかしながら、「迷惑たりうる事象を経験した可能性のある人口」が全体の数パーセントである限り、この世論調査はほとんど意味をなさないのではないかと思います。
そもそも環境権(騒音から守られる権利を含む)は国民の権利としてひとしく認められるものであり、多数決的に解決されるものではありません。保育所を迷惑がり建設に反対する人々のなかには、もちろんノイジーマイノリティというか、理不尽に声を荒げるような人もいるにはいると思います。その一方で本当に保育所の存在、騒音に対する無対策が特定の人々に身体的・心理的な苦しみを与えうる可能性は排除できません。こういった人々が存在する限り、保育所を望む人々がいるからといって何らの検討なく設立してよいという結論にはなりません。(もちろん、逆に保育所をこれ以上増やすべきではないという結論もあってはなりません。)
権利と権利の対立は、そう容易な善悪対立として解決できるものではないので、メディアの中の人は地に足つけてじっくりとものを考えて、慎重な報道をしてほしいです。
資料1: http://www.toho-seiki.com/info04_e.htm
資料2: 平成26年社会福祉施設等調査http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001141016&disp=Other&requestSender=dsearch
※「指定都市」の定義は資料2に基づくもの(札幌、仙台、さいたま、千葉、横浜、川崎、相模原、新潟、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、堺、神戸、岡山、広島、北九州、福岡、熊本)。
住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数調査 2014年
ストレスチェックが義務化されたとかそんなのと関係あるのかないのか、会社がメンタルヘルスケアサービスみたいなのを導入した。
委託業者や提携してるメンタルクリニックに社員が電話やメールで相談したり面談しに行ったりできるやつ。
家庭のことやちょっとした心のことでも範囲内だから送ってきてくださいみたいなパンフをもらったけど、
フロアのパーティションがなくなって人口密度がちょっと増えただけで適応障害起こして休職して、
ついでに検査受けたら発達障害が発覚したけど、偉い人が発達障害はやる気の問題って公言してるマンだから怖くて会社には伝えてなくて、
そうこうするうちに嫁も鬱になって現在嫁さん療養のため実家に帰ってて別居なう、
自分はなんとか職場復帰できたけど、前から会社の中に数人、声聞くだけでものすごくザワついて20分ぐらい集中できなくなっちゃう人たちがいて相変わらず割と仕事がしづらい。
どうも地声が大きかったりよく通る声ってだけで無条件にダメみたいだけど、なにぶん声が大きくていらっしゃるので、ちょっとイヤホンで曲流すぐらいでは対策できなかったり。
ところでそろそろ実家に一人でいる母親の介護(兄弟親戚なし)が現実味を帯びてきたんだけど、そういえば自分にも実家にも金が全然ないね。
みたいな現状はきっと相談の対象にはなるんだろうけど、ざっくり満貫ぐらいありそうなこの状況を、素直にメールで送ったらどうなるんだろう?
少し興味はあるけど、毒にも薬にもならないようなことを言われて煙にまかれるか、
ゲーセンにおける人間関係はおおむねコミュニケーションノートによって形成される。場合によっては、 twitter などの SNS や、2ch、したらば等のスレッド型掲示板の場合もあるだろう。都会や人口密度の高い地域でのゲーセンは人間関係がプレイに寄与する所は少ないが、田舎のゲーセンは濃密なムラ社会となっており、常連に逆らう事はすなわち論理的・物理的出禁の危険性を孕んでいる。
そういう前提とは一切関係なく、ゲームをやっていて女性と仲良くなれたらとても良いのではないかと思う。何かを始める動機は人それぞれだし、それが不純でも純真でもどうせ100円1プレイの価値は誰がやっても同じなのだから。完全なる主観で適当にモテそうな音ゲーを列挙していくので、音ゲー警察諸氏は余り目くじらを立てないでほしい。
それと、ゲーセンの常連はプレイヤーの顔を意外と見ているし、ゲーセンのゲーム機は公共物である。モテるモテない以前に、人としての最低の水準は守りたい (個人的には、ゲーセンでゲームばっかりやっている人間は自分も含めそもそもに何らかの問題を孕んでいる気もしなくはないが)。
