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はてなキーワード: 一言とは

2021-09-23

帰って来るなり怒りをあらわ

保育園の迎えに行かなかったこと(過去に行って怒られたので行けない)

書類の提出しない(以前に勝手にやるなと厳命されていたので動きが取れない)

これについて言及し、過去勝手にやるなといわれたから出来なかった旨話したら、逆上して口論

「早く帰ってきて何もしていない。」(何もしていない事はない。やるなと言われてない出来る範囲家事掃除はやっている)

子どもの習いごと行かせている間、外に呼び出され車の中で口撃

「なんで子どもの前で喧嘩してるとこ見せるの」(こちから口論を仕掛けることはありえない)

ジムの開始10月からを拘ってて延々と繰り返しているだけで結論を出さない」

(10月の話は一番最初一言言っただけで、その時に入会金の話してそれ以来一回も10月開始のこは言及していない。ひどい誇張)

「申込書置いてあるの見て何も言わないの?」(勝手にやるなと言われている。行く意思の言明を受けていないので手続きできない)

(だいたい「申し込んでいい?」とこちから聞くこと自体が妻の認識では「勝手に進めた」事としてとらえられてしまう)

スイミング何も考えず土曜日に行くっていってるだけ」(常にしんどいと言っている妻は出来ない。土曜日なら自分が連れていける。という前提で提案した。結果妻のいった水曜日独断決定され事後追認)

水曜日に行かせるのにどんだけ苦労したか」(もうよくわからない)

「家買うのも、車買うのも、冷蔵庫買うのも、全部あなたのいったタイミングにしている」(拒否意思を示したらあきらめた。言いなりにさせてるつもりは全くないが、勝手に言いなりになったことにされている。しかも選んだ車や冷蔵庫自分でチョイスしている。それをこちらは納得して購入しているが、完全に言いなりで欲しくもないもの買わされたという体裁マウントを取りに来る)

うつの診察を受けている旨話したら、「私も通っている。薬飲んでいる」

それ以上聞こうとしたら全部拒絶。こちらの症状は詳細に答えさせられる。親にも言っとけと言われ、親に送ったLINEの文面まで検閲を受ける。そこまでするんか、といったら、「あなただって私の携帯メール受信障害を調べる時に携帯みせろっていったでしょ」

何がいやなのか聞いたら「何にもせず家でうろうろしているのが気に入らない」(何も危害を加えていない。ただ人格否定したい。こっちはできることやりたいが、何かしようもんなら余計なことするなと怒られる)

とあるごとに「あなたは変わらない。もう期待しない」(だいぶ言いなりになっている。うつにもなっている。)

自分の親の事何もしない」反論しにくいフレーズ論点をそらす。

暴力をふるうわけでもない。酒たばこギャンブルに手を出すわけでもない。悪意をもって接することもない。言われたことなら少なくともやろうとするし、あなたに対してこうしろああしろと指図や命令だってすることない。行動を規制することや叱責・罵倒することもない。仕事以外で自分だけの趣味とかで浪費することもしてないし、何も危害を加えていない。

にもかかわらずこんなに辛い扱いを受けてるので、他の家庭の旦那さんがどんなかしらないけど、ただ人格否定したい。ただただ気に入らない。ように考えてしまう。

2021-09-22

知恵袋で「それで御質問はなんですか」と締めてくる奴

いやそんぐらい読み取れよって思うし一言余計だよな。なかったらなかったで質問なんて無いに越したことはないのだから質問が無いのに質問サイトを利用する奴がいくらアホだとしても食い下がるほどのことじゃない。