現在もっとも女性比率が高いと思われる音ゲー。ドラム式洗濯機のようなデザインの(というミームの奔流に飲まれすぎた余り公式自らドラム式洗濯機を自称するようになった)筐体であり、2台あるうちの片方がプレイ中の場合もう片方も使用できなくなるという設計になっている。
今ゲーセンにいる女性と交流するためにもっとも適している音ゲーだと思う。
ただ、私事で申し訳ないのだが、肩こりがひどく腕が上がらない為ちゃんとやり込んでおらず、どんな評価体系が存在しており、どういう仕組みでコミュニティが出来上がっているのか全く知らない。ただ普段見ている女性比率と、動画サイト等にアップロードされるさまざまな動画からそう判断した。オフで即ハメ音ゲーに漸近している音ゲーだと考えられる。
maimaiと同じくセガの音ゲーである。操作体系が独特で、上空にあるセンサーの間、虚空へ手を振りぬく操作を求められる。これも結構女性客が付いているが maimai と同じ理由で俺には遊べないので不明。比較的生まれて日が浅い音ゲーで、このゲームをやりこむ前に「このゲームが長生きするのか」という事を各自考える必要があると思っている。
10年前のカジュアル音ゲーの代表格であり、わずかなアニメ・立ち絵(ハリアイ絵)と楽曲のフレーバーテキストだけで数多の女性をスケブ片手に筐体に釘付けた。直線的でシンプルな縦長の筐体、カラフルな9つのボタンがポップでキュートなこのゲームの目印だ。今でこそ「9ボタンとか多くて難しいですよね~」等と言われるものの、カジュアルな音ゲーと競技性のある音ゲーを両立させたその功績は音ゲー界の革命児と言えよう。
最近は相対的に楽曲のパワーが落ちてしまっているのと、流行性の高い版権曲も2~3作で消えるため男女問わず顧客の定着が行われにくくなっている気がする。ゲーセンでこのゲームをやり続けている女子はコアなユーザーが多く、彼女らと警戒されずに話題を合わせるためにはそれなりの上達が求められるだろう。
ゲームシステム的には、プレイヤーの技術を一切要求しない昨今の音ゲー事情としては稀なデザインとなっており(技術を要求したら大不評だったので、以後撤廃された)、はじめてすぐの段階でもすべての要素を楽しむ事が可能となっており、やりこまないと話題に乗り込めない……というような事態は発生しない。
段々書くの飽きてきた。IIDX はコナミの音ゲーで、サウンドブースのような骨組みのデザインに、2つのスクラッチ、14個のボタン、あと正面に謎のボタンやレバーのある筐体である。
あらゆる音ゲーの中で最も高密度な譜面が降り注ぐゲームの為、その内実はともかく非常にアスリート性を高く感じるゲームとなっている。一方で譜面の密度が高いだけでもあり、ある段階を経るまではきわめてシンプルな構造となっている。
さて、 IIDX には Single Play と Double Play の2種類のゲームモードがあるが、モテるのは Single Play である。本作中にはプレイの腕前を格付けする段位認定というシステムがあるのだが、大体6~7段くらいでたむろするユーザーが多いため、10段くらい取っていれば大体ヒエラルキーの上の方に位置出来るだろう。
このゲームは腕前による人間の格付けが驚くほど強烈であり、段位が自分より低い相手、段位のクリアランクが自分より低い相手、自分がクリアマークをつけている曲にマークをつけていない相手など、とにかく他プレイヤーより一点でも優位性を見つけて精神を上層におかないと即死してしまう人が多い。そのため、このゲームをやっている女性と交流しようと思ったらまず彼女らより上手くなりマウントを絶対に取らなくてはならない。より強い雄になる、原始的な交流と言える。
スクラッチの独特のアナログな操作感、本作特有の高密度には慣れが必要なため、ある程度上達するまでに要する時間は1年程度だろうか。ゲームの要領が良い人ならば、最高段位である「皆伝」まで1年掛からずに到達するだろう。音ゲーのそれなりの上達は見た目ほど難しいものではない。もちろん皆伝の上も果てしなくゲームは続いていくのだが、一般的なプレイヤーは余りそういう事を気にしておらず、ランクを評価体系の9割に組み込んでいる。