結局ノータリンどもが舵取りするからうまくいかないってことでしょ

一言で言ったらもっと考えろってことだよね

性の持つわかりやすさパワーに頼りすぎ

目を引くのはかわいいからなのかいやらしいからなのか考えていない

そもそも性の魅力で言うこと聞いてもらおうと思っているのがおかし

ルールを変えるなら行き当たりばったりなやり方じゃダメでしょ

その必要性を訴えないと結局定着しない

何も考えずにやってるから叩かれたときにふにゃふにゃになるんでしょ

ほんとバカ害悪だよね

2021-09-21

日本って数理最適化が苦手だからコスト高になるのでは

日本兵站(ロジスティクス)が弱いと言われる。

太平洋戦争ときもそうだったし、コロナときも言われた。


日本の文化としてカイゼンというのがあり、現場の小さな工夫を積み重ねは得意だ。

通常のロジスティクス現場努力で回っているわけだが、それなりの時間、同じ現象が繰り返されなければならない。


簡単最適化や、人の直感に従っていればいい部分はそれでいいが、

変数が多くなる、もしくは一言説明できないくらいの複雑度になったときに、議論収束しない。

数理最適化オペレーションズ・リサーチといった考えがあまりないように思える。


引用見出しを使って、ダラダラ長文を垂れ流してる増田ってなんだろう…

マヌケに見えるという事がたまにある。

なんでそう思うかというと、『匿名ダイアリー』に投稿するから

はてなブログでも使って主張・表現すればいいのに、ブログだと見てもらえないという駄文しか書けないので

結局、増田を使って垂れ流すという行動をする。

百歩譲って、増田を使うにしても延々と長文であれこれ言っている様はマヌケ一言に尽きるわけです。

しか引用して、いちいち他の増田に噛み付いている様を見ると人格的に問題あるのではないかと思うのですね。

そして反論されると、わざわざ引用見出しで大げさに書き始める。

反論するなら普通に反論すれば良いものを『わざわざ引用見出し』を使うんです。

毎度のことながら、そういう増田を見ると「あーまたやってんだ」と苦笑せざるを得ないわけです。

ムキになりたくなるのは仕方ないかもしれないですが、ぶっちゃけるとムキになるほどの子供が理知的に書こうとして失敗しているのは実に増田らしいなと思いました。

これからも彼らはブログという自分が好き勝手作成できるサイトすら使わず増田日記を使い続けるのでしょうね。

2021-09-20

銀杏匂いを嗅ぐと思い出す

中学生の頃、好きな子がいた。

ある日、自転車通学だったその子が俺の目の前で派手にこけた。

すぐ駆け寄って「大丈夫?!」って聞いた瞬間、銀杏匂いがぷ~んと鼻に入ってきた。

落ちて潰された銀杏の実で滑ったらしく、「痛ッて… あ、大丈夫ありがと」という初めて交わした会話は、銀杏匂いで胸いっぱいだった。

あれから数十年。今ではその子が俺の妻だ。

…という展開はもちろん無く、あの時の一言を交わして以降は何も話さないまま卒業、今ではどこで何をしているかもわからない。

だけど今頃の季節、銀杏の潰れた匂いを嗅ぐと、いまだたまに思い出す。

銀杏のにおいは、俺にとって青春のかおりだ。

anond:20210920015426

ブコメ増田の反応を見ていて、乳揺れ=お家芸という反応が見られなかった事に、時代を感じて、一言書いておきたくなりました。

既に書いたように、ある時期のゲームにおいて、乳揺れはお家芸という認識が、少なくとも私にはありました。

ブコメ散見されたスパロボシリーズの乳揺れは、既に、乳揺れが(日本固有の)お家芸として定着していたゆえの表現だったのではないかと思います

乳揺れが印象的だったと思える作品として、コナミポリスノーツ最初に思いつきます

まだまだゲームのメインユーザー若い男性だった頃で、当時は、全年齢向けの健全なお色気として、乳揺れがあったように思えます

近い世代にあった、トゥームレイダーシリーズは、乳が一切揺れない事が(狭い範囲では)話題になるぐらいには、日本ゲームでは、乳揺れがお家芸として定着していたように思えるのです。

からどうだと言う話ではないのですが、乳揺れ=(お色気路線の)お家芸という認識からすると、それを公の場所に持っていくのは場違いだと思う一方で、自分としては(一種の)文化だと思っていたものが、そのように認識されていなかったというのも、何だか寂しくもあり、書いておきたくなった次第です。

anond:20210920015426

ブコメ増田の反応を見ていて、乳揺れ=お家芸という反応が見られなかった事に、時代を感じて、一言書いておきたくなりました。

既に書いたように、ある時期のゲームにおいて、乳揺れはお家芸という認識が、少なくとも私にはありました。

ブコメ散見されたスパロボシリーズの乳揺れは、既に、乳揺れが(日本固有の)お家芸として定着していたゆえの表現だったのではないかと思います

乳揺れが印象的だったと思える作品として、コナミポリスノーツ最初に思いつきます

まだまだゲームのメインユーザー若い男性だった頃で、当時は、全年齢向けの健全なお色気として、乳揺れがあったように思えます

近い世代にあった、トゥームレイダーシリーズは、乳が一切揺れない事が(狭い範囲では)話題になるぐらいには、日本ゲームでは、乳揺れがお家芸として定着していたように思えるのです。

からどうだと言う話ではないのですが、乳揺れ=(お色気路線の)お家芸という認識からすると、それを公の場所に持っていくのは場違いだと思う一方で、自分としては(一種の)文化だと思っていたものが、そのように認識されていなかったというのも、何だか寂しくもあり、書いておきたくなった次第です。

anond:20210920015426

ブコメ増田の反応を見ていて、乳揺れ=お家芸という反応が見られなかった事に、時代を感じて、一言書いておきたくなりました。

既に書いたように、ある時期のゲームにおいて、乳揺れはお家芸という認識が、少なくとも私にはありました。

ブコメ散見されたスパロボシリーズの乳揺れは、既に、乳揺れが(日本固有の)お家芸として定着していたゆえの表現だったのではないかと思います

乳揺れが印象的だったと思える作品として、コナミポリスノーツ最初に思いつきます

まだまだゲームのメインユーザー若い男性だった頃で、当時は、全年齢向けの健全なお色気として、乳揺れがあったように思えます

近い世代にあった、トゥームレイダーシリーズは、乳が一切揺れない事が(狭い範囲では)話題になるぐらいには、日本ゲームでは、乳揺れがお家芸として定着していたように思えるのです。

からどうだと言う話ではないのですが、乳揺れ=(お色気路線の)お家芸という認識からすると、それを公の場所に持っていくのは場違いだと思う一方で、自分としては(一種の)文化だと思っていたものが、そのように認識されていなかったというのも、何だか寂しくもあり、書いておきたくなった次第です。

コロナ禍の効用

嫌な人からの誘い

まだ宣言中ですし落ち着いてからで〜

一言で断れる!

嘘つくの苦手だから、気を遣った言い回し考えるのもちょっとしたストレスだったんだなぁ

軽度ASD的には今の状況はむしろ楽だ。

anond:20210920185725

ウゼエしねなんて一言も言ってないぞ

暑苦しい時代になってきたといっている

お前と心の声をいっしょにするんじゃない

Twitterってマジでフォローやす仕様になってるよなあ

ただスクロールしようとしただけで誤フォローするって一体どうなってんの

フォロー前に一言注意を差し挟む仕様にしてくれればいいのに(設定で任意オンオフできるように)

UIをやたら変えたがる割にはここは絶対修正しようとしないよね。

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-09-19

小島一志という男(加筆)

 小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。

 相当なお騒がせ人物である

 詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwikiAmazon著作レビューでをご覧いただきたい。

 

 外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。

 

 家高泰彦というライターがいる。

 『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島大学時代同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である現在は絶縁)。

 「小島は人の懐に入るのがうまい」と彼は書く。

 小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである

 

 小島瞬間湯沸かし器である。突然に激しく怒り出す。

 しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。

 

 「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」

 

 小島は怒ると大抵こういう風に言った。

 しか第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとからなかっただろう。

 猜疑心被害感情が強すぎるのである

 

 小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しか当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。

 怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君言動であった。

 その一方で、1日も日を置くと、「あのとき感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。

 当初は「困った人だが、きちんと反省謝罪もできるんだな」と思っていた。

 だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。

 そしてこんな風にも思い始めた。

 これは共依存DVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか

 

 そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。

 わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである

 彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。

 

 彼を称して"イタコ作家"と呼ぶ人もいる。

 その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである

 アンチはこれを称して作話捏造根拠ひとつとする場合が多い。

 

 しかし、おそらく小島にその自覚はあるまい。

 催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである

 彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達芦原英幸の語りを再現する時の様子を。

 すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?