ボーカロイドの本家(元祖ではない)、ミクちゃんである。このゲームが出た当時はボーカロイドや東方などニコニコ文化が音ゲーに寄与する部分が少なく、ボーカロイドの持つ集客性は音ゲーにとってまだ不可侵領域である時代だった。太鼓の達人など、一部先んじて目をつけていた作品もあるが、ボカロが音ゲーと密接に関わるようになるのはかなり最近の話である。
そういうわけで、ボカロの御大、初音ミクがゲーセンにいてさまざまなニコニコ動画の名曲を遊べるという事、4ボタンしかないシンプル極まりない操作性などの理由で一大カジュアル音ゲーの地位を築き上げたゲームがこの作品である。女性比率の非常に高い作品であり、混雑時は女性の行列に男性一人だけ混ざるという事も頻繁にあった。
とは言え、このゲームも既にリリースから5年近く経過している上に、もはや初音ミクはボーカロイドの主流ではなくなってしまったこと、ボーカロイドはこのゲームの聖地ではなくなってしまった事などの理由で、最近はこのゲームのユーザーもめっきり減ってしまい、まだ更新が続いているにも関わらず、撤去されるゲーセンも徐々に増えてきた。兵どもが夢の跡である。
立方体をくっつけたような小さな筐体があればそれが jubeat である。ボタン数は16個と非常に多いが、叩く場所が光るため光った場所を叩けば良く、ゲーム的にはとっつきやすい構造となっている。リリース当初こそキー音もなくモグラ叩きではないかなどと揶揄されたが、若い世代を中心としてウケがよく、カジュアル層の開拓に一役買ったゲームであると言える。
出だしは比較的好調で客付きも良かったものの、焼畑農業のようなゲーム内イベントをリリースし続けた結果(だと思う)、定着しているユーザー数はほかのゲームに比べ水をあけられてしまった。
最近はややウェイ系のプレイヤーが多く、ガンダム程ではないがプレイ中に騒ぐユーザーをあちこちで見かけるようになったため、女性ユーザーは少し敬遠気味になっているように思う。流動性の高いユーザーはセガの音ゲーにほとんど移動してしまったと思われ、モテ目的でこのゲームを遊ぶ理由はどこにも存在しない。
kinect を利用したアーケードの音楽ゲームであり、画面に表示されたポーズを取るゲームとなっている。他ゲーのコアユーザーに見られる機能性に優れた服装でプレイするユーザーは少な目で、ミニスカや可愛い衣装で踊っている女性が多く、ほかのゲームをやるフリをしてしょっちゅうチラ見するのだが、イケメンで流麗なダンスを踊れればモテるのではないでしょうか?
同名の女児向けアニメと連動しているアーケードカードゲームである。法律上は自販機扱いで、スーパーなどのゲームコーナーでもよく見かける事が出来るだろう。他方バンナムのアイカツとは商売敵のため、バンダイやナムコのゲームセンターでは絶対に見かけることが出来ない。
システムとしては、1プレイする度にランダムで服のパーツ(体上、体下、靴)のどれかと、「トモチケ」と呼ばれる自分のデータを他人に譲るための半券を得る事ができるようになっており、服装データはプレイヤーIDに紐づけられているため、基本的に交換などで手に入れる事は出来ない。唯一ヘアアクセサリだけ交換可能となっており、こちらもトモチケと同じように交流の材料となっている。
幼女から始まり学生、主婦、OLなどなど幅広い年齢層を取り込む事に成功している音ゲーであり、しっかりゲームをやり込んでいると、女性側から声をかけてきてトモチケやヘアアクセを交換するイベントが発生したりもする。
音ゲーマーとしての腕前はほぼ要求されない反面、無数に存在するコーデを組み合わせるセンス、キャラクターへの多少の理解、希少なコーデを入手するための財力と暇が求められる。
日本では国土は隙間なく市町村に区切られているけど、アメリカではそうではない。市町村は、住民の総意として憲章を制定して設置されるもので、その時に市の境界も定められる。
従って、国土が隙間なく区切られているのは郡レベルまでで、郡には属すもののどの市町村にも属さない土地 (unincorporated place) というものがある。有名なのはラスベガス。市に課税されるのを避けるためほとんどのカジノはあえてラスベガス市の境界外に作られたので、実は狭義のラスベガスにカジノはほとんどない。市境界外も含めたあの一帯を人々は非公式にラスベガスと呼んでいるだけである。(https://www.youtube.com/watch?v=naDCCW5TSpU )。もうひとつ有名な郡としては、ワシントンDCに隣接したアーリントン郡がある。あそこには市町村は存在せず、郡政府が直接行政を行っている。バージニア州では、人口密度が高くなりすぎた群に関しては二重行政を避けるためか市町村を設けないことにしているのである。