 小島思い込みが激しく、自己暗示にかかりやすい男である

 だから本当になりきってしまうのだ。

 イタコ気質である以上、イタコ作家は間違っていない。


 人間関係悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。

 これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。


 投影性同一視というものがある。

 非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやす説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。

 だから概念よりも、症例や行動パターンを見てほしい。

 驚くほど小島に重なるのである

 特に代表的ものを上げよう。

 

現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力

理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式

 

 もう一つ、社会心理学認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。

 矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。

 思い込みの激しい小島場合は、妄想物語を作り出すという形で表れる。

 だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。

 これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。

 なぜ小島はこのような人格を持つに至ったのであろうか?

 イタコ気質生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。

 

 原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。

 そして小島は芦原に心酔している。

 小島猜疑心被害感情の強さは芦原の悪影響ではなかろうか。



2022/6/30 加筆訂正

anond:20210919002338

「間違ってます

はいこの一言でお前失格。

そういう世界じゃないんだよな。

俳句川柳も。

いろいろ間違っています

国語警察です。増田書き込みはいくつも間違いがあり、看過できません。

1つめ。まずお茶ペットボトルに書いてあったのならそれは川柳ではなくおーいお茶伊藤園主催する俳句大賞です。夕立という季語を入れているので、作者は俳句としての読み取りを求めていると解することができます俳句解釈はいくつかフォーマットがあるので、読み取りにはある程度それを知っておく必要があり、簡単に云々するのは適切ではありません。

2つめ。件の句は大変面白い句です。やや読み口が未熟ではありますが、賞に選ばれるだけの作品だと言えます。以下、少しだけ解説します。

まず、夕立季語として用いているので、季節は夏。象は「夕立」が降る日本でよくいる動物ではありませんから場所動物園とほぼ確定できます。夏の夕方に作者は動物園を訪れているわけです。事情はさまざま、ですが、一般的にいってどんな心境だと想像できるでしょうか。夏休み家族連れ?詠み手子供?親? 確実に言えるのは、詠み手はそう不幸な状況にあるわけではないと考えられるということです。不幸な人は、夏のさ中に動物園に来たりしませんし、夕立の中でぼーっと象を眺めたりもしません。むしろ想像できるのは、それなりに幸福な人で、新鮮な心と驚きをもって周囲に向き合っている人だということです。そこで、そういう心で、目の前の情景に向き合ってみましょう。

何も心配することのない子供のころの心で、夏のさ中に動物園にやってきた状況を想像してみてください。いろいろな動物のむせかえるような匂いに少しへきえきしながらも、非日常感に心躍らせる思いで時間はあっという間に過ぎ、気づけばもくもくと黒雲が辺りを覆っていて、不意に夕立が訪れます。象はいつも動物園の人気上位です。目の前の象の圧倒的な非日常感は、この日一日の中でもとりわけてあなたの心を喜ばせたでしょう。そして、夕立。遮るもののない中で、夕立普段よりもいっそう激しく感じられます。雷もなってあなたは少しひるんだかもしれないし、あるいはワクワクしたかもしれません。ですが、目の前の象はどうでしょう。象舎に入るでもなく、動じるでもなく、まるで心地よいシャワーでも浴びるかのように、何物にも動じません。そんな象の姿は、あなたの心を揺さぶらないでしょうか。それが、象への感動なのか、夕立への感動なのか、二つが混ざった状況は、目の前の柵の存在すら忘れさせて、ふと見たこともない遠いアフリカスコールを浴びる象の野生すら幻視させるかのようです。象が夕立を浴びている風景を、主語を逆転させ、夕立が象を洗っている、と見たのは、夕立に象に劣らぬ存在感や主体性詠み手が感じたことを表しています。そして、夕立というあまりにもありふれた題材が、象という、俳句にはなりにくそうな題材と出会うことで、なんと生き生きと、生々しく荒々しい存在感を生み出していることでしょうか。異質な二つが出会うことで取り合わせの妙が生まれる、つかず、離れず、のこの関係を「不即不離」と言います。上質な俳句に欠かせない、新鮮な感動だけが生み出す言葉マジックです。