今回の発電所も、ウッドランド町に隣接はしているものの unincorporated place に建てられたのだと思う。従って消防サービスは有償でウッドランド消防署に提供してもらう以外は町の行政サービスを使わず、郡政府に直接統治してもらうことになっているのだろう。
小学校低学年までは東京在住→北関東に引っ越しだったので、親に連れられて徒歩ないし電車で出かけた記憶は、幼少時に集中していたりする(北関東は車社会なんすよ)。
そして東京と言えば雑踏・人混みという印象が強いし、それはまあだいたいあってるのだが、ウチの親は、この人混みを巧みに避けて自分を連れて行っていたことに今頃気づいた。
例えば駅での乗り換えでは、大きな駅で乗り換えないよう、その前後の駅を使うようにしていた。
新宿の代わりに代々木・中野・高田馬場で、東京の代わりに神田で、上野の代わりに日暮里という具合に、上手いこと乗り換えていた。
やむなく大きな駅で乗り換える場合(池袋とか渋谷とか)はいつもの3倍位、自分の立ち振る舞いに口うるさかったっけ。
そもそも都内にいながら、大きな駅があるような場所には殆ど出かけず、大抵の用事はなるべく近場で済ませるよう、当時は電話帳をフル活用して調べていた。
徒歩で公園に行く場合は、人が集中する出入り口は使わないどころか、一切近づけさせなかった。
大きくなってから分かったけど、こういう人混みが誘拐犯ホイホイ・痴漢ホイホイであることを踏まえると、実に真っ当で現実的な判断だったと思う。
というか、彼らは人口密度が上がれば上がるほど元気になるという意味でも変態なのかも。
まあ、親に言わせれば当然のことをしたんだろうけど、とても感動してしまった。
■ムダに長いので全体を要約
今、インターネットの速度向上は鈍化どころか、スマホだけで過ごす人々や格安SIMだけで過ごす人々の増加により、退化している。
そしてその人々はスマホ世代の台頭などにより見逃せない人口まで増加していくだろう。
この層の増加は高速回線を必要とする有料コンテンツの商売に影を落とす潜在的な危険がある。
長年の過剰で無神経なWEB広告の結果、WEB広告業界が広告ブロックの脅威に晒されているように、徐々に問題が顕在化していくだろう。
そのためには今一度、コンテンツ容量やそれにかかる通信量を軽量化し、拾える客のパイを維持する必要がある。
この対策はコンテンツ販売をする業界が客から見放される前に行わなければ、業界全体からの客離れを招くだろう。(完)
■はじめに(読む気力がある方はこっから)
インターネットは速度を上げてきた。人々もインフラの乗り換えを良しとしてきた。
画像ファイルの読み込みに膨大な時間がかかった昔と比べて今、画像ファイルの読み込みは一瞬だ。
昔のように画像をブログに上げるときに容量を気にして縮小をかけるような人は少なくなっただろう。
もはやインターネットは生活に必要なインフラであり、殆どの人が活用している。
しかし、ここにきて低速なインターネットで満足してしまう人々が出現している。
彼らはインターネットからの脱落者でもあり、インターネットを見放したものでもある。
そのような人々の出現はインターネットでコンテンツを売る時代において、パイの縮小を意味する。
なぜそのような人々が生まれ始めたのか。
スマホの出現と、PCを持たない世代の出現、そして若者の貧困化、ネット依存からの脱却
そしてそれを後押しするのは無料インターネットコンテンツの黄昏だ。
スマホがあれば、通信としては事足りる。速度制限時でもISDNよりは速いのだ。
インターネットでもっとも重要なことはメール、検索、地図の閲覧、通販などだと思う。
それがスマホで事足りるとなれば、高価な固定回線を捨てるのも不思議な話ではない。
固定電話が急激に減少したように、固定回線の光が減少してもふしぎではない時代だ。
そもそも光の出現時点で、そんなに早くて何をするなどと言われたものだ。
ADSLは基地局から遠いと速度低下が著しかったが、よほどの僻地でなければ十分な速度が出ていた。
そして、PCを持たない世代であれば、わざわざ固定回線を持つのはバカバカしいことに映るだろう。
しかし、有料のインターネットコンテンツは大抵回線速度が必要となる。
固定回線を捨てた彼らを、有料コンテンツを提供する人々は見逃していいのだろうか?