最後の「またたく間」もとても素晴らしい。夕立は短いものですが「またたく間」というほどかというと少し誇張なので、このあたりやや詠み手の未熟さ若さと捉えられるかもしれません。しかし、この「またたく間」は、まさに瞬きも忘れるほどこの情景に見入っていたこども心の「またたく間」であり、必ずしも一瞬とは限らないとも言えます。また、ウォッシュされた結果クリーンになるのがまたたく間だった=それほど激しい夕立だった、と取ることもできますし、さらに読みを深めれば、これらの幻視、ひいてはこの日一日の非日常の全てがこの瞬間に込められており、夕立とともに非日常ははかなく消え去っていく、ただし、後に残るのは夕立の後のような爽やかさで、この一言とともに、象と夕立幻視に閉じ込められていた詠み手が再び現世に返り、我々読者もその爽やかな読後感を共有できる…そんな終わり方です。幻は一瞬であり、一瞬であるがゆえに永遠。この句はそんなことまで感じさせてくれます

そんな、まるで壮大な幻を一編の短編映画に仕立てたような幻想を、わず17字に詰め込む、これこそが俳句の妙であり、これはそんな俳句という表現形式の魅力を存分に発揮した作品だと言えるでしょう。実に見事というほかはありません。

3つめ。これは一番勘違い修正いただきたく、返信をしようと思った最大の理由ですが、「分け入っても分け入っても青い山」は、種田山頭火俳句です川柳ではありません。無季自由律であってもそこに俳句スピリットがあればそれは俳句だ、というのが彼らの主張であり、その主張自体をどう取るかは人それぞれの考え方にもよりますが、「あれは俳句ではない」と主張するならまだしも違うジャンル呼び名で呼ぶのは、俳句に対して、川柳に対して、そして山頭火に対して、あまりにも失礼で不当です。この勘違いは、即刻修正していただきたいです。

最後に、俳句川柳面白さはまた違うところにありますが、川柳面白さはもっと言葉の響きや並びの妙といった所にあるので、「情景が浮かばないとダメ」といったような狭い(ある意味俳句的な)縛りの下にあるものではありません。その点も、増田勘違い修正された方がよいと思います俳句世界川柳自由さは、それぞれに面白いものであって、それぞれの特長をきちんと知ることで、それらの作品をより深く味わうことができるようになります。知らないで否定することは簡単ですが、それはあなた世界を狭くしてしまます。分かったつもり、の人生より、世の中にはまだ知らないことがたくさんある、という人生の方が、楽しいと思いませんか。お茶ペットボトルを飲み捨てることなく、そこに書かれた一言に目を向ける精神は素晴らしいと思います。どうかそのように、物事簡単に切って捨てるのでなく、小さなところにも発見のある人生をお送りください。