■無料のインターネットが崩壊に向かっていることは回線の2極化を生む
無料のインターネットはずいぶんと住みづらくなった。広告、広告、広告、広告。
無駄に分割されたり、続きを読むをわざわざ押させるアクセス数稼ぎ。
検索をしても、アフィサイト、まとめサイト、他人の剽窃、どうでもいい情報や同じ情報ばかり引っかかる。
そして会員にならないとまともに見ることができない重いサイトの増加。ニコニコ、Pixiv、Mixi・・・
昔のインターネットは少し検索すればお望みの情報がいくつも手に入って、比較して良い物を選別して…
なんでも教えてくれる有能な、自分が世界中の情報にアクセスできる魔法使いになれたような錯覚すら覚えるものだった。
当時はgoogleでワードを複数使わなくても、""なんて使わなくても、-なんて使わなくても答えを拾えたものだ。
15年前はこんなGoogleの使い方を知っていれば結構詳しい人だった
商業インターネットの発達によってインターネットは整理整頓された書店のような姿から、ごちゃごちゃしたドン・キホーテのように姿を変えた。
まあ、ドン・キホーテのほうが今のネットよりは整理整頓されているのだけど。
ここ15年の私達のパソコンの性能と回線速度の向上は、ベタベタと大量にはられた重い広告の処理に当てられているといっても過言ではないだろう。
2000年ごろのサイトを見てみると、あまりの軽さと見やすさに驚くかもしれない。
話がそれているが、つまるところ、インターネットを古風な使い方しかしない人々にとっては、速度や性能がもたらすものがなくなっただけでなく
インターネットそのものが変質し、インターネットサーフィンなど楽しむに値しないページが増えている。
それはインターネットそのものの魅力低下を呼んでいる。ということだ。
もはやインターネットは高額な固定回線料を払ってまで高速に楽しむものには値しないと思う人が増えてもおかしくはない。
■有料インターネットは速度を必要とするが、低速回線族にはそれがない。彼らは客としてどうなのか?
ソーシャルゲーム、Youtubeの有料プランや、ニコニコの有料会員、Hulu、Netfix、バンダイチャンネル、Kindle、Steam。
動画、ゲーム、電子書籍など今隆盛を始めた有料ネットコンテンツ。
これらには高速な回線が必要だ。スマホ回線程度の貧弱な回線では万全に楽しめるものではない。
そして、スマホ回線だけで生活する人々、スマホ族とでも呼称したいところだが、すでにある言葉のようなので無線族としよう。
無線族は有料コンテンツ供給者から見て見逃していい存在なのだろうか?
・一人暮らし、夫婦のみ、一人っ子家庭など少数で暮らす人々 多くの家族と暮らしているなら回線代は微々たるものだ
・貧乏 金持ちなら回線代を削る必要はない。金持ちとて無駄な出費と捉えれば削るけど
・パソコンに疎い パソコンが必要でなければ固定回線はいらない
正直に言って、客として微妙だ。見捨てていい客と言っても過言ではない。
客になる可能性は薄く、金払いもあまり良くないだろう。
しかし、そうやってパイを狭めた結果、潰れていったものが多いの事実だ。
果たして、高速な回線を捨てた人々は、拾い上げるほど人口がいるのだろうか?
■無線族の増加は永続的に続く可能性があり、回線速度の伸びも鈍化している。
無料コンテンツの劣化などにより高速なインターネットに見切りをつける人々は増えていくだろう。
そして、結婚をしない一人暮らし世代や子供を作らない、一人だけの夫婦は増加しており、パソコンよりスマホに親しむ世代も増加している。
回線速度の増加にも限りがあり、無線回線の速度増加は足踏みを続けていると言っても過言ではない。
高速無制限のウリ文句だったWiMAX2で速度制限がかかったことが記憶に新しいが、無線回線はあっという間にパンクする。
無線である限り、爆発的な技術の向上が起きてもそれが安く提供されないかぎり、高速な回線を持たない無線族は増えていく。
安ければ、最低限のインフラが高速なら、それを良しとするだろうが、自分たちから高速を求めないだろう。
年月が経てばいつのまにか、遅い無線回線しか持たない人々が多数派になる可能性すら秘めている。
なんらかの対策を考えたほうがいい層として見たほうが良いだろう
■対策は国家としてのバックアップか、商売として低容量のものを提供するか、回線そのものをサービスするか。それとも?
●近頃、安倍総理がスマホ回線の料金を下げるように通信各社に要請していたが、あれはそれだけ通信環境が重要視されているということだろう。
うまく彼ら無線族を繋げなければ、商業的なリスクが起こる可能性すらあるのだ。
ソシャゲで今月の通信量を使いすぎて規制されるからと、ソシャゲプレイの頻度を下げる、
容量の多いものは買わない、など身に覚えがある人もいるのではないだろうか?