anond:20210918185654

2021-09-18

京都西側、予定になかった日の日記

起きたら11時25分で、そのまま布団で二時間ごろごろしていたら、かつてこの地で一緒に学生生活を送り、遠くに住んでる友達からLINEが来た。

しまむらオンラインと一部店舗で、ちいかわのピアス3組セットがゲリラ的に販売開始したらしい。

オンラインはすでに品切れ…ピアスをあつめていてちいかわが好きな友達はずいぶん悔しがっていた。

いま住んでる県内に「一部店舗」もないそうだが、調べてみたら、私は自宅から自転車で30分くらいのところに「一部店舗」があるらしいので、急遽出かけることにした。

いかわのピアス在庫確認に行く、予定にない一日がはじまった。

ごろごろ至上主義者なので、本来なら生まれるはずのなかった一日が生まれたのだ。

まず、半年ぶりに自転車に乗った。

しかしまたがった瞬間、前輪の空気が全ぬけしていることが発覚、慌てて家の斜め前の自転車屋さん(私の自転車故郷でもある)に空気を入れてもらう。

ここにこの自転車屋さんがなければ、はじまったばかりの私の一日は終了していただろう。

半年のらないと空気もぬけちゃいますよね」と言いながら、放置状態が長くて汚れていた私の自転車クリーナーで拭いてくれ、大変恐縮する。

出際には「気を付けていってらっしゃい」と言ってくれた。

予定になかった一日の、予定になかった言葉で、とてもうれしくなる。

縁あってここに住んではいるけれど、地元ってわけでもないので道がよくわからない。グーグルマップを頼りによろよろと自転車こいでいく。

ミリオンタウンという場所の、二階にしまむらがあるらしい。

行ったことがないところにグーグルマップ頼みで行くと、めちゃくちゃ唐突に着いた感じがすることがあるが、今回は最上位のそれ。

ほんとうに唐突についたので、友だちに「なんか着いた」と、ナガノ的な言い回しで到着を報告した。

ミリオンタウンのエスカレーター、びっくりするほど遅い。

普段地下鉄エスカレーターにばっかり乗っているので、その遅さに驚く。高齢者子どもがよく乗るからだろうか?