それが今後さらに通信量を必要とするコンテンツの増加で、商売の機会を逃す可能性があるのだ。
しかし、政府主導で民間の会社に圧力をかけるのは容易ではないし、反発を招くだろう。
●またはコンテンツの容量を下げるという方法だ。サイズが小さければ低速回線のユーザーも取り込める。
現在のコンテンツは通信速度の増加を当てにした異常なコンテンツ容量の増加が続いている。それを見直す時期が来たのではないだろうか?
●回線そのものをサービスにする。これはとんでもない考えのように見えるが、Kindle3Gやブックライブリーダー リディオではすでに実施されている。
Kindleは低容量の商品にしか使えず、漫画はダウンロード出来ないという問題があるのだが。
端末を買ってしまえば、商品を買う分には通信量が無料となるというもので、低速回線ユーザーには持って来いと言える。
もっとも、Kindle3G程度の回線では効果が薄いだろうが。ブックライブリーダー リディオは漫画も可能とのことだが端末のページ切り替えが遅いらしく購入に至っていない。
そもそもリディオは知名度が低すぎて最近知ったということもある。リディオは宣伝が足りない気がする。・・・本題に戻そう。
このような回線サービスで、ユーザーを繋ぎ止められる可能性や引き込める可能性があるだろう。リディオはコンテンツや信頼性、端末の速度がKindleに並べば
すでに持っているKindleライブラリを見捨ててでも移住してもいいと思うほどだ。それが出来てないから移住してないのだけど。
しかし、無料の回線を提供する企業には多くの負担を強いるだろう
オフラインでデータを渡す。買い切りのコンテンツではあまり有用な方法ではない。前時代的すぎる。
が、プロモーションとして基本無料のゲームの基本データを詰め込んで、ユーザーの通信負荷を下げるという場合には一応は使えるだろう。
問題はそのデータをどう受け渡すか、である。DVDなどではもう読める環境のないユーザーもいるだろう。
USBや無線で提供できる機器を雑誌などにつけたり、プロモーション用のWifiを設置するのも手だろうが、コストが掛かり過ぎるだろう。
面白く話題性のあるプロモーションになるだろうが、低速回線の細い客に対するプロモーションとしては過剰投資になるだろう。
回線の混雑や、当てにできない政府、鈍化している技術の進歩、高コストな無料回線の提供とオフラインでの提供に問題が多いことを考えれば、
昔のインターネットに立ち返り、軽量なコンテンツの提供を考えるのがベストだろう。
今は問題が目立たないが、徐々に問題が顕在化してくるタイプの問題で、早めの対処が必要だと考える
似た例で問題が顕在化している例といえば、WEB広告と広告ブロックソフトの攻防だろう。
今や広告でも高画質な画像や、音声はたまた動画まで使うものがある。そして利用者の好みを追跡し同じ広告ばかり見せる。
何かを検索していたら、弱みを煽るような広告ばかり出てきた覚えがある方もいるだろう。o-netとか。
あれで広告ブロックの再インストールを面倒だと思ってた私も広告ブロックを入れようと決意したものである
WEB広告の未来の芽を摘んでいることを自覚すべきだ。小さなバナー広告程度であればアドブロックがここまで当たり前の存在にはならなかっただろう。
コンテンツ提供者にとって、コンテンツと広告は一体のものであり、広告ブロックは泥棒と言いたい行為かもしれないが、
一見さんのユーザーにとって警告もなく出現する重い広告はぼったくりバーも同然の行為だ。やり過ぎということである。
そうでないサイトまで被害を受けているだろうが、それはWEB広告業界の自制心のなさが招いた結果といえる。
このように相手のことを考えないコンテンツはユーザーに負担をかけ、結果としてユーザー離れを招いてしまう。
一見問題のない状態だと思える現状も、徐々に侵食が進んでいる。
ソーシャルゲームなども容量を食わないものがあっても、十把一からげに通信容量を食うと見られている。
動画など容量対策が難しい物もあるが、可能なものであればどんどん対策し、ユーザーに寄り添うことが、業界の助けにもなるだろう。
■追記
●1,なんで回線状況の悪いアメリカのほうがWEBサービスが発展しているのか?