予定にない一日の、予定にないエスカレーターの遅さだ。

いかわのピアスは売り切れていた。ピアス売り場の広告の品のポップの下がごっそり空いていて、ああ、ここにちいかわがいたんだな…と感じられたけど、

念のため、モップ掛けをしている店員さんがいたのできいてみようと後をついていく。

しか彼女しまむら通路予測不能な経路設計で進んでいくのでなかなか追いつけず、期せずして謎のダンジョン感が出た。予定外のダンジョン

やっとおいついた店員さんに、申し訳なさそうに「ちいかわもうないんです」と言われ、友達に「ちいかわもうないんですって言われた」、とLINEで報告したら

「ちいかわもうないんです」とLINEで復唱された。

しかちょっとジワる言い回しだ。ちいかわもうないんです。

することもなくなったので、そのままイオンモール京都五条に行ってみた。ミリオンタウンのすぐそばにある。私は行ったことがなかった。

自転車をとめて入口に向かっていると、入口そばいきなりステーキがあるのが見えた。

まったく予想してなかったので、ちょっとはっとした。店名に恥じないいきなりステーキぶりだなと感心する。

中に入ったら今度はカルディがあった。今日は22時からオン飲みだからここでお酒を買って帰ろう。オリジナルチューハイがおいしいとちいかわの友達が前言っていた。

カルディの前には生ジューススタンドがあって、カラフルジュース広告キラキラしている。

これもいい、あとで買ってみようと思いつついったんスルー。なにも食べてないのでお腹がすいている、まずはごはん

3階のレストラン街で一番最初に目に入ったバ~ミヤンに入る。

大学生だったころ、一回だけ北大路ビブレのバ~ミヤンに行ったことがある。それ以来だ。

予定外のバ~ミヤン思い入れもなにもまったくなく、とてもすがすがしい。オーダーはタッチパネルで非対面ぶりが徹底されている。

かに玉とよだれ鶏小籠包ドリンクバーを頼んだ。

どれも、びっくりするほどおいしいわけでもなく、顔をしかめるほどまずいわけでもなく、とても安らいだ。

ドリンクバーオリジナルウーロン茶(冷)は、ちょっと茶葉を煮出しすぎたときのあの雑な渋みがあってとてもいい。

わたしはこの、煮出しすぎた茶の雑な渋みが好きなんだ…と気づかされて感慨深く、気持ちよくごくごく飲んだ。

予定外のいい発見があった。

食後には、凍頂ウーロン茶と仏手ウーロン茶を、それぞれポットでゆっくり飲む。

そんなことをしていたら、一階の生ジューススタンドのことがどうでもよくなってしまった。あるあるだ。

せっかくモールに来たんだしなとそのまま一周することにする。

イオンカードポイントが、専門店で買い物すると10倍とあるのにつられて、秋の靴下を6足買った。3足いくらのやつを二組。

鞄屋さんで、地元にいる母が好きそうだなと思いながら赤い革の鞄を眺めていたら、控えめに「あててみてくださいね」と店員さんが言ってすぐ離れていく。

コロナシフトという感じ。

モールキラキラしてるし、靴下も買えたし、ひとりでに「たのし~」と口から出てきた。予定にないことはなんでも楽しい

京都田舎だけど地元もっともっと田舎で、イオンモールもっと身近だった。どこのイオンモール構造は同じ、期せずして故郷を感じる。

母と二人で行くと、思わずきゃっきゃとしてしまって楽しいんだよな。ゆっくりお母さんに会いたいなあ、などとしみじみ思う。

実家から離れて暮らす多くの人たちが、そんな気持ちでいる連休なんじゃないだろうか。

ジュースはどうでもよくなったけど、カルディには寄った。

レモンお酒と、白ワインサングリアを買うつもりで並んでいたら、5倍希釈レモネードのもとが並んでるのをみつけて、ついついそれも買ってしまう。

この前NHKの「ストーリーズ 事件の涙」で、バス停にいた路上生活者女性が急襲されて亡くなった事件を扱っていた。

そのとき生前、すでに路上生活者となっていた彼女大林さんが、ショッピングモールエスカレーターそばキャリーバッグを持ってうなだれている写真が出てきた。

今日とても楽しかたから、帰る前に振り返ってもういちどモールの中を眺めていたら、頭にその写真が浮かんできた。

彼女は私だと思う女性はたくさんいて、私もやっぱりその一人だ。

今は買い物をしている側だけど、結婚仕事もしているけど、それで安定しているというわけでもない。

家も会社も、いつどうなったっておかしくないと思う。

大林さん、何かひとつボタンを掛け違えていた自分なんだ、あるいはこの先の自分なのかもしれないな、そういうことを思いながら自電車を漕いで帰路に就く。

もう夕方になっていた。

古い美容室の前を通りかかったら、女性のお客さんが出てきて、そのあと店内の明かりのトーンが少し下がった。

ああ彼女最後のお客さんだ、髪色が明るく、ぱりっとしたパーマがかかったご婦人彼女リニューアルした髪の毛を、美容師以外で最初に見た他人は私だ。

彼女大事な人でもなく、ほんの通りすがりの私だ。

これも、ほんとうならなかったはずの今日の、全然予定にないことでちょっとうれしい。

わたしなんかでよかったのかなあと思いながら、似合ってますよと心の中でいって自転車をこぎ続ける。

ガソリンスタンドの前を通りかかる。私が通ろうとしているので、スタンドから出ていこうとする車を、店員さんが手で制している。

今日私がちいかわ探しにいかなかったら、この車はここをすんなり出て行ったんだろうなと思いながら、店員と車に会釈をして通り過ぎた。

ガイドブックにも載ってない、小さな神社の舞殿が、橙色の献灯で照らされいて美しい。

いつも電車の中から裏側を見ている整骨院の、表側を通り過ぎて行く。

「○○施術院」とだけ看板の出ている普通の民家、「どんな施術を…」と、なぜかちょっとエロい妄想をしてしまう。

空気を入れてもらった自転車屋はまだあいていて、お礼が一言いいたかったけど、店員さんは奥にいたから声をかけるのはやめて通り過ぎた。

そうして家に帰って自転車しまい、買ってきた酒とレモネードのもとは冷蔵庫しまい、匿名日記を書いて、書き終わった。

anond:20210918193119

全く一言に収まってないじゃないかはてなの知能低下を印象づける事例だな。

anond:20210918192844

長い。

はてなーダニングクルーガー効果ヤバいので馬鹿ほど自分を賢いと持って調子に乗り、それに馬鹿が素晴らしい俺の意見と同じだとスターをつけて馬鹿集会場になっている」の一言で終わる内容

恋人が「恋の奴隷」なら、家族は「愛情奴隷である

私は他人と、主人―奴隷関係にはなりたくないと思っている。

これは現代人権意識に照らし合わせても、妥当なことだと思う。

そうなると、私は家族も作りたくない、つまり結婚したくないのである

それは、家族というものタイトルに示した通り「愛情奴隷」そのものからだ。

家族を作ると、配偶者子供と呼ばれる人々に、やりたくもない様々な行為をさせることになる。しか無償で。

適切な金銭保証もなく、配偶者には家事や果てには夜の営みまでを強いて、子供には学業や果てには社会歯車となることまで強いる。

これらを「奴隷」と呼ばず、何をそう呼ぶのだろう。特に子供は出生しなければ、そんな苦労をしなくて済んだのだ。

そして、そんな行為強制という理不尽さは「愛情」という一言で片付けられる。まさに「愛情奴隷」とでも呼ぶのがふさわしい。

しかし、私はそれらの行為希望しないし、それらの配偶者子供となる人々をかわいそうだと思う。

から、そのような過程を望まない。それだけなのである。未婚率の増加も、ひとつにはそういうことだと思う。

まり他人奴隷化することを快く思わないから、結婚を望まないのだ。

人生観死生観についてのポエム

別に特にメンタルやばい状況というわけではないのでその点はご心配なく。

 