推測ですが、米国でWEBサービスが発達したのはWEB発祥の地ということもあるでしょうけど、国土が広く人口密度が低いからでしょう。
日本でも僻地に住んでれば本屋やCDショップは遠すぎて、低速回線でも十分にメリットがあると思います。
米国の僻地では通販にしても送料がそれなりに掛かるか、日数がかかるものだろうと思います。
日本なら近くの本屋でも通販でも近くの倉庫からあっという間ですが、僻地ではそうも行きません。
通信速度が遅くともインターネットで買うより速くガソリン代も手間もかからない。
日本でも実店舗からソフト売り場が消えたPCゲーム業界がダウンロードサービス主流になっているのは似たような経緯だと思います
米国は都市部なら無料Wifiが発達してるのも有利な点でしょう。
調べてみると米国でも回線とコンテンツは問題になっているようで、米国でグーグルが独自に高速回線インフラを提供し始めたのはその対策でしょう。
●2、>インストールした後云々は、AppStoreでは100MB以下のアプリでないと3Gでダウンロードできないとか、GooglePlayでは50MB以下でないと登録できないというプラットフォーム側の制限によるのです。
これはコメントについてたコメントで、本文とは直接関係ないのですが、捉え方が気になったので少し話を。
その説明はメーカーとしてはしょうがないことと説明したのでしょうが、ユーザーから見るとそのやり方は詐欺もいいところです。
ひどい言い方ですが、そのくらいのことであって、まさにスマホゲーム業界全体の信用に関わる、客離れに繋がる問題なんです。
ユーザーはアプリストアでアプリの容量を確認して「これならうちの回線でも大丈夫だな」とダウンロードするわけです。
ところがそこから場合によっては100メガ単位、ギガ単位のダウンロードが必要になる…
そしてユーザーはそのゲームを諦め、他のゲームをやろうとしたらまた同じような目に会い、見た目が重そうな美麗なゲームははじめから候補にすら入れなくなる。
40メガポッキリだと思ったら1000メガ必要で結局ゲームを諦めて、通信量丸損で、他のゲームを探したら同じ状況で、と言うのは
3000円ポッキリだと思って入ったら金だけ取られてサービスを受けるには10万必要です、なんて店をたらい回しにされるようなものです。
これはスマホのシステム上しょうがないというお気持ちかもしれませんが、スマホ業界の慣習に慣れていないユーザーには関係のない話です。
アプリによっては追加ダウンロードが発生することを商品説明に明記してありますが、その説明のない商品のほうが多いと感じます。
http://anond.hatelabo.jp/20150902120750
http://anond.hatelabo.jp/20150902160738
トラバありがとう(ブクマくれた方も)。二次創作っていうだけで原作の集客力の恩恵を受けているから、それを自分の実力と勘違いしないようにしたいですね。
少し話は変わるけど、先日コミティアに行った。同人誌自体は今まで結構買っていたけど即売会に参加することは初めてで、間違えてコミックシティ一般参加の大群の中で30分ほど並んだ。その後正しいコミティアの会場に辿り着いたら、あまりにも人口密度が違ってびっくりした。ディズニーランドととしまえんくらいの差はあった。あと、人気サークルって大行列ができてすぐ完売するイメージを持ってたんだけど、コミティアだと超うまい人でも午後まで頒布していて、列ができてもせいぜい5人くらいなんだよね。(あくまでも初参加の自分の見た限りだから、違う場合もあるのかもしれないけど)
そんな部分を見て、元記事で書いた虚しさを強く感じるようになった。あと、いつも投稿に作品名のタグをつけるんだけど、適当に描いたジャンルAではそれを検索して来た人が広めてくれて何十リアクションも行くのに、ジャンルB(21世紀以降も存続しているものの元作品自体がオワコンと化している)では0リアクションということが普通にあって、「もう自分の画力関係なくね」とか思ったり。実際タンブラー見る人は描き手には興味なくて自分の好きなキャラの絵が見たいだけなのでしょうがないけどね。
なんでこんな気持ちになってしまうんだろう?キャラクターが大好きだから描いているはずなのに…マイナーキャラだからどうせ伸びないと思って反応とか気にしてなかったはずなのに、そもそも画力的に最初からリアクションなんて期待してないのに、いつのまにか自分がネット上で見られることばかり考えている。
あっイベント自体は凄く楽しかったです。目当ての漫画も手に入ったし美しいイラストの本も大量に手に入って、本当に幸せでした。
なんというか、自分の中に蓄積したものを一からアウトプットして作品にするって凄くいいと思った。
あーすまん便乗しただけなので特にhttp://anond.hatelabo.jp/20150814074544には文句はない
人口密度は元凶とは思わないが
スペックとしては、子どもとおじいちゃんには比較的モテるが、同年代にはさっぱりモテない…というあたりでお察しください。
「お姉さん! 僕達もう出来上がっちゃってて〜、ダメな大人でごめんね☆ 今帰りなの?」
酒の席で知っている人が酔ってるのはいいんだけど、
こっちが素面で、知らない人がテンション高く近づいてくる、というのがシンプルに怖い。
なんか急に激高したりしないかなとか不安。
住宅街の21時台。
振り返ってみると、自転車でうねうね蛇行しながらついてくる、20代らしき男性。
試しに「結婚してますが」と言ったら去っていったので、普通の人だったのかもしれない。
でもやっぱ怖い。
これが自転車でなくて車でなかったらどうなるのか、とか。
自宅までついてこられないか、慎重に後ろを警戒しながら帰った。
主要路線でないので、その時間帯には1両に10人くらいしかいない。
音楽を聴きながらスマホを触っていると、なぜか目の前のつり革に両手でつかまる人物が。
やがてその人物は話し始めた。
「お姉さんキレイだね〜、一人なの? 今帰り?」
つり革にぶらぶらしながら、ひたすら似た内容を繰り返す。
こいつはヤバい。
もしもの時、車両内の乗客は助けてくれそうか、知らんぷりをしそうなタイプか。
どちらにしても、やや遠いのが難である。
途中駅で降りるか? だとしても追いかけられた場合、出たドアから駅舎までが遠い駅だったら、つかまってアウト。
通勤経路なので、頭のなかでいくつかの駅にマルバツをつける。
またこの手合は、無視することでキレるタイプと、反応することで調子に乗って手がつけられなくなるタイプがいる。
こいつはどちらか。
賭けだが、おそらく後者だろうとふんだ。
イヤホンをしているのをいいことに、存在に気づかない(絶対そんなわけないのだが)という設定とし、
すげー怖いけど、鉄の心でブラウザを繰る。
その間、奴はずっとぶらぶらしながら話し続けていた。
降りる駅まで15分。
長く感じられたが、事態はよくも悪くもならなかった。どうやら賭けには勝ったらしい。
次の乗換についてこられないよう、何度か迂回しながら目的のホームに降りた。
最後まで顔を見なかったが、それでよかったのだろう。
見たらトラウマになりそうなので。
自分のわがままが通らないからって反対する人たちに「子供を切り捨て」とかいうレッテル貼るのはやめたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20150401074440
いま芦屋に住んでるわけではないが6年前くらいまでは住んでいたしたまに遊びに行くこともあるので状況はなんとなくだがわかっている。
陸地側から海側に向かって順に町名と人口を並べると下記のようになる(芦屋市ページの人口統計 2015年3月1日)。
それ以外は一戸建てが並ぶ。海洋町と南浜町に空き土地はほとんどなくなっており、
開発の余地があるのは涼風町の残り1/3くらいの部分だけである。
涼風町が埋まるとそれ以上人口は増えなくなる。集合住宅が建たない限り多分350世帯がMAX。
(一番先端の土地は集合住宅になると聞いていたような気もするが、
まだその計画が生きているなら元増田が絶対にそれをアピールしているはずだと思う)
1戸建てが並んでいるから人口密度が低く、小学校から遠くなってしまう。
陽光町の半分くらいの地域からすると既存の潮見小学校よりも遠い位置である。
この状況で、陽光町の県営住宅に空きがあるので小学校を作れというのはいまいち理由にならないと思う。
この過去の小学校増改築にかかる費用は30億円かかったと報告されています。
30億円が多すぎるという話だが、阪神淡路大震災で被災した建物が多数あった当時と今とを比べてはいけない。
また、「過去の増改築に30億円は多すぎやしないですか?」と書いているが、
この件が具体的に何かというと、時期的には山手小学校の建替えにかかった費用だと思われる。
既存の小学校の建替えと建設費用が同じくらいであるのは当然ではないか。
(当時建替えに合わせて、2つの小学校を統合したので、その後の運営費用などは削減されたはずだ)
そもそも過去に100万円程度汚職した議員がどうこうとか、小学校建設の是非には何の関係もないだろう。
ちなみに子供を育てるならもっと陸地側の集合住宅のほうが断然環境は良くて(がんばれば歩いて駅まで行けるし)、
「なんであんな不便なところにわざわざ住んでる人のために税金を使わなあかんの?
そんなより耐用年数超えそうなこの校舎を放置するほうがずっと子供切り捨てだろ!?」
って感じなのが普通だと思うけど。