ふと自分の掲題のあたりについて改めて考えたりしたので、書いてみます

まとまりのない文章となると思いますがご容赦下さい。

あと、別に目新しいことは多分書いてないと思います

 

なお、以下の文章で考えや認識を示しているところでは、暗黙に「個人的には、」という枕詞がついているいると思って読んでいただければと思います

(毎文につけてるとくどいので)

 

なぜ自分は生き続けるのか?(生きる目的とは何か?)

現代人であれば、一度は考えることではないかと思っています

ただ、何かの強い使命感などを持っているなどの理由から簡単に答えの出る人は少なくて、生きていく中で、同じようなことを再考し続ける人も多いのではと思っています

 

で、これについて自分場合を考えると、前提として、私はあまり生に執着の無い方だと思っています

痛かったり苦しかったりするのは嫌ですが、生を終えること自体に恐怖はありません。

人生楽しいこと、苦しいことがありますが、割合としては苦しいこと(や面倒くさいこと)の方が多いと考えているので、多分生きている方が大変なんだろうな、と感じています

(死後の世界どうこうについては置いておきます

 

ここで、唐突キアヌ・リーヴスの話をすると、彼はテレビ番組死生観を問われた際に、少し間を置いて、

  • 愛する人たちが寂しがるっていうことは確かだね」

と答えたそうです。

 

私はこの答えが自分の生きる理由一言で言い表していると感じました。

自分場合、親は存命ですし、兄弟もいます。そして既婚者でもあります(現状、子供はいません)。

 

仮に私が自死をしたとした場合、おそらくそれは、私の親にとっては、何よりもの親不孝だと思いますし、兄弟や妻にとても大きな喪失感を与えることは想像できます

(妻を幸せにする責任があるだろ、というような考え方もあると思いますが、正直なところ、それが生きる理由になるかと言えば、私の場合、ならないです)

 

そんなわけで、基本的には生きる方向で考えていたりします。

 

ちなみに、余談ですが、ある友人は「絶対に死にたくない、怖いし」 といったことを言っていて、そもそも生きる理由なんて考えない人も結構いるのかもな、とちょっとした衝撃を受けたことがあります

オチはありません。 

 

じゃあどう生きていくのか?

どこかで聞いた(見た)ものですが、

という発言を知っていて、私もおおむね同じようなメンタリティで生きています

 

ただ、つまらなかったり、退屈なのも辛いので、高杉晋作が遺したとされる以下の言葉に則って、

楽しく生きていけるようライフマネージメントしている日々です。

(上の言葉には続きがあるそうですが、ここでは省略しています

 

  

以上。

anond:20210918082842

単なる個人的乾燥を述べただかなんだが、なぜけんか腰なんだ?

価格設定恣意的だとか一言も書いてないのだが、そう勘違いしたのか。

すぐキレるような(人間性の)素人は黙っとれ

2021-09-17

anond:20210917084916

というか昔っからそうだろこの国

コロナっていう都合のいい病気流行たから表面化しただけで

海外の有名な研究でも日本人自分が損をしてでも相手に得をさせない傾向が異常に強いというし民族性なんだよね結局

から格差勝手に広がってんだよ

ものすごい格差が広まって例え狂った正義マンが「自分自爆してでも恵まれた奴道連れにしたる」みたいなことを考えたって物理的に不可能なくらい警察技術や防犯技術が向上して、リア充とでは住むところから棲み分けができてきてるわけで

最終的にそれを上級陰謀ってことにしたがるネット民も多いけどなんのことはない

上流階級かにいるにはそう言う爆弾見たいな底辺やヤベー奴と一切関わらないようにしないといけないか機械的にそうなってるだけなんだよね

一言で言えば民度が低いんですわ、日本人

anond:20210917112035

「減るもんやないから、エエやないか


昔のおじさんは核心を突く一言が上手だよな

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